結局はこの話をしなければいけないのだと思う。欲望についてである。
東直子との共著『しびれる短歌』(ちくまプリマー新書、2019年1月)の中で、穂村弘はみずからが短歌を始めたバブル期を回想しながら次のように言う。
短歌の世界に限定して言うと、俵さんとか加藤治郎とか僕がバラバラでありながら共通しているのは、欲望に対して肯定的だっていうこと。それが口語短歌と結びついていたから、初期に口語で出た歌人はみんなそうだと思われて、そんなにてらいなくていいのかお前らっていう、その違和感ですごく叩かれた。単に口語が異質だったっていうだけじゃなくて、その背後にあった欲望の肯定が受け入れられなかったんだと思う。
(『しびれる短歌』第六章「豊かさと貧しさと屈折と、お金の歌」p.157)
80年代に登場した、いわゆるライト・ヴァースからニューウェーブに至る一連の作者たちの「ハイテンション」さについて、永井祐や斉藤斎藤といった後続世代が理解できないと述べる理由を考察する過程で穂村は、「僕らが岸上大作がなんであんなに青臭いのか理解できないっていうのと同じで、理解できないと言いつつ時代の中で見れば理解できるし、もちろん彼らだって時代の中で見た時の感触はわかると思う。だから「理解できない」というのは、自分たちには、受け入れがたいってことなんだよね」と指摘する(p.158-159)。その少し手前の箇所でも、戦後の土屋文明、バブル期の俵万智、平成の永井祐という三人を「時代の中で」読み解きながら、「土屋文明の頃はお金がないから、ほしいものや栄養価があるものが買えなくて、貧しくて苦しかった。単純に日本人の夢がかなった時代というのが八〇年代、俵万智さんの時代。そこから三十年たって、永井くんになると不思議な様相を帯びていて、もう一度、一周回った貧しさの中にいる。(…)大晦日にデニーズにいるというのが貧しいといえば貧しいし、豊かといえば豊かという」といった分析を見せている(p.140)。
穂村のこうした見立てに、筆者は苦々しいほどの違和感を覚えずにはいられなかった。ここでは経済成長と「豊かさ」が純粋無垢なまでに順接で結ばれている。確かに平成の三十年とは、バブル崩壊後の深刻な不況、実感なき経済回復や格差の拡大といった右肩下がりの図式化によって語り得るものであり、だからこそ穂村は永井祐の作品を通じてこの時代を「貧しいといえば貧しいし、豊かといえば豊か」であると読み解いたわけだが、しかし「一周回った貧しさ」という認識は、本当に現代という時代に即したものとして、概念や認識を更新しつつ為されたものと果たして言えるだろうか。「永井くんは、そういう僕らの世代の口語の文体では、自分たちの生活実感は歌えないっていう確信があったと言っていて、それはそうだろうなと思う」という穂村の理解は、残念ながらバブル期という、経済成長のグラフにおける山の上から平成の永井祐を見下ろす形で為されたものでしかないのではないか。
戦後の復興、高度経済成長を経てバブル期に至るまで見事な右肩上がりを描き、その後はバブルが弾けるとともに呆気なく下降するこのグラフは、経済的指標である以上に、穂村の言う「欲望の肯定」の度合いを世代や年代ごとに示したものであるようにも見える。だが、「貧しさ」と「豊かさ」の様相がそれまでの二項対立的把握に基づく言語では捉え切れなくなったというのに、このグラフはあくまで昔ながらの、戦後の香り漂う「貧しさ」や「豊かさ」で世界を切り取ろうとする。永井祐が先行世代の口語との文体的断絶に意識的であったのは、根底にある「欲望の肯定」の構造に対して賛同できないという静かな意思表示だったのではではないか。「豊かさ/貧しさ」という対立構造そのものが、経済不況の空気感を伴う形で脱構築されていったのが、平成という時代だったのではないか。その空気とは、例えば、こういうものである。
現在四〇代である私たちの世代は、ロスジェネとか氷河期世代とか呼ばれた。非正規雇用率が高く、未婚率が高く、子どもを持つことの少なかった世代である。
いちばん働きたかったとき、働くことから遠ざけられた。いちばん結婚したかったとき、異性とつがうことに向けて一歩を踏み出すにはあまりにも傷つき疲れていた。いちばん子どもを産むことに適していたとき、妊娠したら生活が破綻すると怯えた。(…)先行世代の女性学や男性学が扱ってきた「女性/男性であること」の痛みは、まるで贅沢品のようだった。正社員として会社に縛り付けられることさえかなわず、結婚も出産も経験しないまま年齢を重ねていく自分というものは、「型にはまった男性/女性」でさえあれず、そのような自分を抱えて生きるしんどさは言葉にならず、言葉にならないものは誰とも共有できず、孤独はらせん状に深まった。
(貴戸理恵「生きづらい女性と非モテ男性をつなぐ小説『軽薄』(金原ひとみ)から」「現代思想」2019年2月号)
1978年生まれの社会学者である貴戸が示すのは、それまで当然のごとく受け入れられてきた「型」が、バブル崩壊以降の平成不況の煽りを受ける形で一気に使い物にならなくなったという当事者的認識だ。これを読んだ上で、再度、「欲望の肯定」の最大値としてのバブル期という穂村の見立てに視線を戻してほしい。「豊かさ/貧しさ」や「欲望」といったグラフによって時代を見ようとすることそのものが、現代の多様かつ拡散した内情を見て取ろうとするのにはもはや不適合であると言わざるを得ないのではないか、という疑念がおのずと湧いてこないだろうか。
一見理解を示しているように見えるが、実はその視点そのものが明らかな分断要因であった――。そうした事態を穂村の評論中における「歌語の開発」の中に見出したのが、寺井龍哉の評論「穂村弘の公式(フォーミュラ)―歌語の開発とその周辺」(「歌壇」2019年2月号)だった(声に出して読みたいタイトルの評論である)。「棒立ちの歌」や「武装解除」といった穂村流の批評用語や、「改作例」を示すことで「自説を補強する」穂村の方法は、前提として「読者と作者が作歌法に関する規範的な意識を共有することを要請」していると寺井は指摘する。
穂村は「共通意識」のもとで互いに「武装」し、格闘することを期待していたのだ。そして裏切られた期待は、新たに登場してきた作品に「棒立ち」や「武装解除」の名を与え、その戦意の希薄さを特徴づけた。いずれの用語も争闘すべきものが争闘しようとしていない、という含みを多分に持つ。「共通意識」のうえで格闘することを望む穂村は、それを共有できず、かつ戦意も認められない「若者たち」の歌に苛立ち、迂遠なかたちで宣戦していたのだ。
(寺井龍哉「穂村弘の公式(フォーミュラ)―歌語の開発とその周辺」「歌壇」2019年2月号)
闘ってくれる相手が見つかって良かったね、等と皮肉を言っている場合ではない。「「共通意識」のもとで互いに「武装」し、格闘することを期待」するという行為は、換言すれば短歌的・批評的「欲望の肯定」の発露である。穂村の批評用語が「自身の批評の方法の挫折を契機として、異質なるものを位置づけるための命名の結果」として現れていること、それらの用語が「従来的な批評の方法が挫折させられてしまうことへの苛立ちと揶揄の調子を不可避的に含み込」んでいる事実を指摘する中で、寺井は穂村の言説に含まれる短歌的「欲望の肯定」を、視点の多元化を導入することで無効化しているのである。付言すれば、ここに見られる穂村の「共通意識」への希求や「武装」への意志は、「欲望の肯定」の最大値というある種の極点において自己を形成した者による、対象を見下ろす姿勢を含んだ言説として捉えられ得るものだ。そこには規範化ないし歴史化に対する純粋なまでの従順さと欲望とが含まれている点は、見逃してはならない傾向だろう。シンポジウム「ニューウェーブ30年」で、かつてニューウェーブが「まるでわれわれが意図した運動体であるかのように誤認され」たことがむしろ「われわれにとって好都合だった」(「ねむらない樹」vol.1、2018年8月)等と、極めてしたたかな発言をしていた根底には、穂村の「欲望の肯定」への意志が渦巻いていたと言えるのではないだろうか。
「打開策はまず、問いの形式の転換だ」と寺井は言う。そして「なぜかつてはそうだったのか」を問いながら「過去の自明を現在の眼で解き明かすこと」が重要なのは、何も評論や批評に限った話ではない。例えば、ニューウェーブと同時代の女性歌人について「女性歌人はそういったくくりのなかには入らない、もっと自由に空を翔けていくような存在なんじゃないかと思う」、「天上的な存在」(「ねむらない樹」vol.1、2018年8月)等と言ってしまう加藤治郎は、男性中心主義の社会において錬成された「男の子の国」的欲望の肯定によって為される差別の再生産について、「現在の眼で解き明か」せては決していない(「男の子の国」の概念は斉藤美奈子『紅一点論』からの援用である)。「加藤治郎の「天上的な存在」という言葉は、葛原妙子を「幻視の女王」、山中智恵子を「現代の巫女」と呼んで封じ込めたものと同じ圧力を持っている」と、加藤や穂村と同世代である水原紫苑は一刀両断していた(「前を向こう」「ねむらない樹」vol.2、2019年2月)。
残念ながら、筆者は『しびれる短歌』のライトな語り口にも、「欲望の肯定」の度合いの一番高いところから観測されているような違和感を覚えてしまった。そもそも第一章の「やっぱり基本は恋の歌」という章題や、そこに含まれた暗黙の相聞歌待望論、更には「抑圧されてないからテンションが上がらないということもあるけれども、何でそうはしゃぐようなことなんですか? みたいな感じでしょう。飢餓感がないというか」(穂村、p.35)、「私たちの時代は、恋への夢とか憧れとかはまだロマンがあったんだけど、恋愛があまりにもカジュアルになりすぎて、彼女たちにはもうそれがない感じですね」「ものすごく美味しいものを紙皿で食べてるみたいな気がしないでもない」(東、p.36)等という発言の端々に、穂村・東両名における「欲望の肯定」の意外なまでの深さと、後続世代との断絶の深さを思わずにはいられない。こういう話題になるとすぐに、岡崎裕美子の「したあとの朝日はだるい 自転車に撤去予告の赤紙は揺れ」(『発芽』所収、そういえばこの『しびれる短歌』には引用歌の出典表記が一切無い)が持ち出しされる、という図式そのものにも後続世代は既に飽きているだろう。
そんな中で、錦見映理子が『めくるめく短歌たち』(書肆侃侃房、2018年12月)の中で、飯田有子『林檎貫通式』(2001年、BookPark)を穂村が評論「酸欠世界」(『短歌の友人』所収、初出は角川「短歌年鑑」2004年版)で提示した読みから解放する試みを示したことは、非常に意味のあることだった。錦見との巻末対談の中で、「歌集をまとめるというときに、初期や中期の作品は全部カットされていて、限定された世界を作っていた。そのときに彼女の決意を読み取るべきだったんだろうけど、僕もそこまでキャッチできなかった」と述べる穂村は、既に飯田有子に対して「現在の眼で解き明かす」作業を、錦見の飯田有子論を経由することで行っている。「現在の眼」はだから、決してある世代に特権的な視点ではなく、誰もが実践可能な考察と自省に対する方法の方法、メタ的な方法論であると言えよう。
「わがまま」や「棒立ち」が90年代以降に登場した世代を括るような批評用語に必ずしもなり得なかったのは、「平成」という時代の著しい変化とともに「欲望の肯定」への姿勢が一変したことで新人たちの作品が敏感に反応した一方で、批評の側が「武装」の姿勢を変えなかったために、作品と批評、作者と評論家の間に深い断絶が生じていたからではないか。小説においてもここ最近、藤野千夜『少年と少女のポルカ』や松村栄子『僕はかぐや姫』といった、90年代に登場した作家の初期作品の文庫復刊が顕著だが、これらも歌壇の現状と同様、批評する言葉がようやく「作品」に追いついた、ということを意味していると筆者は考えている(そういえば「J文学」もマッピング的文芸の代表的失敗例だと言える)。「現在の眼」によって語る言葉を探る過程で、私たちはこれから言葉という最悪の構造と何度も刺し違えることになるだろうが、それでも、錆びかけの構造に追従することで、見失われ、貶められ、無かったことにされてしまうものが目の前にある限り、私たちは、これまでとは別の仕方で、言葉を紡いでいくことを願うだろう。
私たちの言葉は、永遠の途上にある。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます