ソーシャルワークの TOMORROW LAND ・・・白澤政和のブログ

ソーシャルワーカーや社会福祉士の今後を、期待をもって綴っていきます。夢のあるソーシャルワークの未来を考えましょう。

親爺と息子の関係

2009年07月23日 | 社会福祉士
 息子がアメリカに転勤するため、妻と一緒に飛行場まで見送りに行ってきた。息子は、6月に結婚し、8月1日からワシントンD.C.で仕事をすることになり、最近めとった嫁さんと一緒に出かけていった。

 ここに、私の家庭は本当にエンプティ・ネスト(空の巣)になった。娘は、結婚して8年程経ち、既に孫もいるが、大阪に住んでいる。息子は今回結婚し、嫁さんを連れて、アメリカに赴任である。

 この息子について、私は高校時代までしか一緒に住んでいない。高校を卒業し、大学、大学院、就職というこの10年間、親元を離れ、年に1~2回しか会う機会がなかった。そのため、私の息子へのイメージは10年前で止まっており、高校時代の「難しいことにチャレンジしない」といった受けとめをし、心配もしていた。

 ただ、今回の結婚式や海外赴任への状況をみていると、息子に対する今までのイメージを払拭するようになってきた。あるいは、私よりも大人の側面があり、息子に超えられようとしているのではないかという印象さえもつようになった。

 例えば、昨年に、息子は一人で、フロリダに学会発表に行ってきたという。私は初めて海外で学会発表をしたのは、32歳の時にニューヨークのヒルトンホテルでの国際老年学会の時であったが、息子は27歳でそれをこなしている。私の場合は、発表の前日は眠れないぐらい緊張し、分からない質問があればと、当時コロンビア大学大学院に行っていた佐々木政人さんに、フロアーで座ってもらっていたことを覚えている。それを一人でこなしてきたことは、高校時代の「難しいことにチャレンジしない」といったイメージを払拭する契機になった。

 さらに、結婚式では、息子が最後の挨拶をしたが、口べたとの印象があり、「落ち着いて、ゆっくりと」と話す前に息子にアドバイスをしたが、毎日教壇で話している私よりも落ち着いで挨拶していたのに正直驚いた。

 また、私が1年間アメリカのミシガン大学に留学をしたのは、33歳の時であったが、息子は会社の皆さん方のご配慮もあり、28歳の若さでもって海外で仕事をするチャンスに恵まれている。さらには、私の場合は、0歳の息子、7歳の娘を連れての出発であったが、全員エコノミーで、この息子が飛行機の中でずっと泣きやまず、妻が苦労しての渡航であったことを覚えている。ところが、今回見送りに行って分かったことは、息子夫婦共にビジネスでの渡航ということで、羨ましい限りである。

 「青(あお)は藍(あい)より出でて藍より青し」という言葉があるが、乗り越えていく息子といった気分になることがある。必ずしも、ライバルにはならないのだろうが、少し気になる存在になってきたように思うとともに、ある意味では嬉しい限りである。

 研究・教育においても、多くの若い方々が気になる存在になるよう頑張ってほしいものである。そのことは息子同様に嬉しいことであり、私も再度力を奮いたて、頑張りたいと考えている。

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 原稿が遅れており、毎日のように催促されており、今日から8月5日まで待望の夏休みとさせていただきます。今後も気力を振り絞って、ブログを綴っていきます。

ケアマネジメントとソーシャルワークの関係30まとめ(1)

2009年07月22日 | 社会福祉士
ソーシャルワークのメイン機能としてケアマネジメントの研究を始めたが、ソーシャルワークはそれだけではなく、ネットワーキングといったもう一方での主要な機能があることが分かってきた。そして、これら両者の機能を活用できる人材がソーシャルワーカーであると考えている。

 一方、日本ではケアマネジメントが在宅介護支援センターから始まり、介護保険制度では、介護支援専門員という名称で、機能ではなく、ひとつの専門職として位置づけられてきた。この専門職には、一部社会福祉士等のソーシャルワーカーが行っている場合もあれば、介護福祉士や看護師が大部分を担っている。

 このことの整理は、ケアマネジャーが担う機能は現実には、個々人を支援するケアマネジメント機能に限定されており、ある意味、本来はソーシャルワーカーが実施すべき業務の一部が独立して、1つの専門職種として位置づけられていると整理できる。

 介護保険制度が創設される際に立ち会った者としては、制度スタート時には常勤換算で4万人のケアマネジャーが必要であるとのことであり、多職種が担うことが不可欠な状況であり、試験制度で選別する方法をとった。同時に、アメリカでも、登録看護師とソーシャルワーカーが主要なケアマネジメントの担い手であることも、こうしたことを進めていくことになったといえる。

 その意味では、社会福祉士等のソーシャルワーカーで介護保険のケアマネジャーを行っている者は、決められた業務を超えた機能を果たしているなり、果たせなくてジレンマに陥っているであろうか。ここが重要なポイントであるが、ケアマネジャーの業務分析を職種別で実施した調査が多く出されているが、そうした独自機能が果たせていないのではないかと考えている。

 その理由は、ネットワーキングの方法について十分な能力や知識がなく、養成する教育側も十分な教育をしてこなかったからであると思っている。さらに戻れば、こうしたネットワーキングに関する研究の蓄積が極めて少なく、このことがネットワーキング教育を薄めてきたと反省している。

 そのため、大切なことは、実践現場と教育現場が一体となり、ネットワークイング機能が果たせるような手順やそこでのポイントが示されることを至急作り上げていく必要に迫られていると認識している。

ソーシャルワーカーデーの中央集会に参加して

2009年07月21日 | 社会福祉士
 海の日を「ソーシャルワーカーデー」とし、今年第1回目が7月20日に全国町村会館で開催された。ソーシャルケアサービス従事者研究協議会(代表:大橋謙策)が主催者となり、ソーシャルワーカーに関わる職能団体、養成団体、学会という横断的な組織をもとに、盛会に行うことができた。感無量である。
 
 このイベントは、ソーシャルワーカーの仕事をより社会に知ってもらうことが大きな目的である。イベントの良さは、2点ある。第1は、今まで弱かった、ソーシャルワークを知ってもらうために打って出る姿勢が出てきたことである。第2は、ソーシャルワークに関わる多様な組織が一緒になりこのイベントを行ったことで、相互の連帯感を高めることになったと思う。

 7月20日の朝日新聞の関東版には、「海の日はソーシャルワーカーデー」という広告も出すことができた。当日には、社会福祉士制度ができた時の厚生大臣であった斎藤十郎先生(現在、全国社会福祉協議会会長)や厚生労働省・文部科学省からの来賓を迎えて、300名近いメンバーが集まり、中央集会を開催した。

 京都や広島といったいくつかの地方でも、ソーシャルワーカーデーに因んで、集会を催して頂いている。来年は、こうした地方での催しも拡大できればと思う。

 主催団体の1つでもある、(社)日本社会福祉士養成校協会も、社会福祉士の社会からの認知を広げていくための活動を進めていきたいと思っている。昨年は、朝日新聞の一面広告で、「社会福祉士は変わる」というタイトルで、二回にわたって広告を出すことができた。今年も出したいと思っているが、現在苦戦している。再度努力をし、なんとか社会に社会福祉士をアピールし、認知度を高めていきたい。

損保ジャパン記念財団賞受賞者記念講演会・シンポジウムに参加して

2009年07月18日 | 社会福祉士
 損保ジャパン記念財団の社会福祉学術文献表彰制度で、第10回の記念財団賞を受賞された大友昌子先生の『帝国日本の植民地社会事業政策研究ー台湾・朝鮮ー』(ミネルヴァ書房)の記念講演と合わせたシンポジウムが、先日東京で開催された。シンポジウムでは、大橋謙策先生がコーディネーターを努められ、大友先生を囲んで、韓国、中国、台湾の研究者がコメントするシンポジウムであった。

 現在、社会福祉研究では、日本、韓国、中国、台湾は極めて緊密に共同研究するようになっている。高齢者福祉について言えば、介護保険制度を日本に加えて、韓国が昨年から始め、2年先には台湾が始めることになっており、中国でもそうした動きがある。そうした中で、現状や将来についての共同研究は最近特に隆盛を極めている。

 但し、過去に日本が朝鮮や台湾といった植民地において行った厚生事業について相互の評価し合い、共通した認識が得ることが無い中での、共同研究である。その意味では、日本の植民地支配に伴う社会事業についての戦後の処理ができてない中での、現在の多くの共同研究がなされていることになる。

 大友昌子先生の『帝国日本の植民地社会事業政策研究ー台湾・朝鮮ー』は勇気のいる研究であり、アンタッチャブルとされてきた日本側からの研究という限界はあるが、そうした先駆的研究をまとめられたことを評価したい。一方、このシンポジウムで分かったことであるが、台湾での韓国といた被植民地国では、こうした植民地時代に関する、社会福祉の歴史研究がほとんどないとのことである。

 忌まわしい過去を清算するためにも、日本の植民地社会事業の評価を行わなければならないことのスタートが、このシンポジウムで切れたのではないかと思った。この研究には、日本の研究者と韓国・中国・台湾の研究者が一緒になり、研究を深め、評価することでもって、共通した認識が得られると思った。

 現実には、台湾や韓国、さらには満州での日本が行った社会事業が、地域住民のニーズとどのように乖離していたかの研究は、ほとんど文書資料がないとすれば、当時を知っている人が僅かでもいる時期でないと実証できないのではと思っている。可能な限りこうした人々からのヒヤリングでもって、事実や思いを分析することで、その乖離を生み出した、日本側の社会事業に対する思惑を整理し、他方そこでの抵抗する勢力を結集できなかった要因を整理することが必要だと認識した。



ストレングスモデルについての雑感

2009年07月17日 | 社会福祉士
 ストレングスモデルに関する論文や著書を刊行してきたが、私の方の博士の学位を得て現在アメリカのカンサス大学でリサーチ・フェローをしている福井貞亮君が研究室にやってきて、アメリカでのストレングスモデルについての最近の動向を伺った。そこでの話の中から、私が思ったことを2点書き留めておきたい。

1 ストレングスモデルはアメリカ国内では広く普及しており、これは従来の医学モデルに対するアンチテーゼとして生まれてきた側面が大きいという。具体的には、利用者の問題点を拾い上げ、その解決を図っていく方法に対して、利用者の能力や意欲、さらには好みや抱負といったことを引き出し、それを伸ばしていく方法として、違いを明確化してきた。

但し、このストレングスモデルのアプローチは、支援者側がどのように利用者を捉えるかということに重点が置かれている。従来の利用者に対する見方を変え、ひいては、ソーシャルワークやケアマネジメントの思想なり理念を変えようとするものであった。しかしながら、利用者自らが回復していく力として捉えられるリカバリーやレジリエンシーは、逆に、利用者側がもっている回復力なり甦生力に力点が置かれ、利用者が主体的にその力を発揮していくという志向が強いといえる。このリカバリーなりレジリエンシーの考え方が実践の中で定着していくためには、現状では、利用者が語ることをサポートしていくナラティブ・アプローチを組み込んだ支援を行っていくことから、ストレングスを介して、それを利用者主体で捉えていくことが示されてくると考えている。同時に、そうした実践の蓄積から、リカバリーやレジリエンシーがどのような個々の利用者の中の要素で構成されているかを明らかにしていくことが大切である。その要素は、利用者の能力、意欲、好みではなく、どのような要素になるのか興味深いところである。是非、こうした視点での研究や実践を進めていってほしいものである。

2 ストレングスモデルでは、このように専門職志向が強いことも関係があると考えられるが、利用者の意欲や好みを実現さていく支援を実施していく場合に、リスクに遭遇する。ストレングスモデルでは、確かに、利用者の失敗、落胆、絶望は、新たなスタートが始められるものとしてストレングスに転化して捉えることになっている。

しかしながら、リスクが見える場合に、ストレングスモデルに依拠する支援者であっても、そのような支援を躊躇する。具体的には、そうした場合には、私は短期目標を設定し、リスク・マネジメントを行っていくことを強調してきた。そのため、ストレングスモデルは、短期目標アプローチ(ショートターム・アプローチ)や課題中心アプローチ(タスク・センタード・アプローチ)との一体化も可能ではないかと考えている。

ただし、ストレングスアプローチでのリスクへの対応について言及している著書や論文は、私の知る限りほとんどない。これについては、利用者の可能性を強調する以上、リスクという考え方自体がストレングスモデルでは相容れにくいことかもしれない。しかしながら、現実の実践では、リスクの可能性が高くなると、こうした思いに立たざるを得ない。最終的に問題が生じた場合には、自己決定し、契約をした利用者側の自己責任ということのみでは、形がつく問題ではない。ここでは、短期目標を設定しながら、状況の変化を確認して、ストレングスを慎重に活用していくことが必要であると認識している。

これらについて、先ほどの福井君のボスである、ストレングスモデル・ケアマネジメントのリーダーであるチャールス・ラップ教授が、8月18日に早稲田大学(西早稲田キャンパス 井深ホール)で講演されるが、その時に、ご意見を伺いたいと思っている。



ソーシャルワークとケアマネジメントの関係(番外②)「プランニング」にかける私の思い

2009年07月16日 | 社会福祉士
 この日の座談会では、個人のプランニングはケアマネジメントを介して定着してきたが、地域を対象にするプランニングは可能であるのか、それではどのようにしていくのか、がテーマであった。私の考えでは、地域においてもアセスメントがあり、それをもとにしたプランニングがあるべきであると考えている。地域は個人以上に複雑であるため、遅れているが、実践現場を中心にして是非作っていきたいと思っている。

 もう一つ、この座談会で思ったことであるが、地域についてアセスメントし、プランニングしていくためには。その前提となるニーズの発見、アセスメント、プランニング、実行という手順のマニュアル化を推進していかなければならない。これにより、いずれの地域においても可能になるプランニングの作成・実施に至る過程を遂行できると思っている。

 この過程は、以前に調査結果で示したが、「地域を知る」ことと「地域に知ってもらう」ということでもって、ケアマネジメントで言うところの、ケースの発見、住民との約束、アセスメント、プランニング、実施という機能を果たしていくことである。ここには、普遍的な流れがあると考える。

 個々の地域の特性に合わせて、個別の地域ニーズに合わせて、プランニングを住民と一緒に行っていくことになるが、ここでは、一人の利用者のニーズを地域に広げていくことも必要であろうが、地域のニーズを、踏査やリサーチから引き出し、そこからプランニングしていくことも可能であると思う。

 こうしたプランニングの前後において、ケアマネジメントでは必要ない多様な技術が求められる。これらには、地域のパワーメカニズムを理解したり、交渉力やプレゼンテーション力といったものが不可欠になるが、それを名人芸に矮小化してはならない。一定の普遍性のある技術として、ソーシャルワーカーが身につけるよう教育・研修していく必要がある。

ソーシャルワークとケアマネジメントの関係(番外①)「プランニング」にかける私の思い

2009年07月15日 | 社会福祉士
 先日、日本地域福祉研究所主催で、コミュニティ・ソーシャルワークでの「プランニング」に関する公開座談会が開催され、私も発言者として参加させていただいた。座談会のほとんどのメンバーは地域福祉領域で研究を行っているメンバーであったので、少々違和感はあったが、逆に面白い議論ができたと思っている。

 この座談会の中身は、雑誌『コミュニティ・ソーシャルワーク』(販売元:中央法規出版)の第4号に掲載されることになっているので是非読んでほしいが、ここでは私の「プランニング」に対する強い思いを伝えておきたい。

 私がケースワークからケアマネジメントに関心を変えたのは、感銘していたピンカスとミナハンの著書「social work practice」が契機である。彼らの考えであるソーシャルワークはプランド・チェンジが重要であるとの考え方に依拠している。ケースワークでは、支援の目標や支援計画が明確でなく、何となく利用者の心理的な状況なり生活が変わるという印象が、私には強かった。そのため、何とか専門職の計画を作成・実施していくことが強調されることが必要であるとの思いに至った。

 このことは、決して専門家主導を意味するのではなく、専門家が自ら考えるプランをなくして、専門家といえるであろうかとの思いであった。そのため、ケアマネジメントという方法と出会うことで、アメリカやイギリスでの実践以上に、プランド・チェンジを強調するケアマネジメントを目指してきた。

 プランド・チェンジを具体的にいかに実現しようと試みたかというと、以下のようなことを、ケアマネジメント導入していった。第1は、計画を作成するには、利用者のニーズを明らかにすることを理論的に説明し、そこで明らかになったニーズを基礎にして計画を作成することを推進してきた。第2には、この計画を文書化することで、利用者や家族と了解していく仕組みを作っていった。計画が文書化されることでのメリットは数限りなくある。

 それらは、①利用者との計画についての契約が容易になる。②計画を実行した後で、計画の評価が可能になる。③家族や社会からも、どのような仕事をする専門職かについての理解が深まる。④専門職が自らの業務にアイデンティをもつことができる。これについては、多くの著書から学んだ「文章化した計画作成」ということを忠実に実行しようと考えた。

 裏話になるが、現在介護保険制度での「居宅サービス計画書(2)」や「施設サービス計画書(2)」の枠組みは、私が在宅介護支援センター職員のケアマネジメントのために作成したものであるが、これは、計画を文書化したいという思いから作ったものであるが、そこにはヒントがあった。それは、アメリカであるヘルパーと訪問看護を提供するいる機関を訪問した時に頂いた用紙にある。そこには優秀な職員がおられたのだろうが、ヘルパーと訪問看護師に分けて、ニーズをもとにサービス内容を導くことになっていた。これをベースにして、利用者の生活全体でのニーズに変更し、逆にホームヘルパーや訪問看護が抽出される計画表を作成した。措置時代のものであり、サービス利用決定機関が別々なため、個々のニーズごとに、自己負担額を記入し、さらに、それぞれについて利用者からの了承のチェックをもらうものを作った。現在の介護保険で使っている用紙は、私が作成したものを契約の仕組みの中で変形されたものである。

 私は、ソーシャルワーカーがプランニング能力を高めることが不可欠であると思っている。これを、利用者に意欲がないから、住民が主体的でなかったから、上手くいかないという逃げ口上を聞きたくないからである。利用者や住民の意欲や主体性を高めるためにこそ、専門職が利用者や住民と一緒に考えるプランニングが大切である。このことは、専門職の考えているプランを押し通せといっているのではなく、時にはこのようなプランがいかがという提案をすることで、利用者や住民の意欲を引き出すことも可能である。更に言えば、利用者にプランを作り出す支援を行うのは、ソーシャルワーカーが全くプランについて白紙では実施できない。

 

ケアマネジメントとソーシャルワーの関係29ソーシャルワーカーのコーディネーションとネットワーキング

2009年07月14日 | 社会福祉士
 ソーシャルワークが個人に向けてのコーディネーション(ケアマネジメント)機能と地域なり組織・団体に向けてのネットワーキング機能はひとりのソーシャルワーカーが一体的に行うのか、別個の人が担うのかのついて、整理しておきたい。

 現実のネットワーキング機能が個人に向けてのコーディネーション機能の連続性のもとで実施されている以上、ソーシャルワーカーは両方の機能について関心をもつ必要があるが、雇用されている機関がどこかで、ソーシャルワーカーが果たす両機能の割合が異なってくるものといえる。

 一方、地域を対象にしてネットワーキングを行うことから、個人に対するコーディネーション支援が容易になることも必要である。このことからは、ネットワーキング機能のみに焦点を当てたソーシャルワーカーが可能であるかと言えば、否やである。これは、個人支援と直接関わらないとしても、個人支援の事例検討等の集積する業務を行うことで、両機能に関心を持って、主たる役割であるネットワーキング機能を果たすことになる。

 結局は、ケアマネジャーとソーシャルワーカーを峻別するのは、ネットワーキング機能に関心があり、同時にその機能を多少とも果たしているかどうかにかかっている。但し、これは、現実の日本でのケアマネジメントの現状から整理したものであり、ケアマネジメントの機能は多様であり、コーディネーション機能だけでなく、ネットワーキング機能も果たす理論的モデル(包括モデル)があることも認識しておく必要がある。

 但し、現場においては、ソーシャルワーカーがネットワーキング機能を果たし得る能力をもっているのかどうか、さらに遡れば、ソーシャルワーク教育において、そうしたネットワーキングの方法について実践に根ざした理論が形成され、実践を可能にする教育を行ってきたかが、問われていることを忘れてはならない。

ケアマネジメントとソーシャルワークの関係28コミュニティ・ソーシャルワーカーのネットワーク調査(8)

2009年07月13日 | 社会福祉士
Ⅲ.住民主体ネットワークと専門職ネットワークの関係

1.【住民主体ネットワークと専門職ネットワークの橋渡し】

 CSWが行っている住民主体ネットワークと専門職ネットワークそれぞれのネットワーキングについて述べてきた。しかしながら、多くのCSWは住民主体ネットワーク構築と専門職ネットワーク構築それぞれを独立して行うのではなく、構築した後【住民主体ネットワークと専門職ネットワークの橋渡し】を行っていた。この【住民主体ネットワークと専門職ネットワークの橋渡し】は<住民と専門職の橋渡し>、<専門職発信で地域を巻き込む仕組み作り>という2つからなり、住民主体ネットワークと専門職ネットワークの橋渡しをすることにより、地域の住民・専門職全てを巻き込んだ地域福祉ネットワークの構築を目的とした活動であることが分かった。

 <住民と専門職の橋渡し>は、あるCSWが『住民のネットワークと専門職のネットワークというのは元々ありましたけども、それを合体させて地域福祉ネットワークというものを作った』と述べているように、住民と専門職の交流の場をセッティングすることで住民主体ネットワークと専門職ネットワークの橋渡しを目的とした活動であると考えられた。方法としては『やっぱ地域のサロンで、例えば「制度の説明に来てほしい」と言ったら私から包括支援センターの職員に「ちょっと今度来て、説明してあげて」とかいう感じで依頼したりとか』と述べられているように、住民主体ネットワークに専門職をつなぐといった形態で行われていた。

 <専門職発信で地域を巻き込む仕組み作り>は<住民と専門職の橋渡し>とは異なり、主に専門職ネットワークに住民を巻き込むことにより、専門職ネットワークの地域に対する理解を深め、また地域住民の専門職ネットワークへの理解を促進するための活動であると考えられた。あるCSWは『いやいや、専門職だけやなくて地域の民生委員とか、福祉委員さんも巻き込んでやろう』と述べており、地域に精通している民生委員や福祉委員を専門職ネットワークに巻き込む、という方法で行っていた。

 このように【住民主体ネットワークと専門職ネットワークの橋渡し】は、住民主体ネットワークに専門職を巻き込む、また専門職ネットワークに地域住民を巻き込む、という双方からのアプローチで行われていた。

 つまりCSWは、地域課題に対応するために必要性な住民主体ネットワーク、専門職ネットワークそれぞれの構築に取り組んでいた。しかし、単にそれぞれのネットワークが独立して機能するのではなく、地域全体を支えるために住民主体ネットワークと専門職ネットワークを連携させた地域福祉ネットワークの必要性を指摘し、この地域福祉ネットワークの構築にあたり【住民主体ネットワークと専門職ネットワークの橋渡し】を行っていた。

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以上、8回に亘り連載してきた、ネットワーキングについての分析結果は、地域包括支援センターの社会福祉士や社会福祉協議会の職員には、即役立つものと思っている。このような研究を、他にも積み重ねていき、ネットワーキングが容易に実施できるマニュアル化や理論化が必要であると思っている。今年は、昨年の成果を踏まえて、マニュアル作成まで到達したいと思っている。

 最後になったが、本研究を行うにあたり、多忙な業務の中、インタビュー調査にご協力いただきました11名のCSWの皆様に心より感謝申し上げます。

ケアマネジメントとソーシャルワークの関係27コミュニティ・ソーシャルワーカーのネットワーク調査(7)

2009年07月11日 | 社会福祉士
2.専門職ネットワークによる影響

 上記のようなプロセスを経て地域に専門職ネットワークが構築された後、専門職ネットワークによって【地域での協働】が行われていた。この【地域での協働】は<地域福祉を推進するための専門職間での連携(16)>、<専門職ネットワークを活用した個別ケースへの対応(37)>という2つの概念からなり、専門職ネットワークが地域に定着することによりもたらされる影響である。

 <地域福祉を推進するための専門職間での連携>は、地域の福祉を推進する上での土台となる専門職間のネットワークによる連携・協働であると考えられた。多くのネットワークに関係する専門職は、地域に関する認識の共有化やお互いの機能の理解を深めるために定期的な会議を持っている。このようにして認識の共有化が図られた専門職ネットワークは、地域を包括的に支援するための仕組みとして機能しており、専門職ネットワークが定着している場合には様々な地域課題に対するシステマティックな対応が可能となる。

 <専門職ネットワークを活用した個別ケースへの対応>は、上記の<地域福祉を推進するための専門職間での連携>と同様に専門職ネットワークのメンバーによる協働であるが、とりわけ個別ケースに対する支援における協働であると考えられた。地域には多種多様なニーズを抱えた要援護者が存在しており、それらの要援護者への支援は単一の専門職のみによる支援ではなく、様々な分野に精通した多様な専門職の協働支援が必要となる。地域において専門職ネットワークが支援システムとして機能している場合、それらの様々な個別ケースに対して適切なチープアプローチを提供することが可能となる。

 これらをまとめると、地域における支援システムとしての専門職ネットワークが機能することにより、地域における様々な個別ケース、また地域課題に対して包括的に対応することが可能となっていた。


「日本在宅ケア学会」理事長就任の挨拶文

2009年07月10日 | 論説等の原稿(既発表)
 「日本在宅ケア学会」の理事長に再任され、会員向けの「ニュースレターNo.2」での、挨拶文である。在宅ケアに関心のある研究者や実務者は是非会員になっていただき、学会発表や論文発表でもって、活躍していただいたいと思います。申し込みは、以下の通りです。1月23日~24日に聖路加看護大学で、第14回学術集会を開催します。

アドレス:http://jahhc.umin.jp/html/moushi.html

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 今年の3月14日の日本在宅ケア学会総会において,理事長に再任されました.これで,理事長として2期目に突入することになりますが,学会員の皆さんのご協力・ご支援をいただき,学会の発展に努めて参りたいと思っています.

 本学会は,介護保険制度創設に先駆けた1996年に創設され,今年で13年目を迎えます.この間,要援護者を地域で支えるコミュニティ・ケアをスローガンにして,在宅ケアへの社会の関心も高まり,約900名を擁する学会にまで順調に成長して参りました.学会の顔である学会誌についても,年に2号が刊行され,多くの投稿原稿を頂戴するようになった.ただ,日本の在宅ケアには多くの問題が山積しており,その課題解決に向けて,本学会の社会的な責任はきわめて大きいと言わねばなりません.それゆえ,当学会が直面している課題があることも事実です.

 本学会の特徴は,在宅ケアに関して,一つには研究者と実務者が交流を深めて多くの在宅ケアに関するエビデンスを蓄積してことにあります.もう一つは,在宅ケアに関わり医学,看護学,保健学,理学療法,作業療法,栄養学等の医療系の方々と,社会福祉学や介護学といった福祉系の方々が参加し,交流することで,在宅ケアの水準を高めていく学際学会ということです.

 ところが,前者の現状としては,研究者の割合が7割程度で高く,実務者の入会が最近は増加していますが,実務者の割合が低いのが現状です.今後の日本での在宅ケアを推進していく上では,実践現場からの参加者を増やしていく必要があります.後者の研究領域については,看護学の研究者・実務者が大多数を占め,とりわけ福祉系の研究者・実務者が少ない状況にあります.今後は看護学以外の研究領域からの研究者・実務者にも参加していただく方策が求められています.

 これらの課題の解決に向けて,今期より理事の定数を12名から16名に,評議員の定数を30名から40名に拡大させていただき,課題の解決に向けての基礎を作ることができました.今回選出された理事・評議員の皆さんと一緒になり,課題解決に向けて邁進して参りたいと思っています.

 一方,学会の財源基盤も安定してきており,実務者の会員が増えることができれば,事例・症例研究に関する雑誌の刊行も新たに企画していかなければならないと考えています.また,本学会の将来を担っていただくべく,若手の研究者・実務者の方に研究方法についての学習機会を作っていきたいと思っています.また,当学会の「倫理綱領」も今年できたことを受け,研究で倫理的な配慮をいかに進めていくのかについても一層検討していくことが求められています.さらに,学会としての社会的責任を果たしていくために,在宅ケアの従事する実践現場の皆さん向けの公開講座や,在宅ケアに関わっている家族等の社会に対する公開講座等,を推進していくことも重要となっています.
 
 以上のような活動を積極的に推進することで日本在宅ケア学会の発展に努めて参りたいと思いますので,是非とも会員の皆さんのご支援・ご鞭撻を頂きたいと願っています.

要介護認定制度は必要か

2009年07月09日 | 論説等の原稿(既発表)
 白澤教授のケアマネジメント快刀乱麻 第4回(シルバー産業新聞7月号)より再掲
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 4月から要介護認定に混乱が生じている。それは「個々の保険者間での2次判定の認定変更のバラツキをできる限り少なくする」ことを目的にして新たに導入された要介護認定項目に対して疑義が生じたからである。現実に、従来からの利用者については、新たな認定調査で要介護度が低く出た場合には、以前の認定でもよいとのことになっており、一方、新たに介護保険サービスの利用者になった場合は、新規の認定制度で確定してしまうことになっている。そのため、今年の4月を境に、以前からと以後の認定者では、ダブル・スタンダードの認定制度になってしまっている。

 これについては、厚生労働省内に設置された要介護認定の検証委員会で、4月以降の要介護認定結果について精査し、認定項目について議論されることに期待している。

 この要介護認定について、現在大きく二つの議論がある。第一は、個々の利用者に必要な介護の程度はどのような変数でもって測ることができるのかの議論である。この議論については、私は、単に利用者の身体機能状態項目だけで要介護度は測れず、「心理状態」の項目や「社会環境状態」の項目が必要不可欠であると主張してきた。詳しくは、私のブログ(http://blog.goo.ne.jp/sirasawamasakazu)を参考にして頂きたい。

 従来は、利用者の身体機能面や行動・心理症状でもって要介護の程度を捉える変数としていたが、新たな認定では、「心身の能力」、「障害や現象(行為)の有無」、「介助の方法」の3つの評価軸に分けた。結果的に、「介助の方法」が変数に入ってくることで、心身面だけでなく、介護者や住環境といった変数が関わることになり、新たな認定項目は理論的整合性を崩してしまったのでないのかと思っている。ただ、こうしたことは、今まで議論することを避けてきた、介護の必要な程度はどのような変数により決まるのかを議論するスタート台に着けたのではないかと考えている。

 私自身は、個々の利用者の要介護の程度なり時間は身体的な機能でもって決まるのではなく、心理的な状態や家族の介護力や住環境によって異なるものであり、主として身体的機能の調査項目でもって決定していること自体に、現在の認定項目は問題があると考えている。一方、介護保険では、家族の介護力を評価しないで、要介護度を認定することになっており、家族の介護力についてどのように位置づけ、要介護認定をしていくかについて、国民のコンセンサスが必要になってきている。
要介護認定についてのもう一つの議論は、要介護認定制度そのものが本来必要なのかどうかについてである。私も共同代表をお引き受けしている「介護保険を維持・発展させる1000万人の輪」が主催し、介護保険制度についての六党の国会議員による政策討論会が先般開かれたが、そこで、現在混迷している要介護認定制度について将来どうあるべきか、六党の国会議員に尋ねた。そこでは、ニュアンスの違いはあるが、当然、様々な条件を付加しての話であるが、ほとんどの政党が「要介護認定制度」は必要ないのではないかという意見であった。

 私自身も将来的にはそのような制度にもっていく必要があると考えていたが、今までは現実離れしたように思われるのでとの気持ちから、話すことがはばかれてきた。その意味では、多くの国会議員が私に代わって、発言してくれたことでほっとした。

 確かに、現在要介護認定には、在宅の要介護・支援者は要介護度によって決められている支給限度額の平均4割程度しかサービスを利用していない事実をもとに考えても、不要論がまかり通るであろう。同時に、現在要介護認定に関わる事務経費に年間400億円から500億円が使われており、さらに市町村に設置されたコンピューター関連費用を含めれば年間2000億円という推計もあり、これが利用者の直接サービスに回ることができれば、そのメリットは極めて大きい。

 ただし、要介護認定制度を廃止するためには、これにより、利用者が適正なサービスが利用できるようになるかどうかということである。このためには、二つのことが達成されることが条件である。ケアマネジャーの専門性が高まり、ある利用者に対してどのケアマネジャーが担当しても、ほぼ同じサービスが提供できる水準に到達させることである。同時に、中立公平にケアプランが作成できるような体制を作ることである。但し、後者については、決して公的機関がケアプラン機能を担うことではあるまい。現状の民間機関でそうした体制を作り上げる創意工夫が求められている。

「日本ソーシャルワーク学会」に期待する

2009年07月08日 | 社会福祉士
 「日本社会福祉実践理論学会」が、先日開催した総会で、「日本ソーシャルワーク学会」と名称変更した。これは、数年前に、私が委員長となり、同志社大学の小山隆先生や関西学院大学の武田丈先生と一緒に、当学会のあり方委員会が提唱したことの重要なテーマのひとつであったので、感激もひとしおである。

 「名は体を表す」ということで、名称変更した学会に期待したく、そうした志向をもって私自身も参加していきたいと思っていることを、5点書き留めておきたい。また、先日のこの学会のシンポジウム「領域」拡大について、コメンテーターとして参加しての思いも合わせて述べておく。

 1 ソーシャルワークの研究は実践現場と研究現場が一体化することで、進んでいくものである。そのため、学会にもっと実践現場の方が参加する土台を作っていただきたい。アメリカでもイギリスでも、メインの雑誌である「Journal of Social Work」や「British Journal of Social Work」は職能団体である全米ソーシャルワーカー協会(NASW)や英国ソーシャルワーカー協会(BASW)の発行であり、学会も無く、NASWの会議で対応している。実践の学としてのソーシャルワークを発展させるためには、実践現場とのつながりが不可欠である。

 2 ソーシャルワークの研究は、地域という面的な対象をベースに、個々人や組織・団体を支援することであり、地域社会をいかに耕し、いずれの個々人も居場所を得られるように作り上げていく方法を確立していかなければならない。そのためには、従来の個人を対象に支援することから、広くソーシャルワークの研究を行い、報告し、積み重ねていく学会であっていただきたい。

 3 ソーシャルワークも、善し悪しに関わらず、徐々に保険の世界で仕事をしなければならない時代を迎えている。その意味では、研究で明らかになったエビデンスを整理し、それをもとに、診療報酬や介護報酬に反映していくシステムづくりが求められている。これには、日本社会福祉士会や精神保健福祉士協会との連携をどのように構想していくかである。このテーマは緊急を要することであり、同時にこれが促進できれば、自ずと実践現場の方々が会員になってくれることにつながっていくと思われる。

 4 ソーシャルワーカーの継続教育は現在は日本社会福祉士会や日本精神保健福祉士協会、あるいは日本医療社会事業協会といった職能団体が担っている。しかしながら、こうした継続教育の責任の一端は学会にもあり、本来この学会はこうした継続教育を担っていくに最もふさわしい団体であると考えられる。そのため、学会内で陣容をそろえて、そうした活動に向けてスタートしていただきたい。  

 5 ソーシャルワークが領域の拡大し、様々な場面で活躍することで、個人に対する支援だけでなく、地域に対する支援においても、より現実的なエビデンスが示され、様々な領域での実践のエビデンスを合わせて、全体としてのエビデンスを積み重ねることができるため、学会もアカデミーの世界から、領域の拡大を積極的に関わる必要がある。なお、こうした活動を積み重ねることにより、現状では時期尚早である、領域別の専門職大学院が構想されていくことになろう。

    

売れている『ストレングスモデルのケアマネジメント』への追加的意見

2009年07月07日 | 社会福祉士
 私が書いた書籍の売れ具合をアマゾンでチェックしていたら、先般発売になった『ストレングスモデルのケアマネジメント』(ミネルヴァ書房)は、高齢化社会の部門で第1位となっていた。但し、この1位という数字は数時間ごとに変化しており、最大瞬間風速であることもお断りしておきたい。急に、勢力が劣ろえるかもしれない。


 著者としては、多くの人に読んでいただけるわけだから、大変光栄である。

 この著書へのご意見を数人から頂戴している。そこで頂いたご意見について、私の考えを述べておきたい。

 ここでは、この著書でも述べている「医学モデル」と「生活モデル」の関係についての私の考えを述べておきたい。ここで、この議論をする前に、医学モデルと生活モデルの定義が必要である。ただ、これを正確に定義することは難しいため、ここでは、医学モデルは「治すこと」に着目することとし、生活モデルは「生活すること」に着目するという抽象的なものに留めていく。

 意欲、嗜好、能力といったストレングスを捉えることは、「医学モデル」ではなかった。さらに、1970年代に起こってきた「生活モデル」の潮流は、人と環境との関連性に着目し、両者の関係から問題が生じることを示した。その意味では、生活モデルは、原初的な形態から、ストレングスの思想を注入することにより、次の段階に入ってきたといえる。

 その意味では、医学モデルと生活モデルの関係について、医学モデルは現在でも必要不可欠であり、原因を探り、問題を究明し、ひいては治していくことは極めて重要であると認識している。そのため、医学モデルは今後も一層発展させていくことが大事である。

 しかしながら、「治らない」人々や、場合によっては「治ること」よりも「良い生活をすること」に関心を向ける人々が増えてきている。こうした人々に対しては、「生活モデル」での対応が必要となってくる。

 同時に、両方のモデルは同時に対応することになり、一体的な適切な支援ができたり、時には矛盾することが生じたりすることになる。その際に、利用者側の自己決定が大きな意味をもつことになる。

 以上の結果、医学モデルと生活モデルは対立するものではないと言うことを述べておきたい。WHOが2001年に提案したICFでは、医学モデルと社会モデルを対立軸にしており、ICFはそのどちらでもなく、両者を統合したものとの考えを示している。その意味では、医学モデルなり社会モデルがモディファイされて、生活モデルが生まれてきたともいえる。但し、生活モデル自体もストレングスの思想を取り込んで、発展を遂げているといえる。

忘れ物のトップ

2009年07月06日 | 社会福祉士
 先日は、私にとって、忘れれば、その日の仕事ができず、無くなればパニックに落ちる「三種の神器」の話をし、失態をさらけ出した。

 本当に、良く忘れるものである。私が最もよく忘れる物は、「長い傘」である。何本忘れたかは分からないほど、よく忘れてきた。「折りたたみの傘」はそんなに忘れることはない。それは、鞄と傘の2つに分けてもっていると、忘れてしまうことになる。折りたたみの傘であれば、ビニール袋に包んで、鞄に入れることで、忘れることを予防できる。

 「長い傘」でもどういう訳か、ブランド物の傘ほど忘れることが多い。そのため、溜まっているのは、どれも300円や500円の傘である。逆に、最近は、無くすので、ブランドの傘を買うことはない。

 一時は、傘に名札をつけてもらったが、これは何の役にも立たない。なぜなら、見つけてくれたとしても、99%がそれは見知らぬ人であるからである。一番良いのは、折り畳みの傘が安全であることは確かであるが、これは激しい雨の場合には、あまり役に立たない。

 この梅雨時、いくつ傘を無くすのであろうか。自宅も大学も、まだまだ、安い傘をいくつもストックしているので、無くしても当分は大丈夫だと思っている。