ソーシャルワークの TOMORROW LAND ・・・白澤政和のブログ

ソーシャルワーカーや社会福祉士の今後を、期待をもって綴っていきます。夢のあるソーシャルワークの未来を考えましょう。

リーダーは孤独である

2008年05月27日 | 社会福祉士
 年を取り、年齢相応に、大学の内や外で様々な委員会・団体・組織・審議会等の委員長等にならざる得ないことが多い。このリーダーの役割が日本では大きく変わってきたのではないのかと思う。

 安定した、また右肩上がりの社会では、リーダーは取り巻きや部下の出した意見をまとめ、調整することで解決していた側面が強い。ところが、現在では、リーダーは自らの理念に基づき勇気ある決断が常に求められているような気がする。

 自民党政権での元小泉首相は勇気ある決断をし、その決断を何としてもやり遂げることで、高く評価される日本の最高責任者になったといえる。自らの理念として郵政民営化を決断し、それを実現するために果敢な努力を行ったのではないだろうか。そこには、衆議院の解散選挙では、自民党を割ってでも、容赦なく刺客を候補者として送り出し、勝ち抜くという信念とその行動が社会から信頼されたのではないだろうか。それゆえ、現福田首相にあって、国民の調査結果では、小泉首相再復帰待望論になっているのだと言える。ただ、付け加えておくと、社会保障を極めて停滞させ、セフテイ・ネットが崩れてしまったことで、私は国のリーダーとして小泉前首相を評価していない。

 我々の組織や団体はそれほど大きいものではなく、国を動かしていくこととは比較できる代物ではないが、どのような組織のリーダーであっても、こうした時代にあっては、リーダーは理念に基づき勇気ある決断をする必要があると感じている。同時に、その決断は実行できるよう周到な準備のもとで、絶対勝てる(社会から歓迎される)仕掛けを作っていくことが大切である。そこで勝てなければ(歓迎されなければ)、リーダーから去るのみである。

 その意味では、リーダーに立つ者は孤独である。勇気ある決断ができない福田首相、さらにはその孤独に病魔が襲った安部首相、両者とも孤独であろうことが創造できる。こうしたことを考えると、組織や団体は、誰がリーダーになるかにより、大きな影響を受けることになる。そのため、それぞれの組織や団体は長になる人材を順次輩出していくといった意識をもつ必要があろう。さもなければ、組織は弱くなっていくことが目に見えている。

 リーダーであることでは、二つの悩みがある。一つは、最後は孤独であると実感することである。もう一つは、最終決断することの怖さである。
 
 最初の孤独については、私自身が団体や組織をマネジメントしていく上で、孤独であることを身をもって感じることが多い。その際に、むやみやたらに人に電話をかけたり、酒を飲んだり、部下に当たったりで、解消するのではなく、自らの理念が社会的な受け入れられるか、評価されるものであるかどうかを自問することで、孤独を乗り越えていかなければならないと思っている。

 その意味で、このブログは、自らの理念を社会に訴える窓口になっており、その反応をコメントで得ることで、孤独からの解放に役立っているのかもしれない。その意味では、私のブログを読まれる人に対して、私は孤独のはけ口にして、ご迷惑をかけているのかもしれない。申し訳ございません。

 第二の最終段階での決断について、自らの責任で重要な決断をする時には、他の人の意見を聞いたり、周りを見渡したりするが、最後にはいつもラインホルド・ニーバー(Reinhold Niebuhr)牧師の祈りがよぎる。この祈りは第2次世界大戦中、第一線の塹壕でクリスマスを迎えた米軍兵士に牧師が届けた祈りである。

The Serenity Prayer
God, give us grace to accept with serenity the things that cannot be changed,
Courage to change the things that should be changed,
and Wisdom to distinguish the one from the other.

日本語訳は以下の通りである。

 神よ、
 変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたたまえ。
 変えることのできないものについては、それを受け容れるだけの冷静さを与えたまえ。
 そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する知恵を与えたまえ。

 私はプロテスタントではないが、最後は私の心の奥にある神に尋ねることになる。まさにそのことが孤独でもある。