南の国の会社社長の「遅ればせながら青春」

50を過ぎてからの青春時代があってもいい。香港から東京に移った南の国の会社社長が引き続き体験する青春の日々。

人生にはいくつものハードルがある

2006-07-11 00:15:54 | シンガポール
下町娘がまだ生まれたばかりの赤子の頃、私は中学校
でハードルをやっていました。別に陸上部とかではなくて、
学校の運動会でたまたまあてがわれた種目がハードルだった
だけです。当時の私は、跳躍力があり、バレーボール部の
顧問の先生(この人は体育と美術の先生を掛け持ちしていた
のですが)から、「君、バレーボールやらないか」と誘われ
ていたくらいです。でもそっちの道には進みませんでした。
バレーボールをやっていたら自分の人生は全然違う方向に
行っていたのかもしれません。

高校の一年のときに、たまたま体育の時間に、110メートル
のハイハードルのタイムレースをやるということになりまし
た。学年全員がそれをやることになりました。ハイハードル
はちょっと高いので、飛び越えるだけでも勇気がいるのです
が、そのときは、無我夢中で飛び越えました。何だか自分が
風になったかのような感覚で、ハードルを飛び越えていき
ました。

タイムを計っていた体育の先生が、「今のはスピードに乗っ
いたねえ」とほめていました。何と学年3位でした。上の二
人は陸上部の生徒でした。それは私の人生の中で、最高速度
のハードルの記録でした。今はとても走れません。

大学に入って、またまた体育の授業で、ハードルがありまし
た。時間を競うようなヘビーなものではなかったのですが、
私の走りっぷりを見て、体育の先生が、「非常にリズム感が
よい」というので、模範演技までさせられてしまいました。
体育の授業でハードルを走ったのはこれが人生で最後となり
ました。

社会人になってから、陸上のハードルを飛ぶという機会は
全くなくなってしまいましたが、別な意味でのハードルが
いっぱい出てきました。仕事だとか、いろんなところで
いろんなハードルを乗り越えないといけなくなり、一つ
一つクリアーしながら今に至っています。

シンガポールの会社の責任者となった今も、こんなの本当
に超えられるんだろうかというハードルを何とか超え、
本当に何とか、会社を潰さないで存続させています。
これは奇跡としかいいようのないことなのかもしれません。

最近、立ちはだかっているハードル、それは遠距離結婚と
いうハードルです。私は、去年の12月に下町娘と結婚
をして、今年の5月に東京で披露宴をして今に至っている
のですが、未だに一緒に生活できてはいません。結婚式とか、
披露宴とかの大イベントはきちっとクリアーしてきたのですが、
一緒に住むということがまだ現実のものとなっていません。

一緒に住んだら住んだで、また日常生活の中のハードルが
いくつも現れるのかもしれませんけれど、若い頃に覚えた
ハードルの技術をこういうところで活かしていければよいの
かなと思っております。

スポーツのハードルとは違うとおっしゃるかもしれませんが、
以前学んだ技術は何でも活用したくなってしまう貧乏性の
私であります。