ソーシャルワークの TOMORROW LAND ・・・白澤政和のブログ

ソーシャルワーカーや社会福祉士の今後を、期待をもって綴っていきます。夢のあるソーシャルワークの未来を考えましょう。

レジデンシャル・ソーシャルワーク論?(12)

2008年03月31日 | レジデンシャル・ソーシャルワーク論
レジデンシャル・ソーシャルワーカーは入退所、特に退所にいかに関与すべきかについて考えます。入所時に利用者に関する情報を得て、安全・安心を狙いにした施設のケアプランを作成するのは、レジデンシャル・ソ-シャルワーカーの仕事である。これと同様、施設退所においても、レジデンシャル・ソーシャルワーカーの役割は大きい。

 具体的には、入所以降、おそらく施設内のケアプランは利用者を担当するケアワーカーが中心になってアセスメント情報を有することになるが、多職種がそれぞれアセスメント情報をもって集まり、利用者の参加も得て、レジデンシャル・ソーシャルワーカーが司会役になりカンファレンスを行い、そこでケアプランを継続して修正していくことになる。ここまでは、入所中のケアプランである。

 入所者が退所する場合には、本人から退所意向についての気持ちを知ることが必要である。これについては、レジデンシャル・ソーシャルワーカーが日々利用者と関わる中でキャッチしたり、他職員からの情報から利用者の本意を伺うことことを行う。そのため、レジデンシャル・ソーシャルワーカーは常日頃から利用者とのコミュニケーションを図り、信頼関係をつくておく努力が必要である。

 次に、施設内のケアプランから退所に向けたケアプランに移行していく。これにもレジデンシャル・ソーシャルワーカーが中心になり、ケアプランの内容を、在宅生活を可能にしていくものに大きく変えていく必要がある。時には、ケアプランの中に在宅生活に向けて必要なSST(social skill training 社会生活訓練)を取り入れることが必要になる場合もなる。

 さらに、レジデンシャル・ソーシャルワーカーが在宅でのケアプランに関わってくれるソーシャルワーカーやケアマネジャーを利用者と一緒に決定し、在宅のケアプランを作成を支援することで、利用者の生活の連続性を保つことになる。

 こうした過程を理論化し、実践していくことで、レジデンシャル・ソーシャルワーカーが中心になり施設退所を進めていくことができるのではないでしょうか。ただ大事なことは、レジデンシャル・ソーシャルワーカーがこうした業務をする能力があり、同時に他のスタッフが納得してくれることが必必須である。そのためにも、認定レジデンシャル・ソーシャルワーカーの制度が必要ではないのでしょうか。

行政職員の研修講師は原則お断り

2008年03月31日 | 社会福祉士
私は講演依頼があった場合は、時間が許す限りは、お引き受けすることにしている。但し、行政職員向けの研修だけは、理由をつけて、原則断ることにしている。それは、今までに嫌な思いが何回かあったからである。

 行政職員向けの研修で最もポピュラーなのが「社会福祉主事認定研修」である。この研修で、二度忘れることのできない嫌な経験がある。

 一つは、朝一番の研修講師であったが、始めようとしたときには、既に相当な受講生が寝ていた。講師としては、眠らせない講義は可能であろうが、起こす講義は至難の業である。

 二度目の嫌な経験は、研修時間中に、ある福祉事務所職員が職場から利用者個人のファイルをそれも一〇数冊も持ち出してき、研修中にファイルに記録を書いているのである。これには、私も利用者の守秘義務を教える必要もあり、ファイルを持ち出す姿勢に激怒し、所長も呼び出し、厳重注意をしたことがある。全ての行政の専門職がそうした態度ではないことは、重々承知していますが。

 これ以来、原則、行政職員の研修は私には手に負えないと思っている。何も、行政職員の悪口を言いたいわけではなく、行政には確かに権威や権限は強いが、そのことも含めて、ここがソーシャルワーク専門職を直接担う機関として適切なのかどうか悩むことが多い。ある意味、市町村では、一般職員は福祉分野はいきたくない、おもしろくない職場になっているのではないかと、危惧する。大阪市長であり、大阪市の基盤を作った関一は、当時の社会部を職員が経験することが、市民の実態や思いを理解する上で重要であり、その経験を昇格への道にしていったという話を聞いたことがある。また、職員もそこで働くことに喜びや誇りをもっていたという。こうしとかとが、今でも言える市町村であることが必要ではないのだろうか。職員は、シビル・サーバント(市民に仕える人)ですし、そのことが、職場内でのソーシャルワークの土壌が作られるのだと考えます。

 行政職員の内でも、社会福祉系の学校を卒業した者はそうでないことが多いであろうが(そう願っている)、昇格等が遅いことを感じることが多い。そうしたことがやる気をなくすことが生じるかもしれない。

 このブログを見られた行政職員の方、是非ご意見を頂きたい。

学生の就職先支援のとまどい

2008年03月27日 | 社会福祉士
卒業式が近づいてきたが、今年も多くの学生が社会に巣立っていく。私の自慢して良いと思っていることは、ほとんどの学生が社会福祉の領域で働いてくれることである。

 教育者としてうれしい限りである。

 これらの卒業生は、大きく行政に行くのか、民間に行くのかに分かれる。行政では、家裁の調査官、国家公務員上級といったところから、都道府県や政令指定都市の福祉職、あるいは都道府県や市町村の行政職が該当する。民間は、社会福祉協議会から、その他の社会福祉法人、シルバーサービスと呼ばれる株式会社、NPOといった事業者が相当する。ただし、行政職員に就職できる者は、一般に筆記試験での能力が高くないと難しいのも現実である。

 長年の経験から、行政に採用された卒業生は、女性の場合でも、結婚後も辞めずに停年まで仕事を続けていることが多いことが分かっている。逆に、民間の場合は、一般に職を変わりたいと相談に来ることも多く、結婚と同時に辞めることが多いことが分かっている。

 そのため、数年前までは、公務員になることを勧めてきた。しかしながら、利用者に対する相談業務が、行政から民間に移行していること、さらに行政職員では、思い切った仕事が難しいことから、必ずしも公務員になることがベターといった発言はできなくなっている。逆に、民間に勤めてはいかがといった思いが強いが、ここでは安い給料でも辛抱できるか、さらにはクローズの職場ゆえに、時にはややこしい人間関係があってもがんばれるかを尋ねることにしている。

 教員として、卒業生がどのような職場に行くべきなのかについて、簡単に説明や支援ができない時代を迎えているのではないか。皆さんはどうなされていますか。

コロンビア大学社会福祉大学院研究科長の話からやってみたいこと(その2)

2008年03月27日 | 社会福祉士
コロンビア大学では、大学院生ではあるが、前回話した4つの方法(臨床的実践、ジェネラリスト実践およびプログラム、企業管理・運営、社会政策)について、7つの領域(高齢者、児童と家族、健康・精神保健・障害者、学校、現在の社会的課題、移民、就労)から選択することになり、選択肢は28種類がある。さらに、「ダブル・デグリー」の制度があり、ビジネス、多様性、国際、ユダヤ商業サービス、法律、公衆衛生、公共政策と管理・運営、特別支援教育、都市計画といった修士の修了資格が同時にとれることになっている。

 学生には多くの選択肢が与えられていることがうらやましい点である。大学院生ということや大規模のソーシャルワーク大学院であり、日本で同じことはできないが、それぞれの大学での社会福祉系学部や学科で、できる範囲内で、学生が多様な学習機会に恵まれ、その学習した成果が社会から承認される仕組みを、社会福祉士養成施設や社会福祉教育学校連盟が個々の教育機関と一体となり、作っていくことが必要であることを知らされた。

 それぞれの大学、一般養成施設で、教員や職員が一体になり是非お考え下さい。それが、社会福祉系大学や一般養成施設の生き残る一つの方法だと思います。

 コロンビア大学大学院研究科長が日本に来られているのも、生き残ると言うよりは、世界のリーデイング大学院を目指しての取り組みであろうと理解している。

レジデンシャル・ソーシャルワーク論?(12)

2008年03月27日 | レジデンシャル・ソーシャルワーク論
レジデンシャル・ソーシャルワーカーは入退所、特に退所にいかに関与すべきかについて考えます。入所時に利用者に関する情報を得て、安全・安心を狙いにした施設のケアプランを作成するのは、レジデンシャル・ソ-シャルワーカーの仕事である。これと同様、施設退所においても、レジデンシャル・ソーシャルワーカーの役割は大きい。

 具体的には、入所以降、おそらく施設内のケアプランは利用者を担当するケアワーカーが中心になってアセスメント情報を有することになるが、多職種がそれぞれアセスメント情報をもって集まり、利用者の参加も得て、レジデンシャル・ソーシャルワーカーが司会役になりカンファレンスを行い、そこでケアプランを継続して修正していくことになる。ここまでは、入所中のケアプランである。

 入所者が退所する場合には、本人から退所意向についての気持ちを知ることが必要である。これについては、レジデンシャル・ソーシャルワーカーが日々利用者と関わる中でキャッチしたり、他職員からの情報から利用者の本意を伺うことことを行う。そのため、レジデンシャル・ソーシャルワーカーは常日頃から利用者とのコミュニケーションを図り、信頼関係をつくておく努力が必要である。

 次に、施設内のケアプランから退所に向けたケアプランに移行していく。これにもレジデンシャル・ソーシャルワーカーが中心になり、ケアプランの内容を、在宅生活を可能にしていくものに大きく変えていく必要がある。時には、ケアプランの中に在宅生活に向けて必要なSST(social skill training 社会生活訓練)を取り入れることが必要になる場合もなる。

 さらに、レジデンシャル・ソーシャルワーカーが在宅でのケアプランに関わってくれるソーシャルワーカーやケアマネジャーを利用者と一緒に決定し、在宅のケアプランを作成を支援することで、利用者の生活の連続性を保つことになる。

 こうした過程を理論化し、実践していくことで、レジデンシャル・ソーシャルワーカーが中心になり施設退所を進めていくことができるのではないでしょうか。ただ大事なことは、レジデンシャル・ソーシャルワーカーがこうした業務をする能力があり、同時に他のスタッフが納得してくれることが必必須である。そのためにも、認定レジデンシャル・ソーシャルワーカーの制度が必要ではないのでしょうか。

コロンビア大学社会福祉大学院研究科長の話からやってみたいこと

2008年03月26日 | 社会福祉士
今日、アメリカの名門コロンビア大学の社会福祉大学院の研究科長ジャネット・高村先生が私の大学に来られ、何人かの先生と懇談の機会をもった。目的は、社会福祉の研究において、日本とアメリカでもっと教員や大学院生の交流を図っていこうというのが主旨であった。

 ここでは、つまみ食いであるが、コロンビア大学の社会福祉大学院で現在実施しているソーシャルワーク教育で学びとり、取り入れたいことが2つあった。それを紹介したいと思います。

 一つは、教育の4つの領域の一つに「Social enterprise administration」が「clinical practice」「generalist practice and programming」「Social policy」と並んであり、ここでは企業でのソーシャルワークについて教育し学生を送り出しているが、一流企業ほどソーシャルワーカーを採用し、有効に活用されているとのことである。

 日本のソーシャルワークの最後の残された雇用先や研究部分は、こうした「民間企業」にいかに採用され、同時にそこで評価される仕事ができるかである。企業での職員のドロップアウト、精神的な問題、家族内での育児や介護といった問題に適切に対応できるソーシャルワーカーが配置されておれば、企業の社会的責任を果たすことができると考える。

 現在、社会福祉学部や学科の学生が就職で企業を受験すると、シルバーサービスはともかく、一般には「変わり者」といったイメージで見られがちである。厚生労働省が、少子社会対策として、企業に社会福祉士の配置を義務づけるようなことがあれば、一度に世の中は変わるのだが。そこまで時代は来ていない。

 一度、ソーシャルワーカーや社会福祉士の職域を広く企業まで広げていくことを、戦略的に考えませんか。

 高村先生から得たもう一つの示唆がありますが、それは、最近コロンビアの大学院で始めた事業で、大変興味の引く授業があった。それは、「Cap stone Project」という教科であり、大学側がきわめて複雑な事例を提示し、それに対して、ソーシャルワークやソーシャルポリシーの多様な関心がある学生がグループを作って、時間をかけて、理論に基づく(エビデンス・ベースド)分析や介入計画を作成し、そのレポートでグループ間で競争させるものである。これには、大学院の最終年の学生が全員参加義務があり、そこでは、個人、家族、地域、政策のいずれに関わる者であっても、多面的な実践能力を身につけることができ、実習以上に役立つか、あるいは実習後に有効な方法と考えられる。

 ただし、これには、教員の指導能力が問われることにもなり、それぞれの大学でクローズで実施していたのでは、日本の場合有効に機能しないのではないかと感じる。そのため、全体の実践レベルを高めるためには、どこかの組織(例えば、社養協)が各大学や養成施設から募集して、理論に基づく分析や介入計画のレポートのコンペをやって、優秀な学生なり大学・養成校なりを表彰しているを作ることはいかがでしょうか。建築等では、大学生のコンペが盛んなように、社会福祉でも、どこかにスポンサーになってもらい、やりましょう。

事例検討会を主催して

2008年03月26日 | 社会福祉士
5回にわたり、様々な領域のソーシャルワーカーが約30名集まっての、事例検討会の最終回が先日終わった。最終日は、検討会を終わってからの、わいわいがやがやの少し懇親を深めた。

 日々教育現場でいる私にとって、こうした会は貴重な時間であり、このことが教育や研究に役立っている。
 この検討会は皆んなが自発的に夜6時30分から集まって事例を発表し、ストレングスの視点で事例を検討し、同時に発表者をストレングスの視点で支援しあう会合である。

 今回のメンバーには、ホームレスの施設、保育所、母子自立生活施設、視覚障害者施設、高齢者施設、居宅介護支援事業者等からご参加頂いた。今回の主旨は、利用者のストレングス探しをテーマとして、すぐに施設からホームレスに戻ってしまう人、仕事をすぐに辞めてしまう障害者、外に常に出て行く認知症者、子どもの養育が十分にできない母親、麻薬の常習歴があり職場での適応が難しい母子家庭の母親等について検討しあった。こうした事例の誰もが、○○ができる、○○が好きである、○○をしたい、○○をしてくれる○○がいる、といったことを見つけ出し、そうしたストレングスを支援計画に反映してもらうことを、皆で行った。最終回の感想として、利用者が異なっても、ソーシャルワークの支援は基本的に同じことであること、ストレングスを中心とした支援計画を作成することが必要、他領域について学ぶことは今後の仕事に役立つ、といった意見を得ることができた。また今回は、どの事例についても、どうすれば、利用者が意欲を高めるのかについて、皆で整理できたことが大きな成果である(これについては、一度時間をとって書いてみたい)。

 なお、不思議なことに、行政等様々な機関にも連絡したが、行政からも社会福祉協議会からも参加はどちらも0名であった。これは前回の検討会も同じようだったと記憶している。検討会後の懇親会で明らかになったが、参加者は非常勤職であったり、低い給料で仕事をしている人が圧倒的に多かった。しかし、利用者と共にいることや、利用者が変化ksしていってくれることがあり、この仕事がたまらなく好きだという人たちであった。感動して、涙がでそうになった。ある公設民営の社会福祉法人の施設では、市から出向している人はすごい収入を得ているが、今回参加したプロパーは1年ごとの契約職員で、職員の給料では家族を養っていけない状態にあるとの話も聞かされた。

 社会福祉の世界においても、格差社会があること、さらにどちらの職員が本当に利用者の役に立っているのかについても考えさせられた。

 同時に、高い給料をもらっている行政や社会福祉協議会のソーシャルワーカーは、どうして参加しないのかを考えてみることも必要であろう。彼らは、主催者である私が嫌いであるからか、優秀だと思っておりこうした機会は不要なためか、職場が夜も仕事で忙しいからか、職場で常時検討会を開いていて不要だからか、研修は日当をもらって参加するものと考えているからか、ワーク・ライフ・バランスを実行するためか、何が理由が分からないが、何か寂しい気分になる。専門職は、身銭を切ってでも、自らを高めていく意識をもって欲しいと思う(この検討会はもちろん無料であるが)。

どうすればソーシャルワークを楽しい仕事にすることができるのか

2008年03月25日 | 社会福祉士
ソーシャルワーカーが自らの仕事がおもしろい、楽しいと思わないと、利用者が不幸である。それでは、どうすれば、楽しく、意義あると感じられる仕事になるのか。

 それは、自分の行っている仕事を振り返り、役に立っているという感情がでることであり、特に、ソーシャルワークの場合は、利用者の対して、そうした評価が主観的・客観的にできることである。そのためには、評価の方法としては、利用者からの意向、利用者のその環境の客観的な変化、ソーシャルワーカーの利用者や環境の変化についての主観的な評価、第三者から受ける評価等が考えられる。

 そのため、ソーシャルワーカーが楽しく、かつ利用者がいきいきするたえめには、ソーシャルワークでの評価方法、内容(項目)、基準といった研究を進め、活用していくことも必要である。

ケアワークとレジデンシャル・ソーシャルワーク

2008年03月25日 | 社会福祉士
社会福祉士の実習において、施設の介護実習を大切だという方と、不要という方で、極端に意見が異なる。さらには、社会福祉士の教科として介護理論を含めるべきかどうかについても、同様の議論になる。

 これに対する私の答えは、今までブログで続けている不連続の連載「レジデンシャル・ソーシャルワーク論」から読み取れる。ベーシックな社会福祉士の教科として、介護理論は部分的に必要であっても、実習は不要であろう。但し、施設の相談職として、レジデンシャル・ソーシャルワーカーとなるためには、介護理論の教科だけでなく、介護実習も不可欠であろう。

 そのため、ジェネラリストとしての社会福祉士教育と、スペシャリストとしてのレジデンシャル・ソーシャルワーカーの教育を分けて、議論するべきである。施設の相談職に採用される人材を養成するためには、レジデンシャル・ソーシャルワーカーの認定制度が必要なように思う。

 もう一つ、社会福祉士の国家資格を取得した学生が施設の就職する際に、よく介護職からスタートしてくださいと言われることが多い。このことを否定するものではないが、なぜ介護職から始めるのかについての整理が必要である。施設の多数を占める介護職の仕事についてまずは理解し、それをもとに相談職として、チームアプローチの基礎を作ることでは意義があるんではないでしょうか。

レジデンシャル・ソーシャルワーク論?(11)

2008年03月25日 | レジデンシャル・ソーシャルワーク論
 レジデンシャル・ソーシャルワークについて論じてきたが、今は在宅の時代にあって、人員配置の観点からも、不要論といった雰囲気も強いが、それでは現状の施設の相談職を見捨てていことになる。同時に、他の国にはあまり確立していない相談職の役割をレジデンシャル・ソーシャルワークの本質的な業務として、世界の国々に発信していくことが、日本の社会福祉の使命である。とりわけ、日本の社会福祉士の大多数は施設の相談職であることを忘れてはならない。

 現在的な課題と結びつけることで、レジデンシャル・ソーシャルワークを蘇らせていくためには、レジデンシャル・ソーシャルワークがコミュニテイ・ソーシャルワークといかにつながっていくかを考えることも一つの方法である。すなわち、、レジデンシャル・ソーシャルワーカーが施設から地域社会に移行していくことで、どのような手順で実施できるかを明らかにすることである。

 レジデンシャル・ソーシャルワーカーは施設内のケアプランから地域移行に方向付けることができることができれば、コミュニテイ・ソーシャルワーカーとの接点をもつことができる。そのため、施設でのケアプランから地域移行にいかにつながっていくかを次回には考えてみたいと思う。その時に、レジデンシャル・ソーシャルワーカーがいかにこれらに関与するべきかについても言及する。

レジデンシャル・ソーシャルワーク論?(10)

2008年03月24日 | レジデンシャル・ソーシャルワーク論
児童養護施設では、児童に対する日々のケアだけでなく、いかに家族や地域社会にソフトランデイングするかである。そのことを推進するのが、児童指導員の仕事であり、それはレジデンシャル・ソーシャルワークと言うことができる。

 そのため、児童指導員は、保母と一緒になり、日々のケアプランを作成・実施し、同時に、退所に向けてのデイスチャージ・プランにつなげていくことになる。そのため、児童指導員は、個々の児童の施設での質の高い生活を支援するためのケアプラン作成・実施の責任を担い、同時にケア・カンファレンスを企画・実施していくことになる。そのため、児童指導員がレジデンシャル・ソーシャルワーカーとして活躍するためには、サービス管理責任者同様に、施設のケアプラン、カンファレンスの進め方や保母とのチーム・アプローチ、職員を束ねていく上でのマネジメントといった知識が必要になってくる。

 このように考えると、児童福祉施設、障害者福祉施設、介護保険施設のいずれであろうと、レジデンシャル・ソーシャルワーカーが必要であり、その職員は既存の相談職が担うことができることが分かった。さらには、どのような施設であろうと、必要とする知識や技術は共通しており、レジデンシャル・ソーシャルワーカーとしての養成が可能であることが明らかになった。最後に、そうした知識や技術をもっている者なり、その知識や技術についての教科を履修した者に対して、資格認定をしていくことを提案してきた。

 能力にある者について、それを社会に知ってもらうためには、こうした認定資格は大きな意味がある。さらには、資格取得者は、他の人々とは異なる能力が発揮できることに自信がもてる制度でなければならない。

 現在、施設で相談職を担っている皆さん、こうした仕組み作りを一緒にしませんか。

 以上の希望的な構想のもとには、実践能力をもった社会福祉士を育成できることが前提であり、そのことを忘れてしまうと、以上のような構想は味気ない幻想で終わることになることを忘れてはいけない。

 次回からは、レジデンシャル・ソーシャルワークがコミュニティベースド・ソーシャルワークといかに接点をもっていくかで、議論を深めたい。乞うご期待下さい。

卒業式に思う(2)

2008年03月24日 | 社会福祉士
私の大学では、卒業式を「学位授与式」と呼ぶ。具体的には、学士の学位を授与される者○名、修士の学位を授与される者○名、博士の学位を授与される者○名ということで、当日の式典を紹介されることになる。

 昨日の学位授与式で、私は今年も、主査になり2名の課程博士を出した。1名は、韓国の有名な女子大学を卒業して私のところへやってきた留学生である。彼女は、後期課程では韓国に帰って結婚・子育ての中で、インターネットで指導しながら、来日して10年にして、博士の学位を得て、近々母校でポスドクとして研究者としての仕事を始めることになった。私としては、少し肩の荷が降りたような気がしている。韓国では、博士の学位がなければ、研究者の道が閉ざされているそうですが、母国で新たな飛躍を期待している。

 もう1名は、大学時代に本学を卒業し、社会人経験を終え、修士、博士のコースに進級してきた、優秀な学生である。出産・子育てや、夫の海外赴任もあり、休学期間もあったが、7つの査読付き論文をコーデイネートし、レベルの高い博士論文を仕上げてくれました。彼女は研究者志望ですが、昨今の社会福祉系大学・学部の志願学生の減少から、就職先がまだ決まっていません。多くの大学にアプライしているが、早く彼女にあった研究先が決まることを祈っている。

 社会福祉でも、他の領域と同じように、大学院生の就職が難しい時代を迎えおり、今まで売り手市場だったものが、今は買い手市場に変わりつつあることを実感します。

卒業式に思う(1)

2008年03月24日 | 社会福祉士
 今日は卒業式であった。多くの卒業生が巣立ち、社会福祉領域で働くことになる。老人ホームで勤める者も、行政や家庭裁判所で働く者もいる。社養協からのお祝いの言葉もあり、また社養協会長からの優秀学生表彰もあった。

 優秀表彰を受けた学生から感謝の言葉を頂いたが、「社会に役立つ仕事がしたい」という思いで入学してきた」との入学時の気持ちを吐露されていた。教員の責任として、現場に出て胸を張っててソーシャルワーカーとして社会に役立つ活動ができるまでに教育できたかかどうかについては、正直自信がない。申し訳ない気持ちである。

 ただ、彼女の発言から、「実習で多くのことを学んだこと」や「国家試験に向けてみんなが助け合って勉強してきたこと」が印象深いとのことである。その意味では、実習を質量ともに充実していくべく努力していきたいと思った。また、国家試験は自らの4年間学んできたことを整理することとして意義あることを確認した。

 私の大学だけでなく、福祉系の学部や学科を巣立っていく時期であるが、みんなが社会人として忍耐でもってがんばって頂きたい。現実のソーシャルワークの職場は時にはソーシャルワーカーが「ひとり」といった職場も多い。そのため、仕事で悩んだときには、先輩に相談できない場合も多いと思われる。そうした場合は、是非大学に帰り、恩師の先生に相談してほしい。親切に相談にのってくれるものと思う。

レジデンシャル・ソーシャルワーク論?(9)

2008年03月21日 | レジデンシャル・ソーシャルワーク論
社会福祉施設では、今まで述べてきた障害者や高齢者の施設だけでなく、措置制度の残っている児童福祉施設もある。このような施設においても、レジデンシャル・ソーシャルワーカーが必要不可欠なことを論じてみたい。

 私は、30年弱前に、事例研究会で児童養護施設の子どもが施設を退所し、就職していったケースの検討で、今も痛烈に忘れられないことがある。この子どもは、中学校を卒業して就職するが、職場になじめず、職を転々とすることになり、最終的には、やくざの世界に入ってしまった。それで、なぜ失敗してしまったのかを、自問し続けた記憶があります。

 この自問の中で、この事例に対して、様々な「つっかい棒」を作ることができれば、どのような強風にも倒れることなく、このような事態には至らなかったのではないかという印象をもった。その後、私は、当時の事例を頭に浮かべながら、ソーシャルワークの支援としての「つっかい棒」作りを一つの研究テーマとしてきた。

 この「つっかい棒」は、子どものことを最もよく知っている施設の職員が中心に行うことがベストであると確信しています。30年も前の事例で古くさいと言われるかもしれません。確かに、養護施設に入所している子どもの特徴は大きく変わり、被虐待児、学校に適応できない子ども等複雑多様なニーズを有した子どもが多くなっていますが、彼らが、家族に帰るにしても、あるいは就職を含めて社会復帰するにしても、「つっかい棒」作りは重要です。

 こうした仕事を施設でするのは、本来児童指導員といった職種の方が行うのだと思います。同時に、この仕事こそがレジデンシャル・ソーシャルワーカーが実施すべきことのように思います。すなわち、児童指導員は、レジデンシャル・ソーシャルワーカーになるということではないのでしょうか。

なぜこのブログ書き続けることができるのか?

2008年03月19日 | 社会福祉士
このブログは今年の正月から何となく始めたものである。こんなに長く続くとは夢にも思っていなかった。私自身が驚いている。ブログ中毒になるかもしれないと不安にもなる。

 私はブログとは無縁というよりは、トラウマがあると思っていた。小学校では夏休みの宿題の「絵日記」は毎年三日坊主で、八月の終わりに母親に叱られ、九月一日には先生に叱られ、日記は私には無理だと信じていた。

 ところが、今回、何となく始めたことが三ヶ月近くも続いており、まだやめようといった気持ちにはならない。私は人間が変わったのだろうか。

 自己分析してみると、社会福祉士の制度が変わったこのチャンスを逃してはならないという気持ちが、毎日パソコンの前に座らせているように思える。社会福祉士が実践能力を高め、社会的にも高い評価が得られ、学生を売り手市場にしたいがためである。私自身はこの間、社会福祉領域で働くべく送り出しててきた多くの卒業生が、さらには実践現場で今も働いている同期の仲間が、ソーシャルワークの理論を実践と結びつけることが弱いがために、辛苦をなめているだろうことを想像すると、研究者の懺悔なり責務として、このブログに向かっているような気がする。

 ソーシャルワークや社会福祉士への思いは、まだまだ書きたいことだらけであり、今までの内容は氷山の一角に過ぎない。

 社会福祉士やソーシャルワークの今後に期待をもって、今後も書き綴っていきます。是非、一緒に「ソーシャルワークの未来」を夢を持って考えていきましょう。