ソーシャルワークの TOMORROW LAND ・・・白澤政和のブログ

ソーシャルワーカーや社会福祉士の今後を、期待をもって綴っていきます。夢のあるソーシャルワークの未来を考えましょう。

若い学生の怒り「うちのおじいさんを子ども扱いするな」

2008年05月16日 | ケアや介護
 本日、非常勤で授業をもっているある大学での新1回生向けの授業が終わり、帰りかけたところ、質問がありますといって、一人の1回生がやって来た。質問内容は、連休を利用して老人ホームに入っているおじいさんの見舞いに行ったそうである。そこでの情景で、「職員の方が私のおじいさんに、子ども扱いの言葉で関わっていたのにショックを受けた。けしからんと思ったけれど、何も言えなかった。こんなことは、どこの施設でも行われているのか」という質問であった。

 この質問に、私は「昔はそうした子ども扱いする施設は多かったが、今はそんなに多くないと思う。施設では、入所者に対する人格を大切にする尊厳の保持が謳われている。」と説明した。同時に、そうした場合には、怒るのがもっともであることも付け加えた。

 ここで3つのことを感じた。1つは、この学校では、学生の私語が大変多く、将来の仕事への意識も弱いと誤解していたが、身内のことではあるが、正義感や尊厳といった意識を十分もっていることが分かった。その意味では、そうした意識を将来の生き方に繋いでいくのが、教師の使命であると反省した。

 第2に、このような子ども扱いする態度や言葉が、まかり通っている施設が未だあることにショックを受けた。施設では是非、介護保険法第1条で謳っている「利用者への尊厳の保持」を第1の理念として、ケアをお願いしたい。この理念が全職員に徹底させるためには、上司の指導や教育、職場内の研修、職場外の研修が有効であり、そうした体制づくりをお願いしたい。

 第3には、高齢者をステレオタイプの捉えているのではないかと危惧する。高齢者は誰もが童謡が好きであり、子どものように対処することが良いと考えているのではないか。個々の高齢者ですべて思いや価値も大きく異なる。こうした視点が、施設や在宅でのスタッフは欠落しているのではないかと考えざる得ない。

 個々の職場について、是非こうしたことを総点検して欲しい。

連載「アメリカの医療の光と影」から学ぶ(続き)

2008年05月15日 | ケアや介護
 李啓充先生の連載「アメリカの医療の光と影」の中で、おもしろいことがいくつもあり、ここでは、昨日に続けて、2点ほど、興味のある話を間接的に皆さんに伝えておきたい。

 1.昨日も書いた国民負担率は国民の所得の内で租税や保険料で払う比率のことであるが、海外では、このような用語は使われていないという。(第121回)

 アメリカで住む李先生は、国民負担率を日本では英語で「national burden rate」としているが、この和製英語をアメリカ人に尋ねると、怪訝な顔をするという。あえて尋ねれば、「国の中で障害者や失業者など国の負担になる人の割合ではないのか?」と答えたという。

 日本では、社会保障の方向を考える時には、必ず国民負担率がスタートになるが、これが世界の言語になっていないことがおもしろいだけでなく、いかに国民のセーフティ・ネットを作るのかの社会保障の原点に立って、日本の今後の超高齢社会のあり方を考えたいと思った。

 2.現在、介護保険で被保険者年齢を孫の世代まで年齢を下げることに対して、これは事業主と被保険者が保険料を折半することになることから、経営者側が負担が増加することに対して反対が強いとされている。

 このことは、企業にとっては、グローバリゼーションのもと、厳しい競争の中で経営していることは理解できるが、小泉前首相の政権が発足して以降、日本の企業はGDPに占める企業の純利益の割合が、-0.09%から5.53%に回復している。(アメリカにいながら、こうしたデータを入手しているのが素晴らしい)また、小泉政権後、人件費比率も徐々に低くなっている。(第126回)

 このようなことを考えると、もう少し、企業側が介護保険を含めて社会保障の保険料負担をしてくれても良いのではないかと、李先生の意見に賛同するものである。

連載「アメリカの医療の光と影」から学ぶ

2008年05月14日 | ケアや介護
 私は2週間に1回医学書院から送っていただいている『週刊医学界新聞』を楽しみにしている。この新聞でボストンに住んでおられる医師で作家の李啓充先生(『市場原理が医療を亡ぼす―アメリカの失敗』(医学書院)の作者であり、アメリカの医療の問題に鋭くえぐり出しており、好著である。)が連載しておられる「アメリカ医療の光と影」は素晴らしい。

 これは、インターネットでも読むことができるので、是非読んで欲しい。シャクではあるが、私のブログよりもはるかに魅力も説得力もある。私もこの連載から学ぶことが多い。特に、4月14日の第2777号の内容について、是非皆さんにも伝えておきたいと思った。

 連載「アメリカの医療の光と影125回」において、2005年のOECDが実施した調査報告によると、調査対象24カ国中で、日本の貧困度は、メキシコ、米国に次いで、第3位で高い。大変不名誉なことであり、社会福祉研究者として責任を感じ、恥じるものである。昔の日本は最たる社会主義的な国であり、所得格差が少ないことを誇りにしていたが、それはどこに行ったのだろうか。この貧困度の高い御三家は、全て国民負担率が低い国である。一般に、国民負担率が高くなると、貧困率は低くなっている。これは、ここで示した医学書院のホームページの中の図で見て欲しいが、国民負担率が高いチェコ、ルクセンブルグ、デンマーク、フィンランド、スウエーデン等では貧困度は低く。

 日本の国民負担率について、よく50%以内に留めることで、「小さな政府」を目指すことが強調されるが、日本は別の道を選択する方が良いのではないかと、考えさせられた。

 李先生は、ある回で、アメリカと日本の国民負担率を見かけと実質の違いを示していたが、これも興味があった。確かに、日本はアメリカよりも国民負担率は見かけは低い。日本が39.7%であるのに対して、アメリカは31.9%であるが、年収700万円(50歳、自営業、4人家族)の場合に、両国での実質の国民負担率を比較している。アメリカでは民間の医療保険に入ることになり、日本での医療保険料62万円に比べて、同じ程度保障されるとすれば242万円になり、所得税と保険料が、日本では246万円(35.1%)であり、アメリカの493万円(70.4%)より、実質ははるかに低い国民負担率になるという。

 李先生の連載は大変説得力があり、ある意味、もう少し医療や介護の保険料は、とりわけ所得累進制でもって、所得の多いものからより多く取る方が良いのではないか。そして、「小さな政府」を金科玉条とすることから、少し距離をもって冷静に眺め、「小さくもないが、大きくもない政府」を模索していくことが求めらているのではないかと考える。

市場原理が医療を亡ぼす―アメリカの失敗
李 啓充
医学書院

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訪問介護等の居宅介護サービスの介護報酬は低すぎる

2008年05月13日 | ケアや介護
 介護職が離職し、集まらないという中でも、施設の介護職もそうであるが、特に訪問介護のヘルパーが離職し、集まらないという話題が多い。その理由は、確かに、一部は仕事を意欲的に続けていく環境が影響していることもあろう。具体的には、スーパービジョン体制が不十分なことで不安になったり、職場内外の研修機会がなく、仕事を続けていく上での刺激が弱くなることで、離職していくことはあるだろう。しかし、私たちが行った調査では、圧倒的に賃金等の社会的待遇の悪さが原因となっていた。

 詳しくは、『介護保険制度の持続・発展を探る―介護保険改定の影響調査報告書―』(「改定介護保険制度」調査委員会、平成20年2月)では、赤字の事業者割合が訪問介護事業者で32.4%で、通所介護事業者で36.7%、居宅介護支援事業者で63.7%となっており(但し、収入と支出の両方を記入してくれた事業者が少なかった)、同時に、法改正前に比べて、その赤字事業者の割合は増加していた。そのため、事業者自体が介護保険制度の将来に不安を抱き、閉塞感が漂う結果となっていた。そのため、是非とも、次期の介護報酬改正では、在宅サービスについては大幅なアップが必要と感じていた。

 一方、先日、全国社会福祉協議会地域福祉推進委員会発行の『社協情報ノーマ』(No.215、2008年3月号)では、社協の介護サービス経営の現状と課題が報告されていたが、よく似た実態であるが、書き方が変われば、捉え方も違ってくることを感じた。これは、市区町村社協介護サービス経営研究会の会員を対象にした調査であり、一般化できないとは思うが、潜在的費用も含めて収支差率をみると、「居宅介議支援」は案の定厳しい経営状況(-7.03%)、「通所介護」は小幅な赤字(-0.29%)であるが、「訪問介護」については辛うじて黒字の経営状況(0.89%)にあるという。

 次年度が介護報酬の改正年であり、それは事業所の経営調査をもとに報酬改正が行われる以上、看過できない。訪問介護が「辛うじて黒字の経営情況」という言葉を捉えれば、全ての訪問介護事業者が黒字経営をしているかのような印象になるが、これは平均であり、逆に言えば、収支差率がマイナスの社協も多く存在することになる。この収支比率がマイナスの事業所が多いとということが、あるいはそれに近い状態にある事業者が多いという事実が重要である。言葉というのは、注意して書かたい、見なければ、誤解が生じかねない。

 なお、上記の、『介護保険制度の持続・発展を探るー介護保険改定の影響調査報告書ー』では、減価償却分や潜在的費用を含めていないため、それを含めるとさらに赤字事業者は増えることになる。
 
 こうした類の調査は事業者が赤字か黒字かの指標に過ぎず、職員に必要な一定の賃金が確保されての黒字か赤字かの議論も必要である。なぜなら、経営者は、総収入から職員への報酬を渡すことになるが、高い報酬を出したくても、人件費比率は一定の水準を超えれば、事業自体がバンクするからである。そうすれば、どの部分の人件費が押さえやすいかを探らざる得ないのではないか。その時に、特に非常勤職が圧倒的となる担当ヘルパーの報酬を押さえることになってはいないのか。

 このことを突き詰めれば、サービスの質を担保しての収支差議論が必要である。現在の介護報酬の決め方は、単純に言えば、収支差がマイナスであれば上げ、プラスであれば下げる方式であり、サービスの質を落とすよう誘導しているに過ぎないのではないか。この意味では、サービスの質が高い事業者が淘汰され、質の悪い事業者が生き残る仕組みになりかねない。

 さらには、赤字事業者がどの程度までに抑えるのかで介護報酬を決定することも必要ではないのか。さもなければ、利用者は、多くの事業者の倒産で、継続したサービスの利用ができなくなることが頻繁に生じるからであり、同時に、一定の安定した経営ができる優良な事業者を確保する必要があるからである。
 
 いずれにしても、非常勤職を含めて職員の一定の賃金を担保するため、介護報酬が決められ、さらに事業者は、その報酬から一定の賃金を保障していく仕組みが必要である。是非、次の報酬改正では、在宅サービスの介護報酬が大幅にアップし、同時にそれが、働いている人の給与に反映していただきものである。同時に、経営者の理念や姿勢も極めて大切であることを付け加えておきたい。

ホームヘルパー制度はどこへ行くのか

2008年05月12日 | ケアや介護
 朝日新聞が5月10日の朝刊で「去るヘルパー 縮む介護」というテーマで、ヘルパーの離職問題や人材難が取り上げられていた。確かに、離職には、ヘルパーの自己効力感(社会に役立っているという気持ち)を高めるために、上司によるスーパービジョンや研修も必要であるが、まずは一定の給与が支払われることが根本にあると考える。

 そのため、記者から電話でコメントが求められ、以下のような記事となった。

 「痛み伴う覚悟を」

 「事業所が廃業し、介護職の養成校が閉校にまで追い込まれていることは、介護保険制度が危険水域に入ったということだ。介護報酬が改善されず介護職の担い手不足がこのまま続けば、こうした状況はさらに拡大し、国民に不安をしいることになる。最後に困るのは必要なサービスが受けられない利用者だ。だが、介護報酬のアップは容易ではない。多くの調査で介護保険サービスへの利用者の満足度が高い ことを考えると、相応のサービスを受けるには痛みを伴う覚悟が必要という発想が必要なのかもしれない。国はどこまでのサービスを介護保険で保障するのか提示する必要があるが、従来の被保険者に加えて国民全体がどの程度の負担をし、どこまでサービスを求めるのかが問われている。」

 これについて、国民全体が相応のサービスを受けるには痛みを伴う覚悟が必要という発想が必要なのかもしれないということであるが、少し弱腰のコメントをした。後期高齢者医療制度でも保険料が高くなり、さらに追い打ちをかけて、介護保険の保険料も高くするという高齢者の怒りがちらつき、こうしたコメントになった。

 このコメントの気持ちの中味を、ブログで追加して説明しておきたい。

 4月22日と23日に「在宅サービス事業者は一致団結してこの難局に臨むべき」というテーマでブログに書いたが、サービス事業者、利用者団体、学識者で組織された介護保険制度研究会が、サービス事業者の実態調査を実施し、その結果をもとに、ヘルパーの介護報酬を大幅にアップしてくれるよう舛添厚生労働大臣に要望書を提出したが、その際での悶々とした気持ちが今も頭の中に残っている。

 基本的には、介護報酬を上げれば、高齢者の保険料負担が高くなるため、被保険者の方に対しては心苦しい。さりとて、民主党が現在提案している、特例措置として、租税を使って介護職の給与を一定期間二万円程度上げることとする「福祉人材確保法案」や、私も署名させて頂いた「高齢社会を良くする女性の会」の一時的に租税で給与を月三万円程上げる提案には大賛成ではあるが、実現するのには極めて難しいと思っている。

 正直なところ、後期高齢者医療に加えて高齢者への負担を強いることは難しいため、コメントでの「従来の被保険者に加えて国民全体が」負担する仕組みを意図しており、高齢者の孫世代にも応分の負担をしてもらい、さらには被保険者でも高額所得者や、さらには企業も可能な限り負担していくことが求められているのではないかという意味である。

 私は、ある程度、経済諮問会議での日本の方向に賛同してきたが、いき過ぎる結果となっているのではないといった思いになっている。今の気持ちは、「小さくもない、大きくもない政府」を目指していくべきではないのかと思っている。超高齢社会での舵をとっていくことは大変も難しいであろうが、もう一度日本が、人々が安心して生活できる「セフテイ・ネット社会」に戻していく時期にあるのではないのか。

 そのため、今後数回にわたり、こうした私の思いに関連する内容を取り上げてみたいと思っている。

介護予防の効果?

2008年05月11日 | ケアや介護
 改正介護保険で始まった「介護予防」であるが、先般厚生労働省の介護予防の委員会が、今後の検討の余地はあるが、この2年間で介護予防効果があったとの報告をしている。具体的には、1年間の変化であるが、以下のような結果となっている。

●特定高齢者
    維持・改善   悪化
改正前 96.5%  3.5% 
改正後 98.1%  1.9%

●要支援者
    維持・改善   悪化
改正前 84.8%  15.2% 
改正後 92.7%   7.3%

 そうあっては欲しいが、本当に効果があったのだろうか。とりわけ、要支援者は確かに変化しているが、法改正以降、認定がきつくなったとの評価があるが、それであれば、この結果も疑わしいことになる。さらに、この認定の厳しさは、市町村によって大きく異なるとの話もあるが、きつくない市町村でも同じような調査結果として、予防の効果が現れたかを検証していただきたい。

 さらに、効果があった部分について、何を行うことで効果を発揮できたかを明らかにする必要がある。具体的には、どのような高齢者は、利用者の意欲を高めることによって廃用症候群から脱却して効果を発揮したのか、あるいは、どのような高齢者は、具体的な「運動器の機能向上」、「口腔ケア」、「栄養ケア・マネジメント」により効果を得たのかを、是非明らかにしていただきたい。

 そうすれば、ケアマネジャーや居宅のサービス事業者は、より適切な支援が可能になるからである。

 ただ、私は介護予防が効果があったという結果には正直懐疑的である。財源抑制に向けて、要介護認定の厳しさから生じた結果ではないのかと案じている。同時に、そうであれば、利用者はサービス利用量の制限から、生活範囲が狭まられ、介護予防どころか介護悪化につながっていくことを懸念している。

さらに、費用対効果について考えてみることも必要である。地域包括支援センターで介護予防に追加的に費やした財源と、介護予防できたために安くなった財源とのすり合わせも重要である。ただし、費用対効果だけでなく、高齢者の健康寿命を伸ばすという視点でも議論が必要である。

 本当に介護予防に取り組むには、利用者の意欲を高めるよう、要支援者のケアプラン報酬を大幅に上げ、三ヶ月に一回でもよい家庭訪問ではなく、時間をかけて、利用者の「したいこと」、「好きなこと」、「できること」を引き出していく仕組みが不可欠である。



地域でのネットワーキング論?番外編

2008年05月10日 | 社会福祉士
 3月末日に厚生労働省の社会・援護局長私的研究会「これからの地域福祉のあり方に関する研究会」報告書『地域における新たな支え合い」を求めて-住民と行政の協働による新しい福祉-』が出された。現在進めている「地域でのネットワーキング論?」の連載とも関係するので、ネットワーキング論と関係する部分で、興味のある内容について、書き留めておきたい。

 本報告書は、今までの地域福祉についての点検という意味が大きいが、ネットワーキング論と最も関係があるのは、「地域福祉を推進するために必要な条件とその整備方策」である。これについては、以下の6点を指摘している。

1.住民主体を確保する条件があること
2.地域の生活課題発見のための方策があること
3.適切な圏域を単位にしていること
4.地域福祉を推進するための環境として、①情報の共有、②活動の拠点、③地域福祉のコーデイネーター、④活動資金
5.核となる人材
6.市町村の役割として総合的なコミュニテイ施策の必要性

 新たな地域福祉を作り上げるために、上記のような一定の条件を作り上げることが指摘された。このことは評価できるが、では一体、具体的には、どのように、圏域を設定し、住民主体を確保し、基本となる地域の生活課題を発見し、核となる人材を見つけ出していくかの方法なり、プロセスが重要となってくる。

 このことを明らかにすることは、この研究会の趣旨ではないのであろうが、誰が、どのようなプロセスで、上記のことを進めていくかがポイントである。当然、ここでは、地域福祉のコーデイネーターと呼んでいる職員が担うことになり、その職員が専門的な知識をもって進めていくことになる。

 この地域福祉のコーデイネーターはまさにコーデイネーション機能とネットワーキング機能を果たしていく専門職であり、コミュニテイ・ソーシャルワーカーの仕事であるといえる。報告書でも、後者の機能については、「住民の地域福祉活動で発見された生活課題の共有化、社会資源の調整や新たな活動の開発、地域福祉活動に関わる者によるネットワーク形成を図るなど、地域福祉活動を促進する」ことに相当する。

 具体的なネットワーキングの方法については、実践側で作り上げていくしかないが、本報告書の中にも、具体的な方法の例示も少しあり、ヒントにはなる。また、留意点としての、①画一ではなく多様な活動方法、②地域がもっている活動の煩わしさ、監視される意識といった負の側面を意識した活動、③情報の共有化と個人情報保護とのすり合わせ、は、ネットワーキングを進める上で役立つ部分である。

ただ、一つ疑問なのは、厚生労働省は今年からコミュニテイ・ソーシャルワーカーのモデル事業を取り組むことになっているが、この報告書では地域福祉コーデイネターという名称が使われて、ある程度その内容が書かれているが、コミュニテイ・ソーシャルワーカーについてはふれられていなかったのが、不思議である。さらに、この報告書の意図では、地域福祉コーデイネーターはコミュニテイ・ソーシャルワーカーと同じイメージで捉えて良いのだろうかが、疑問である。イコールであれば、なぜコミュニテイ・ソーシャルワーカーという用語にこだわらなかったのだろうか。一度、聞いてみたいものである。

 今後の「地域でのネットワーキング論?」をお読みいただく上で、一度お読みいただくことをお勧めします。
 
 

介護と医療の連携をすすめるために

2008年05月09日 | ケアや介護
 「介護と医療の連携をすすめるために」というテーマで、国の在宅医療での委員もなされ、自らも在宅療養支援診療所を実践されておられる浅草にある医療法人社団博腎会 野中医院の野中博先生と鼎談を行った。これは毎年大阪のインテックス大阪で行なわれている「バリアフリー展」での一環でのイベントであったが、大変有意義な時間を過ごすことができた。聞きに来られた方も、満足して帰ってもらえたのではないかと、自己満足している。

 医療と介護の連携は、古くて新しい課題である。これを最も実現しやすい場が、サービス担当者会議であるが、これとても、医師の参加を得られない状況をよく耳にする。

 そこで、野中先生がおしゃるように、医療も介護も、誰もが住み慣れた地域で安心した生活ができることを共通の目的にするものであり、医療も患者の生活機能に着目して関わっていくべくであることを強調された。まさに、生活を支えるために、医療が関わる必要性を主張されたと思える。こうした考えが進めば、確かに医療と介護は真に連携できていくと思う。しかし、現実は難しく、医療側ではミッションが求められる。

 これについて、2007日本医師会指針「在宅における医療・介護の提供体制ー「かかりつけ医機能」の充実」は注目に値する。1.尊厳と安心を創造する医療、2.暮らしを支援する医療、3.地域の中で健やかに老いを支える医療、を基本的な考え方として、具体的な提言の中に、「多職種連携によるケアマネジメントに参加しよう」「住まい・居宅(多様な施設)と連携しよう」といった具体的的な提言が書かれている。こうした指針が実現できることを強く期待したい。

 ここで、少し気になったことは、後期高齢者医療制度で、病院退院での「退院調整」計画を病院側が作れば、加算がつくことになった。この退院調整計画とケアマネジャーが作成するケアプランをいかに一連のものとして、連続性のあるものにしていくことが必要である。これには、初回時に行うサービス担当者会議の位置づけも重要になってくる。ただ、ケアマネジャーは退院して在宅復帰する場合には、病院の医師、看護師、作業療法士、ソーシャルワーカーそれぞれに別個に尋ねることもあったが、これからは退院調整計画を頂くことで、円滑に退院の支援が可能になることも予測できる。しかし、まだまだ整理しなければならない問題が山積している。

 これは、数年前に、老人保健施設での退院について、老人保健施設側に退院加算がついたが、その時も、本来ならば、その役割はケアマネジャーの業務でもあり、ケアマネジャーにも加算がつくべきではないのかを議論したことがある。

 いずれにしても、ケアマネジャーは退院支援に積極的に関わることが必要である。退院には、本人の入院治療が必要でなくなっただけではなく、本人の意欲と家族の受け入れ体制、さらには各種のサービス体制が不可欠である。これら後者の意欲や家族、サービスを支援できる最も良い位置にいるのがケアマネジャーであることを認識して欲しい。同時に、病院関係者との連携による在宅へのソフトランデイングが重要である。


 

在宅介護支援センターはどこに行ったのか

2008年05月08日 | 社会福祉士
 改正介護保険法で「地域包括支援センター」が新設され、結果として、介護保険制度ができた時点から、その位置づけがファジーになってしまっていた「在宅介護支援センター」は、どのように変貌したのか。これについての調査結果が、全国地域包括・在宅介護支援センター協議会から『介護保険法改正後において、在宅介護支援センターが地域において果たすべき役割に関する調査研究事業報告書』を3月末に出している。

 この報告書では私が委員長をやっていたが、思いとしては、日本のケアマネジメントやサービス・デリバリー・システムを牽引してきた在宅介護支援センターが、最終的にどのような形で落ち着くのかを、見届けておきたいからである。それは、在宅介護支援センターのもとで、研究者として成長させて頂いた私の、せめてもの恩返しであると思っている。

 改正介護保険法ができる少し前に、これも私も委員長として参加し、在宅介護支援センターが地域包括支援センターとどのような関係になるのかについて、全国在宅介護支援センター協議会から出した報告書『地域支援事業における在宅介護支援センターの活用~地域包括支援センターと在宅介護支援センターのあるべき関係~』でもって、以下のような5つのタイプになることを整理した。

①地域包括支援センターに移行する。
②地域包括支援センターのサブセンターとなる。(地域包括支援センターの所属となり、別のところで介護予防ケアマネジメントも含めて、地域包括支援センターのミニ版として仕事を行う。)
③地域包括支援センターのブランチとなる。(総合相談等の地域包括支援センター業務の一部を担う)
④在宅介護支援センターとしての機能を継続する。(法人の自己負担であったり、行政からの補助金で運営)
⑤在宅介護支援センターを廃業する。

 この報告書では、今まで活発に機能してきた在宅介護支援センターが、①と⑤という形で、多くが切り捨てられることがないよう、厚生労働省とも協議しながら、②③④の道もあることを示し、地域包括支援センターとの連続性を作りことに努力したものである。

 今回の調査報告書から、①から⑤に移行した割合が分かった。具体的には、改正介護保険法一年前の平成16年4月時点で全国在宅介護支援センター協議会に加入していた6,734のセンターがどのように移行したのかの割合は、次の通りである。

①地域包括支援センターに移行したーーーーーーーーー24%
②地域包括支援センターのサブセンターに移行したーーー 5%
③地域包括支援センターのブランチに移行したーーーーー26%
④自主的に、または行政から有形・無形の支援を受けて在宅介護支援センターを継続しているーーーーーー18%
⑤在宅介護支援センターは廃業ーーーーーーーーーーーーー24%

 この中で、特に「自主的に、または行政から有形・無形の支援を受けて在宅介護支援センターを継続している」センターの将来に不安を感じる。また、廃業した4分の1のセンターの担当地域では、相談をうけることでの、利用者側で混乱が生じていないかが心配である。

 一方、平成20年1月に全国地域包括・在宅介護支援センター協議会に属する地域包括支援センター1561カ所を対象に、在宅介護支援センターから移行してきたかどうかをみると、以下のような結果であった。

①在宅介護支援センターから移行ーーーー80%
②新規に設置ーーーーーーーーーーーーー16%

 この2つの調査結果から、従来の在宅介護支援センターの4分の3は現在も何らかの活用をしており、現状の地域包括支援センターの8割が在宅介護支援センターが引き継いでいる。

 このように変化した中で、地域包括支援センターは従来にも増して機能できるのであろうか。在宅介護支援センターから移行した場合には、新たに求められる業務を円滑に進めていくうえでの課題が、新設の場合には、在宅介護支援センターの時代に蓄積してきた機能を新たに進めていくことでの課題が潜んでいることも明らかになった。

現状にあっては、地域包括支援センターをいかに育てていくかが重要であるが、平成2年に実質始まり、蓄積してきた在宅介護支援センターの実績を、それぞれの市町村、生活圏域、中学校区で引き継いでいくことが一つのポイントになりそうである。同時に、地域に根付くことの難しさを、在宅介護支援センターでも十分なしえなかったと思うが、地域包括支援センターでは是非実施できるようしたいものでる。これは、理論的には、このブログで始めている不連続の連載「地域でのネットワーキング論?」でもがんばろうと思います。


ネタ切れとひらめき

2008年05月07日 | 社会福祉士
 ブログを始めて5ヶ月目に入っている。毎日書いていると、ネタが切れるのではないかと不安になることがある。また、先日はある人が私を真似てブログを始めたという人が、ネタが尽きたとの気持ちを打ち明けられ、励ましたが、本当は私の同じなのよと言いたかった。

 ゴールデンウイークも終わりに近づき、今年の連休は短かったと嘆きながら、明日から始まる仕事が少し億劫になる気分であるが、連休中も休めないブログに対して私の気持ちを書いておきたい。

 私は、月刊誌や月刊の広報誌での連載であれば、月単位のものであり、経験もあり、継続していく自信はある。ただ、毎日というのは、少しきついというのが率直な感想である。毎日、新聞に4コマ漫画を書いている漫画家の心境がよく分かる。

 ネタがない時には、白紙に何かを思いのままに書き込んでいき、ひらめきを呼び込む作業を行っている。日によっては、ひらめきを得られず、良くなかったなと思う時もあり、アクセス数が減るのではと心配することがある。

 ブログを始めてからは、ネタになるものを探すのが、毎日の日課になった。今日はこれでいこうと思ったネタを、書く段になって、すっかり忘れてしまうことがある。メモをしておけば良かったと後悔することもある。その日のブログがうまく書けたかどうかは、書き終わった後の気分で分かる。良かった時は、書いたことさえ忘れてしまい、次の仕事にすっきりと移行することができるが、悪かった時は、終わった後も、中味を忘れられず、何度も読んで、まずいなと眺めることになる。一般に、後者の気持ちのになる日の方が多いのが現状である。

 今日は、ネタ切れで、このような告白になったのかもしれない。ひらめきも取り込むこともできなかった。失礼しました。明日から、仕事だけでなくブログもがんばります。  

社会福祉士資格制度の「特殊性」

2008年05月06日 | 社会福祉士
 昨日も朝日新聞の一面広告を出したい理由について書いたが、なぜこのような社会に向けての活動が必要なのかを、社会福祉士資格制度の「特殊性」という視点から、今日は述べてみたい。

 社会福祉士という国家資格は厚生労働省所管の資格であるが、他の厚生労働省所管の資格とは趣を異にする部分がある。医師や看護師といった資格は、ほとんどが厚生労働省所管の職場である病院や医院で働くことになる。法的には、厚生労働省所管の医療保険や介護保険といった中で、専門職として位置づけられ、診療報酬や介護報酬といったことがメインで、その食いぶちを得ているといっても言い過ぎではない。

 ところが、社会福祉士も、確かに厚生労働省所管内の制度の中に定着していくことが必要であることも事実である。例えば、福祉事務所や児童相談所での社会福祉士比率の驚くべき低さや、社会福祉施設での相談職での社会福祉士比率の低さ、病院での社会福祉士配置の弱さがあることも確かであり、ここでの普及をいかに図っていくかが優先課題であるが、同時に解決までに時間のかかる課題であるようにも思える。

 ただ、社会福祉士は他の専門職とは異なり、自らがマイナーな位置となる様々な職域で働くことが可能であり、それが開花しつつある。例えば、文部科学省であれば、小学校・中学校や教育委員会、法務省であれば、刑務所や保護観察官、家庭裁判所の調査官、厚生労働省でも労働部分では、職業安定所での就労支援相談員といったことが現実では考えられ、その期待も大きい。同時に、そうした職場で実際に働いている場合には、社会福祉士に対して高い評価を得ている。国土交通省との関係では、古くはオクタビア ヒルがイギリスのスラムの人への支援をするソーシャルワーカーについて言及したことがあるが、そうした職域にだって、少しは可能性がある。

 そのため、厚生労働省所管を超えて活動の道を開いていくとすれば、(社)日本社会福祉士会といった職能団体や、(社)日本社会福祉士養成校協会といった養成団体が自ら先頭を切って職域の開拓を果敢に挑戦していくことが不可欠である。厚生労働省は、省外のことであり、支援しようにも、支援しきれない側面が強い。これが他の職能団体と大きく異なることを自覚しておく必要がある。医師、看護師、介護福祉士、PT、OT、ST、管理栄養士、すべてしかりである。

 さらには、医師や看護師であっても、厚生労働省という護衛船団のもとで、その社会的地位が守られているわけではない。自らの専門性を主張し、自らが職域を広げ、社会的地位を得るために、交渉もし、主張もし、自らの研究と養成教育の実績をもとに、社会的地位を勝ち取ってきたのである。社会福祉士については、それが厚生労働省内だけに留まるのでなく、さらに他の省庁にまで及んで活用するという特殊性と、それ故に厖大なエネルギーが求められることになる。

 このことは、社養協の会長になって初めて分かったことであり、他の人々からはなかなかご理解を得られないが、社会福祉士の社会的地位を高めていくためには、並々ならぬ精進が必要であり、「関係者がスクラムを組んで」進んでいくことが、これを成し得る秘訣のように思える。この度の新聞の一面広告も、関係者がスクラムを組んでの取組の一つであると考える。ご協力いただいた会員校の皆さん、何度も申し上げますが、本当に有り難うございました。

社会福祉士の仕事を見えるものにしたい

2008年05月05日 | 社会福祉士
 朝日新聞の一面広告を出したい思いの裏には、社会福祉士やソーシャルワーカーの仕事を、国民に見えるものにしたいという気持ちが強い。

 このことについては、こうした新聞広告よりも、どこかのテレビ局がソーシャルワーカーを主人公にした連続ドラマを創ってくれた方がはるかに効果が高いと思う。誰か文才のある人にシナリオを書いて、テレビ会社に売り込んで欲しいものである。

 会員の皆さんのアイデアから、まずは新聞広告から、社会福祉士の仕事を社会に普及していくことになった。多くの社養協の会員校にご協力いただきことは、有り難い限りである。

 社会福祉士やソーシャルワーカーの仕事が見えないことについては、今回の社会福祉士及び介護福祉士法改正のために準備された厚生労働省の社会保障審議会福祉部会でも相当議論のあったことである。委員の一人であるさわやか福祉財団理事長で弁護士の堀田力さんから、例えば、多重債務がある方に弁護士は六法全書をもとに、その方の法的な弁護を行うことが明らかであるが、この人に関わるソーシャルワーカーの仕事は国民には見えにくいのではないかという厳しい意見を頂いた。確かに、堀田先生のおしゃる通りであり、結果として、改正法の第2条の社会福祉士の定義を、「専門的知識及び技術をもつて、身体上若しくは精神上の障害があること又は環境上の理由により日常生活を営むのに支障がある者の福祉に関する相談に応じ、助言、指導、福祉福祉サービスを提供する者又は医師その他の保健医療サービスを提供する者その他の関係者との連絡及び調整、その他の援助を行うことを業とする者」となり、「連絡・調整」という社会福祉士の重要な機能を浮かび上がらせるようにした。これで仕事内容が国民に分かるようになったとは思えないが、その辺りで納めたということである。
 
 逆に言えば、ソーシャルワークを実践する者が、社会に目に見える形で伝えていくことが重要であると思った。

 それでは、どのようにすれば、ソーシャルワーカーや社会福祉士の仕事が見えるようになるのだろうか。一般に、ソーシャルワーカーの仕事を「生活を支えること」、「全人的に支援すること」、「問題点だけでなく、強さも援助すること」、「利用者により添って支援すること」、「いききと生きることを支援すること」と言っても、国民はソーシャルワーカーの仕事をイメージしにくい。

 それでは、どのように表現すれば見えるようになるのか、大変難しいことである。新聞では、ソーシャルワークの仕事をしている人々の共通した声から、何とかしてソーシャルワーカーの仕事を理解してもらいたいと願っている。

 私がブログで、不連続の連載「地域でのネットワーキング論?」を行っているのも、何とか見えるソーシャルワーカーにしたい表れである。しかしながら、矛盾したことであるが、明らかにしたいが漠としたところがあることがソーシャルワークの特徴や魅力があると居直ってしまう自分が顔を出す時もある。

 その意味では、国民に社会福祉士の仕事を理解してもらえるよう、うまく事が進むか不安も大きい。未だ最終校正前なので、このようなキャッチコピーであれば、ソーシャルワーカーの仕事がイメージできるということがあれば、是非コメントを頂きたい。

早く来い来い「新聞一面広告「社会福祉士は変わる」」

2008年05月04日 | 社会福祉士
 4月1日にカミンングアウトして以降、大変気楽にブログに向かうことができるようになった。(社)日本社会福祉士養成校協会のホームページで事務局の一員として書いていたときは、社会福祉士の範囲を超えた内容が書きづらく、また社会に対する厳しい批判も書きづらかった。また、プライベートな思いや行動については、書くことを全く控えてきたが、今は自由であり、妻とのラブラブでも書けるようになった。

 しかし、今日の気持ちは、社養協のメンバーとして書きたい。今日は連休の中日であるが、私は東京の社養協の事務所に向かっている。それは、小森次長を始め事務局スタッフが中心に進めてきてくれた朝日新聞の一面意見広告「社会福祉士は変わる」について、どのような広告の「目玉」を入れるかで、朝日新聞広告部のスタッフも交えて、リード文を検討するためである。

 今回の一面広告のテーマは、今回の法改正を踏まえて、「社会福祉士が変わる」という内容である。ここでは、多様な職域で生き生きと仕事をしている社会福祉士を描き出し、同時にそのために実践能力を一層高める社会福祉士の養成教育に変わることをうたいあげたいと思っている。そのため、4名の現場の方々の発言と、法改正に関わった主人公の方にもお出まし願えればと思っている。

 これを読んでいただき、受験を控えた子どもが「社会福祉士」になって、困っている人のために働きたいといった気持ちになってくれることをねらっている。また、受験生も持つ親が、息子や娘に将来こんな仕事をしてほしいと思ってくれればとも思っている。

 この一面広告は、30校の会員校から多額の広告料を出して頂くことで可能になったものであり、おかげで30校の目処もほぼたった。ご協力いただいた会員校の皆さんに対して、心から感謝申し上げる次第である。会員校では次年度から始まる新カリキュラムの準備で多忙を極めていることに恐縮している上に、ご無理を申し上げたことで大変恐縮している。紙上の作成では、会員校の皆さんのお気持ちを大切にして作っていきたいと思っています。

 ただ、こうした新聞広告を出す活動をしてきた気持ちについて、次の2回に分けて、その心境をブログで吐露しておきます。実は、その吐露する中味が、今後の社会福祉士のありかたを考える上で、重要なのかもしれない。

 早く来い来い「新聞一面広告「社会福祉士は変わる」」。


社会福祉研究の成果をソーシャルワーカーの報酬や社会的地位に活かす

2008年05月03日 | 社会福祉士
 看護の世界は、医学の影響を受けてか、苦労も多いであろうが、たくましく生きておられるように思える。介護保険法以降、社会福祉も保険の世界に足をかけたが、後進の立場から、看護の動きから学ぶことが実に多い。

 例えば、日本看護協会が音頭をとって作られた、看護系学会で構成する看護系学会等社会保険連合(通称:看護連)がある。ここでは診療報酬や介護報酬の改定に向けて、各学会で明らかになった看護師の業務効果についてのエビデンスを集積し、それらが診療報酬や介護報酬のアップに結びつくような方策を検討している。その結果を要望として、厚生労働省の方にあげていく仕組みをとっている。

 社会福祉の方も、措置から契約に移行し、高齢者の殆どのサービスは保険財源に基づくようになると、社会福祉領域の研究から明らかにされたエビデンスを介護報酬や診療報酬改訂の委員会に提案し、活用されれば、社会福祉士やソーシャルワーカーの活動に対する報酬に影響したり、社会的地位を高めることにもつながる。保険の時代にあっては、社会福祉士の地位を高めるのも、社会福祉士の報酬を上げることも、護衛船団に守られることはなく、自らの実力で切り開けていく以外に道はない。

 そのためには、看護同様に、学会と職能団体との連携で看護連といった組織が不可欠である。時あたかも、社会福祉系の20学会が集まり、日本社会福祉系学会連合(会長:高橋重宏先生)ができている。この連合は、日本学術会議での社会福祉学分科会にご支援いただき、シンポジウム等を可能にしている。さらに、連合独自の活動も行っているが、さらに期待されことは、(社)日本社会福祉士会、(社)日本医療事業協会、(社)日本精神保健福祉士協会等の職能団体と連携し、各学会で得られた研究成果としてのエビデンスをいかに社会福祉現場に活用していくかの仕掛けが必要ではないのか。

 あるいは、現在、大橋謙策先生を会長にソーシャルケアサービス従事者協議会が作られ、ここには職能団体、養成団体、学会が参加しているが、ここで、看護連のような機能を果たすことも可能であろう。

 一度、いずれかの協議体で議論いただくことを提案し、理論と実践をつなげるだけでなく、さらに報酬や社会的地位にもつなげていく仕掛けを作れるよう訴えていきたいと考えている。

 時あたかも、『月刊福祉』5月号で、(社)日本看護協会会長の久常節子さんがインタビューを受けている。彼女は、大阪市立大学大学院で3年ほど先輩の同門であり、「医療はもちろん大切であるが、福祉に配分するお金をもう少し拡大したほうが、国民は幸せなのではないでしょうか」と、福祉にエールを送ってくれている。先日、彼女に原稿の依頼で電話をさせていただいた時に、私が(社)日本社会福祉士養成校協会の会長をしていることを知っていたかどうかは分からないが、社会福祉もどろどろしたことに手を突っ込まないといけないのではないかというご意見を頂きました。裏には、看護は多くの苦労しながら、ここまで辿り着いた気持ちがあったのだと感じました。

 今回のインタビューで、彼女は看護と社会福祉は「対極」にあり、社会福祉は学問として樹立していったが、看護の基盤には実践であると言っています。これを読んで、あの時のどろどろしたことに手を突っ込むことの意味が、何となく分かったような気がする。

韓国での社会福祉研究者の評価

2008年05月02日 | 社会福祉士
 日本同様に、韓国でも社会福祉系の学部が学科が最近まで急増してきたが、最近はその増加も弱まってきたという。日本ほどの落ち込みではないが、地方の大学では定員割れしているところもあるという。

 さらに、韓国の場合は、福祉系大学の教員になるのは難関である。まずは、博士の学位をもっていることが最低条件で、日本の学術振興会といったところが実施している教員採用に自ら登録することになり、学位がなければ登録できない。さらに、そこで、論文のランクづけがあり、その点数で評価が決まることになっている。その際に、日本の論文は評価外となっており、点数がカウントされないという。そのため、日本に留学して学位を取った人は、アメリカやイギリスで学位を取った人より、はるかに不利な状況にある。同時に、今後は、社会科学や人文科学の場合には、特に日本には留学生はやって来なくなるだろう。

 この韓国の評価は、自然科学の発想であり、英文ジャーナルしか評価されず、さらにそのジャーナルにもそれぞれランクがあろといった考え方である。当然、総説だけでなく、著書でさえも、ほとんど評価されないことになる。

 こうしたことは日本の自然科学ではもっともな評価方法であり、韓国は学問全体が自然科学の影響を強く受けていることになる。

 社会福祉の研究者の研究全体をいかに評価するのかは、大変難しい。例えば、日本でも博士の学位をもっていることが一定の研究者の条件になっているが、これとても果たして正しい基準であろうか。学位がなくても、素晴らしい業績を上げておられる研究者もおれば、学位はもっているが、さほで研究成果の評価できない方もおられる。また、査読付き論文かどうかが、良い論文かどうかの基準にされているが、査読付きでない論文でも、良い論文は山とある。但し、これらは、極端な例を示したに過ぎず、研究者の条件として、博士の学位や査読付き論文は重要であるが、そこには柔軟な姿勢が大切である。

 また、社会福祉の研究者も評価を受けることは重要で、研究者間での競争が不可欠で大切である。その際の、評価の基準については、もう一度原点に返って、考えてみる必要があるように思える。なぜなら、我々の研究は、人々のwell-beingを実現するためであり、それに向けて実践や政策にどの程度貢献したかが基準でなければならないからである。

 韓国でも、社会科学や人文科学が自然科学と同じような評価でよいとは考えられない。日本では、日本学術会議が5年程前の第19期に、社会科学や人文科学の研究の評価が自然科学と異なることを整理した対外報告書を出しており、これを韓国でも是非参考にして、制度変更をして欲しいものである。