中央法規出版から出している『ケアマネジャー』が100号を記念して、ケアマネジャーの意義について書いてくれるようにとの依頼を受けた。100号とは、約8年の歴史であり、介護保険制度にケアマネジャー(介護支援専門員)を制度として導入することを契機に、始まったものである。
この間、私のケアマネジメントに対する考えや思いと、現実の介護保険の中での現実との間で、いらいらすることも多々あった。その時は、いつも、利用者を中心に据え、本来は制度の改革を求めるべきところを、時にはケアマネジャーに無理強いをすることも多かったのではないかと反省している。
ケアマネジャーへの、100号を記念してのメッセージは、次のような内容であり、「生活を支える」原点に回帰することを訴えた。7月号からの再掲である。
なお、これに先だって、鹿児島国際大学の古瀬徹先生のブログ「社会福祉学何でもありBLOG」で、この原稿内容を取り上げて頂きました。心からお礼申し上げます。
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「生活を支える」という原点への回帰を
これこそがケアマネジャーの仕事だと、その神髄を感じたことがある。平成16年10月23日午後5時56分に襲った新潟県中越大震災でのケアマネジャーの利用者への対応である。
多くのケアマネジャーは自らも被害に遭い、ライフラインが閉ざされていたにもかかわらず、翌日の日曜日にはほぼ全員の利用者の安否を確認し、必要に応じケアプランの変更までもしていたことが現地調査から分かった。理論的には、生活状態に激しい変化が生じたわけであるからモニタリングが不可欠な状況であり、上記のような結果を願って現地入りしたが、見事にそれが成就されていたことに感激したのを今も鮮明に覚えている。
これが意味するのは、ケアマネジャーは公的サービスに結びつけるだけの仕事をしているのではなく、まさに利用者の「生活」を守るキーパーソンであることを明らかにしたものである。さらに、ケアマネジャー自身が利用者宅や避難所を回るだけでなく、民生委員、ヘルパー、家族からの連絡によりほぼ1日で安否確認ができたことは、日頃から個々の利用者のネットワークを確立しており、緊急時にそれが機能したことを意味している。
ケアマネジャーという仕事は、健康を取り戻せない人々が増えてくるなかで生まれてきた。たとえ治らなくとも、利用者が生き生きと在宅生活を過ごせるよう支援していく使命をケアマネジャーはもっている。そうした意味では、中越大震災での活躍を含めセーフティーネットを支えるものとして、その存在意義は極めて大きいものがある。
「おもしろくない」原因は
ところが介護保険制度改正以降、「仕事がおもしろくなくなった」と言うケアマネジャーが多い。実際に、ケアマネジャーから元職に戻る傾向も強い。ケアマネジャーがおもしろくないと思って仕事をしているのであれば、そのケアマネジャーを介してサービスを利用している高齢者やそのご家族にご迷惑をかけることにはならないかと案じる。
「おもしろくなくなった」主たる原因は、利用者の足に靴を合わす仕事から、靴に足を合わす仕事に戻ってしまったからではないかと考えている。口酸っぱくなるまで言っていることだが、ケアマネジメントは利用者のニーズに合わせて介護保険サービスやその他の社会資源を結びつける、利用者の足に靴を合わせる仕事であるということである。
現状のケアマネジメントは、利用者のニーズを満たすことでQOL(生活の質)を高めるという本来の目的のほか、財源抑制という狙いを担わされてしまっている側面がある。特に介護予防においては、介護保険財源抑制のあおりを食って、あるいは財源抑制の使者としてケアプランを作成することから、既存のサービスに利用者をあてがう──靴に足を合わす──ことが起こっているのでないかと分析する。そのため、サービス量を減らした際に、利用者にその理由を尋ねられても、適切に答えられないのではないかと案じる。こうしたことにより、ケアマネジャーと利用者との間で築かれた信頼関係が崩れていっているのではないだろうか。利用者にはケアマネジャーが国や保険者からの回し者と映ってしまうかもしれない。こうした事態に遭遇するなか、ケアマネジャーの仕事がおもしろくなくなっていると考えるがいかがであろうか?
ケアマネジメントの原点に戻ろう
この「おもしろくない」状態を打破していくためには、再度、足に靴を合わすというケアマネジメントの原点に戻ることが大切である。同時に、予防という美名のもとで、利用者のサービスのメニューや量を減らすのではなく、予防という視点で利用者の能力や意欲といったセルフケアを可能な限り活用していくことを含めて、必要なサービスを提供していくことが求められている。
これはケアマネジメントの基本である、利用者のニーズに合わせた支援をすることであり(ニーズ・オリエンテッド・アプローチ)、既存のサービスに合わせて支援することではない(サービス・オリエンテッド・アプローチ)ことを、再度確認することである。その上で、例えば、要支援での週1~2回の訪問介護サービスでは、セルフケアを活用しても、なおかつ利用者のニーズを満たし得ないとすれば、ケアマネジャーが組織として国や地方自治体等に働きかけ、制度自体の改正を迫っていく必要がある。
ただし、予防ということは大変難しいことであり、利用者の意識を変えたり意欲を高めるには、時間をかけて作り上げる信頼関係が不可欠である。同時に、人々の意識や意欲の根底にある価値観を変えることまでは、ケアマネジャーの仕事ではない。すべての利用者の意欲が高くなったり、意識が変わるわけではないという自覚も大切である。しかし、利用者の意欲や意識は変わる可能性があり、そうした機会をできる限り提供していこうとする姿勢が大事である。
来年は介護報酬が改正される。居宅介護支援事業者が最も赤字比率が高いという調査結果が出ている。ケアマネジャーの介護報酬を大幅に上げることで、ケアマネジャーの職場での自立性を高め、専門性を一層向上させる礎を築くことが当面の課題である。
一方で、本当にケアマネジャーの仕事は利用者一人に対し1カ月を単位とする報酬で行うものでよいのかと自問している。介護報酬といった、いわば時間を切り売りする──語弊はあるが安っぽい仕事ではなく、個々の利用者がいかに生きていくかを支えるという、極めて厳粛で、利用者によっては昼夜を問わず時間と手間のかかる重たい仕事である。その意味では、ケアマネジャーが安定した給与を保障されるなかで、この厳かな仕事を遂行できるようになることを望む。かなわぬ夢であろうか。
この間、私のケアマネジメントに対する考えや思いと、現実の介護保険の中での現実との間で、いらいらすることも多々あった。その時は、いつも、利用者を中心に据え、本来は制度の改革を求めるべきところを、時にはケアマネジャーに無理強いをすることも多かったのではないかと反省している。
ケアマネジャーへの、100号を記念してのメッセージは、次のような内容であり、「生活を支える」原点に回帰することを訴えた。7月号からの再掲である。
なお、これに先だって、鹿児島国際大学の古瀬徹先生のブログ「社会福祉学何でもありBLOG」で、この原稿内容を取り上げて頂きました。心からお礼申し上げます。
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「生活を支える」という原点への回帰を
これこそがケアマネジャーの仕事だと、その神髄を感じたことがある。平成16年10月23日午後5時56分に襲った新潟県中越大震災でのケアマネジャーの利用者への対応である。
多くのケアマネジャーは自らも被害に遭い、ライフラインが閉ざされていたにもかかわらず、翌日の日曜日にはほぼ全員の利用者の安否を確認し、必要に応じケアプランの変更までもしていたことが現地調査から分かった。理論的には、生活状態に激しい変化が生じたわけであるからモニタリングが不可欠な状況であり、上記のような結果を願って現地入りしたが、見事にそれが成就されていたことに感激したのを今も鮮明に覚えている。
これが意味するのは、ケアマネジャーは公的サービスに結びつけるだけの仕事をしているのではなく、まさに利用者の「生活」を守るキーパーソンであることを明らかにしたものである。さらに、ケアマネジャー自身が利用者宅や避難所を回るだけでなく、民生委員、ヘルパー、家族からの連絡によりほぼ1日で安否確認ができたことは、日頃から個々の利用者のネットワークを確立しており、緊急時にそれが機能したことを意味している。
ケアマネジャーという仕事は、健康を取り戻せない人々が増えてくるなかで生まれてきた。たとえ治らなくとも、利用者が生き生きと在宅生活を過ごせるよう支援していく使命をケアマネジャーはもっている。そうした意味では、中越大震災での活躍を含めセーフティーネットを支えるものとして、その存在意義は極めて大きいものがある。
「おもしろくない」原因は
ところが介護保険制度改正以降、「仕事がおもしろくなくなった」と言うケアマネジャーが多い。実際に、ケアマネジャーから元職に戻る傾向も強い。ケアマネジャーがおもしろくないと思って仕事をしているのであれば、そのケアマネジャーを介してサービスを利用している高齢者やそのご家族にご迷惑をかけることにはならないかと案じる。
「おもしろくなくなった」主たる原因は、利用者の足に靴を合わす仕事から、靴に足を合わす仕事に戻ってしまったからではないかと考えている。口酸っぱくなるまで言っていることだが、ケアマネジメントは利用者のニーズに合わせて介護保険サービスやその他の社会資源を結びつける、利用者の足に靴を合わせる仕事であるということである。
現状のケアマネジメントは、利用者のニーズを満たすことでQOL(生活の質)を高めるという本来の目的のほか、財源抑制という狙いを担わされてしまっている側面がある。特に介護予防においては、介護保険財源抑制のあおりを食って、あるいは財源抑制の使者としてケアプランを作成することから、既存のサービスに利用者をあてがう──靴に足を合わす──ことが起こっているのでないかと分析する。そのため、サービス量を減らした際に、利用者にその理由を尋ねられても、適切に答えられないのではないかと案じる。こうしたことにより、ケアマネジャーと利用者との間で築かれた信頼関係が崩れていっているのではないだろうか。利用者にはケアマネジャーが国や保険者からの回し者と映ってしまうかもしれない。こうした事態に遭遇するなか、ケアマネジャーの仕事がおもしろくなくなっていると考えるがいかがであろうか?
ケアマネジメントの原点に戻ろう
この「おもしろくない」状態を打破していくためには、再度、足に靴を合わすというケアマネジメントの原点に戻ることが大切である。同時に、予防という美名のもとで、利用者のサービスのメニューや量を減らすのではなく、予防という視点で利用者の能力や意欲といったセルフケアを可能な限り活用していくことを含めて、必要なサービスを提供していくことが求められている。
これはケアマネジメントの基本である、利用者のニーズに合わせた支援をすることであり(ニーズ・オリエンテッド・アプローチ)、既存のサービスに合わせて支援することではない(サービス・オリエンテッド・アプローチ)ことを、再度確認することである。その上で、例えば、要支援での週1~2回の訪問介護サービスでは、セルフケアを活用しても、なおかつ利用者のニーズを満たし得ないとすれば、ケアマネジャーが組織として国や地方自治体等に働きかけ、制度自体の改正を迫っていく必要がある。
ただし、予防ということは大変難しいことであり、利用者の意識を変えたり意欲を高めるには、時間をかけて作り上げる信頼関係が不可欠である。同時に、人々の意識や意欲の根底にある価値観を変えることまでは、ケアマネジャーの仕事ではない。すべての利用者の意欲が高くなったり、意識が変わるわけではないという自覚も大切である。しかし、利用者の意欲や意識は変わる可能性があり、そうした機会をできる限り提供していこうとする姿勢が大事である。
来年は介護報酬が改正される。居宅介護支援事業者が最も赤字比率が高いという調査結果が出ている。ケアマネジャーの介護報酬を大幅に上げることで、ケアマネジャーの職場での自立性を高め、専門性を一層向上させる礎を築くことが当面の課題である。
一方で、本当にケアマネジャーの仕事は利用者一人に対し1カ月を単位とする報酬で行うものでよいのかと自問している。介護報酬といった、いわば時間を切り売りする──語弊はあるが安っぽい仕事ではなく、個々の利用者がいかに生きていくかを支えるという、極めて厳粛で、利用者によっては昼夜を問わず時間と手間のかかる重たい仕事である。その意味では、ケアマネジャーが安定した給与を保障されるなかで、この厳かな仕事を遂行できるようになることを望む。かなわぬ夢であろうか。