「詩客」短歌時評

隔週で「詩客」短歌時評を掲載します。

短歌評 わが短歌事始め Ⅳ 岡井隆(承前) 酒卷 英一郞

2019-03-02 22:00:15 | 短歌時評
 岡井隆の歌業を、一九七二・昭和47年思潮社刋『岡井隆歌集』所收の初期作品「О(オー)」、第一歌集『斉唱』、『土地よ、痛みを負え』、『朝狩』、『眼底紀行』、そして以降の未完稿「天河庭園集」から、全卷を橫斷し、通底するテーマ別に俯瞰してきたが、今少し續けてみたい。
 ここまで見てきたのは、先づごく初期のアララギ系先行作品の模寫、その嫋やかな自然詠。

  布雲(ぬのぐも)の幾重(いくへ)の中に入りし日は残光あまた噴き上げにけり 『岡井隆歌集』「О」


 つぎに怒濤のごとき政治への熱い季節。とくに市民革命への幻想と幻滅。

  朝狩にいまたつらしも 拠点いくつふかい朝から狩りいだすべく 『朝狩』

 そして岡井作品のまさに中心的課題とも云ふべき性愛のテーマ。その眩暈(めくるめ)く變幻。

  知らぬまに昨日(きのう)暗黒とまぐわいしとぞ闇はそも性愛持てる 『朝狩』
  掌(て)のなかへ降(ふ)る精液の迅きかなアレキサンドリア種の曙に 『眼底紀行』
  女らは芝に坐りぬ性愛のかなしき襞をそこに拡げて
  一方(ひとかた)に過ぎ行く時や揚雲雀啼け性愛の限りつくして
 「天河庭園集」

 醫師の現場性、勞働と安息。

  労働へ、見よ、抒情的傍注のこのくわしさの淡きいつわり 『眼底紀行』

 また日常としての七曜、その喩的陰翳。

  漂々とある七曜のおわるころ穀倉ひとつ日を噴きて居し 『土地よ、痛みを負え』

 小禽類への愛情、山羊への偏愛。

  小綬鶏は唱いて丘をすぎしかば嬬(つま)よぶわれとすれちがいゆく 『土地よ、痛みを負え』
  昨夜(きぞのよ)は月あかあかと揚雲雀(あげひばり)鍼(はり)のごとくに群れのぼりけり 「天河庭園集」
  一月のテーマのために飼いならす剛直にして眸(まみ)くらき山羊 『朝狩』

 思念の定型〈フォルム〉としての雲。

  雲に雌雄ありや 地平にあい寄りて恥(やさ)しきいろをたたう夕ぐれ 『土地よ、痛みを負え』
  刃(は)をもちてわれは立てれば右ひだりおびただしき雲の死に遭(あ)う真昼 『朝狩』

 樹木愛、とりはけ楡と喩。ふたつの文字の形象的近似價に寄せる喩化。

  産みおうる一瞬母の四肢鳴りてあしたの丘のうらわかき楡 『土地よ、痛みを負え』
  暗緑(あんりよく)の林がひとつ走れるを夕まぐれ見き暁(あけ)にしずまる

 性の時閒をめぐる夜と異なるいまひとつの夜の孤影。

  匂いにも光沢(つや)あることをかなしみし一夜(ひとよ)につづく万(まん)の短夜(みじかよ)  『土地よ、痛みを負え』
  たましいの崩るる速さぬばたまの夜のひびきのなかにし病めば 『朝狩』
  四月二十九日の宵は深酒のかがやく家具に包まれて寝し 「天河庭園集」

 ここまでが前囘テーマのお浚ひであるが、設營された主旋律は、ときに伴奏し、共鳴し、反響する。止むことのない殘響を思ひつくままにいくつか拾つてみる。

 學究的一面は旣に觸れたが、さらにブッキッシュな側面が加はる。

  textの読み浅かりし口惜しさの蝶逐いつめており水際(みぎわ)まで  『土地よ、痛みを負え』
  つねに逐われつつ遊ぶかな一隠語ゆえ百科全書(エンシクロペヂア)を漁り
  むらさきのニーチェ潜(くぐ)りし昨(きぞ)の夜の肺胞ひとつづつ血まみれに 「天河庭園集」
  闘争記一を購(か)いたるゆきがかりそのあとのしどろもどろの別離
  カフカとは対話せざりき若ければそれだけで虹それだけで毒

  ばあらばらあばらぼねこそ響(な)りいずれ斎藤茂吉野坂昭如(あきゆき)

 「闘争記」一首は、今囘の隱れテーマとも云ふべきに直結するであらう「或る私的事情」(『岡井隆歌集』「書誌的解説とあとがき」)を匂はせるに充分であるし、「斎藤茂吉野坂昭如」は、その顚末の事後の咆哮、安堵でもあるのか。

 ブッキッシュ=書癡的であるとは、當然のごとく詩人の眞正面からの自畫像(ポルトㇾ)でもあるが、自づから言語への執着へと繫がる。

  一語に牽(ひ)かれ一語に搏(う)たれわれはゆくわがわたりゆく藍(あい)のあかつき 『朝狩』
  ちぎれては翔(か)ける言葉の風切の夕映えのなかはかなく高く 『眼底紀行』
  偽装して時のさなかをゆくときの言葉は何ぞみだりがわしき
  現実は悶えにもだえゆくものをくぐもりわたる言葉の鏡
  櫂(かい)二つ朝あわ雪に漕ぎいでて現象のかげことばのなだれ 「天河庭園集」
  優しさははずかしさかな捲きあがる水の裾から言葉を起こし

 それは眞直ぐに書くと言ふ行爲、その手際を、そして歌の調べそのものへと轉ずる。

  こころみだれてパン嚙むころぞ真日(まひ)くれてさわ立ちやまぬ歌の翼よ 『朝狩』
  夜をこめて歌の風切雨覆(かぜきりあまおおい)まなかいに見ゆ刃のごとく見ゆ
  書いて個を超えつつ書けば春はやき星の林の折れ曲る枝見ゆ 『眼底紀行』
  照らされてわが掌にあるは神経のはせくだる谷の模写ぞ鋭き
  左手で書きしずめいる詩の底へたとえば銃身のごとき心を

  曙の星を言葉にさしかえて唱(うた)うも今日をかぎりとやせむ 「天河庭園集」
  終着のとき告げている定型のややなまりある声ぞかなしき    
  以上簡潔に手ばやく叙し終りうすむらさきを祀(まつ)る夕ぐれ


 ことばはことばを呼び、重なり、連なる疊語(ルフラン)の細波、秋波。岡井の超絕技法。

  溺れつつかち渉(わた)りつつたどり来し道くれないの椅子に終れる『朝狩』
  すべて選みのそのひとときにかかりたるさゆらぎにつつさやぎつつ来む 『眼底紀行』
  五月五日午後五時ごろは飯をはむ風なかの花みだるる食思
  率寝(いね)てのちは芝が萌え出すじりじりと燃えつくしてはわが悔(くい)止まむ 「〈時〉の狭間にて」
  応和して遊戯(ゆうげ)して葛(くず)の目覚めよさめてゆく愛のさめゆく沢の霧雨
  しげりゆく卯月五月(さつき)のさわさわと青かきわけて生きて喘ぎて 「天河庭園集」
  重くまた狭く募(つの)ればこころよりこころへさやぐ枝架けゆかむ
  ひとたびふたたびみたびよたびまで声あげて寄る死の水際(みぎわ)まで

  

 書く行爲の基底には個の存在が。

  私(わたくし)のめぐりの葉のみくきやかに世界昏々と見えなくなりつ 『朝狩』
  存在が狩られるはつかなるときに白じらとわがこころの遠矢 『眼底紀行』
  存在を狩りて夕ぐれいちじろく鋭く澄みてゆく耳のある
  イコンからイデアへわたるいしのうえに橘ぞ濃き憂(うれい)ひろぐれ

  踏み込まむかの体験の丈余の土間 鞍部・残部・陰部・患部とこそ響(な)れ 「〈時〉の狭間にて」
  生きるとは匍匐後退にいばりのつくばつくづくおもいあぐねて 「天河庭園集」

 やがて個の存在が世界を圍繞する。歌の優しさ、鋭さ、翳りもて。

  世界しずかに飜(ひるが)えるとき垂りながら一房熟るる猛々しけれ 『眼底紀行』
  かたわらに鏡を置けば折り折りに見ゆ わが立てる世界の向う岸との曇る
  寄りがたき重き世界を築きたる死の周縁に一日(ひとひ)居りたる 「天河庭園集」
  此処(ここ)へ来(こ)よ此処へ時間に殉(したが)いてうらぎれるだけうらぎりながら

 世界を視つめ、自己存在を凝望する眼、眼、眼。

  眼もて射よリズムの罠をはりわたせ朝狩り立ちに遅れ来ぬれば 『眼底紀行』
  風景を渉る眼の群(むれ)のさやさや 山が来て青い地峡をかこむ時 「〈時〉の狭間にて」
  眼は耳の意志か小さきいかずちの聚(あつ)まるしたへ出でて撃たるる 「天河庭園集」

 慰藉としての音樂。作者を慰める音律。

  バルトークの太鼓ひびかう うなだれつつ浴槽(ゆぶね)までたどりつきて覗けば 『土地よ、痛みを負え』
  発(た)つべくはことごとく発(た)ちわが裡(うち)に絢(けん)らんと冬の楽(がく)充つるのみ 『朝狩』
  樂興(がくきよう)の刻(とき)は来にけり犇(ひしめ)きて花にしせまる硬葉(こわば)たのしく
  樂興のとき去りにつつ夕ぐれのたてがみ庭にみだれ乱るる 『眼底紀行』
  管弦のあめいろの音(ね)におびき出されて わがこころ優しければか遭う挟み撃ち
  日曜という空洞をうずめたる西欧楽(せいおうがく)のかぎりなき弦(げん) 「天河庭園集」
  ピアノとはおどろくばかりみだらなる音連(つ)らなめて夜半(よわ)をわたれる
  
 突然氣がついたことがある。岡井隆の語る部屋。部屋とは何か。〈個〉の身體的、精神的空隙(トポス)。時閒の暗箱。思索の容器(うつは)。ときに房内、男女の睦びの胎内。

  部屋をかえ椅子かえてなお読みがたし炎えわたりたるこの午すぎを 『眼底紀行』
  八偶(はちぐう)にあわきかげりを置きながら部屋はありありとわれを擁(いだ)けり 「天河庭園集」

 最後は岡井の雄性、丈夫(ますらを)振りと男の不條理について。

  藻類(そうるい)にしきり逢いたく雪の来る半時間前巷にいでつ 『朝狩』
  怒りつつ垂鉛(すいえん)をまたおろすかな遠き底辺の白微光(はくびこう)まで 『朝狩』
  火を焚いて男高わらう小路あれ満たさるるなき夕ぐれを行く 『眼底紀行』
  男とは常(つね)惹かれてよあさつきの朝粥の舌刺せば憶おゆ 「天河庭園集」
  飛ぶ雪の碓井(うすい)をすぎて昏みゆくいま紛れなき男のこころ
  欲望のささくれ立ちて声もなき群青(ぐんじよう)くらきまで煮つめたり
  此のあたりをかぎりなくかぐわしくせよ掻き立ててもかきたてても寂しがれば
  憂愁の午前黙(もだ)あるのみの午後杉綾(すぎあや)を着て寒(かん)の夜に逢う
  騒ぐなら国のかたぶくまで叛きてむ直腸に鉛沈めて


    *
 
 さていよいよこれからが本題である。前囘末尾で觸れた『岡井隆歌集』の「書誌的解説とあとがき」の「或る私的事情」について觸れなければならないのだが、怠惰な評者に時閒の切り賣りが可能とあらば、いま一度の延命を圖り次の機會を期したい。  (未完)