『資本論』学習資料室

泉州で開催された「『資本論』を読む会」の4年余りの記録です。『資本論』の学習に役立たせてください。

『資本論』学習資料No.18(通算第68回)(1)

2019-12-23 13:11:37 | 『資本論』

『資本論』学習資料No.18(通算第68回)(1)

 

 

◎生産手段の価値の移転問題(大谷新著の紹介の続き) 

 前回は、大谷禎之介著『資本論草稿にマルクスの苦闘を読む』「Ⅲ 探索の旅路で落ち穂を拾う」のなかの「第10章 商品および商品生産に関するいくつかの問題について」の〈論点2 価値の「論証」という偽問題について〉を取り上げました。今回はその次の〈論点3 社会的必要労働時間による生産手段からの移転価値の規定について--置塩信雄氏の見解の検討--〉からです。ここで取り上げられている問題は、私が以前所属していた組織内でも大きな論争になった問題でもありますので、少し詳しく論じたいと思います。若干、長くなりますが、ご了解ください。 

  まず大谷氏は置塩氏の問題提起を次のように紹介しています。

  〈「だれでも知っているように,1つの商品の生産には生産財と労働の投入が必要である。その商品への投下労働は,直接に投下される労働だけでなく,生産財を生産するのに投下される労働をも加算されなくてはならない。ところが,生産財を生産するのにも,労働だけでなく生産財の投入が必要である,等々。こうして,議論は堂々めぐりをはじめる。/この「難問」をどう解決するか。これが解決しないがぎり,マルクスの体系は,私にとっては,砂上の楼閣であった。」(同書,4-5ページ。)   氏は,この「難問」は,「つぎつぎに過去にさかのぼってゆき,最後に労働だけで生産財(人間の生産物である生産手段)の投入を必要としない原始的場面まで戻って,こんどは逆に労働を加算する方法」では解決できないとされる。なぜなら,氏の考えでは,「マルクスの体系の基礎としての投下労働量は,過去にさかのぼっていかほどの労働が投下されたかではなく,現存の生産技術のもとでその商品を生産するのにどれだけの労働が投下されねばならないかが問題」なのだからである。〉 (454頁) 

  ここには二つの問題があるように思えます。
    (1)生産手段に投下された労働はそれを生産する生産手段に投下された労働を一部分含むというように、どんどん遡って計算される必要があるのかどうか、という問題。
    (2)生産手段に投下された労働量というのは、それを使って生産する時点の生産力に規定された投下労働量なのかどうか、という問題です。
    置塩氏は(2)の理由から(1)のようにどんどん遡っていくことは出来ないとします。そしてどうしても数学的方法が必要として数式を提示するのですが、その数式はここでは紹介は省きます。
    大谷氏の批判は、まず(2)に対するものです。それは次のようなものです。 

 原料の小麦の価値は,原料の小麦の播種以前に規定されていたのであって,それが生産に入り,生産物の小麦のなかに移転したのだからである。今年の生産に使われる原料の小麦の価値は,この小麦を生産した昨年の生産における社会的必要労働時間によって規定されているのである。〉 (456頁、太字は大谷氏による強調箇所)
 〈つまり生産手段の価値はそれが生産に入る以前に,それ以前の生産での社会的必要労働時間によって規定されているのだ,〉 (457頁)
   〈ただ,商品生産の場合には,価値とは労働生産物に,つまり人間の外部に存在する物に対象化したものであって,それは社会的必要労働時間によって決定されるということから,生産手段の価値も,それが生産過程に入るときの(それが生産物を生産し終えたときの,ではなく)社会的必要労働時間によって決定されるのであって,それが実際に生産されたときの社会的必要労働時間によって決定されるのではない,という独自の事情が付け加わるというわけである。この事情は,たとえば,充用されてきている機械が現在では社会的平均的にかつてよりもはるかに安価に生産されるために,いまでは,それから生産物のなかに移転する価値もわずかになってしまう,といったかたちで大きな問題をもたらすのであるが,だからと言って,生産手段からの移転価値も,新価値が創造される時点での社会的必要労働時間によって規定されると考えなければならないのだ,などということになるわけではない。〉 (458頁)
   〈このように見てくると,置塩氏のさきの「問題」そのものが,問題であることがわかる。すなわち,氏は,「マルクスの体系の基礎としての投下労働量は,過去にさかのぼっていかほどの労働が投下されたかではなく,現存の生産技術のもとでその商品を生産するのにどれだけの労働が投下されねばならないかが問題なのである」,と言われていたのであるが,「現存の生産技術のもとでその商品を生産するのにどれだけの労働が投下されねばならないか」というのは,まさに生きた労働の量について言われるべきことで,生産手段の価値については,これと区別して,「生産手段をその商品の生産に充用する前の時点での生産技術のもとでその生産手段を生産するのにどれだけの労働が投下されねばならないか」が問題なのである。この二つの時点がどんなに接近したものであったとしても,その先後関係は明確にされなければならないのであって,そうだとすれば,置塩氏の言われる「商品の投下労働量の決定」の式は,さきに見たように,t1=α1t1 +τ1 ではなくて,t1=α1t'1 +τ1 でなければならないということになり,氏の立論は意味をなさないものとなるのである。〉 (460頁) 

  出てくる数式は、これだけでは意味不明かも知れませんが、それはまあ問わないとして、以上が大体、(2)に対する大谷氏の主張です。最後の要約も同じ問題を論じていますので、前後しますがそれもついでに抜粋しておきましょう。 

  〈要約しよう。ある生産の生産物が他の生産に生産手段として入っていくという関係が,社会的にどんなに複雑に絡み合ったかたちで存在するとしても,生産手段が生産に入るときには,その価値はすでに与えられたものであって,その生産以前の時点で社会的必要労働時間によって規定されている。だから,生産手段の価値減価などの問題を考えるときには,その生産手段によって生産される生産物の完成の時点とほとんど同時的にそれの現在の価値を考えなければならないとしても,理論的には,それの生産が開始されるときにはすでにその生産手段の価値は決まっていたと考えなければならず,したがって,その時点は生産物の完成の時点よりも以前でなければならない。そうでなければ,生産物の完成の時点でようやく,生産物自身の価値ばかりでなく,生産手段の価値までも確定される,という奇妙なことになるのだからである。置塩氏の t1=α1t1 +τ1 とは,まさにこのような,生産物の価値と生産手段の価値との同時決定,あるいは相互依存的決定を表わす式である。この式は「商品の投下労働量の決定」の式ではあっても,商品の価値の規定を表わすものではありえない。〉 (460-461頁) 

  では(1)の問題についてはどうかというと、それについては大谷氏は次のように述べています(出てくる数式の説明はやりだすと大変になことになるので省略します)。 

 〈しかし,そうだとすれば,このt'1も,これに使用された小麦はその前年の小麦の価値によって規定されることになり,結局,「つぎつぎに過去にさかのぼってゆき,最後に労働だけで生産財(人間の生産物である生産手段)の投入を必要としない原始的場面まで戻って,こんどは逆に労働を加算する方法」(置塩氏)をとらざるをえないことにならないであろうか。そのとおりなのである。「原始的場面」であるかどうかはともかくとして,この小麦の事例では,生産物である小麦を原料に使用するかぎりは,まさにそのようにして,価値が決定されているということにならざるをえない。しかし,このことは,小麦の生産者が毎年こういう計算をしていることを意味するのではまったくない。彼は,年々,自分の小麦の価値を価格の形態ではっきりとつかんでいるのであって,翌年はそれにもとついて原料価格を考えればいいのだからである。〉 (457頁)

   このように大谷氏は生産手段の価値をどんどん遡って、生産手段の投入を必要としない原始的場面まで遡らざるを得ないということを、〈そのとおりなのである〉と肯定しています。同じ問題を論じている部分をさらに抜粋しておきましょう。 

  〈だが,一歩立ち止まって,置塩氏が言われる,「最後に労働だけで生産財(人間の生産物である生産手段)の投入を必要としない原始的場面まで戻る」ことがおかしいかどうかを見ておこう。
  およそ,生産物の生産費用としての抽象的労働を考えるかぎり,それのなかには生産手段の生産費用も含められなければならない。そうだとすれば,計算可能であるかどうかは別として--そしてじっさい計算できるかどうか,そのような計算が意味をもつかどうかはまったく別の問題である--,生産手段が労働生産物であり,それがまた労働生産物である生産手段を消費して生産されたものであるかぎり,生産物の生産費用には,それらの生産手段の生産に必要であった抽象的労働のすべてが入ると言わなければならない。それでは,その遡及はどこまでいってもきりがないか。いや,置塩氏が「最後に労働だけで生産財(人間の生産物である生産手段)の投入を必要としない原始的場面」なるものが,「原始的」であるかどうかはともかく,確実にあるはずである。なぜなら「道具をつくる動物」である人間も,どこかではじめて道具をつくるようになったのであって,そのときから,道具の生産に抽象的労働を,つまり費用をかけはじめたのだからである。にもかかわらず,それからあとも,人間はつねに生産のなかで人間の労働生産物ではない生産手段,つまりなんの生産費用もかかっていない生産手段を充用してきたし,現在でもそうである。すなわち,人間にとっての「天然の武器庫」である大地が供給する労働対象である。人間の最初の生産は,この大地が供給するがままの労働手段によって大地が与える労働対象を変形加工することであったはずである。そうだとすると,生産物を生産するどんな過去の労働も,結局は,生きた労働に帰着することにならざるをえない(第10.6図)。 (図は省略)
   これを価値について言えば,一切の旧価値が結局のところ,新価値の創造以前のどこかで創造された価値に帰着する,ということになる。ただし,その旧価値の大きさは,それを含んでいる生産手段が生産過程に入る前の時点での社会的必要労働時間によって決定されるのである。
 
  念のために言っておかなければならないが,ここで述べたことは,いわゆる「アダム・スミスのⅴ+mのドグマ」,つまり社会の総生産物の価値は全部収入に分解するという考え方が正しいということではない。むしろ逆に,これまで述べてきたように,さきの「原始的場面」を除けば(そして資本主義的生産では,およそそのような「場面」は問題になりようがない),どんな生産に用いられる生産手段も,その生産以前に生産されたものであり,それ以前に形成された価値を含んだ生産手段を前提する,ということである。そうだとすれば,年間の総生産物の再生産がどのように行なわれるか,ということを考察しようとするときは,前年度に生産されてすでに価値が規定されている総生産物を前提しなければならない。そしてこの生産物の一部が今年度生産手段として充用されるのである。だから,社会の総生産物が不変資本価値(c)--つまり生産手段の移転価値--を含んでいなければならないのであり,この点でスミスのドグマは誤っているのである。〉 (458-460頁) 

   私はこの問題を将来の社会では生産手段はその使用価値、そしてその物質的生産力(だからそれが生きた労働と結合する場合の技術的構成)だけが問題になり、それに過去に如何なる労働が支出されたか、ということは問題になり得ないと論じたことがあります(「林理論批判」という連載のなかで)。それを今すぐに思い出すことは出来ませんが、大谷氏は結局、生産手段に投下された労働量というものはどんどん遡らざるを得ないという結論らしいのですが、果たしてそれが正しいのかどうかが問題だと思います。
  ただこの問題は確かに"難問"なのであって、マルクスが書いた『資本論』の最後の草稿である第2部第8草稿のなかで(エンゲルス版では第20章第10節「資本と収入 可変資本と労賃」に該当する部分です。この部分は草稿では「単純再生産」の一番最後にあるのですが、エンゲルスがここに移したのです)、最初にわざわざ部門Ⅰ(生産手段の生産部門)のc(不変資本)を問題にすると断っておきながら(草稿にあるこの冒頭の文章はエンゲルスによって削除されていますが)、結局、途中から問題意識が逸れてⅠ 1000v(可変資本)とII(生活手段生産部門) 1000cの関係の問題に問題意識をそらしてしまった(あるいはそこからさらに展開する予定だったのかも知れませんが、それを途中で打ち切ってしまった)ことの、あるいは隠された理由ではないかと私は勘繰っているほどなのです。しかし大谷氏は大谷氏らしくそれについて真面目に回答しようとしているかのようです。しかしそれが果たして正しいのかどうかについては私は疑問を持っています。
 そもそも生産手段に対象化された過去の労働(つまりその価値)が、なぜ問題になるのかを考えてみる必要があります。それはそれらの労働が直接には私的労働として支出されたものであり、直接には社会的関係を持ったものとして支出されたものではないがために、それらの社会的関係が価値として(そしてその移転として)現われているものなのです。もし生産手段が前もって社会的に結びついた労働によって生産されたものなら、その生産手段にどれだけの労働が過去に支出されたのか(そしてそれが今日の生産物の中にどのように引き継がれるのか)というようことは問題にもならず、それらの使用価値だけが問題になり、それらを使って生産する過程での、生きた労働と結合するときの技術的条件(原料や機械等の生産手段の使用価値量と生きた労働量、だからその生産に割り当てられる労働力の数との割合)だけが問題になるだけなのです。
 このように考えたときに、生産手段の価値がどこまでいま現在の生産において問題になるのかということは、それらに支出された過去の労働と現在の生きた形で支出されるものとの社会的関係がどこまで問われるのかということと関連していることが分かります。確かに抽象的に考えるなら、生産手段の生産手段、さらにその生産手段の生産のための生産手段といくらでも無限に支出された労働を過去に遡ることは可能でしょう。そして究極的には大谷氏のいうように、最終的に生産手段を必要としない生産に行き当たると考えることも可能です。しかしそれは問題を単に抽象的に考えているからそうなるのであって、現実の生産過程やその社会的関係としてはそうしたものではありません。
 社会全体をみれば、生産物として存在するものは、その使用価値の具体的形態によって、①一つは消費手段であり(衣服など)、②その消費手段を生産するための生産手段であり(布や糸など)、③さらには生産手段を生産するための生産手段(綿花や機械など)です。使用価値の具体的な形態から考えるなら社会的にはこの三つのものしか存在しないのです(もっとも現実にはこれらの両者にまたがるものや、中間的なものもありますがそれらは今は捨象しておきます)。そして社会はそれらを年々再生産して社会的生産と生活を維持しているのです。そう考えれば、問題はまず社会の構成員の年々の消費を考えて、その経験にもとづく数値として、①が年々どれだけのものが生産物として生産される必要があるかが問題になり、そしてそれを生産する過程で②がどれだけ年々消費されるか(よって再生産される必要があるか)が問題になります。そしてそれらを再生産する過程で③がどれだけ年々消費されるか(よってまたその再生産が必要か)が問題になるだけなのです。そしてこれらはすべてそれぞれの使用価値に固有の数量が問われているだけであり、しかもそれを生産するために年間に支出される生きた労働の量だけが問われているだけなのです。だから、ここには過去の労働など入る余地はまったくないのです。そしてこれらは決して計算・計測不可能なものではありません。それらは年々の経験によって数値として出てきます。それぞれの生産分野の生産力(すなわち技術的構成)が分かっていれば、どれだけの生きた労働をそれぞれの生産分野に一年間に配分すべきかも分かってきます。だから生産手段の価値の移転分がどうで、そこにはさらに年を遡った過去の労働分がどれだけあるか、などという計算はまったく不必要なのです。詳しくは以前書いたものを参照してください(上記ブログを参照)。 

  やや大谷氏の新著の紹介が長くなりすぎましたが、前回の続きに取りかかりましょう。今回は第6パラグラフから、「c 鋳貨。価値章標」の最後までです。

 

◎第6パラグラフ(紙幣流通の独自の法則)

 

【6】〈(イ)1ポンド・スターリングとか5ポンド・スターリングなどの貨幣名の印刷されてある紙券が、国家によって外から流通過程に投げこまれる。(ロ)それが現実に同名の金の額に代わって流通するかぎり、その運動にはただ貨幣流通そのものの諸法則が反映するだけである。(ハ)紙幣流通の独自な法則は、ただ金にたいする紙幣の代表関係から生じうるだけである。(ニ)そして、この法則は、簡単に言えば、次のようなことである。(ホ)すなわち、紙幣の発行は、紙幣によって象徴的に表わされる金(または銀)が現実に流通しなければならないであろう量に制限されるべきである、というのである。(ヘ)ところで、流通部面が吸収しうる金量は、たしかに、ある平均水準の上下に絶えず動揺している。(ト)とはいえ、与えられた一国における流通手段の量は、経験的に確認される一定の最小限より下にはけっして下がらない。(チ)この最小量が絶えずその成分を取り替えるということ、すなわち、つねに違った金片から成っているということは、もちろん、この最小量の大きさを少しも変えはしないし、それが流通部面を絶えず駆けまわっているということを少しも変えはしない。(リ)それだからこそ、この最小量は紙製の象徴によって置き替えられることができるのである。(ヌ)これに反して、もし今日すべての流通水路がその貨幣吸収能力の最大限度まで紙幣で満たされてしまうならば、これらの水路は、商品流通の変動のために明日はあふれてしまうかもしれない。(ル)およそ限度というものがなくなってしまうのである。(ヲ)しかし、紙幣がその限度、すなわち流通しうるであろう同じ名称の金鋳貨の量を越えても、それは、一般的な信用崩壊の危険は別として、商品世界のなかでは、やはり、この世界の内在的な諸法則によって規定されている金量、つまりちょうど代表されうるだけの金量を表わしているのである。(ワ)紙券の量が、たとえば1オンスずつの金のかわりに2オンスずつの金を表わすとすれば、事実上、たとえば1ポンド・スターリングは、たとえば1/4オンスの金のかわりに1/8オンスの金の貨幣名となる。(カ)結果は、ちょうど価格の尺度としての金の機能が変えられたようなものである。(ヨ)したがって、以前は1ポンドという価格で表わされていたのと同じ価値が、いまでは2ポンドという価格で表わされることになるのである。〉

 

 (イ)(ロ) 1ポンド・スターリングとか5ポンド・スターリングなどの貨幣名の印刷されてある紙券が、国家によって外から流通過程に投げこまれます。それが現実に同名の金の額に代わって流通しているかぎり、それの運動にはただ貨幣流通そのものの諸法則が反映しているだけです。 

  1ポンドとか5ポンドなどの名称が印刷されている紙券が、国家によって外から流通過程に投げ込まれたとします。それらが現実に度量標準によって決められた同じ額だけの金に代わって通用するのなら、それらの運動はただ貨幣の流通法則に則っているだけです。つまりそれらの流通量は、流通する商品の価格総額と貨幣の流通速度に規定されることになります。
  ここでマルクスは〈紙券が、国家によって外から流通過程に投げこまれ〉と書いています。これを読んでどんなイメージを持つでしょうか? 国家が流通に投げ込むというのは、一つの比喩であって、実際には、国家が紙券を発行して、それで何らかの商品を購入するということです。それは歴史的には国家財政の支出のために租税収入の不足を補う形で、国家紙幣を発行して、それでさまざまな国家に必要な諸商品を購入したり、国家のためにさまざまな事業を行なう資本にその費用を支払ったり、あるいは国家に雇われている役員の給与を支払うわけです。それが紙幣が国家によって流通の外から投げ込まれるということの内容なのです。(ここで国家が発行した紙幣で何らかの商品を購入するだけではなくて、直接、紙幣で金を購入する、つまり紙幣と金貨や金地金と交換するということはないのか、という意見がありましたが、これはやはり無いのではないかと思います。紙幣はあくまでも流通手段に特化したものですが、金地金や金貨はそれ自体価値を持つものであり、蓄蔵も可能なものですから、それらの所持者がその時点で流通手段を必要としているときであればともかく、そうでなければそれを紙幣と交換するということはないのではないでしょうか。)
  ここで〈外から流通過程に投げこまれ〉とありますが、金鋳貨の場合は、現実の商品流通の過程に存在している金地金を、政府が鋳造した金貨と交換することによって、それは流通に出て行きます。だからそれは〈外から〉ではないことになります。
  本来の貨幣としての金そのものは、金産源地において他の諸商品との直接的な交換によって流通過程に入ってきます。マルクスはこの金産源地における金と他商品との直接的な交換を流通過程にあいている「穴」だと述べていました。その意味ではあるいはこれも流通過程の〈外から〉金が投入されるといえるのかも知れません。しかしいうまでもなく、金の生産には一定の社会的に必要な労働が支出されており、価値を持っています。産源地における直接的な交換は等価交換なのです。
  しかし国家紙幣の場合、それはただ国家が印刷機を回して作ったものであり、それ自体にはほとんど価値のないものです。政府はそれを政府の支出として何らかの商品の購入や役員の雇用等のために支出することによって流通に投じることになるわけです。この場合、紙幣は、流通の外から入ってきますが、しかし商品との等価交換として入ってくるわけではありません。ただ本来的に流通過程にその存在が前提されている流通手段としての金鋳貨を代理するものとして流通過程に入ってくるわけです。しかしそれが流通手段であるなら、そのGはW-Gの過程を経たGでなければなりません。しかし政府が発行する紙幣はそうしたものではありません。だからそれは〈外から〉流通過程に入ってくるといえるのかもしれません。しかし内容から考えるなら、現実の流通過程そのものにとっては〈外から〉とはいえません。なぜなら、それは本来的に流通過程にある金片の代わりに、それを代理するものとして流通するのだからです。しかし形式的にはやはり〈外から〉であり、だからこそそれは流通過程が必要とする金鋳貨の量以上に流通過程に投げ込むことができるわけです。そうなればそれは内容からみてもそれは〈外から〉になるといえます。
  いずれにせよ、現実に流通する金貨に代わって流通する限りでは(つまり紙券の量が流通に必要な金量の枠内にある限りでは)、紙券は貨幣の流通法則に規制されて流通することになるわけです。

   (ハ)(ニ)(ホ) 紙幣流通の独自な法則は、ただ金にたいする紙幣の代表関係から生じうるだけです。そして、この法則とは、まさに次のことです。すなわち、紙幣の発行額は、紙幣によって象徴的に表わされる金(または銀)が現実に流通しなければならないはずの量に制限されるべきだ、ということです。 

   先の場合には、紙券の運動には、貨幣流通の諸法則が反映されているとありましたが、ここでは〈紙幣流通の独自な法則〉というものが問題になっています。つまり紙券の流通にはそれに固有の法則があるというのです。ではそれはどんなものでしょうか。
  それは〈ただ金にたいする紙幣の代表関係から生じうるだけで〉すが、〈紙幣の発行は、紙幣によって象徴的に表わされる金(または銀)が現実に流通しなければならないであろう量に制限されるべきである〉というものだそうです。
  しかしそもそも紙幣の発行量が紙幣が代理する金量の枠内に制限されているなら、それは貨幣流通の諸法則に規制されているということではなかったでしょうか。だからここで紙幣流通に独自なものとは、〈制限されるべきである〉というところにあるように思えます。つまり例え紙券がその制限を越えて発行されたとしても、それはその代理しなければならない貨幣量しか代理し得ないのだということです。それが紙幣流通の独自性なのです。例えば流通に必要な貨幣量が1000万ポンド・スターリングだった場合(この量は現実に流通する商品の価格総額と貨幣の平均的な流通速度によって決まってきます)、1ポンド券を例えば2000万枚発行したとしても、その紙券に書かれた額面では2000万ボンドになる紙券は、しかしただ1000万ボンド・スターリングの貨幣の代理として流通するだけだということなのです。つまり1ポンド券は実際には1ポンド金貨を代理していると言えず、その半分しか代理していないことになります。つまり1ポンド券は"減価"するのです。そしてそれによってその価格が実現される商品の価格が騰貴することでもあります。なぜなら商品の価値が同じなら、金鋳貨で1ポンドの商品は、1ポンドの紙券だと2枚必要になり、だから2ポンドと評価されることになるからです。これが紙幣流通の独自の法則なのです。 

  (ヘ)(ト)(チ)(リ) ところで、流通部面が吸収することのできる金量は、たしかに、ある平均水準の上下に絶えず動揺しています。けれども、ある与えられた国における流通する媒介物の量が、経験的に確認される一定の最小限よりも少なくなることはけっしてありません。この最小量が絶えずその成分を取り替えるということ、すなわち、つねに違った金片から成っているということは、もちろん、この最小量の大きさを少しも変えはしませんし、それが流通部面を絶えず駆けまわっているということをも少しも変えはしません。だからこそ、この最小量は紙製の象徴(シンボル)によって置き替えられることができるのです。 

  〈流通部面が吸収しうる金量〉というのは、流通する商品の価格総額と貨幣の平均的な流通速度によって決まってきますが、それは絶えず増減しています。しかしある国の流通する媒介物の量は、経験的には一定量よりも少なくなることはない最低限というものがあります。それはこの流通量がその社会の物質代謝の現実に規制されていることから出てきます。それはその社会が社会として維持して再生産されていくために必要最小限の量ということでもあるわけです。この必要最小限の金量というのは、それを構成するさまざまな金貨幣(金片)によって成り立っており、それらが絶えず入れ代わっていることも容易に想像できます。しかしそれを構成する諸部分がどんなに入れ替わっても、全体としての必要最小量というものは依然として存在しているというわけです。だからこの必要最小量のものについては、つねに流通手段としてだけ機能していることになりますから、紙製の象徴(ようするに紙券)と置き換えることできるということです。だからこの限りでは紙券の運動は貨幣の流通法則に規制されているといえます。 

  (ヌ)(ル) これとは反対に、もし今日すべての流通水路がその貨幣吸収能力の最大限度まで紙幣で満たされてしまったならば、これらの水路は明日、商品流通の変動〔すなわち流通に必要な貨幣総額の減少〕の結果、あふれてしまう、ということが起こりえます。およそ限度というものがなくなってしまうのです。 

  しかしもしその必要最小量の金量がすべて紙券によって置き換えられてしまった場合はどうなるでしょうか。そうなれば、必要最低金量の増減によっては、紙券がその枠を越えてしまうことにもなりかねません。必要最低金量が増大する場合は、紙券の不足分は金鋳貨が流通するでしょうが、減少する場合、紙券は流通必要金量より大きくなることになります。紙券の場合は金とは違って、流通に不要なものは流通から引き上げられるということがありませんから(なぜなら紙券には価値はほとんど無いですから、流通から引き上げられた紙券はただの紙屑になるからです)、相変わらず流通に留まり続け、結果として、流通に必要な金量より多い紙券が流通する事態が生じてきます。そうなると〈国家によって外から流通過程に投げこまれる〉ということから、歯止めが効かなくなります。つまり国家が紙幣を恣意的に流通必要最小限の金の量を越えて乱発することになりかねません。そうなると先に見た〈紙幣流通の独自な法則〉が問題になってくるわけです。 

  (ヲ) しかし、紙幣がその限度、すなわち流通できるはずの同じ名称の金鋳貨の量を越えても、それは、一般的な信用崩壊の危険が生じうるという危険を別とすれば、商品世界のなかでは、やはり、商品世界の内在的な諸法則によって規定されている金量、つまりそれが代表できるだけの金量を表わしているのです。 

   フランス語版ではここで改行しています。
   その〈紙幣流通の独自な法則〉というのは〈紙幣の発行は、紙幣によって象徴的に表わされる金(または銀)が現実に流通しなければならないであろう量に制限されるべきである〉というものでした。つまり紙幣の流通量が、例え流通に必要な最小の金量を越えたとしても、それは一般的な信用危機が生じる可能性を別にすれば、紙券はそのまま流通手段として流通しますが、しかしその代わりに商品世界で貫徹している法則が自己を貫徹するというわけです。つまり流通に必要な金量というのは、商品流通の法則そのものですから、結局、例え流通必要金量を越えて発行された紙券であっても、その必要量以上のものは代理できない、つまりその必要量しか代理できないということになるのです。 

  (ワ)(カ)(ヨ) 紙券の量が、たとえば金鋳貨であれば流通できるはずの総量の二倍になって、それぞれの紙券が本来のそれぞれ2オンスずつの金の代わってそれぞれ1オンスずつの金を表わすとすれば、事実上、たとえば1ポンド・スターリングは、おおよそ1/4オンスの金に代わっておおよそ1/8オンスの金の貨幣名となります。もたらされる結果は、金が価格の尺度としてのそれの機能において変更されたとした場合の結果と同じです。ですから、以前は1ポンドという価格で表わされていたのと同じ価値が、いまでは2ポンドという価格で表わされることになるのです。 

  だから例えば、金鋳貨であれば流通できるはずの総量の二倍の紙券が流通することになれば、それぞれの紙券が本来なら2オンスの金に代わって流通するものが、結局、それぞれが1オンスの金を代理して流通することになるわけです。ということは、事実上、1ポンド券は、1/4オンスの金に代わって、1/8オンスの金を代理していることになります。これは1ポンドが、1/4オンスの金の貨幣名ではなく、1/8オンスの金の貨幣名になるということと同じです。だから以前は1ポンドという価格で表されていた商品の価値が、いまでは2ポンドという価格で表されることになるのです。つまり商品の価格が騰貴するということです。
 『経済学批判』には次のような一文があります。 

 〈紙幣は正しい量で発行されるならば、価値章標としてのそれに固有でない運動をとげるのに、紙幣に固有な運動は、諸商品の変態からは直接に生じないで、金にたいするその正しい比率の侵害から生じる〉 (全集第13巻102頁) 

 つまり紙幣が正しい量、すなわち流通に必要な金量以上にならないような量で、発行されているならば、それは貨幣の流通法則に則っているだけですが、しかし商品変態に必要な金量を超えて発行されれば、紙幣に独自な運動が生じてくるということです。つまり“減価”する(それが代表する金量が減少する)ということです。

 

  (字数がブログの制限をオーバーしましたので、全体を3分割して掲載します。)

 

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『資本論』学習資料No.18(通算第68回)(2)

2019-12-23 12:42:38 | 『資本論』

『資本論』学習資料No.18(通算第68回)(2

 

◎第7パラグラフ(紙幣は金量を象徴する金章標であり、その限りでの価値章標である)

 

【7】〈(イ)紙幣は金章標または貨幣章標である。(ロ)紙幣の商品価値にたいする関係は、ただ、紙幣によって象徴的感覚的に表されているのと同じ金量で商品価値が観念的に表わされているということにあるだけである。(ハ)ただ、すべての他の商品量と同じにやはり価値量である金量を紙幣が代表するかぎりにおいてのみ、紙幣は価値章標なのである。84〉 

  (イ) 紙幣は金章標または貨幣章標です。 

  紙幣というのは、これまでの展開を振り返ってみれば分かりますように、金鋳貨が流通手段として流通する過程で磨滅し、その自体のシンボルとなるところから、シンボルなら別に金でなくてもというところから生じてきました。だからそれは金鋳貨の象徴かというと、そうではなく、磨滅した金鋳貨は度量標準で確定している一定量の金(これ自体は観念的なものです)の象徴なのです。つまりそれは金そのものの象徴(シンボル)、あるいは貨幣金の象徴なのです。 

  (ロ) 商品価値にたいする紙幣の関係は、ただ、紙幣によって象徴として感覚的に表されている金量で、諸商品の価値が観念的に表現されているということだけです。 

  では紙幣で表される諸商品の価格というものはどのように捉えればよいのでしょうか。諸商品の価値は、観念的な金によって、価格として表示されます。金がこのような価値を尺度する機能を持つのは、金そのものが価値を持つ一つの商品だからです。しかし紙幣それ自体には価値はほとんどありませんから、紙幣が直接諸商品の価値を尺度し価格として表示する機能があるわけではありません。だから紙幣による諸商品の価格表示というのは、度量標準で決められている金のある一定量(これ自体は観念的なものですが)を、紙幣が象徴しているからなのですが、さらに紙幣は、流通手段としての貨幣の機能を果すものですから、その観念的な金を感覚的に手で掴めるものとして象徴して表していることになります。だから紙幣は直接商品の価値ではなく、それを価格として表示する金量を、だから諸商品の価格を象徴しているということができるわけです。そしてこうした回り道を通って、それは諸商品の価値を表象しているということができるのです。 

  (ハ) 紙幣が、すべてのほかの商品量と同様にやはり価値量である金量を紙幣が代表するかぎりにおいてのみ、紙幣は価値章標なのです。 

 すなわち、他の諸商品と同じようにそれ自体価値をもつ金分量を紙幣が代理している限りで、紙幣は諸商品の価値の章標だもということができるわけです。 

  『経済学批判』から紹介しておきます。 

 〈鋳貨として機能する価値章標、たとえば紙券は、その鋳貨名に表現されている金量の章標であり、したがって金章標である。一定量の金それ自身が価値関係を表現しないのと同じように、それにとって代わる章標も価値関係を表現しない。一定量の金が対象化された労働時間として一定の価値の大きさをもつかぎりでは、金章標は価値を代表している。しかし金章標によって代表される価値の大きさは、いつでもそれによって代表される金量の価値に依存している。諸商品にたいしては、価値章標はそれらの価格の実在性を代表するのであって、価格の章標〔signum pretii〕であり、それが諸商品の価値の章標であるのは、諸商品の価値がその価格に表現されているからにほかならない。過程W-G-Wでは、この過程が二つの変態のたんに過程的な統一または直接的な相互転化として現われるかぎり--そして価値章標が機能する流通部面では、それはこのようなものとして現われるのだが--、諸商品の交換価値は、価格ではたんに観念的な存在を、貨幣ではたんに表象された象徴的な存在を受け取る。こうして交換価値は、ただ考えられたもの、または物的に表象されたものとしてだけ現われるのであるが、しかしそれは、一定量の労働時間が諸商品に対象化されているかぎり、それらの諸商品そのもののほかには、なんらの現実性をももたないのである。だから価値章標は、金の章標としては現われないで、価格にただ表現されているだけで、ただ商品のうちにだけ存在する交換価値の章標として現われることによって、商品の価値を直接に代理しているかのように見える。だがこういう外観は誤りである。価値章標は、直接にはただ価格章標であり、したがって金章標であり、ただ回り道をして商品の価値の章標であるにすぎない。〉 (全集第13巻95-96頁) 

 また大谷禎之介著「貨幣の機能」(『経済志林』61巻4号)からも紹介しておきましょう。 

  〈紙幣は,正確には,金章標または貨幣章標である。紙幣の商品価値にたいする独自な関係は、商品の価値を観念的に表現している金量も、紙幣が象徴的感覚的に表している金量も、どちらも同じ金の量であり,どちらも社会的必要労働時間によって規定される価値を含んでいるのだ、ということにあるだけである。そのかぎりでは、金の章標は或る価値量を含む金の章標であるので、そこから、金の章標であるものは、また〈価値章標〉とも言われる。紙幣もまた価値章標である。〉 (279-280頁)
 

◎注84
 

【注84】〈84 第二版への注。(イ)貨幣のことについての最良の著述家たちでさえ、貨幣のいろいろな機能をどんなに不明瞭にしか理解していないかは、たとえばフラートンからの次の箇所に示されている。(ロ)「われわれの国内取引に関するかぎりでは、通常は金銀鋳貨によって果たされる貨幣機能のすべてが、法律によって与えられる人為的慣習的な価値のほかにはなんの価値もない不換紙幣の流通によっても同様に有効に遂行されうるということは、思うに、否定することのできない事実である。(ハ)この種の価値は、その発行高が適当な限度内に保たれていさえすれば、内在的な価値のすべての目的に役だてられることができ、また度量標準の必要をさえなくすことができるのである。」(フラートン『通貨調節論』、第2版、ロンドン、1845年、21ページ。〔岩波文庫版、福田訳、42ページ。〕)(ニ)つまり、貨幣商品は、流通のなかでは単なる価値章標によって代理されることができるのだから、価値の尺度としても価格の度量標準としても不要だというのである!〉

 

  (イ) 貨幣に関する最良の著述家たちでさえ、貨幣のいろいろな機能をいかにあいまいにしか理解していないかは、たとえばフラートンからの次の箇所に示されています。 

 この原注は第7パラグラフ全体に付けられたものです。ここで〈最良の著述家たち〉と言われているのは、フラートンが例に挙げられているようにいわゆる銀行学派を指しています。銀行学派の貨幣のとらえ方の問題点は『経済学批判』に次のように指摘されています(付属資料も参照)。 

  〈すべてこれらの著述家たち(トゥック、ウィルソン、フラートン等--引用者)は、貨幣を一面的にではなくそのさまざまな諸契機で把握してはいるが、しかしたんに素材的に把握しているだけで、それらの諸契機相互のあいだや、これらの諸契機と経済学的諸範疇の全体系とのあいだの生きた関連をすこしも見ていない。……総じてこれらの著述家たちは、まずもって、単純な商品流通の内部で展開されるような、そして、過程を経る諸商品それ自体の関連から生じてくるような抽象的な姿で、貨幣を考察することをしない。だから彼らは、貨幣が商品との対立のなかでうけとる抽象的な諸形態規定性と、資本や収入〔revenue〕などのような、もっと具体的な諸関係をうちにかくしている貨幣の諸規定性とのあいだを、たえずあちこちと動揺するのである。〉 (全集第13巻161-162頁) 

  (ロ)(ハ) 「われわれの国内取引に関するかぎりでは、通常は金銀鋳貨によって果たされる貨幣機能のすべてが、法律によって与えられる人為的慣習的な価値のほかにはなんの価値もない不換紙幣の流通によっても同様に有効に遂行されうるということは、思うに、否定することのできない事実である。この種の価値は、その発行高が適当な限度内に保たれていさえすれば、内在的な価値のすべての目的に役だてられることができ、また度量標準の必要をさえなくすことができるのである。」(フラートン『通貨調節論』、第2版、ロンドン、1845年、21ページ。〔岩波文庫版、福田訳、42ページ。〕) 

 これはフラートンの著書からの引用だけですが、このフラートンの著書はなかなか興味深いものです。『資本論』第3部第5篇第28章のなかでもフラートンら銀行学派たちの主張する「通貨」や「資本」の概念の混乱が批判されています。 

  (ニ) つまり、貨幣商品は、流通のなかでは単なる価値章標によって代理されることができるのだから、それは価値の尺度としても価格の度量標準としても不要なのだ、というわけです! 

  銀行学派たちは、貨幣の抽象的な機能をそれ自体とし考察することができないから、価値章標(紙幣)の流通の根拠も分からないわけです。ただ彼らは紙幣が金鋳貨を代理して流通している現実を見るだけです。そこから彼らは貨幣(金)そのものはもはや不要であり、それによる諸商品の価値の尺度や価格の度量標準の機能そのものも不要だと主張するわけです。
 マルクスが引用している部分に続いてフラートンは次のようにも述べています。 

  〈真鍮板、皮革片、透模様付紙片、などはそれ自体として、商取引における等価物としての役割を演ずる資格を与えられるべき何らの価値をももたない物品である。しかるにこれらの物品のどれにでもとにかく特定のマークを押し、その発行数は対価に応じて限定し、これを貨幣と名付け、一切の公租公課の支払いに使用を許し、しかして何人も社会における普通取引に伴う一切の債務の支払いを果たすためにこの貨幣を十分準備すべきことを法律をもって強制するとしよう。しからば社会はこの貨幣に対して、直ちに、その内的特徴からまったく独立した、かつまたこれに対して向けられる需要と確実に比例関係に立つところの、一つの交換価値をば与えることとなる。ヨーロッパ大陸諸国における政府の発行する紙幣はまさにこの種類のものであって、ほんとどいかなる場合においても、これら紙幣にたいする信用は、それらが究極において鋳貨に兌換されるであろうという期待にはまったく由来していないのである。〉(阿野季房訳、改造選書、39頁)

 

◎第8パラグラフ(なぜ金はそれ自身の単なる無価値な章標によって代理できるのか)

【8】〈(イ)最後に問題になるのは、なぜ金はそれ自身の単なる無価値な章標によって代理されることができるのか? ということである。(ロ)しかし、すでに見たように、金がそのように代理されることができるのは、それがただ鋳貨または流通手段としてのみ機能するものとして孤立化または独立化されるかぎりでのことである。(ハ)ところで、この機能の独立化は、摩滅した金貨がひきつづき流通するということのうちに現われるとはいえ、たしかにそれは一つ一つの金鋳貨について行なわれるのではない。(ニ)金貨が単なる鋳貨または流通手段であるのは、ただ、それが現実に流通しているあいだだけのことである。(ホ)しかし、一つ一つの金鋳貨にはあてはまらないことが、紙幣によって代理されることができる最小量の金にはあてはまるのである。(ヘ)この最小量の金は、つねに流通部面に住んでいて、ひきつづき流通手段として機能し、したがってただこの機能の担い手としてのみ存在する。(ト)だから、その運動は、ただ商品変態W-G-Wの相対する諸過程の継続的な相互変換を表わしているだけであり、これらの過程では商品にたいしてその価値姿態が相対したかと思えばそれはまたすぐに消えてしまうのである。(チ)商品の交換価値の独立的表示は、ここではただ瞬間的な契機でしかない。(リ)それは、またすぐに他の商品にとって代わられる。(ヌ)それだから、貨幣を絶えず一つの手から別の手に遠ざけて行く過程では、貨幣の単に象徴的な存在でも十分なのである。(ル)いわば、貨幣の機能的定在が貨幣の物質的定在を吸収するのである。(ヲ)商品価格の瞬間的に客体化された反射としては、貨幣はただそれ自身の章標として機能するだけであり、したがってまた章標によって代理されることができるのである 83。(ワ)しかし、貨幣の章標はそれ自身の客観的に社会的な有効性を必要とするのであって、これを紙製の象徴は強制通用力によって与えられるのである。(カ)ただ、一つの共同体の境界によって画された、または国内の、流通部面のなかだけで、この国家強制は有効なのであるが、しかしまた、ただこの流通部面のなかだけで貨幣はまったく流通手段または鋳貨としてのその機能に解消してしまうのであり、したがってまた、紙幣において、その金属実体から外的に分離された、ただ単に機能的な存在様式を受け取ることができるのである。〉

 

  (イ) 最後に問題になるのは、なぜ金は自分自身のたんなる無価値な章標によって置き換えられることができるのか? ということです。 

  私たちは金鋳貨がその流通のなかで磨滅して、それ自身の象徴になり、よって金以外の物によって置き換えられ、最終的にほとんど価値のない紙幣によって象徴され置き換えられる過程を見てきました。これらは磨滅した金鋳貨が、流通手段として機能する限りでは、完全量目の金鋳貨と同じようにその機能を果すことができることから生じています。つまり金鋳貨は磨滅したから流通するのではなく、流通するから磨滅したのです。ではどうして磨滅した金鋳貨が一定の限界内では流通手段として機能し続けられるのかという問題が最後に片づけねばならない課題として出てきます。 

  (ロ) しかし、すでに見ましたように、金がそのように置き換えられることができるのは、ただ、鋳貨または流通手段としている金が孤立化または自立化されるかぎりででしかありません。 

  しかしその問題は、すでに私たちが検討してきた過程そのもののなかに解決があります。金鋳貨というのは、貨幣としての金が流通手段としての機能を果す上での技術的な問題から生じてきました。貨幣金が流通手段としての機能を果たすためには、その金の純度や重量を正確に秤量する手間が生じます。金鋳貨とは一定の金量を鋳造して、そこに刻印してその純度と重量を保証するものです。それによって生じる手間を省いて流通手段としての機能を容易に果たすことができるようにしたものです。すなわち金鋳貨は、貨幣(金)が流通手段としての機能を果すために特化したものと言うことが出来るのです。これが金が〈流通手段としてのみ機能するものとして孤立化または独立化される〉ということの内容なのです。だからまた金鋳貨の象徴化や他の金属や紙幣によって代理されるという性格も、その流通手段としての機能そのものから生じているといえるわけです。 

  (ハ)(ニ)(ホ) ところで、この機能の自立化は、摩滅した金片がさらに流通しつづけるというかたちで現われるとしても、たしかにそれは一つ一つの金鋳貨について生じるわけではありません。というのも、もろもろの金貨がたんなる鋳貨または流通手段であるのは、ただ、それらが現実に流通しているあいだだけのことだからです。けれども、一つ一つの金鋳貨にはあてはまらないことが、紙幣によって置き換えられることのできる最小の総量の金にはあてはまるのです。 

  流通手段という機能に特化したものだからこそ、磨滅した金鋳貨でもその機能を果すことができたのですが、しかしそれは一つ一つの金鋳貨について生じているわけではありません。一つ一つの金鋳貨なら流通から引き上げられることもありえます。それらは流通に入ったりそこから引き上げられたりしているわけです。そうした個々の金鋳貨ではなく、私たちが問題にしているのは流通過程で流通し続けている金鋳貨全体に対してであって、そうしたものについてそれは言いうるのです。絶えず流通過程にあって流通し続けている金鋳貨というものは、ある国においてはその最低限の量というものがあります。必ずこれだけは流通のなかに留まり続けているという分量です。そしてこの常に流通に留まり続けている金鋳貨については、それは流通手段としてだけ機能しているのですから、別のものによって、すなわち紙幣によって置き換えることができるということなのです。 

  (ヘ)(ト) この最小量の総量の金は、つねに流通部面に住んでいて、不断に流通手段として機能し、したがってもっぱらこの機能の担い手として存在しているのです。ですから、それの運動は、ただ商品変態W-G-Wの対立する諸過程が継続的にたがいに転換していることを表わしているだけす。これらの過程では、商品にその価値姿態が向かい合ったかと思えば、それはまたすぐに消えてしまうのです。 

  この流通過程に留まり続けている最小量の金の総量については、常に流通過程にあって、不断に流通手段としてのみ機能しいるといえます。そしてその運動とは、私たちが商品の変態のところで見ましたように、W-G-Wの対立する過程を媒介しています。ここでは商品は、販売されればすぐに消費過程に落ちていきますが、貨幣は常に流通過程に留まり続けるものとし現われてきました(久留間鮫造の図を参照)。しかしそれを私たちはあくまでも商品の変態として考察したのでした(商品が主体)。まず商品の運動があって、そしてその反映として貨幣の運動があったのです。 

  (チ)(リ)(ヌ) 商品の交換価値の自立的な表示は、ここではただつかのまの契機でしかありません。それは、またすぐに、ほかの商品にとって代わられます。だからこそ、貨幣をたえず一つの手から別の手に遠ざけて行く過程では、貨幣のたんに象徴的な存在でも十分なのです。 

  W-G-WにおけるGはWの交換価値の自立的な存在です。しかしそれは束の間の契機でしかありせん。なぜならW-Gを経た商品の価値は、すぐさまG-Wによって別の商品へと変態しなければならないからです。そしてその結果が貨幣が絶えず人の手から別の人の手へと遠ざかる運動が生じていたのです。それが貨幣の通流であり、貨幣の流通手段としての機能だったのです。
  だから商品の変態であるW-G-Wの過程における一時的な存在であるGは、商品交換の当時者が互いに納得するなら貨幣のたんなる象徴でも十分可能なのです。 

  (ル) いわば、貨幣の機能的な存在が貨幣の物質的な存在を吸収するのです。 

  だから流通手段としての貨幣の機能だけであるなら、つまり諸商品の交換を媒介するためだけのものなら、そのGは別に金に拘る必要はないということになります。これはいわば貨幣の流通手段としての機能的存在が、その物質的存在を吸収したともいえます。 

  (ヲ) 貨幣は、それがもろもろの商品価格の瞬間的に客体化された反射であるときには、ただそれ自身の章標として機能するだけであり、したがってまた、章標によって置き換えられることもできるのです。 

  W-G-WにおけるGが、諸商品の価格をただ瞬間的に客観的に写し出し表示するものだけであるなら、それは貨幣を標章するだけでもよいですから、だから標章によって置き換えられるのです。 

  (ワ)(カ) ただし、貨幣の章標は、それに固有の客観的社会的な効力を必要とします。そして、紙製のシンボルがこれを受け取るのが、強制通用力によってなのです。この国家強制が有効なのは、ただ、一つの共同体組織の境界によって画された、すなわち国内の、流通部面のなかだけなのですが、しかしまた、この流通部面のなかだけでは、貨幣はまったく流通手段または鋳貨としてのその機能のなかに埋もれてしまい、したがってまた、紙幣というかたちで、その金属実体から外的に分離された、たんに機能的な存在様式を受け取ることができるのです。 

  W-G-Wにおいて、W-Gで商品の販売者がGの代わりに章標である紙幣を受け取るのは、その次に彼がそのGの代理物である紙幣で、G-Wの過程を確実に実行できると確信しているからにほかなりません。つまり交換当事者たちが互いの共通の意志としてそうした過程を認め合っていることが必要です。つまり販売者が貨幣の代わりにそのシンボルを受け取るのは、そうした社会的了解があってこそです。すなわちそこに強制通用力が働いているからなのです。そして国家がそれを保証したものが国家紙幣です。国家紙幣は、一つの共同体組織の枠内に限られたものですが、しかしまた国内の流通部面のなかでは、貨幣はただ流通手段の機能を果すだけですから、だからそれは紙幣によって置き代えられ、その金属実体から国家によって外的に分離されて、ただ流通手段という機能を果すだけのものとしての存在を受け取るのです。 

  この部分に該当する大谷氏の説明を紹介しておきましょう。 

  〈ここでは、磨滅金貨は、仮象の金--つまり、一見それだけの金に見えるが実際にはそれだけの金ではないもの--として、完全な鋳貨の機能を果し続ける。ほかの商品は、外界との摩擦によってすり減れば、それの理想的な平均見本には及ばないものと見なされるようになるのに,鋳貨だけは,流通のなかで摩滅することによって--すぐあとで見るように,その摩滅が或る限度を越えないかぎりは--,逆にいわば「理想化」されて,金という身体の仮象の定在に転化されるのである。
  このようなことが可能であるのは,なぜであろうか。それは,商品の売り手がこの磨滅に気づいていたとしても、それでもなお、磨滅した鋳貨を、磨滅していない完全量目の鋳貨と同じものとして受け取る、という事実から推測できる。すなわち、この販売ののちにほどなく買い手としてその鋳貨で商品を買うことを予定しており、しかも、彼が買い手として商品を購入するさいに、磨滅した鋳貨が完全量目の鋳貨として通用することが確実であるかぎり、そのような鋳貨を受け取ることになんの問題もないのである。
 しかし,もし彼がこの販売ののちにその鋳貨を価値の自立的な定在として、つまり価値のかたまりとして保蔵するとしたら,どうであろうか。明らかに彼は,完全量目の鋳貨でなければ、受け取ることをいやがるであろう。そのような役割を果たす貨幣を,のちに見るように、蓄蔵貨幣と言うのであるが,摩滅した鋳貨は蓄蔵貨幣とはなりえないのである。   それにたいして,摩滅した鋳貨でも,諸商品の流通を媒介するものとして商品所持者の手から手へと流れていく流通手段の機能は果たすことができるのである。それはなぜか。   流通手段の機能を果たす金もW-Gから次のG-Wに移るまでに、売り手の手のなかで長かれ短かかれ休止しなければならないし、そのあいだはGは商品の価値姿態であり、価値を自立的に表示しているのであるが、そのような価値姿態、価値の自立的な表示は、一時的なものであって、次の購買によってすぎに消えてしまうものでしかない。だからこそ、 金が流通手段として機能するだけなら,それは貨幣のたんに象徴的な存在でも十分なのである。つまり,摩滅した鋳貨の流通は,金が流通手段または鋳貨としてだけ機能するものとして自立化させられていることを表わしているのである。
  その場合,注意が必要であるのは,そのような流通手段機能の自立化は,流通界にある摩滅した鋳貨の全体について生じているのであって,一つ一つの金鋳貨についてではない,ということである。商品の売り手は,自分が受け取る鋳貨にかぎって,それがいくらか摩滅していても,自分の購買にさいして完全な鋳貨と同じく受け取られるであろう,と推測するのではけっしてない。彼は,その種の鋳貨が通用する流通部面、つまり国内流通で一般的に,摩滅した鋳貨でも完全な鋳貨として受け取られることを知っているから,自分もそれを受け取るのである。流通手段機能の自立化は、国内流通で現実に流通している鋳貨の全体について生じるものであること、このことは、のちに不換紙幣流通下のインフレーションを見るときに重要な意味をもつことになる。〉 (「貨幣の機能」272-274頁)
 

◎注85
 

【注85】〈85 (イ)金銀が、鋳貨としては、またはただ流通手段だけとしての機能においては、それ自身の章標になるということから、ニコラス・バーボンは、「貨幣の価値を高める」〔"to raise money"〕政府の権利を導きだしている。(ロ)すなわち、たとえばグロッシェンと呼ばれる一定量の銀に、ターレルというようなもっと大きな銀量の名称を与え、こうして債権者にはターレルのかわりにグロッシェンを返済する、というようにである。(ハ)「貨幣は、何度も数えられることによって、摩滅して軽くなる。……(ニ)人々が取引のさいに気をつけるのは、貨幣の名称と通用力とであって、銀の分量ではない。……(ホ)金属を貨幣にするものは、金属にしるされた公の権威である。」(N 。バーボン『より軽い新貨幣の鋳造に関する論究』、29、30、25ページ。)〉 

  (イ) 金銀が、鋳貨としては、あるいは流通手段としてだけの機能では、自分自身の章標になる、ということから、ニコラス・バーボンは、「貨幣の価値を高める」〔"to raise money"〕政府の権利を導きだしています。 

  この原注は〈商品価格の瞬間的に客体化された反射としては、貨幣はただそれ自身の章標として機能するだけであり、したがってまた章標によって代理されることができるのである〉という一文につけられたものです。
  つまりこの原注は貨幣が流通手段としての機能に限定されるなら、その章標によって代理できるということから、あたかも通貨の名称を名づけることを変えれば、貨幣の価値を高めることができると主張したバーボンを紹介したものだといえます。
  ニコラス・バーボンについては、すでに一度紹介したことがありますが(№16)、もう一度『資本論辞典』から簡単に紹介しておきましょう。 

  〈バーボンNicholas Barbon (c.I640-1698)イギリスの医者・経済学者.……主著としては《A Discourse of Trade》(1690) (久保芳和訳)と《A Discourse concerning Coining the New Money Lighter》(1696)があるが.前著では国富としての金銀の重視をしりぞけ,貴金属の輸出にたいする重商主義的統制に反対し,過度の節約をいましめて国際分業と貿易の自由を主張した.後著では当時やかましく論議された時事問題たる貨幣改鋳の問題にかんしてロックの軽鋳反対論を論駁し. 軽鋳の利を説いた.……マルクスは使用価値および価値にかんしてバーボンが先駆者的卓見をもっていたことに注目しているが, しかし他方では,商品価格は流通手段の分量によって規定されるとなすグァンダーリントやヒュームと共通した幻想をいだいていたとの批判をも記している。 (久保芳和)〉(533-534頁) 

  (ロ) すなわち、たとえばグロッシェンと呼ばれる一定量の銀に、ターレルというようなもっと大きな銀量の名称を与え、こうして債権者にはターレルのかわりにグロッシェンを返済する、というようにです。 

  バーボンの「貨幣の価値を高める」政策というのは、グロッシェンと呼ばれる一定量の銀に、ターレルというもっと大きな銀量の名称を与えて、債権者にはターレルの代わりにグロッシェンを返すということだそうです。
 グロッシェンというのは、シリングの100分の1を表す補助単位だそうで、ターレルというのは大型銀貨のことで、国や歴史によってさまざまですが、ターレルはターラーともいわれ、これがダラー、ドルとなって、今のアメリカの貨幣の名称のドルもここから来ているということです。 

  (ハ)(ニ)(ホ) 「貨幣は、何度も数えられることによって、摩滅して軽くなる。……人々が取引のさいに気をつけるのは、貨幣の名称と通用力とであって、銀の分量ではない。……金属を貨幣にするものは、金属にしるされた公の権威である。」(N 。バーボン『より軽い新貨幣の鋳造に関する論究』、29、30、25ページ。) 

  貨幣は流通手段としての機能においては、その章標によって置き換えることができるということから、だから問題なのは、その貨幣の金属実質ではなく、政府が与える金属に記された名称であり、それを通用させる公の権威なのだというのです。だからグロッシェンと呼ばれている銀に、ターレルというもっと重い銀の名称を付けて、そして政府の債務を返済するときに、ターレルで借りた債務を、ターレルと名づけられたグロッシェンで返せばよいというのです。なるほどこれだと政府は丸儲けですが、しかしそのような政府の国債を買うものは誰も現われなくなることだけは確かでしょう。

  (【付属資料】は(3)に掲載します。)

 

 

 

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『資本論』学習資料No.18(通算第68回)(3)

2019-12-23 12:11:22 | 『資本論』

『資本論』学習資料No.18(通算第68回)(3)

  

 【付属資料】 

 

●第6パラグラフ

《経済学批判要綱》

  〈補助通貨〔subsidiary currency〕では、流通手段としての流通手段が、つまりたんに瞬過的な手段としての流通手段が、同時に等価物であり諸価格を実現し自立的な価値として蓄積される流通手段のほかに、一つの特殊的存在を取るのである。つまりこの場合、純粋な章標という存在である。だからそれは、それの蓄積をもたらすことのまったくありえない小規模な小売取引に絶対に必要とされる量が発行されさえすればよい。その量は、それを流通させる諸価格の総額をそれの速度で割ったものによって規定されざるをえない。ある大きさの価値をもつ、流通する媒介物の総額はそうした諸価格によって規定されているので、その帰結として自ずから次のことがでてくる。すなわち、もしも流通そのものが必要とする量よりも大きな量〔の流通媒介物〕が人為的に流通に投入され、しかもそこから流れ出ることができないのであれば(こういうことがここで生じるのは、流通媒介物が、流通手段としてはそれの内在的価値を上回っているからなのではない)、それは減価する、ということである。それは、量が諸価格を規定するのではなくて、諸価格が量を規定しており、したがって特定の価値をもった一定量しか流通のなかにとどまることができないからなのである。だから、流通にそれが過剰な量を放出できるような開口部がなく、流通する媒介物が自己の形態を流通手段としての形態から独立した価値の形態に転化できなければ、流通手段の価値は低下せざるをえない。しかし、こういうことが生じるのは、溶解の禁止、輸出の禁止、等々のような人為的な障害の場合のほかは、流通する媒介物が章標にすぎなくて、それ自身は自己の名目価値に対応する実質価値をもたず、したがって流通する媒介物の形態から商品一般の形態に移行して自己の刻印を拭いさることができない場合だけ、すなわち、それが自己の鋳貨としての存在に呪縛されている場合だけである。他方、で、さきのことの帰結として次のことがでてくる。すなわち、章標、つまり貨幣票券〔Geldmarke〕は、それがただ、流通手段そのものが流通するとした場合の量の流通手段だけを代表している、というかぎりで、自己の代表している貨幣の名目価値で--それ自身のなんらかの価値をもっていなくても--流通することが、できるのだ、ということである。しかしその場合には、同時に次のどちらかのことが条件となる。すなわち、その場合に章標そのものが少量しか存在しないので、それが補助的な形態でしか流通せず、したがって一瞬たりとも流通手段であることをやめず(この場合それはたえず、一部は少量の商品との交換で、一部はたんに現実の流通手段にたいして釣り銭を出すのに役立っている)、だから蓄積されることがまったくありえない、ということか、それとも、章標が価値をまったくもってはならないので、それの名目価値がその内的価値と比較されることがありえない、ということである。後者の場合には、それはたんなる章標として措定されているのであって、それは自己自身によって、自己の外に存在するものとしての価値を指し示しているのである。他方の場、それの内的価値がそれの名目価値と比較され始めるようになることはけっしてない。〉(草稿集②675-677頁)

《経済学批判》

  〈無価値の表章が価値章標であるのは、ただそれが流通過程の内部で金を代理するかぎりだけのことであり、そしてそれが金を代理するのは、ただ金そのものが鋳貨として流通過程にはいりこむであろうかぎりだけであり、この金の量は、諸商品の交換価値とそれらの変態の速度とがあたえられていれば、それ自身の価値によって規定される。5ポンド・スターリングの額面の紙券は、1ポンド.スターリングの額面の紙券の枚数の5分の1でだけしか流通しないであろうし、またすぺての支払がシリング券でなされるとすれぽ、ポンド券の20倍の枚数のシリング券が流通しなけれぽならないであろう。金鋳貨がいろいろな額面の紙券、たとえば5ポンド券、1ポンド券、10シリング券によって代理されるとすれば、これらのいろいろな種類の価値章標の量は、総流通に必要な金の量によって規定されるだけでなく、それぞれ特殊な種類の価値章標の流通範囲のために必要な金の量によっても規定されるであろう。もし1400万ポンド・スターリング(これはイギリスの銀行立法の前提であるが、ただし鋳貨についての前提ではなく、信用貨幣についての前提である)が一国の通貨がそれ以下にはけっして下がらない水準であるとすれば、それぞれが1ポンド・スターリングをあらわす価値章標である1400万枚の紙券が流通しうるであろう。金の生産に必要な労働時間が減少または増加したために、金の価値が低下または上昇したとすれば、流通するポンド券の枚数は、商品総量が同じでその交換価値がもとのままであれば、金の価値変動に反比例して増減するであろう。価値の尺度としての金が銀にとって代わられ、銀と金との比価が1対15であり、今後は各紙券は、いままで金を代理していたときと同じ量の銀を代理するものとすれば、これからは1400万枚の代わりに2億1000万枚のポンド券が流通しなければならないであろう。だから紙券の量はそれが流通のなかで代理する金貨幣の量によって規定され、紙券は金貨幣を代理するかぎりでだけ価値章標であるから、紙券の価値は単純にその量によって規定されるのである。だから流通する金の量は商品価格に依存するのに、流通する紙券の価値は逆にもっぱらそれ自身の量に依存する。
  強制通用力をもつ紙幣--われわれはただこの種の紙幣だけを論じるのだが--を発行する国家の干渉は、経済法則を揚棄するように見える。国家は鋳造価格では一定の金重量に洗礼名をあたえただけであり、貨幣鋳造では金に自分の極印をおしただけであったが、この国家はいまやその極印の魔術によって紙を金に転化するように見える。紙幣は強制通用力をもっているから、国家が思うままに多数の紙幣を強制流通させ、1ポンド、5ポンド、20ポンドといった任意の鋳貨名をそれらに極印するのを、だれも妨げることはできない。ひとたび流通にはいった紙券は、これを流通から投げだすことは不可能である。なぜなら、その国の境界標がその進路をとどめるだけでなく、紙券は流通の外では、すべての価値を、使用価値をも交換価値をも失うからである。その機能上の定在から切り離されると、紙券はなんの価値もない紙くずに転化する。けれども、国家のこのような権力は、たんなる見せかけにすぎない。国家は任意の鋳貨名をもつ任意の量の紙券を流通に投げこむごとができるであろうが、しかし、この機械的行為とともに国家の統制は終わる。流通にまきこまれると、価値章標または紙幣は、それに内在する諸法則に支配されるのである。
  もし1400万ポンド・スターリングが商品流通に必要鋤な金の総額であって、国家がそれぞれ1ポンドの名称をもつ2億1000万枚の紙券を流通に投じたとすれば、この2億1000万枚は1400万ポンド・スターリングの金の代理者に転化されたことになろう。これはちょうど国家がポンド券を以前の15分の1の価値しかない金属の代理者にしたか、または以前の15分の1の重量しかない金の代理者にしたのと同じであろう。価格の度量標準の名づけ方以外にはなにひとつ変わらなかったであろうが、この名づけ方はもちろん慣習的なものであって、それが鋳貨の品位の変動によって直接に生じようとも、新たなより低い度量標準にとって必要な数だけ紙券が増加することによって間接に生じようとも、どちらも同じことである。ポンドという名称はいまやいままでの15分の1の金量を示したのであるから、すべての商品価格は15倍に騰貴し、いままで1400万枚のポンド券が必要であったのとまったく同じように、いまでは実際に2億1000万枚のポンド券が必要となるであろう。価値章標の総額が増加するのと同じ割合で、それぞれ1枚の章標の代理する金の量は減少するであろう。価格の騰貴は、価値章標がその代理として流通すると称する金の量にこの価値章標をむりやりに等置する流通過程の反作用にすぎないであろう。
  イギリスやフランスでの政府による貨幣変造の歴史では、価格が銀鋳貨の変造と同じ割合では騰貴しなかったことがしばしば見うけられる。これはまったく、鋳貨が増加された割合が、それが変造された割合に相応しなかったからであり、つまり諸商品の交換価値は、今後は価値の尺度としてのこの低い価値の合金で評価され、この低い度量単位に相応する鋳貨によって実現されるはずであったのに、この合金がそれに相応する数量だけ発行されなかったからである。このことは、ロックとラウンズとの論争で解決されなかった困難を解決する。紙券であろうと、変造された金や銀であろうと、価値章標が鋳造価格にしたがって計算された金や銀の重量を代理する割合は、それ自身の材料によって決まるものではなく、流通にあるその量によって決まるのである。この関係を理解するうえでの困難は、貨幣が価値の尺度および流通手毅としての二つの機能においては、たんに反対の諸法則に従っているだけでなく、この二つの機能の対立に一見矛盾するような法期に従っている、ということから生じるのである。貨幣がただの計算貨幣としてだけ役だち、金がただ観念的な金として役だつにすぎない価値の尺度としての貨幣の機能にとっては、すべてがその自然的材料にかかっている。交換価値は、銀で評価された場合、つまり銀価格としては、金で評価された場合、つまり金価格としてのそれとは、いうまでもなくまったく違ったものとしてあらわされる。逆に貨幣がたんに表象されているだけでなく、現実的な物として他の商品とならんで存在しなければならない流通手段としての貨幣の機能においては、その材料はどうでもよいのであって、すべてはその量にかかっている。度量単位にとっては、それが1ポンドの金であるか、銀であるか、それとも銅であるかが決定的である。ところが、鋳貨にあっては、それの数だけが、その鋳貨をこれらおのおのの度量単位の適当な実現とするのであって、鋳貨自身の材料がなんであろうとかまわない。しかし、ただ考えられただけの貨幣にあっては、すぺてがその物質的な実体にかかり、感覚的に存在する鋳貨にあっては、すぺてが観念的な数的関係にかかるというのは、常群識には矛盾することである。
  だから紙券の数量の増減--紙券が唯一の流通手段をなしている場合のそれ--にともなう商品価格の騰落は、流通する金の量は商品の価格によって規定され、流通する価値章標の量は、それが流通で代理する金鋳貨の量によって規定されるという法則が外部から機械的に破られた場合に、流通過程によってむりやりになしとげられたこの法則の貫徹にほかならない。だから他方では、どんな任意の数量の紙券でも流通過程によって吸収され、いわば消化される。なぜなら、価値章標は、それがどういう金名義をもって流通にはいりこもうとも、流通の内部では、その代わりに流通できるはずの金量の章標にまで圧縮されるからである。
  価値章標の流通では、現実の貨幣流通のすぺての法則があべこべに逆立ちして現われる。金は価値をもつから流通するのに、紙券は流通するから価値をもつのである。商品の交換価値があたえられていれば、流通する金の量はそれ自身の価値によって決まるのに、紙券の価値は流通するその量によって決まる。流通する金の量は商品価格の騰落につれて増減するのに、商品価格は流通する紙券の量の変動につれて騰落するように見える。商品流通はただ一定量の金鋳貨を吸収することができるだけであり、したがって、流通する貨幣の交互の収縮膨張が必然的な法則として現われるのに、紙券はどんなに増加しても流通にはいりこむように見える。国家は、その名目上の実質〔純分〕よりわずか100分の1グレーンだけ少ない鋳貨を発行しても、金銀鋳貨を変造したことになり、したがって流通手段としてのその機能を妨げることになるのに、鋳貨名のほかには金属となんの関係ももたない無価値な紙券の発行については、まったく正しい操作をおこなうことになる。金鋳貨は明らかに、商品の価値そのものが金で評価され、または価格としてあらわされるかぎりでだけ、商品の価値を代理するのだが、価値章標は、商品の価値を直接に代理するように見える。このことから、貨幣流通の諸現象を一面的に強制通用力をもつ紙幣の流通に即して研究した観察者たちが、なぜ貨幣流通のすべての内在的法則を誤解せざるをえなかったかが明らかとなる。じっさい、これらの諸法則は、価値章標の流通においては、ただ逆さまに現われるだけではなく、消え去ったように見えるのである。なぜなら、紙幣は正しい量で発行されるならば、価値章標としてのそれに固有でない運動をとげるのに、紙幣に固有な運動は、諸商品の変態からは直接に生じないで、金にたいするその正しい比率の侵害から生じるからである。〉(全集第13巻98-102頁)

《初版》

  〈1ポンド・スターリング、5ポンド・スターリング等々のような貨幣名が印刷されている紙幣が、国家の手で外部から流通過程のなかに投げ込まれる。それが同名の金の額に代わって現実に流通するかぎり、それの運動に反映するものは、貨幣流通そのものの諸法則でしかない。紙幣流通の独自な法則は、金にたいする紙幣の代表関係からのみ生じうる。そして、この法則はたんに次のようなことである。すなわち、紙幣の発行は、紙幣によって象徴的に表わされている金(または銀)が、現実に流通しなければならない量に制限されるべきだ、ということ。ところで、流通部面が吸収しうる金量は、確かに、ある平均水準の上下に絶えず動揺している。とはいうものの、与えられた一国内で流通しつつある媒介物の量は、経験的に確定されているある最低限以下には、けっして下がらない。この最低量が、絶えずその成分を取り替えるからといって、すなわち、いつもちがう金片から成り立っているからといって、もちろん、この最低量の大きさは少しも変わらないし、それが流通部面を絶えず駆けめぐる事情も少しも変わらない。だから、この最低量は、紙幣象徴で置き換えることができる。これに反して、すべての流通水路が今日、それの貨幣吸収能力の限度いっぱいまで紙幣でみたされていれば、これらの水路は明日には、商品流通の動揺の結果あふれることもありうる。限度がなにもかも失われてしまう。だが、紙幣がその限度、すなわち、流通しうる同じ名称の金鋳貨の量を越えても、紙幣は、一般的な信用崩壊の危険は別として、商品世界の内部では、やはり、この世界の内在的諸法則によって規定されている金量しか、したがってまた、ちょうど代表されうるだけの金量しか、表わしていないのである。紙券の量が、たとえば1オンスずつの金の代わりに2オンスずつの金を表わすならば、それの貨幣名たとえば金1/4オンス当たり1ポンド・スターリングという貨幣名が、事実上は、金1/8オンス当たり1ポンド・スターリングという貨幣名に引き下げられる。結果は、あたかも金が価格の尺度としての機能において変更をこうむったばあいと同じである。だから、以前は1ポンド・スターリングという価格で表わされていたのと同じ価値が、いまでは2ポンド・スターリングという価格で表わされている。〉(江夏訳121-122頁)

《フランス語版》

  〈国家は、1ポンド・スターリング、5ポンド・スターリングなどのように鋳貨名が記されている紙券を、流通に投ずる。この紙券が同じ名称の金重量にかわって現実に流通するかぎり、紙券の運動は、本物の貨幣の流通法則を反映するほかない。紙券流通の特有な法則は、金または銀の代理人としての役割からしか生まれえないのであり、そしてまた、この法則はきわめて単純であって、紙幣の発行は、紙幣に象徴される金(または銀)の現実に流通すべき量に比例しなければならない、ということなのである。流通が吸収できる金量は確かに、ある平均水準以上または以下に絶えず動揺する。それにもかかわらず、この量は、各国において経験上わかっている最低限以下に、けっして落ちることがない。この最低量が絶えずその構成部分を更新するということ、すなわち、そこに入ったりそこから出たりする個々の鋳貨の往復運動が存在するということ、このことはもちろん、流通域内で、この最低量の大きさをも、その絶え間ない回転をも、全く変えはしない。したがって、この最低量を紙幣象徴で置き換えることは、なにものにも妨げられない。これに反して、流通の運河が、貴金属にたいする吸収能力の限度いっぱい紙幣で満たされておれば、そのばあいには、商品価格のどんなわずかな動揺も、この運河を溢れさせることがありうるだろう。そうなったら、限界はなにもかも失われる。
  一般的な信用崩壊は別として、紙幣がその適法な大きさを超過するものと仮定しよう。この紙幣は相変わらず、商品流通では、この商品流通が自己の内在的法則にしたがって必要とする金の分量しか、したがって、紙幣によってちょうど代理しうる金の分量しか、表わさないのである。たとえば、紙幣の総量がかくあるべき総量の2倍になれば、1/4オンスの金を代表していた1ポンド・スターリング券は、もはや1/8オンスの金しか代表しない。結果は、金が価格の尺度標準としての機能において変質を受けたばあいと、同じになる。〉(江夏・上杉訳107-108頁)

●第7パラグラフ

《経済学批判》

  〈鋳貨として機能する価値章標、たとえば紙券は、その鋳貨名に表現されている金量の章標であり、したがって金章標である。一定量の金それ自身が価値関係を表現しないのと同じように、それにとって代わる章標も価値関係を表現しない。一定量の金が対象化された労働時間として一定の価値の大きさをもつかぎりでは、金章標は価値を代表している。しかし金章標によって代表される価値の大きさは、いつでもそれによって代表される金量の価値に依存している。諸商品にたいしては、価値章標はそれらの価格の実在性を代表するのであって、価格の章標〔signum pretii〕であり、それが諸商品の価値の章標であるのは、諸商品の価値がその価格に表現されているからにほかならない。過程W-G-Wでは、この過程が二つの変態のたんに過程的な統一または直接的な相互転化として現われるかぎり--そして価値章標が機能する流通部面では、それはこのようなものとして現われるのだが--、諸商品の交換価値は、価格ではたんに観念的な存在を、貨幣ではたんに表象された象徴的な存在を受け取る。こうして交換価値は、ただ考えられたもの、または物的に表象されたものとしてだけ現われるのであるが、しかしそれは、一定量の労働時間が諸商品に対象化されているかぎり、それらの諸商品そのもののほかには、なんらの現実性をももたないのである。だから価値章標は、金の章標としては現われないで、価格にただ表現されているだけで、ただ商品のうちにだけ存在する交換価値の章標として現われることによって、商品の価値を直接に代理しているかのように見える。だがこういう外観は誤りである。価値章標は、直接にはただ価格章標であり、したがって金章標であり、ただ回り道をして商品の価値の章標であるにすぎない。〉(全集第13巻95-96頁)

《初版》

  〈紙幣は、金象徴すなわち貨幣象徴である。商品価値にたいする紙幣の関係は、ただ、紙幣によって象徴的・感覚的に表わされているのと同じ金量で、商品価値が観念的に表わされている、という点にあるにすぎない。紙幣が価値象徴であるのは、紙幣が、他のすべての商品量と同じにやはり価値量である金量を、代表しているかぎりにおいてのことでしかない。〉(江夏訳122頁)

《フランス語版》

  〈紙幣は金表章または貨幣表章である。紙幣と商品とのあいだに存在する関係は、ただたんに、商品価格のうちに観念的に表現されている金の同じ量が、紙幣によって象徴的に代表されている、ということである。したがって、紙幣が価値表章であるのは、それが、他のすべての商品量と同じにやはり価値量である金量を、代表するかぎりでのことである(34)。〉(江夏・上杉訳108頁)

●注84

《経済学批判》

  〈すべてこれらの著述家たち(トゥック、ウィルソン、フラートン等--引用者)は、貨幣を一面的にではなくそのさまざまな諸契機で把握してはいるが、しかしたんに素材的に把握しているだけで、それらの諸契機相互のあいだや、これらの諸契機と経済学的諸範疇の全体系とのあいだの生きた関連をすこしも見ていない。だから彼らは流通手段と区別しての貨幣を、誤って資本と混同し、または商品とさえ混同する。もっとも他方では、ときおり、貨幣と両者との区別をまたもや主張せざるをえなくなっているが。たとえば、金が外国に送られるときには、じつは資本が外国に送られるのであるが、しかしそれと同じことは、鉄、綿花、穀物、つまりどの商品が輸出されるときにも起こるのである。どちらも資本であり、したがって資本としては区別されないで、貨幣および商品として区別される。だから、国際的交換手段としての金の役割は、資本としてのその形態規定性から生じるのではなく、貨幣としてのその特有の機能から生じるのである。同様に金、またはそのかわりに銀行券が、国内商業で支払手段として機能するときにも、それらは同時に資本でもある。しかし、商品の形態での資本は、たとえば恐慌がきわめて明白に示すように、金または銀行券のかわりをすることはできないであろう。だから、金が支払手段になるのは、やはり貨幣としての金と商品との区別によるのであって、資本としてのそれの定在によるのではない。資本が直接に資本として輸出される場合、たとえば一定の価値額が外国で利子をとって貸し付けるために輸出される場合でさえ、それが商品の形態で輸出されるか金の形態で輸出されるかは、景気の状態に依存するのであって、もしもそれが後者の形態で輸出されるとすれば、それは、商品に対立しての貨幣としての貴金属の特有の形態規定性によるのである。総じてこれらの著述家たちは、まずもって、単純な商品流通の内部で展開されるような、そして、過程を経る諸商品それ自体の関連から生じてくるような抽象的な姿で、貨幣を考察することをしない。だから彼らは、貨幣が商品との対立のなかでうけとる抽象的な諸形態規定性と、資本や収入〔revenue〕などのような、もっと具体的な諸関係をうちにかくしている貨幣の諸規定性とのあいだを、たえずあちこちと動揺するのである。〉(161-162頁)

《フランス語版》

  〈(34) フラートンから引用する次の文章は、最良の著述家でさえ貨幣の性質とそのさまざまな機能についてどんなに混乱した考えを抱いているか、を示している。「わが国内取引にかんするかぎりは、金鋳貨や銀鋳貨が通常果たしている貨幣機能は、不換紙幣--これは、法律に由来する人為的な契約上の価値以外にどんな価値ももたない--によっても、同じくらい有効に遂行されうるということは、思うに、全く否定できない事実である。この種の価値は、その発行高が適当に制限されさえすれば、内在的価値のあらゆる特典をもっているように見なされうるのであって、価値の尺度標準なしにすますことさえも可能にするであろう」(ジョン・フラートン『通貨調節論』、第2版、ロンドン、1845年、21ページ)。こうして、貨幣商品は流通のなかで単なる価値表章によって置き換えられることができるから、価値尺度や価格の尺度標準としての貨幣商品の役割は、余計なものだと宣言される!〉(江夏・上杉訳108-109頁)

●第8パラグラフ

《経済学批判》

  〈けれども金鋳貨がはじめは金属の、次には紙の代理物をつくりだしたのは、それがその金属滅失にもかかわらず、ひきつづいて鋳貨として機能したからにほかならない。それは摩滅したから流通したのではなく、流通しつづけたから摩滅して象徴になったのである。過程の内部で金貨幣そのものがそれ自身の価値のたんなる章標となるかぎりでだけ、たんなる価値章標が金貨幣にとって代わることができるのである。
  運動W-G-Wが直接たがいに転化しあう二つの契機W-GとG-Wとの過程的統一であるかぎり、言いかえるならば、商品がその総変態の過程を通過するかぎり、商品がその交換価値を価格で、また貨幣で展開するのは、すぐにまたこの形態を揚棄して、ふたたび商品に、あるいはむしろ使用価値になるためである。だから商品は、その交換価値のたんに外見上の独立化に向かって進むにすぎない。他方では、すでに見たように、金がただ鋳貨として機能するかぎりでは、すなわちたえず流通にあるかぎりでは、それは実際にはただ諸商品の変態の連鎖とそれらのたんに瞬時的な貨幣存在とをあらわすにすぎず、他の商品の価格を実現するために、ある商品の価格を実現するにすぎないのであって、どこでも交換価値の休止的な定在として、つまりそれ自身休止する商品としては現われない。諸商品の交換価値がこの過程で受け取り、金がその流通であらわす実在性は、ただ電気火花のような実在性にすぎない。この金は現実の金であるとしても、ただ仮象の金としてだけ機能するにすぎず、それだからこそこの機能では、それ自身の章標によって置き換えられることができるのである。〉(全集第13巻94-95頁)
  〈過程W-G-Wでは、この過程が二つの変態のたんに過程的な統一または直接的な相互転化として現われるかぎり--そして価値章標が機能する流通部面では、それはこのようなものとして現われるのだが--、諸商品の交換価値は、価格ではたんに観念的な存在を、貨幣ではたんに表象された象徴的な存在を受け取る。〉(同95頁)、

《初版》

  〈最後に、なぜ金が、それ自身の単なる、価値のない象徴で、置き換えられうるか? ということが問題になる。ところが、すでに見たように、金がこのように置き換えられうるのは、それが、鋳貨あるいは流通手段としての機能において孤立化または独立化されている、というかぎりにおいてのことでしかない。ところで、この機能の独立化は、摩滅した金片の継続的な流通のうちに現われているとはいえ、個々の金鋳貨について行なわれているわけではない。金片が単なる鋳貨あるいは流通手段であるのは、まさに、それが現実に流通しているあいだにかぎられている。ところが、個々の金鋳貨にはあてはまらないことが、紙幣によって置き換えうる最低量の金にはあてはまる。この最低量の金は、絶えず流通部面に滞在し、引きつづき流通手段として機能し、したがって、もっぱらこの機能の担い手としてのみ存在している。だから、それの運動は、商品変態W-G-Wの対立する諸過程の継続的な相互変換のみを表わしているのであって、これらの過程では、商品にたいしてそれの価値姿態が相対したかと思うとまたすぐに消えてしまう。商品の交換価値の独立的な表現は、ここでは、束の間の契機でしかない。その商品は再び、すぐさま他の商品にとって代わられる。だから、貨幣を絶えず一方の手から他方の手に遠ざけてゆく過程では、貨幣のたんに象徴的な存在でも充分である。貨幣の機能的存在が、いわば、貨幣の物質的定在を吸収している。貨幣は商品価格の束の間の客体的な反射であるから、貨幣は、自分自身の象徴としてのみ機能するのであり、したがって、象徴によっても置き換えられることができる(60)。貨幣の象徴に必要なのは、この象徴自身の客観的社会的な妥当性だけであり、この妥当性を、紙幣表章が強制通用力によって受け取るのである。この国家による強制が有効であるのは、一つの共同体の境界で仕切られた・すなわち国内の・流通部面の内部にかぎられているが、しかし、貨幣が、流通手段あるいは鋳貨としての自己の機能のうちにすっかり解消し、したがって、紙幣において、それの金属実体から外面上分離された・たんに機能的な存在様式を、受け取ることができるのも、この流通部面の内部にかぎられている。〉(江夏訳122-123頁)

《フランス語版》

  〈金がなぜ価値のない物、単なる表章によって置き換えられることができるのか、おそらくこのことが問われるだろう。だが、金がこのように置き換えられることができるのは、それがもっばら鋳貨あるいは流通手段として機能するかぎりでのことである。この機能の専属的な性格は、摩減した鋳貨がそれでもなお流通しつづけるという事実のうちに現われているとはいえ、確かにこの性格は、個々別々の金鋳貨または銀鋳貨について実現するわけではない。それぞれの金貨は、それが流通するかぎりにおいてのみ、流通手段であるにすぎない。紙幣によって置き換えることのできる金の最低量については、事情は別である。金の最低量はつねに流通部面に属しており、絶えず流通手段として機能し、もっばらこの機能の担い手として存在する。こうして、この金の最低量の回転は、M-A-Mという変態--ここでは、商品の価値姿態は、すぐ後で消滅するためにのみ商品に対面し、また、一商品による他商品の置き換えが、貨幣を絶えず一方の手から他方の手に滑りこませる--とは逆の運動の継続する交替のみを、表わすものである。貨幣の機能的存在が、いわば、貨幣の物質的存在を吸収する。貨幣は、商品価格の束の間の反映であるから、もはや自分自身の表章としてのみ機能し、したがって、表章によって置き換えることができるのである(35)。貨幣の表章は貨幣として社会的に有効でありさえすればよいのであり、貨幣の表章は強制通用力によってそうなるのである。国家のこの強制行為は、一国の流通域内でしか行使されえないが、貨幣が鋳貨として果たす機能も、ただここでだけ分離されうるのである。〉(江夏・上杉訳109頁)

●注85

《経済学批判》

  〈ロックはとりわけ次のように言っている。「以前に半クラウンとよばれていたものを1クラウンとよぶとする。価値はやはり金属実質によって規定されている。もし諸君が鋳貨の価値を減らさずに、その銀重量の20分の1をへずることができるというなら、諸君は同様にその銀重量の20分の19をもへずることができるはずである。この論法によれば、1ファージング〔4分の1ペニー貨〕は、それをクラウンと名づけるならば、その60倍の銀をふくむ1クラウン貨が買うのと同じだけの香料、絹、その他の商品を買えるはずである。諸君にできることは、ただより少ない量の銀により多くの量の極印と名称をつけることだけである。しかし、債務を支払ったり、商品を買ったりするのは、銀であって名称ではない。もし諸君の言う貨幣価値の引上げが、銀貨の可除部分に好きかってな名称をつけること、たとえば1オンスの銀の8分の1をペニーとよぶことにほかならないとすれば、諸君は事実上、貨幣の価値を好むがままの高さに定めることができるわけである。」同時にロックは、ラウンズに次のように答えている。市場価格の鋳造価格以上への騰貴は、「銀価値の上昇からではなく、銀鋳貨の軽くなったことから」起こるのである。削りとられた77個のシリング貨は、完全量目の62個のシリング貨よりすこしも重くはない、と。最後に彼は正当にも、流通鋳貨の銀量の減少を度外視しても、イギリスでは銀地金の輸出は許されていて、銀鋳貨の輸出は禁止されているのだから、銀地金の市場価格はある程度まで鋳造価格以上に騰貴しうることを強調した(前掲書、54-116ページの諸所を参照)。ロックは国債という焦点にふれることをひどく警戒し、同様に微妙な経済問題にたちいることも用心ぶかく避けた。この問題というのは、為替相場も銀地金の銀鋳貨にたいする比率も、流通貨幣の減価がその現実の銀量減少にとうてい比例しないほど大きなものであったことを示した、ということである。この問題には一般的形態で、流通手段の節でたちかえろう。ニコラス・バーボンは、『新貨幣をより軽く鋳造することにかんする一論、ロック氏の「考察」に答えて』、ロンドン、1696年、のなかで、ロックをめんどうな領域にさそいだそうとしたが、むだだった。〉(全集第13巻60-61頁)

《初版》

  〈(68) 金銀が、鋳貨としては、あるいは流通手段としての排他的機能においては、それ自身の象徴になる、ということから、ニコラス・バーボンは、「貨幣の価値を高める」政府の権利を導き出している。すなわち、たとえばグロッシェンと呼ばれるある分量の銀に、ターレルというもっと多量の銀の名称を与え、こうして、債権者には夕ーレルの代わりにグロッシェンを返済する、という政府の権利である。「貨幣は、幾度も数えられると摩滅して軽くなる。……人々が取引のさいに気をつけるのは、貨幣の名称と通用性であって、銀の量ではない。……金属を貨幣たらしめるものは、金属にしるされた公権力である。」(N・バーボン、前掲書、29、30、25ページ。)〉(江夏訳123頁)

《フランス語版》

  〈(35) 金銀が、鋳貨としては、あるいは、流通手段としての専属的な機能では、自分自身の単なる表章でしかなくなるという事実から、ニコラス・バーボンは、「貨幣の価値を高める」政府の権利を、すなわち、フランと呼ばれている銀の分量にたいしエキュのようなもっと大きな分量の名称を与え、こうして政府の債権者にたいしエキュのかわりにフランしか与えない、という政府の権利を、導ぎ出している。「貨幣は、多勢の人の手を通りぬけることによって摩滅し目減りする。……取引のさいに人が注目するのは、貨幣の名称とその通用性であって、貨幣の銀量ではない。金属は、公の権力によってはじめて貨幣になる」(N ・バーボン、前掲書、29、30、25ページ)。〉(江夏・上杉訳109-110頁)

 

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『資本論』学習資料No.17(通算第67回)(1)

2019-12-12 20:20:06 | 『資本論』

『資本論』学習資料No.17(通算第67回)(1)

 

◎価値の〈論証〉というのは問題にあらざる偽問題である(大谷新著の紹介の続き)

 今回も前回と同様、大谷禎之介著『資本論草稿にマルクスの苦闘を読む』「Ⅲ 探索の旅路で落ち穂を拾う」のなかの「第10章 商品および商品生産に関するいくつかの問題について」を取り上げます。前回はその中の〈論点1 使用価値の捨象によって抽象的労働に到達するのは「無理」か--置塩信雄氏の見解について--〉を取り上げました。今回は〈論点2 価値の「論証」という偽問題について〉から紹介しましょう。今回は若干、大谷氏の説に批判的なものになる部分もあります。
  まず大谷氏は価値を抽出してくるプロセスは商品の生産費用を抽象するプロセスになっているのだと次のように述べています。 

  〈およそどんな社会についても生産力の発展を考えようとすれば,生産物を生産するための費用,つまり生産費用を考えずにすむはずがない。そしてその生産費用が本源的には労働であるという真理は,すでに常識の世界にさえ属する事柄である。だから,『資本論』の冒頭でマルクスが使用価値とそれを生産する具体的労働を捨象して抽象的人間的労働の対象化としての価値を抽象してくるプロセスは,商品の交換価値を規定するものとしての商品の生産費用を抽象するプロセスにもなっているのであり,これによってマルクスは,労働生産物が商品という形態をとって運動している商品世界を,社会の存立の基礎である労働を根底に理解する道を開いたのである。〉 (451頁) 

  そして商品の価値の実体である「抽象的人間労働」の凝固について次のように述べています。 

 〈マルクスが具体的労働の捨象によってつかみだしたのは,たんなる抽象的人間的労働ではない。抽象的人間的労働の結晶であり,対象化である。これは商品に固有のものである。抽象的人間的労働はあらゆる社会に存在する労働の一側面であるが,抽象的人間的労働の対象化は商品に固有のものである。〉 (451頁) 

  「抽象的人間労働」と「抽象的人間労働の対象化、その結晶」とは異なるといわれればその通りなのですが、しかしこれは生きた労働と対象化された労働との違いを言っただけではないでしょうか。生きた労働とは流動化しつつある労働のことであり、対象化された労働とは生産物という対象物に支出された過去の労働のことです。しかしこの区別はあらゆる社会の労働について言いうることです。だから前者はあらゆる社会に存在する労働の一面であるが、後者は商品に固有のものだととわれても、なかなかすんなりとは納得できるものではありません。
  マルクスは〈すべての労働は、一面では、生理学的意味での人間の労働力の支出であって、この同等な人間労働または抽象的人間労働という属性においてそれは商品価値を形成するのである〉(『資本論』第1章第2節最後のパラグラフ、全集第23巻a63頁)と述べ、「抽象的人間労働」を「同等な人間労働」とも言い換えています。これは諸商品の交換によって、それぞれの商品に支出された個別的な私的諸労働が、社会的に同等なものと見なされたもの、あるいはそうしたものに還元されたもののことであり、だからこそそれは商品に固有なものなのです。だから抽象的人間労働そのものが商品に固有のものなのです。
  マルクスがその前に述べている〈生理学的意味での人間の労働力の支出〉という面で捉えられた労働、これは「第4節 商品の呪物的性格とその秘密」で〈いろいろな有用労働または生産活動がどんなに違っていようとも、それらが人間有機体の諸機能だということ、また、このような機能は、その内容や形態がどうであろうと、どれも本質的には人間の脳や神経や筋肉や感覚器官などの支出だということは、生理学上の真理だ〉(同96-97頁)と述べているものと同じものです。これは価値規定の内容について説明しているものですが、価値の実体である抽象的人間労働の凝固の根底にあるものです。これこそあらゆる社会に妥当するものだと思います。
  そして最後に肝心の偽問題についてです。次のように述べています。 

  〈要点を繰り返せば,マルクスが『資本論』の冒頭で商品を分析するときにやろうとしたのは,どんなことをも前提せずにそのなかで一切合財を形式論理的に〈論証〉するなどという途方もない不可能事ではなくて,労働を基礎とする社会把握を根底に置いて資本主義社会の最も表面に現われている最も一般的な事象を分析しようとしているのだ,ということである。そうである以上,商品の使用価値とそれを生産する具体的労働の捨象によってつかみだされるものは,抽象的人間的労働の対象化としての価値以外のものではありえない。そして,そうである以上,商品のこの分析によって,抽象的人間的労働の対象化としての価値概念は間違いなく得られたのであって,それをあらためて〈論証〉することなど,問題になりようがない。〈論証〉できているかいないか,ということを論じるのであれば,それは,マルクスの経済学の体系,正確に言えば『経済学批判』の体系が,その展開の全体を通じて資本主義的生産の全体を精神的に再生産できているかいないか,というかたちで論じられるべきことである。価値の〈論証〉というのは問題にあらざる爲問題である。〉 (453頁) 

  さて、本題ですが、今回から第3章「貨幣または商品流通」第2節「流通手段」「c 鋳貨、価値章標」に入ります。それではその内容を検討して行きましょう。
 

◎表題

  〈c 鋳貨、価値章標〉 

  英語版の表題は「Coin and synbol of Value」(鋳貨と価値象徴)となっています。
  昔、大阪でやっていた「『資本論』を学ぶ会」のニュースではこの部分の意義について次のように書きました。 

  〈さて前回から第三章第二節「流通手段」の「c 鋳貨。価値章標」に入りました。この部分は、分量としてはそれほどありませんが、現代の貨幣である不換銀行券(日銀券)を考察する上で、重要な部分です。もちろん日銀券は銀行券ですから、次の第三節「貨幣」のところで出てくる「貨幣の支払手段としての機能」に「自然発生的な根源」をもつ「信用貨幣」の一種です。そしてそれは第三巻の銀行制度の研究を待たなければ十分に理解できないものです。しかし日銀券はすでに本来の銀行券のような兌換性はなく、その限りでは限りなく紙幣に近いものです。その意味では、私たちが今学んでいる価値章標の理論が基礎になるのです。不換制下の貨幣についてはこれまでにも「現代インフレーション論争」と関連して様々な論争が行なわれ、その理解はなかなか難しいものです。しかしそれを理解するもっとも基礎的な問題がここで取り扱われるのです。だからここをしっかり理解することが重要なのです。 〉 (№41) 

  これには2000年4月8日の日付がついています(20年ほども昔の話!)が、この部分の意義の説明としては間違っていないと思います。しかしその内容の一部には、今の私自身の理解においては、必ずしも正しいとは言えないところがあります。〈しかし日銀券はすでに本来の銀行券のような兌換性はなく、その限りでは限りなく紙幣に近いものです〉という部分です。日銀券は不換券だから紙幣に近いと書いていますが、それは正しくないのです。銀行券は別にそれが兌換券であうが不換券であろうが、商業流通から一般流通に出て貨幣として通用しているものについては、貨幣の流通法則に規制されると理解すべきだからです。貨幣の流通法則に規制されるということは、同時に紙幣の独自の流通法則にも規制されるということでもあるのです。
  それに対して、商業流通内で流通する銀行券(主に手形割引によって流通する銀行券、これは歴史的には比較的高額の銀行券でした)は、手形流通に立脚するのであって貨幣流通に立脚するものではないのです。同じ銀行券と言ってもこうした違いが歴史的にも理論的にもあるという理解が必要なのです。
  この違いが、これを書いていたときには分からなかったのです(これは『資本論』第3部第5篇第25章以下に該当する部分の草稿の解読を待ってはじめて分かったことです)。だからその点は訂正しますが、しかしこの「c 鋳貨、価値章標」を学習する意義について書いている部分についてはそのまま妥当すると思います。
 

◎第1パラグラフ(流通手段としての貨幣の機能から、鋳貨形態が生じる)
 

【1】〈(イ)流通手段としての貨幣の機能からは、その鋳貨姿態が生ずる。(ロ)諸商品の価格または貨幣名として想像されている金の重量部分は、流通のなかでは同名の金片または鋳貨として商品に相対しなければならない。(ハ)価格の度量標準の確定と同様に、鋳造の仕事は国家の手に帰する。(ニ)金銀が鋳貨として身につけ世界市場では再び脱ぎ捨てるいろいろな国家的制服には、商品流通の国内的または国民的部面とその一般的な世界市場部面との分離が現われている。〉 

  (イ)(ロ) 流通手段としての貨幣の機能から、鋳貨という貨幣の姿が生まれます。諸商品の価格または貨幣名で思い描かれている金の重量部分は、流通のなかでは、同じ名称の金片すなわち鋳貨のかたちをとって、商品に向かい合わなければなりません。 

  流通手段としての貨幣の機能というのは、その前に出てきた価値尺度の機能とは異なり、流通のなかに貨幣そのものの現物が現われ、商品に対峙する必要がありました。価値尺度の機能では、貨幣はただ観念的なもので十分だったのですが、流通手段としての貨幣は現実の流通のなかで商品と交換されるものでなければならなかったわけです。そしてこの商品に対峙し、交換される貨幣の機能から、その鋳貨形態が生じてくると述べています。これはどういうことかいうと、『経済学批判』にはそこらあたりの事情が詳しく書かれています。 

  〈金はその流通を技術上の諸困難によって妨げられないように、計算貨幣の度量標準にしたがって鋳造される。貨幣の計算名であるポンド、シリング等々であらわされた金の重量部分をふくんでいることをその極印と形状とで示す金片が、鋳貨である。〉 (全集第13巻87頁) 

  現物の貨幣というのは金そのものです。商品の観念された価格を金の現物で置き換え、その価格を実現するのですが、しかし商品の価格が金何グラムと観念されていた場合、その価格を実現するための金は、その純度と重量とを正確に測られたものでなければなりません。しかし商品交換の度にこうしたことをやっていては大変な手間です。だから〈金はその流通を技術上の諸困難によって妨げられないように、計算貨幣の度量標準にしたがって鋳造される〉のです。すなわち金の地金を〈貨幣の計算名であるポンド、シリング等々であらわされた金の重量部分をふくんでいることをその極印と形状とで示す金片〉に鋳直されたものが金地金の代わりに流通するようになります。それが鋳貨です。「コイン」と言われるものがそれです。 

  (ハ) 価格の度量標準の確定がそうであるように、鋳造の仕事も国家の手に帰するようになります。 

  価格の度量標準というのは、金の一定量を円とかドルとかで呼ぶことを決めることです。それは国家が決めました。例えば戦前は金2分(ふん)〔750㎎〕=1円と決められていました。
  今度は、その750㎎の金をコインに鋳造して、それに「1円」という刻印を押して鋳貨にするのですが、こうしたこともやはり国家が担うということです。
  ここらあたりを分かりやすく説明している、大谷禎之介著「貨幣の機能」(『経済志林』第61巻第4号)から紹介しておきましょう。 

  〈流通手段としての金は,もともとは,売買のたびに,その純度が確かめられ,その重量が計量された「秤量貨幣」であった。しかし,取引のたびに試金や秤量を行なうのは煩わしいので,商品流通の発展とともに,次第に,一定の極印と形状とをもった鋳貨が生まれてくる。そしてそのような技術的な作業,つまり鋳造は,価格の度量標準の確定と同様に,国家の手によって行なわれるようになり,国家が鋳貨が含む金の品位と重量とを保証するようになるのである。〉 (270-271頁) 

  全体にこの部分の大谷氏の「貨幣の機能」の説明は参考になりますので、長くなりますが、今後も、出来るだけ紹介していくことにします。あるいはやや煩わしく感じられるかも知れませんが、そもそもこのブログは《『資本論』学習資料》と銘打っているのですから、学習になると思われる資料であれば、どんどん紹介していくべきだと思うからです。 

  (ニ) そこでもろもろの鋳貨としてさまざまな違った国民的制服を身につけることになりますが、世界市場ではふたたびそれらを脱ぎ捨てます。ここには、商品流通のもろもろの国内的または国民的な部面と商品流通の一般的な世界市場部面との区分けが現われているわけです。 

  ドルや円というように国によって度量標準の違いがありますように、それらを鋳貨にしたものも、国によって当然違ってきます。つまりこうしたものはそれぞれの国に固有のものであり、その国内でしか通用しません。だから1円の刻印された金貨も世界市場にでてゆくと750㎎の金地金としか評価されないのです。つまりその国民的な制服を脱ぎ捨てなければならないのです。
  だからここに商品流通といっても、それぞれの国のなかでの流通と国民と国民との間の商品のやりとりという、商品流通の二つの部面における違いが現れているわけです。
  この部分も大谷氏の説明を紹介しておきましょう。 

  〈国家が社会的な通用性を保証する鋳貨には,国家が確定する価格の度量標準と同様に,越えることのできない国境があり,その流通は,国家権力の及ぶ範囲での流通部面での商品流通,つまり国内流通に限られる。しかし鋳貨は,もともとは,自己の金量をその形状で示すように鋳造された金そのものであるから,それを溶解して金地金にしても金の重量は同じままである。そして,国境を越えた世界市場では,鋳貨という〈国民的制服〉を脱ぎ捨てた金地金が流通する。〉 (同271頁)
 

◎第2パラグラフ(流通過程における金鋳貨の名目純分と実質純分の分離)
 

【2】〈(イ)要するに、金鋳貨と金地金とは元来はただ外形によって区別されるだけで、金はいつでも一方の形態から他方の形態に変わることができるのである(81)。(ロ)しかし、鋳造所からの道は同時に坩堝(ルツボ)への道でもある。(ハ)すなわち、流通しているうちに金鋳貨は、あるものはより多く、あるものはより少なく摩滅する。(ニ)金の称号と金の実体とが、名目純分と実質純分とが、その分離過程を開始する。(ホ)同名の金鋳貨でも、重量が違うために、価値の違うものになる。(ヘ)流通手段としての金は価格の度量標準としての金から離れ、したがってまた、それによって価格を実現される諸商品の現実の等価物ではなくなる。(ト)18世紀までの中世および近世の鋳貨史は、このような混乱の歴史をなしている。(チ)鋳貨の金存在を金仮象に転化させるという、すなわち鋳貨をその公称金属純分の象徴に転化させるという、流通過程の自然発生的な傾向は、金属喪失が一個の金貨を通用不能にし廃貨とするその程度についての最も近代的な法律によっても承認されているところである。〉 

  (イ) つまり、金鋳貨と金地金とは、もともとそれらの形態によって区別されるだけで、金は、いつでも一方の形態から他方の形態に変わることができます。 

  すでに言いましたように、金鋳貨というのはそれぞれの国境で区切られた国内でしか通用しません。だから世界市場に出て行く時にはその国民的制服を脱いで金地金にならなければならないと言いましたが、もともと金鋳貨も金地金も、いずれも金属の金としては同じもので、ただその形状が異なるだけです。だから金鋳貨はいつでも溶解されて金地金にすることができるわけです。
  ここから『資本論』では問題になっていませんが、『経済学批判』には出てくる「鋳造価格」という問題が生じます。次のように出てきます。 

  〈価格の度量標準としての金は、商品価格と同じ計算名であらわれ、したがって、たとえば1オンスの金は1トンの鉄と同じに3ポンド17シリング10ぺンス2分の1で表現されるので、このような金の計算名は、金の鋳造価格とよばれてきた。このことから、あたかも金はそれ自身の材料で評価され、他のすべての商品と違って国家の側からある固定した価格をあたえられるかのような、奇妙な考え方が生じた。一定の金重量の計算名の固定が、この重量の価値の固定と見まちがえられたのである。金は価格規定の要素として、したがってまた計算貨幣として役だつ場合には、なんらの固定した価格もたないだけでなく、そもそも価格というものをもたない。金が価格をもつためには、すなわち独特の一商品で一般的等価物としての自分を表現するためには、金以外のこの一商品が流通過程で金と同一の排他的役割を演じなければならないであろう。〉 (全集第13巻57-58頁) 

  なかなかこれだけでは分かりにくいと思いますので、大谷氏の説明を紹介しておきましょう。 

  〈他方,金地金は,国家の造幣局(鋳造所)にもっていけば,それを鋳貨に鋳造してもらうことができる。つまり,それだけの鋳貨と替えてもらうことができる。そこで,単位となる一定重量の金がどれだけの貨幣名の鋳貨と替えられるか,ということを「金の鋳造価格〔mint price〕と呼ぶことになった。たとえば,金1匁[モンメ](7.5g)を造幣局にもっていけば5円金貨を受け取ることができるとき,金1匁(7.5g)の鋳造価格は5円だ,と言われるのである。実際には,鋳貨に刻印される貨幣名が,それが含む金量を国家が確定した価格の度量標準にもとついて言い表したものであるかぎり,鋳造価格は,価格の度量標準を金の単位重量で言い換えたものにすぎない。たとえば,価格の度量標準が,金2分(750mg)=1円であるとき,金の鋳造価格は,1匁(3.75g)=5円である。だから,鋳造価格とは言っても、商品の価格、つまりそれの価値を貨幣商品で表現したものとはまったく違うものであることに注意しなければならない。〉 (271頁) 

  (ロ)(ハ)(ニ)(ホ)(ヘ) しかし、鋳造所から出てくる道は、同時に、坩堝(ルツボ)に向う歩みでもあります。すなわち金鋳貨は、流通するうちに、程度の差こそあれ、次第に磨滅していきます。こうして、金の称号と金の実体とが、名目純分と実質純分とが分離する過程が始まります。同名の金鋳貨でも、重量が違うために価値が等しくなくなります。そこで、流通手段としての金は、価格の度量標準としての金から離脱し、したがってまた、それが価格を実現する諸商品の本当の等価物ではなくなります。 

  金属の金としては金鋳貨も金地金も同じだと言いましたが、しかし鋳貨形態にはそれに固有の問題があるのです。そもそも現実に流通している金鋳貨は、鋳造所で鋳造された時は確かに地金と同じ金純分を含んだものですが、しかし流通に一旦出てくるとそれは〈坩堝(ルツボ)への道でもある〉というのです。これは金鋳貨が鋳潰されて地金になるということですが、単にそうしたことではなく、鋳貨の含む金純分が流通しているうちに磨滅して減少してしまうので、あまりにも磨滅しすぎたものは鋳貨として通用しなくなり、流通から引き上げられて坩堝に投げ込まれて鋳直される必要がでてくるという意味なのです。
  だから金鋳貨は流通しているうちに、それぞれの鋳貨によって違いはありますが、次第に磨滅して、それが名目的に表しているもの(例えば1円=750㎎金)が、実際には1円金貨の含んでいる金純分が、例えば725㎎などと減ってくることになります。ではそうした1円金貨は通用しなくなるかというとそうではなく、やはりその磨滅した金貨もしばらくは1円金貨として通用するのです。だから同じ1円金貨でも、それが実際に含んでいる金純分はというと、金貨によってさまざまだということになります。しかしそれらはすべて同じように流通手段としての貨幣の機能を果します。だから流通手段としての金は、価格の度量標準としての金(これはもともと金純分にもとづいて決められたものです)と違ってくるのです。だから磨滅した金貨も、1円の商品の価格を実現しますが、しかしその商品の本当の等価物かというとそうではなくなるということになります。ここからいろいろな問題が生じてくることになります。
  この部分も大谷氏の説明を紹介しておきます。 

  〈さて,鋳貨は,流通のなかで人手から人手へと渡り歩いていくうちに,次第に摩滅せずにはいない。このことからいろいろ問題が生まれてくるばかりではなくて,鋳貨そのものの在り方に大きな変化をもたらすことになってくる。鋳貨の摩滅とは,それが実際に含んでいる金の量,つまり実質金量が,それの形状が言い表している金の量,つまり名目金量よりも少なくなっていくことである。
  同一額面の鋳貨でも,その摩滅の程度は異なるから,名目金量は同じでも,それよりもさまざまの程度に少ない金量しか含んでいない鋳貨が流通界にあるようになる。このことは,鋳貨が流通手段の機能を果たすことを妨げないであろうか。こうした摩損の程度が微量に留まるあいだは,なんの不都合もなく,摩損した鋳貨でも流通し続けることができる。しかし,そのように摩損した鋳貨の流通によって,新たな事態が生じていることになる。すなわち,売り手と買い手とのあいだでの〈決まり値〉がたとえば5円の商品でも,買い手が売り手に引き渡す5円鋳貨は5円よりも少ない金しか含んでいないという事態である。そのような鋳貨が流通し続けるのであれば,それが媒介する取引ではつねに,[実現されるべき価格>実現された価格]であり,買い手はつねに5円よりも少ない金で5円の商品を買っていることになる。〉 (271-272頁) 

  (ト) 中世および18世紀までの近世の鋳貨史は、このような混乱の歴史です。 

  『経済学批判』では次のように説明されています。 

  〈流通過程そのものによってひきおこされる金属貨幣のこのような第二の観念化、すなわちその名目的な実質〔純分〕と実在的な実質との分離は、一部は政府、一部は私的な投機家たちによって種々さまざまな貨幣変造に利用しつくされる。中世のはじめから一八世紀にはいってずっとあとまでの鋳貨制度の全歴史は、こういう二面的で敵対的な変造の歴史に帰着するのであって、クストディの編集したイタリアの経済学者たちの浩潮な論集は、大部分がこの点にかんするものである。〉 (同90頁) 

  この部分も大谷氏の説明を紹介しておきます。 

  〈磨滅鋳貨が流通手段の象徴と見なされるのは、それの一つ一つについてではなく、流通界にある、鋳貨の全体についてであるから、鋳貨の磨滅が著しくなると、鋳貨は一般的に、すでに磨滅しているものと見なされることになる。そうなると,一般の商品の売買では,そのような鋳貨が完全量目の鋳貨と同じものとして流通したとしても,金市場では,そのような鋳貨でそれが背負っている貨幣名だけの金を買うことができなくなる。なぜなら,金の売り手は,自分の金を造幣局に持ち込めば,完全量目の鋳貨を受け取ることができるのだからである。そこで,たとえば金地金1匁(3,75g)を買おうとすると,1匁(3.75g)の金を含んでいるはずの5円金貨では買うことができず,たとえば6円でなければ買えない,ということになる。つまり,金の市場価格(1匁=6円)が金の鋳造価格(1匁=5円)以上に上昇するのである。そうなると,金市場では,完全量目の鋳貨でさえも,この鋳貨の形態のままでは,それの地金の形態でよりも少ない重量のものとしてしか通用しないのだから、金市場でそれをもって金地金を買うよりも、それを鋳潰して金地金に戻すほうがいいということになる。 このような、金の鋳造価格を越える金の市場価格の持続的な騰貴が生じるほど、流通している金鋳貨の軽量化が一般的になると、反作用的に、普通の商品の流通部面でも、金鋳貨はどれも実際に,それが名目的に言い表している金量よりも少ない金量しか含んでいないものとして取り扱われることにならざるをえない。つまり、金市場で金の市場価格が上昇したのと同じ比率で一般の商品の価格が上昇することになる。国家による鋳貨の鋳造も,これまでの鋳造価格のままではやっていけなくなる。なぜなら,金地金は,造幣局にもちこめば,鋳造価格だけの金鋳貨しか受け取れないのに,金市場ではそれより高い市場価格だけの金鋳貨が入手できるからである。造幣局は,持ち込まれる金鋳貨については,厳密に計量して,同じ重量の金地金しか引き渡さないとしても,それでも完全量目の鋳貨が,金地金と引き換えるために引続き持ち込まれてくる。なぜなら,金市場では同じ重量でも,金地金のほうが完全鋳貨よりも価値が多いものとして通用するのだからである。このようになると、国家は、これまでの貨幣名が名目的に言い表していた金量を、その貨幣名の鋳貨が市場でで実際に通用しているだけの金量に切り下げるほかはなくなる。それはつまり、法定の価格の度量標準を切り下げるということである。そしてそれは同時に、金の市場価格の水準にまで金の鋳造価格を切り上げるということであり、金はそれからは、この新しい鋳造価格で、つまり新しい価格の度量標準に従って鋳造されることになる。
  約言すれば、この一連の過程は、金が流通手段として〈理想化〉され、流通手段としての機能的定在において自立化したとことによって、反作用的に、価格の度量標準としての金量が変更されていく過程なのである。この過程の終点は、また新たな同じ過程の出発点になる。こうして、金は、価格の度量標準としての機能においても、流通手段としての機能においても、不断の変更をこうむることになる。ポンドでもフランでもそうであるが、それらが言い表す金量がたえず減少してきたのにもともとの貨幣名が残っているのは、こうした事情によるのである。〉 (275-277頁) 

  (チ) 流通過程にはこのように、鋳貨の金存在を金仮象に転化させる、すなわち鋳貨をその公称金属純分のシンボルに転化させるという、自然発生的な傾向があるわけですが、このことは、一個の金貨を通用不能にし廃貨とする金属目減りの程度、すなわち通用最軽量目を規定する最も近代的な法律によっても認められているところです。 

  流通過程では、金貨は、それに刻印されている名称(例えば1円=750㎎の金)とは違った実質をもつようになります。だから実際に流通している金貨は、ただ公称する金属純分の象徴(シンボル)になるわけです。{ここでついでに指摘しますと、〈鋳貨の金存在を金仮象に転化させる〉という一文は新日本新書版では〈鋳貨の金存在(ザイン)を金仮象(シャイン)に転化させる〉と、わざわざザイン〔sein〕とシャイン〔Schein〕というドイツ語表記を紹介してマルクスの表現上の工夫が分かるように訳しています。}こうしたことから、政府は、一つの金貨の磨滅の程度によってそれを流通から引き上げて廃貨する基準、金貨として通用する最軽量の量目を法律で決めることになるのです。『経済批判』には次のような説明があります。 

  〈たとえばイギリスの法律によれば、0.747グレーン以上の重量を失ったソヴリン金貨は、もはや法定のソヴリン金貨ではない。1844年と1848年とのあいだだけでも4800万個のソヴリソ金貨を測ったイングランド銀行は、コットン氏の金秤という機械をもっているが、この機械は2個のソヴリン金貨のあいだの100分の1グレーンの差を感じとるだけでなく、まるで理性ある生物のように、量目の足りないソヴリン金貨をただちに台のうえにはじきだし、そこでそれは別の機械のなかにはいって、東洋的なむごたらしさで寸断されてしまうのである。〉 (同91頁) 

  これも大谷氏の説明を紹介しておきます。 

  〈金鋳貨が流通しているかぎり,このような過程の進行を完全に避けることはできないが,国家は,実質金量の減少が或る程度にまで達した鋳貨は鋳貨としての資格を失う,という法律をつくることによって,そのような鋳貨の回収をはかり,鋳貨のそれ以上の軽量化とその事実的固定化を阻しようとする。これが〈通用最軽量目〔loast current weight〕〉の規定である。たとえば、1897年に制定ざれ、1980年に停止されたわが国の「貨幣法」では、それぞれの金貨幣の量目が法定の量目よりも0.55%を下回った鋳貨は貨幣として通用しないものとし、それらの鋳貨は手数料なしに完全量目の鋳貨と引き換えると規定していた。ただし、人為的に傷つけられたと認められるものはその対象外とすることで、盗削などによって軽量化された鋳貨の持ち込みを防ごうとしていた。〉 (同277頁)
 

◎注81
 

  【注81】〈(81)(イ)造幣手数料やその他の細目を論ずることは、もちろん、まったく私の目的外のことである。(ロ)だが、「イギリス政府が無料で鋳造する」という「たいした気まえのよさ」〔44〕を賛嘆するロマン主義のへつらいものアダム・ミュラーにたいしては、サー・ダッドリ・ノースの次のような批判がある。(ハ)「金銀には、他の諸商品と同じに、その干満がある。スペインから多量に到着すると……それは造幣所に運ぼれて鋳造される。やがて輸出されるために地金にたいする需要が再び現われるというのに。もし地金がなくて、たまたま全部が鋳貨になっているとすれば、どうなるか? 再びそれを鋳つぶす。そうしても損はない。というのは、鋳造は貨幣所有者に少しも費用をかけないからである。こうして、国民はひどいめにあわされ、ろばに食わせるために藁(ワラ)をなう費用を支払わされた。もし商人が」(ノース自身もチャールズ2世時代の最大の商人の1人だった)「鋳造料を支払わされたとすれば、彼はよく考えずに彼の銀を造幣所に送ることはしなかったであろう。そして鋳造された貨幣はつねに未鋳造の銀よりも高い価値を保つであろう。」(ノース『交易論』、18ページ。〔久保訳『バーボン=ノース交易論』、106ページ。〕)〉

 

  (イ)(ロ) 造幣手数料やそのたぐいの細目を論ずることは、もちろん、まったく私の目的外のことです。けれども、「イギリス政府が無料で鋳造する」という「たいした気まえのよさ」を賛嘆するロマン主義のへつらいものアダム・ミュラーにたいしては、サー・ダッドリ・ノースの次の批判を掲げておきましょう。 

  鋳造手数料などの細かいことを論じることは必要はないと思いますが、アダム・ミュラーが政府にへつらって「イギリス政府は無料で鋳造する」と「大した気前のよさ」を称賛していることについては、サー・ダッドリ・ノースの次の批判を紹介しておきましょう。
  アダム・ミュラー(1779-1829)については『経済学批判』の人名索引に〈ドイツの政論家,経済学者.封建貴族の利益におうじた,いわゆるロマン派経済学の代表者.アダム・スミスの学説の反対者〉という説明があります。また『経済学批判』の本文の注のなかではこてんぱんに批判されています(付属資料参照)。そのなかでマルクスは皮肉を込めて次のように述べています。 

  〈A.ミュラーがとくに経済学のいわゆる高度の理解に達するのを可能にした事情は二つあった。一つは、経済的諸事実についての彼の広範な無知、いま一つは、哲学にたいする彼のたんなるディレッタント的な惑溺である。〉 (56頁) 

  (ハ)(ニ) 「金銀には、他の諸商品と同じに、その干満がある。スペインから多量に到着すると……それは造幣所に運ぼれて鋳造される。やがて輸出されるために地金にたいする需要が再び現われるというのに。もし地金がなくて、たまたま全部が鋳貨になっているとすれば、どうなるか? 再びそれを鋳つぶす。そうしても損はない。というのは、鋳造は貨幣所有者に少しも費用をかけないからである。こうして、国民はひどいめにあわされ、ろばに食わせるために藁(ワラ)をなう費用を支払わされた。もし商人が」(ノース自身もチャールズ2世時代の最大の商人の1人だった)「鋳造料を支払わされたとすれば、彼はよく考えずに彼の銀を造幣所に送ることはしなかったであろう。そして鋳造された貨幣はつねに未鋳造の銀よりも高い価値を保つであろう。」(ノース『交易論』、18ページ。〔久保訳『バーボン=ノース交易論』、106ページ。〕) 

  ノースの『交易論』からの抜粋は原注77でも出てきました。そこでノースについては『資本論辞典』の説明を紹介しておきました。
  先の原注でもノースが洞察力のある理論家であることを指摘しましたが、ここでもそもそも鋳造費用を地金所有者が支払うことになるなら、彼は安易に地金を造幣所に送ることはしない、もしそんなことになるなら、鋳造された貨幣はつねに未鋳造の地金より価値が高くなるがそんなことはありえない等々と批判しています。ここでノースが〈こうして、国民はひどいめにあわされ、ろばに食わせるために藁(ワラ)をなう費用を支払わされた〉と述べているのは、鋳造費用は政府が負担するが、結局、その費用は国民に押しつけられるのだということではないかと思います。
  なお全集版では〈彼はよく考えずに彼の銀を造幣所に送ることはしなかったであろう。〉となっていますが、新日本新書版では〈彼は思慮もなしに彼の銀をロンドン塔に送りはしなかったであろう。〉となっています。初版やフランス語版も新書版と同じようになっていますので、恐らくマルクスの原文では〈ロンドン塔〉になっているのだと思います。全集版をそれを分かりやすくするために〈造幣所〉としたのだと思います。というのは当時(19世紀のはじめまで)造幣所がロンドン塔内にあったからです。

 (ブログの字数制限をオーバーしましたので、全体を3分割して掲載します。続きは(2)へ。)

 

 

 

 

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『資本論』学習資料No.17(通算第67回)(2)

2019-12-12 17:04:57 | 『資本論』

『資本論』学習資料No.17(通算第67回)(2)


◎第3パラグラフ(金鋳貨から補助鋳貨がでてくる歴史的・技術的事情)

【3】〈(イ)貨幣流通そのものが鋳貨の実質純分を名目純分から分離し、その金属定在をその機能的定在から分離するとすれば、貨幣流通は、金属貨幣がその鋳貨機能では他の材料から成っている章標または象徴によって置き替えられるという可能性を、潜在的に含んでいる。(ロ)金または銀の微小な重量部分を鋳造することの技術上の障害、また、最初はより高級な金属のかわりにより低級な金属が、金のかわりに銀が、銀のかわりに銅が価値尺度として役だっており、したがってより高級な金属がそれらを退位させる瞬間にそれらが貨幣として流通しているという事情は、銀製や銅製の章標が金鋳貨の代理として演ずる役割を歴史的に説明する。(ハ)これらの金属が金の代理をするのは、商品流通のなかでも、鋳貨が最も急速に流通し、したがって最も急速に摩滅するような、すなわち売買が最小の規模で絶え間なく繰り返されるような領域である。(ニ)これらの衛星が金そのものの地位に定着するのを阻止するために、金のかわりにこれらの金属だけが支払われる場合にそれを受け取らなければならない割合が、法律によって非常に低く規定される。(ホ)いろいろな鋳貨種類が流通する特殊な諸領域は、もちろん、互いに入りまじっている。(ヘ)補助鋳貨は、最小の金鋳貨の何分の一かの支払のために金と並んで現われる。(ト)金は、絶えず小額流通にはいるが、補助鋳貨との引換えによって同様に絶えずそこから投げ出される。(82)〉

  (イ) 貨幣流通そのものが、鋳貨の実質純分を名目純分から分離させ、それの金属としての存在をそれの機能するものとしての存在から分離させるのだとすれば、貨幣流通は、鋳貨機能を果たしている金属貨幣を、金属以外の材料から成っている章券や、もろもろのシンボルによって置き替えられるという可能性を、潜在的に含んでいることになります。

  流通過程では、金鋳貨はその身をすり減らし、それが名目的に表している金属純分から分離して行きます。ということは、実際に流通している磨滅した金鋳貨は、それが名目的に表している金貨幣の象徴になって流通手段として機能していることを意味します。だからこうした流通手段として機能するだけのものでしたら、鋳貨としての金属貨幣を、金属以外のものによって置き換えられる可能性を潜在的に含んでいることを意味します。
  大谷氏の説明です。

  〈しかし,このような規定(通用最軽量目という規定--引用者)によって,流通手段としての機能的定在への鋳貨の自立化の過程を完全に阻止することはできないばかりではなく、このような規定そのものが、金の摩滅がきわめて急速な流通部面,つまり商品の売買がきわめて小規模にしかもたえず繰り返される流通部面では,金鋳貨の流通を妨げることになる。そこで,完全量目の金貨の象徴(シンボル)として,同じ重量で金よりも少ない価値しかもたない銀や銅で作られた鋳貨,銀鋳貨や銅鋳貨が人為的に投入される。そのような部面で金貨幣が流通しなければならなかったであろう貨幣額までは,金貨幣は,このような象徴的な鋳貨によって置き換えられることができる。象徴的な鋳貨は.それらの一つ一つが金貨幣の一つ一つに置き代わる、というようにして流通するのではなく、そのような部面のなかではそれらの鋳貨の総体がすべて象徴的な鋳貨として機能することができるのである。つまり、それらの〈章標〉が金鋳貨を代理することができるのである。こうして、価値尺度として機能している商品からなる鋳貨、すなわち〈本位鋳貨〉のほかに,それ以外の金属材料からなる鋳貨が流通するようになる。〉 (277-278頁) 

  (ロ) 歴史的には銀製や銅製の章券が金鋳貨の代理としての役割を果たしましたが、このことは、一つは、金または銀の微小な重量部分を鋳造することが技術的に困難であったことから、また一つは、最初はより高級な金属ではなくてより低級な金属が、つまり金ではなくて銀が、銀ではなくて銅が価値尺度として役だっていたので、より高級な金属がより低級な金属を退位させた時点でも、より低級な金属が貨幣として流通していた、という事情から説明されます。

  歴史的にはこうした代替物は、銀製や銅製のものが現われましたが、それは小口取り引きで必要とされる少額の価値を表すわずかの金を鋳貨として鋳造することの技術的な困難があったことが一つの理由です。もう一つの理由は、たいていの国で、最初はより低級の金属である銅が、そしてそのあと銀が価値尺度として通用していたからです。そしてより高級な金属が低級な金属を価値尺度の地位から奪っても、より低級な金属が貨幣として通用していたという事情から説明されるのです。
  この部分は『経済学批判』の一文を紹介しておきましょう。

  〈補助鋳貨が銀や銅などの金属表章から成りたっているのは、おもにこういう事情、イングランドでの銀、古代ローマ共和国、スウェーデン、スコットランド等での銅のように、たいていの国でははじめは価値の低い金属が貨幣として流通していたのに、あとになって流通過程がそれを補助貨の地位に引きおろして、その代わりにもっと価値の高い金属を貨幣とした、という事情に由来している。そのうえに、金属流通から直接に生じる貨幣象徴がさしあたりそれ自身また一つの金属であったのも、当然のことである。〉 (94頁)

  (ハ) より低級なこれらの金属が金に置き換わるのは、商品流通のなかでも、鋳貨が最も急速に流通し、したがってまた最も急速に摩滅するような、すなわち売買が最小の規模でたえまなく繰り返されるような領域です。

  こうしたより低級な金属が金に置き換わるのは、すでに述べましたように、小口の取り引きが行なわれる部面です。そこでは売買が最小の規模でたえまなく繰り返され、商品流通が活発であるため、鋳貨ももっとも急速に流通し、それだけ急速に磨滅するからです。

  (ニ) これらの衛星が金そのものの地位に定着するのを阻止するために、金のかわりにこれらの金属だけが支払われる場合にそれを受け取らなければならない比率が、法律によって非常に低く規定されます。

  これらの金鋳貨に代わって流通する補助鋳貨は金鋳貨と一緒に流通し、いわば金鋳貨の周りを回る衛星のようなものですが、しかしそうした衛星が大量に出回って金鋳貨の地位を脅かすほどになるのを防ぐために、金鋳貨の代わりにこれらの補助的な鋳貨だけが支払われる場合にはその比率が法律によって制限されて、非常に低く規定されているのです。これも『経済学批判』の一文を紹介しておきましょう。

  〈金鋳貨はそれの貨幣としての資格を奪う金属滅失の法律規定によって、鋳貨としての機能に固定することを妨げられているのであるが、逆に銀表章や銅表章は、それらが法律上実現する価格の程度を規定されているので、自分の流通部面から金鋳貨の流通部面に移って、貨幣として固定するのを妨げられている。たとえばイギリスでは、銅貨はわずか6ペンスの額まで、銀貨はわずか40シリングの額まで、支払にさいして受け取る義務があるだけである。〉 (93頁)

  またこの部分に関連する大谷氏の説明も紹介しておきます。

  〈しかし,銀貨や銅貨が無制限に流通にはいり,しかも小規模流通部面を越えて高額取引の部面にまで侵入するようになれば,金鋳貨ないし金地金は姿を消して,取引はもっぱら銀・銅貨によって行なわれるようになり,それらが金の独占的な地位を奪いとることになる可能性があるので,法律で,それらの鋳貨によって支払われる場合に一回の支払で受け取らなければならない貨幣額をきわめて低く限定することが行なわれる。たとえば、わが国の貨幣法では、銀貨は10円まで、ニッケル貨は5円まで、青銅貨は1円までが〈法貨〉として通用するものとしていた。つまり,受け取り手は,これらの額を越える金額については,これらの鋳貨で受け取ることを拒否して,金貨での支払を請求することができたのである。このように〈本位貨幣〉以外の鋳貨は,補助的な流通手段であるから,〈捕助鋳貨〉と呼ばれるのである。〉 (278頁)

  (ホ)(ヘ)(ト) 違った鋳貨種類が流通するもろもろの特殊な圏域--例えば主として大口取引が行われる圏域と小売りの圏域--は、もちろん、互いに交錯しています。補助鋳貨は、最小の金鋳貨の何分の一かの支払のために、金と並んで現われます。金は、絶えず小口の流通にはいりこみますが、補助鋳貨と引換えられることによって、同様にたえず小口の流通から投げ出されます。

 こうして実際の商品流通においては、金鋳貨と並んでさまざまな種類の補助鋳貨が流通しています。しかし流通には主に大口の取り引きが行なわれるところと主に小口の取り引きが行なわれるところとがあり、互いに混在しています。補助鋳貨はもっぱら小口の小売りの領域で使われ、あるいは金鋳貨での支払の端数を埋めるものとして使われます。金鋳貨もたえず小口の流通に入り込みますが、すぐに小口取り引きでは便利な補助鋳貨に両替えされて、小口の流通から吐き出されるのです。

◎注82

【注82】〈(82)「もし銀貨が、小額支払用に必要な量をけっして越えないならば、それを集めても大額支払用に十分な量にすることはできない。……大口の支払での金の使用は、必然的に、小売取引での金貨の使用をも含んでいる。金貨をもっている人々は、小額の買い物でもそれを差し出して、買った商品といっしょに釣銭を銀貨で受け取るからである。こういうやり方で、そうでなければ小売商人を悩ますであろうこの余分な銀貨が引きあげられて、一般的流通に散布されるのである。しかし、もし金貨に頼らずに小額の支払を処理できるほど多くの銀貨があるとすれば、小売商人は小額の買い物にたいしては銀貨を受け取らなければならない。そうすれば、銀貨はどうしても彼の手にたまらざるをえないのである。」(デーヴィッド・ビュキャナン『イギリスの租税および商業政策の研究』、エディンバラ、1844年、248、249ページ。)〉

  この原注は先のパラグラフの末尾につけられたものですが、主要には〈いろいろな鋳貨種類が流通する特殊な諸領域は、もちろん、互いに入りまじっている。補助鋳貨は、最小の金鋳貨の何分の一かの支払のために金と並んで現われる。金は、絶えず小額流通にはいるが、補助鋳貨との引換えによって同様に絶えずそこから投げ出される〉という文章全体に対する注ではないかと思います。
  すべてがビュキャナンの著書からの抜粋なので、平易な書き下しは不要と思います。
  ビュキャナンは金鋳貨と補助鋳貨の銀貨とが実際に商品流通で〈互いに入りまじっている〉さまを、〈補助鋳貨は、最小の金鋳貨の何分の一かの支払のために金と並んで現われる〉ことを具体的に紹介しているように思えます。しかしその内容には特に解説を必要とするものはないと思います。ここではビュキャナンについて『資本論辞典』の説明を簡略化して紹介しておきましょう。

   〈ビュキャナン、David Buchanan(1779-1848)スコットランドの経済学者・ジャーナリスト。経済学者としては、スミスの『国富論』の新しい版を編集。『国富論』の新しい版におけるピュキャナンは,経済学史の上からいえば, リカードと同じように,大体において, 1776年に公けにされたスミスの『国富論』における経済学説を継承擁護し,かつその不備な点を訂正して.経済学を前進せLめるべき立場に立ち,そして事実そのような功績のあった人であったが,ただしリカードには及ばず, したがってA ミスからリカードへの発展の途上における一中間項となった人ということができる.そのようなビュキャナンの功績の最大のものは,地代の性質の一部を解明Lたことである.ビュキャナンには,累進税制弁護論をもふくめて,なおこのほかにもいくつかの功績が数えられている. 非科学的批判にたいしてスミスの学説を弁護していることも,その一つといえよう.しかしビュキャナンには.一方において欠陥や,特にスミスより退歩したところもあった.スミスにおける労働による価値の規定およびそれを基礎とする利潤等の説明を理解せず.むしろそれを否認したこと.賃銀は労働力の需給関係によって規定され.食糧の価格に依存しないと考えていたこと.賃銀の騰貴は工業生産物の価値を騰貴せしめると考えていたこと,農業生産物は地代を支払うがゆえに独占価格をもつと考えていたこと等が,その主なものである. マルクスも彼の二つの著書にいく度か言及している.そLて地代の性質をあきらかにし,それを基礎として.フィジオクラートやスミスの誤りを訂正した点を称揚し,'フィジオクラートの偉大なる反対者'といっており、また貨幣.賃金,本源的蓄積,生産的労働関係の細目をあきらかにした功績を認めている。(末永茂喜)〉(534-535頁)

◎第4パラグラフ(補助鋳貨から紙券へ)

【4】〈(イ)銀製や銅製の章標の金属純分は、法律によって任意に規定されている。(ロ)それらは、流通しているうちに金鋳貨よりももっと速く摩滅する。(ハ)それゆえ、それらの鋳貨機能は事実上それらの重量にはかかわりのないものになる。(ニ)すなわち、およそ価値というものにはかかわりのないものになる。(ホ)金の鋳貨定在は完全にその価値実体から分離する。(ヘ)つまり、相対的に無価値なもの、紙券が、金に代わって鋳貨として機能することができる。(ト)金属製の貨幣章標では、純粋に象徴的な性格はまだいくらか隠されている。(チ)紙幣では、それが一見してわかるように現われている。(リ)要するに、困難なのはただ第一歩だけだ〔ce n'est que le premier pas qui coùte〕というわけである。〉

  (イ) 銀製や銅製の券の金属純分は、法律によって任意に規定されています。

  金鋳貨は度量標準にしたがって、その金属純分によってそれに刻印される名称が決まってきます。例えば金750㎎が1円というように。しかし補助鋳貨である銀製や銅製の標章の場合は、それがどれだけの金属純分を含んでいるかは、政府によって任意に決められています。つまり補助鋳貨に刻印されている名称は、その金属純分(銀や銅)の量とはその限りでは無関係なのです。

  (ロ)(ハ)(ニ) それらは、流通しているうちに金鋳貨よりももっと速く摩滅します。ですから、それらの鋳貨機能は事実上それらの重量にはかかわりのないものに、すなわち、およそ価値とはかかわりのないものになります。

  補助鋳貨はすでに述べましたように、主に小売りの小口取り引きで使われるために、目まぐるしく人の手から手へ移されることから、金鋳貨よりより一層磨滅します。ですから、それらの鋳貨としての機能は、ますますその重量とはかかわりのないものに、つまりそれが持っている価値とは何の関係もないものに事実としてもなってきます。

  ここらあたりの大谷氏の説明です。

  〈補助鋳貨は,金属材料でできており,社会的必要労働時間によって規定される一定の価値をもっている。しかし,それらが金鋳貨の象徴であるのは,それらがそれだけの価値をもっているからではなく,むしろ逆に金鋳貨ほどの価値をもっていないからこそ,象徴の地位にとどまって,金の代理をすることができるのである。だから,補助鋳貨については〈通用最軽量目〉の規定はありえない。補助鋳貨は,むしろなんらの価値をもつ必要もないのでである。〉 (278頁)

  (ホ)(ヘ) 金の鋳貨としての存在はそれの価値実体から完全に離れます。だから、相対的に無価値なもろもろの物が、つまりはもろもろの紙券が、金に代わって鋳貨として機能することができるのです。

  こうして金の鋳貨としての存在は、まずはその磨滅から名目純分と離れ、補助鋳貨としては金そのものから離れて象徴化しますが、ますます相対的に無価値なもろもろの物がそれにとって代わり、ついには何の価値ももたない紙券が、金に代わって鋳貨として機能することになります。
  この部分はフランス語版ではここで改行が入り、次のようになっています。

  〈それにもかかわらず、そしてこれが重要な点であるが、それらは金鋳貨の代理人として機能しつづける。自己の金属価値から全面的に解放された金の鋳貨機能は、金の流通自体の摩擦によって産み出された現象である。金はこの機能では、紙券のような相対的になんの価値もない物によって、代理されうる。〉 (江夏・上杉訳107頁)

  (ト)(チ) 金属製の貨幣章券では、純粋に象徴的な性格はまだいくらか隠されています。紙幣では、そうした性格が一見してわかるように現われています。

  補助鋳貨としての銀貨や銅貨では、まだそれらが金属からなっていることから、それらが金鋳貨のたんなるシンボルであるということはいくらか隠されています。しかし紙券になると、そうした性格が一見してわかるようになっています。
  ここらあたりの大谷氏の説明です。

  〈そこで,紙券のような相対的に無価値なもの、つまり金属鋳貨と比べれば無価だと言ってもいいほど価値がないものが、金に代って鋳貨として機能することができるのである。金属製の象徴的貨幣では,わずかとはいえそれらが価値をもっているがゆえに,それの純粋に象徴的な性格はまだいくらか隠されている。紙幣では,それが一見してわかるように現われている。〉 (278-279頁)

  (リ) 「つらいのは最初の一歩だけ」〔ce n'est que le premier pas qui coùte〕というわけです。

  このフランス語の直訳は「費用がかるのは最初の一歩のみ」となるそうですが、なぜ、この一文が最後についているのでしょうか。
  これは金鋳貨が最初に流通過程に一歩踏み込んだ瞬間から、その象徴化への道を歩みだすのだ、ということを言いたかったのではないかと思います。『経済学批判』の一文を紹介しておきましょう。

  〈国内流通の一定の部面で金鋳貨を代理する銀表章と銅表章とは、法定の銀実質〔純分〕と銅実質とをもってはいるが、流通に引きこまれると、それらは金鋳貨と同じように摩滅し、それらの流通の速度と絶えまなさにおうじて、もっと急速に観念化され、たんなる影のからだとなる。ところで、もしふたたび金属喪失の限界線がひかれて、その線に達すると銀表章と銅表章は、それらの鋳貨の性格を失うものとすれば、それらの表章は、自分自身の流通部面そのものの一定の範囲内で、さらに他の象徴的貨幣、たとえば鉄や鉛によって置き換えられなければならないであろうし、象徴的貨幣の他の象徴的貨幣によるこのような表示は、終わりのない過程であろう。だから流通の発達したすべての国では、貨幣流通そのものの必要から、銀表章と銅表章との鋳貨性格は、それらの金属滅失の程度とは無関係とされざるをえないのである。そこでことの性質上当然のことであるが、それらが金鋳貨の象徴であるのは、それらが銀または銅でつくられた象徴であるからではなく、またそれらがある価値をもっているからではなく、かえってなんらの価値をももっていないかぎりでのことだ、というように現われる。
  こうして、紙券のような相対的に無価値なものが、金貨幣の象徴として機能できるのである。〉 (全集第13巻93-94頁)

  最後に大谷氏の説明も紹介しておきます。

  〈さて,いつでも小額流通を媒介するために流通しなければならないはずの金の部分が金属の小額補助鋳貨によって置き換えられることができるのとまったく同様に,いつでも国内流通の部面で流通しなければならないはずの金の部分は,さまざまの種類の紙製の無価値な章標によって置き換えられることができる。ここでも、それらの紙券は、その一つ一つが金鋳貨の一つ一つに置き代わる、というようにして流通するのではなくて、流通しなければならないはずの金貨の量の範囲内で、それらの総体がすべて金貨幣の象徴として通用するものとなっているのである
  このようにして、金属鋳貨の名目純分と実質純分とのあいだの、最初のうちは目に見えない差異が、絶対的分離にまで進むことができる。諸商品の価値が、諸商品の交換過程を通じて、金貨幣に結晶したのと同じように、金貨幣は、流通のなかで、はじめは磨滅した金鋳貨の形態をとり、次には補助金属鋳貨の形態をとり、そして最後には無価値な紙券の形態をとって、それ自身の象徴に昇華していく。こうして、貨幣の鋳貨名は、貨幣の金属実体から離れて、無価値な紙券のうちにあることになる。〉
(279頁)

◎第5パラグラフ(問題にするのは強制通用力のある国家紙幣だけである)

【5】〈(イ)ここで問題にするのは、ただ、強制通用力のある国家紙幣だけである。(ロ)それは直接に金属流通から生まれてくる。(ハ)これに反して、信用貨幣は、単純な商品流通の立場からはまだまったくわれわれに知られていな諸関係を前提する。(ニ)だが、ついでに言えば、本来の紙幣が流通手段としての貨幣の機能から生ずるように、信用貨幣は、支払手段としての貨幣の機能にその自然発生的な根源をもっているのである。83〉

 (イ)(ロ) ここで問題にするのは、強制通用力をもつ国家紙幣だけです。それは金属流通から直接に生まれてきます。

  さて私たちはこれから紙幣について、その流通の独自の法則を問題にするのですが、私たちがここで扱うものは、国家によって強制通用力を与えられた国家紙幣だけです。紙幣はすでに見ましたように、金鋳貨の流通手段の機能から生まれてきます。
 ここで〈強制通用力〉という言葉が出てきますが、『経済学批判』には次のような一文があります。

 〈相対的に無価値なある一定のもの、革片、紙券等々は、はじめは慣習によって貨幣材料の章標となるのであるが、しかしそれがそういう章標として自分を維持できるのは、象徴としてのその定在が商品所有者たちの一般的意志によって保証されるからにほかならず、すなわちそれが法律上慣習的な定在を、したがって強制通用力を受け取るからにほかならない。強制通用力をもつ国家紙幣は、価値章標の完成された形態であり、金属流通または単純な商品流通そのものから直接生じる紙幣の唯一の形態である。〉 (全集第13巻96頁)

  これを見るとまずは紙券が金鋳貨の章標となるのは、最初は慣習によるが、しかしその章標としての定在を維持できるためには、交換当事者である商品所有者たちの一般的意志によって保証されことが必要であり、さらにはそれが法律的慣習的な定在となることによって、強制通用力を持つことがわかります。国家紙幣とは、国家が商品所有者たちの一般的意志を代表して、法律によって強制通用力を保証するものといえます。
  これに関連する大谷氏の説明も見ておきましょう。

  〈ここで〈紙幣〉と呼んでいるのは,ただ,〈強制通用力〉(それで支払われれば受け取らなければならないという強制力)をもった〈国家紙幣〉だけである。無価値な紙券が貨幣章標として流通するためには,それを金の象徴と認める商品所持者たちの共通の意志が必要なので,国家が法によって,強制通用力というかたちで,紙券に客観的に社会的な妥当性を与えるのである。一見すると、紙券はただ強制通用力という国家による強制によってだけ流通するかのように見えるが、実際には、流通手段としての貨幣が自立化されて、金属実体から分離された機能的な存在様式を受け取ることができるところにその流通の根拠があるのであって、強制通用力は、その象徴性を社会的に保証するものにすぎない。価値章標としての紙幣は、商品流通そのものが生み出すものであって、人びとの合意や国家意志によって生み出されるものではないのである。〉 (280-281頁)

 (ハ) これに反して、信用貨幣は、私たちがいま立っている単純な商品流通の立場ではまだまったく知られていない諸関係があって、はじめて生まれるものです。

  それに対して、信用貨幣、これは銀行券だけではなく、手形や小切手などの商業貨幣もそれに含まれますが、そうしたものは私たちがいま扱っている単純な商品流通のなかではまだまったく知られていない諸関係があってはじめて生まれてくるものであり、そこで解明されるべきものです。これも『経済学批判』の一文を紹介しておきましょう。

  信用貨幣は、社会的生産過程のもっと高い部面に属するものであって、まったく別の諸法則によって規制される。象徴的紙幣は、実際には補助的金属鋳貨と全然違うものではなく、ただもっと広い流通部面で作用するだけである。〉 (同96頁)

  〈象徴的紙幣は、実際には補助的金属鋳貨と全然違うものではな〉い、というのは、これまでの金鋳貨からその補助貨幣としての銀貨や銅貨、そしてさらに紙幣へという展開を考えるなら納得が行きます。いずれも金鋳貨の象徴であり、ただその材料が異なるに過ぎないだけですが、ただここでは紙幣の方が〈もっと広い流通部面で作用する〉とその違いが述べられています。これは例えばこのあとで紹介する『資本論』第1部「b 支払い手段」からの引用文を参照して頂ければ分かると思います。そこには〈この形態にある貨幣は大口商取引の部面を住みかとし、他方、金銀鋳貨は主として小口取引の部面に追い帰されるのである〉とあります。

  これに関連する大谷氏の説明を紹介しておきましょう。

  〈ふつうわれわれが〈紙券〉と呼んでいるものには、このほかに銀行券がある。銀行券とは,もともとは,発行銀行がそれをその券面に書かれている貨幣量と無条件に交換する(兌換する)ことを約束した紙券であった。このような〈兌換銀行券〉は,信用制度あるいは銀行制度という,ここではまだまったく論じることができない高度に複雑な資本主義的機構のもとで生まれてくるものであるから,本格的には,信用制度あるいは銀行制度を論じるところで説明することにしよう。しかし,国家紙幣が流通手段としての貨幣の機能かち生じるのにたいして,銀行券の流通の根拠は、のちに見る支払手段としての貨幣の機能にあるので、支払手段のところでも,銀行券に簡単に触れるであろう。〉 (280頁)

  (ニ) でも、ついでに言っておけば、本来の紙幣が流通手段としての貨幣の機能から生ずるように、信用貨幣は、このあとすぐに見る、支払手段としての貨幣の機能にその自然発生的な根源があるのです。

  ただいつでに述べておくと、本来の紙幣がすでに言いましたように、流通手段としての貨幣の機能から生まれるのに対して、信用貨幣は、このあと「第3節 貨幣」の「b 支払手段」のところで問題になる支払手段としての貨幣の機能に自然発生的な根源があるのです。といってもそこで信用貨幣が直接問題になるわけではありません。あくまでも自然発生的な根源がそこにあるということです。
  少し先走りしますが、『資本論』第1部「b 支払い手段」の一節を紹介してきましょう。

  〈信用貨幣は、支払手段としての貨幣の機能から直接に発生するものであって、それは、売られた商品にたいする債務証書そのものが、さらに債権の移転のために流通することによって、発生するのである。他方、信用制度が拡大されれば、支払手段としての貨幣の機能も拡大される。このような支払手段として、貨幣はいろいろな特有な存在形態を受け取るのであって、この形態にある貨幣は大口商取引の部面を住みかとし、他方、金銀鋳貨は主として小口取引の部面に追い帰されるのである。〉 (全集第23巻a182頁)

  大谷氏の説明を最後に紹介しておきます。

  〈要するに,ここで紙券として国家紙幣だけを取り上げたのは,これだけが,金属貨幣が流通を媒介している単純な商品流通そのものから生まれてくる紙券であって,それ以外の,兌換銀行券,不換銀行券,等々は,社会的生産過程のもっと高度な部面、つまり資本主義的な生産過程のもとで形成される信用制度に属するものだからである。〉 (281頁)

◎注83

【注83】〈83 (イ)財務官の王茂蔭〔一九世紀の中ごろの清朝の戸部侍郎〕は、シナの国家紙幣を兌換銀行券に変えることをひそかなねらいとした一案を天子に呈しようと思いついた。(ロ)1854年4月の紙幣委員会の報告では、彼は手ひどくきめつけられている。(ハ)例によって、彼が竹の答でめちゃくちゃにたたかれたかどうかということまでは、述べられてはいないが。(ニ)報告は最後に次のように述べている。(ホ)「委員会は、彼の案を入念に検討した結果、この案ではいっさいが商人の利益になってしまい皇帝に有利なものはなにもないということを見いだした。」(『北京駐在ロシア帝国公使館のシナに関する研究』。ドクトル・K・アーベルおよびF・A・メクレンブルクによるロシア語からの翻訳。第1巻、ベルリン、1858年、54ページ。)(ヘ)流通による金鋳貨の不断の摩滅について、イングランド銀行の或る「総裁」は、「上院委員会」(『銀行法』に関する) で証人として次のように述べている。(ト)「毎年一部の新しいソヴリン」(政治上のそれではなく、ソヴリンとはポンド・スターリングの名称である) 「が軽すぎるようになる。ある年に量目十分として通る部類が、翌年は天秤の反対側の皿が下がるほどまで摩滅してしまう。」(上院委員会、1848年、第429号。)〉

  (イ)(ロ)(ハ)(ニ) 財務官の茂蔭〔一九世紀の中ごろの清朝の戸部侍郎〕は、中国の国家紙幣を兌換銀行券に変えることをひそかなねらいとした一案を天子に呈しようと思いつきました。1854年4月の紙幣委員会の報告では、彼は手ひどくきめつけられています。例によって、彼が竹の答でめちゃくちゃにたたかれたかどうかということまでは、述べられてはいませんが、報告は最後に次のように述べています。

  この原注83は第5パラグラフ全体への原注と考えられますが、あまり関連ははっきりしません。国家紙幣だけを問題にするということから、国家紙幣を兌換銀行券に変えようとした中国のある財務官の逸話が取り上げられていますが、その内容についても今一つ関連がそれほど明確とはいえないように思えます。ここで〈清朝の戸部侍郎〉というのは、19世紀中頃の清朝の財務大臣のことだそうです。
  結局、この財務官の狙いは、大臣の審議会にかけられて、退けられたようですが、その理由というのは次のようなもののようです。

  (ホ) 「委員会は、彼の案を入念に検討した結果、この案ではいっさいが商人の利益になってしまい皇帝に有利なものはなにもないということを見いだした。」(『北京駐在ロシア帝国公使館のシナに関する研究』。ドクトル・K・アーベルおよびF・A・メクレンブルクによるロシア語からの翻訳。第1巻、ベルリン、1858年、54ページ。)

  これは紙幣審議会の報告の最後に書かれているもののようですが、国家紙幣を兌換銀行券に変えようとするのは、商人だけを利して皇帝には益なしということのようです。確かに兌換銀行券だと国家の保有する銀あるいは金との交換が保証されることになり、その限りでは皇帝は恣意的に紙幣を発行することはできず、また金や銀との兌換が保証されれば、その「価値」の変動は制限され、紙幣が乱発されれば、紙幣の「減価」が生じて、商人にしわ寄せ生じるので、それが無くなることは商人に取って利益でしょう。ということはこの紙幣審議会は問題を正しく理解していたことになりますが、果たしてどうでしょうか。

  (ヘ)(ト) 流通による金鋳貨の不断の摩滅について、イングランド銀行の或る「総裁」は、「上院委員会」(『銀行法』に関する) で証人として次のように述べている。(ト)「毎年一部の新しいソヴリン」(政治上のそれではなく、ソヴリンとはポンド・スターリングの名称である) 「が軽すぎるようになる。ある年に量目十分として通る部類が、翌年は天秤の反対側の皿が下がるほどまで摩滅してしまう。」(上院委員会、1848年、第429号。)

  ここでは突然、〈流通による金鋳貨の不断の摩滅〉が問題にされています。これも第5パラグラフとの関連が今一つよく分かりません。しかし述べられていることはただ事実だけで、あまり論じる必要もないでしょう。ようするに金鋳貨は不断に磨滅しているという事実が議会証言で確認されているというだけですが、同じことは『経済学批判』でも次のように指摘されています。

  〈ジェーコブは、1809年にヨーロッパに存在していた3億8000万ポンド・スターリングのうち、1829年には、つまり20年のあいだに、1900万ポンド・スターリングが摩滅によって完全に消滅したと推定している。〉 (全集第13巻89頁)

  なお〈(政治上のそれではなく、ソヴリンとはポンド・スターリングの名称である)〉とあるのは単なる語呂合わせで、英語の「ソヴリン」は「君主」の意味ですが、同時に「ソヴリン」は1ポンド・スターリング貨幣の名称でもあるということです。また、ここで〈「上院委員会」(『銀行法』に関する)〉という部分は新日本新書版には『銀行法』ではなく、「商業不況」の誤りだという指摘があります。フランス語版は〈上院(銀行法委員会)に証人として召喚されたイングランド銀行総裁は〉となっています。これは何が正しいのかはよく分かりません。

 

   (付属資料は(3)に掲載します。)

 

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『資本論』学習資料No.17(通算第67回)(3)

2019-12-12 16:37:30 | 『資本論』

『資本論』学習資料No.17(通算第67回) (3)

  

 【付属資料】 

 

●第1パラグラフ

 

《経済学批判》

  〈金は流通手段としてのその機能では、独自なかたちをとり、それは鋳貨となる。金はその流通を技術上の諸困難によって妨げられないように、計算貨幣の度量標準にしたがって鋳造される。貨幣の計算名であるポンド、シリング等々であらわされた金の重量部分をふくんでいることをその極印と形状とで示す金片が、鋳貨である。鋳造価格の決定ならびに鋳造の技術的事務も、国家の担当となる。計算貨幣としての貨幣がそうであるように、鋳貨としての貨幣も、地方的な政治的な性格をもち、いろいろな国の国語を語り、いろいろな国民的制服をまとう。だから、貨幣が鋳貨として流通する範囲は、ある共同社会の境界によってかこまれた国内的商品流通として、商品世界の一般的流通から区別される。〉(全集第13巻87頁)
  〈価格の度量標準または鋳造価格のたんに技術的な発展と、さらに金地金の金鋳貨への外面的な変形とは、それだけで国家の干渉をひきおこし、それによって国内流通が一般的商品流通からはっきり分離したのであるが、この分離は、鋳貨の価値章標への発展によって完成される。たんなる流通手段としては、貨幣は一般にただ国内流通の部面内においてだけ独立しうるにすぎない。〉(同96頁)

《初版》 

  〈流通手段としての貨幣の機能からは、貨幣の鋳貨姿態が生ずる。商品の価格すなわち貨幣名のうちに表象されている金の重量部分は、流通のなかでは、同名の金片または鋳貨として商品に相対しなければならない。価格の尺度標準の確定と同様に、鋳造の業務は国家に帰属している。金銀が鋳貨として身につけても世界市場では再び脱ぎ捨てるさまざまな国民服にあっては、商品流通の内的すなわち国民的部面とそれの一般的な世界市場部面とのあいだの分離が、現われている。〉(江夏訳118頁) 

《フランス語版》 

  〈鋳貨は、貨幣が流通手段として果たす機能から生まれる。たとえば、公定の尺度標準にしたがい商品の価格すなわち商品の貨幣名で表現される金の重量は、同じ名称の金片として、あるいは鋳貨として、市場で商品に対面しなけれぽならない。貨幣鋳造は、価格の尺度標準の確定と同じく、国家の果たさなければならない仕事である。金や銀が鉾貨として身につけても世界市場では脱ぎ捨てるさまざまな国家的制服は、商品流通の国内的すなわち国家的部面と商品流通の全般的部面との分離を、まさに示している。〉(江夏・上杉訳105頁)
 

●第2パラグラフ
 

《経済学批判》

   〈しかし、地金状態の金と鋳貨としての金との区別は、金の鋳貨名と金の重量名との区別にすぎない。後者の場合に名称の区別であるものが、いまやたんなる形状の区別として現われる。金鋳貨は、坩堝のなかに投げこまれて、ふたたび簡単明瞭な〔sans phrase〕金に転化されることができるし、逆に金地金は、鋳貨形態をとるためには、ただ造幣局に送られさえすればよい。一つの形状から他の形状への転化と再転化とは、純粋に技術上の操作として現われる。22カラットの金1000ポンド、すなわち1200トロイ・オンスと引き換えに、イギリスの造幣局から4672ポンド・スターリング2分の1、すなわちそれだけのソヴリン金貨を受け取り、これらのソヴリン金貨を天秤皿の一方にのせ、100ポンドの金地金を他方にのせるならば、両方は釣合いがとれて重量は等しい。こうしてソヴリン金貨とは、イギリスの鋳造価格においてこの名称で示され、かつ独自の形状と独自の極印とをもっている金の重量部分にほかならないことが証明される。〉(同88頁)  
   〈けれども、貨幣流通は外界の運動であって、ソヴリン金貨はにおいはしない〔non olet〕にしても、仲間といっしょにまじってうろつきまわっている。鋳貨は、あらゆる種類の手や巾着やポケットや財布や胴巻や袋や小箱や大箱とこすりあって身をすりへらし、あちらこちらに金の分子をくっつけ、こうして世渡りするうちにすりへって、ますますその内部の実質を失ってゆく。鋳貨は使われることによって、使いへらされる。〉(同88-89頁)
  〈ジェーコブは、1809年にヨーロッパに存在していた3億8000万ポンド・スターリングのうち、1829年には、つまり20年のあいだに、1900万ポンド・スターリングが摩滅によって完全に消滅したと推定している。だから、商品は流通のなかに踏みいれた第二歩でそこから脱落するのに、鋳貨は流通のなかを二、三歩進めば、それがもっているよりも多くの金属実質を代表するのである。流通速度が同一不変ならば、鋳貨が長く流通すればするほど、また同一の時間内にその流通が活発になればなるほど、鋳貨の鋳貨としての定在は、その金または銀としての定在からはなれる。残るものは、偉大なる名称の影〔magni nominis umbra〕である。鋳貨の身体は、もはや影にすぎない。鋳貨は、最初は過程によって重みをくわえたが、いまや過程によって軽くなる。しかもどの個々の購買や販売でも、もとの金量として通用しつづけるのである。ソヴリン金貨は、仮象のソヴリン金貨として、仮象の金として、適法な金片の機能をひきつづき果たす。ほかのものは外界との摩擦によってその理想主義(イデアリスムス)を失うのに、鋳貨は実践によって観念化(イデアリジーレン)され、その金や銀の身体のたんなる仮象の定在に転化されるのである。流通過程そのものによってひきおこされる金属貨幣のこのような第二の観念化、すなわちその名目的な実質〔純分〕と実在的な実質との分離は、一部は政府、一部は私的な投機家たちによって種々さまざまな貨幣変造に利用しつくされる。中世のはじめから一八世紀にはいってずっとあとまでの鋳貨制度の全歴史は、こういう二面的で敵対的な変造の歴史に帰着するのであって、クストディの編集したイタリアの経済学者たちの浩潮な論集は、大部分がこの点にかんするものである。〉(同89-90頁)
  〈けれども、その機能の内部での金の仮象の定在は、その現実的定在と衝突するようになる。流通において、ある金鋳貨はその金属実質のより多くを失い、他の金鋳貨はそれをすこししか失っていないので、したがってあるソヴリン金貨はいまや事実上、他のソヴリン金貨よりもより多くの価値をもつ。だがそれらは、鋳貨としてのその機能上の定在では同じ量目のものとして通用し、4分の1オンスのソヴリン金貨も、4分の1オソスあるように見えるだけのソヴリン金貨以上には通用しないのだから、完全量目のソヴリン金貨の一部分は、良心のない所持者の手で外科手術をうけ、流通そのものが量目の軽い兄弟たちにたいして自然におこなったことが、それらにたいしては人為的になされるのである。それらはけずりとられ、その余計な金の脂肪は坩堝のなかへはいってゆく。もし4672個半のソヴリン金貨を天秤皿のうえにのせたとき、それが平均して1200オンスではなく800オンスの重量しかなかったとすれば、金市場にもっていけば、それはもはや800オンスの金しか買えないであろう。すなわち、金の市場価格はその鋳造価格以上に騰貴するであろう。どの貨幣片も、たとえ完全量目のものでも、その鋳貨形態では、その地金形態でよりも少ない価値としてしか通用しないであろう。完全量目のソヴリソ金貨は、多量の金が少量の金よりも多くの価値をもつその地金形態にもどされるであろう。こういう金属実質以下への下落が、金の市場価格のその鋳造価格以上への持続的騰貴をひきおこすほど、十分な数のソヴリソ金貨に及ぶようになると、鋳貨の計算名は同じままであろうが、それは今後はより少ない金量を示すことになろう。言いかえるならば、貨幣の度量標準が変更されて、金は今後はこの新しい度量標準にしたがって鋳造されるであろう。金は流通手段としてのその観念化によって、反作用的に、それが価格の度量標準として保っていた法定の比率を変えてしまったことになろう。同じ革命はある期間のあとでくりかえされ、こうして金は、価格の度量標準としてのその機能においても、流通手段としてのその機能においても、不断の変動をこうむるのであって、一方の形態での変動は他方の形態での変動をもたらし、またその逆は逆をもたらすであろう。このことは、さぎに述べた現象、すなわちすぺての近代諸国民の歴史のうえで、金属実質がたえず減少するのに、同じ貨幣名がそのまま残ってきたという現象を説明する。鋳貨としての金と価格の度量標準としての金とのあいだの矛盾は、同じようにまた、鋳貨としての金と一般的等価物としての金とのあいだの矛盾となるが、一般的等価物としての金は、たんに国境の内部でだけでなく、世界市場でも流通するのである。価値の尺度としては、金はただ観念的な金としてだけ役目を果たしたのであるから、いつも完全量目であった。孤立した行為W-Gでの等価物としては、金はその動的な定在からただちにその静的な定在に復帰するが、しかし鋳貨としては、金の自然的な実体はたえずその機能と衝突する。ソヴリン金貨の仮象の金への転化を完全に避けることはできないが、しかし立法は、実体の不足がある程度に達したときに、それを回収することによって、それが鋳貨として固定することを阻止しようとする。たとえばイギリスの法律によれば、0.747グレーン以上の重量を失ったソヴリン金貨は、もはや法定のソヴリン金貨ではない。1844年と1848年とのあいだだけでも4800万個のソヴリソ金貨を測ったイングランド銀行は、コットン氏の金秤という機械をもっているが、この機械は2個のソヴリン金貨のあいだの100分の1グレーンの差を感じとるだけでなく、まるで理性ある生物のように、量目の足りないソヴリン金貨をただちに台のうえにはじきだし、そこでそれは別の機械のなかにはいって、東洋的なむごたらしさで寸断されてしまうのである。〉(同90-91頁) 

《初版》 

  〈このようにして、金鋳貨と金地金とは生来外形によってのみ区別されるのであって、金は、絶えず一方の形態から他方の形態に変わることができる(65)。とはいっても、造幣所からの道は同時に坩堝への道でもある。すなわち、金鋳貨は流通において摩滅するが、あるものは多く他のものは少なく摩滅する。金の称号と金の実体とが、名目純分と実質純分とが、分離過程を開始する。同名の金鋳貨でも、重量がちがうために等しくない価値になる。流通手段としての金は、価格の尺度標準としての金から離れ、したがって、金によって価格が実現される諸商品のほんとうの等価物ではなくなる。こういった混乱の歴史が、中世および18世紀までの近代の鋳貨史を形成している。鋳貨の金存在を金仮象に転化させるという、すなわち、鋳貨をそれの公称金属純分の象徴に転化させるという、流通過程の自然発生的な傾向は、金属の摩滅度--この摩滅度が金貨を通用不能にする、すなわち廃貨にするのである--にかんするごく最近の法律によって、承認さえされている。〉(江夏・上杉訳105頁)(江夏訳118-119頁) 

《フランス語版》 

  〈金鋳貨と金地金とは、当初は形状だけで区別されるのであって、金はいつもこれらの形態の一方から他方に移行することができる(31)。しかし、鋳貨は造幣局から出てゆくとき、すでに坩堝への途上にある。金鋳貨または銀鋳貨は、あるものは多く他のものは少なく、流通において摩滅する。たとえば1ギニー貨は、その進路で一歩前進するたびごとに、その名称を保持しながらもその重量のなにがしかを失う。このようにして、金の称号と金の実体とが、金属の実体と貨幣名とが、分離しはじめる。同じ名称の鋳貨が、もはや同じ重量でないために、等しくない価値になる。価格の尺度標準によって表示される金の重量は、流通する金のなかにはもはや存在しないのであって、流通する金はそれがために、自己の価格を実現すべき商品の、本当の等価物ではなくなる。中世および18世紀に至るまでの近代の鋳貨史は、ほとんど、こうした混乱の歴史にほかならない。流通の自然な傾向は、金鋳貨を見せかけの金に、あるいは、鋳貨をその公定金属重量の象徴に転化するものだが、この傾向は、金属の摩滅度--この摩滅度によって鋳貨は流通から排除される、あるいは廃貨になるのである--にかんするごく最近の法律によって、承認されている。〉(江夏・上杉訳105頁)
 

●注81

《経済学批判》 

  〈ロマン主義者のA・ミュラーは言う。「われわれの考えでは、すぺての独立の主権者は、金属貨幣に名をつけて、それに社会的な名目価値、等級、地位、称号をあたえる権利をもっている。」(A・H・ミュラー『政治学綱要』第2巻、ベルリン、1809年、288ページ)称号にかんするかぎりでは、この宮中顧問官殿の仰せのとおりであるが、彼はただ内容だけを忘れている。彼の「考え」がどんなに混乱していたかは、たとえぽ次の章句に現われている。「とくにイギリスのように、政府が非常な寛大さで無料で鋳造し」(ミュラー氏は、イギリス政府の役人が自分のポケットから鋳造費を出す、と信じているらしい)、「なんらの鋳造手数料も取っていない国では、鋳造価格の正しい決定がどれほど重要なことであるかということ、だからもしも政府が、金の鋳造価格をその市場価格よりもいちじるしく高く定めるならば、たとえば政府がいまのように、1オンスの金にたいして3ポンド17シリング10ベンス2分の1を支払うかわりに、1オンスの金の鋳造価格を3ポンド19シリングと定めるならば、すべての貨幣は造幣局に流入し、そこで受け取った銀は市場で安い金と交換され、こうして金はあらためて造幣局にもちこまれることとなり、鋳貨制度は混乱におちいるであろうということは、だれでもよく知っている。」(前掲書、280 、281ページ) ミュラーは、イギリスの鋳貨に秩序を維持させようとして、自分を「混乱」におちいらせた。シリングとかぺンスとかは、たんなる名称であり、銀表章と銅表章によって代理された1オンスの金の一定部分の名称であるにすぎないのに、彼は、1オンスの金が金、銀、銅で評価されると想像し、こうしてイギリス人が三重の本位〔stansderd of a ???〕をもっていることを祝福している。金とならんで銀を貨幣尺度として用いることは、なるほど1816年にジョージ3世の治世第56年法律第68号によってはじめて正式に廃止された。法律のうえでは1734年にジョージ2世の治世第14年(*)法律第42号によって実質上廃止されており、慣行のうえではそれよりずっとまえに廃止されていたのである。A.ミュラーがとくに経済学のいわゆる高度の理解に達するのを可能にした事情は二つあった。一つは、経済的諸事実についての彼の広範な無知、いま一つは、哲学にたいする彼のたんなるディレッタント的な惑溺である。
   (*)  ジョージ2世の治世第14年は1734年ではなく、1740年にあたる。しかし、ジョージ2世の治世には銀についての措置はおこなわれていないので、ジョージ3世の治世第14年にあたる1774年の銀貨25ポンド以上を法貨と認めるのを禁止した改革の誤記ではないかと思われる。この改革はジョージ3世の治世第14年法律第42号によっておこなわれているから、法律の番号も一致する。そうとすれば、59(原)ベージのジョージ2世も3世の誤記とみなければならない。〉(55-56頁) 

《初版》 

  〈(65) 造幣手数料等々の細目を論ずることは、もちろん、全く私の目的外のことである。だが、ロマンティックなおべっか使いのアダム・ミューラーは、「イギリス政府が無報酬で鋳造する」というその「たいした鷹揚さ」に驚嘆しているが、この彼にたいしては、サー・ダッドリー・ノースの次のような批判がある。「金銀には他の諸商品と同じに干満がある。スペインから多量に到着すると、……それはロンドン塔に運ばれて鋳造される。それからしばらくすると、再輸出用の地金にたいする需要が現われるというのに。もし地金がなくてたまたま全部が鋳貨であれば、どうなるか? 再び鋳貨を鋳つぶす。そうしても損はない。なぜなら、鋳造しても所有者にはびた一文の費用もかからないから。こうして、国民はひどい目にあわされ、騾馬に食わせる藁をなう費用を支払わされた。もし商人(ノース自身、チャールズ2世時代の最大の商人の一人であった)が鋳造料を支払わなければならないとすれば、彼はよく考えもせずに自分の銀をロンドン塔に送りはしなかったであろうに。そして、鋳造貨幣はつねに、未鋳造の銀よりも高い価値を維持するであろう。」(ノース、前掲書、18ページ。)〉(江夏訳119頁) 

《フランス語版》 

  〈(31) 私はここでは、貨幣鋳造税やその他この種の細目について論ずる必要はない。とはいっても、「イギリス政府が無償で鋳造するという雄大な鷹揚さ」を嘆賞するおべっかつかいのアダム・ミューラーにたいしては、サー・ダッドリ・ノースの次の批判を記載しておこう。「金銀には、他の商品と同じように、潮の干満がある。多量の金銀がスペインから到着すると、……ロンドン塔に運ばれてたちどころに鋳造される。その後しばらく経つと、輸出向けの地金にたいする需要が生じる。もし地金がなくてすべてが鋳貨であったら、どうすればよいか? よろしいとも! 再び熔解し直せばよい。このことは所有者にはなんの費用もかからないから、それによる損失は全然ない。このようにして、国民は愚弄され、驢馬にやるべき藁を編むことに支払いをさせられている。もし商人(ノース自身、チャールズ2世時代の第一級の卸売業者であった)が貨幣鋳造の対価を支払わなければならないなら、彼は考えもせずに、自分の銀をロンドン塔にこのようには送らないであろうし、鋳貨はいつも、鋳造されない金属よりも高い価値を保つであろう」(ノース、前掲書、ロンドン、1691年、18ぺージ)。〉(江夏・上杉訳105-106頁)
 

●第3パラグラフ
 

《経済学批判》 

  〈けれども、金鋳貨はこういう諸条件のもとでは、その流通がそれがあまり急速に摩滅しないような一定の流通の範囲に限定されるのでなければ、一般に流通しえないであろう。ある金鋳貨がもはや5分の1オンスの重量しかないのに、流通では4分の1オンスとして通用するかぎりでは、その金鋳貨は事実上20分の1オンスの金にたいしては、たんなる章標または象微となっている。こうしてすべての金鋳貨は、流通過程そのものによって多かれ少なかれ、その実体のたんなる章標または象徴に転化される。だがどんなものも、自分自身の象徴ではありえない。絵に描かれたブドウは実際のブドウの象徴ではなくて、仮象のブドウである。だがそれにもまして、痩せた馬が肥えた馬の象徴ではありえないのと同じように、軽いソヴリン金貨は完全量目のソヴリン金貨の象微ではありえない。こうして、金は自分自身の象徴となるが、しかも自分自身の象徴としての役を果たしえないのであるから、金が最も急速に摩滅する流通の範囲、すなわち購買と販売が最も小さな規模でたえずくりかえされる範囲では、金は、金の定在から分離された象徴的な、銀または銅の定在を得る。たとえ同じ金片ではないとしても、金貨幣全体のある一定の割合が、いつも鋳貨としてこの範囲を歩きまわっているはずである。この割合だけ、金は銀または銅の表章によって置き換えられる。こうして一国の内部では、価値の尺度としては、したがってまた貨幣としては、ただ独特の一商品だけが機能しうるにすぎないが、鋳貨としては、金とならんでいろいろな商品が役だちうる。これらの補助的な流通手段、たとえば銀または銅の表章は、流通の内部で金鋳貨の一定の部分を代理する。だから、それら自身の銀実質または銅実質は、銀や銅の金にたいする価値比率によって規定されているのではなく、法律によってかってに決められるのである。これらの表章は、それらによって代理されている金鋳貨の微小な断片が、より高額の金鋳貨との交換のためにせよ、それともそれに相応する小額の商品価格の実現のためにせよ、たえず流通するはずの量だけ発行されればよいのである。商品の小売流通の内部では、銀表章と銅表章とは、さらにそれぞれ特殊な範囲に属するであろう。これらの流通速度は、ことの性質上、それらがそれぞれ個々の購買や販売で実現する価格に、または金鋳貨のうちそれらが代表する部分の大きさに反比例する。イギリスのような一国で、莫大な量の日常の小ロ取引がおこなわれていることを考慮すれば、流通する補助鋳貨の総量の割合が相対的に小さいということは、その流通が早くて絶えまないことを示すものである。最近発表された議会の一報告書(『1844年から1858年にいたる連合王国統計要覧』--引用者)によると、たとえば1857年にイギリスの造幣局は、485万9000ポンド・スターリングにのぼる金貨を鋳造し、名目価値は73万3000ポンド・スターリングで金属価値は36万3000ポンド・スターリソグの銀を鋳造している。1857年12月31日に終わる10年間に鋳造された金貨の総額は5523万9000ポンド・スターリングであり、銀貨の総額はわずかに243万4000ポンド・スターリングであった。銅貨は1857年にはわずかに名目価値6720ポンド・スターリング、銅価値3492ポンド・スターリングに達したにすぎず、そのうち3136ポンド・スターリングは1ペニー貨、2464ポンド・スターリングは半ペニー貨、1120ポンド・スターリングはファージング貨であった。過去10年間に鋳造された銅貨の総価値は、名目価値14万1477ポンド・スターリング、金属価値7万3503ポンド・スターリングであった。金鋳貨はそれの貨幣としての資格を奪う金属滅失の法律規定によって、鋳貨としての機能に固定することを妨げられているのであるが、逆に銀表章や銅表章は、それらが法律上実現する価格の程度を規定されているので、自分の流通部面から金鋳貨の流通部面に移って、貨幣として固定するのを妨げられている。たとえばイギリスでは、銅貨はわずか6ペンスの額まで、銀貨はわずか40シリングの額まで、支払にさいして受け取る義務があるだけである。銀表章や銅表章が、それらの流通部面の要求が必要とするよりも多量に発行されても、商品価格はこれによって騰貴することなく、むしろこれらの表章は小売商人たちのもとに蓄積され、彼らはついにはそれらを金属として売らざるをえなくされよう。こうして1798年には、私人によって発行されたイギリスの銅貨が、20ポンド、30ポンド、50ポンドという額まで小売商人の手もとに蓄積され、彼らはそれをふたたび流通させようとしたが、むだぼねだったので、けっきょく商品として銅市場に投げだすよりしかたなかった。〉(91-93頁) 

《初版》 

  〈貨幣流通そのものが、鋳貨の実質純分を名目純分から分離させ、それの金属存在をそれの機能的存在から分離させれば、貨幣流通は、金属貨幣を、それの鋳貨機能では、他の素材から成っている表章または象徴によって置き換える、という可能性を、潜在的に含んでいる。金または銀のごく微小な重量部分を鋳造することの技術上の障害、および、最初はもっと高級な金属に代わってもっと低級な金属が、金に代わって銀が、銀に代わって銅が、価値尺度として役立っており、したがって、それらが、もっと高級な金属によって廃貨にされる瞬間まで貨幣として流通している、という事情は、金鋳貨の代用物としての銀表章や銅表章の役割を歴史的に説明している。それらが金にとって代わるのは、鋳貨が最も急速に流通し、したがって最も急速に摩滅するような、すなわち、売買が最小の規模で絶えず繰り返されるような、商品流通の領域においてである。これらの衛星が金そのものの地位に定着するのを限止するために、これらだけを金の代わりに支払われてもこれらを受け取らなければならぬという割合が、法律によって非常に低く規定されている。いろいろな鋳貨種類が流通する特殊な諸領域は、もちろん、互いに入りまじっている。補助鋳貨は、最小の金鋳貨の分数部分の支払いのために、金と並んで現われている。金は、絶えず小売流通のなかにはいり込むが、補助鋳貨と引き換えられて、同じように絶えずそこから投げ出される(66)〉(江夏訳119-120頁) 

《フランス語版》 

  〈貨幣の流通は、鋳貨の現実の含有量と名目上の含有量とを分離し、鋳貨の金属としての存在と機能的な存在とを分離することによって、鋳貨を機能上は合金貨等の表章で置き換える可能性を、すでに潜在的に含んでいる。金または銀の全く小さな重量部分を鋳造することの技術上の困難も、より低級な金属が貴金属によって退けられる瞬間まで価値尺度として役立ち貨幣として流通するという事情も、より低級な金属が象徴的貨幣として演じる役割を、歴史的に証明している。より低級な金属は、鋳貨の回転が最も速い流通部面では、すなわち、売買が最小の規模で不断に更新される流通部面では、金鋳貨に代位する。これらの衛星が金のかわりに足場を確立しないように、支払いのさいこれらが受け取られるべき割合が、法律によって定められる。さまざまな種類の鋳貨が遍歴する個々の範囲は、もちろん交錯しあっている。たとえぽ、補助貨が金鋳貨のはしたの支払いのために現われる。金は絶えず小売の流通に入りこむが、金と交換される補助貨によって絶えずこの流通から追い出される(32)。〉(江夏・上杉訳106頁)
 

●注82
 

《経済学批判》 

  〈銀表章や銅表章が、それらの流通部面の要求が必要とするよりも多量に発行されても、商品価格はこれによって騰貴することなく、むしろこれらの表章は小売商人たちのもとに蓄積され、彼らはついにはそれらを金属として売らざるをえなくされよう。こうして1798年には、私人によって発行されたイギリスの銅貨が、20ポンド、30ポンド、50ポンドという額まで小売商人の手もとに蓄積され、彼らはそれをふたたび流通させようとしたが、むだぼねだったので、けっきょく商品として銅市場に投げだすよりしかたなかった(*)。
  (*) デーヴィッド・ビュキャナン『諸国民の富うんぬんにかんするスミス博士の研究に論じられた諸論題についての考察』、エディンバラ、1814年、31ページ。〉(93頁) 

《初版》 

  〈(66) 「銀貨が小口の支払いに必要な量をけっして越えないとすれば、それを集めてみても大口の支払い用に充分な量にはなりえない。……大口支払での金貨の使用は、必ず、小売取引での金貨の使用ともからみあっている。金貨をもっている人々は、それを小口の購買に供して、買った商品と一緒に釣銭として銀貨を受け取るからである。こういうやり方で、そうでなければ小売商を煩わすであろう余分な銀貨が、引き上げられて、一般的流通のなかに散布される。ところが、金貨に頼らずに小口の諸支払を処理できるであろうほど多くの銀貨があれば、小売商はこのばあい、小口の購買と引き換えに銀貨を受け取らなければならない。そうすれば、銀貨は必ず彼の手にたまらざるをえない。」(デイピッド・プカナン『大プリテンの課税と商業政策の研究、エジンパラ、1844年』、248、249ページ。)〉(江夏訳120頁) 

《フランス語版》 

  〈(32) 「もし銀貨が小口支払いにとって必要な量をけっして越えることがなければ、大口支払いに充分なほど大量にこの銀貨を集めることはできない。……大口支払いでの金貨の使用は、小売取引での金貨の使用と絡みあっている。金貨をもっている人々は、それを小口の購買に供して、買った商品とともに釣銭として銀貨を受け取る。このことによって、さもなければ小売取引の邪魔になる過剰な銀貨が、一般的流通に散布される。だが、もし金貨に頼らずに小口支払いを処理するに充分な銀貨があれば、小売商はこのばあい小口の購買と引き換えに銀貨を受け取り、この銀貨が必ず彼の手に蓄積されるであろう」(デーヴィッド・ピュキャナン『大ブリテンの課税と商業政策の研究』、エディンバラ、1844年、248、249ページ)。〉(江夏・上杉訳106頁)
 

●第4パラグラフ
 

《経済学批判》 

  〈国内流通の一定の部面で金鋳貨を代理する銀表章と銅表章とは、法定の銀実質〔純分〕と銅実質とをもってはいるが、流通に引きこまれると、それらは金鋳貨と同じように摩滅し、それらの流通の速度と絶えまなさにおうじて、もっと急速に観念化され、たんなる影のからだとなる。ところで、もしふたたび金属喪失の限界線がひかれて、その線に達すると銀表章と銅表章は、それらの鋳貨の性格を失うものとすれば、それらの表章は、自分自身の流通部面そのものの一定の範囲内で、さらに他の象徴的貨幣、たとえば鉄や鉛によって置き換えられなければならないであろうし、象徴的貨幣の他の象徴的貨幣によるこのような表示は、終わりのない過程であろう。だから流通の発達したすべての国では、貨幣流通そのものの必要から、銀表章と銅表章との鋳貨性格は、それらの金属滅失の程度とは無関係とされざるをえないのである。そこでことの性質上当然のことであるが、それらが金鋳貨の象徴であるのは、それらが銀または銅でつくられた象徴であるからではなく、またそれらがある価値をもっているからではなく、かえってなんらの価値をももっていないかぎりでのことだ、というように現われる。
   こうして、紙券のような相対的に無価値なものが、金貨幣の象徴として機能できるのである。補助鋳貨が銀や銅などの金属表章から成りたっているのは、おもにこういう事情、イングランドでの銀、古代ローマ共和国、スウェーデン、スコットランド等での銅のように、たいていの国でははじめは価値の低い金属が貨幣として流通していたのに、あとになって流通過程がそれを補助貨の地位に引きおろして、その代わりにもっと価値の高い金属を貨幣とした、という事情に由来している。そのうえに、金属流通から直接に生じる貨幣象徴がさしあたりそれ自身また一つの金属であったのも、当然のことである。いつでも補助貨として流通しなげればならないはずの金部分が金属表章によって置き換えられるのと同じように、いつでも国内流通の部面によって鋳貨として吸収され、したがってたえず流通しなければならない金部分は、無価値な表章によって置き換えることができる。流通する鋳貨の量がそれ以下にはけっして低下しないという水準は、どの国でも経験上あたえられている。だから、金属鋳貨の名目的実質と金属実質とのあいだの、最初のうちは目に見えない差異が、絶対的分離にまで進みうるのである。貨幣の鋳貨名はその実体からはなれ、それの外に、無価値な紙券のうちにあることになる。諸商品の交換価値がそれらの交換過程をつうじて金貨幣に結晶するのと同じように、金貨幣は流通のなかでそれ自身の象徴に昇華する。はじめは摩滅した金鋳貨の形態をとり、次には補助金属鋳貨の形態をとり、そして最後には無価値な表章の、紙券の、たんなる価値章標の形態をとって昇華するのである。
   けれども金鋳貨がはじめは金属の、次には紙の代理物をつくりだしたのは、それがその金属滅失にもかかわらず、ひきつづいて鋳貨として機能したからにほかならない。それは摩滅したから流通したのではなく、流通しつづけたから摩滅して象徴になったのである。過程の内部で金貨幣そのものがそれ自身の価値のたんなる章標となるかぎりでだけ、たんなる価値章標が金貨幣にとって代わることができるのである。〉(全集第13巻93-94頁) 

《初版》 

  〈銀表章または銅表章の金属純分は、法律で任意に規定されている。これらの表章は流通中に、金鋳貨よりもいっそう急速に摩滅する。だから、これらの表章の鋳貨機能は、事実上、自分たちがもっている重量にも、すなわちどんな価値にも、全くかかわりのないものになる。金の鋳貨存在が、それの価値実体から完全に分離する。だから、相対的に無価値な物である紙券が、金に代わって鋳貨として機能することができる。金属の貨幣表章では、純粋に象徴的な性格がまだ幾らかは隠されている。紙幣では、この性格が一見してわかるように姿を表わす。要するに、困難なのは第一歩だけだ。〉(江夏訳120頁) 

《フランス語版》 

  〈銀表章または銅表章の金属実体は、法律によって随意にきめられる。それらは流通のなかでは金鋳貨よりも急速に摩滅する。したがって、それらの機能は事実上、それらの重量、すなわちどんな価値からも、完全に独立したものになる。
   それにもがかわらず、そしてこれが重要な点であるが、それらは金鋳貨の代理人として機能しつづける。自己の金属価値から全面的に解放された金の鋳貨機能は、金の流通自体の摩擦によって産み出された現象である。金はこの機能では、紙券のような相対的になんの価値もない物によって、代理されうる。金属表章のうちには純粋に象徴的な性格がある程度隠されているが、この性格は紙幣のうちにまぎれもなく現われる。われわれにはわかっているとおり、困難なのは第一歩だけである。〉(江夏・上杉訳106-107頁)
 

●第5パラグラフ
 

《経済学批判》 

  〈相対的に無価値なある一定のもの、革片、紙券等々は、はじめは慣習によって貨幣材料の章標となるのであるが、しかしそれがそういう章標として自分を維持できるのは、象徴としてのその定在が商品所有者たちの一般的意志によって保証されるからにほかならず、すなわちそれが法律上慣習的な定在を、したがって強制通用力を受け取るからにほかならない。強制通用力をもつ国家紙幣は、価値章標の完成された形態であり、金属流通または単純な商品流通そのものから直接生じる紙幣の唯一の形態である。信用貨幣は、社会的生産過程のもっと高い部面に属するものであって、まったく別の諸法則によって規制される。象徴的紙幣は、実際には補助的金属鋳貨と全然違うものではなく、ただもっと広い流通部面で作用するだけである。〉(全集第13巻96頁)
  〈以上に述べたことから明らかなように、金実体そのものから分離された価値章標としての金の鋳貨定在は、流通過程そのものから生じるのであって、合意や国家干渉から生じるのではない。ロシアは価値章標の原生的成立の適切な実例を見せてくれる。獣皮と毛皮製品がロシアで貨幣として役だっていた時代に、このいたみやすく取扱いに不便な材料と流通手段としてのその機能との矛盾は、極印をおした革の小片をその代わりに使う習慣を生みだし、こうしてこの革の小片が、獣皮や毛皮製品で支払われる指図証券となった。その後、この革の小片は、コペイカという名称で銀ルーブリの一部分にたいするただの章標となり、ところによっては、ピョートル大帝がそれを国家の発行した小銅貨と引き換えに回収するように命じた1700年まで、そのままつづいて使用されていた。金属流通の諸現象だけしか観察できなかった古代の著作家たちは、金鋳貨をすでに象徴または価値章標として把握していた。プラトンやアリストテレスがそうであった。中国のように信用の全然発達していない国々に、強制通用力をもつ紙幣がすでに早くからある。比較的初期の紙幣弁護論者にあっては、金属鋳貨の価値章標への転化が流通過程そのもののなかで発生する、という点もはっきりと指摘されている。たとえばベンジャミン・フランクリンとバークリ主教とがそうである。〉(同96-97頁) 

《初版》 

  〈ここで問題なのは、強制通用力のある国家紙幣だけである。それは、金属流通から直接に生まれてくる。これに反して、信用貨幣は、単純な商品流通の観点からはわれわれにはまだ全く知られていない諸関係を、前提にしている。ついでに言っておくが、本来の紙幣が、流通手段としての貨幣の機能から生じているように、信用貨幣は、支払手段としての貨幣の機能のうちに自然発生的な根源をもっているのである(67)。〉(江夏訳120-121頁) 

《フランス語版》 

  〈ここで問題としているのは、強制通用力をもつ国家紙幣だけである。それは金属流通から自然発生的に生まれる。これに反して、信用貨幣は、単純な商品流通の観点からはまだわれわれに知られていない諸事情の全体を、前提にしているものである。ついでながら述べておくが、厳密な意味での紙幣が流通手段としての貨幣の機能から生まれるとすれば、信用貨幣は、支払手段としての貨幣の機能のうちにその自然的根源をもっているのである。〉(江夏・上杉訳107頁)
 

●注83
 

《経済学批判》 

  〈中国のように信用の全然発達していない国々に、強制通用力をもつ紙幣がすでに早くからある。(*) 
   (*) マンデヴィル(サー・ジョン)『航海旅行記』、ロンドン、1705年版、105ページ。「この(カタイつまり中国の)皇帝は、計算もせずにすきなだけ支出することができる。なぜならば、彼は、捺印した革か紙でつくったものでなければ、貨幣を支出せず、また製造もしないからである。そしてこの貨幣が長く流通して摩損しはじめると、人々はそれを皇帝の国庫にもっていって、古い貨幣の代わりに新しいのを受け取る。そしてこの貨幣は、全国土とあらゆる属州に流通する。……貨幣は金からも銀からもつくられない。」そしてマンデヴィルは「だから皇帝は、いつでも新たに、しかもふんだんに支出することができる」と考えた。〉(全集第13巻97-98頁)
  〈強制通用力をもつ紙幣--われわれはただこの種の紙幣だけを論じるのだが--を発行する国家の干渉は、経済法則を揚棄するように見える。国家は鋳造価格では一定の金重量に洗礼名をあたえただけであり、貨幣鋳造では金に自分の極印をおしただけであったが、この国家はいまやその極印の魔術によって紙を金に転化するように見える。紙幣は強制通用力をもっているから、国家が思うままに多数の紙幣を強制流通させ、1ポンド、5ポンド、20ポンドといった任意の鋳貨名をそれらに極印するのを、だれも妨げることはできない。ひとたび流通にはいった紙券は、これを流通から投げだすことは不可能である。なぜなら、その国の境界標がその進路をとどめるだけでなく、紙券は流通の外では、すべての価値を、使用価値をも交換価値をも失うからである。その機能上の定在から切り離されると、紙券はなんの価値もない紙くずに転化する。けれども、国家のこのような権力は、たんなる見せかけにすぎない。国家は任意の鋳貨名をもつ任意の量の紙券を流通に投げこむことができるであろうが、しかし、この機械的行為とともに国家の統制は終わる。流通にまきこまれると、価値章標または紙幣は、それに内在する諸法則に支配されるのである。〉(同99-100頁) 

《初版》 

  〈(67) 財務官の王茂蔭は、シナの国家紙幣を兌換銀行券に変えることをひそかな狙いとした一案を、天子の閲覧に供しようと思いついた。1854年4月の紙幣委員会の報告書では、彼は手ひどく叱責されている。彼が慣例の竹の鞭での殴打を受けたかどうかは、報告されていないが。報告書の最後にはこう書いてある。「本委員会は、彼の案を入念に検討して、この案ではなにもかも商人の利益になってしまい、皇帝には利益がなにもない、ということを見いだした。」(『北京駐在ロシア帝国公使館のシナにかんする研究。ドクトル・K・アーべルおよびF・A・メクレンプルクによるロシア語からの翻訳。第1巻、ベルリン、1858年』、47ページ以下。) 流通による金鋳貨の不断の摩滅について、イングランド銀行のある「総裁」は、「上院委員会」(「銀行法」にかんする)で、証人として次のように述べている。「毎年、新種のソブリン貨(政治上の君主(ソブリン)ではなく、ソブリンとは1ポンド・スターリングの名称である)があまりに軽くなっている。ある年には量目充分だと認められている部類が、翌年には天秤皿が反対に傾くほど、たっぷり摩滅している。」(上院委員会、1848年、第429号)〉(江夏訳121頁) 

《フランス語版》 

  〈(3) 財務官の王茂蔭がある日のこと、シナ帝国の不換紙幣を兌換銀行券に変えることを内密にめざす計画を、天子に供しようと思いついた。1854年4月の不換紙幣委員会は、彼をこっぴどく叱りつけることにした。委員会が彼に伝統的な竹の鞭打ちを加えたかどうかは、述べられていない。報告の結論はこうである。「委員会はこの計画を注意深く検討した結果、この計画ではなにもかもひたすら商人の利益を目あてにしているが、皇帝にとっては有利なものがなにもない、と考える」(『北京駐在ロシア帝国公使館のシナにかんする研究』、ドクトル・K・アーベルとF・A・メクレンプルクによるロシア語からの翻訳、第1巻、ペルリン、1858年、47ページ以下)。金貨がその流通においてこうむる金属摩滅について、上院(銀行法委員会)に証人として召喚されたイングランド銀行総裁は、こう述べている。「毎年、新種のソブリン貨(政治上の君主ではなく、ソブリンとは1ポンド・スターリングの名称である)が軽すぎる。ある年に法定の重量をもつ新種のソブリン貨が、摩擦によって、翌年には天秤の秤皿をこのソブリン貨とは反対に傾かせるほど、たっぷり摩滅する」。〉(江夏・上杉訳107頁)

 

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