昨日、Facebookに、「日刊サイゾー」のこの記事をシェアしました。
おととい、mixiで秋田に住む私の最も古くからのバンド仲間(ドラムス)がチェックしてたのを見てからです。
「まるでファンクラブ会報!?」専門誌は絶滅寸前――音楽系メディアの由々しき現状(2012.05.05 土)
▼以下、黒字部分は引用
音楽関連メディアの凋落が言われて久しい。中でも、“絶滅寸前”とささやかれるのが音楽雑誌。部数の減少だけでなく、広告収入の落ち込みが止まらないという。
「1990年代には10万部以上出ている音楽雑誌もありましたが、現在では比較的売れている情報誌で数万部、グラビア中心の専門誌では数千部しか売れていません。その上、雑誌運営の柱でもある広告が、レコード会社の予算縮小でほとんど入らなくなり、編集協力費名目で一企画あたり数万円入る程度。人件費を削るなどして、赤字幅を減らそうと汲々としているのが現状です」(音楽雑誌編集者)
「最近、ミスチルは3,000部持っているとか、嵐は4,000部持っているという言い方も耳にします。彼らが表紙を飾れば、それだけの部数が見込めるという意味ですが、逆に言えば、現在の音楽雑誌には固定読者がほとんどいなくなってしまったということなんです」(前出・編集者)
レコード会社と音楽専門誌の蜜月関係が、音楽から批評・ジャーナリズム視点を排除し、「プロモーションツール」でしかない、つまらなく魅力のない雑誌にしてしまった負のスパイラルについては、拙著の「最終章」のPDF版171ページの、■衰退したコンテキスト=批評は復権するか? の項に記しましたので、ここでは繰り返しません。
私が最も音楽への希求に貪欲だった歳の頃、輸入レコードの「ジャケ買い」とかよくやりました。
原宿にあったPUNK、NEW WAVE専門店「smash」や、原宿、新宿、お茶の水の「disk union」ですね。
「TOWER RECORDS」の日本上陸前のことです。
コメントカードなんかほとんどなく、お金を無駄にしてしまうリスクがあったからこそ、「感性」を磨いていけたんだな、という昔話はいいんですけどね。
でも、国内盤があったりする新譜の場合、雑誌(私は『MUSIC MAGAZINE』がメイン)のレコード評がリスク回避には役立ちました。
評論家が点数をつけてて、5点満点で☆1つ、という「批判」も必要だったわけです。
なんせ、数千円のお金を使うか? 使わないか? の重要な判断材料なわけですから。
「この人はケチョンケチョンにけなしてても、俺には大丈夫だろう。いや、かえっていい」とか。
が、現在では、フリー動画でいくらでもリスク回避、どころか、それで満足しちゃってとてもじゃないけど、購入なんかしないパターンが多いんでしょうね。
話を戻しますと、Facebookでシェアした記事に友人たちからコメントして頂きましたが、自分でもこの問題について考えなおしてみました。
で、私の頭に浮かんできたことを、Facebookに書き込みましたが、あらためて、ここにもメモしておきます。
(1) マーケティング業界や広告業界の「鉄則」である「露出」の多さ。これに頼りすぎた。
⇒だから当然飽きられるし、消費されるだけ。
(2) たしかに、「時代と寝て」大ヒット、いつまでも愛される楽曲ってあるけど、根本的にコアなファンがつく音楽・アーティストって、リスナーが自分のリスクと能力を駆使して見つけたもの、なんじゃないかなと。
(3) だから、ヒットが欲しいということで全ての楽曲・アーティストを「マス商品化」するのには無理がある。今は亡きHMV渋谷の手書きコメントが、印刷ものになった。手書きの頃は、まだ1対1の交流の様なものがあったけど、批評家や優秀なクリエイターや音楽好きの店員さんがやって成功したことを、マスマーケティングの手法で代替できるなんてのは、勘違いだった。
(4) つまり、「リスナーの負担を軽減してあげましょう」という上から目線の余計なお世話が、音楽好きなリスナーの「楽しみ」を奪ってしまった。
(5) となると、ますます「ミュージックソムリエ」のようなレコメンダーと、彼らの活躍の場が必要となる(「ミュージックソムリエ」については、いずれ詳しくご説明するときまでお待ちを)。
(6) 求められるレコメンダーとは、90年代のCDバブルの頃から続く「買わされた音楽」への怨恨を断ち切り、「(主体的に)買うべき音楽」ってものを、さりげなく見つけ出すのをサポートする存在。
(7) あと、3月の「残響祭り」とか行って感じたんですが、優れたレーベルとアーティストって埋もれすぎてる。ジャンルでもテーストでもリスナーに提供する価値観でもいいんで、何らかのコミュニティ化の必要性を感じてます(単につるめばいいという話じゃなくて)。「ムーブメント」だと成功しても消費されちゃうんで、難しいところですけど。昔だったら、うまくいくと「大手」が触手を伸ばしてきたんだけど、今ではそれも出来ませんもんね、幸か不幸か。とにかく「ビオトープ」をもう少し「大きな流れ」にしないと。
こうFacebookでコメントし、最後に「ブログにも書こうかな」と締めましたら、知人の音楽制作者の大野恭史さんにブログ記事にして頂きました。大野さん、ありがとうございます!
とにかく、80年代後半からの市場の拡大とともに、ますます「音楽」のマス商材化が進むとともに、「音楽ファン」をないがしろにしてきた結果、グレーゾーン(=ライト層)は、流行りの音楽を消費するだけ。いや、消費さえしない。無料で聴けるし。
そういえば、2010年でしたか、ロックを題材にこんなシリーズの記事も書いたことありました。
「消費構造の変遷と音楽消費(粗っぽい仮説)」というシリーズで全7回。
拙著の基(もと)にもなった記事で、黒川伊保子さんの「ブレイン・サイクル」をもとに書かせて頂きました。
(黒川伊保子さんには、拙著で引用させて頂いた旨、事後にメールでお知らせしたところ、ご丁寧な返信を頂きました。ありがとうございます!)
とにかく、みえみえのマーケティングってのは、消費者にそっぽをむかれる
これは、あらゆる商品でもいえることですけどね。
また、最近、CDが売れなくなった話題が結構、ネットで賑わってますね。
別に今に始まったことじゃないんですけど。
直近だとこれら(↓)。
▼若者のCD離れがヤバイ オリコン3位が693枚 当然史上最低最悪の記録
▼ミスチルも危ない!? 「音楽事務所」というビジネスの終焉(2012年4月16日)
去年秋だとこれ(↓)。
▼大規模事務所は経営悪化中!? 絢香、スガシカオ......Jポップ界で「独立」が増えるワケ
で、Facebookでも、マーケティング・リサーチ業界仲間の30代の知人が、直近の2記事に危機感を募らせていました。
純粋なリスナーとしてです。
レコード会社の皆さん以上の危機感で、私も正直、驚きました。
危機的な状況の中にいるのに、一般人よりも業界人のほうが危機意識にリアリティがない。
橋本治流にいえば以下のようなことでしょう。
「『そういう歴史は終わった』と言ったって言われたって、その先の新しい時代をどうやって行くかという方法がない限り、新しい時代なんてものは始まらない。時代だけが新しくなって、その新しい時代を作る方法がなかったら、『しょうがない・・・・・・』と言って、当座の間、古い時代の方法を流用するだけだ。流用して、それが当座限りのものだということも分かっていて、しかし人間というものは、自分と隔絶した新しいスタイルに慣れるというのをしんどがるメンドーな生き物だから、結局は『新しさ半分、古さ半分』の、新しいんだかなんだか分からないような中途半端なスタイルを編み出して、せっかく始まった新しい時代を半分逆転させながら、いつの間にか、中途半端に停滞させてしまう。」
(『絶滅女類図鑑』橋本治著 文藝春秋社 1994年刊 絶版 *このセンテンスは「男社会」についての記述)
私だって、「自分と隔絶した新しいスタイルに慣れるというのをしんどがるメンドーな生き物」なので、過去の反省とかはあるので、「第三者」なんかじゃありません(私も「ゆで蛙」状態で会社を沈めちゃったことがあるのです・・・。だからその落とし前をつけようと日々、奮戦してるわけです)。
が、ともあれ今は、「中途半端に停滞」なんてレベルは超えてしまう状況です。
つまり、「構造」が変わる時期なのです。
「残響塾」の塾長、虎岩さんはFacebookで、「若者のCD離れがヤバイ オリコン3位が693枚 当然史上最低最悪の記録」をみて、チャンス!!!とさえと捉えています。
つまり、アーティストが自ら考えたことを何でもできる時代になり、インディペンデントマインドの時代になったと。
「クリエイティヴィティを『商品』として扱ってきた流通主導の時代が終わっただけのことです。」(虎岩さん、勝手に引用、ゴメンなさい・・・)
商業音楽がそんな構造改革の時代を迎え、音楽好きな若者は、マーケティングの垢にまみれきった商業音楽(しかも著作権の縛りもきつい・・・)にとっくに見切りをつけ、自分達のクリエイティヴィティを発揮する場に行ってしまったわけです。
▼「ニコ動」で進行するコンテンツ革命、熱狂の舞台裏 ネット上の才能を現実世界に解放~ドワンゴの挑戦(1)
狭義の意味での「市場」視点では、小さくなったパイの奪い合いに見えるかもしれませんが、どんなに時代が変わろうとも、変わることのない私たちの音楽への欲求・欲望の視点でみれば、これはこれでいいことでしょう。
「偏差値30の人間がやる遊び=カラオケ」(by 白浜久)よりは、はるかにクリエイティブ(注:少なくとも私たち世代のミュージシャンはカラオケが大嫌いです、実は)。
「多様化」というのはですね、限られたパイの中身が「多様化」するだけじゃなく、パイが色んな方向に拡大していくという変化でもあるのですよ、マーケターの皆さん。
やばっ! こんな時間だ! 早く寝ろ! 校正なしね。。。
*タイトル写真の『Talking Rock!』は、私が購読している数少ない音楽専門誌で、本記事内容とそんなに関係はありません。批判記事とかはないですけど、まだマシなほうです。
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▼『コンテンツを求める私たちの「欲望」』
電子書籍(無料)、閲覧数5,500突破しました!
http://p.booklog.jp/book/43959
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おととい、mixiで秋田に住む私の最も古くからのバンド仲間(ドラムス)がチェックしてたのを見てからです。
「まるでファンクラブ会報!?」専門誌は絶滅寸前――音楽系メディアの由々しき現状(2012.05.05 土)
▼以下、黒字部分は引用
音楽関連メディアの凋落が言われて久しい。中でも、“絶滅寸前”とささやかれるのが音楽雑誌。部数の減少だけでなく、広告収入の落ち込みが止まらないという。
「1990年代には10万部以上出ている音楽雑誌もありましたが、現在では比較的売れている情報誌で数万部、グラビア中心の専門誌では数千部しか売れていません。その上、雑誌運営の柱でもある広告が、レコード会社の予算縮小でほとんど入らなくなり、編集協力費名目で一企画あたり数万円入る程度。人件費を削るなどして、赤字幅を減らそうと汲々としているのが現状です」(音楽雑誌編集者)
「最近、ミスチルは3,000部持っているとか、嵐は4,000部持っているという言い方も耳にします。彼らが表紙を飾れば、それだけの部数が見込めるという意味ですが、逆に言えば、現在の音楽雑誌には固定読者がほとんどいなくなってしまったということなんです」(前出・編集者)
レコード会社と音楽専門誌の蜜月関係が、音楽から批評・ジャーナリズム視点を排除し、「プロモーションツール」でしかない、つまらなく魅力のない雑誌にしてしまった負のスパイラルについては、拙著の「最終章」のPDF版171ページの、■衰退したコンテキスト=批評は復権するか? の項に記しましたので、ここでは繰り返しません。
私が最も音楽への希求に貪欲だった歳の頃、輸入レコードの「ジャケ買い」とかよくやりました。
原宿にあったPUNK、NEW WAVE専門店「smash」や、原宿、新宿、お茶の水の「disk union」ですね。
「TOWER RECORDS」の日本上陸前のことです。
コメントカードなんかほとんどなく、お金を無駄にしてしまうリスクがあったからこそ、「感性」を磨いていけたんだな、という昔話はいいんですけどね。
でも、国内盤があったりする新譜の場合、雑誌(私は『MUSIC MAGAZINE』がメイン)のレコード評がリスク回避には役立ちました。
評論家が点数をつけてて、5点満点で☆1つ、という「批判」も必要だったわけです。
なんせ、数千円のお金を使うか? 使わないか? の重要な判断材料なわけですから。
「この人はケチョンケチョンにけなしてても、俺には大丈夫だろう。いや、かえっていい」とか。
が、現在では、フリー動画でいくらでもリスク回避、どころか、それで満足しちゃってとてもじゃないけど、購入なんかしないパターンが多いんでしょうね。
話を戻しますと、Facebookでシェアした記事に友人たちからコメントして頂きましたが、自分でもこの問題について考えなおしてみました。
で、私の頭に浮かんできたことを、Facebookに書き込みましたが、あらためて、ここにもメモしておきます。
(1) マーケティング業界や広告業界の「鉄則」である「露出」の多さ。これに頼りすぎた。
⇒だから当然飽きられるし、消費されるだけ。
(2) たしかに、「時代と寝て」大ヒット、いつまでも愛される楽曲ってあるけど、根本的にコアなファンがつく音楽・アーティストって、リスナーが自分のリスクと能力を駆使して見つけたもの、なんじゃないかなと。
(3) だから、ヒットが欲しいということで全ての楽曲・アーティストを「マス商品化」するのには無理がある。今は亡きHMV渋谷の手書きコメントが、印刷ものになった。手書きの頃は、まだ1対1の交流の様なものがあったけど、批評家や優秀なクリエイターや音楽好きの店員さんがやって成功したことを、マスマーケティングの手法で代替できるなんてのは、勘違いだった。
(4) つまり、「リスナーの負担を軽減してあげましょう」という上から目線の余計なお世話が、音楽好きなリスナーの「楽しみ」を奪ってしまった。
(5) となると、ますます「ミュージックソムリエ」のようなレコメンダーと、彼らの活躍の場が必要となる(「ミュージックソムリエ」については、いずれ詳しくご説明するときまでお待ちを)。
(6) 求められるレコメンダーとは、90年代のCDバブルの頃から続く「買わされた音楽」への怨恨を断ち切り、「(主体的に)買うべき音楽」ってものを、さりげなく見つけ出すのをサポートする存在。
(7) あと、3月の「残響祭り」とか行って感じたんですが、優れたレーベルとアーティストって埋もれすぎてる。ジャンルでもテーストでもリスナーに提供する価値観でもいいんで、何らかのコミュニティ化の必要性を感じてます(単につるめばいいという話じゃなくて)。「ムーブメント」だと成功しても消費されちゃうんで、難しいところですけど。昔だったら、うまくいくと「大手」が触手を伸ばしてきたんだけど、今ではそれも出来ませんもんね、幸か不幸か。とにかく「ビオトープ」をもう少し「大きな流れ」にしないと。
こうFacebookでコメントし、最後に「ブログにも書こうかな」と締めましたら、知人の音楽制作者の大野恭史さんにブログ記事にして頂きました。大野さん、ありがとうございます!
とにかく、80年代後半からの市場の拡大とともに、ますます「音楽」のマス商材化が進むとともに、「音楽ファン」をないがしろにしてきた結果、グレーゾーン(=ライト層)は、流行りの音楽を消費するだけ。いや、消費さえしない。無料で聴けるし。
そういえば、2010年でしたか、ロックを題材にこんなシリーズの記事も書いたことありました。
「消費構造の変遷と音楽消費(粗っぽい仮説)」というシリーズで全7回。
拙著の基(もと)にもなった記事で、黒川伊保子さんの「ブレイン・サイクル」をもとに書かせて頂きました。
(黒川伊保子さんには、拙著で引用させて頂いた旨、事後にメールでお知らせしたところ、ご丁寧な返信を頂きました。ありがとうございます!)
とにかく、みえみえのマーケティングってのは、消費者にそっぽをむかれる
これは、あらゆる商品でもいえることですけどね。
また、最近、CDが売れなくなった話題が結構、ネットで賑わってますね。
別に今に始まったことじゃないんですけど。
直近だとこれら(↓)。
▼若者のCD離れがヤバイ オリコン3位が693枚 当然史上最低最悪の記録
▼ミスチルも危ない!? 「音楽事務所」というビジネスの終焉(2012年4月16日)
去年秋だとこれ(↓)。
▼大規模事務所は経営悪化中!? 絢香、スガシカオ......Jポップ界で「独立」が増えるワケ
で、Facebookでも、マーケティング・リサーチ業界仲間の30代の知人が、直近の2記事に危機感を募らせていました。
純粋なリスナーとしてです。
レコード会社の皆さん以上の危機感で、私も正直、驚きました。
危機的な状況の中にいるのに、一般人よりも業界人のほうが危機意識にリアリティがない。
橋本治流にいえば以下のようなことでしょう。
「『そういう歴史は終わった』と言ったって言われたって、その先の新しい時代をどうやって行くかという方法がない限り、新しい時代なんてものは始まらない。時代だけが新しくなって、その新しい時代を作る方法がなかったら、『しょうがない・・・・・・』と言って、当座の間、古い時代の方法を流用するだけだ。流用して、それが当座限りのものだということも分かっていて、しかし人間というものは、自分と隔絶した新しいスタイルに慣れるというのをしんどがるメンドーな生き物だから、結局は『新しさ半分、古さ半分』の、新しいんだかなんだか分からないような中途半端なスタイルを編み出して、せっかく始まった新しい時代を半分逆転させながら、いつの間にか、中途半端に停滞させてしまう。」
(『絶滅女類図鑑』橋本治著 文藝春秋社 1994年刊 絶版 *このセンテンスは「男社会」についての記述)
私だって、「自分と隔絶した新しいスタイルに慣れるというのをしんどがるメンドーな生き物」なので、過去の反省とかはあるので、「第三者」なんかじゃありません(私も「ゆで蛙」状態で会社を沈めちゃったことがあるのです・・・。だからその落とし前をつけようと日々、奮戦してるわけです)。
が、ともあれ今は、「中途半端に停滞」なんてレベルは超えてしまう状況です。
つまり、「構造」が変わる時期なのです。
「残響塾」の塾長、虎岩さんはFacebookで、「若者のCD離れがヤバイ オリコン3位が693枚 当然史上最低最悪の記録」をみて、チャンス!!!とさえと捉えています。
つまり、アーティストが自ら考えたことを何でもできる時代になり、インディペンデントマインドの時代になったと。
「クリエイティヴィティを『商品』として扱ってきた流通主導の時代が終わっただけのことです。」(虎岩さん、勝手に引用、ゴメンなさい・・・)
商業音楽がそんな構造改革の時代を迎え、音楽好きな若者は、マーケティングの垢にまみれきった商業音楽(しかも著作権の縛りもきつい・・・)にとっくに見切りをつけ、自分達のクリエイティヴィティを発揮する場に行ってしまったわけです。
▼「ニコ動」で進行するコンテンツ革命、熱狂の舞台裏 ネット上の才能を現実世界に解放~ドワンゴの挑戦(1)
狭義の意味での「市場」視点では、小さくなったパイの奪い合いに見えるかもしれませんが、どんなに時代が変わろうとも、変わることのない私たちの音楽への欲求・欲望の視点でみれば、これはこれでいいことでしょう。
「偏差値30の人間がやる遊び=カラオケ」(by 白浜久)よりは、はるかにクリエイティブ(注:少なくとも私たち世代のミュージシャンはカラオケが大嫌いです、実は)。
「多様化」というのはですね、限られたパイの中身が「多様化」するだけじゃなく、パイが色んな方向に拡大していくという変化でもあるのですよ、マーケターの皆さん。
やばっ! こんな時間だ! 早く寝ろ! 校正なしね。。。
*タイトル写真の『Talking Rock!』は、私が購読している数少ない音楽専門誌で、本記事内容とそんなに関係はありません。批判記事とかはないですけど、まだマシなほうです。
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