南の国の会社社長の「遅ればせながら青春」

50を過ぎてからの青春時代があってもいい。香港から東京に移った南の国の会社社長が引き続き体験する青春の日々。

天下安寧とシンガポールHDB

2006-08-21 02:13:29 | シンガポール
この写真はシンガポールのHDBです。HDBとはHousing Development
Boardの略ですが、日本でいうと公団住宅というのに該当するので
しょうか?シンガポールには、HDBの住宅が非常に多く、8割以上
の人がHDBに住んでいます。

シンガポールには、日本のようなワンルームマンションや下宿屋
はほとんどありません。未婚者は基本的に家族同居が多く、都市
国家なので、親元を離れて一人暮らしをする必要性がないのです。

シンガポールは、住宅をHDBに集約し、国民全員が平穏な生活が
できるように配慮されています。こういうのを見ていると、これ
こそが「天下安寧」というものなのかなあと思ってしまいます。
誰もがある程度の生活ができるようになっている。しかも、基本
的な治安は保たれている。

本日のNHKの「功名が辻」を見た後、そんなことを思っていました。
秀吉も家康も、戦乱の先の「天下安寧」を目指していたのですね。
彼らがシンガポールのこの住環境、生活環境をもし見ることがで
きたとしたら、これこそ天下安寧のユートピアと見えたのではない
かと思います。

本日の「功名が辻」で、一豊が、「武士は戦をしてこそ武士」と
いう意見に対して、弟の康豊が、「天下安寧の世に導くことこそ
指導者の責任」という考え方を示して、意見を対立させます。
戦国時代は、戦いによって出世をしていく実力主義の時代だったの
ですが、同時に「天下安寧」を模索する過渡期の時代だったのです
ね。

一豊の母の法秀さんが亡くなります。千代さんがその死を看取るの
ですが、この場面で、自分の母が亡くなったことを思い出していま
した。私の妻であるところの下町娘が、一人で
田原の病院に母のお見舞いに行ったことなど思い出しました。
母が亡くなったとき、私の兄弟二人と、下町娘がいた
のが非常に状況的に似ておりました。

さて、ドラマでは、秀吉が、茶々を側室にします。むかし憧れてい
た女性(市)のことが忘れられず、その娘を自分の側室にしてしまう。
これはなんだかすごい執念ですよね。永作博美演ずる茶々はドラマの
中で「猿がいよいよ天下を取りに来た」と、自らのことを「天下」と
称しています。

石田三成は、茶々に執拗に誘惑されるのですが、冷静に自分の出世
を計算している彼は、安易に茶々の誘惑には負けません。むしろ、
茶々を自分の出世のために利用しようとしている節さえあります。
茶々が秀吉の側室になった場合には、三成にとっては自分の近江人
の派閥を強化できるチャンスとなります。自分の欲望よりも、出世
のほうを優先させる三成の冷静な計算です。

また、秀吉にとっては、織田家と浅井家の血筋を引く茶々を自分の
ものにし、そこに子供をもうけることは、天下に対して大義名分が
たつこと(織田家の存続)になるのです。また、豊臣の家系がこれ
で一気に一流ブランドとなれるのです。こんなわけで秀吉は茶々の
獲得に必至になったのでしょう。もちろん本音としては、忘れられ
ぬ市への思いを遂げるということもあったのは間違いありませんが。

最終的には、淀殿となった茶々は、秀頼とともに悲劇的な最後を
迎えることになるのですが、死ぬまでブランドであり続けた女性で
す。一流の家系の血筋をひき、ある意味で時代の中心であった女性
です。

こういう女性はシンガポールのHDBでは決して暮らせなかっただろう
と思います。しかし、あるいは、茶々をそのようにしたのは自分の
性格というよりも、時代の状況がそうしたのかもしれず、彼女が今
の時代に生きていて、シンガポールに住んでいたとしたら、それは
それで平和に生きていたのかなという気もします。信長や、秀吉が
シンガポールにいたら、この国は大変なことになっていたと思うの
ですが。