今年は、寺山修司の没後40年のメモリアルイヤーだった。
短歌総合誌では「現代短歌」が2023年9月号で寺山修司の特集を組んだ。寺山に関する評論やエッセイや対談が掲載されていたけど、そこでの話題は、短歌だけではなく、俳句や演劇にも伸びていた。
なかでも、今野寿美と佐藤文香の対談は、歌人と俳人によるものであり、寺山の歌人としてだけの特集にするつもりはない、という編集側の意図が汲み取れた。
たしかに、寺山修司の肩書は歌人だけではない。俳人、エッセイスト、脚本家、劇作家、劇団主宰者、映画監督、作詞家、などなど。とてもじゃないが、短歌作品だけで表現者としての寺山は論じることはできない。
それに、歌人といっても、歌集は『空には本』、『血と麦』、『田園に死す』の三冊。後、歌集未収録作品も加えた『全歌集』が刊行されたけど、歌作は29歳で止む。それ以後、47歳で没するまで、寺山は短歌の世界に戻ることはなかった。
寺山にとって、短歌への傾倒とは、彼の生涯のいわば青春期であって、30代以降は、短歌を踏み台にして、表現者としての才能を多方面へ越境させていったということがいえるだろう。
さて、そんな寺山の短歌であるが、映像性、をキーワードとしてしばしば論じられてもいる。
故郷青森を描いた『田園に死す』には、次のような、まさに映像が浮かぶ作品も多い。
売りにゆく柱時計がふいに鳴る横抱きにして枯野ゆくとき
たつた一つの嫁入道具の仏壇を義眼のうつるまで磨くなり
亡き母の真赤な櫛で梳きやれば山鳩の羽毛抜けやまぬまり
1首目。柱時計を横抱きにして枯野を歩いている場面なんて、じつにおどろおどろしくあるが、その柱時計が不意にボーンとなったのだから、<われ>はさぞ驚愕したことだろう。
2首目。主人公の母親が仏壇を磨いている場面。義眼にうつるまで磨くというのだから、こちらも何か不気味な感じだ。一心不乱に磨いている母親の表情までがありありと浮かんでこよう。
3首目。真っ赤な櫛の色彩。その櫛で山鳩を梳いたら羽毛が抜けやまないというのだから、やはり気味が悪い。
これらの作品に触れた私たちの眼裏には、その情景が鮮やかに浮かんでくるに違いない。
ところで、この歌集『田園に死す』は、寺山によって、同名作品として映画化されている。映画の中にも、掲出した3首をはじめとして、歌集『田園に死す』の作品が、寺山自身の朗読によって挿入されている。
ただし、挿入はされているものの、柱時計を横抱きにしてボーンとなったとか、義眼の母親とか、毛の抜ける山鳩とかが、映像化されているわけではない。あくまで、短歌は短歌として挿入されているのだ。
であるから、短歌と映画でタイトルが同じでも、歌集で詠われているものがそのまま映像化された、というわけではない。映画は映画で、きわめて映画的な手法によって撮影され作品化されている。
ではその、映画的な手法、とは何か。
というと、寺山はこの映画作品で、メトニミーを駆使して映像表現をしたといえるのだ。
メトニミーとは、大きくいえば比喩表現のひとつで、あるモノやコトを、近くにある別のモノやコトで表していることをいう。
「暗示」なんていう言葉があるが、これを言語学的にとらえるのならばメトミニーといえると思う。
つまり、映画「田園に死す」には、そんなメトニミーの手法がふんだんに盛られていて、「いったいこの映像は何を暗示しているのだろう」というのをひたすら考えながら観るようなものだ。
例えば、「柱時計」。これは、家父長制といったようなもののメトニミーなのだ。映画の冒頭で、家の柱時計が壊れていることが示される。けれど、母親は修理に出そうとはしない。それで、主人公の家では、柱時計がボーン、ボーンとずっと鳴っている。これをどうやって読み解くかといえば、父親が不在の母子だけの家庭で、母親は、その不在の父親というか家制度に未だにすがっている、ということなのだ。それが証拠に、主人公の少年が、家を出ようと決心したときに、壊れた時計が鳴りやんだのだ。
あるいは、母親が「仏壇を磨く」という行為。これも、父親が居た頃の過去、あるいは、その家の脈々と連なっている血族をあがめているといったメトニミーになろう。
といった感じで、映画ではほかにも、隣人のキレイな奥さん、赤い衣装の女、サーカス団、田園で将棋を指す主人公、とか、いろいろ登場していて、ストーリーを追いつつも、そんな場面場面のメトニミーを考えて観るとめっぽう面白いものとなっている。
さて、短歌作品に戻ろう。
先ほど掲出した作品。これらの作品にも、「柱時計」や「仏壇を磨く」という行為が詠われている。では、こうした作品は、メトニミーで読み解けるだろうか。つまり、短歌作品のなかの「柱時計」は家父長制を暗示しており、それを主人公は売りに行こうとしているのだ、というように。あるいは、「仏壇を磨く」という母親の行為は、血脈にすがりついていることへの暗示なのだ、というように。
というと、そこまで読むのは無理があると思われる。もし、そう読めるのであれば、それは寺山の生い立ちやらの分かるエッセイとか、それこそ映画とかといった、短歌作品以外からの情報によって、後づけで読み取れることであって、短歌だけからは、そこまで読み解くのは無理だと思う。
なので、こうした短歌作品は、映画のようにメトニミーを読み解くのではなく、純粋に寺山ならではの映像性を愉しむ、という鑑賞がいいのだと思われる。
では、短歌の世界で、メトニミーの手法を駆使して歌作するのは、無理なのだろうか。
と、いうとそんなことはない。
例えば、寺山と同時期に発表された、岡井隆の作品をあげてみよう。
海こえてかなしき婚をあせりたる権力のやわらかき部分見ゆ
岡井隆『朝狩』
この作品は、「かなしき婚」があるモノのメトニミーとなっている。つまりは、何かを「暗示」している。ここが分からなければ、この作品は絶対に読み解けない。
ここの「かなしき婚」は、日米安全保障条約のメトニミーだ。この作品が発表された当時(1963年)、日本はいわゆる60年日米安保のさなかで、国論は二分していたのであった。そのときに、岡井は日米安保を「かなしき婚」と表したのである。
岡井が示した、こうしたメトニミーの手法は鮮やかといえよう。
ちなみに、この作品の下句「やわらかき部分」は、読者によって、女性器の喩と読んだり、はたまた、男性器の喩と読んだり、と読みが揺れている。私見では、そもそも喩と読まなくてもいいのではないか、と思っているが、このように読みがいろいろと広がるのが隠喩だ。一方、その喩の対象がはっきりしているというのがメトニミーといえる。
寺山修司が短歌に傾倒していたのは、青春期の10年にも満たない時期だった。けれど、そんななかでも、寺山の作品は、短歌史のなかで燦然と輝いていよう。
そして、その輝きは、たとえば、表現者寺山が短歌から軽々と越境していった、他のジャンルとの比較から、論じることができるのではないか。それは、今回、映画人としての寺山とを比較してみたように。
あるいは、同時代の作品と比較することで、その寺山ならではの輝きを論じることもできよう。それは、今回、同時代の岡井隆の作品と比較してみたように。
寺山が没して40年。
歴史上の歌人にしてしまうには、まだ早過ぎよう。
40年たったけど、まだ寺山は論じ足りないのだ。
今回の議論での「柱時計」、「仏壇を磨く行為」は、メタファーにはならないと思います。やはりメトニミーが適当かと。
言語学的にも、メトニミーの定義はかなり揺れているので、とにかく、ひとつひとつ例示しながら議論するという段階なのでしょうね。
本文中の「メトミニー」の部分は「メタファー」とした方が適切ではないでしょうか。
メトミニーは引用された岡井隆の短歌で言うと、「海を越えて」(二つの国家の関係を地理によって表す)とか「権力」(メトミニーを用いず表現すると「権力を行使する両国の首脳」といった言い回しになる)がその例になるのではないでしょうか。私もあんまり自信がないのですが。
俳句だと、
春雨やものがたり行く傘と蓑 蕪村
がメトミニーの例としてよく挙げられるようです。
「春雨やものがたり行く傘(を差す人)と蓑(を被る人)」ということですね。