南の国の会社社長の「遅ればせながら青春」

50を過ぎてからの青春時代があってもいい。香港から東京に移った南の国の会社社長が引き続き体験する青春の日々。

アイスクリーム

2006-07-15 12:59:55 | シンガポール
シンガポールは年がら年中暑いので、街のあちこちにアイス
クリーム売りが出没します。売っているものは、同じなので
みんな同じネットワークに属しているのでしょうか。アイス
クリームを柔らかなパンにくるんだもの、ウエハースでアイ
スクリームを挟んだもの、あるいは普通のコーンに入れたも
のなどがあります。

また、客寄せの時に鐘をカランカランとならすのが特徴です。
日本でも昔はアイスクリーム売りが鐘をならしていましたが、
そういう昔の記憶を持っている人さえ少なくなりました。

上の写真は、オーチャード通りのパラゴン(ショッピング
センター)の前です。後ろの人だかりは、大道芸人が何か
パフォーマンスをしているのを見ているので、みんな後姿
です。暑い屋外では、アイスクリームがつい欲しくなるの
ですね。

今、NHKのニュースで、今日は日本の各地で猛暑だと言って
いました。37度にもなったところがあるそうですね。シンガ
ポールは暑いと言っても、そんなに暑くはありません。
だいたい30度から32度くらいでしょうか。また海も近いし、
緑も多いので、猛暑の日本よりも過ごしやすいのではないか
と思います。

うちの実家は愛知県の田原で駄菓子屋をやっていますので、
アイスクリームも売っています。今は電気の冷蔵庫にアイス
クリームを入れていますが、昔は電気ではありませんでした。
魔法瓶のような保冷機能の構造を持つ冷蔵庫でした。暑い夏
の間、どのようにして冷気を保っていたのかよくわかりません。

そういえば、うちではかき氷もやっていました。氷を貯蔵
する冷蔵庫は、もちろん電気冷蔵庫ではなく、クーラー
ボックスのような鉄製のものでした。氷は、なくなるとその
都度、近くの製氷所まで買いに行っておりました。
今では考えられないことですが。

歩いて数分のところに町工場がありました。夏には、3時に
なると大量のかき氷の注文がきました。30とか40とかの数で
す。それを5つづつ「おかもち」に入れて、小学生の私が
工場まで運んでいくのです。早く届けないと氷が解けてしま
うし、急ぎすぎると氷が崩れてしまうし、そのバランスが
難しいところでした。考えてみると、子供の頃から私はずい
ぶん働かされていたのですね。懐かしい思いでです。

アイスクリームと言えば、以前、下町娘とピピ島に
行ったとき、メインの船着き場から向こう側の湾に通じる
小道に小さなアイスクリーム屋さんがありました。そこで
アイスクリームを買って食べたのですが、この間の津波で
その一帯は、すべて壊滅してしまいました。一度しか行っ
たことのないアイスクリーム屋さんなんですけど、そうい
思い出の場所が一瞬にして消えてしまったのは悲しいこと
です。

アイスクリームよ、永遠に。

2 コメント

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Re:アイスクリーム (阿頼王)
2006-07-16 08:27:00
南の国の会社社長さん お久しぶりです。

アイスクリーム一つでも色々な想い出があるものですね。お写真のアイスクリーム屋さんを見て、思わず、「あっ、昔のアイスクリーム屋さんだ」と思ってしまいました。日本も昔はこんなアイスクリーム屋さんが売っていましたよね。あれはうろ覚えなんですが、冷却剤にアンモニアを使ってるとか聞いたような気がします。なんか食べ物とアンモニアという微妙な取り合わせが変な(というかイヤな)感じだったのを覚えています。
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Re:アイスクリーム (南の国の会社社長)
2006-07-16 21:54:30
阿頼王さん、こんにちは。昔のアイスクリームの冷却剤に関しては全然知りませんでした。うちも何か使っていたのかもしれません。シンガポールのアイスクリーム屋さんも冷たさを保つために何か工夫をしているのだと思うのですが、これはチャンスがあれば調べてみましょう。
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