ソーシャルワークの TOMORROW LAND ・・・白澤政和のブログ

ソーシャルワーカーや社会福祉士の今後を、期待をもって綴っていきます。夢のあるソーシャルワークの未来を考えましょう。

「ケアマネジャーの存在意義と今後のあり方」(『ケアマネジャー』7月号掲載再掲、中央法規出版)

2008年06月30日 | 論説等の原稿(既発表)
 中央法規出版から出している『ケアマネジャー』が100号を記念して、ケアマネジャーの意義について書いてくれるようにとの依頼を受けた。100号とは、約8年の歴史であり、介護保険制度にケアマネジャー(介護支援専門員)を制度として導入することを契機に、始まったものである。

 この間、私のケアマネジメントに対する考えや思いと、現実の介護保険の中での現実との間で、いらいらすることも多々あった。その時は、いつも、利用者を中心に据え、本来は制度の改革を求めるべきところを、時にはケアマネジャーに無理強いをすることも多かったのではないかと反省している。

 ケアマネジャーへの、100号を記念してのメッセージは、次のような内容であり、「生活を支える」原点に回帰することを訴えた。7月号からの再掲である。

 なお、これに先だって、鹿児島国際大学の古瀬徹先生のブログ「社会福祉学何でもありBLOG」で、この原稿内容を取り上げて頂きました。心からお礼申し上げます。

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「生活を支える」という原点への回帰を

 これこそがケアマネジャーの仕事だと、その神髄を感じたことがある。平成16年10月23日午後5時56分に襲った新潟県中越大震災でのケアマネジャーの利用者への対応である。

 多くのケアマネジャーは自らも被害に遭い、ライフラインが閉ざされていたにもかかわらず、翌日の日曜日にはほぼ全員の利用者の安否を確認し、必要に応じケアプランの変更までもしていたことが現地調査から分かった。理論的には、生活状態に激しい変化が生じたわけであるからモニタリングが不可欠な状況であり、上記のような結果を願って現地入りしたが、見事にそれが成就されていたことに感激したのを今も鮮明に覚えている。

 これが意味するのは、ケアマネジャーは公的サービスに結びつけるだけの仕事をしているのではなく、まさに利用者の「生活」を守るキーパーソンであることを明らかにしたものである。さらに、ケアマネジャー自身が利用者宅や避難所を回るだけでなく、民生委員、ヘルパー、家族からの連絡によりほぼ1日で安否確認ができたことは、日頃から個々の利用者のネットワークを確立しており、緊急時にそれが機能したことを意味している。

 ケアマネジャーという仕事は、健康を取り戻せない人々が増えてくるなかで生まれてきた。たとえ治らなくとも、利用者が生き生きと在宅生活を過ごせるよう支援していく使命をケアマネジャーはもっている。そうした意味では、中越大震災での活躍を含めセーフティーネットを支えるものとして、その存在意義は極めて大きいものがある。

「おもしろくない」原因は

 ところが介護保険制度改正以降、「仕事がおもしろくなくなった」と言うケアマネジャーが多い。実際に、ケアマネジャーから元職に戻る傾向も強い。ケアマネジャーがおもしろくないと思って仕事をしているのであれば、そのケアマネジャーを介してサービスを利用している高齢者やそのご家族にご迷惑をかけることにはならないかと案じる。

 「おもしろくなくなった」主たる原因は、利用者の足に靴を合わす仕事から、靴に足を合わす仕事に戻ってしまったからではないかと考えている。口酸っぱくなるまで言っていることだが、ケアマネジメントは利用者のニーズに合わせて介護保険サービスやその他の社会資源を結びつける、利用者の足に靴を合わせる仕事であるということである。
 
 現状のケアマネジメントは、利用者のニーズを満たすことでQOL(生活の質)を高めるという本来の目的のほか、財源抑制という狙いを担わされてしまっている側面がある。特に介護予防においては、介護保険財源抑制のあおりを食って、あるいは財源抑制の使者としてケアプランを作成することから、既存のサービスに利用者をあてがう──靴に足を合わす──ことが起こっているのでないかと分析する。そのため、サービス量を減らした際に、利用者にその理由を尋ねられても、適切に答えられないのではないかと案じる。こうしたことにより、ケアマネジャーと利用者との間で築かれた信頼関係が崩れていっているのではないだろうか。利用者にはケアマネジャーが国や保険者からの回し者と映ってしまうかもしれない。こうした事態に遭遇するなか、ケアマネジャーの仕事がおもしろくなくなっていると考えるがいかがであろうか?

ケアマネジメントの原点に戻ろう

 この「おもしろくない」状態を打破していくためには、再度、足に靴を合わすというケアマネジメントの原点に戻ることが大切である。同時に、予防という美名のもとで、利用者のサービスのメニューや量を減らすのではなく、予防という視点で利用者の能力や意欲といったセルフケアを可能な限り活用していくことを含めて、必要なサービスを提供していくことが求められている。

 これはケアマネジメントの基本である、利用者のニーズに合わせた支援をすることであり(ニーズ・オリエンテッド・アプローチ)、既存のサービスに合わせて支援することではない(サービス・オリエンテッド・アプローチ)ことを、再度確認することである。その上で、例えば、要支援での週1~2回の訪問介護サービスでは、セルフケアを活用しても、なおかつ利用者のニーズを満たし得ないとすれば、ケアマネジャーが組織として国や地方自治体等に働きかけ、制度自体の改正を迫っていく必要がある。

 ただし、予防ということは大変難しいことであり、利用者の意識を変えたり意欲を高めるには、時間をかけて作り上げる信頼関係が不可欠である。同時に、人々の意識や意欲の根底にある価値観を変えることまでは、ケアマネジャーの仕事ではない。すべての利用者の意欲が高くなったり、意識が変わるわけではないという自覚も大切である。しかし、利用者の意欲や意識は変わる可能性があり、そうした機会をできる限り提供していこうとする姿勢が大事である。

 来年は介護報酬が改正される。居宅介護支援事業者が最も赤字比率が高いという調査結果が出ている。ケアマネジャーの介護報酬を大幅に上げることで、ケアマネジャーの職場での自立性を高め、専門性を一層向上させる礎を築くことが当面の課題である。

 一方で、本当にケアマネジャーの仕事は利用者一人に対し1カ月を単位とする報酬で行うものでよいのかと自問している。介護報酬といった、いわば時間を切り売りする──語弊はあるが安っぽい仕事ではなく、個々の利用者がいかに生きていくかを支えるという、極めて厳粛で、利用者によっては昼夜を問わず時間と手間のかかる重たい仕事である。その意味では、ケアマネジャーが安定した給与を保障されるなかで、この厳かな仕事を遂行できるようになることを望む。かなわぬ夢であろうか。

施設の相談員に社会福祉士を配置していく戦略

2008年06月29日 | 社会福祉士
 入所施設の相談職の業務は曖昧になってきている。障害者施設では、サービス管理責任者が、介護保険施設ではケアマネジャーが配置されており、両者が同じ者の場合もあれば、別の者の場合もある。

 さらに、この相談職が社会福祉士の資格を有しているかどうかになると、特別養護老人ホームでは、四人に一人、老人保健施設では三人に一人となっており、データは今ないが、身体障害者療護施設では、他に比べて高い比率ではないかということである。

 こうした中で、社会福祉士を相談職で配置していくことを戦略にしていくためには、単に相談職の業務は何かを考え、それを社会福祉士教育に含みこむだけでは無理であると考える。さらに、施設でのサービス管理者の業務やケアマネジャーの業務を含みこんで教育し、施設の送り出していかない限り、社会福祉士を進んで採用されることはない。

 その意味では、ジェネリックな社会福祉士資格に基礎にして、そこにいくつかの必修科目を履修したスペシフィクな、認定する「施設ソーシャルワーカー」を作り、売り出していくことが必要であると、常々思っている次第である。そこでの必修科目は、ケアの理論と実際、施設ケアプランの作成・実施、チームアプローチとカンファレンス、地域移行支援、といった演習を含めた座学の科目と、施設での実習が考えられる。なお、そこでは、教える教員や教えるシラバスについて、一定の水準を担保するため、大学や養成機関を認証するといったことも行う必要がある。

 相談職については、このままほっておけば、サービス管理責任者やケアマネジャーに取って代わられることになり、幻の職種になってしまうのではないかという危機感をもっている。

 そのため、こうしたことに向けて、至急突破口を開いていくことが必要である。具体的には、社会福祉施設や介護保険施設の種々の協議会等との話し合いがスタートであるように思う。これについては、(社)日本社会福祉士養成校協会としても、具体的なアクションを起こしていく必要があると、個人的には思っている。

 当然、現在働いておられる施設の相談職の方には、最優先で認定施設ソーシャルワーカー資格をとってもらうことであり、学生よりも、むしろこちらの方がメインでなければならないと思う。

 是非、ご意見をください。 

福祉事務所や児童相談所に社会福祉士を配置していく戦略

2008年06月28日 | 社会福祉士
 福祉事務所での社会福祉士の配置は皆無に近い。児童相談所もほぼ同様である。こうした現実を打破して、社会福祉士を配置するようになるためには、どのような戦略が必要かについて考えてみたい。
 
 おそらく、いずれの機関にも社会福祉主事という資格で職員が配置されている以上、法律でもって急に変革していくことは難しい。同時に、法律では、社会福祉主事と社会福祉士が並列で資格として位置づけられているだけでは、社会福祉士の職員は増えない。

 私は、2つの方法を同時に実施することで、徐々に社会福祉士が行政で雇われているよう変革していくことができると考えている。

 第一は、各自治体で、福祉職の試験制度を普及させていくことである。次のステップとして、この福祉職試験には、社会福祉士資格所得者なり社会福祉士国家試験受験資格取得予定者に限定した試験制度の普及を図っていくことである。
 
 もう一つは、今回の新カリキュラムには、「就労支援」といった科目も新たに作られており、社会福祉士が支援すれば、生活保護受給者の自立支援や虐待していた親が自分を見直し、養育できるよう支援できる能力を学生に身につけさせる教育を行うことである。
 
 これら両者は、鶏と卵の関係であり、行政に対する働きかけというアクションを一方で起こし、他方で、福祉事務所や児童相談所で、社会福祉取得者が実践能力を有する人材を輩出していくことである。
 
 以上の両面からのアプローチが、私が考える福祉事務所や児童相談所に社会福祉士が配置されていく戦略である。そうして、社会福祉士が大半を占めるようになれば、社会福祉士が福祉事務所や児童相談者で配置すべきという法案を準備することである。

弱い者につけ込む社会から包み込む社会へ(下)

2008年06月27日 | 社会福祉士
 湯浅誠さんの『反貧困ー「すべり台社会」からの脱出』(岩波新書、2008年)も、弱い者につけこむ社会から包み込む社会への転換を訴えている。
 
 日本での雇用のネット、社会保険のネット、公的扶助のネットという三層のセフティ・ネットが綻び、多くの人々は足を滑らせ、貧困状態に陥っている現状を、多様なデータで示している。昨日も書いたが、人材派遣で、日雇い派遣の実態はすざまじい。湯浅さんが実際に日雇い派遣の経験を書いているが、実質時給442円で、最低賃金の半分程度にしかならず、さらにはレストボックス(宿泊施設)と呼ばれる昔の飯場システムを組み込んでおり、ほとんど金の残らないようになっている。「フリーターたちの弱みに付け込んで食い物にし、しかもその実態を「フリーターに夢を」といった幻想で糊塗する偽り看板の商法」(151頁)というように、弱い者につけ込む社会になっている。

 こうしたことの解決には、個人への相談活動と、社会制度の改革に向けての活動の両者を両立していくことを、著者は強調している。これは、ソーシャルワークでいえば、古くは前者が小売サービスであり、後者が卸売サービスに相当するし、ソーシャルワークの方法を訴えているような気がした。

 また、「総合相談」と言えば、ソーシャルワーカーの専売特許という思いがあるが、弁護士や司法書士が集まって、ホームレス総合相談ネットワークを形成し、相談を受けつけている。現実には、ホームレスに関わっているソーシャルワーカーもいるが、この著書では、弁護士や司法書士しか出てこない。

 ソーシャルワーカーも、こうした「反貧困」ネットワークに参画し、弱い者につけ込む社会から包み込む社会に変えていくことに貢献していかなければならない。また、こうしたネットワークで、ソーシャルワーカーは役に立つと確信している。

反貧困―「すべり台社会」からの脱出 (岩波新書 新赤版 1124)
湯浅 誠
岩波書店

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弱さにつけ込む社会から弱さを包み込む社会へ(上)

2008年06月26日 | 社会福祉士
 一橋大学教授で、現在ケンブリッジ・ヘルス・アライアンス客員教授の宮地尚子さんが、『週刊医学界新聞』で「クロスする感性」という連載をされている。6月16日号の第8話「弱さを抱えたままの強さ」に感銘した。

 「vulnerability」という用語は「弱い」や「脆弱な」という意味であり、高齢者等に形容詞として付けて使われることが多い。この用語には、「攻撃誘発性」という意味があり、、「つけ込まれやすい」や「隙がある」といっニュアンスがあるという。日本やアメリカの新自由主義のもとで、こうしたことが多くの場面で見られ、弱さにつけ込む社会になっていると警告する。

 弱みにつけ込むことの端的な例は格差社会であり、弱い者はさらに弱く、強い者はさらに強くなる社会である。そこには、弱みにつけ込むことがビジネスの秘訣としてモデルとなる社会が良いのかを訴えている。汗水垂らしてヘルパーが安い時給や給料で働き、多くの事業主も低い介護報酬でほとんど収益が得られない状態にある一方、派遣会社が一人紹介すれば、驚くほどのお金を得ることになっているという話しを聞いたことがある。同時に、国の政策についても、骨太の計画の下で、社会保障費が毎年2200億円削減されていくことで、弱い者はさらに弱い者へと移っていき、貧困者、ホームレス、ネット難民等を多数生みだしてきた。

 医療だけでなく、福祉や介護の現場も、vulnerabilityを扱う領域である。宮地さんが主張されるように、私たちは「vulnerabilityを受け入れ、慈しみながら、同時にそれと闘い続ける必要がある。」

 宮地尚子さんが最後に、今後の社会を、次のように期待している。そうありたいものである。

 「弱さを抱えたまま生きていける世界を求めている人も多い。弱さそのものを尊いと思う人、愛しいと感じる人も多い。それもまた人間の持つ本性の一つだと思う。そうでなければ、弱き者はすでにすべて淘汰されていたはずだ。希望をなくす必要はない。」

 このようなことを書いている時に、湯浅誠さんの『反貧困ー「すべり台社会」からの脱出』という新書を読んでいたが、この本から日本がまさに弱さにつけ込む社会になっていることを実感した。明日は、この新書から感じたことを紹介する。

温泉に浸り思う「ケアマネジメント」の将来

2008年06月25日 | ケアや介護
 最近は、(社)日本社会福祉士養成校協会や日本学術会議の裏方仕事が多く、多忙な毎日を過ごしていたが、一段落した感がある。

 社養協の方は、各地方厚生局の新カリキュラムについての説明会が始まり、またスクールソーシャルワークの認定についての方向も見えてきたような気がする。

 また、学術会議の方は、先日まで点検してきた対外提言「近未来の社会福祉教育」の原案が出来上がり、成文まで後一歩のところまでこぎ着けることができた。また、ここでの社会福祉分科会や高齢者の健康分科会が行ったシンポジウムの報告書の校正も出来上がりつつあり、委員長としての責務を果たしつつある。

そうした中で、先日大分県の別府で講演があり、久しぶりに温泉でのんびりする時間が持てた。別府湾の夜景が見渡せる棚湯で、何もかも忘れて、暗闇の中で、ただただ頭をからっぽにすることにした。

 そこで浮かんできたのは、私が『ケースマネージメントの理論と実際』というケアマネジメントの単著を出して、初めて講演に来たのが、19年前の大分県であったことを思い出した。朝日新聞厚生文化事業団の主催で、飛行場行きホーバー乗り場近くにある県社会福祉協議会の古い講堂でその講演会は行われた。それは、在宅介護支援センターが全国で立ち上がろうとしていた時期であった。

 あれから、19年、日本のケアマネジメントは、確かに驚くほど広がっていった。このことは、私の予測をはるかに超えるものであった。ケアマネジメントの発展とともに、私も成長してきた。その意味では、うれしい限りである。

 ただ、暗闇の中で、私のケアマネジメントについての当初からの思いと、現状のケアマネジメントとの間で、どこにギャプがあるのか、自問してみた。私の思いは、もっと自由裁量をもって、いきいきして仕事をしている理想の姿との間でのギャップであると思った。このいきいきして仕事することが、自らの専門性を高め、利用者に献身するケアマネジャーである。そこから、現実は遠いところにいる(いってしまった)との自問であった。

 温泉に浸りながら、英気を養うことで、私の思うケアマネジャーの理想に向かって再度、現場のケアマネジャーと一緒に一頑張りしようと決意した。

 そして、翌日の朝、約300名のケアマネジャーを対象に講演を行ったが、いつもになく、さわやかな気分であった。 

早起きは三文の徳

2008年06月24日 | 社会福祉士
 いくつかの雑誌での連載、さらには23年以上毎月続く福祉系新聞での「新しい福祉用語」の掲載の上に、最近の毎日続けているブログについて、どのように時間を使っているのかとの質問をよく受ける。そこで、こうした継続した仕事をどのように工夫を凝らしているかを、自分なりに整理してみることにする。

 こうした継続した仕事ができるのは、その仕事に対する意義や喜びを見いだす努力をし、意識的に継続するペースを作ることにしている。すなわち、社会的に大切な仕事であると、自分に言い聞かせる。いやに思ったり、意義が見いだせなくなれば、おそらくストップしてしまうであろう。

 ただ、そうしたペースを作っても、時間がなければ、継続しない。これには、私には時間を作る秘訣がある。

 具体的には、早起きでもってカバーしている。例えば、大学に行く日は、6時50分の特急電車に乗った時点から一日の仕事が始まる。電車での一時間、さらに、一時間目の授業がある場合でも、9時までに一時間仕事のできる時間がある。この二時間で、多くの成果をあげることができる。さらに、仕事をしなければならない場合は、その前に一時間ほど自宅で勉強する時間を作ることにしている。なぜなら、このそれぞれの一時間は何を仕上げるかの目標を決めて行うため、効率が高い。また、この時間帯には、電話もかかってかないため、仕事に集中できる。この時間帯で、ほとんどの仕事をこなすことになる。

 ただ、冬のような真っ暗な場合には、睡眠ホルモンであるメラトニンの分泌を抑制することが難しく、睡魔が襲ってくる。ところが、私は、起きると直ぐに風呂に入り、マッサージをするように体を洗い、圧力の強いシャワーを「首」中心に浴びることにしている。すると、気分がさわやかになり、メラトニンの分泌が抑えられていくような気持ちになる。もちろん、睡魔はどこかへ吹っ飛んでしまう。

 「早起きは三文の徳」という諺があるが、確かに、私の大学でも朝早く出勤してくる教員は、プロダクティブに仕事をしている人が多いように思う。大学院生にもそのような傾向があるような気がする。たまには例外があるかもしれないが、例外に該当すると思う人には申し訳ない。

 是非、早く起きて、朝風呂で、圧力の強いシャワーを浴びて、さわやかに一日を始めてはいかがか。特に、じめじめした梅雨時には、ぴったりのライフスタイルではないでしょうか。

 


ソーシャルワーカーの専門職としての価値とは

2008年06月23日 | 社会福祉士
 私は、ソーシャルワークで、人々に対する専門職としての価値は重要であると認識しているが、それのみを過度に強調することには弊害が大きいと考えている。ソーシャルワーカーの価値は他の専門職と全くかけ離れたものではなく、程度の差こそあれ、他の専門職の価値とさほど大きな違いがないと思える。医療でも、当然、利用者への尊厳の保持が強調され、現在はインフォームドコンセントの重要性が指摘され、利用者の自己決定が重視されているからである。

 ただし、このことは、ソーシャルワークの価値が大事でないと言っているのではない。間違いなく、大事であることを前提にしてのことであるが、ソーシャルワークは価値の世界に入り込むことで、知識や技術といった専門性が疎かにされることがないようにとの警告である。さらに厳しく言えば、他の専門職に比べて、知識や技術が十分に成熟していないことを自覚すべきではないかということである。

 先般、医療の領域で倫理学を学んでいる2人の研究者と食事をさせて頂いたが、専門職の価値と自らの専門職独自の知識や技術を駆使して仕事を実施していく中で、価値と知識・技術の関係について議論した。すべての専門職は、利用者の尊厳というすべての人々の人格に備わっている絶対的な価値を実現していくことにあり、そのために、自らの専門職と専門性と価値観を活用するとの話を聞いて、なるほどと納得した次第である。

 専門職の価値としては、ソーシャルワークであれば、(社)日本社会福祉士会の倫理綱領であったり、バイスティックの原則といったものがある。また、医療であれば、生命倫理である、①自律・自己決定原則、②利用者に幸福を与えられるような善い行為である善行原則、③利用者への害を避ける無危害原則、④人々を公正・平等に扱う原則といったものがある。これらは、基本的には類似した価値である。

 ソーシャルワークについていえば、独自の知識・技術や価値でもって、ソーシャルワークが捉える「人間像」がイメージできると考える。すなわち、人間のどこにソーシャルワークが捉える課題を見いだし、その人間とどのように解決していくのかという観点でもって、ソーシャルワーカーの捉える人間像が作られるのかなあ?と漠然と考える。結果として、ソーシャルワークは医療と類似しているが、ニュアンスの異なる価値をもつことになると思える。

 これは、医学も同じで、生命倫理と言った価値に加えて、知識や技術の体系を兼ね備えて、医学が捉える「人間像」が出来上がっているのではないだろうか。結果として、すべての人間を支援する専門職が捉える「人間像」に共通するものが、他の一切の価値を超える尊厳ある存在としての人間像ではないのだろうか。

 いずれにしても、ソーシャルワーカーは、人間をどのように捉え、どのように支援していくかの、人間像を学生に教育できることが、価値と知識・技術を超えて、到達しなければならないテーマのように思える。それが、食事を一緒にさせていただいたお二人からすれば、人間に対する尊厳といった絶対的価値なり倫理に相当するのであろう。


 

ブログと差別

2008年06月22日 | 社会福祉士
 ブログの社会的問題が大きくなっている。始めは、ブログに縁遠い状況であったが、ふとしたことから入り込んでしまったが、先日の秋葉原の多数の被害者がでた殺傷事件以降、犯人を真似た殺人予告の書き込みが増えたという。まったく、無責任な世の中である。

 確かに、いくつかのブログの書き込みをみても、匿名性もあり、余りにもひどい差別表現がみられ、身をすくむ思いになることがある。こうした差別用語や表現を見た時に、具体的にどのように対処して良いのか分からず、そのブログや書き込みから逃げ出すしかないのが現実である。

 ブログ等の管理者の姿勢も重要であり、ここにアプローチするしかないであろうが、このような匿名性の世界において、どのように対処すべきであるか、教えて欲しいと思っている。もっと、律していくことは難しいのだろうか。

 その意味では、私がハンドリングネームから実名でのブログに変えたことは、個人的には良かったと思っている。また、このブログでのコメントも誠実なご意見ばかりで、コメンターには感謝している。

 現在のブログで起こっている差別事象は、酷いものが多い。表現の自由は権力に対する表現の自由であって、様々な理由で弱い立場に置かれた人々に対する表現の自由は担保されていないと考えている。

 今後もブログを続けていくに当って、常に意識していかなければならないことだと思います。コメントを頂く方も、さらにはブログを読まれる方にも、そうした意識を是非もって欲しいと思う。

ブログ間でのネットワークを

2008年06月21日 | 社会福祉士
 私のブログへのアクセスも順調に伸びている。ちなみに、現在は、1週間で約1000名近くが訪問してくれており、閲覧数では3000件近くにまで伸びてきている。このアクセス数の増加には、他のブログで紹介して頂いて、増加してきた部分が大きい。また、ブックマークに入れて頂いて、伸びてきた部分もある。

 また、紹介して頂いたブログをこちらが拝見させて頂くことも多くなった。そうしたことから、学ぶことも多い。

 ブログを始めて以降、私と関心や仕事内容が共通するブロガーが、こんなに多く存在するのかを知った。こうした共通するブロガーのネットワークを組めると面白いのではないかと思っている。

 私のブログをご紹介頂いたブログのうちで、分かっているのは、次の5つである。

「SWHS Lab Blog」

 このブログでは、私が社会福祉士養成においてなくてはならない存在であり、凄いところは、真面目な社会福祉関係者の意見を調整して、きちんと形にされるところだとの「最高の賞賛」を頂いた。気恥ずかしく、そんな実力はありませんが、書いて頂いたことを目的にがんばりたいと思います。

「社会福祉何でもありBLOG」

 このブログでは「社会福祉士の養成に関して、今先頭に立っておられる方」と言って頂きました。恥ずかしい限りです。

「ウェル」

 このブログは恐らくアクセス数は膨大であると思う。私のブログが紹介された時、その数日はとびっきりアクセス数が増えたからである。極めて影響力の大きいブログである。


「けあサポ」

 これは、個人ではなく、中央法規出版が作っているもので、この中の林和美さん(国際医療福祉大学)が、私のブログを紹介してくれた。彼は、在宅介護支援センター創設当時のケアマネジャーであり、彼らが実践的にケアマネジメントを普及していった先駆者であると言える。実践現場でケアマネジメントの礎を築いた一人である。

「CLOWN-0のRSSリーダー」

 これは、介護福祉、社会福祉、ケアマネジャーを含めたいくつかのブログを受信し、発信している。ここが、多くの関連ブログを募って、それらのネットワークの核になって頂ければ良いのかもしれない。

 これらのブログ間でのネットワークまではいかなくとも、交流を図っていきたいものである。

まずは、私のブログのブックマークに、上記の5つのブログをブックマークに入れさせていただくことから始めたいと思っている。

追伸

 今日のブログを掲載する準備をしていた矢先、「社会福祉何でもありBLOG」の管理者からコメントを頂き、ブックマークに掲載して頂けることになりました。そこで、管理者が鹿児島国際大学の古瀬徹先生であることも知りました。厚生省の元老人福祉課長をおやりになった方であり、現場に愛着をもった先生として、尊敬していましたので、驚きです。 

「実習指導者講習会」への派遣依頼のお願い

2008年06月20日 | 社会福祉士
 昨日は、東京に日帰りで行ってきた。今回は、社会福祉士実習指導者講習会へ社会福祉士の皆さんが参加することを可能にするため、全国老人福祉施設協議会、全国老人保健施設協議会、社会福祉施設経営者協議会、さらには、全国社会福祉協議会で組織されている種別協議会といった全国組織の長の皆さんに、講習会への参加を支援して下さることを、日本社会福祉士会の村尾会長と両団体の事務局の皆さんとご一緒にお願いに回ってきた。

 全国18カ所で、社会福祉士会の主催で講習会が開かれるが、多くの参加者が集まってくれなければ、社会福祉士養成校は学生を実習に送り出すことが難しくなり、今回の社会福祉士の制度改革が根底から崩れるからである。今回のお願いで、多くの方から、心温まるお言葉を頂き、うまくいくような手応えを感じている。

 今後は、各都道府県で、講習会へのご理解を得ていく働きを、社会福祉士会と社養協の会員校が協力して、進めてくれることを期待している。同時に、今回実習先も拡大しており、同時に多様な現場で社会福祉士が活躍されていることを鑑み、介護保険での居宅サービス事業者団体、有料老人ホーム協会、全国地域包括支援・在宅介護支援事業者協議会等へも、社会福祉士を実習指導者講習会に派遣してくれるようお願いにあがりたいと考えている。

 ただ、私は三重県の名張市に住んでおり、東京へは、名古屋までの近鉄特急、名古屋から東京までの新幹線で、往復で8時間近くかかる。1日の3分の1を電車に乗っている計算になるが、年のせいもあり、疲れるものである。しかし、今はそうは言っていられない、社会福祉士改革の最後のまとめの時期である。無理をしてでも、東京に日参するしかないと思っている。

 今後は、各都道府県や中核都市レベルで、社会福祉士会の役員の方と社養協や連盟の教員の方が協働して、地域レベルで、実習指導者が研修に参加していただけるよう、各団体に依頼していってほしいと思っている。同時に、今回新たに加わった実習施設(有料老人ホーム、居宅介護事業者等)について、実習指導担当予定者に参加してもらえるよう、全国レベルおよび地方レベルの両面から働きかけていかなけれならない。

 結果として、社会福祉士が社会福祉士になる者を、実習を介して、育てていくという、他の専門職と同じ仕組みを作り上げることができるといえる。

地域でのネットワーキング論?(13)<計画の作成・実施過程>

2008年06月19日 | 地域でのネットワーキング論
地域でのネットワーキングでは、計画の作成・実施を進めていく上で、計画を支援してくれる体制づくりや、それを進めるための戦略や戦術が必要となる。これについても、エレン・ニッティング他の『ソーシャルワーク・マクロ・プラクティス』は、具体的でおもしろい。以下の過程について、いくつかの事例でもって、その展開過程が示されているが、ここでは、305頁から405頁のエキスのみを示すことにする。
 
 まずは、計画を進める支援体制を作り上げるために、①どのような仮説で行うかを明確にし、②全体としての関わってもらう参加者を考え、③計画を進めることの点検をし、④計画内容を決定することになる。さらに、それらを行うに当たって、一定の指針をもとにして、実施のための戦略や戦術を選ぶことになる。

ウィリアム・ブルーグマンの『マクロ・ソーシャルワークの実践法』では、「どうにもなりそうもない課題」は削除し、「どうにかできそうな課題」について、フォーラムやフォーカス・グループを活用して、解決策を検討していく。ここで示された解決策を、①政治的実現可能性、②経済的実現可能性(便益費用分析、費用対効果分析等)、③社会的実現可能性を評価し、ランクづけをするとしている(95~102頁)。

 これらをもとに、計画での活動内容を実際に実行していくことになるが、ここでは、①計画の目標を設定し、②導き出される結果を書き、③その計画の実施過程を示し、④実行し、⑤モニタリングし、⑥評価することになる。

 この著書で評価されるべきことは、「計画に基づく変化」に焦点をあて、具体的に地域や組織を変えていくかを明示していることである。こうしたことの一定のコンセンサスを得られれば、地域での計画づくりだけでなく、多様な方法でもって、ネットワーキング機能を高めていくことができると考える。さらに、評価すべき点は、それぞれの段階で、行うことを具体的に記述することが強調されており、住民や他の専門家にソーシャルワーカーの仕事、あるいはネットワーキングの内容や意義を理解してもらっていくことに有効であると思った。

 ピンカス・ミナハンの『social work practice : model and method』の再読と同時に、本著をじっくりと読むことで、実践への方向づけをしていくことが可能なような気がする。




Social Work Macro Practice

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マクロ・ソーシャルワークの実践法―ソーシャルワーカーはいかにその活動を拡げるか?
ウィリアム・G. ブルーグマン
トムソンラーニング

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地域でのネットワーキング論?(12)<地域の生活問題の分析(アセスメント)方法について>

2008年06月18日 | 地域でのネットワーキング論
前回は計画的に基づき変化させるべき地域での生活問題について言及したが、ここでは、そうした3つの生活問題をどのように抽出させることができるのかについて考えてみる。これには、個別事例から波及させていく方法と、個々の地域社会の特徴なり問題点か明らかにしていく方法がある。

 前者については、個人の相談支援をもとに、そこでの地域社会の生活課題を明らかにして、その地域での生活課題として波及的に広げていくことである。これについては、よく、旧来の市町村社会福祉協議会は、個別的な相談援助を行ってこなかったことが、活動に支障を与えたというようなことが言われるが、それは、個人の次元から地域の次元の生活問題に結びつけることが困難であったことを意味していると言える。

 後者の地域社会の生活問題を抽出する方法は、個人よりも、むしろ地域社会や、時には地域の組織に焦点を当てて、そこから生活問題を抽出することである。地域の生活問題を新たに探し出す方法としては、具体的には、相談支援に関わっている専門職や地域の団体・組織、他方当事者から、意見を聴取し、それをまとめることで行うといった、質的な調査の分析から実施することが、一つは考えられる。もう一つは、地域住民を対象として聞き取りなり郵送による量的調査を行い、地域住民や当事者の現状を分析して行う、社会福祉調査手法を駆使して行う方法がある。

 エレン・ニッティング他の『ソーシャルワーク・マクロ・プラクティス』では、地域社会の分析(私流には、アセスメント)として、①標的にする対象者層に焦点づけし、②そうした対象者層の地域での特徴や問題点を示し、③その地域独特の問題を示し、④それらの問題に対応できる地域の構造を明らかにすることが、具体的に示されている。

 ここでのニーズ・アセスメントの方法としては、6点を挙げ、その長短を整理している。(176頁)
①ヒヤリング、フォーラム開催、フォーカス・グループとの話し合いといったキーパーソンからの情報収集、
②待機ケースや担当ケースを利用した情報、
③現存のデータの分析することで、問題の原因について実証的情報を得る調査
④以前の調査で分かっていた、問題の要因や広がりについての調査結果
⑤年齢、収入、職業と言ったデータを検討した社会的指標
⑥地域のメンバーからのインタビューといった調査の実施

 なお、ウィリアム・ブルーグマンは『マクロ・ソーシャルワークの実践法』で、データ収集とその分析として、①既存データ、②社会調査、③事例研究の方法の混合アプロ-チを提唱している(93~95頁)。

 以上のように、地域を分析(アセスメント)して、次のプランニングに入っていくことになる。これは、組織の場合も一緒で、分析からスタートする。


Social Work Macro Practice

Allyn & Bacon

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マクロ・ソーシャルワークの実践法―ソーシャルワーカーはいかにその活動を拡げるか?
ウィリアム・G. ブルーグマン
トムソンラーニング

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地域でのネットワーキング論?(11)<マクロ・ソーシャルワークとは>

2008年06月17日 | 地域でのネットワーキング論
 次に地域の生活問題の解決・緩和に向けて、地域でどのような部分に焦点を当てて業務をしていくのかを考えてみたい。前回に、アセスメントで捉える生活問題は、人と社会環境(社会資源)との関係の中で生じている齟齬として位置づけられるのではないかと述べた。具体的な齟齬として、①社会資源がなく住民が困っていること、②社会資源と住民のニーズにギャップがあり、住民が困っていること、③社会資源間でギャップがあり、住民が困っていること、の3点に整理できる。

 この社会資源を提供側から捉えると、提供組織である。そのため、地域でのネットワーキング論は、地域内の組織の変化と地域社会の変化を求めることになる。組織の変化を目指すことが、結果として地域の変化を目指すことがつながっているといえる。

 一般に、組織の変化はメゾ・ソーシャルワークと、地域の変化をマクロ・ソーシャルワークと呼ぶ場合がある。一方、この組織と地域の変化を併せて行うことでもって、すなわち、メゾを包み込んで、マクロ・ソーシャルワークと言及している場合もある。

 現在、大学院生と授業で読んでいるエレン・ニッティング、ピーター・ケットナー、スティーブン・マックマートリーの『ソーシャルワーク・マクロ・プラクティス』は、地域や組織を理解し、分析し、計画作成、計画実施、モニタリング、評価を展開していくものである。ケアマネジメントについても、ミクロからマクロの課題が生み出されてくることを実証的に言及しており、ミクロ・ソーシャルワークとマクロ・ソーシャルワークを一体的に捉えて初めて、ソーシャルワークになるとしている。

 なお、この著書も、ピンカス・ミナハンの極めて大きい影響を受け、組織や地域を「計画に基づき変化」させることを狙いにしており、私の興味は、計画的にどう変化させるかに興味をもっている。彼らがどのようにして、分析し、計画を作り、組織や地域社会を変えていくかの考え方は後日紹介することとする。

 ただ理解できることは、ネットワーキングでは上記の3つの生活問題に対して、地域内にある組織を計画的に変化させ、同時に地域社会を計画的に変化させることであると、整理できるのではないか。

Social Work Macro Practice

Allyn & Bacon

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地域でのネットワーキング論?(10)<「計画に基づく変化」を中核に>

2008年06月16日 | 地域でのネットワーキング論
 地域でのネットワーキングを進めるためには、「計画に基づく変化」(planed change)を追求することが必要であると考えている。これは、専門職においては、目標に向かっての計画を作成し実施するということが求められる。同時に、計画の実施による変化が生まれるが、それはソーシャルワークの目的と合致したものでなければならない。

 私が、ケアマネジメントで求めたのは、ソーシャルワークにおいての「計画に基づく変化」を模索したものである。私がケースワークを嫌いだったのは、計画性が弱いこと、さらに変化がソーシャルワーク固有のものであることの説明が弱いこと、と整理している。すなわち、「計画に基づく変化」を追求することで、計画作成で専門性が発揮でき、変化する内容が、利用者の生活であるとしてきた。そのため、ケアマネジメントでは、計画に基づく支援でもって、主として「個人」である利用者の生活を変化させることを意識して、研究してきた。

 今回の地域のネットワーキング論についても、「計画された変化」を中心的な考え方にして、あるべき方法を模索していく必要がある。但し、その対象が「個人」ではなく、「地域」であり、同時に「組織」といったものを含むことになる。

 このため、具体的には、第一には、「計画に基づく」という用語でもって、地域を住民にとって生活しやすいように変える計画が作成され、実施されなければならない。そのためには、どのような方法で地域の状態をアセスメント(分析:アナライゼーション)するかが明らかにされなければならない。ここでのアセスメント(分析)の方法は、地域を把握するための調査といった手法を活用する方法もあれば、個々の利用者の生活問題を基礎にして、そのから同様の対象者に対応した地域の生活課題を抽出する手法もある。

 第二には、「変化」の意味では、地域での生活問題が予防できたり、解決・緩和に寄与できたり、継続的に支援できることに貢献できるように、地域社会を変えることである。ここでの生活問題とは、地域住民と地域環境との関係の中で生じている齟齬のことであり、齟齬には社会資源がなく住民が困っていたり、社会資源と住民のニーズにギャップがあったり、社会資源間でギャップが生じていることで住民が困っていたりといったことである。そのため、専門家として、この地域にある生活問題の解決や緩和という変化をもたらすことである。

 さらに、アセスメント(分析)から導き出される計画内容は用紙に記述され、その用紙を見れば、誰でもが納得できるものでなければならない。こうした目に見える、生活問題解決に向けて変化内容を示した計画用紙が提示できなければならない。この用紙があれば、住民の参加を容易にするだけでなく、最終的には住民主体の活動になっていくのではないか。同時に、ソーシャルワーカーのネットワーキング機能を社会全体で理解してもらえるのではないか。

 次には、計画の実施としては、計画内容に含まれている住民や専門家、政治家等を参加させ、実行していくかが展開されることになる。同時に、これを内容に含まれている実施過程(期限を決めての実施過程)をもとに進めていくが、計画の実施過程でのモニタリングや評価が展開されていくことになる。

 ソーシャルワークの実務に従事している方も、研究・教育に従事している方も、是非、以上のような「計画に基づく変化」を常に念頭に置いて仕事をしていくことが必要ではないかと考えている。

 私が、ケアマネジメントの研究を始める契機となったのは、かの有名なピンカスとミナハンの『social work practice : model and method』で、このplaned changeを強調されているのに触発されてのことである。すなわち、個人の何を変えるのか、さらにはいかに計画を作成し変えるのかをテーマにして、ケアマネジメントの骨格を検討していった。これこそが、科学であり、専門性を発揮する部分である。

Social Work Practice: Model and Method.

F E Peacock Pub

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