南の国の会社社長の「遅ればせながら青春」

50を過ぎてからの青春時代があってもいい。香港から東京に移った南の国の会社社長が引き続き体験する青春の日々。

南京の一日

2007-10-07 22:40:56 | Weblog
朝起きたら、ホテルの窓から、朝もやの中の南京の街が見えて
いました。上海などから比べると地方都市という感じです。

これがシェラトン南京です。このホテルに宿泊していました。

午前中、ちょっと時間があったので、南京に来たらここだけは
行ってみようと思っていた、石頭城(せきとうじょう)の
城壁跡に行ってきました。そこには何があるのかといいますと、
三国志の時代、呉の孫権(そんけん)が築城した城壁が残って
いるのです。三国志は、読み物で読んだり、ゲームとかで馴染
みがあるのですが、それが実在の国であったというのを再確認
したかったのです。

地図を見たら、ホテルからそれほど遠くなさそう。清涼山公園
を目指し、そこの西側の国防園という軍事公園から入って奥まで
いくと、そこに行けるらしいということだったので、歩いて行き
ました。しかし地図で見ると、近くに見えたものの、実際に歩く
とその遠いこと。さらに10月だというのに太陽の下の炎天下では
暑い事、暑い事。汗びっしょりになるし、足は疲れるし、これは
タクシーで来るべきだったかと反省しました。

やっとたどり着いたのがこの国防園の入り口です。子供たちに
軍国主義を植え付けるための公園なのですが、のどかな公園の中
に、軍事用の飛行機やら、戦車やら、高射砲やらが無造作に置い
てあります。石頭城の城壁に出るためには、この公園を抜けない
といけないので、勇気を出してこの門をくぐります。


入場料をとられるかと思ったら無料でした。中には、例えばこんな
軍用機が置いてありました。ここを訪れるのは、軍事マニアという
よりもごく普通の家族連れです。

操縦席とか狭くて居心地が悪そうです。

こんな兵器がごろごろと置かれている公園を、ずんずんと抜けて行く
とその奥に昇りの石段がありました。ここまで来るのにさんざん歩い
ているので、石段はきついです。しかも暑い。これはスニーカーか
なんかで来るべきであったと反省しました。

石段を上まで登ると、空が開けました。城壁の上に出たようです。
下を見ると、すごく高いのでびっくり。真下を見下ろすと気が遠く
なりそうです。




この城壁を、あの呉の孫権が、そして、三国志に出てくる、魯粛
やら、呂蒙やら、陸孫やら、程普やら、諸葛瑾らが実在の人物と
して歩いていたのかもしれないなどと思うと、何だか不思議な
気持になってくるのでした。

私は数年前は、パソコンの三国志のゲームにはまっていました。
三十をこえたあたりで、吉川英治の『三国志』を読みました。
それ以来、中国の歴史ものが好きになりました。しかし、三国志
は事実としての実感がほとんどありませんでした。城という言葉
を聞いてもせいぜい日本の城をイメージするだけでした。

今回、この城壁に登ってみて、自分が思っていた城の概念に比べ
実際の城のスケールが全然違っていることにびっくりしました。
この城壁の高さも想像以上です。ここから転落したら、命はまず
ありません。高所恐怖症の兵士だったら、この城壁を登ることは
できません。下からでは、弓矢も全く届きそうもありません。
この城壁の下をうろうろしていたら、上から狙い撃ちされてしま
います。

中国の城というのはすごいなあと改めて感心したのですが、南京
は市街地を取り囲む城壁がかなり残っています。その城壁に囲ま
れた区域の広さはすごい広さです。これまで城壁の内側というと
かなり狭いイメージを持っていたのですが、南京の城壁を見て、
その中から一歩も外に出なくても全然閉塞感はないんだなあと
あらためて実感したのです。

南京は、『南京大虐殺』でしか日本人には知られていませんが、
じつは歴史的な遺跡の数はすごいです。今回は時間もなくて
どこも行けませんでしたが、様々な時代の名残が残っています。
これは、もっと日本人に知られてもよいと思いました。

さて、ふたたび国防園を抜けてホテルに帰るのですが、公園の
池のボートがこんなんでした。

ボートに、機関銃がついています。もちろんおもちゃですが、
引き金をひくと、バリバリバリと音だけはでます。こんな軍事的
な船で、南京の子供たちは無邪気に遊んでいます。なんだか頭が
くらくらしてきそうです。これも南京の現実です。