「詩客」短歌時評

隔週で「詩客」短歌時評を掲載します。

短歌相互評30 寺井龍哉から山川築「つくりごと」へ

2018-11-28 20:15:25 | 短歌相互評
 標題は「つくりごと」、物語的な虚構のことのみを指すと見てもよいが、あえて「つくりごと」をせずありのままに語ることのできる事実も存在するのだから、この語には後ろめたい印象もつきまとう。世を渡る方便としてのささやかな嘘、観客を楽しませるための創作者による脚色、政権をゆるがす大いなる虚偽までを、「つくりごと」の語義は包摂する。

 真実の対義語ばかり使ふ日のはじめに飲み下す胃腸薬

「つくりごと」はまさに「真実の対義語」のひとつだろう。「真実」を回避し隠匿して過ごさねばならぬ日の最初に「胃腸薬」を服用する。よほどストレスの負荷のかかる日々なのだろう、と納得するのは簡単だが、それで済む話ではあるまい。私は「真実」への接近を規制されながら、受け入れがたい圧力や要求を飲む。もの言はずは腹ふくるるわざなり、とは兼好の言葉だが、言いあてられるべき「真実」を言えずに内面に溜まってゆく憤懣や憂憤を、私は「胃腸薬」で処理しようとするのだ。ままならぬ現実に「胃腸薬」で対応しようとする気息奄々の表情、というばかりではない。そのどす黒い念々を積極的に排出しようとする、潔いまでの自己防衛への志向を感じとるべきだろう。

  濃緑の丘を離るる気球見ゆ叫びのまへの呼吸は深し
  憤激の去りにしのちにわれの手はタブロイド紙を歪ませてをり


 絶叫の前の一瞬に、深く息を吸い込んで気球を見つめる。激しい感情のしずまったのちに、手に摑まれたものの形状からその感情の様相を省みる。私の内面の転変と叙述の視点は、すこしずつずれて同調しない。大きく息を吸い込んで吐き出すまでのひととき、そこには単純でない感情や思考の変化があるだろう。「タブロイド紙」の文面を目で追ってから自身の「憤激」に耐え、やがて手に込められた力の大きさを自覚するまで、意識は刻々と遷移する。高潮する意気と、離れた時点からそれを子細に眺めまわす視点が、一首のうちに二重の像を結んで存在している。読者はその複層性に現実味を感じすにはいないだろう。誰も誰も、単線的な感情の線のみを生きているわけではないからである。

  十字路の角の耳鼻科の看板に目のなき象が三頭ならぶ
  投入が殺人に見えもう一度袋の口を固く結びつ


 感覚や判断能力の摩耗ということも、主題のひとつかもしれない。「象」は、「耳鼻科の看板」であるというのみの理由で、耳と鼻の巨大さを買われて召集され、「看板」の絵のなかに小さく並ばされている。涙ぐましいではないか。しかも「象」は「目のなき」状態に置かれている。「投入が殺人に見え」も「目」による視覚の能力の不全を暗示する。たとえばゴミ袋をゴミ箱に「投入」する前に、ふと表示の文字を見間違える。そして私は、「殺人」よろしく「袋の口を固く結」ぶ。「真実の対義語ばかり使ふ」ことは、やがて正不正の判断以前の認知の能力も逓減させてゆくという流れを読みたい。

  黙すほど鋭くなれる痛みかなざなざなざなと墓地に降る雨

 それにしても、明らかに背面に誰かの死がある一連である。終盤になって出現する「殺人」、「固く結びつ」、「憤激」、「痛み」、「墓地」という語彙は、不穏な色をありありと見せつける。二首目の「有精卵が産み落とされて」の表現は、その対極の要素として布置されていたということに、ひとたび読み終えて後に想到するしくみである。
「真実」を秘匿し、次第に摩耗する感覚を用いながら、私は残酷な行動にも手を染めようとしてしまう。激する感情を離れた時点から眺める姿勢は崩さないものの、不如意な現実に立ち向かうこともできず、「黙すほど鋭くなれる痛み」を抱えて「墓地」に立ち尽くす。実際の意図はともかく、この一連の背後に、たとえば財務省の決済文書改竄や近畿財務局職員の自殺の問題を見ることは困難ではないように思う。事実を秘匿し虚偽を構築せよ、という指示を受けて思い悩んだ者の軌跡、そしてその死について、読者は考えざるを得ない。社会詠の窮まるところは、境涯詠と交差する。
 言うまでもないが、同時代の作品を読むということは、そうした観点を不可避的に引き入れてしまうことでもある。作品の魅力を汲みつくすために、それはどうしても必要なことだ。


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1 コメント

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詩歌句誌面 (鳥羽散歩)
2022-02-20 14:50:25
私のブログ「詩歌句誌面」に、山川築氏作「つつくりこと」の論評分を掲載させていただきましたから、宜しくご検分下さい。
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