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秦暉:低自由かつ低福祉の中国モデルにはいかなる優越性もない(2)

2010-12-31 19:01:12 | 中国異論派選訳
秦暉:低自由かつ低福祉の中国モデルにはいかなる優越性もない(2)

自由と福祉

いま中国の未来について二つの予言があるが、私はそれらが現実となるのを望まない。予言の一つ目は中国崩壊論であり、中国のようなやり方を続けていたらいつか大混乱に陥ると言う。だが中国の現在の経済的エネルギーと世界経済への影響の勢いからすれば、もし中国が崩壊したら、おそらく世界もそれに続いて崩壊するだろう。たとえいまはそのような影響が出なくても、将来はその可能性を排除できない。中国の崩壊は中国にとって良いことでないことは確かだが、世界のどの国にとっても良いことではない。だが、中国がもし現在のモデルでずっと低人権の優位性の下で発展を続けたら、それは実際には自分を搾取することにより他人の借り越しの対象となるということである。このような優位性に何か良いところがあるだろうか? 世界にとって良くないことが、中国人にとって良いことなのだろうか? 多分一握りの権力者にだけは良いことだろう。

だから私は中国は変わるべきだと思う。変わることは実は簡単だ。自由も福祉も外国から学ばなければならない。政治的自由の意義は言うまでもなく、経済的自由も増やさなければならない、独占に反対し、「国進民退」〔官営企業による民間企業の圧迫、排除〕を改めなければならない。それはなにも素晴らしい思想解放とみなす必要はない。みんな忘れているかもしれないが、それは中国共産党の昔の主張なのだ。1949年以前、中国共産党は当時の国有資産を「官僚資本」と呼び、私営企業を「民族資本」と呼んだ。「官僚資本」を罪深い「三つの大山」の一つに挙げ、当時の「国進民退」を共産党は「官僚資本が民族資本を壊滅させる」と称した。だから「民族資本の官僚資本による壊滅からの決別」は決して「新自由主義」の特許ではない。

福祉国家について言えば、確かに多くの問題がある。しかし、中国はまだ「福祉病」にははるかに遠い。私は中国は福祉問題で最も避けるべきはマイナス福祉現象だと思う。周知のように先進国には高福祉の国も低福祉の国もある。低福祉というのは最も貧しい人だけを対象にし、他の人は対象としないことで、米国がそれに当たる。いわゆる高福祉というのは福祉の対象範囲が広く、それほど貧しくない人も対象とする。例えば米国は一般に福祉が低すぎるとみなされ、政府が提供する福祉的医療保障の対象範囲はヨーロッパ諸国より狭い。それは二種類の人々だけを対象とする。ひとつは65歳以上の老人、もうひとつは貧困線以下の貧乏人であり、その二種の人々は米国総人口の18%を占める。この制度は確かに問題だが、オバマの医療制度改革は民主主義の枠組みの下でなぜ難航しているのだろう? それはつまり米国の現在の制度がすでに最も弱い18%の人々の医療問題を解決しているので、この18%の人々はオバマの医療制度改革を支持していないからだ。彼らは、新たに大幅に財政支出を増やすことは国の彼らに対する支払い能力を弱めると考えている。そして、金持ちはもちろん支持しない。医療制度改革に反対する米国の多くの人が最もよく口にする理由は、医療保険のない人々は米国の「次弱階層」で、最弱ではないというものだ。買えるのに買わず、国に払わせる。だが国に払わせれば様々な副作用が生じる。これが医療制度改革に反対する人々の主な理由である。

米国の医療制度は確かに問題があるが、実際には高福祉には高福祉の問題があり、低福祉には低福祉の問題がある。しかし、西側の国では、いわゆる低福祉は最貧層を保障し、いわゆる高福祉はそれほど貧しくない層も保証する。だが私たちはどうだろう? 我が国が提供する福祉的医療の対象範囲はどれだけか? 米国は18%だが、我が国は当時公費医療を受けられる人はどれだけいただろう? 少なくとも改革前は非常に少なかった。農民にはなく、生活用品製造企業労働者にもなかった。工場〔生産財生産企業〕も労働者本人にはあったが、家族にはなかった。しかも周知のように、公費負担基準には大きな格差があった。衛生部のある副部長が退職後に語ったところでは、中国の公費医療資金の80%が指導幹部に使われている。これは低福祉だろうか? それとも高福祉だろうか? 対象範囲は米国と同様狭いが、対象とする方向は米国と逆である。中国の保障対象は最貧層ではなく、富裕層であり、しかも最富裕層ほど厚く保障される。

中国はここ数年医療保険の面で確かに大きな進歩があった。周知のように現在農民にも医療保険が始まった。この「新農村合作医療」は以前人々が自慢げに話していた文革期の合作医療とは異なる。以前の合作医療は国家は負担しなかったが、今の「新農村合作医療」は国家も負担する。2007年時点では、江蘇省の「新農村合作医療」は先進的だった。当時国家は「新農村合作医療」の医療基金は一人あたり50元にすべきと定めていたが、江蘇省はそれを超えて一人あたり76元にした。4300万人の農民が新農村合作医療に参加した。一方、全額公費医療を享受するのは、つまりいくら使っても全額公費負担となる人は、主に役人だ。当時わずか14万人が、福祉的医療資源を一人あたり6000元享受していた。ジニ係数を計算すると、福祉的医療資源の江蘇省での分配のジニ係数は0.7だった。一方、江蘇省の一次分配のジニ係数は0.4に過ぎない。それはどういう意味を持つのだろう? それはつまり二次分配後に江蘇省では不公平は減少するのではなく、拡大していたのだ。

たとえそうであっても、私は江蘇省の医療改革は大きな意義があると思う。なぜなら、農民の医療保障は以前は全くなかったが、いまはとにもかくにも70元の保障があるからだ。その視点から言うと、今のジニ係数0.7の福祉資源分配の、マイナス分配の幅は以前より小さくなった。以前は多分0.8だっただろう。いま中国の進歩はマイナス福祉の程度の減少にある。だが「ゼロ福祉」まではまだ距離があり、それが達成できて初めて「プラス福祉」に進めるのだ。そうなって初めて西側と同じレベルで低福祉か高福祉かの議論が始められる。

要するに我が国の福祉と自由はどちらももっと多くなくてはならない。いまは「福祉国家病」など心配する必要はなく、まずやるべきは我が国のマイナス福祉の問題を解決することだ。自由主義者なら、まず特権福祉を否定すべきだ。民衆の福祉はまだ中国では始まったばかりなのに、何か反対すべき理由があるだろうか? 社会主義者なら、まず国家が社会的脆弱層に対して責任を負うことを推進すべきだ。ここで強調したいのは、それは責任であって、皇帝の恩寵ではないということだ。福祉国家と「皇恩国家」の最大の違いは、後者の福祉は民衆が要求できるものではなく、皇帝の恩賜だということだ。いただいたら感謝すべきであり、いただかなくても要求することはできないものだ。このような状態は改めなければならない。スウェーデン人は揺りかごから墓場まで国家に保障されているが、だれかがそのために「国王万歳」と叫んだり、「救いの神」〔毛沢東に対して言われた〕などと称えたりしているだろうか? スウェーデンもかつて右派政府は福祉制度を嫌っていたが、国民が要求したからやらないわけにはいかなかった。政府が福祉を提供するのは当然であり、やらなければ責められる。福祉国家とはそういう意味だ。まして自由については言うまでもない。もし我が国がこの二つの面で進歩したら、中国と世界には希望が持てる。

〔 〕内は訳注

出典:http://finance.ifeng.com/opinion/xzsuibi/20100406/2014127.shtml

(転載自由、要出典明記)

参照ページ:
①「『中国モデル』を巡る論争」 関志雄, 2010年12月28日発表
http://www.rieti.go.jp/users/china-tr/jp/101228kaikaku.htm
②サリバン原則
http://www009.upp.so-net.ne.jp/juka/Sullivan-Principles.htm
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