ソーシャルワークの TOMORROW LAND ・・・白澤政和のブログ

ソーシャルワーカーや社会福祉士の今後を、期待をもって綴っていきます。夢のあるソーシャルワークの未来を考えましょう。

一年の締めくくりはハッピーな話で

2008年12月31日 | 社会福祉士
 2008年も最後の日となった。様々なことがあった一年である。今年の締めくくりは、ハッピーな話で締めくくりたい。

 そして、来年は還暦で年男である。来年こそ、私にとっても、社会にとっても、良い年になってほしいものである。来年に願いを込めて、うれしかったことを紹介する。

 10月にある介護事業者の20周年記念に「介護は進化する」というテーマで講演をさせて頂いたが、その要約が、事業者の広報誌に掲載された。その内容は以下の通りである。

『介護は進化する』
 世間では、介護職の給与は低いといわれています。介護報酬があがって給与が上がるに越したことはありませんが、給与が上がることだけが介護の進化ではありません。介護にやりがいを持つ、自分自身の仕事にほこりを持つことです。介護をして「ありがとう」と喜んでもらうことだけが介護者のやりがいではなく、仕事内容からやり甲斐生き甲斐を高めることです。

 人間は高齢になるにつれ、努力をしても身体機能は低下していくものです。もちろん身体機能面の向上や維持は大切ですが、介護は身体の状態をよくすることだけではありません。「精神心理面で笑い顔が増え、家族の状態が良くなり、介護者の負担が減って楽になる」という利用者の生活の質(QOL)を高めることです。

 では、どうすれば利用者の注活の質(QOL)を高めることができるのでしょうか?

1つ目は、「自己決定権」です。つまり、自分で選択し、自分で決定し、自分で責任を持つことが大事です。身体の自立は難しくても、精神的自立はできます。

2つ目は、「生活の継続性」(つなぎ目の無いケア)です。ヘルパーがかかわり、デイがかかわり、また医者がかかわり、福祉用具が整い、住宅がバリアフリーになり、日々の生活がきちっとできるというように、保健・医療・福祉・介護の様々なサービスが連続して提供されることが大事です。そのためには、ケアマネジャーが介護の必要になった時から亡くなるまでその方の変化に合わせたサービスを提供していくことが大事です。残念なことに、2005年の介護保険制度の改定で、ケアマネジメントが要支援は地域包括支援センター、要介護者は居宅介護支援事業所となり、生活の継続性をこわしています。
 
3つ目は、「残存能力の活用」です。過不足の無いサービスが、意欲や能力を高めるのです。セルフケア(自己管理)を補うために関わり、本人が力をつけ、できることを増やす、そういう支援が大事です。
 
以上の3点を支援することで、介護者は仕事にやり甲斐がもて、利用者も人生に生き甲斐がもてるのです。

「健康が戻らなくても、幸せはある」のです。

☆☆☆☆☆☆

 93歳のますみさんは自宅で子どもに読み聞かせの会を開催して30年になる、地域ではカリスマ的な方だそうである。しかしながら、身体的な衰えもあり、デイケアに通うようになり、介護保険サービス利用者になったことでの落胆も大きかったという。

 ますみさんもこの広報誌を読まれ、ますみさんは、自ら出している読み聞かせの会のニュースレター『えほんのへや』に、写真のような達筆で、かつ絵をそえた文章を書かれた。その内容は、日々の老化に戸惑っている時に、私の講演での話を事業者の広報誌から見つけて頂き、自立した生活の再スタートをしてくれたことである。

 この文章は、事業者を介してますみさんから頂戴したものであり、大切に残しておきたく、写真にした次第である。誰もが、身体的な衰えから、自分に自信をなくしていくことになるのではなく、自分で決めることで人生の意義を見いだしていこうとする気持で老後を送りたいものである。ほんとに、自立の本来の意味を考える素晴らしい話である。

新たな「失われた20年」にならないように

2008年12月30日 | 社会福祉士
 年の瀬も押し迫り、落ち着かない毎日であるが、社会福祉士やソーシャルワーカーについてのこの1年の動向を振り返ってみての思いを述べておきたい。

 昨年は、「社会福祉士及び介護福祉士」の法改正があり、そこでは、厚生労働省と一緒になり、実践能力のある人材を養成し、それを職域拡大する中で展開していことという焦点があり、そこに集中して動いてきたといえる。

 今年は、昨年に改正された法律を具体化していくスタートの年であり、カリキュラムやシラバス、さらには国家試験のあり方、教育・司法領域での職域拡大のあり方が議論された1年であった。

 昨年度の法改正に至る過程で、社会福祉士の制度が創設されて以降の20年間に、学校と学生が増え続けてきたが、そうした学生の出口(就職)問題や学生の質を高めるための施策を、養成校全体としてほとんど行ってこれなかったことを反省した。これには、国家資格は国が守ってくれるという護衛船団方式といった意識が根底にあったのでないかと思っている。

 現実に、他の国家資格でも危機状況にある。例えば、歯科の国家資格については、歯科医院は日本のコンビニの数より多く、経営が大変厳しい状況に追い込まれている。また、司法試験改革で、弁護士数は急激に増えたが、仕事を得られない弁護士が増えているという。

 こうした他の国家資格の状況をみても、社会福祉士制度についても将来を見据えた改革が不可欠である。それは、教育の向上を基礎にした、社会福祉士の職域拡大と社会的地位の向上に他ならない。同時に、社会福祉士にとって有利なのは、社会から多くの職域で拡大していくことに対する期待が大きい。

 このチャンスをものにするために、必死に努力すべき時期にあるように思っている。職域の拡大は、国を含めて誰もやってはくれない。養成校やその団体が手を取り合って、必死に努力する以外に道はない。そのことが、社会福祉系大学の生き残る道でもある。心配するのは、そうした努力を怠り、新たな「失われた20年」にならないかである。とりわけ、新たな領域としての学校領域と司法領域は目が離せない。施設での社会福祉士はこのままほっておけば、じり貧になっていくであろう。このあせる気持ちを、どれだけの人がもってられるであろううか。

 来年は、養成校全体で、社会福祉士の職域拡大と社会的地位の向上について、大きな成果が得られる年に是非したいものである。

介護報酬改正の諮問について思うこと

2008年12月29日 | ケアや介護
 12月26日に社会保障審議会は、平成21年度からの介護報酬改訂について、厚生労働大臣から社会保障審議会に『諮問書』が出された。

 この内容は、先日までにブログで書いてきたことをあるが、具体的に数値で示したのが、「平成21年度介護報酬改定の概要」である。予想通りであるが、大きな点で、1つのみコメントしておきたいことがある。

 施設については、基本的な介護報酬額の見直しがなされているが、相対的に在宅は、介護報酬については従来通りとして、加算で3%アップ分を対応する視点が強いといった印象をもった。

 この加算が、第1には、介護職員の待遇改善に結びつくことができるかどうかが、不安であると思っている。確かに、介護福祉士といった専門資格者が求められ、そうした専門職へのニーズが高まり、待遇の改善に結びつくことでは大変意義があると思う。一方、こうした資格はないが、介護職として介護保険制度を支えている職員が圧倒的大多数を占めている現実がある。こうした人々には、ホームヘルパーの1級、2級、3級の資格取得者も含まれるが、こうした人々が介護福祉士資格を取得していくことにはインセンティブが働くことでは良いこととであるが、現状で仕事をされている以上、待遇改善に結びついていくことにはなれないのではないかと心配している。

 第2は、こうした在宅を中心に加算の議論がなされれると、とりわけ、事業者が一定の体制を整えれば加算される体制加算が多様で複雑化してきている。この結果、事業の経営者は、加算に焦点が当てられ、どのように加算を得ていくのかに関心が向くことになる。本来の加算に意味は、そうした体制ができれば、利用者に対して質の高いケアができることを想定して加算制度を設定しているはずであるが、最も重要な利用者に対して質の高いケアをしていくという目的を見失っていく気がしてならない。

 諮問された以上は、この改正された介護報酬で平成21年度から3年間は介護保険サービスは進んでいかざるえない。そこで、今後は、事業者がこの改正を受け、介護福祉士の資格はないが、個々の事業者の多くを担っている優秀な人材の待遇にも配慮していただき、同時に加算でもって、利用者への質の高いサービス提供を目指していただきたい。 

介護報酬改正を考える(4)ー小規模多機能型居宅介護について

2008年12月27日 | ケアや介護
 小規模多機能型居宅介護については、社会保障国民会議では、2025年には3万カ所で、60万人が利用するまで増やすシュミレーションをしていた。一方、今年の3月に介護事業者経営調査では収支差率がマイナスで、赤字事業者であった。そのため、介護報酬をアップさせるものと思っていたが、「利用者数が多い事業所では収支が安定化する傾向にある」しており、定員人数が満たせば、黒字になるということで、介護報酬をアップするような記述が見当たらない。ただ、包括払いのため、利用者が満たさない場合には、そうしたことを評価した介護報酬になるようである。

 小規模多機能型居宅介護の意義は、地域社会で生活しており重度になってきた利用者が、ヘルパー、デイサービス、ショウトステイを一体的に利用することで、できる限り在宅生活ができるよう支援するために、地域密着サービスのひとつとして作られたものである。

 私の見る限りでは、小規模多機能型居宅介護はそうした趣旨の施設とはなっていないように思う。病院を退院したが、施設入所がままならない方が、いくつかある居室の入所を狙って利用している場合が多いように思う。ある小規模多機能型居宅介護で、居室に利用者の表札がかけてあり、びっくりしたことがある。

 こうしたことを是正するためには、小規模多機能型居宅介護を在宅サービスの一つとして位置づけ、介護支援専門員が結び付ける視点が必要である。現状では、小規模多機能型居宅介護サービスを利用すると、ケアマネジャーは小規模多機能型居宅介護の職員が担うことになっている。

 そのため、利用者や家族は今まで使っていた在宅サービスを捨てて、小規模多機能型居宅介護を利用することになっている。そのため、多くの要支援者や家族は小規模多機能型居宅介護の見学まではやってくるが、最後に、色々相談にのってもらっていたケアマネジャーとも別れるのであればと、小規模多機能型居宅介護に至らない場合が多いという。

 今回の報告では、「居宅介護支援事業者との円滑な連携の推進」ということが書かれているが、小規模多機能型居宅介護利用者のケアマネジャーを外部に移すまでの記述にはなっていない。これは、居宅介護支援においても記述がない以上、連携の推進のみで留まるのであろうか。

 これであれば、地域の重度者を利用者にしていくことが容易ではないと思っている。これで、小規模多機能型居宅介護が順調に伸びていくことは難しいといえる。

介護報酬改正を考える(3)ー訪問介護事業について

2008年12月26日 | ケアや介護
 訪問介護についても、基本的な介護報酬額について上げる論述にはなっていない。ある意味、短時間のサービスについては、それらを誘導するため、一定のアップが評価されているに過ぎない。そのため、本当に、介護職の給与を上げることへの貢献については危惧している。

 その分、訪問介護員やサービス提供責任者の専門性や認知症や高齢者対応が多い場合に、特定事業者加算を取りやすくするとしている。そのため、訪問介護事業者は、いかに加算を確保するかに視点が当たり、その加算で期待されている利用者に対するサービスの質を高くするといった意識が欠落していくことが怖いと思っている。

 訪問介護サービスの要であり、ケアの質に最も左右されるというサービス提供責任者についての議論が大きい。これについては、今までは常勤でなければならなかったが、事業者の意向もあり、最終的にサービス提供責任者を複数配置している場合に、常勤換算数が常勤数を超えないか、あるいは原則として1人分の常勤換算を認められることになった。

 これについては、なぜ非常勤議論になっているかである。すなわち、3%のアップでは、サービス提供責任者の介護報酬がつかないということでの議論であるように思える。本来であれば、常勤で、そこに介護報酬がつくのであれば、非常勤議論は起こらないであろうが、それがかなわないために生じてきた議論であるように思える。

 非常勤が一部認められた以上、非常勤でもケアの質を担保できるよう事業経営者にはお願いをしておきたいと思う。

介護報酬改正を考える(2)ー居宅介護支援事業について

2008年12月25日 | ケアや介護
 居宅介護支援事業については、11月14日に「日本介護支援専門員協会」が給付費分科会に提出した『平成21年4月介護報酬改正にあたっての提言』を少しは取り入れた形で、12月12日の審議報告になっている。私が気になる点を指摘しておきたい。

 審議報告から、居宅介護支援事業者については、40件以上の場合に、全てのケースに適用される逓減制を、超過部分にのみ適応するとしている。現状では、介護支援専門員は平均25ケース程度に留まっている現状からすれば、担当ケース数を増やすことになる意味では朗報である。ただし、逓減の幅が少なければ、介護保険制度が始まった時期のように、100ケース担当といった状態がでてくることを危惧する。これについては、逓減の幅の議論だけでなく、経営者やケアマネジャーの自主性も重要である。

 特定事業者加算については、サービスの質を評価するものなら、重度者比率ではなく、ケアマネジャーの専門性を評価の基準にするべきである。さらに言えば、主任介護支援専門員をキャリアパスの一部として位置づけ、管理者部分での主任介護支援専門員配置に対しても評価する時代を迎えてほしいものである。そうすれば、介護支援専門員のキャリアパスが作られ、仕事に対する意欲が高まっていくことになろう。但し、そのためには、主任介護支援専門員研修の中身や方法についても再検討が必要である。現状では、地域包括支援センターの主任介護支援専門員向けの側面が強いといえる。

 入院および退院・退所時での情報共有に対して評価をするとしているが、これは現実に、介護支援専門員が相当労力を使う部分であり、妥当であると思える。但し、介護保険施設入所についても情報共有が必要であるが、これについては記載がないことが気になるところである。

 一人暮らし高齢者や認知症高齢者に対しては労力を要することから評価することになっている。これ自体は問題ではないが、現在の要介護1から3までが1000単位、要介護4と5が1300単位それ自体が、労力を要しながら、その見返り分の報酬になっていないことが問題と言える。その意味では、基本となる単位数のアップについて記載されていないことが気になる。同時に、日本介護支援専門員協会が提案した「要介護1~5を基本単位として「一本化」し、さらに基本単位を上げて頂きたい」ということに対しての返答にはなっていない。基本的な介護報酬を変えずに、加算で済ますことになれば、介護支援専門員の落胆は大きく、同時に、この程度の加算では赤字は解消しないといえる。今後も、他のサービス部分におんぶに抱っこで、生きていかなければならないことになる。ひいては、独立型のケアマネジャーも無理であり、同時に法人の中での居宅介護支援事業の自立も不可能であろう。

 今回の居宅会議支援事業の介護報酬改正をみていると、生活保護費を算定する際に、以前活用していたマーケット・バスケット方式を想起してしまう。ありとあらゆる必要な加算をバスケットに詰め込んでいき、一定の介護報酬を確保し、事業者についての経営の安定を図り、ひいては介護支援専門員に専門職としての一定の報酬が出せることを意図している。こうした対応では、いずれ介護報酬議論に限界が来るのではないかと考える。なぜなら、詰め込む品物についての考えにすれ違いがうまれ、そこから葛藤が生じてくると考えるからである。さらに、事業者は、利用者と向き合うよりも、加算に向き合った仕事にならないか心配である。

 将来的に、居宅介護支援事業の介護報酬については、抜本的な改革が求められる。具体的には、その職場に介護支援専門員が存在し、個々人だけでなく、地域での活動等の多様な業務に従事しているということで、常勤ケアマネジャーを基礎にした基本給プラス1ケース当たりの介護報酬の議論が必要な思いをしている。

介護報酬改正を考える(1)ー全体の概要について

2008年12月24日 | ケアや介護
 社会保障審議会介護給付費分科会での次期介護報酬についての審議も大詰めを迎えている。12月12日の分科会に、『平成21年度介護報酬改正に関する審議報告』が提出され、12月26日には介護報酬が提案されるまでになった。犬の遠吠かもしれないが、改定にあたっての意見を述べておきたい。

 第1は、3%アップの介護報酬改定率であるが、これは国の緊急経済対策でもって決定したものであり、3%の引き上げで良いのかどうかといったことの議論が必要ではなかったのかと考える。本来は、事業者の経営の安定と介護従事者の給与等の改善のためには、どの程度の引き上げが必要であるかの議論が求められる。その結果、公費と保険料でもって、さらに必要なアップ分が審議されてしかるべきではなかったのかと思う。

 確かに、被保険者の保険料が高くなることを考えると、心痛めることではあるが、今回は全国的にさほど保険料が高くならないのでないかと思っている。それは、前回の保険料設定で、殆どの保険者が相当大幅な黒字となっているため、その黒字分が次回改正の保険料を低くしてくれることになるからである。さらには介護療養型医療施設が2011年度からなくなるが、それに伴い介護療養型老人保健施設に移行するのではなく、医療施設に移行するものが相当あり、医療保険の保険料はあがるが、介護保険の保険料は下がることになるからである。同時に、医療での療養施設がこの新型の老人保健施設に移行することを見込んでいたが、そうした移行がほとんどないという事情からである。

 第2は、このアップ率が、介護従事者の給与等に十分跳ね返るものになるかについてである。確かに、地域差への対応、負担の大きい業務の評価、介護従事者定着への評価、有資格者割合や研修実施といった専門性の評価といった、介護従事者の人件費を上げる環境を整えたことについては評価できる。しかしながら、これのみでは十分ではない。

 人件費比率、職場内・外の研修実施の程度などの介護従事者の処遇に関する情報の公表について、事業者が自主的に公表することとしているが、「介護サービス情報の公表制度」の項目として議論しても問題はないと考える。こうした項目があれば、利用者が事業者を選ぶひとつの基準にもなり、現在アクセスが少なく批判されている「介護サービス情報の公表制度」が生きてくるのではないかと考える。

「介護保険を持続・発展させる1000万人の輪」設立総会について

2008年12月22日 | ケアや介護
 12月21日に「介護保険を持続・発展させる1000万人の輪」の設立総会が東京の女性と仕事の未来館で開催された。サービス利用者の団体、事業の経営者、職能団体、労働組合等、利害の異なる側面をもつ呉越同舟の組織が集まっての設立であるが、共同代表ひとりである樋口恵子さんの、「一端接着」の関係で、皆で介護保険制度を持続し、良い制度にしていこうとすることになった。私も、樋口恵子さん(高齢社会をよくする女性の会理事長)と高見国生(認知症の人と家族の会代表理事)といっしょに、共同代表の一人にならせて頂くことにした。

 これには、義理の母が介護保険制度のお世話になり、遠距離介護を行っていった妻から背中を押されることで決意した部分もある。妻は元来おとなしく、私に対しても、あまり前にしゃしゃりでないようにと窘めてくれる性格であるが、今回は是非良い介護保険制度になるよう、がんばってほしいと、珍しい反応であった。これは、今回の親の介護で介護保険制度の有難さを実感し、同時に問題点を感じたからであろう。今回は、そうした妻との会話もあり、研究者は口や文章だけで自己表現していれば良いのかという自責の念から、力足らずであるが、共同代表をお引き受けした次第である。

 そこで、共同代表で、設立総会で鼎談をすることになり、高見さんが風邪のため欠席のため、認知症の人と家族の会副代表理事の勝田登志子さんと、樋口さんとの3人で行った。

 今後どのような介護保険制度にしていきたいかという司会の質問について、私が発言したのは、年金保険は「生計」を、医療保険は「生命」を、介護保険は「生活」を守る保険にしていきたいことを述べた。これに応えて、樋口さんは、介護保険は「生活」と「人生」を守ってくれる保険にしようと夢をもって、介護保険制度を育てていこうと締めくくった。本当に、そんな保険にしたいものである。

 皆さんも、是非「介護保険を持続・発展させる1000万人の輪」ご参加下さい。近々ホームページが立ち上がります。

 そこで、介護報酬改正の方向が12月12日に出たので、私の思いを一挙に掲載することにした。なぜなら、12月26日に社会保障審議会介護給付費分科会で介護報酬が具体的に出てくるため、それまでに私の思いを伝えたいからである。そのため、12月27日までの6日ほど早いブログとなっていることをお断りしておく。

セルフ・ケアマネジメントについて

2008年12月20日 | ケアや介護
 9月27日のブログで、ケアマネジメントを必要とする人とそうでない人を分ける基準について、現場の人たちとの研究成果を報告したことがあるが、ここでセルフ・ケアマネジメントについての私の意見を述べておきたい。

 基本的に、人間は誰も、自分の人生を自分で決めて生きていくことができれば幸せであると考える。そのため、できる限りケアマネジメントを活用することなく、生きることがベストであると考える。そのため、要介護者やその家族がセルフ・ケアマネジメントを行うことができれば、それにこしたことはない。ただし、十分に自らのニーズが表現できなかったり、多様な社会資源から適切な資源を選ぶことが難しい場合には、その関与の程度こそあれ、ケアマネジメント支援が必要となる。

 それゆえか、社会福祉領域では、セルフ・ケアマネジメントが基本であり、最高であるとする先生が多いことも事実である。これについて、それ自体に異議は全くないが、ケアマネジメントを必要とする人がいることも事実であることを忘れてはいけないと思っている。すべての人が自分で全て自己決定できるのであれば、ケアマネジメントを大学で教育する必要もないし、またそうした専門家を養成する必要もない。

 そのため、どのような人にはケアマネジメントが必要なのかの研究が必要だと思った次第であり、それが9月27日のブログである。

 同時に、できる限り自分でプランを立てて、生きていくことを願いつつも、教員がセルフケアマネジメントの原理主義者として教条的に専門職の仕事を否定してしまった場合、学生にどのような内容の教育していくのか不思議に思ってきた。さらに、そうした場合には、自らの職を放棄しているようにも思えるが、そうした自覚や意図をもって発言しているのであろうかについても不思議である。さらに言えば、ケアマネジメントを実施することは、利用者がエンパワーメントし、セルフケアマネジメントに移行させていくことにもなり、また社会資源や環境に向かってアドボケート(弁護機能)していくことで、他の人がケアマネジメントの活用を回避することができる側面をもっており、そうした側面を強調していく方が大事ではないかと思っている。

 障害者領域で、現在うまく機能していないケアマネジメントについて再度見直そうとの動きが社会保障審議会障害者福祉分科会で高まっている。障害者自立支援法では、ケアマネジメントを必要とする該当者を施設退所者、重度の一人暮らし等の人に限定し、さらに市町村が決定した者としており、ケアマネジメントを活用する人が増えない仕組みになっている。ケアマネジメントが必要な人が活用できるシステムに是非再構築していく必要がある。

ストレングス視点への反響に思う

2008年12月19日 | 社会福祉士
 先日ストレングスについて綴ったが、多くの皆さんからコメントを頂いた。特に、千葉のOさんからは、ストレングスに関する大学院の授業の後で、教育出身の学生が、教育学では当たり前のことであるといった意見に、学部から社会福祉であった自分が、ハッとしたコメントを頂いた。具体的には、以下の通りである。

 「ストレングスと言えば,印象に残っている大学院授業での1コマがありました.
ストレングスを学んだ授業の終わりに,各自がコメントを述べた場面です.教育学部を卒業して大学院に来たある院生が,「教育の分野では,生徒の長所(ストレングス)を見つけて伸ばすという考えは普通のことであるのに,社会福祉の分野では,ストレングスに焦点を当てるという考えが比較的新しいと知って,意外な感じを受けた」という旨のコメントをされた場面です.

 おそらく,教育は「伸ばす」,社会福祉援助は「足りていない(貧困等)ところを充足する」といった歴史的な出発点の違いがあるからかと思っています.

 おっしゃる通りで、アメリカの教科書でも、ストレングスが教育学から引用している部分が多いことが書かれています。

 私も娘が子どもを出産するに当たって、当時育児書としてアメリカや日本を含めた世界22か国でも愛読されているベストセラーであるドロッシー・ドーノルドとレイチャル・ハリス著『子ども育つ魔法の言葉』(PHP文庫)をプレゼントしたことがある。この本もストレングスを活用することが子育てで重要であることをいっている。「見つめてあげれば、子どもは頑張り屋になる」「認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる」といったことである。

 また、 こうした視点で支援をすれば、受容や共感ということは実感として感じられることであるが、これを理論的に実証してみたいものである。但し、アメリカの論文でも、その実証は量的な調査というよりは、事例分析といった質的調査がほとんどであり、日本でもまずはそうした質的調査を積み重ねが大切である。

 こうしたことを考えると、社会福祉は「問題解決型」志向が強かったが、「成長・発展型」志向を加味していこうとしていると思える。

2025年の医療・介護のセフティ・ネット(7)ー居宅介護支援は公費のみで対応

2008年12月18日 | ケアや介護
 社会保障国民会議の最終報告では、2025年に大胆な改革をした場合には、年金、医療、介護、子育て支援に追加的に必要な財源を全て消費税換算で捉え、現状の5%から、現状の経済構造を維持するとことを前提にして、2025年までに10%強のアップが必要との結論を出している。

 この結論は、今までの社会保障充実に向けての消費税アップの考え方と大きく異なる。従来は、年金部分と少子化対応については消費税で対応し、医療や介護については、保険制度で継承していくという雰囲気であったが、少し風向きが変わってきたように思える。社会保障国民会議の最終報告は医療や介護も部分的に消費税で賄うかのごとく、消費税換算のみで示されている。

 ここで、本当に消費税が導入され、社会保障を進めていくのであれば、介護保険制度での、居宅介護支援事業と、地域包括支援センターを含めた地域支援事業については、全て公費で賄い、他のサービスについては公費と保険料で対応する仕組みとすることを提案したい。

 そもそも、介護保険制度が始まった時に、私は介護保険制度にケアマネジメントを取り込むことに強い躊躇感があった。それは、第1に、こうしたサービスは公共性が強く、他のサービスとは異なるためである。第2に、介護保険サービスを超えた多様な資源と結びつけることになり、介護保険制度のサービスの枠内に位置づけることが難しいとの考えからである。

 ケアマネジメントやサービス・デリバリー・システムについては、公的な責任で実施すべきであると考えるからである。但し、この運営主体を行政に委ねるべきかについては疑問がある。公共性の視点をもって、同時に利用者との共感の下で、能力をもった職員が仕事をしていくには、行政外の法人に委ねることを堅持していくべきであると考えている。同時に、実施主体である行政が受託ー委託の契約をする際に、委託先の実績を評価する能力が求められるといえる。

 こうした仕組みができれば、ケアマネジャーの給与体系も基本級的なものを基準にすることも議論の遡上にのせることができると考える。
 

2025年の医療・介護のセフティ・ネット(6)ー退院を受け入れる体制づくり

2008年12月17日 | ケアや介護
 医療と介護を連続したものとして捉え、医療と介護のサービスについて内容その全体の財源について言及し、2025年までに必要な財源確保の糸口を示したことについては、既に評価してきた。

 介護サービスの問題点については言及してきたが、このシミュレーションで医療保険の世界から介護保険の世界に利用者がスムーズに移行できるかについて言及しておきたい。とりわけ、在院日数を達成するのには無理がある10日と大幅に縮めるためには、急性期病院内での職員配置への配慮だけでなく、介護領域での受皿が、慢性疾患である医療ニーズに十分応えられるものでなければならない。今の15.5日の在院日数においてでも、ケアマネジャーは在宅での適切な介護や医療のサービスがなく、利用者が犠牲になり、在宅生活を強いられるか、あるいは病院を転々とするかの状態が続いている。

 例えば、2025年に向けて透析を必要としたりカテーテルの交換が必要な慢性の疾患をもっている要介護者を在宅や介護保険施設で受け入れる体制は整うことになるのかである。こうした対応ができなければ、急性期病院での在院日数10日といったことは現実離れした数字であるといえる。

 そのためには、病院内での職員配置を厚くするだけでなく、退院を受け入れることができる介護保険制度の体制が不可欠である。

 具体的には、介護保険の世界に医療サービスを投入することが不可欠である。これには、在宅での在宅支援診療所を本気で機能させ、介護サービスとミックスして提供することで、在宅医療の充実が不可欠である。

 施設では、老人保健施設こそが医療ニーズの高い人が入所するのに適切な施設であるが、医療費も含めた包括払いになっているため、医療費が高くなる利用者を拒否することとなっている。そのため、医療ニーズが高い場合でも入所可能な加算制度といった工夫が必要である。特別養護老人ホームやグループホームについては、必要な場合の医療サービスを付加的に外部から十分に導入していくシステムが求められる。

 有料老人ホーム等の特定施設については、所得の高い人を対象にした施設として位置づけるだけでなく、医療ニーズにも対応できる特定施設が作られてくる様なインセンティブが働くように対応することが求められている。また、特定施設でない有料老人ホームや高齢者専用住宅については、在宅の場合と同様に、介護サービスと医療サービスをミックスして提供することで、生活を支えられる仕組みが不可欠である。

 以上のように、退院者を受け入れる仕組みを、在宅であろうと、介護保険の施設であろうと作り上げることが必須である。ただ、それは医療保険で実施するか、介護保険で実施するかの違いがあるが。

 

社会福祉領域での「新たな公共」

2008年12月16日 | 社会福祉士
 「新たな公共」についての議論が多くの領域でなされている。これは、国家(地方自治体も含む)と個人の関係が問われているからであろう。国家が個人に何をなし、何を期待すべきかが、一方個人が国家に何をなし、何を期待すべきかが問われているといえよう。

 この両者を結び付けるべく公共とは、本来個々人の私的利益と社会の共同利益とを調整なり媒介するものであるが、日本の現状での社会福祉領域での「公共」の位置づけは、「公共の福祉」や「公共事業」の名の下では、社会の共同利益重視の発想が強い。「公」は行政機構が独占し、「私」である国民・住民は従の関係にあり、補充・補完の位置づけとなっている。

 その結果、社会福祉領域での新たな「公共」が追及されているのは、「公共性は
人間の「生」の営みにおける共同性を原点として、その共同関係を普遍化したもの」(右田紀久恵『地域福祉総合化への途―家族・国際化の視点をふまえて』ミネルヴァ書房、13頁)であり、「ともに生きる原理」を見い出す拠点であり、市民的共同社会形成を目指すことであるとされるからである。これを社会福祉領域で実施していくとすれば、「まちづくり」や地域の「ネットワークづくり」に活用していくことになる。

 社会福祉領域で「新たな公共」ということが求められてくる背景には、以下のような5点から整理できる。

(1)現実的な背景
私的努力で解決不可能な問題が多発化(例:限界集落での生活問題)し、共同性に基づく協働の必要性が、様々な場面で起こっている。

(2)理論的な背景
施設中心の福祉から地域中心の福祉の時代を迎える中で、そこでの単なるフォーマルケアとインフォーマルケア(セルフケアを含む)を並列した福祉論に対する内在的原理の必要性が生じているからである。すなわち、並列論のみでは、公私共同の「安易さ」や「危なさ」が潜んでいるからである。

(4)方法論からの背景
方法論は、個々の利用者の個人的な生活課題支援から地域課題支援にいかに移行させていくことに関心が向けられている。その結果、個人の自律支援から地域の自立・自治といった地域の内発性を発露させるべく支援が必要となってきている。

(5)制度論からの背景
社会福祉サービスの提供が従来の措置制度から契約制度に移行することで、利用者の自律や自己決定が核になり、地域住民に関しても社会福祉に対する受動的立場から能動的立場への転換が求められてきている。

 そこでの「新たな公共」を形成することに向けての方法であるが、以下のようなアプローチを定着させていくことが求められる。

(1)地域の内発性を高めていく支援
確かに私的利益の共通化を図っていくためには小地域活動のメリットが大きく、そこに住民の参加をいかに促していくかである。その際に、地域の内発性を引き出すためには、地域が有しているストレングスを活用し、地域社会が力を獲得していくエンパワメント支援が求められる。

(2)専門職の力量による支援
専門職は、地域のアセスメントに基づく計画的変革(planed change)を、住民参加のもとで実施していく。その際には、交渉手法やカンファレンス手法が鍵であり、そうした手法の開発が不可欠である。

 但し、このような新たな公共の追及は、時として、個人が国家や地方自治体に何を求めるかの議論を見失い、ひいては現在の社会保障財源抑制の仕組みに加担する道具に利用される恐れもあり、国家や地方自治体の責任論を含めた極めて緻密な理論的組み立てが必要であるといえる。

 さらに、公共が、それぞれの地域で、個々バラバラで発展していくことになるのかも議論が必要である。なぜなら、公共とは、普遍的な要素を多分にもったものであるからである。

義理の母の死を悼む

2008年12月15日 | ケアや介護
 12月12日に、妻の母親が亡くなった。この3年間は、在宅での介護が始まり、老人保健施設、さらには病院等にお世話になり、病院で終末を迎えた。私は、さほど多くの力にはなれなかったが、妻や義理の兄は、頭が下がるほど、身体面や情緒面での介護に献身していた。妻は、片道で2時間もかかる遠距離介護を、在宅の時から最期まで通い続けることができた。その意味では、亡くなった母も幸せであったと思う。

 何回かブログで書いたことがある、介護の後の妻との食事でのラブラブについて今後は書くこともなくなった。その意味でも、亡くなったことだけでなく、ラブラブの機会がなくなることも、寂しい思いで一杯である。

 医療保険や介護保険を無駄なく使いながら、同時に家族も精一杯世話をしていく(家族の事情によってはその程度は異なるとしても)、こうした自然でかつ本来当たり前の社会を作っていくことが大事だと思う。そこには、それぞれの国民の自覚と、同時にそうしたことを支えようとする政治の理念や思想の実現が大切である。

 母親の安らかな顔つきに拝みながら、妻や兄らには、深い悲しみを超えて、精一杯世話をしたことの満足感もあるのではないだろうかと思えた。そのことが、寂しいことではあるが、それを超えて、素直に死を受け入れているように思えた。

 こんな家族の愛情を支えてくれる介護保険や医療保険の制度であってほしいと願う。これこそが、家族も制度も、一人ひとりを尊厳ある人間として対応することであろうと思う。

 なお、私も因果な仕事をしており、通夜には参列できたが、告別式の当日は、ある県での講演を依頼されており、ビンチヒッターを依頼する等の様々な努力もしてみたものの、結局は講演に行くことになり、参列できなかった。大変申し訳なく思っている。そのため、母の力を得て、聴講者に意義があり、かつ説得力のある講演をすることを決意した。ただ、そうなったかどうかの評価は、私には分からない。

 最後に、早くに夫を失い、妻や兄を苦労して育ててこられた義理の母のご冥福をお祈りしたい。

2025年の医療・介護のセフティ・ネット(5)ー介護予防の効果に半信半疑

2008年12月13日 | ケアや介護
 2025年の医療・介護サービスのシュミレーションでは、介護予防の効果として、要介護者が要支援者になることの予防ができることになったとし、図のように、要支援から要介護に悪化した者の比率が、介護予防制度導入前後で、1年間で悪化比率が15.5%も低くなったとの結果が示されている。これについては追加オプションに含まれているが、その内容は半信半疑である。

 なお、2025年の医療・介護のシュミレーションでは、要支援であった者が、1年後に要介護2から5までの者を悪化と位置づけ、全体としての要支援者の抑制効果を3.6%程度であり、さらに2025年までに3%程度の抑制を仮定した推計となっている。

 まずは、要支援者で介護予防サービスを利用した者と利用しなかった者について、要介護度が良くなったり、維持した割合と、悪くなった割合の比較を、ある市が調査を行っていたが、その結果、介護予防サービスを利用しなかった者の方が、要介護度が良くなったり、維持している割合が高くなるという皮肉な内容になっていた。このことは、介護予防サービスを利用すれば、要介護度が悪くなるということではなく、介護予防サービスを利用しない者は、年齢的には若く、ADL等の回復可能な人が多く、そうした人は医療保険サービスで対応していることが、こうした結果の理由としていた。

 その意味では、要支援を要介護にならないよう支援していくためには、根本的に、利用者が意欲を出し、自分のやれることはできる限り自分でやり、さらにリハビリや健康づくりに等に積極的に参加してくれるようにあることが必要である。その上で、加齢とともに衰えていくという事実がある以上、介護予防に驚くような大きな効果を期待することには無理があると思っている。

 ただ、介護予防を推し進めていくためには、現状のケアマネジャーや地域包括支援センター職員への介護報酬が400単位(ケアマネジャーの場合はさらに低くなる)では、十分な仕事ができないと思う。このような報酬のため、家庭訪問は3か月に1回で良いことになっていることからでも、利用者の意欲を高めていく予防が難しい環境にあると言える。

 そのため、本気で介護予防を推進していくのであれば、高齢者の意欲をどのような手段を使って高めていくのかを、根本的に再検討することが求められている。

 同時に、今回の図に示した結果は、約3年前の介護保険制度の改正以降、要介護認定が全国的に厳しくなったことが影響しているのではないかと推測するがいかがであろうか。そのため、この結果を半信半疑として捉えている。

 本当に予防を考えるなら、お金をかけて、能力の高いケアマネジャーを育成し、実践してもらえる仕組みを作ることである。