ソーシャルワークの TOMORROW LAND ・・・白澤政和のブログ

ソーシャルワーカーや社会福祉士の今後を、期待をもって綴っていきます。夢のあるソーシャルワークの未来を考えましょう。

ケアマネジメントとソーシャルワークの関係 ⑪障害者ケアマネジメントへの国の対応(2)

2009年05月30日 | 社会福祉士
 それから6年経った2001年に、再度障害保健福祉部から、「障害者ケアマネジメント体制整備検討委員会」の委員長を引き受けてほしいという依頼があった。そこでは、三障害を合わせた、ケアマネジメントのガイドラインを作りたいということであった。

 その時に印象は、ここまで来るのに、数年間遠回りしてしまったとというのが実感であった。そこでの評価は、分科会で検討していくことは否定しないが、常に分科会の内容をまとめ、障害者全体に対するケアマネジメントをどのようにしていくのかを統括していく責任主体がなかったのではないということであり、怒りのようなものがこみあげてきたことを覚えている。ただ、当時の専門官の坂本洋一さん(現、和洋女子大学教授)に説得され、その重要性を分かっていたため、委員長をお引き受けすることにした。

 この委員会には、以前に参加した1996年の委員会にはなかった雰囲気があった。それは身体・知的・精神の三障害の当事者の方が参加されていたため、専門家と衝突する場面も多くみられた。ただ、私にとっては、ここまで発言してくれる当事者の意見を出来る限り大切にして、まとめていったつもりである。同時に、これこそが、本来に委員会の仕組みであると実感すると共に、新鮮かつ面白いものがあった。
 
 ただ一点、私と身体障害者の団体の方とで、意見の相違がみられた。それは、ケアマネジメントが必要かどうかといった根本問題に関わることであった。彼らは、当然ケアマネジメント不要論であった。そのため、委員会とは別に、インフォーマルに彼らと会って、話し合いをすることが多かった。この機会は、私にとっては、とても良い機会になったと思っている。

 ある話し合いの時に、ある当事者の言葉が、今でも心のどこかにとげが刺さった状態である。それは「何が困っているかのニーズは、専門家より、本人が最もよく知っている」という言葉であった。このことは学問的には、利用者のフェルト・ニーズ、専門家のノーマティブ・ニーズ、両者を一致させるリアル・ニーズという概念で、ブラッドショーの考え方をもとに整理してはいたが、現実の専門家に利用者と一緒になりリアル・ニーズを作り上げていく人材がどの程度いるかを考えた時に、何も反応できなかったことを鮮明に覚えている。一方、現実には、主として身体障害者を対象とした場合には、自らがケアプラン費用をもらって、自らがサービスを手配するダイレクト・ペイメントの制度が海外で広がっていることも承知していた。

 そうした中で、私はケアマネジメントを以下のように説明し、理解を求めた。ケアマネジメントは専門家と利用者の共同作業を実施していくものであり、ある利用者には、専門家が1%しか関与しない場合もあれば、別の利用者には、専門家が99%関与する場合がある。このことについて、ケアマネジメントは決して専門家が決めるものではないことを強調したが、理解してもらったのかどうかは分からないが、ソーシャルワークの視点が取り入れられたという思いであった。ソーシャルワーカーは。障害者のアンチ専門職の視点を見直してもらう人材になれるのではないかと思った。

 こうして、「障害者ケアガイドライン」(2002年、厚生労働省社会・援護局障害保健福祉部)を作成することができた。

 ここで、一応、三障害に共通するケアマネジメントの方向を示すことができたと思っている。ただ、その後、支援費から障害者自立支援法に至る中で、ここで述べたような仕組みを上手く作れていないのが現状である。そのため、多くの障害者の関係者が、必要な人にケアマネジメントが利用できる仕組みを作ることを訴えており、今回の障害者自立支援法の改正に期待をかけている。同時に、障害者から教えてもらった、「ニーズは利用者が最も知っている」という視点を大切に、ケアマネジメントを導入していただきたいと思う。 

ケアマネジメントとソーシャルワークの関係 ⑩障害者ケアマネジメントへの国の対応(1)

2009年05月29日 | 社会福祉士
 高齢者でのケアマネジメント導入は、障害者領域に影響を与えた。ある意味、世界的に言えば、障害者領域でのケアマネジメントが先導してきたわけであり、当然の動向であったったと言える。

 これは、厚生労働省の障害福祉部のイニシアチィブで1995年に「障害者に係わる介護サービス等の提供の方法及び評価に関する検討会」という名称で始まった。その時には、板山賢治さんが委員長をされ、私が副委員長であったが、障害者全体でのケアマネジメントの枠組を議論し、そのもとで三障害の分科会が作られた。そこでの報告書が、『「障害者に係わる介護サービス等の提供の方法及び評価に関する検討会」中間報告』((財)日本障害者リハビリテーション協会、1996年)であるが、実際にモデル事例を積み上げた、それなりの報告書になったと思っている。

 地方から出てきた私には、この委員会は今後も続くものと思っていたが、翌年からは、三障害別にそれぞれ分科会を進めていくことになり、分科会が独立して引き継いでいった。これを知った時、ただただ唖然とした。確かに、三障害では、個々の障害特性は異なり、生活上の課題も異なることも事実である。ただし、そこで実施されるケアマネジメントの基本は同じ内容であるため、障害者全体を対象にしたケアマネジメントについて検討するものと思っていただけに、釈然としなかった。ただ、多くの事情の中で、そうした分化が起こったのであろう。そのことが、その後の大きな問題を引き起こすことになった。それは、次回に書くことにする。

 その意味では、数年間、三障害別で委員会が進められ、成果としては、障害別にケアマネジメント従事者になるための研修体系が作られ、それが実施されたことである。これにより、介護保険制度のような試験制度ではなく、基礎資格を問わないものであったが、多くの障害関係者がケアマネジメントについて理解を広げていくことができたと評価できる。ただ、三障害が別々で実施されており、どのように統合していくのかが課題であった。 

ケアマネジメントとソーシャルワークの関係 ⑨介護保険への導入での戸惑い

2009年05月28日 | 社会福祉士
 介護保険制度が構想され、そこにケアマネジメントを導入していくことが鮮明になっていった。そのため、私も井形先生が委員長をする委員会の委員として、介護保険制度の枠組みを作ることに関わってきた。

 今だから話せる当時の私の戸惑いを書いておく。

 1 保険制度にケアマネジメントを導入することに戸惑いがあった。さらに言えば、反対の思いがあった。その最も大きな理由は、介護保険の枠内にケアマネジメントが取り入れられることの心配であった。理論的に言えば、ケアマネジメントは介護保険より大きい概念であり、介護保険のサービスも利用者が活用する社会資源の一つに過ぎないからである。

 これについては、大きな財源が入ってくる時でないと、全国レベルでケアマネジメントの仕組みは作れないということで、妥協した。ただし、ここでの問題は、ケアマネジャーの教育なり研修で対応するしかないと覚悟した。

 2 在宅介護支援センターが介護保険制度のケアマネジメント機関になることがベストであると考え、当時の老人福祉課長に直訴した。直訴の内容は、介護保険創設時には4万人のケアマネジャーが必要とのことであったので、在宅介護支援センターを1万ヶ所で2万人から、2万ヶ所で4万人とし、センターを法人から独立させる仕組みを作るべきとの内容であった。

 これは、在宅介護支援センターは良くやっているところもあれば、やっていないで補助金をもらっているセンターもあるということで、私の直訴はかなわなかった。

 ただ、委員会では、毎回のようにケアマネジャーになれる専門職が増えていったが、これには、委員会に参加している者が、職能団体から来られている場合が多く、自らの専門職を突っ込まなければならない状況があり、他の専門職にきつくあたれなかったのが、当時の状況であろう。

 この時に、私はソーシャルワークについては、社会福祉士だけでなく、医療ソーシャルワーカーや新たに制度化された精神保健福祉士が資格者になった欲しかった。なぜなら、医療ソーシャルワーカーや精神保健福祉士の方が、施設のソーシャルワーカーが中心である社会福祉士より、ケアマネジメントと類似のことをやっており、やっていただけると期待したからである。

 そのため、日本医療社会事業協会の会長に積極的に参加するよう厚生省に働きかけて欲しいと要請した。一方、日本社会福祉士会の会長にも、幅広くソーシャルワーカーが参加できるために、協力を求めるため、事務局まで出向いていったことを記憶している。結果としては、病院での相談業務に従事している者についても、国家資格を有しているわけではないが、受験できる対象に加えてくれることになった。

 ただ、現実としては、在宅介護支援センターのリーダーであった人々が、介護保険制度ができた当時のケアマネジメントを牽引していった。その意味では、在宅介護支援センターが居宅介護支援事業者に移動していったということであった。その際に、両者を比較した場合、職員の能力を高めることで職員の資質は比較できないとしても、両者のどちらが公共的な仕事をできるかが論点であると、当時思った。

ケアマネジメントとソーシャルワークの関係 ⑧生活上のニーズをどう把握するか

2009年05月27日 | 社会福祉士
 在宅介護支援センターでの研修を行っていく上で、当時の私には解決すべき大きな理論的課題があった。それは、当時、文書で書かれたケアプランを作ってもらうために、図のような用紙を考案し、この用紙にアセスメントデータをもとに、ケアプランを作成してもらう演習を行うことにした。

 
 そのため、センター職員を対象とした研修での演習は、ケアプランの作成がメインとなった。この演習の狙いは、文書にプランを書くことで、ケアマネジメントを利用者を始め誰にでに分かってもらい、また支援の結果についても評価できるようにしたかったからである。

 そこで、この表では、まずは全ての「問題・ニーズ」を書き、次の、個々の「問題・ニーズ」について、次の横に「望ましい目標・結果」「援助計画」「援助供給者」の順で書いてもらうこととした。

 ただ、「問題・ニーズ」はどのようにして導きだし、どのように書くのかを、研修に受けに来られた方々に説明する必要があった。表を作った最初は、単に「生活上で困っていることを書く」ことにしていたが、アセスメント資料との関係で、生活上でのニーズをアセスメント資料からどのように専門家は引き出していくのかを明らかにすることが迫られた。

 ここが明確になれば、生活支援そのものが明確にできることになるが、ソーシャルワークの教科書もケアマネジメントの教科書にも、「ニーズ」の大切さやこれが基本であるとは書いてあるが、どのようにして捉えていくのかについては示されていなかった。

 そこで、ニーズについて、どんなことがあっても理論的に整理し、伝えることが求められた。そこで、ケアマネジャーが捉えるニーズは、単なる「ニーズ」ではなく、「生活ニーズ」として、数ヶ月かけて、苦悩しながら、事例を検討するなかで、「生活ニーズ」の捉え方、さらにはケアプランでの書き方を作り上げた。

 生活ニーズについては、身体面、心理面、社会面での相互関連性のもとでの不適合から生じるとし、そこで明らかになった「困っている問題をどのような目標なり結果に向けていくか」を示すことが、生活上での「ニーズ」とした。そのことは、身体面、心理面、社会面の力動的な関係を書き、そこから困る問題を導き出すまでを「問題点・ニーズ」に記述し、この問題を解決していく目標や結果を「望ましい目標・結果」に書くことで説明することにした。

 この考えは今も変わっておらず、さまざまな身体面、心理面、社会面の項目を星にたとえ、これらの星を繋いでいくことでニーズを捉えていくことから、ニーズを星座として捉え、このようなニーズの捉え方を「星座理論」として広めてきた。なお、現在研究しているストレングスモデルは、身体面、心理面、社会面の星について、マイナスの星だけでなく、プラスの星も探し、結びつけていこうということである。

 これを明らかにすることで、ケアマネジメントのニーズはソーシャルワークのニーズと捉え方が同じであるということになった。ここで、いずれも利用者の生活を支援することは、ケアマネジメントもソーシャルワークも同じことであるということで、理論的な整理をした。

 ただし、ソーシャルワークはもっと幅広い業務があり、この業務とどのように関連づけるかが課題であると認識した。そのため、いくつかの論文や雑誌で、この当時「ニーズ論」を展開してきた。

 この当時書いた論文としては、以下のようなものがある。
●「ニーズとは何か」白澤政和、『保健婦雑誌』第53巻 第12号、pp.963~969、1997年
●ニーズ・アセスメント入門-星座理論とストレングスモデル」白澤政和、『ケアマネジャー』創刊号、pp.30~35、1999年
●『利用者のニーズに基づくケアプランの手引きー星座理論を使ってー』白澤政和監修、ニッセイ基礎研究所編、中央法規出版、pp.1~191、2000年

 追加しておくと、この図のケアプラン用紙は、現在介護保険制度の介護支援専門員の居宅サービス計画書(2)や施設サービス計画書(2)と、極めて類似している。ある意味、あの当時、特許でも取っておけば良かったといった少しの残念感と、介護保険制度でも活用されたことの誇りが入り交じる心境である。

ケアマネジメントとソーシャルワークの関係 ⑦ケアマネジャー人材の養成

2009年05月26日 | 社会福祉士
 在宅介護支援センター協議会では、国レベルだけでなく、都道府県レベルで、在宅介護支援センターでの職員を対象に、ケアマネジャーとして育成していく研修が頻繁に行われた。当時の研修会には、厚生省の当時の担当の老人福祉課長であった辻哲夫さん、中村秀一さん、青柳親房さん等が、在宅介護支援センターにかける思いを語ってくれた。関わってくれた職員も新たな仕事と、そこでの斬新さに、意欲を持ってくれとことが嬉しかった。

 全国研修での講師人としては、私が主として「ケアプラン作成」の講義や演習を担うことが多かったが、「面接」についての講義や演習には関西学院大学の渡部律子さんや当時東京都老人問題研究所の病院でワーカーをされていた奥川幸子さんが担ってくれることが多かった。ほんとに多くの方々の協力で、研修は行われた。

 恐らく、全国在宅介護支援センター協議会(当時の会長は岩田克夫さん)では、ケアマネジャーを育成していくことを最大の使命にしていたものと思われる。頻回に研修会を開いており、全国での研修内容をモデル研修とし、そこで育成された職員が各都道府県で研修を実施できるように、以下のワークブックを全国在宅介護支援センター協議会が作った。それらは、『在宅介護支援センター現任研修モデル開発調査研究事業報告書Ⅰ』(全国社会福祉協議会、1996年)と『在宅介護支援センター現任研修モデル開発調査研究事業報告書Ⅱ「在宅介護支援センター現任研修指導者養成モデル研修会テキスト(ワークブック)」』(全国社会福祉協議会、1996年)である。

 1990年から本格的に設立されていった在宅介護支援センターには、その法人の優秀な人材が配置され、彼らをケアマネジャーとして養成することであった。この研修会を通じて、多くの人材が輩出されていった。その中で、最もケアマネジメントの方法に興味と熱意を示してくれたのがソーシャルワーカーであったと思っている。これは、ソーシャルワーカーの場合、従来学習してきたことが抽象的であり現場に落としにくかったが、ケアマネジメントに出合うことで、ソーシャルワーカーの仕事を見いだしてくれたといった印象が強い。

 その彼らの多くは、現在ではケアマネジャー界や社会福祉士界のリーダーとなり、また多くが大学の教員となり、後進の指導に当たっている。その意味では、在宅介護支援センターが作られ、そのでの職員研修は、ソーシャルワーク人材を作りことに大きく寄与したと思っている。

 ここでのは私の願いは、文書化された「ケアプラン」を利用者と一緒に作成することを習得してもらうことにあり、そのことが専門性を高めるものと確信していた。そのため、意気込みをもって研修に埋没していったが、私には1つとっても大きな課題をもっていた。それは、次回に詳しく綴ってみる。

福祉用具専門相談員の役割

2009年05月25日 | ケアや介護
 介護保険制度では様々な介護サービスが利用できるようになっているが、訪問入用サービス、福祉用具レンタル、福祉用具販売、住宅改修については、個別援助計画の作成が義務づけられてない。

 ケアマネジャーのケアプランに対応して、個々のサービス事業者は個別援助計画を作成する。訪問介護であれば、訪問介護計画が作成され、それに基づいて担当ヘルパーが業務を実施することになっている。

 ところが、上で述べた4つのサービスについては計画の作成を義務づけていないが、訪問入浴サービスについては、介護サービス情報の公表において、「訪問入浴サービス計画」の作成を調査項目の一つにしており、そうした訪問入浴サービス計画の作成に関する著書『訪問入浴介護サービス従事者研修用テキスト―訪問入浴介護の理論と実際』も刊行されている。そのため、現実には「訪問入浴介護サービス計画」の作成は普遍化している。

 一方、福祉用具レンタル事業についても「福祉用具レンタルサービス計画」が不可欠であると思っている。介護保険制度下で、住宅改修や福祉用具販売は一過的なサービスであるが、訪問入浴や福祉用具レンタルは、利用者の心身機能や介護者や住環境の変化により、変化する利用者のニーズに対応して、サービス内容を修正していくことが必要である。

 そこで、最近、全国福祉用具専門相談員協会が「福祉用具個別援助計画書」の様式を提示している。この計画書をベースに福祉用具専門相談員は計画の作成を積み重ね、専門性を高めていってほしいと思っている。

 福祉用具のレンタルは、販売とは異なり、常に利用者の変化を理解しつつ、利用者の変化に合わせて、レンタルする福祉用具も変化していくことになる。その意味では、福祉用具レンタルサービスは、他の介護サービス事業者と一緒で、モノではなくサービスを提供しているということである。そのため、モニタリングの業務が大切であり、利用者の状況に変化を把握していくことが重要である。当然、評価の基準としては、どの程度福祉用具専門相談員は利用者宅を訪問しているのかが、大きな要素となってくる。

 現実に、初回のサービス担当者会議には、福祉用具専門相談員が参加している割合が高く、チームケアの一員として認識されていると言える。次のステップとしては、他のスタッフが持ち寄る計画書を、福祉用具専門相談員も持ち寄れるようにしたいものである。その結果、福祉用具専門相談員も要介護者等を支える訪問介護員等と同等のチームメンバーになってほしいと思う。

ケアマネジメントとソーシャルワークの関係 ⑥ケアマネジメント・システムの必要性(2)

2009年05月23日 | 社会福祉士
 一方、国の方でも、ケアマネジメントを推進していく仕組みが議論され始めた。これは、実質厚生省に作られた「高齢者在宅ケア・ケースマネージメント研究班」という委員会が、ケアマネジメントの仕組みを提案することになる。

 1989年の秋口のある日、大学に当時の厚生省老人福祉課長をされていた辻哲夫さんから電話がかかってきた。うろ覚えであるが、私が書いたケアマネジメントの論文を読んでおり、そうしたことを日本で実現させたいので、一度会って欲しい、というものであった。今になると赤面するが、当時の私は田舎侍であり、厚生省課長の地位や権限の大きさも分からず、また東京に行く機会も少なかったこともあり、「大変忙しいので、時間がとれない」という発言をしたことを記憶している。ただ、日本社会事業大学が清瀬に移転したことで、日本社会福祉学会第37回大会(1989年)が日社大で開催され、その日には学会発表も兼ねて東京に行く予定があり、清瀬であれば会うことができるということで、お会いすると約束をした。

 学会1日目の夕方に日社大に到着したが、受付で石井哲夫先生が待っておられ、新しくできた大学の学長室で、始めて辻哲夫さんにお会いした。辻さんは極めて温厚な方であり、わざわざ、霞ヶ関から清瀬まで来られ、私を何と無礼な者であると映ったかと思うと、今でも汗をかく。

 そこで、ケアマネジメントについて説明をさせていただいたが、辻さんからは、日本に導入するために、研究会を作りたいという申し出を受け、委員の人選も任されることになった。当時40歳の私には、全国規模に人選することも難しかったので、大阪を中心に委員を選んだ。当時、老人福祉施設協議会会長の岩田克夫氏、大阪市で「3層5段階のネットワーク」づくりを担っていた伊藤光行氏、当時厚生省から大阪府に出向してきていた金子洋氏、といった面々にお願いした。

 その時の報告書が『高齢者在宅ケア・ケースマネージメント研究班報告書』(財団法人長寿社会開発センター、1991)であり、この報告書をベースにして、ゴールドプランの中に「在宅介護支援センター」が位置づけられ、中学校区に1ヶ所設置し、全国で1万ヶ所という構想が打ち出されることになる。その意味では、厚生労働省は、ケアマネジメントを介護保険で始めて構想ではなく、その10年前から議論し、試験的に実践をしてきたことを考えると、長期的な展望に立った、たいしたものであると感心する。

 追加してこの当時の全国的な動きとしては、全国社会福祉協議会が、厚生労働省での委員会ができる約数ヶ月前に「ケースマネージメント研究委員」を立ち上げていた。ここでは、前田大作先生(当時、東京都老人問題研究所部長)が委員長になり、私もそのメンバーに加えていただいた。事務局は、和田敏明部長、渋谷篤男副部長といった豪華な組み合わせの高年福祉部がイニシアチィブをとっての事務局であった。そこでの研究成果が、『ケースマネージメント』(ケースマネージメント研究委員会編、全国社会福祉協議会出版,1990年)として刊行され、販売された。

 全社協高年福祉部は、ゴールドプラン以降に、在宅介護支援センターを束ねる全国在宅介護支援センター協議会の事務局を担うことになり、この研究会成果を基礎にして、在宅介護支援センターでの職員研修システムやその実践を積み重ねることに貢献した。その結果、多くの優秀なケアマネジャーを全国各地に育成することができた。

 この国の動向は、私自身も後から整理して分かることになるが、従来の日本にはなかった、利用者を中心とした視点に立ち、利用者にサービスをデリバリー(配達)していく仕組みを作ることを目指すものであった。このような在宅介護支援センター設立で一番思い出深いのは、報告書にどこまで言及したかどうか分からないが、当時の辻課長には何回か話しをした、カナダのマニトバ方式が在宅介護支援センターに取り入れられたことであった。どのような人材をケアマネジャーとして育成していくべきかで、カナダのマニトバ州では、初回訪問はいずれも大学院卒のレジスター・ナースとマスター・ソーシャルワーカーが行い、次回以降は、利用者の問題が身体的側面が大きい場合にはナースが、心理社会的側面が大きい場合にはソーシャルワーカーが担当することであった。これが取り入れられ、在宅介護支援センターは、ソーシャルワーカーと看護師、または保健師と介護福祉士というどちらかの組み合わせであることが条件となった。 

 このようにして、ケアマネジメント実践を進めていく地盤をつくりあげていく時期と入っていった。まさにオースチンが、ケアマネジメントには、ケアマネジメント・プラクティスとケアマネジメント・システムが必要である述べたが、まさにケアマネジメント・システムが模索されたといえる。これは、私からすれば、地域で活動するソーシャルワーカーの職場を確保するという気持ちであった。ただ、創設時は、職種名は「ソーシャルワーカー」であったが、何年かしてから、「社会福祉士等のソーシャルワーカー」に要綱が変わった。

ケアマネジメントとソーシャルワークの関係 ⑤ケアマネジメント・システムの必要性(1)

2009年05月22日 | 社会福祉士
 ケアマネジメントの研究を進めていると、そうした支援を可能にする地域社会のシステム作りが必要であるとの思いが強くなってきた。理論的には、カナダのカルガリー大学のオースチン教授が、ケアマネジメントには、ケアマネジャーを育成し実践していく側面と、ケアマネジメントを可能にする制度的な仕組み作りの側面があると言っているが、後者についてであった。

 このことは、私の中では、2つの方向で進んでいったと考える。それは、大阪市といった政令指定都市を中心とした自治体での努力でのケアマネジメントシステムの構築であった。もう一つは、国レベルのケアマネジメントのシステムづくりであった。そこで、まずは政令指定都市といった大都市で行ったことを紹介する。

 最初は大阪市でどのように地域のネットワークを作るのかについて、地域ネットワークに関する大阪市高齢者地域システム委員会が作られ、私が委員長になり、高齢者の「3層5段階のネットワーク」を作った。この最終報告書は、『高齢者地域支援システムについて』(1991)にまとめている。行政で、このプロジェクトを推進してくれたのは、当時の大阪市高齢者保健福祉室長(局長級のポスト)であった伊藤光行様(前聖カタリナ大学副学長)であった。

 当時の大阪市では、ひとり暮らし高齢者の孤独死だけでなく、高齢者夫婦世帯で、介護側が倒れ、寝たきり本人が栄養失調でなくなり、数週間して発見されるということが頻発していた。このために、毎日のように大阪市に出向き、模造紙を使って、ネットワークの図を書き、職員や委員会で議論したものである。

 このトップ・ダウンでのネットワークづくりでは、有給の「ネットワーク推進員」を各小学校区に配置して、このスタッフが事務局となり、小学校区でネットワーク委員会を組織し、要援護高齢者を発見したり、見守りやサポートでもって地域で支えていくことの仕組みをつくることであった。大阪府医師会もこのネットワークを高く評価してくれ、大阪市から日本全国に発信してくれた。

 大阪市の「3層5段階のネットワーク」については、現在も大阪市のネットワークの核となっており、児童や障害者も包括したものになっている。

 その後、在宅介護支援センターの創設と相まって、それをを中学校区の相談窓口とするネットワークづくりが、政令指定都市を中心に拡大していった。福岡市や北九州市でもそうしたネットワークづくりが進められ、何度か、ケアマネジメントとネットワークの関係について講演や大阪市のネットワークの特徴を説明するために伺った記憶がある。このような大阪で地道に実験的に行っていたケアマネジメントであったが、大きく広がりを見せ始めた。

 以前にもブログで紹介したことがあるが、神戸市はこの時に、在宅介護支援センターを設置せず、区役所の保健福祉の窓口のみで対応することになった。このことが、その後の1995年1月17日に起こった阪神・淡路大震災において、どこに高齢者が生活しているかの情報がどこも分かっていなかったという不幸に繋がっていった。

 この結果、ケアマネジメントの考え方や実践が広がっていく中で、ケースの発見や、地域での支援体制を創り上げるために、大都市を中心にトップダウンの構想が実行されていった。このことは、ケアマネジメントは単に利用者だけに関わっていることに収まりきれないことを感じていった。

 その意味では、このような自治体での動向をケアマネジメントの中味と位置づけるのか、あるいはケアマネジメントの境界に位置づけるものかの根本的な問題は残っているが、いずれにしてもソーシャルワークで言うネットワーキング、コミュニティ・ワーク、ソーシャル・プランニング等といった能力をもった人材が不可欠であると思った。そこで、地域福祉を論じ実践していくためには、コミュニティ・ワーカーはケアマネジメントを含めていくべきではないとという提案を、日本地域福祉学会の学会誌にした。それが、「日本的ケースマネージメントの展開と課題」(『日本の地域福祉』第4巻,pp.23~39,1990)である。 

訪問入浴介護での「個別援助計画」の作成(3)

2009年05月21日 | ケアや介護
◎入浴のアセスメントを行う◎

 では、訪問入浴介護の個別援助計画は、どのように作成するのでしょうか。
 まずは、利用者の入浴に絞ったアセスメントを行います。訪問入浴介護の事業所も、サービスの提供を開始するにあたっては、ケアマネジャーから利用者の総合的なアセスメント情報は入手できているはずです。

 その基礎的な情報をもとに、入浴に特化した利用者の要望や基本的注意事項、解決すべき課題と具体的な対応などを明記し、訪問入浴介護の意義、訪問入浴介護を利用するまでの経緯、医学的観点からの訪問入浴介護の注意事項、なども把握して明記すべきでしょう。

 ところで皆さん方の事業所では、訪問入浴介護のマニュアルを作成しているでしょうか。「介護サービス情報の公表制度」でも、マニュアルの有無をチェックされる項目があり、業務を進める際の手順や基礎的な注意事項を標準化したものはどうしても欠かせません。

 マニュアルどおりに業務を行えば、一定水準のサービスが提供できるのですが、それだけでは一人ひとりの入浴に関する個別的なニーズに合った質の高いサービスの提供にはなりません。

 マニュアルはあくまで、標準的な業務手順をまとめたもので、利用者一人ひとりに合致したサービスを提供するとなると、マニュアルに記載されていないことを実施する場合もありますし、マニュアルに記している内容とは違ったサービスが必要になる場合もあるからです。

 利用者のなかには、石鹸アレルギーを起こす人もいるでしょうし、湯温をほんの少し高めにしたり、入浴時間を1分でも長くした方がいい人もいるはずです。
 
 そうした個別事情を考慮した注意事項などを記載するのが、個別援助計画なのです。
 
 入浴に関するアセスメントをして、キメ細かな個別の訪問入浴介護計画をサービス担当者会議でも提示してゆけば、利用者に質の高い訪問入浴サービスが提供できることは間違いありません。


◎自立…安全…快適がキーワード◎

 訪問入浴介護の個別援助計画を作成する際に忘れてはならないのは、「自立」「安全」「快適」という三つの視点だと私は思います。

 この三つは、おたがいに矛盾する性格をもっています。「自立」を優先しますと、「安全」の面がおろそかになり、危険になる場合もあります。「安全」ばかりに気を使いますと、「快適」な入浴とはほど遠い面が出てきます。

 しかし、この三つのバランスを上手にとることを心がけますと、質の高いサービスが提供できるはずです。

 ぜひ、この三つの視点をもちながら、訪問入浴介護の個別援助計画を作成して、質の高いサービス提供が行われることを願っています。

訪問入浴介護での「個別援助計画」の作成(2)

2009年05月20日 | 社会福祉士
◎在宅重度者の増加で役割に重み◎
 
 介護保険が創設され際、正直なところ私は、訪問入浴介護の行く末を心配していました。
 
 当時すでに活発化し始めていたデイサービスに、訪問入浴介護の利用者が移行してしまうのでは、と考えたからです。デイサービスなら、入浴だけでなく、食事もレクリエーションもセットになって利用できます。ケアマネジャーの立場からしても、デイサービスの方が勧めやすいはずです。
 
 しかし、訪問入浴介護は増加し始めた在宅重度者を中心に、しっかりと利用者を確保してきました。今後も、在宅重度者の利用に重点を置いたサービスとして、揺るぎない存在価値を発揮してゆくことが期待できます。
 
 ご承知のように国は、介護保険施設の増設は抑制していますし、医療依存度の高い方でも、できる限り在宅で医療的なケアもしてゆく方針を打ち出しています。
 その地域の高齢者人口の3,5%を定員限度にして、入所施設等の開設は認めない方針ですし、介護療養型医療施設の廃止も打ち出しています。重度の要介護者や医療依存度の高い方が、いま以上に在宅生活をする時代になるのです。
 
 そうなりますと、ヘルパーによる自宅浴室での入浴介護や、デイサービスの入浴介護では、対応できない方がかなり増えるものと予想されます。
 
 在宅の重度要介護者が増加しますと、さらに在宅ターミナルケアの問題も派生してきます。ターミナル期にある方の入浴介護はどうするのか?といった課題もクローズアップされるでしょう。
 
 そうした点を考えますと、訪問入浴介護は、在宅重度者に対してどのようなサービスを提供すべきなのか?医療との連携はどうするのか?といった業務姿勢をもっと明確にしてゆく必要性に迫られるはずです。


◎もっとケアマネと情報交換を◎

  介護保険制度は、ケアマネジャーが中心となって、「サービス担当者会議」を開いて、一人ひとりの利用者が抱える諸々の課題を整理しながらサービスを提供してゆく旨を重視しています。
 
 ケアマネジャーが作成した個別援助の総合計画(ケアプラン)を核にしながら、それぞれのサービス事業者等の個別計画も協議してゆくわけです。
 
 こうした仕組みのなかで、居宅サービスである訪問入浴介護、福祉用具貸与・販売、そして住宅改修、といった3業種は特別な位置に置かれています。『介護保険法』では、この3業種が個別援助計画の作成を義務づけられていないのです。
 
 介護事業所の業務実態が利用者にわかり、事業所を選択する際の目安にしてもらうため、2006年度から「介護サービス情報の公表制度」がスタートしたのはご承知のとおりです。
 
 この制度の訪問入浴介護については、調査員による調査項目に、個別援助計画の作成の有無が含まれているのです。
 
 個別援助計画とはとても呼べない内容でも、いちおう記述された書類があれば問題なし、とされるのですが、ケアマネジャーとの連携を深めるためには、やはりきちんとした個別援助計画は作成すべきでしょう。
 
 とりわけ訪問入浴介護では、利用者は重度者がほとんどで、医療的ニーズも高い方が多く、状況の変化を起こしやすい方々ばかりですから、利用者のニーズに応じた計画を作成し、状況の変化に合わせて計画も変更してゆく必要があるのではないでしょうか。
 
 訪問入浴介護を提供しているなかで、褥瘡の前兆を発見した場合は、対応方法を検討しなければなりません。福祉用具貸与の事業所にしても、一度レンタルした機種が利用者に不都合となった時、再検討して適合する機種に変更する必要もあります。
 
 サービス事業所の担当者は、こうした場合に、個別援助計画を変更し、同時にケアマネジャーに対して情報を提供してゆかなければ、ケアの質は向上しません。
 さらに、担当するサービス分野に関する情報だけでなく、家族の負担が多すぎるのでは…虐待が発生する危険がありそうだが…など気づいたこともケアマネジャーに伝えてゆき、場合によってはケアプランも修正していただくべきでしょう。
 
 なぜなら、ケアマジャーが利用者宅を訪問するのは、せいぜい月に1回程度です。これに対して、訪問介護のヘルパーは週に数回、訪問入浴介護でも週に1回程度は訪問しているはずで、ケアマネジャーより利用者の近況を把握しているからです。
 
 サービス担当者会議では、ケアマネジャーが利用者の情報を提供して、サービス事業所に指示を出すようなスタイルが多いのですが、ぜひサービスを提供する側からも情報を出して、双方向の会議にしてほしいものです。
 
 その際にやはり大切なのは、サービス事業所としての個別援助計画を提示することです。ケアマネジャーはいわば「森」を見て全体のプランを考える総合職で、各サービス事業所は「木」をみる専門職です。双方が協力し合ってはじめて、質の良い介護が実現できるのです。



訪問入浴介護での「個別援助計画」の作成(1)

2009年05月19日 | 社会福祉士
 全国訪問入浴福祉研究会が主催で、毎年全国入浴福祉研修会が開催され、今年は2月26日と27日に仙台で開かれた。今年が第44回大会で、毎年成果を上げてきている。

 私もこの研究会のメンバーであり、毎年講師として参加している。今年の私に与えられたテーマは『「個別援助計画」を作成し、ケアマネジャーとの連携で、質の高い訪問入浴介護を!』ということであった。

 テープを起こし、要約した講演録が送られてきたので、3回に分けて、その内容を報告することにする。

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◎訪問入浴関係者は声をあげよう◎

 3年に1度の介護保険報酬の改定内容が決まり、新しい報酬体系でサービスが行われることになりました。

 改定内容を概観しますと、加算が多く、給付管理がより複雑になるなど、疑問点が少くありません。

 訪問入浴介護に関しても、研修を実施していて、なおかつ介護福祉士が30%以上いる事業所や、介護福祉士および介護福祉士試験を受けられる「介護職員基礎研修」の修了者が50%以上いる事業所は、1回のサービスにつき240円が加算されることになりました。

 加算要件を満たす職員を採用していれば、サービスの質が確保できるとは思えませんし、何よりも利用者に対して、「私たちの事業所では、訪問入浴介護の報酬が240円加算されることになり、ついては24円の負担増をお願いします」といった説明もしにくいのではないでしょうか。

 利用者に理解しにくい加算を中心にした改定より、標準報酬の単価をアップすべきだったのでは、と私は考えています。
 
 また、地域係数の改定についても訪問入浴介護では、問題があるように思えます。
 
 東京の23特別区は、地域係数が12%から15%にアップされましたが、70%以上の訪問入浴介護事業所が置かれている「その他」の地域は据え置きにされました。
 
 東京特別区の地域係数がアップされたのは、大都市部は人材不足で、人件費も高いため、といった理由からのようです。しかし、訪問入浴介護にみる限り、大都市部は訪問効率が高いため、黒字にしている事業所が少なくありません。
 
 その一方、「その他の地域」である山間部は、もともと利用者がそれほど多くはないのに加えて、訪問先が遠距離で散在しているため、1日に回れる訪問件数が少なく、赤字経営に悩んでいる事業所が圧倒的です。
 
 介護保険制度の改定論議が日程にのぼりますと、サービス事業者団体や職種別の団体などが要望書や意見書などを出して、改定内容に実態が正しく反映するよう努力をしています。
 
 訪問入浴介護の関係者も、積極的に意見を出して、矛盾点や課題を制度的に解決してゆく姿勢が必要なようです。



ケアマネジメントとソーシャルワークの関係 ④ケアマネジメント研究・実践のスタート(2)

2009年05月18日 | 社会福祉士
 この論文を書いている中で、アメリカやカナダで見てきたケアマネジメント実践をささやかでも良いから、日本で始めたいという気持ちが沸いてきた。そこで、1986年度の大阪市民生局の「実験的開拓的研究にかかる助成事業」に申請し、大阪市立阿倍野老人福祉センタ-の職員の方々からのご協力を得て、実験的に高齢者の相談事業を立ち上げ、私がスーパービジョンを行う中で、ケアマネジメント実践を開始した。

 この実験的研究成果は、『老人福祉センタ-における相談事業の現状と課題(昭和61年度大阪市民生局実験的開拓的研究にかかる助成事業)』大阪市立阿倍野老人福祉センタ-(1987)にまとめている。その時の感想は、ケアマネジメントは「総合相談」であり、福祉事務所で行われているようなサービスを利用するか否かの相談ではなく、「生活」を支える相談ができたと実感した。いずれにしても、阿倍野区老人福祉センターで、ケースマネジメントと銘打って、日本で始めて文書でケアプランを作り実行したことになる。

 それで、ここでの実験的開拓的研究を学会に報告するということになり、1987年の日本社会福祉学会第35回大会で発表した。そこでは、当時阿倍野区老人福祉センター職員であった中村淳子様と連名で、「ソ-シャルワ-クにおけるケ-ス・マネ-ジメントの位置」と「老人に対するケ-ス・マネ-ジメントの実際と課題一事例を通じてー」の2報を報告した。

 論文を書くことが契機となり、実験的に日本でケアマネジメントの実践を行うことができ、そこで始めて行ったケアマネジメントの事例を学会で報告することで、こうした実践が日本でも可能であることを強調した。この発表会場には、あふれんばかりの多くの皆さんが聞きに来て頂いた。

 このあたりから、日本に帰ってきた論文を書いていきたいと思っていた評価研究はストップしてしまい、それは今もほとんど手をつけずじまいに終わっている。ただ、学会発表にタイトルにもあるように、ソーシャルワークの一機能としてケアマネジメントを位置づけることが、私の一貫しての思いであった。その機能とは、個人である場合も家族ある場合もあるが、利用者のニーズと社会資源を調整するコーディネーション機能であり、これはソーシャルワークでの最も重要な機能であるとの認識のもとで研究してきたと思う。

 この当時、学会発表においても、ケアマネジメントをソーシャルワークのどこに位置づけるかが関心であり、この発表では、ソーシャルワークの中心となる調整機能としてケアマネジメントを位置づけたといえる。同時に、事例でのケアプランを例示することで、計画的支援(planed change)であるため、理解しやすかったのであろう。

 寄り道をしながら、本来したい研究を探しながら、苦労しながら研究をしてきたと思っていた。ところが、このように研究業績をもとに文章に整理してみると、多くの出会いや師からの助言を得ながら、意外とスムーズにケアマネジメント研究を探し当て、研究を行ってきたのではないかと思った。

ケアマネジメントとソーシャルワークの関係 ③ケアマネジメント研究・実践のスタート(1)

2009年05月16日 | 社会福祉士
 アメリカのミシガン大学の留学中は、ケアマネジメントに対する関心も高かったが、一方で高齢者施策の政策評価方法の研究に熱中していた。これはこれで面白く、自宅で夕食を食べて、また24時間やっている図書館で論文を読む日々が多かった。

 確かにカリフルニアのシニア・ケア・ネットワーク(Senior Care Network)やカナダのマニトバ州のコンティニュティ・ケア・デビジョン(Continuity Care Division)でのケースマネジメントの実践を見学し、「生活支援」の実感を得て感動してはきたが、このような分野で研究をすれば、あまり明快にならないドロドロした研究が続いていくことが不安があった。

 それが、日本に帰ってきた途端に、一変した。帰国して直ぐに、師である岡村重夫先生に帰国のご挨拶に伺った。当時、先生は現在右田紀久恵先生が引き継いでおれれる「大阪市社会福祉研修所」(現「大阪市社会福祉研修・情報センター」)の所長をされていた。

 そこで、アメリカでの研究してきた成果を説明すると、第一声が、「政策評価研究は日本では20年早いよ。まだ、施策が整っていないのだから」と言われ、頭をガツンと打たれた思いだった。ただ、「ケースマネジメントについては、今すぐでも日本に必要である」と言われ、社会福祉研修所が毎年刊行している『大阪社会福祉研究』の原稿が少し足りないので、1~2ヶ月でケースマネジメントに関する論文を書くよう、有無も言わさない指示を受けた。

 アメリカでの生活では、ケースマネジメントの実践は理解していたが、文献研究は十分していなかったので、論文を書くのには大変困ったが、一応書き上げることができた。それが、「老人に対するケ-ス・マネ-ジメント」『大阪市社会福祉研究』第8号,pp.24~40(1985)である。結局、この拙著は日本で初めてのケアマネジメントに関する論文と位置づけられることになり、岡村先生の教育的な助言により、先駆的な論文を書くことができた。心から感謝する次第である。先生の、弟子が研究や教育を進めていく際の助言は極めて的確であり、多くの仲間がその時その時に助けられたが、これは先生の社会や研究の将来が見通せる先進性にあったのではないかと思っている。

 この論文をきっかけに、私は結局、どろどろしたケアマネジメントの研究に埋没していくことになる。 

公開政策討論会「介護保険の未来を語る!!」の裏話

2009年05月15日 | 社会福祉士
 6党から全てご参加いただき、それなりの成果を得た公開政策討論会「介護保険の未来を語る!!」であったが、裏話は、冷や冷やものであった。

 主人公である6党の全員の参加が難しいのではないかという情報が前日になって入ってきた。我々の政策討論会の開催時間とほぼ同じ時刻に衆議院本会議が開催され、平成21年度補正予算が審議されるとの情報が入ってきたのである。ご参加いただく議員さんのほとんどが衆議院議員であったため、大慌てである。

 一方、事務局の努力で、会場の定員400席がほぼ埋まる程度の参加者を集めていただいたという説明があった。それで、万が一、主人公が誰も来れなかった場合の対応の準備をしておかなければならなかった。この時には、介護保険制度の問題点を何点かに絞って意見交換を図ることにするということで、ことを納めることにする覚悟をした。後は祈るだけであった。

 結果的に、テレビや新聞でご存じの通り、衆議院本会議で21年度の補正予算が成立し、与党と共産党のみの参加で、他の野党はボイコットということであった。そのことになることの正確な情報が入ってきたのは、開催時間の数時間前であった。ボイコットという変な意味で、まずは、民主党山井和則氏、日本共産党小池晃氏、社会民主党阿部知子氏、国民新党森田高氏がご参加いただきことが確定して、ほっとした。

 結果的に、与党の自民党と公明党以外は、開始時間の6時30分には間に合って到着していただくことができた。共産党の小池晃議員は参議院であるから、参加することには問題がなかった。

 一方、衆議院の本会議は採決が中心であり、本会議は7時10分に終わるという情報が入ってきたので、開催時間には間に合わないことが分かった。そこで、終われば直ぐに来ていただきことをお願いしたが、会場となった青龍会館は国会議事堂から車で1~2分の所にあるため、7時20分にはご参加いただけるのではないかという楽観的な予想をして、田村憲久議員と福島豊議員が到着しない状況で、6時30分にスタートした。

 幸いにも、7時過ぎにお二人の議員もご参加いただき、めでたし、めでたしの形式が整い、ほっとした次第である。ここに、6党そろい踏みで、介護保険制度の改革に向けて、真摯な議論をすることができた。ラッキーな公開政策討論会であった。

 一方、参加者の方々は増える一方で、一睡の隙もない状態になっていた。登壇していたため分からなかったが、ホールの外では、定員の400人を上回ったので2階席に補助椅子を入れたり、1階の待ち合わせスペースのモニターでご覧いただかざるを得なかった方がでてしまったようである。その意味では、お話しを頂く議員については何とかご参加いただくことになったが、ご参加いただいた多くの皆さんには、ご不自由をおかけしてしまった。申し訳なく思っている。

 その意味では、冷や冷やではあったが、大変盛況な会になったと思うが、そこには運営委員等の皆さんの準備やお手伝いの賜であると感謝したい。

公開政策討論会「介護保険の未来を語る!!」が開催される

2009年05月14日 | 社会福祉士
 昨日、東京ならでの公開政策討論会「介護保険の未来を語る!!」が開催され、参加した。これは、私も共同代表になっている「介護保険を維持・発展させる1000万人の輪」が主催で、6つの政党の代表者から介護保険制度のあり方に報告いただき、各政党がどのように介護保険の未来をみているかを話しあってもらうことを目的にしたものであった。

 自民党は田村憲久氏、公明党は福島豊氏、民主党山井和則氏、日本共産党小池晃氏、社会民主党阿部知子氏、国民新党森田高氏にお集まり頂き、私と高見国生氏(認知症の人と家族の会 代表理事)が質問することで、各党の介護保険に対する思いや具体的な改革の方向について語ってもらった。このために、話しを聞きに来て頂いた人が、約450人と、国会近くの星陵会館は立ち見席までできる程であった。介護保険の在り方に多くの皆さんが高い関心をもっておられることを実感した。

 正直、面白い議論ができたと思った。第1に、全ての政党とも現状の介護保険制度は財源的限界にきており、若干ニュアンスの違いがあるにせよ、現在50%の公費割合を増やす必要があることを断言してくれた。これには、具体的に国庫負担分割合の数値まで示していただいた。このような発言を挙党態勢で臨んで頂ければ、明日にでも介護保険制度の改革はでき、未来は明るいものに変貌し、日本の国民のセフティ・ネットと一部を作り上げることができると思い、是非推進してくれることをお願いしておいた。

 また、ほぼ全党が今回要介護認定調査を改訂したことについて疑問符を呈し、将来的には要介護認定は不要で、ケアマネジャーがケアプランを作成するだけでよいのではないかという考えに対して、若干のニュアンスの違いがあるとしても、最終的にはそうした介護保険制度に移行していかなければならないのではないか、ということで、意見の一致が得られたと思った。

 ここで議論された内容は、現実の介護保険に関わっている者にとっては、当たり前のことであるが、それを率直に言っても議論にならず、今までもよもやしてきたことである。それで言えば、政策を決定していく各政党の介護保険担当のリーダーは、今後の介護保険制度の方向をきちっと持ち合わせており、介護保険制度に向けて抜本的な改革の意欲が高いことが分かった。

 私自身は今までは思っていても、無駄であったり、時には非常識と言われないがために、封印してきたことを、各政党が代わって言ってくれたという思いで、日頃のストレスの解消が出来た。これは、昨日話を聞きにこられた人も、同じ気持ちではなかったのではないかと思った。

 介護保険制度は、各政党が十分話し合えば、全党一致で改革することが出来ると確信した。是非、党利党略を超えて、利用者主体に立ち、まとめて頂くことを願いたい。