思いつくまま

みどりごを殺す「正義」はありや?
パレスチナ占領に反対します--住民を犠牲にして強盗の安全を守る道理がどこにあろう

梁文道:「大局観」だけでなく歴史観も必要ですよ(余秋雨批判)

2008-06-28 19:09:06 | 中国異論派選訳
梁文道:「大局観」だけでなく歴史観も必要ですよ(余秋雨批判)

2008年6月16日

 中国史の中で最も人を感動させる特色のひとつは歴史記述である。歴代の史官は「実録」形式で、できるだけ客観的に王朝の上や下で発生した大きな出来事を記録した。皇帝が酒色におぼれたり暴虐であったりしても、皇帝に遠慮する必要はなく、天災や人災などもろもろの原因で異常現象が起こっても、書くのをはばかる必要はない。そしていっさいを後世に残し、自らを信頼するだけでなく、未来をも信頼する。別の一族が皇帝になると、前の王朝の残した記録に基づき、歴史を編纂する。これは後世の人の前世の人に対する責任である。「滅びたる国を興し、絶えたる世を継ぎ、逸民を挙ぐる」(訳注:典拠は『論語』尭曰第二十)。君は他人の王位を簒奪してもかまわないし、他人の天下を滅ぼしてもかまわないが、他人の記憶と歴史を奪うことはできない。同時に君も安心したまえ。将来君の子孫が行き詰まり、君が築いた発展の基礎が廃れ失われても、君が前世の人を記憶したように、君のすべても人によって記憶される。

 天地の正義は、時に時間の中に捜し求めるしかない。俗な言い方で言えば、「誰も歴史の審判から逃れられない」。だから、忠臣が冤罪を負って死んだり、良民が暴政でパニックになったとき、唯一彼らの潔白を証明できるのは、後世の人が書く歴史である。とはいえ、これは理想であり、現実の史官は権力者の干渉を受けないわけにはいかない。過ちを隠すために、多くの人が事実の痕跡をもみ消そうとしたので、記憶と記録は道徳的な行為であるだけでなく、一種の政治となった。

 もうすぐ20年になる。毎年8×8(訳注:1989年6月4日)の夜には、いまでも何万人もの香港市民がロウソクを持って、彼らの記憶道徳を実践している。しかし、もう一つの声がどんどん大きくなっている。それは彼らの行為は国家にとって不利であるという。この説が最も喜んで取り上げるのがいわゆる「大局観」である。それは、今日みんなが享受しているすべて、および国家の繁栄は、すべてあのとき殺しておいたおかげだと言う。その論理はもとより冷血であり、我々に自分の安定した生活は実は殺人の結果であり、あたかも盗品のようなものであることを受け入れるよう強制する。しかし、より検討に値するのは、多くのこの種の主張をする人が同時に喜んで権力者のために発言していることである。そして、人によっては次のように言う。「君は小平の立場で物事を考えるべきだ。彼がもしああしなかったら、彼は権力の地位から引き摺り下ろされていただろう。だから、彼にはほとんど選択の余地はなかったのだ」。

**********

 時事評論は時局のさまざまな弊害を批判するだけでなく、往々にして政策論であり、政府の立場からの視点で、岡目八目で実行可能な提言をする。その種の文章を書き慣れると、だんだんと権力者の靴をはいて歩くことに慣れてしまい、うっかりすると自分の本来の立場と批判的視点を失ってしまう。中国人は政治談議が好きで、往々にして無自覚に自分を政府の立場に置き、当局の利益と視点を「大局」としてしまう。ひいては奇妙なことに自分を忘れて、なんと自分の権益を犠牲にして「大局」にあわせようとする。中国の文人はなおのこと国師になりたいという伝統的な欲望があるから、より簡単に自分を省みない「大局観」を養ってしまう。ときには政策論にとどまらず、進んで政府のメッセンジャーになって、役人に代わって人民をなだめすかそうとする。

 一部の四川省の被災民が裁判所に集まり、政府が学校の建築安全を無視して校舎を建てたために、多くの子女が校舎で亡くなったとして提訴しようとしたのに対し、著名な作家の余秋雨さんが「涙ぐんで被災者に請願する」(日本語訳:http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/c3a6db5235c79c08320547d63a30d2e2)という文章を発表した。彼は犠牲になった子供の遺影を抱えた父母に対しまず政府に全力で災害救助をさせ、堰止湖の危険を取り除いたり人口流動の問題を解決したりすることが先だから、この時期に訴えるべきではないと勧告した。余さんはそこで「大局」を持ち出している。「思うに、君達は大局と道理をわきまえているのだから、まずもっとも緊急の数十万人、数百万人の生きている人の安全問題を解決しようではないか、どうだね?」。彼はまた団結も呼びかける、なぜなら「これら内外の各種の力が邪魔されることなく集まることで、今後の非常に困難な任務が一歩ずつ達成できる」。もし「横槍を入れる」なら、「毎日われわれが間違いを犯すのを待っている中国人に対して悪意を持つ人間」に利用されることになる。

 この文章が発表されると、すぐに議論が起こった。思うに余さんの問題は独立した文人の立場を忘れて、最近流行の「震災大局観」を踏襲したことである。この種の観点によれば、災害の際には、全国人民は大局を重んじるべきであり、災害救助を妨げないよう、いかなる疑問や反省も提起してはならない(少なくとも暫くは)。問題は、このような観点を信じている人が全く「異議」がどうして災害救助を妨げるのかを説明していないことだ。誰かが地震警報がきちんと行われなかったと疑うと、軍や警察の石を運ぶ動きが遅くなるとでも言うのだろうか? 誰かが募金の使用を監督すると、地方政府が被災民を救済しなくなるとでもいうのだろうか? 一番奇妙なのは、これら論者はあたかも政府全体さらには全国13億人がみな洪水防止に忙しく、だからみんな「団結」しなければならず、決して気を散らしてはならないと思っているらしいことだ。たとえば、今回の父母は明らかに裁判所に提訴しようとしたのに、余さんはなぜこれを大局をわきまえないというのだろう? 裁判所の人もみな堰止湖の排水作業に行っていて、訴状を受け取れないとでも言うのだろうか?

 また余さんが強調している「反中国宣伝」だが、余さんは実は犠牲者の父母が手抜き工事を泣きながら訴える場面が見栄えが悪いから、「反中国勢力」に利用され、国家イメージを損ねると言っているに過ぎない。もし、被災地に注目している外国記者がみんな帰るころまでこの父母たちが我慢すれば、国家利益は守られるということだろう。しかし、われわれは政府を「国家」から抜き出すべきである。なぜなら、カメラの前のデモの場面はデモ参加者を含む被災者のイメージを傷つけるとはいえず、本当に傷つくのは地元政府のイメージに過ぎない。だから余さんの言う「大局観」とは主に「当局観」であり、当局の立場からの視点である。話を戻せば、これもまたわれわれ平民にありがちな習慣である。何かと人に「大局を念頭に置け」というとき、明らかに考えているのは当局である。あたかもみんな統治者ととても親しく、みんな自分を統治者の身内と思いたがるのだ。

 余さんのブログ上で、彼が転載した文章やコメントをたくさん見たが、賞賛の言葉ばかりだ(大規模なBBS上の余さんに対する批判のコメントは、すでに当局の指示により削除されたという。もし批判の削除が事実なら、余さんを不正義として陥れる行為だ。詳細は「香港独立媒体網」参照http://www.inmediahk.net/node/1000209 )。ある者は、「あの被災者は説得された」といい、ある者は「余秋雨さんは優秀知識人の人格水準をふたたび示した」と考え、さらにある者はネット上の罵声は余さんを動揺させないばかりか、「毎回攻撃を受けるたびに、ますます輝きを増す」という。余さんの文章は人の胸を打つので、以前よりファンが多いから、読者の支持を得ること自体は奇妙なことではない。ただこの件に関しては、わたしは余さんとそのファンの皆さんに視点を換えて考えること、人民の視点から考えることを提案する。

 例えば、同じように有名な知識人であり、同じように政府のために考えている銭鋼さんは次のように指摘している。「これからの長い災害復興の日々には、被災者は感情の昂ぶりもあるだろうが、政府は最大限の思いやりと寛大さで受け止めるべきであり……」。また、「指揮官には、『震災救助妨害』の罪名を持ち出すことを慎み、被災地の社会的矛盾を温和に解決するよう希望する。この非常事態に『円満』の二文字ほど尊いものはない!」(「政府は最大限の思いやりで被災者の感情に向き合うべきである」「明報」2008年5月18日)。

 もし、彼ら父母の視点から見たら、彼らは子供を失ったばかりなのに、その悲憤は政府の一時のイメージの問題に席を譲ることができようか? いわんや彼らは政府を訴えようとしたに過ぎず、政府が有罪だといったわけではない。法廷で真相を明らかにすることは、法治国家としてのイメージアップにもなるでしょう? わたしは正にメディアがその場にいるからこそ、訴える場のない父母達は一層力をこめて叫んだのだと思う。これは当局に事件を直視させるための伝統的な手法の理性的行為であり、また間接的に全国の無数の生徒たちの安全な環境を守るための義挙でもある。この期に及んで、なお彼らに当局のために怒りを抑え、黙って涙を流せというのは、公衆の面前から彼らの発言を削除し、ニュースで構成される歴史の中からこの見栄えのよくない記憶を消し去ることに他ならない。こんな要求を父母らに出せる人がいるとは、まさに涙ぐまずにはいられない。

 我々は物書きとして、どうして歴史に向かって説明しないでおられようか? 一つ一つの文章がいずれもこの時代の記録となり、後世の人によって論断される。中国は宗教主導の国ではないから、往々にして歴史が宗教の代わりをしてきた。とりわけ知識人は、死後や神、鬼についてはあまり話したがらず、もっぱら「立言、立功、立徳」の三不朽を求めた(訳注:『春秋左氏伝』襄公二十四年に「太上有立徳、其次有立功、其次有立言、雖久不廢」とある)。一般庶民はあるいは「挙頭三尺有神明=誰の頭の上にも神がいる」(訳注:典拠は広化法師『見賢思斉』)と言ったかもしれないが、文人が信じたのは「留取丹心照汗青=歴史の上に自らの忠誠の記録をとどめる」(訳注:典拠は『宋史』文天祥伝)ことであった。

原文:http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/f31677ea995c70846693d998bc772535