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『連合赤軍とオウム わが内なるアルカイダ』 田原総一朗著 集英社 2004年刊

2007年06月12日 | 書評
 こんにちわ! 井上秀二です。
 「80年代J-ROCKのお話」まだ続きますが、たまには書評でも。
 私もビジネス書以外の本も読んでおりますので。

 先程、「mixi」と「XSHIBUYA」の「レビュー」にアップしたものを再編集・載録いたします。
 ジャーナリスト田原総一朗さんの著書、『連合赤軍とオウム わが内なるアルカイダ』について書きました。
 レビューと言うよりも、備忘録のような走り書きで、引用が多いですけど。。。

 1934年生まれの田原さんは、戦争中の少年時代、海軍に入って特攻機に乗ることを考えておられたそうです。戦争後期、米軍が上陸したら爆弾を抱えて米軍の戦車に体当たりする、つまり自爆テロを決意しておられた。

 大学生時代、私はある問題意識を抱いておりました。
 何故、特攻隊を組織してまで戦争を遂行した日本軍が、天皇陛下の玉音放送で敗戦を受け入れたのか? そして連合国による占領政策のためとはいえ、なぜ日本人は価値観を180度転換してしまったのか? これぞ“原理主義”。

 現在、イラクでは武装勢力による“戦争”が続行中です。
 当時の“青かった”私は、敗戦直後の日本でも今のイラクのような状況が続いてしかるべきではなかったのか? でなければ、国のために命を落としていった兵士たちの魂に顔向けできないのでは?
 という問題意識をもっていたのでした。

 勿論、今の私は、戦後の日本人が価値観を転換させ、復興(実はそれも戦争の継続した形だったのですが・・・)に注力、と言いますか、生きていくことに精一杯だった歴史を肯定しております。

 但し、太平洋戦争中の日本人(政府・軍部だけではありません!)が、“病的”であったこと(岸田秀氏の持論では「精神分裂病」)は否めない事実だと考えます。

 本書は、執筆にあたる田原氏に、「青春時代の私たちも、テロリストだったの?」と叱咤し背中を押してくれたという田原氏のご夫人、節子さんに田原氏が捧げた一冊とのことです。
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■第一章 アルカイダ-孤立した秀才たち
■第二章 オウム真理教-武装した予言者

 ここまでは従来マスコミ等の報道から得られた情報以上のものはほとんどなし。
 事実関係の話が中心で、人間の深奥に至る洞察を期待してしまった私には、物足りなかった。

 ただ、全てのオウム裁判を傍聴された降幡賢一氏(朝日新聞編集委員)が、差別的言動との誤解を恐れず発言されたことは自分にとっては新鮮。言われてみれば当たり前のことなんだが。

「麻原が目が見えていれば、これはインチキだとか、これはだめだということが即座にわかる類のことですよね。だけど彼は情報として話を聞くだけなんですよね。」
(ボツリヌス菌、潜水艦、ホバークラフトなどの滑稽性について)

■第三章 連合赤軍-消された大義

 はっきりと言おう。
 連合赤軍事件で当事者達の経験は、太平洋戦争で原爆を2発落とされるまで、勝てない戦をズルズルと続けた日本人(政府だけではない)の体験と、本質的に同じである。

 「もうやめよう」と誰も言えなかった歴史。
 本書を読む前からの私の持論の確信は高まった。

 この章でようやく私の期待した発言が。

 3人の証言者のうち最後に登場する、三上治氏(元共産主義者同盟叛旗派最高幹部)の発言は、人間というものの本質をよく捉えている。

 三上氏は、赤軍派の故 森恒夫氏など後の「連赤」幹部との交流はあったものの、ブント(共産主義者同盟)叛旗派は、「連合赤軍」とは別組織。
 元連合赤軍兵士の植垣氏のような“当事者”ではない。

 だからこそ、冷静に当時を総括できるのか?
 いや、三上氏の資質故だと思う。

 大衆運動から武装闘争に転換した赤軍派にしっかりとした「コンセプト」がなかったことへの指摘もそうだが。。。

 何よりも故 森恒夫氏の一度運動から脱落した後の復帰という経験が重要なキーとなっている。
 彼が連赤幹部として先鋭化していった心理過程は、何もテロや戦争に限らず、我々の日常でもよく観られる心理過程であると私は考える。とても象徴的だ。

 三上氏の発言は、実に鋭く私に突き刺さる。
 テロや戦争時ではなく、平常時に生きる自分にとってね。
 実に痛い。。。

「ここが大事なことなんですが、前向きに、しっかりした戒律をもった、しっかりした人物というのは、意外といざというときになると、全然、役に立たなかったりするんです。」(371ページ)

「グズで、役に立たないと思っていたやつが、いざとなるとやるんですよ、現場で。というのは、人間はね、想像で死ぬことを考えたり、想像力でいろんなことを考えるということと、現実の場面に臨んでやるというのは違うんだと。このことが非常に重要なことなんですよ。」(371ページ)

「ということはね、戒律や軍律や教育で何かきちんとした人間に育てようとしても、きちんとなりはしないんですよ。いざとなったらね、本人が積み上げた、自分の修練してきた歴史が全部出るしかないんです。戒律や軍律や、そんなもので縛ったりできるもんじゃないんです。
(中略) 政治や宗教をやる連中が、一番陥りやすい罠なんですよ」(372ページ)


 そう言えば、自民党内で「礼儀がどうのこう」のと息巻いていたお馬鹿さんが一人おりましたね(苦笑)。

「結局、自分の中の怖さをね、戒律で縛るということですよね。すると、自分の中に恐怖をもっている連中は、自分のそれを自分で縛るだけではなて、他人に強要するんですよ。つまり、自分に対する自己不信が、自己不信であればいいけれど、他人に対する不信として出てくるわけですよ。」(373ページ)

 うう~ん、こういう困った人達って、会社や学校、家庭やカップルにもゴロゴロいるんだよね。
 私だっていくつも過ち繰り返してきたし。
 だから今の私はフリーで丁度いいと実感。

「自分を恐れていると、『制度の言葉』に救いを求めるんです。」(373ページ)

「結局、自分の恐怖というか、逃げたら自分に負けたことになると考えるわけでしょ。規範みたいなもので自分を縛ろうとする。そういうところに行くわけですよね。宗教性みたいなところですけどね。 だから逆に、そんなもんなんだと。人間、いざとなったら、好き勝手、ちゃらんぽらんでいいんだよ、逃げてもいいんだよと。怖くなったら逃げろよ、ダメになったら逃げればいいんだよというようなことは、なかなかいえないんですよ。
 だけど逃げるにも勇気がいる。そういう、当たり前のことをいうのはね・・・・・・。」(375ページ)

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 連合赤軍によるあさま山荘事件の模様をテレビで観ていた私は、当時小学生でした。
 何がショックだったかといえば、あれだけ悪いことをしたのに逮捕・連行される時、顔を隠さず堂々と(実は呆然としていただけだったのかもしれません)TVカメラに写っていた坂東国男氏の姿です。
 強烈でした

「自分は弱い人間なんだ」

というコンプレックスを抱えていた小学生の井上少年の眼には、
確信犯として堂々と連行される坂東国男氏や、妙義山で逮捕された故 森恒夫氏が、

「ひょっとして、とても強い人たち?」

というように見えたのでした。
 そういう自分の「総括」のためにも、たまにはこういう読書もね
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