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秦暉:中国モデルの特徴は非民主的土台

2011-03-24 20:05:43 | 中国異論派選訳
秦暉:中国モデルの特徴は非民主的土台

初出:財経網 2010年09月25日

中国の左右両派はまず「皇帝」のために考えているのであって、民衆のために考えているのではない――問題は彼らの生存基盤が違うからだ

  ――『中国の台頭と「中国モデル」の台頭』シリーズその1

 最近「中国モデル」についての議論がにぎやかになっています。すでにそういうモデルがあると言う人もいれば、まだだと言う人もいます。すでにあると言う人の中には、これは良いモデルだと言う人もいれば、悪いモデルだと言う人もいます。良いと言う人に中には、これを広めることができると言う人もいれば、中国の特殊条件にしか合わないから、広めるべきではないと言う人もいます。ですが、これらすべての論争の前提は、いわゆる中国モデルとは一体何なのかということです。

「中国モデル」とは何か?

 中国は何でも特殊だというわけではなく、その成長の要因の一部は他と共通だと私は思います。例えば、社会主義であれ資本主義であれ、この世界には中国だけにあるのではなく、両者の結び付いた「第三の道」や「中道路線」、「中道左派」、「中道右派」から「混合経済」まで、どれも普遍的現象だと言えます。結局いまは「純資本主義」や「純社会主義」はこの地球上で見つけることはできません。各国はどこも混合経済であり、それは資本主義が多めか社会主義が多めかという混合比率の問題に過ぎませんから、我が国が何か特別なわけではありません。

 もちろん、中国にも特徴があります。それを「中国的特色」あるいは「中国の道」、「中国経験」はたまた中国モデルと呼ぼうと、実際は比較的な概念に過ぎません。そして比較の主な参照系はつまり西側です。いわゆる「ワシントン・コンセンサス」への「北京コンセンサス」の対置にしろ、「中国は西側とは異なる近代化の道を切り開いた」という言い方にしろ、どれも中国が西側とは違うと言っているのです。

 問題はその「西側」内部も千差万別だということです。この前、北京大学の姚洋教授がまとめた中国モデルの特徴は、一に比較的平等を重んじ、二に「中性政府」を持つことだそうです。第二点については後述します。第一点について、もし我が国が米国より「平等を重んじる」と言うなら、議論はあるでしょうが少なくともそのような主張もあり得ましょう。しかし、スウェーデンと比べたらどうでしょう? たとえ彼の定義によるとしても、スウェーデンより「平等を重んじ」ていると恥ずかしげもなく言えるでしょうか?

 私たちが「中国モデル」が「西側」と違うというときは、西側の一つの国、例えば米国と違うというのではなく、全ての西側諸国、少なくとも主な西側諸国と違うのでなければいけません。いわゆる西側、つまり米国からスウェーデンまでの国々に共通に存在していて中国にはないなんらか特徴、あるいは中国にあって、それら諸国(米国からスウェーデンまで)のどこにもない特徴。それが多分中国モデルでしょう。

 今回の危機はそうした「特徴」を観察する得難い機会を提供しました。私たちはいわゆる「西側」とは実は万華鏡であり、その中にはスウェーデンのように、中国よりも「社会主義(社会平等、共通の繁栄)」の「左派」国家もあれば、米国のような自由競争と市場開放を重んずる「右派」国家もあります。しかも、それらの国々の内部もやはり万華鏡であり、それぞれ左右両派が論争しています。しかし一つ共通な点は彼らがいま難題に直面しており、しかも両派はどちらも万全の策を持っていないことです。「金融危機」以降外国の左右両派は騒々しく論争しています。左派はこれは右派の自由放任政策による金融監督の緩みがもたらした失敗だと言い、右派は左派がケインズ主義を進めたために赤字が膨らんで国家財政が破たんしたのだと言っています。

 しかし党派の偏見を取り除いて見れば、左派と右派が主張する理論にはそれぞれ長短があります。しかし、現在我々が目にしている状況はこの両派の問題のどれでもありません。今の西側では、米国であれ欧州であれ、今回爆発した危機の核心問題は民間と政府の債務が多すぎ、欠損が大きすぎて、資金繰りに行き詰まっていることです。民間債務はすこし複雑ですが、その根源は政府債務の根源と同じです。民間債務については、他の所で述べたので、ここでは省略します。では、政府はなぜそれほど大きな債務を抱えたのでしょう? 左派の主張する高負担・高福祉であれ、右派の主張する低負担・低福祉であれ、それぞれ欠点があるとはいえ、理論的には収支が釣り合うはずです。ケインズ主義は赤字財政を認めますが、コントロールできるはずです。なぜ今のようになってしまったのでしょう?

 実のところ理由は簡単です。つまり西側の左右両派はどちらも民主制の土台の上に立っており、双方がともに民衆のために発言しなければならないからです。左派は高福祉を主張するときは自信満々ですが、高負担を主張するときはしどろもどろです。右派は低負担を主張するときは自信満々ですが、福祉を後退させるとなるとしどろもどろになります。もしも、高福祉・高負担、もしくは低福祉・低負担の組み合わせなら、どちらも財政破たんには至りません。しかし、低負担・高福祉なら当然財政に大穴が開きます。西側の左派が政権を取ると政府は民衆のためにより多くのお金を使おうとし、右派が政権を取ると政府は民衆からの徴税を抑えようとします。それを何回か繰り返していたら、国家財政が破たんしない方が不思議です。お互いを恨んで何になりましょう? それはもともと両派が共同で作りだした結果ではないですか。とはいえ、民主制がいつもこのように運営されていたら、とっくに破産してしまうでしょう。

 私はもちろん民主制の方が専制よりいいと思います(もう少し控えめな言い方をすれば、制度としては民衆は専制よりデメリットが少ないです)。ではなぜ民主制はこれまではうまく運営されてきたのでしょう? それは民衆も道理が分からないわけではなく、もし本当に財政に問題が生じたら、本来ならすぐに社会に反映され、小さな危機が生じても民衆は気付くからです。そして、民衆がそれを問題と感じたら、増税であれ、福祉の削減であれ、受け入れないわけではありません。ここ二百年ほどの民主制発達史を見れば、税収は明らかに増えてきています。もし民主制の下では増税ができないのであれば、どうして今日まで維持できたでしょう? 福祉もまた同じで、民主制の下で民衆が福祉の削減を受け入れたという前例には事欠きません。

 では、ここ二十年はなぜそうできないのでしょう? それはグローバル化の大幅な深まりと広がりに関係しています。またグローバル化の性質のねじれとより大きく関係しています。

深まりとは、つまり経済のグローバル化の深まり、とりわけ金融のグローバル化の深まりです。旧来のグローバルな売買では大きな問題は起きません。今はグローバルに借金ができ、グローバルに借り越し〔国債の外国による引き受けのことか〕ができるようになって問題が起きたのです。なぜなら債務の穴は借り越しで埋められ、社会に反映されないので、民衆は危機に気づかず、そのため「餌をやらずに馬を走らせる」というゲームを続けることになったのです。とりわけ米国では、米ドルの地位にたよって借り越しが特にはなはだしいです。しかし、これはもちろん長期間続けられるものではありません。長引けば欠損は大きくなり、破綻したら小さな危機では済まなくなります。

 広がりとは、以前はグローバル化に参加していたのは西側とその植民地だけでしたが、その後開発途上国が参加し、冷戦後は「旧計画経済諸国」も加わったので、グローバルな借り越しの対象が大幅に増えたのです。とりわけ中国は西側諸国の最良の借り越し対象となっています。

「中国モデル」の特徴は「主義」にではなくその土台にある

 この点中国は西側と正反対ですから、これこそ「中国モデル」と言えます。中国にも左派と右派がおり、中国の左右両派の理論(たとえば社会主義と自由主義)もすべて西側から伝わったものですから、正直なところ「特色」には程遠いです。中国の特色は、「主義」にではなく、その土台にあります。西側の左右両派はどちらも民主制の土台の上でゲームをしていますが、中国の左右両派は西側とは正反対の土台の上にいます。つまり、中国の左右両派はまず「皇帝」のことをおもんぱかるのであって、民衆のことをおもんぱかるのではありません。私はなにも「道徳的な非難」をしているのではありません。中国の左右両派の良心はあるいは西側の両派に劣らないかもしれません。問題は彼らが生存する土台が異なるということなのです。だから彼らは右であれ左であれ、演じる役割は西側とは正反対です。私たちの左派は国家がしゃにむに民衆からお金を吸い上げることを主張し、そうでなければいまいましい「新自由主義」だと非難します。一方私たちの右派は国家は民衆のためにお金を使う必要はないと主張し、そうでなければにくらしい「福祉国家」だと非難します。以前は、我が国のやり方は「左折ランプを点けて、右折している」と言われました。実は西側にも似たような問題があります。ただ方向は逆です。私たちの政府は「社会主義式の権力」を持って「資本主義式の責任」しか負担しません。一方、西側の政府は「資本主義式の権力」しかないのに、「社会主義式の責任」を負担しなければならないのです。

我が国の以前の言い方では、市場経済改革とは民衆が「市長ではなく市場に解決を求める」ことです。この言い方は非常に面白い。理論的に言えば、市場経済は政府の権力を制限し、「市長が命ずるのではなく、市場が命ずる」、つまり市場経済の下では「市長」は勝手気ままに民衆に難癖をつけてはならない。彼が民衆を動かそうとしたら、市場の力を借りなければならないのです。

 例えば、「市長」が官営企業が好きなら、計画経済の下では彼は民営企業に難癖をつけて、つぶすことができます。ですが、市場経済の下ではそれはできません。官営企業は市場で民営企業と競争しなければならないのです。計画経済の下では新聞が「市長」の怒りを買ったら、市長は新聞社をつぶすことができます。ですが、市場経済の下ではそれはできません。新聞が気に入らなければ、自分で民衆にもっと好かれる新聞を発行し、市場競争で相手を圧倒しなければならないのです。これが「市長が命ずるのではなく、市場が命ずる」ということであり、西側の市場経済です。

 ですが我が国では、そんなことを言っても、「市長」は聞いてくれません。そこで、彼が聞き入れる言葉を探してこう言います。「計画経済の下では民衆の薪米油塩、生老病死みんな市長が世話しなければならないんです。それは面倒でしょう? 市場経済をやれば、自然に任せればいいから、『市長に解決を求め』られる面倒はなくなります」。こうして「権力の制限」は「責任の回避」に変わります。責任は回避しても、権力は制限を受けません。「市長」は「民衆」をわずらわせることができますが、民衆は「市長に解決を求める」ことはできません。何と素晴らしいことでしょう!

 しかし、問題は市場経済の下で市長の仕事は何かということです。 それは民衆にサービスを提供することですから、民衆が市長に解決を求めてはならないなんてことがありえましょうか? 民衆が市長の所に来たら、「市場に行け」と言って追い出すのでしょうか? 「市長」は勝手気ままに民衆から徴税できるのに、民衆は「市長」に対して福祉を求められないのであれば、どの国も大金持ちなるに決まっています。私が言う「大金持ち」とは国家財政のことで、民衆の懐具合のことではありません。私たちが現在目にしている中国モデルの特徴とは何でしょう? それは政府が大金持ちだということです。西側の政府が財政がひっ迫してあちらこちらに布施を求めている時、我が国の政府は湯水のようにお金を使っている。我が国の鎮政府の豪華ビルは西側の大都市の市役所よりもずっと豪華ですし、私たちの都市には「イメージ・プロジェクト」〔共産党中央のメガネにかなうように、街の目に就くところを飾り立てる事業〕が充満していて、西側の「豊かな国」から来た観光客はあっけにとられています。「ビッグパンツ(「大褲衩」中央テレビ局ビルのあだ名、建築費50億元と言われている)や、ゆで卵(「水煮蛋」中国国家大劇院のあだ名)、他人ができないことを、俺たちはやった!」。それでもお金を使いきれないので、米国にお金を貸しています。国内に隠しておいても心配ですからね!

 これこそが我が国の「モデル」です。中国は決して他の国より左だったり右だったりしているわけではありません。ただ、中国が「左」になると政府の権力拡大は簡単になりますが、政府の責任追及は困難になります。中国が「右」になるとどうでしょう? そうなると政府の責任逃れは簡単になりますが、その権力を制限することは難しくなります。それにはそれでもちろん優越性があります。原始的蓄積が速いということと、非常事態を収拾する能力が非常に強いことです。手中に巨額のお金を握っているから、経済刺激策を実行するのはもちろん容易です。もめごとの解決にも、物惜しみをしません。ですが、その結果はどうでしょう? こんなに投資を加速していて生産能力は過剰にならないでしょうか? 独占部門の利益追求は社会の二極化を激化させないでしょうか? 人為的に家計消費を抑えることは内需不足を招かないでしょうか? そして、権力集中の様々なリスクなどなど。これらについてはここでは議論しません。いま私が話したいのは、もしもこのようなモデルおよびこの中国モデルと前述した西側のモデルの相互作用を特徴とする、現在私たちの目の前で進行しているグローバル化がこのまま進展していったら、中国と世界の未来は一体どうなってしまうのだろうかということです。
  
原文出典:http://www.caijing.com.cn/2010-09-25/110529684.html
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