『資本論』学習資料室

泉州で開催された「『資本論』を読む会」の4年余りの記録です。『資本論』の学習に役立たせてください。

第25回「『資本論』を読む会」の案内

2010-05-27 15:36:15 | 『資本論』

『資  本  論』  を  読  ん  で  み  ま  せ  ん  か

 

 ギリシャの財政破綻に端を発する信用不安がスペインやポルトガルなどにも広がり、欧州の共通通貨「ユーロ」安が止まらず、世界的な株安をももたらしている。

政府の緊縮政策に抗議するギリシャの労働者

 ギリシャの財政危機に対しては、欧州連合(EU)と国際通貨基金(IMF)が総額1100億ユーロ(約13兆円)の支援策を決め、ユーロ圏緊急首脳会議でも、財政難のユーロ導入国に対する基金の設立や欧州中央銀行(ECB)も含めた、ユーロ圏安定保証のためにあらゆる手段を講じることや、EUの財政規律の強化等を合意したものの、スペインの中央銀行が貯蓄銀行「カハスール」を傘下においたことが伝わると、再び信用不安が広がり、5月26日には、ニューヨーク株式市場のダウ工業株30種平均は3カ月ぶりに1万ドルの大台を割り込み、日本でも日経平均株価は1万円を割ってしまった。ユーロ安も止まらず26日現在、1ユーロは110円を割り込んでいるありさまである。

 ところでユーロ安とか、円高、ドル安とか色々言われるが、この「為替相場(為替レート)」というのは、そもそも何を表しているのであろうか。一般には「異なる通貨の交換比率のことである」と説明されている。これはブルジョア経済学者だけではなく、マルクス経済学者にもこうした説明で済ませている人が多い。しかし果たしてこうした説明は正しいのであろうか。

 『資本論』第3部第5篇第35章は「貴金属と為替相場」である。しかし、さまざまな抜粋部分やエンゲルスが書き加えた部分を除くと、マルクス自身が「為替相場」について書いたものは極めて少ない。本格的にはほとんど論じてないと言ってもよいほどである。では、マルクス自身はそれに関心がなかったかというと、とんでもないのである。「ロンドン・ノート1850-1853年」とMEGA編集者によって名付けられた24冊のノートには膨大な抜粋と考察が残されているのだという。

 本来、マルクスの「経済学批判」体系プランでは、為替相場は、後半体系の「4.国家における総括」と「6.世界市場と恐慌」との間に位置する「5.国際的関係(外国貿易)」のなかで主題的に論じるべきものだったのである。だから前半体系の、しかもその一部を占めるに過ぎない『資本論』では、ほとんど言及されなかったのもやむをえない。しかし『資本論』の最初の「貨幣論」と第3部第5篇の「利子生み資本論」を正確に理解すれば、自ずと為替や為替相場についても正しい理解に到達できると確信している。

 「為替」というのは、遠隔地間の諸支払を銀行など金融機関を媒介して振り替えることによって、現金を運ばずに決済するための信用用具(有価証券)である。だからそれは決して厳密な意味での「通貨」と同じではないのである。
 「通貨」とは貨幣の流通手段と支払手段という二つの機能を併せた、「広い意味での流通手段」のことであり、今日でいうなら、日本国内で流通している円札や硬貨、アメリカ国内で流通しているドル札や硬貨、ユーロ圏内ならユーロ札や硬貨、つまり一般に「現金」と言われているものである。しかし為替市場で売買されているのは、こうしたものではなく、有価証券の一種である「為替」なのである。
 前者は、それぞれの国内における一般的な商品市場で流通し、その流通必要量は、その時々のそれぞれの国内における(だから外国との間ではないことに注意!)商品流通の状態、すなわち流通する諸商品の価格総額、流通速度、信用の状態(相殺される諸支払の度合い)によって規定され、通貨の「価値」(その代表する金量)も同じようにそれぞれの国内の商品流通の現実によって規定されている。
 それに対して後者は、有価証券の売買であるから、貨幣市場の問題であり、だから厳密には利子生み資本、あるいはmoneyed Capitalとしての貨幣資本の運動として捉えるべきなのである。だから、為替の市場価格は、東京やニューヨーク、あるいはロンドン等の外為市場における、その時々の円建てやドル建て、あるいはユーロ建ての為替の需給如何によって、それぞれの通貨建て為替の他の通貨による購買価格が変動するのである(だから両替のように「通貨」そのものが交換されているわけではないし、ここには現金そのものは一切姿を表さない)。そして為替の需給は、投機的なものを除けば、貿易収支や資本収支、つまりそれぞれの国の国際収支の変化に対応して変動するのである。
 このように、両者はまったく異なる流通(商品市場と貨幣市場)に属し、通常は直接的には関連しない(もちろん両者は間接的には関連しているし、それが如何なる関連にあるかを理論的に解明することが重要なのであるが、それを正しく説明しているものはほとんど見かけない)。だから、この両者を区別できずに、混同するならば、マルクスが批判した銀行学派と同じ誤りに陥ることになるであろう。

 「為替相場」を「通貨の交換比率」などと説明することは、まさにこうした誤りに陥っていることを示しているのである。そうした誤った主張の中には国際的な商品取引でもドルなどの「通貨」」が実際に流通していると考えているとしか思えないような説明をしているケースさえある。残念ながら、ここでは批判を十分理論的に展開する余裕はないが、こうした問題一つとっても、『資本論』をしっかり研究することの重要性を確認しなければならないのである。

 是非、貴方も国際的な金融諸現象を理論的に深く理解するためにも、ともに『資本論』を読んでみませんか。

…………………………………………………………………………

第25回「『資本論』を読む会」・案内

 

                                                                                    ■日 時   6月20日(日) 午後2時~

 ■会 場   堺市立南図書館
       (泉北高速・泉ヶ丘駅南西300m、駐車場はありません。)

 ■テキスト 『資本論』第一巻第一分冊(どの版でも結構です)

 ■主 催   『資本論』を読む会



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 第24回「『資本論』を読む会... | トップ | ドキュメンタリー映画「フツ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

『資本論』」カテゴリの最新記事