昨日は阿部先生がおっしゃってられる「ネガティブ・ケーパビリティ」について書いたが、ソーシャルワークやケアワークといった仕事では、個人と環境の不調整の背景をつかむことが難しく、このことを強調しておく必要があると思った。医学でも、医師が診断できない時にどうするかが問題であるといったが、それ以上に生活モデルでは背景の理解が難しい。
そのため、先日ある事例に対してコメントした内容から、その重要性を指摘しておきたい。
その事例は、介護老人福祉施設に入所しているAさんに対するケアについてであったが、入所当初、夜中に生活相談員を呼べと要求し、それが難しいことから、夜勤の職員に暴言・暴力行為がある認知症者である。こうした場合には、職員は、どのような対応をすればよいのか。ある職員は、Aさんに対して生活相談員がいないことの説明を繰り返すかもしれない。別の職員は、暴言や暴力を制止し、叱るかもしれない。さらに、別の職員は、話をそらすために、Aさんが関心ありそうなことに話し向けるかもしれない。
このような職員の行為の根底には、Aさんを「やっかいな者」「わけの分からない者」「暴言・暴力をふるう者」とレッテルを貼り、できる限り関わりをもちたくないといった気持ちになりかねない。こうした気持ちでは、利用者への尊厳あるケアとは決していえない。
誰もがかけがいのない、代わることにない存在として、一人一人の尊厳を保持するケアをすることの必要性を分かりながら、コミュニケーションがもてなかったり、職員の意に反する行為や態度を示す利用者に対しては、尊厳あるケアが難しい状況になる。そうした場合に、このネガティブ・ケーパビリティが特に大切である。
この利用者への関わりの第一段階は、本事例では初め暴言・暴力が多いが、職員にはその理由なり背景は分からない。けれども、Aさんは何かを伝えようとしているのであろうという気持ちを受けいれる。これが「受容」であるが、この事例では、添い寝をしながら話を聞いたり、話し相手になって根気よく付き添うことを行っていた。こうした受容の過程が最期まで続いていくであろうが、この時点では分からないことにじっと耐えることである。これがまさにネガティブ・ケーパビリティである。
第二段階では、受容を続けながら、なぜそうした行為が起こすのかを、Aさんの気持ちを分析していくことである。これは、一般にアセスメントと呼ばれるものであるが、その背景になることを、利用者のしぐさや表情、さらには資料をもとにして、推測し、分析してみる。現在の心理的な状態に関する情報、また生活歴や家族関係についての情報を得ていく中で、そのような行為がAさんの中でなぜ起こっているのかを理解するよう努力する。特に、認知症高齢者の場合は、覚えられないことや忘れてしまうことからの不安や怒りといったことが生じることも重要な視点である。
第三段階では、背景と考えられることを試行錯誤的な側面もあるが、Aさんと一緒に実施してみることになる。この事例では、第三段階でもって、暴力や暴言がなくなり、情緒的な安定が得られていった。
しかしながら、全ての方が必ずしも第三段階に至って初めて情緒の安定が得られるわけではなく、第一段階であって、第二段階や第三段階に進めなかったとしても、受容といった態度で接することで情緒の安定が図られることも多い。
なお、こうした流れのそれぞれの段階で、全ての職員が共通した視点で関わり、お互いの理解を深めるためには、チームアプローチが不可欠である。ネガティブ・ケーパビリティも、仲間と共に支えあうことが大切であろう。
そのため、先日ある事例に対してコメントした内容から、その重要性を指摘しておきたい。
その事例は、介護老人福祉施設に入所しているAさんに対するケアについてであったが、入所当初、夜中に生活相談員を呼べと要求し、それが難しいことから、夜勤の職員に暴言・暴力行為がある認知症者である。こうした場合には、職員は、どのような対応をすればよいのか。ある職員は、Aさんに対して生活相談員がいないことの説明を繰り返すかもしれない。別の職員は、暴言や暴力を制止し、叱るかもしれない。さらに、別の職員は、話をそらすために、Aさんが関心ありそうなことに話し向けるかもしれない。
このような職員の行為の根底には、Aさんを「やっかいな者」「わけの分からない者」「暴言・暴力をふるう者」とレッテルを貼り、できる限り関わりをもちたくないといった気持ちになりかねない。こうした気持ちでは、利用者への尊厳あるケアとは決していえない。
誰もがかけがいのない、代わることにない存在として、一人一人の尊厳を保持するケアをすることの必要性を分かりながら、コミュニケーションがもてなかったり、職員の意に反する行為や態度を示す利用者に対しては、尊厳あるケアが難しい状況になる。そうした場合に、このネガティブ・ケーパビリティが特に大切である。
この利用者への関わりの第一段階は、本事例では初め暴言・暴力が多いが、職員にはその理由なり背景は分からない。けれども、Aさんは何かを伝えようとしているのであろうという気持ちを受けいれる。これが「受容」であるが、この事例では、添い寝をしながら話を聞いたり、話し相手になって根気よく付き添うことを行っていた。こうした受容の過程が最期まで続いていくであろうが、この時点では分からないことにじっと耐えることである。これがまさにネガティブ・ケーパビリティである。
第二段階では、受容を続けながら、なぜそうした行為が起こすのかを、Aさんの気持ちを分析していくことである。これは、一般にアセスメントと呼ばれるものであるが、その背景になることを、利用者のしぐさや表情、さらには資料をもとにして、推測し、分析してみる。現在の心理的な状態に関する情報、また生活歴や家族関係についての情報を得ていく中で、そのような行為がAさんの中でなぜ起こっているのかを理解するよう努力する。特に、認知症高齢者の場合は、覚えられないことや忘れてしまうことからの不安や怒りといったことが生じることも重要な視点である。
第三段階では、背景と考えられることを試行錯誤的な側面もあるが、Aさんと一緒に実施してみることになる。この事例では、第三段階でもって、暴力や暴言がなくなり、情緒的な安定が得られていった。
しかしながら、全ての方が必ずしも第三段階に至って初めて情緒の安定が得られるわけではなく、第一段階であって、第二段階や第三段階に進めなかったとしても、受容といった態度で接することで情緒の安定が図られることも多い。
なお、こうした流れのそれぞれの段階で、全ての職員が共通した視点で関わり、お互いの理解を深めるためには、チームアプローチが不可欠である。ネガティブ・ケーパビリティも、仲間と共に支えあうことが大切であろう。