今回を2025年の高齢者ケアのあり方の最終回としたい。そこで、今まで私自身が要介護状態になった場合に、どのような施策を実施したり、社会のあるべき仕組みについて考えてきた。最後に、その際に、私はどのように生きていくのかについての現状での気持ちをまとめておきたい。
少し古い話になるが、1982年にデンマークは高齢者福祉の3つの理念を作り上げました。これは、現在でも、2025年にも通じるものであると考える。第1が、「自立の支援」であり、高齢者自らが自己決定や自己選択していくよう支援することである。第2は、「残存機能の活用」であり、高齢者自らが有している能力や意欲を最大限に活用するよう支援することである。最後の「ケアの継続性」は、高齢者の様々なニーズに合わせて継ぎ目のない(シームレス)サービスを提供し、さらに高齢者のニーズの変化に合わせて継続的に支援していくことである。
こうしたことが2025年の高齢者ケアにおいても基本になると思う。ただ、本音を言うと、このような支援では、息が詰まる生活になるのではないかという気持ちをもっている。第1の「自立の支援」については、自己決定・選択ができない状況が起これば大変困るが、こうしたことが選択や決定を基本的に保障されている社会であれば、自らの人生でさほど重要でないことまで、自分で決めなくても良いと思っている。むしろ、他の人に決めてもらった方が楽な部分もある。
これについて、先日の2月14日に近畿介護支援専門員研究大会が和歌山県田辺市で行われ、そこで鼎談「ケアマネジメント力と“じりつ”支援」を私がコーディネーターとなり行った。鼎談者は、立命館大学大学院先端総合学術研究科の立岩真也先生と愛知淑徳大学医療福祉学部福祉貢献学科の谷口明広先生であったが、立岩先生が「自立は大切であるが、最も大切なことではない」といった発言をされた。この発言は私の気持ちと相通ずるものがある。ただ、その場合には、最も大切にしなければならないものは何かの議論が必要であったのかもしれない。
第2の残存機能の活用についても、理念的にはその通りである。しかしながら、元来から怠け癖のある私にとっては、常時残存機能を活用する自信がない。努力はしたいが、時には怠けることも認めてくれる2025年であって欲しい。これは、よく要介護者が毎日必死になりリハビリに励み、身体状態が完全に改善された事例をきくと、素晴らしいと感激はするが、私は努力はするが、そこまで必死にやれる自信がないし、必死にやるよう命令されと困ってしまう。
これら、第1の自立支援や、第2の残存機能の活用についての私の思いは、他の人にはないのだろうか。私だけが、少しはさぼりながら、怠けながら、基本的には、自己決定や残存機能を活用して生きていきたいのであろうか。
第3のケアの継続性については、今までもブログで書いてきたように、その時その時に必要な支援が得られ、私が変化するにつれて、支援の内容を修正していって欲しい。
2025年の団塊世代のケアは難しそうである。きめ細かい個別的な支援が求められているといえる。
少し古い話になるが、1982年にデンマークは高齢者福祉の3つの理念を作り上げました。これは、現在でも、2025年にも通じるものであると考える。第1が、「自立の支援」であり、高齢者自らが自己決定や自己選択していくよう支援することである。第2は、「残存機能の活用」であり、高齢者自らが有している能力や意欲を最大限に活用するよう支援することである。最後の「ケアの継続性」は、高齢者の様々なニーズに合わせて継ぎ目のない(シームレス)サービスを提供し、さらに高齢者のニーズの変化に合わせて継続的に支援していくことである。
こうしたことが2025年の高齢者ケアにおいても基本になると思う。ただ、本音を言うと、このような支援では、息が詰まる生活になるのではないかという気持ちをもっている。第1の「自立の支援」については、自己決定・選択ができない状況が起これば大変困るが、こうしたことが選択や決定を基本的に保障されている社会であれば、自らの人生でさほど重要でないことまで、自分で決めなくても良いと思っている。むしろ、他の人に決めてもらった方が楽な部分もある。
これについて、先日の2月14日に近畿介護支援専門員研究大会が和歌山県田辺市で行われ、そこで鼎談「ケアマネジメント力と“じりつ”支援」を私がコーディネーターとなり行った。鼎談者は、立命館大学大学院先端総合学術研究科の立岩真也先生と愛知淑徳大学医療福祉学部福祉貢献学科の谷口明広先生であったが、立岩先生が「自立は大切であるが、最も大切なことではない」といった発言をされた。この発言は私の気持ちと相通ずるものがある。ただ、その場合には、最も大切にしなければならないものは何かの議論が必要であったのかもしれない。
第2の残存機能の活用についても、理念的にはその通りである。しかしながら、元来から怠け癖のある私にとっては、常時残存機能を活用する自信がない。努力はしたいが、時には怠けることも認めてくれる2025年であって欲しい。これは、よく要介護者が毎日必死になりリハビリに励み、身体状態が完全に改善された事例をきくと、素晴らしいと感激はするが、私は努力はするが、そこまで必死にやれる自信がないし、必死にやるよう命令されと困ってしまう。
これら、第1の自立支援や、第2の残存機能の活用についての私の思いは、他の人にはないのだろうか。私だけが、少しはさぼりながら、怠けながら、基本的には、自己決定や残存機能を活用して生きていきたいのであろうか。
第3のケアの継続性については、今までもブログで書いてきたように、その時その時に必要な支援が得られ、私が変化するにつれて、支援の内容を修正していって欲しい。
2025年の団塊世代のケアは難しそうである。きめ細かい個別的な支援が求められているといえる。