【ML251 (Marketing Lab 251)】文化マーケティング・トレンド分析

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「飛躍」することのない「論理」? そんなの「つまらん!」し「何も生まん!」のだ

2012年08月18日 | 徒然
なぜか夏真っ盛りの今、自分は“内田樹萌え”である。
別に暑い夏と内田樹の間に相関関係も因果関係はない。
ひょっとしたらあるかもしれないけど、
面倒臭いのでここでは追求しない。

今日は昨年に読んだ文庫『ひとりでは生きられないのも芸のうち』から。

(冒頭のエッセイ「いかにして男は籠落されるのか」では、女性が意中の男性の心を射止める超簡単な方法がロジカルに記されているので、特に女性の皆さんにお薦め。男つーのはいとも単純な生きものなのだ・・・)

同書の「非婚・少子化時代に」という章に、
「めちゃモテ・ニッポン」というエッセイがある。

そこで内田は、女性誌『CanCam』が競合の『JJ』『ViVi』を差し置いて“一人勝ち”状態である(あった)ことの理由について考えている。
当時、内田が教鞭をとっていた神戸女学院大学の学生から、『CanCam』一人勝ちの理由を滔々と述べられた内田は、こういう仮説を構築した。

同誌の「めちゃモテ」というコンセプト
 ⇒ 「万人から愛されること」
   ⇒ 「ワタシ的」路線のゆきすぎへの補正の兆候
 ⇒ 自己決定貫徹が生存戦略上、必ずしも有利でないこと

そして、
自己利益確保のためには、
「みんなにちょっとずつ愛される」戦略の実効性が高く、
人類学的には真である。

こう結論づけたのである。
『CanCam』ファッションで上から下まで決めた学生達を、
「主体性のないファッション」と決めつけるのは短見であり、
かなり高度な記号操作のように思われると。

以下、長くなるが(いつも)引用してみる。
(黒字部分引用。赤文字は引用者)

つまり、『CanCam』性は「モノ」自体に内在するのではなく、そのファッションをどういうシグナルとして利用しているかというレベルに出来(しゅったい)するのである。

(中略)

そして、話はさらに飛躍するのであるが、私はこの「めちゃモテ」戦略は実は深いところで日本人の本態的メンタリティに親和するものではないかと思っているのである。
例えば「九条」である。
あれは、よく考えたら、国際関係における「めちゃモテぷっくり唇」なのである。
「私はみなさんにぜえ~ったい危害を加えることはありません。うふ」
というあれは意思表示になっているのではないか。

私は以前、どうして日本ではイスラム原理主義のテロが起こらないのかについて考察したときに、日本でテロをしたら「テロリスト仲間から村八分にされる」からではないかという推理を行ったことがある。
だって、日本でテロをするなんて、「赤子の手をひねる」ようなものだからだ。私がテロリストだったら、そんなやつが仲間うちで手柄顔をすることを決して認めないであろう。

日本がそのナショナル・セキュリティを維持できているのは、日本が「とってもラブリーな」国だからである。
例えばの話、テロリストだって、たまには息抜きしたい。
そのときに家族旅行するとして、どこに行くだろうか。
水と安全がただで、道ばたに置き忘れた荷物が交番に届けられていて、ご飯が美味しくて、温泉が出て、接客サービスが世界一で、どこでも「プライスレス」の笑顔がふるまわれるところがあるとしたら、「そういう場所」は戦士たちの心身の休息のためにもできれば温存しておいたほうがいい、と考えるのではないか。

それはテロリストたちが(自分たちの闘争資金を預けてある)スイスの銀行を襲わないのと同じ理由である。
日本人は「ラブリー」であることによってリスクをヘッジしている。
おそらくこれは一五〇〇年来「中華の属国」として生きてきた日本人のDNAに含まれる種族的なマインドなのである。
アメリカにもラブリー、中国にもラブリー、韓国にもラブリー、台湾にもラブリー、ロシアにもラブリー。
みんなにちょっとずつ愛されるそんな「CanCamな日本」であることが二十一世紀の国際社会を最小コスト、最低のリスクで生き抜く戦略だということを無意識のうちに日本人たちは気づき始めているのではないであろうか。

(同書34~36ページより)


ま、今、マスコミが騒いでいる、
尖閣列島や竹島のことで、
勇ましいことを言ってる諸君は、
怒るだろうけど(笑)。
私も日本が大好きだし誇りに思っている。
が、現実的なパワー・ポリティクス、
長い歴史を考察していけば、
感情的な短気ってバカバカしいと思うよ。
自分達の美点を活かした上で、
長期的視点で日本の未来を考えれば、
私は、内田の「日本=辺境」的視座を支持する。
何よりも戦争だけは嫌だからね。
これは本題から外れる話なんで、
もとに戻ろう。

内田の論は、
女性ファッション誌の話から、
当時の女子大生のマインドに至り、
国家の集合的無意識にまで話が飛躍する。

こういう「飛躍」ってのは、
私にとってはフツーである。
「アナロジー思考」もそう。
ずっと、そういう発想で生きてきた。

マーケティングの話でも、
日常のちょいとしたことから、
国家・人類レベルの話と通じることが少なくない。
いや、そっちのほうが基本だ。

で、私、この数年の間のことなんだけど、
やはり、こういう発想をする人ばかりじゃないんだな、
いや、こういう発想をしない(できない)人のほうが多いんじゃないか?
ということに気づいたのである。
それも「マーケティング」を生業とする人達の間でも・・・。
そして、ビジネスの世界では、
「ロジカル・シンキング」の連呼。。。
私の超独断と超偏見で言わせてもらうなら、
どんどん「バカ」になっていくわけだ。
特に経験の少ない若い人たちは。

私の標榜する「Cultural Marketing」の「カルチャー」とは、
音楽や映画やコミックや文学のような「コンテンツ」といった狭義の「文化」だけのことではないんだよな。
どんな消費財であれ生産財であれ、
習慣・慣習であれ、全てが文化、
つまり、「唯文化論」だね、私は。
(音楽やキャラクターといった各コンテンツ分野での、日本を代表するマーケター達は、私の友人にいるので、いつでもご紹介する)
私の知識とか知見とか、方法論、スキルだけの話でもなくって、
「発想」「視点」「視座」ということ。
さらに、武道の人でもある内田樹流に言えば、
「型」「フォーム」なんですわ(笑)。

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