南の国の会社社長の「遅ればせながら青春」

50を過ぎてからの青春時代があってもいい。香港から東京に移った南の国の会社社長が引き続き体験する青春の日々。

競い合わないスポーツ

2006-07-18 03:27:43 | ビーチリゾート
上の写真は以前行ったマレーシアのパヤ島の海の中です。ランカ
ウィとペナンの中間にあって、いろんな魚がうじゃうじゃいる海
でした。クマノミや、ミノカサゴや、フグや、その他いろんな魚
がいるので、魚の勉強をするには非常によい海でした。

この写真は自分で撮影しました。ニコンのクールピクスの5200と
その水中ハウジングを使いました。水中でデジカメを使うのは
初めてだったのですが、びっくりしたのは、何枚でも好きなだけ
撮影できるということ(フィルムのカメラだと36枚が限度でした)、
水中でズームができること(潜るんですなどではズームなどでき
ませんでした)、そして撮影している画面がスクリーンで見やすい
こと(フィルムカメラでは水中ではファインダーは覗けません
でした)。

さらに、びっくりしたのは、コンピューターにダウンロードして
から一括で色補正ができたことです。水の中だと、全体的に色が
グリーンっぽくなっていました。水中だとこんなもんだろうなと
思っていたのですが、何と自動補正をしたら、色が鮮やかに!
これはデジタルならではのことでした。

今回、少し前の海の写真を持ってきた理由は、今日が海の日だか
ら?というわけではありません。今日、たまたま知り合いの人と
雑談をしていました。その人は格闘技が好きだと言いました。私
は格闘技はあまり好きではありませんでした。その人は、プロレ
スとか見ると面白いと言いました。私はそういう痛々しいのは
嫌いだと言いました。基本的に私は競い合うというのが嫌いだと
結論づけました。格闘技だけではなく、テニスでも、ゴルフでも
誰かを打ち負かすというのが実は嫌いなのです。自分が勝つため
に誰かが負ける、それがいやなのです。

そうなると、スポーツなんてできなくなってしまうんじゃないか
と心配になります。しかし、ありました。それが、ダイビングと
ローラーブレードです。ローラーブレードに関してはまたの機会
に譲るとして、ダイビングです。ダイビングは競いあう必要の
ないスポーツということに感動しました。

30才を過ぎてから日本の熱海のスクールでライセンスをとりまし
た。その時、インストラクターが言ったのが、「ダイビングは
競い合う必要がない」という言葉でした。人より速く泳ごうとか、
人より深く潜ろうとか、人より長く水の中にいようとか、人より
沢山の魚を見ようとか、そんなことがまるきり意味のない世界。
それがダイビングだったのです。

スポーツでありながら、その技術論で優劣をつけない。それが
気に入りました。ゴルフとかとは大違いです。ダイビングはある
程度の基本を身につければ、目指すところは「挑戦」ではなくて
その対局の「平和」とか「やすらぎ」です。自然と一体化する
こと、自分が魚になることみたいなことで、この感覚は競いあう
ということとは全く違うのです。

海の中で魚を見ていると、とても和みます。海の中を中性浮力で
漂っている感覚は、無重力の宇宙空間を漂っている感覚(を
経験したわけではありませんが)に似ています。海の底の地形
が急に深くなっているところに泳ぎだしていく感覚は、空を飛ん
いるかのような気持ちよさを感じることがあります。子供の頃
空を飛ぶ夢をよくみましたが、そんな感覚を感じることもあり
ます。

そんなこんなでダイビングを続けてキャリアとしては20年くら
いになりますが、全然潜らない年もありますので、トータル本数
は数十本に留まっています。一番多く潜ったのは、噴火する以前
の三宅島でした。会社の仲間でよく行ったものでした。

上級者向けのタイのシミランで潜ったこともありました。幻想的
な月夜のナイトダイビングをしたときは、夜光虫が星空のように
輝いてこの世のものとは思えない感じでした。

下町娘もいつかライセンスをとるんだと言って
いますが、なかなかチャンスがありません。以前行ったピピ島に
モスキートダイビングというショップがあり、そこにすごい小さ
な風呂おけのような教習用のプールがあって、下町娘
そこでライセンスをとるとか言っていたのですが、この間の津波
で、その一帯は激しい被害を受けました。悲しい出来事でした。

ここ一年以上ダイビングには行っていないので、いつかまた行け
るといいなと思っております。