茂木健一郎脳学者がコーデネートするNHKの8月26日放映の『プロフェッショナル 仕事の流儀』は本当に感動した。ノーベル賞級の研究者である若き慶応大学教授小池康博の仕事の話であったが、この番組から学ぶべきことが多かっただけでなく、老いてきた私にもう一度研究への熱意を奮い起こさせてくれるものであった。良い内容であった。特に若き研究者は再放送を是非見ていただきたいと思った。
彼はプラスチック光ファイバーの研究者であるが、光ファイバイーがプラスチック内で乱反射することで、長い距離を通さないことであった。挫折を味わいながら、諦めもしながら、いかに長く光ファイバーを通していくのかを研究してきたことが内容であった。挫折から14年後にプラスチックの不純物を取り除くことから、100mにわたる光ファイバーを通す素材を作った人物であるそうである。
私も研究者の一人として仕事をしているが、小池先生ほど素晴らしい研究成果を上げているわけではないが、同じような苦悩の日々を送っていたことで感動したのであろう。私は助手時代に教授からケースワークを研究テーマにするよう指導を受けて研究を行っていたが、正直ケースワーク研究に限界を感じていた。その少し後の1980年代の状況は、ケースワークを超えたジェネリック・ソーシャルワーク論が出始めていた頃であったが、ケースワークがもっているメリハリのなさをいかに克服し、利用者や国民から「なるほどこのような仕事をしているのですね」という内容にソーシャルワーカーの仕事内容を理論的に変えることに悶々としていた。
ある意味、その当時は研究者として放浪の日々を送っていたといっても過言でない。Planned Changeというピンカスとミナハンの言葉にひかれて、計画を作り、利用者の生活を変えていく方法でもって、ケースワークを変えていくことを探し求めてきた。40歳近くになってケースマネージメントと出会い、日本的なケースマネージメント研究に入っていくことができた。
このような研究の出会いは、運が良かったこともあるが、この番組で小池教授が言っておられた「心のままで発想する」ことが大切であると思った。私も、小林先生には傍に寄れないとしても、利用者に役立ち、かつ社会から大切であるというソーシャルワークの仕事を確立したいという「心」を大切にしたからであったからではなかったかと思った。
小池先生は、苦境の14年間を、好きだったから 逆境でも不幸ではなかったと喋っておられた。決して、私の自慢話をしているのではない。私は今、地域のネットワーキング方法の確立に向かって新たなスタートをしている。今日のブログで言いたかったことは、若い研究者や大学院生に、今利用者や社会が求めていることに対して「心のままで発想する」ことで、すばらしい研究を行っていただきたいと思ったからである。そして、行き詰まれば、小池康博の「基本に戻る」という仕事の流儀を見つめていただきたい。
彼はプラスチック光ファイバーの研究者であるが、光ファイバイーがプラスチック内で乱反射することで、長い距離を通さないことであった。挫折を味わいながら、諦めもしながら、いかに長く光ファイバーを通していくのかを研究してきたことが内容であった。挫折から14年後にプラスチックの不純物を取り除くことから、100mにわたる光ファイバーを通す素材を作った人物であるそうである。
私も研究者の一人として仕事をしているが、小池先生ほど素晴らしい研究成果を上げているわけではないが、同じような苦悩の日々を送っていたことで感動したのであろう。私は助手時代に教授からケースワークを研究テーマにするよう指導を受けて研究を行っていたが、正直ケースワーク研究に限界を感じていた。その少し後の1980年代の状況は、ケースワークを超えたジェネリック・ソーシャルワーク論が出始めていた頃であったが、ケースワークがもっているメリハリのなさをいかに克服し、利用者や国民から「なるほどこのような仕事をしているのですね」という内容にソーシャルワーカーの仕事内容を理論的に変えることに悶々としていた。
ある意味、その当時は研究者として放浪の日々を送っていたといっても過言でない。Planned Changeというピンカスとミナハンの言葉にひかれて、計画を作り、利用者の生活を変えていく方法でもって、ケースワークを変えていくことを探し求めてきた。40歳近くになってケースマネージメントと出会い、日本的なケースマネージメント研究に入っていくことができた。
このような研究の出会いは、運が良かったこともあるが、この番組で小池教授が言っておられた「心のままで発想する」ことが大切であると思った。私も、小林先生には傍に寄れないとしても、利用者に役立ち、かつ社会から大切であるというソーシャルワークの仕事を確立したいという「心」を大切にしたからであったからではなかったかと思った。
小池先生は、苦境の14年間を、好きだったから 逆境でも不幸ではなかったと喋っておられた。決して、私の自慢話をしているのではない。私は今、地域のネットワーキング方法の確立に向かって新たなスタートをしている。今日のブログで言いたかったことは、若い研究者や大学院生に、今利用者や社会が求めていることに対して「心のままで発想する」ことで、すばらしい研究を行っていただきたいと思ったからである。そして、行き詰まれば、小池康博の「基本に戻る」という仕事の流儀を見つめていただきたい。