「茶を所望じゃ」と秀吉は、まだ寺の小僧であった佐吉(石田三成)
に頼んだ。佐吉は、大きな茶碗に七、八分にぬるくたてたお茶を
持ってきた。のどが乾ききっていた秀吉は、それを一気に飲んだ。
「さらに一ぷく」と秀吉は佐吉に命じた。今度は、温度をやや熱く
し、量は半分くらいにした。秀吉はそれを飲んだあと、さらに三杯
目を頼んだ。するとその茶碗は小ぶりになっていて、湯の量はほん
のわずかで、温度は舌の焼けるほど熱かったという。
これは、秀吉が最初に石田三成に出会うときのエピソードです。
秀吉は、ここで石田三成の頭のよさに感心し、寺から自分のところ
にもらいうけたということです。
この話を最初、司馬遼太郎さんの『関ヶ原』の冒頭の部分で読んだ
とき、ただ単に飲みやすいかどうかという程度の問題なのだと思っ
ていました。
ところが、昨日のNHKの「生活ほっとモーニング」での熱中症の対処
法の話を何気なく見ていたら、熱中症になった場合には、水の温度は
ぬるめのほうが効果があるという話が出ていました。温度が低ければ
低いほど(と言っても限度は摂氏5度くらい)小腸まで到達する
時間が速いということです。
水分を吸収するのは、のどや胃ではなく、小腸なのです。熱中症で
水分が足りなくなっている場合には、一刻も早く小腸に水を届ける
必要があります。熱いお湯だと、胃に留まって、小腸までなかなか
たどり着かないようなのです。湯温が低ければ低いほど、小腸まで
水分がはやく届くとのことです。
このあたりの詳しいデータは生活ほっとモーニングのサイトに
出ていますので、そちらでご確認ください。
この時、秀吉が熱中症の症状であったのかどうかはわかりませんが、
蝉の鳴く暑い夏の日に、鷹狩りで体力を使い、喉もからからになって
いたというのは熱中症に近い状況であったのかもしれませんね。
それにしてもこの石田三成、ちょっと頭がよすぎですよね。
彼は、秀吉の下で、数字がからむ仕事では相当活躍したようですが、
このお茶のエピソードにその計算高さが明確に現れているのは面白い
です。
でも、最後の「関ヶ原」のとき、自分の緻密な計算がぼろぼろと崩れ
ていき、あてにしていた武将から裏切られたりするのは、何ともあわ
れでございます。やっぱり世の中計算づくではいかないこともあると
いうことでしょうか。
愛は計算じゃないっすと、世界の中心で叫びたくなって
しまいます。
私は昔から計算が苦手で、数字アレルギーなのですが、この年になっ
て会社の経理数字や、銀行の残高や、給料の支払いや、税金などで
こんなに数字とにらめっこできるのは生まれて始めての経験です。
でも本当は数字は好きじゃありません。石田三成が今の世によみが
えって、シンガポールに就職活動に来たら、採用したいところです。
でも、人間的にはどうかな?という疑問が残りますが、売り上げは
きちんと上げてくれて、私としては秀吉のように、遊んで暮らせる
のになあと思ったりする今日このごろでございます。
に頼んだ。佐吉は、大きな茶碗に七、八分にぬるくたてたお茶を
持ってきた。のどが乾ききっていた秀吉は、それを一気に飲んだ。
「さらに一ぷく」と秀吉は佐吉に命じた。今度は、温度をやや熱く
し、量は半分くらいにした。秀吉はそれを飲んだあと、さらに三杯
目を頼んだ。するとその茶碗は小ぶりになっていて、湯の量はほん
のわずかで、温度は舌の焼けるほど熱かったという。
これは、秀吉が最初に石田三成に出会うときのエピソードです。
秀吉は、ここで石田三成の頭のよさに感心し、寺から自分のところ
にもらいうけたということです。
この話を最初、司馬遼太郎さんの『関ヶ原』の冒頭の部分で読んだ
とき、ただ単に飲みやすいかどうかという程度の問題なのだと思っ
ていました。
ところが、昨日のNHKの「生活ほっとモーニング」での熱中症の対処
法の話を何気なく見ていたら、熱中症になった場合には、水の温度は
ぬるめのほうが効果があるという話が出ていました。温度が低ければ
低いほど(と言っても限度は摂氏5度くらい)小腸まで到達する
時間が速いということです。
水分を吸収するのは、のどや胃ではなく、小腸なのです。熱中症で
水分が足りなくなっている場合には、一刻も早く小腸に水を届ける
必要があります。熱いお湯だと、胃に留まって、小腸までなかなか
たどり着かないようなのです。湯温が低ければ低いほど、小腸まで
水分がはやく届くとのことです。
このあたりの詳しいデータは生活ほっとモーニングのサイトに
出ていますので、そちらでご確認ください。
この時、秀吉が熱中症の症状であったのかどうかはわかりませんが、
蝉の鳴く暑い夏の日に、鷹狩りで体力を使い、喉もからからになって
いたというのは熱中症に近い状況であったのかもしれませんね。
それにしてもこの石田三成、ちょっと頭がよすぎですよね。
彼は、秀吉の下で、数字がからむ仕事では相当活躍したようですが、
このお茶のエピソードにその計算高さが明確に現れているのは面白い
です。
でも、最後の「関ヶ原」のとき、自分の緻密な計算がぼろぼろと崩れ
ていき、あてにしていた武将から裏切られたりするのは、何ともあわ
れでございます。やっぱり世の中計算づくではいかないこともあると
いうことでしょうか。
愛は計算じゃないっすと、世界の中心で叫びたくなって
しまいます。
私は昔から計算が苦手で、数字アレルギーなのですが、この年になっ
て会社の経理数字や、銀行の残高や、給料の支払いや、税金などで
こんなに数字とにらめっこできるのは生まれて始めての経験です。
でも本当は数字は好きじゃありません。石田三成が今の世によみが
えって、シンガポールに就職活動に来たら、採用したいところです。
でも、人間的にはどうかな?という疑問が残りますが、売り上げは
きちんと上げてくれて、私としては秀吉のように、遊んで暮らせる
のになあと思ったりする今日このごろでございます。