小松郁子さんは岡山県出身の詩人である。晩年になるにつれ西大寺(現岡山市東区西大寺)のことを書き、私は読むたび見ぬ時代の情景に包まれた。変哲のない短いことばが、杳とした世界を作る。最後の詩集『わたしの「夢十夜」』(2008年 砂小屋書房)の冒頭の詩。
村の朝
えのころ草のそよぐような
美しい朝だった
タイトルを入れて3行の短い詩である。えのころ草は狗(ゑ、犬)の子草といわれ、子犬の尾の形の垂れた花穂を持つ。猫がじゃれて遊ぶというネコジャラシとも呼ばれる。この小動物の尾のような花穂が群生して揺れるのを見ると私は薄気味悪さを感じる。なまなましく蠢くものが、ぞわぞわ音を立て迫る。折れそうに細い茎、薄く手の切れそうな葉、暗さがあり不吉感が漂う。私がこの草に気づくのはたいてい夕方である。「そよぐような」とあるから、そよぐ朝ではなく、そよぐ気配のする「美しい朝だった」のだ。村のひとたちがそれぞれ風に揺られるように暮らし、村に住んでいた少女のころは意識もしなかったのだが、何十年も経って老年になった今、揺れる少女の記憶が立ち上るのである。生きていることが美しい朝だった。
記憶は、陰影のあるできごとでなく、日々忘れてしまうような些末なことの積み重ねから作られる。それがひとを作っていく。
ほうき草
ひろい庭(かど)のすみっこにはほうき草が生えた
祖父は毎年それで
庭ぼうきをつくっていた
東京のお花屋さんで
今日
そのほうき草に出あった
小松郁子さんは西大寺の女学校に勤めていたが、戦後しばらくして上京し職に就く。萩原葉子さんと親しかった。
ほうき草は、ネコジャラシの花穂を巨大にした形で、丸まった動物を思わせる。祖父が庭ぼうきを作っていたのは戦前の時代かもしれない。思い出が呼び起されるのに関しては、時間は存在しない。時間の不思議。苦しかったことは消え、ほうき草を見たことで祖父を思い出し慰められる。些細なことが大きな意味を持つ。ひとの難解でありながら単純である不思議。平明に思える詩の中に、ひとの謎のようなものがあり、そこに私は惹かれる。
石畳
石畳を一歩づつ踏んで
母屋の方に歩んでいく
母屋は体温のようなあたたかさが感じられて
よろこんでむかえ入れてくれるようなけはいだ
親しいたれかが まだ住んでいるのかもしれない
石を一歩づつ歩いていく
夢のようなあたたかさに満ちている。わたしを待つひとたちがいて、障子から明かりがこぼれ、台所のほうから夕餉の支度の音が聞こえてくる。ありえないことなのだ。だれも住んでいない古い家。いや家もあるかどうかわからない。それでも一歩づつ歩いていけば、近づくたびうれしさに胸が躍る。歩いているうちに少女に戻ってくる。幼年のしあわせが一歩一歩前に歩ませるということは、ありきたりのことだけれど、ひとの喜びはありきたりの中にあるのだ。だれかが住んでいるような気がしても、おそらく会わないだろう。こころの中にそのひとたちは生きていてからだの一部になっている。幼いしあわせなわたしが生きている。母屋へ歩みながら、わたしは今を保っている。「石を一歩づつ歩いていく」、死への歩みとそれを超える生のほの明るさを感じた。
詩「旭館」の中に「その頃女学校は小さな丘のような金山の東側の斜面にあって」とあり、私は「その頃」は知らないが、後にその女学校の跡地にある職場に勤めた。坂を上るたび、小松郁子さんも上ったのだと思った。西大寺の観音院や町を歩きながら、どのあたりに母屋があったのだろうかと見回した。私の詩の中の「ねぶった」ということばに「郷里を思い出しました」というお便りを頂いた。
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