わたしの好きな詩人

毎月原則として第4土曜日に歌人、俳人の「私の好きな詩人」を1作掲載します。

私の好きな詩人 第122回 -エミリー・ディキンソン - 水嶋きょうこ

2014-04-09 20:48:37 | 詩客

 1830年アメリカの北東部ニューイングランドに生まれたエミリ―・ディキンソン。彼女は生涯独り身で、家からも出ず、隠遁者のような生活を送りつつ、詩を書き続けた。生前わずか10篇の詩を匿名で発表しただけであるが、死後みつかった作品は千数百篇にのぼる。56年間という決して長くないその生涯のなかで、なぜこれほど情熱をもって、彼女は詩を書き続けることができたのだろうか。讃美歌を思わせる心地よいリズム、ダッシュや大文字を使った視覚的なおもしろさ。様々な魅力を持つディキンソンの作品だが、私は特に小動物が出てくるものに心ひかれる。「草むらが櫛を入れたように分かれます―/斑点のついた矢が見えて―/それから草むらは足もとで閉じ/向こうへ行って開きます―」(「A narrow Fellow in the Grass」引用)嫌われものの蛇が草原をわたっていく様も詩的で美しい。「銀の玉をかかえ」「真珠の糸を―くり出す―」(「The Spider holds a  Silver Ball」引用)と蜘蛛が巣をかける動きも神秘的に描かれる。そこには愛情にあふれた小動物への視線がある。生きものの身体から溢れ出る生命の力、営みの不思議さをみつめる詩人の眼差しがある。
 しかし、人生への洞察となるとシニカルで辛辣だ。人生をおおらかに肯定する安直な明るさとは無縁の所で描かれている。「露の味を知るには/激しい渇きがなければならぬ。」(「Success is counted sweetest」引用)満たされないもの、虐げられているもの、人生の敗者からの視線が、言葉を成り立たせる。ニューイングランドの保守的な風土、南北戦争で混乱した時代に反するように時代のうねりとは離れ、部屋にこもり詩人は書き続けた。
 彼女は「死」についても数多くの個性的な作品を残している。宗教色の強い土地に育っても、信仰の教義とは違う個人的で独特のものだ。

 

 馬車に乗っているのはただわたしたち―
 それと「不滅の生」だけだった。
  (中略)
 わたしたちは学校を過ぎた、子供たちが
 休み時間で遊んでいた―輪になって―
 目を見張っている穀物の畠を過ぎた―
 沈んでゆく太陽を過ぎた―
  (中略)
 わたしたちは止まった
 地面が盛り上がったような家の前に―
 屋根はほとんど見えない
 蛇腹は―土の中―

 それから―何世紀もたつ―でもしかし
 あの日よりも短く感じる
 馬は「永遠」に向かっているのだと
 最初にわたしが思ったあの一日よりも―


(「Because I could not stop for Death-」引用)

 

 死は不意に現れる。死に誘われ、「わたし」は馬車に乗り込む。過ごしてきた時を確認するように様々な風景を過ぎる。町から郊外の墓地へ向かう景色は生き生きと描写され、人生の流れとも重なり、魅惑的で美しい。しかし、時の経過は死で終わらない。死後もなお旅は続く。「不滅の生」とともに永遠にむかって、残された言葉は進み続ける。
 「詩人はランプに火をともすだけ―/みずからは―消えていく―」(「The Poets light but Lamps-」引用)と彼女は記す。自らの身体は消えても、言葉は残る。個人の詩的言語が世界と関係性を結び、時代の「レンズ」となって表現空間を押し広げていくことを彼女は望んでいたのだろう。小さな場にこもった詩人はひたすら発表するあてのない詩を書き続けた。しかし、自然や命あるものへの尊厳は、詩人の内的世界を豊かにし、溢れ出す言葉は外界と共振し、世界は更に開かれていく。「歓喜とは出て行くこと/内陸の魂が大海へと、/家々を過ぎ―岬を過ぎ―/永遠の中へと深く―(「Exultation is the going」引用)彼女の想像力は大きく自由へと羽ばたく。永遠に挑むように、現実を幻視し、言葉の数々を解き放ったディキンソン。彼女の詩への強い信頼、書くことへの意志、ひた向きな情熱に、私は強く心ひかれてしまうのだ。
    

(「対訳ディキンソン詩集」亀井俊介編 岩波文庫 参照)


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