思いつくまま

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遇羅克:出身論(下)

2006-08-08 23:02:20 | 中国異論派選訳
3、出身の良し悪しと安全かどうかは全く関係がない

 官許派の同志はそうすると言うことを変える。「黒五類子女と彼らの家長はもちろん完全に同じではない…」。言外に紅五類子女とももちろん違うということを含意している。なぜか?なぜなら(ここで功利主義という護符が持ち出される)なぜなら、「彼らは安全でないからだ!」
 しかし、なぜ安全でないのか?「とにもかくにも、彼らは悪い影響を受けている!」と外因決定論者は言う。家庭の出身が悪いことは必ずしも悪いことではなく、また家庭の影響は社会の影響に従うことには沈黙する。では、家庭の影響が悪ければ、社会の影響がいくらよくても、表現は悪くなるのか?これは決して代数和の関係ではなく、弁証法的関係である。毛主席は、「破壊なくして建設なし」と言い、「破壊が先にあり、その後に建設が来る」とも言っている。もしも、自分の頭の中の非プロレタリア階級思想と闘争しなくて、どうしてプロレタリア階級思想を樹立できようか?我々は常々赤一色の教育を受け、苦しい思想改造を経ていない青年を温室の花と形容する。彼らは嵐に耐えられず、悪人に利用されやすいのではなかったか?文化大革命の初期、「親父が英雄なら息子は豪傑」と吹聴し、その出身が誰からもうらやましがられた豪傑たちは、後に修正主義路線を実行し、ブルジョア階級代理人になったのではなかったか?彼らは安全だろうか?プロレタリアの偉大な革命事業を指導した偉大な教師マルクス、レーニン、毛沢東はみな出身が悪いが、この事実は決して偶然ではない。問題のカギは、出身にあるのではなく、思想改造にあるのだ。
 「革命幹部の子弟は復古を望まないし、親をひっくり返そうとはしない」と家庭観念を重視する人は言う。往々にして、復古は知らないうちに進むものだ。運動の中で暴露された党内で資本主義を歩む実権派は、ここ数年のうちに抜擢された人々で、出身はみな良かったが、彼らは安全だっただろうか?後に形は「左」で実は右の工作隊は出身の悪い青年の差別政策を明文で、あるいは、暗黙里で進めた。そのころ革命委員会に入った者たちはほとんどが出身がよかったが、結局ほとんどが工作隊の反動路線のセールスマンとなってしまった。彼らは安全だったろうか?北京市中学紅衛兵のある責任者は、男女の秘書がそれぞれ二人ずつ、運転手一人、その他に乗用車、バイク、腕時計、カメラ、テープレコーダーなどなどを持っていて、陳伯達同志はニセ紅衛兵といっていた。このように、出身のよい者だけに頼っても同じように復古の危険はなくならない。古代に武則天という女皇帝がいたが、彼女は大臣の上官儀を殺して、上官儀の娘を秘書にしようとした。ある人が心配したが、彼女は「政治がまっすぐで開明でれば、自然と人は心から敬服する、何の心配があろうか?」と言った。反動路線の実行者たちを見よ、彼らは毛沢東思想を恐れ、党の政策を実行しようとせずに、どうして革命的青年を信じられようか?チャンちゃら可笑しい!彼らは封建帝王のこればかりの洞察力もないのに、「プロレタリアートの戦士」を自称しているのだ!我々の偉大な指導者毛主席は決して後継者の条件の中に出身という項目は入れないだろう、なぜなら彼の政策は最も正確で、路線は最も明確で、彼の指導のもとでは、青年もまた最も安全だからだ。そうでなければ、革命勝利のあとに搾取階級を駆逐したソ連において、すべての青年の出身がみなよくても、やはり安全ではなかった。
 安全論を主張する人は少なくないが、まともな理由はない。これが「階級的観点」だとでもいうのだろうか?ちがう!これは「階級的偏見」であり、プロレタリアートとは無縁であり、プチブルジョア階級にむしろ非常に近い。これらの人の頭の中には「公」という観念がなく、私有意識が強い。自分を基準に他人を測ると、彼らの観点によれば、親父が反動なら、子供は馬鹿者で、代々馬鹿者であり続け、人類は永遠に解放されることなく、共産主義は永遠に成功しない。従って彼らは共産主義者ではない。彼らの観点によれば、父親によって息子が決まり、人の思想は実践の中で生まれるなんてことは知らない。従って彼らは唯物論者ではない。彼らの観点によれば、父と母が良ければ、子女の思想は必ず良く、苦しい思想改造や思想闘争は必要ない。従って彼らは革命家ではない。彼ら自身革命せず、出身の悪い人の革命を許さない。彼らは「生まれつき赤い」と自称するが、「生まれつき赤い」はひどいあんこのゲッペイ(月餅)にすぎない。「生まれつき赤い(自来紅)」とは北京の一種のゲッペイの名前なのだ。
 我々は、毛沢東思想のもとで育った広範な青年を信じなければならず、まず表現のよい青年を信じなければならない。遺伝学によって一部の人を貶め、一部の人を持ち上げてはならない。そのような行為は、愚劣な政治的策略に過ぎず、いかなる道理もない。われわれはブルジョアジーの階級的偏見をもってプロレタリアートの階級的観点にとって代えようとすることを許さない。もちろん、有為な青年はすべて自分を改造する決意をしなければならない。そうすれば影響がよくなくても、悪いことを良いことに変えることができ、妨害を鞭撻に変えることができる。もしこのような決意がなければ、例え政治的表現が良かろうが、先は見えている。

三、迫害問題

 あるリーダーは1961年に「出身の異なる青年の間に、越えることのできない溝があってはならない」と述べた。
 あってはならないが、確かに存在している。これはどうしてできたのか?
 運動の初期に、迫害問題は時流に乗った人物が唱え出したものだ。それから誰もが自分は修正主義集団の迫害を受けたと言い出した。修正主義集団はかくも反動的であるから、自分が迫害を受けないばかりか、寵愛を受けたとしたら、革命的といえるだろうか?そこで譚力夫も自分は迫害を受けたと言い出した。経済的に迫害を受けたのか?困難時期(大躍進後の飢餓時代)彼はオランダの練乳を飲んでいた。政治的に迫害を受けたのか?思想的にあんなに反動でも共産党に入党したのに、どこがいじめられたお坊ちゃんだというのだ?改組した「北京日報」も紅五類出身青年の苦しみを訴える文章を大きく載せた。彼らは前の北京市共産党委員会修正主義路線の被害者だというのだ。すべての青年が被害者だというべきであり、なぜ出身のよい青年だけが被害者だというのか?彼らが一体どんな迫害を受けたのか見てみよう。
一、「我々は大学から拒絶され、大学は搾取階級の子女のために大いに便宜を図った」
二、「大学で出身のよい青年の成績が悪いので、教授から冷遇された」
三、「一部の出身の悪い青年が幹部に抜擢された」
四、「……」。もしも、これを迫害というなら、被害者は出身の悪い青年だ。堂々たる首都の大新聞がかくも白を黒と言いくるめるとは、その寿命が尽きたというべきだろう。事実を以って語らせよう!
 修正主義集団が権力を握っていた時期を振り返ると、毎年大学の募集が終わると、前高等教育部責任者が公告を発表した。「今年は多くの労働者農民子弟、革命幹部子弟を優先的に入学させた」。多くの大学がほとんど完全に黒五類子弟を入学させなかった。大学の中の重点学部学科については言うまでもない。大学は「労働者農民革命幹部クラス」設立を名誉とした。これを「搾取階級子弟のために大いに便宜を図った」ことというのか?大学に上がるにも、出身が良いものが優遇された。多くの大学で「貧農下層中農協会(貧協)」といったたぐいの組織を設立し、共産主義青年団組織と並列に置いた。今回の運動がはじまって以来、黒五類子女の遊説を禁止したり、出身をもって大字報を張り出す勇気ある青年を攻撃したり、出身の悪い青年の各種戦闘組織への参加を禁止したり、出身で挑発して民衆の衝突をあおったりしてきたが、これらのことを誰も意外だとは思わない。出身の悪い青年が迫害されるのは昔から当たり前だったからだ。紅五類出身の青年の成績が悪いというのは、出身のよい学生に対する侮辱だ。出身と学習が必ず反比例するなどということがあるものか?中学高校も同様だ。北京市教育局発行のクラス撹乱調査によると、そのなかに「撹乱」学生の出身という項目がある(注意:ここで言う「撹乱」と造反は関係ない、資料によると男女関係や窃盗行為などだ)、ほとんど出身が非常に良い。乱れたクラスの中で自分だけ騒がない者は、出身は逆に非常に悪い。その原因を聞かれて、答えは「私は出身が悪いので、他の人は騒いでも問題にならなくても、私が騒げば問題になる」。これはウソではない、中学高校だけでなく、小学校でも同じだ。ある校長が若い教師に言った「二人の子供が同時に反動的なことを言ったら、出身のよいのは影響の問題だが、出身が悪いのは本質の問題だ」。前共産主義青年団北京市委員会の指示かどうかは知らないが、あるとき、一部の学校の出身の悪い少年先鋒隊の幹部がすべて改選された。ここ数年、中学高校の共産主義青年団幹部、クラス幹部もみな出身によって選んでいる。一般の教師は世論によって左右されているのかもしれないし、自発的なのかもしれないが、出身のよい青年(とりわけ革命幹部子弟)を特別扱いしないものはいない。逆の状況は純然たる例外であり、そうでなければとっくに「階級的観点がない」というレッテルを貼られているだろう。
 工場でもこの現象は一般的だ。ここ3,4年のうちに昇進した事務職はほとんど例外なく出身がよい者だ。先進工作者の候補名簿にさえ出身という欄がある。ある工場では、出身の悪い労働者は徒弟を持ってはならない、精密工作機械を操作してはならない、と規定している。運動初期にはさらに「出身の悪い労働者は選挙権はあっても被選挙権はない」という規定もあった。各工場の実権派の罪状をまとめる時、かつて出身の悪い者を技術幹部に抜擢したということは、深刻な罪状であった。その後に実権派が再び同様のことをしたとしたらそれこそ不思議だ!工場の中にも紅衛兵が組織され、出身制限は非常に厳格だ。中央の指示文書を調べてみても、労働者に依拠するという言葉はあっても、出身のよい労働者にのみ依拠するという言葉はいまだに見当たらない。誰が労働者を2派に分けたのか?
 農村ではこのような例はもっと多い。修正主義の代表人物が「四清」運動を行ったところでは、地主富農子女を成分分けした。表現が悪い場合、出身が成分である。表現が普通の場合、農業労働者である。表現が良い場合、中農である。なぜ表現がよいと中農なのか?貧農下層中農にならないのか?貧農下層中農の子弟が表現が悪ければ、地主、富農になるのか?表現は出身の結果なのか、それとも出身は表現の結果なのか?出身が悪ければ、事務、財務、保管などの仕事はできず、転勤もできない。中等教育の普及していない農村では、中学に行くためには、教師、貧農下層中農協会、生産大隊長の3者の推薦を受けなければならない。もちろん、誰が出身の悪い少年の不名誉を広めようか?大隊長は紹介する「この子は出身もいいし、言うこともよく聞くし、仕事も良くやる、こいつにしよう!」。こうして中学に進学する。
 農村の中の一部の地区は、小学校から中学に進学する時、出身が60点、表現が20点、成績が5点、その他が15点と規定している。
 社会のほかの場所でもやはり同じだ。北京の街道(区の下の行政区画、街道弁事処が行政機関で農村の郷鎮に相当する。その下には行政機関ではないが行政によってコントロールされる居民委員会がある。)ではここ2年ほどの居民委員会の改選では、出身が主要条件となっている。街道弁事処の制作する無職青年求職登録票にまでも出身の記入欄がある。求職票の記入事項は主に2つであり、出身のほかは本人の履歴である。自分で履歴を記入するが、みな青年であり、当然状況はほとんど同じだ。求人単位が人選するときは、出身の良い者を選ばない単位はない。もし、出身の良い者を選ばないで、ことさら出身の悪い者を選んだとしたら、そいつは一体どんな思想なんだ?ということになる。だから、学校に進学できなくて街道で職を探す青年は、ほとんどが出身の悪い青年である。たくさん仕事を分配する時にだけ、彼らにも分配の可能性がある。我々はこの問題を研究する志のある同志に社会調査を行うよう提案する。自分の単位で出身のよい青年は何人か?出身の悪い青年は何人か?事務職についている人の比率はどれぐらいか?共産党員、共青団員の比率はどれぐらいか。出身が悪いために政治活動への参加を制限していることはあるか?この他に、1964年以降の「中国青年」などの雑誌を見てもよい。同志諸君、これら修正主義集団ににぎられた雑誌に発表される階級路線に関する修正主義的観点の文章を見よ。今の一部の人々の観点といかによく似ていることか。
 「出身が人を圧死させる」という言葉は少しもウソではない!似たような例は、「階級的偏見」を克服した人であればだれでも、我々よりも多く挙げることができる。では、誰が被害者か?このまま発展すれば、アメリカの黒人、インドのシュードラ、日本のなどのカースト制度と区別がつけられようか?
 「これこそが彼らに対する試験だ!」試験を引っ込めろ!君は人を彼らの家長と同じように復古を図り、危険で、遅れていると評価するが、一方でこんなにも高い要求を突きつけ、彼らがこの超人的な試験に耐えられると考える。その評価と、その要求の、何たる矛盾!マルクスの言葉を忘れたのか?「不幸なものに完全無欠を要求する」ことはあまりに不道徳なことである!
 「あいつらの親父は俺たちの親父を圧迫したから、俺たちはあいつらに遠慮しない!」なんとも狭隘な血統観念!資本主義社会においてさえ、父親が破産しても、子供が相続権を放棄しさえすれば、関係を離脱できる。今日父子関係がここまで密接になるとは思いも及ばなかった。可愛すぎるほど「左」だ!
 もうたくさんだ!我々はもうこれ以上何の見識もない主張に無駄に付き合うことはない。次にこの新しいカースト制度発生の根源を研究しよう!
 これこそ修正主義分子が作りあげたものだ。では、ブルジョア分子がなぜブルジョア階級出身の子弟を迫害するのか?奇妙ではないか?これは少しも奇妙でないと我々は言う。なぜなら、これらの青年と彼らは同じ階級に属していないからこそ、彼らは迫害する。復古の陰謀の実現は、プロレタリアート出身の子弟であろうと、非プロレタリアート出身の子弟であろうと、彼らにとって何の区別もない。あるいは温室の花や、世間知らずに「生まれつき赤い」重荷の上に寝ている青年は彼らにとって少しは有利だろう。とりわけ、1962年、毛主席が「決して階級闘争を忘れてはならない」という偉大な呼びかけをして以降、これら陰謀家は慌てふためいた。今矛先は誰に向いているか?闘争の矛先は主に共産党内で資本主義の道を歩む実権派に向いており、彼らが守ろうとする牛鬼蛇神(化け物達)に向いている。闘争の方向をそらすために、彼らは概念をこっそり入れ替えて、本来、父の成分は息子の出身だったものを、今では、彼らは父親の成分を息子の成分にしている。このように、まさに「階級闘争」の幌の下で、中央の指示を省みず、大規模な迫害が、有形無形の手段を通じて、大々的に行われている。出身の悪い青年は彼らの矢面に立たされており、生まれつきの「罪人」を迫害することが彼らの羊頭を掲げて狗肉を売り、衆目を惑わす虚飾の看板となっている!共産党中央は彼らが形は「左」で実は右の路線を推し進めていることを正確に指摘した。これが根源の一つである。
 彼らがこのような罪深い行いをする時、利用するのは社会の古い慣習の勢力であり、利用するのは青少年の単純な幼稚さであり、とりわけ一部の高級幹部子女の盲目的プライドである(例えば自分たちを、革命軍人、革命烈士、革命幹部の一二三類に分類し、労働者農民の子弟は第四、第五類とする)。かれらは、さらに一部の中下層幹部の欠点と誤りを利用したので、一部の幹部はこの反動的政策を承認し推進した。理論的には無知の表現として、彼らは何がマルクスレーニン主義の階級理論なのか、何がプチプルジョア階級の唯出身論なのか区別できない。認識上の曖昧さの表現として、彼らは青年のどのような表現が本質的なのか、どのような表現が表面的なのか区別できない。
工作上の軟弱無力の表現として、彼らは青年に政治思想表現の機会を与えることができず、彼らは政治工作をすることができず、出身を道具として、一部の人を攻撃し、一部の人を持ち上げることによって工作を進めた。政治的な情熱の衰退の表現として、彼らは細かな調査研究をやりたがらず、出身を枠組みとして使うことに満足した。革命意志の上での恐怖先行の表現として、彼らは責任をおそれて、本当に表現のよい人を抜擢できなかった。そこで、これらの事象がお互いに作用しあって、我々の社会制度のもとで、我々の共産党の傍らに絶対に容認できない現象が形成された。新たな特権階層が形成され、新たな差別を受ける階層がそれに伴って形成された。そしてそれは先天的で、変更できないものである。毛主席が指摘したように、種族迫害はすなわち階級迫害である。反動的修正主義分子のこのやり方こそ、まさにブルジョア反革命復古の前触れなのだ。
 我々が修正主義集団の出身の悪い青年に対する迫害の罪状を数え上げている時、なんと我々が修正主義集団を飾り立てていると非難する者がいる。これは別に不思議ではない。なぜなら、彼らはいまだに出身の悪い青年を迫害するのは大きな功績だと思っているからだ。誰が「イヌッコロ」を迫害したかなどを取り上げることは、彼らの屁理屈によれば、誰かを飾り立てる以外の何ものでもない。「我々は、例えそうだとしても、反革命修正主義分子は主に右から階級路線を破壊すると指摘せざるをえない。なぜなら、彼らは無謀にも地主、富農、反革命、悪人分子をかばい、ブルジョア分子をかばっている。彼らはブルジョア権威旦那を党内に引き込み、一部の黒五類分子に高給を与え、彼らと平和共存しようとしている。ひるがえって、出身の悪い青年を迫害することは、たとえプロレタリアート事業の一部の後継者を迫害することになったとしても、先鋭かつ複雑な階級闘争だからやむをえないではないか?」
 工作隊が権力を握っていたころにも、極「左」の容貌で階級路線を抹殺した。出身問題については、修正主義集団は同じ穴のムジナといえる。よって、この深刻な社会問題は解決されないばかりでなく、むしろ一層深刻になり、矛盾は拡大し、公然化している。残酷な「根から抜き取る」、という侮辱のきわみのいわゆる「弁論」及び、身体捜索、漫罵、拘留、殴打など深刻な人権侵害行為、これらの青年の生活の正常な秩序を破壊する各種の手段、彼らの政治的権利を剥奪する各種の措置、そのすべてが「超毛沢東思想」の容貌で出現した。そしてこんなにも多くの人が意気消沈し、自分を罪なき罪人で、人より卑しく、人前に出られないと感じている。彼らは全力で運動に打ち込むことができない。革命しようと思っても革命の元手がなく、造反しようと思っても造反の条件がない。どれほど多くの革命青年の情熱を窒息死させていることか!革命隊伍は縮小した。これこそが反動路線の下心にかなっているのだ。客観的には党内にもぐりこんだ資本主義の道を歩む実権派をかばう作用を発揮しており、民衆と民衆が争うことを挑発する作用を発揮している。もしも最も迫害を受けたこの大部分の革命青年を徹底的に解放しなければ、今回の運動は徹底的な勝利を勝ち取ることはできないという十分な理由がある!
 同志諸君!このような現象が継続し続けることを許しておけるだろうか?我々は直ちに立ち上がってこれら一切の汚泥を粛清しなくてもいいだろうか?この人為的な溝を埋めなくていいだろうか?反動勢力が権力を握っている時期に、迫害を受けている青年は出身の悪い青年だけではなく、資本主義の道を歩む実権派と対抗している労働者農民出身の青年とその他の革命青年もそうだ。我々は呼びかける。一切の反動勢力の迫害を受けている革命青年よ、毛沢東思想の旗のもとに、団結せよ、組織せよ!君たちはブルジョアジーの迫害を最も受けており、反抗は一層断固としたものとなる。彼らを批判する時、君たちは最も発言権がある。かのニセの被害者で実は寵愛を受けている譚という苗字の者に発言権はない。彼らに依拠して批判しても、必然的に深まりも徹底もしない。君たちは決して部外者ではなく、君たちは自分の命運を掌握した主人だ。臆病者だけが他人の恩寵を待ち続ける。革命が依拠するのは闘争だ!君たちは道徳的に毛沢東思想を防衛し、共産党の革命路線を防衛する義務がある。修正主義集団が右からそれを歪曲することを許さず、また反動路線が「左」からそれを攻撃することも許さない。君たちは自分がこの光栄ある任務をやり遂げる力があることを信じなければならない!君たちは抑圧されてもいないが偏見のない青年を排斥してはならない。君たちは彼らを団結させ、共に戦い、共に高めあわなければならない。同志諸君、我々は共産党を信じなければならない、我々は毛主席の教え「徹底した唯物主義者は何も恐れることがない!」をしっかりと記憶しなければならない。
 勝利は我々の側にある!
 すべての抑圧された革命青年よ、立ち上がって勇敢に戦おう!
1966年7月初稿
9月最終稿
11月修正

原文:
http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/
c8bb8b05da55d26f603b99db281b3c44

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