『資本論』学習資料室

泉州で開催された「『資本論』を読む会」の4年余りの記録です。『資本論』の学習に役立たせてください。

『資本論』学習資料No.15(通算第65回) 上

2019-10-11 15:38:29 | 『資本論』

『資本論』学習資料No.15(通算第65回)上

 

◎なぜ「労働者」ではなく「労働する諸個人」という語を使うのか?(大谷新著の紹介の続き)

   2001年3月に桜井書店から刊行された大谷禎之介著『図解 社会経済学』は、大谷氏が大学の経済学の講義のさいに使っていたテキストに手を加えたものですが、何回も版を重ね、いろいろな大学でテキストとして利用されてきたということです。2005年には韓国語版、2018年には英語版が出されています。
  新著の「第9章 『図解 社会経済学』で読者に伝えたかったこと」は、2010年に韓国のプサン大学で開催された韓国社会経済学会の大会で同書について話すことを求められて語った内容のようです。
  そのなかで、これまで私自身もやや疑問にも思い、あるときは批判もしたこともある問題について、氏自身の考えが語られています。
  それは大谷氏はさまざまな論文のなかで、「労働者」や「労働者階級」という用語よりも、「諸個人」や「労働する諸個人」などの用語を多用してきたことです。これは同氏が、労働者階級に直接呼びかけてその闘いの指針を示すという革命的な実践を自らの課題としないからであり、マルクス経済学の研究者と言っても、所詮はブルジョア大学の一研究者でしかなく、その小ブルジョア的立場を反映したものだと私は思っていました。しかしその理由が、今回の著書では次のように述べられています。

 〈さて,私は,本書のなかでそうしましたように,この報告でも,「労働者」という言葉はほとんど使わず,もっぱら「労働する諸個人」という語を使ってきました。その理由は,次のとおりです。
  多くの読者が「労働者」という言葉を聞いて考えるのは現代の賃労働者のことでしょう。しかし賃労働者は,あらゆる時代に自己の労働によって社会をささえてきた「労働する人びと」が,資本主義社会でとっている疎外された姿です。そしてどの社会でも,そうした「労働する人びと」は,「社会」という有機体のたんなる器官なのではなくて,各自がいずれも日々の行動によってときどきの社会を再生産しているそれぞれ一個の生きた主体,つまり「個人」です。社会を変革する運動も,このような主体としての「個人」が意識的に連帯して行なう運動であって,はじめて現実的な力を発揮することができるはずです。ましてそれが,アソーシエイトした自由な諸個人によって意識的に形成されるアソシエーションをつくりだすことを目的とする運動であるのなら,それは自覚的に連帯した諸個人によって担われるほかはありません。そのような意味で,私は意識的に「労働する諸個人」という表現を使っているというわけです。〉(436-437頁)

  なるほど確かにそういう理由だということは分かりました。そしてそれはそれで理屈としては通っています。しかし私たち労働者がおかれている現実は賃労働であり、私たちの闘いもそこから出発せざるを得ないこともまた確かなのです。つまり「労働者階級」というように、労働者はこの資本主義社会におけるその階級的立場から、資本との闘いのなかで団結し、階級としての自覚と意識を高め、闘争のなかで自己を鍛え、将来社会を担う人間へと自己変革を遂げていかねばならないのです。そしてそのためには、私たちは賃労働という現実から出発せざるを得ないし、そのなかで闘うしかないのです。   どうしてマルクスは労働者や労働者階級という用語を使っているのか、なぜ『共産党宣言』では「万国の労働者 団結せよ!」と呼びかけているのか、しっかり考えてみる必要があると思います。労働者やその階級としての団結が、自覚的な諸個人の連帯と矛盾するものではないと思います。やはり現実の労働者や労働者階級の闘いを観念的に飛び越えて、抽象的な諸個人の連帯を思い描くのは、どう考えても、現実の階級闘争のなかに身を置かない、小ブル的な学者の限界だと私に思えてなりません。

 

◎第5パラグラフ(流通部面はどれだけの貨幣を吸収するか)

【5】〈(イ)どの商品も、流通への第一歩で、その第一の形態変換で、流通から脱落し、そこには絶えず新たな商品がはいってくる。(ロ)これに反して、貨幣は流通手段としてはいつでも流通部面に住んでおり、絶えずそのなかを駆けまわっている。(ハ)そこで、この部面はつねにどれだけの貨幣を吸収するか、という問題が生ずる。〉

  (イ) どの商品も、流通に第一歩を踏み出しただけで、つまり自分の第一の形態変換を行うと、流通から抜け落ち、流通には絶えず新たな商品がはいってきます。

  どの商品もそれが流通の第一歩を踏み出した途端、つまり販売されるとすぐに、その使用価値は流通から脱落し、消費過程に落ちていきます。もちろん流通には絶えず新たな商品が入ってきます。しかしいずれにしても流通における商品はただ瞬間的な契機に過ぎません。

  (ロ) これに対して、流通手段としての貨幣はいつでも流通部面に住んでおり、たえずそのなかを駆けまわっています。 

  それに対して、流通手段としての貨幣はというと、常に流通部面に居座り、徘徊しています。 

  (ハ) そこで、この部面はつねにどれだけの貨幣を吸収しているのか、という問題が生じます。 

  だから、一体、この流通部面にはどれだけの貨幣が居すわっているのか、というその量の問題が生じてきます。

  

◎第6パラグラフ(流通手段しての貨幣の総量は諸商品の価格の総額によって決まる) 

【6】〈(イ)一国では毎日多数の同時的な、したがってまた空間的に並行する一方的な商品変態が、言いかえれば、一方の側からの単なる売り、他方の側からの単なる買いが、行なわれている。(ロ)商品は、その価格において、すでに決定された想像された貨幣量に等置されている。(ハ)ところで、ここで考察されている直接的流通形態は、商品と貨幣とをつねに肉体的に向かいあわせ、一方を売りの極に、他方を買いの反対極におくのだから、商品世界の流通過程のために必要な流通手段の量は、すでに諸商品の価格総額によって規定されている。(ニ)じっさい、貨幣は、ただ、諸商品の価格総額ですでに観念的に表わされている金総額を実在的に表わすだけである。(ホ)したがって、これらの二つの総額が等しいということは自明である。(ヘ)とはいえ、われわれが知っているように、商品の価値が変わらない場合には、商品の価格は、金(貨幣材料)そのものの価値といっしょに変動し、金の価値が下がればそれに比例して上がり、金の価値が上がればそれに比例して下がる。(ト)こうして諸商品の価格総額が上がるか下がるかするにしたがって、流通する貨幣の量も同じように増すか減るかしなければならない。(チ)この場合には流通手段の量の変動はたしかに貨幣そのものから生ずるのではあるが、しかし、流通手段としての貨幣の機能からではなく、価値尺度としての機能から生ずるのである。(リ)諸商品の価格がまず貨幣の価値に反比例して変動し、それから流通手段の量が諸商品の価格に正比例して変動するのである。(ヌ)これとまったく同じ現象は、たとえば、金の価値が下がるのではなく、銀が価値尺度としての金にとって代わる場合とか、銀の価値が上がるのではなく、金が銀を価値尺度の機能から追い出すような場合にも、起きるであろう。(ル)前のほうの場合には以前の金よりも多くの銀が、あとのほうの場合には以前の銀よりも少ない金が、流通しなければならないであろう。(ヲ)どちらの場合にも、まず貨幣材料の価値、すなわち価値の尺度として機能する商品の価値が変動し、そのために商品価値の価格表現が変動し、またそのためにこれらの価格の実現に役だつ流通する貨幣の量が変動するということになるであろう。(ワ)すでに見たように、商品の流通部面には一つの穴があって、そこを通って金(銀、要するに貨幣材料)は、与えられた価値のある商品として流通部面にはいってくる。(カ)この価値は、価値尺度としての貨幣の機能では、したがって価格決定にさいしては、すでに前提されている。(ヨ)いま、たとえば価値尺度そのものの価値が下がるとすれば、それは、まず第一に、貴金属の生産源で商品としての貴金属と直接に交換される諸商品の価格変動に現われる。(タ)ことに、ブルジョア社会の比較的未発展な状態では、ほかの商品の一大部分は、なおかなり長いあいだ、価値尺度のいまでは幻想的となり過去のものとなった価値で評価されるであろう。(レ)しかし、一商品は他の商品を、それと自分との価値関係をつうじて自分にかぶれさせてゆくのであって、諸商品の金価格または銀価格は、しだいに、それらの価値そのものによって規定された割合で調整されて行って、ついにはすべての商品価値が貨幣金属の新たな価値に応じて評価されるようになるのである。(ソ)このような調整過程は、直接に貴金属と交換される諸商品に代わって流入する貴金属の継続的な増大を伴う。(ツ)それゆえ、諸商品の訂正された価格づけが一般化するにつれて、または、新たな、すでに下がった、そしてある点までは引き続き下がって行く金属の価値によって諸商品の価値が評価されるようになるにつれて、それと同じ程度に、諸商品の価値の実現に必要な金属の増加量もすでに存在しているのである。(ネ)新たな金銀産源の発見に続いて起きた諸事実の一面的な考察は、一七世紀およびことに一八世紀には、商品価格が上がったのはより多くの金銀が流通手段として機能したからだというまちがった結論に到達させた。(ナ)以下では金の価値は与えられたものとして前提されるが、実際にもそれは価格評価の瞬間には与えられているのである。〉 

  (イ) 一国では毎日多数の同時的な、だからまた空間的に並行する一面的な商品変態が、言いかえれば、一方の面からの単なる販売、他方の面からの単なる購買が、行なわれています。 

  商品の流通の内容をなす商品の変態の考察が私たちに明らかにしたのは、例えばリンネルが販売され、貨幣に変態し、その貨幣が聖書に変態することによって、リンネルが最終的には聖書に変換されたのだということでした。   しかし商品流通で私たちが直接目にする現実は、こうしたものではありません。そこではさまざまな商品が一方的に売られたり、買われたりしているだけです。売られた商品の価値がその実現形態である貨幣として、次にどのような商品に変態するのか、あるいは一方的な購入のために投入された貨幣が、実はある別の商品の価値の実現したものだった、などということはまったく分からないし、目に見えるものではありません。現象として見えているのは、ただ一方の面からのたんなる販売であり、他方の面からの購買が行なわれているということだけです。 

  (ロ) 諸商品は、それらの価格では、すでに売り手と買い手との値決め交渉によって決定まった、思い描かれた貨幣量に等置されています。 

  しかしこうした一方的購買や販売でも、諸商品の価格は、すでに売り手と買い手との値決め交渉の結果として、一定の価格として、それぞれの当事者が思い描き一致した観念的な貨幣量に等値されています。 

  (ハ) いまのところ、ここで考察されている直接的な流通形態は、すぐあとで問題にする、商品の引き渡しと貨幣の支払いとが別の時点で行われるような流通形態とは違って、商品と貨幣とをつねに生身の姿で向かい合わせ、一方を販売という極に、他方を購買という反対極におくのですから、商品世界の流通過程のために必要な流通手段の量は、すでに諸商品の価格総額によって規定されているわけです。 

  ところで私たちがいま考察している単純な商品流通では、あとで見るような商品の引き渡しと貨幣の支払とが同時にではなく異なる時点で行なわれるような流通(貨幣の支払手段としての機能にもとづく流通)とは違って、商品と貨幣とがつねに生身で相対していることを想定しています。そして一方の商品を販売という極に、他方の貨幣を購買という極におくのですから、商品世界の流通過程における必要な流通手段の量というのは、すでに諸商品の価格の総額によって規定されていることになります。 

  (ニ)(ホ) じっさい、ここでの貨幣は、ただ、諸商品の価格総額ですでに観念的に表わされている金総額を実在的に表わすだけです。だから、これらの二つの総額が等しいのは言うまでもないことなのです。 

  実際、こうした前提のもとでは、現実の貨幣は、ただ諸商品の価格総額が観念的に表されている金総額を、ただ実在的に表すだけですから、この両者が等しいというのは当然のことです。 

  (ヘ) とはいえ、私たちがすでに知っていますように、商品の価値が変わらない場合には、商品の価格は、金(貨幣材料)そのものの価値が変動すれば、それにつれて変動します。すなわち、金の価値が下がれば、それに比例して上がり、金の価値が上がれば、それに比例して下がります。 

  価値尺度を考察したときに明らかになりましたが(第1節の第12パラグラフ)、こうした場合、商品の価値が変わらなくても、商品の価格そのものは、その価値を尺度する金(貨幣材料)の価値が変動すれば、それにつれて変動します。金の価値が下がれば、商品の価格はそれに比例して上がり、金の価値が上れば、それに比例して下がります。 

  (ト) このようにして、諸商品の価格総額が上がるか下がるかすれば、流通する貨幣の量も同じように増加または減少しなければなりません。 

  しかし商品の価格の総額が上ったり、下がったりするということは、すでに見ましたよう、それに応じて流通する貨幣の総量も増加したり、減少したりしなければならないということになります。 

  (チ) この場合には流通手段の総量の変動は、たしかに貨幣そのものから生じるのですが、しかし、流通手段としての貨幣の機能からではなく、価値尺度としての機能から生じるのです。 

  この場合、商品価格の総額の増減に応じて流通手段の総量が変動します。それは一見すると、流通手段としての貨幣の総量が変動したから、商品の価格も増減したかのように見えるのです。つまり諸商品の価格は流通手段としての貨幣の量によって規定されているかのように見えるのです。しかし、この場合、流通手段の総量の変動は、確かに貨幣そのものから生じるのですが、しかし貨幣の流通手段としての機能から生じているのではなく、その価値尺度としての機能から生じているのです。 

  (リ) まず貨幣の価値に反比例して諸商品の価格が変動し、それから、諸商品の価格に正比例して流通手段の量が変動するのです。 

  まず貨幣の価値の変動に反比例して諸商品の価格が変動し、その諸商品の価格の変動に正比例して流通手段の量が変動するのです。
 例えば貨幣の価値が半分になると、諸商品の価格は二倍に上がります。そして総商品価格が二倍になれば、その流通に必要な貨幣の量も二倍になるということになります。  しかしこれを一面的に見ると、流通手段の量が二倍になったから、諸商品の価格も二倍になったように見えるのです。だから諸商品の価格を引き上げるために(デフレを克服するために)は、流通手段としての貨幣を増大させるべきだ(通貨の供給を増やせ)、などという俗論がまかり通ることになるわけです。 

  (ヌ)(ル)(ヲ) これとまったく同じ現象は、たとえば、金の価値が下がるのではなく、同じ重量でも金より価値の小さい銀が価値尺度としての金にとって代わる場合とか、銀の価値が上がるのではなく、同じ重量でも銀よりも価値の大きい金が銀を価値尺度の機能から追い出すような場合にも、生じるでしょう。前のほうの場合には、以前の金総量よりも多くの銀総量が、あとのほうの場合には以前の銀総量よりも少ない金総量が、流通しなければならないでしょう。どちらの場合にも、まず貨幣材料の価値、すなわち価値の尺度として機能する商品の価値が変動し、そのために商品価値の価格表現が変動し、そのためにこれらの価格の実現に役だつ流通する貨幣の量が変動するということになります。 

  (フランス語版ではこの部分は削除されています)。
 これとまったく同じ現象は、金と銀とが価値尺度としての貨幣の機能を交代して担う場合にも生じます。これまで金が価値尺度の機能を果たしていたのが、銀がそれにとった代わった場合とか、あるいはその逆の場合などです。
 金に代わって銀が尺度機能を担う場合、金と同じ重量の銀が取って代わると価値が少ない分だけ諸商品の価格は上がり、それに応じて流通手段としての銀の総量も増えます。反対の場合は、反対のことが生じます。
  ようするに、まず貨幣材料の価値が変動すれば、それに応じてそれよって尺度される諸商品の価格が変動し、その諸商品の価格の変動に規定されて、それらの価格の実現に必要な貨幣の総量も変動するということなのです。この前後の因果関係をハッキリ掴む必要があります。つまり現象的には流通手段しての金に代わって、それより価値の少ない銀が流通手段として流通したから、流通する銀の量が増えたように見えますが、しかし問題は価値尺度の機能を媒介して、諸商品の価格総額の変化が生じたから、流通手段の量の変化も生じたのだということです。 

  (ワ)(カ) すでに見ましたように、商品の流通部面には一つの穴があって、そこを通って金(銀、要するに貨幣材料)が、所与の価値量をもった商品として流通部面にはいってきます。この価値量は、価値尺度としての貨幣の機能では、したがって価格決定にさいしては、それにさきだって決まっているものです。 

  (フランス語版ではここから改行されています)。
  これまで私たちは金あるいは銀、ようするに貨幣材料となる商品の価値が変動すると、それによってその価値が尺度される諸商品の価格が変動し、そして諸商品の価格の総量が変動すれば、その価格を実現するために必要な流通手段として機能する貨幣の総量の変動も生じるということを見てきました。そして価値尺度を担う貴金属が金から銀に交代する場合やその逆の場合についても見てきましたが、しかしそもそも貨幣としての金(あるいは銀)の価値の変動というのはどうして生じるでしょうか。
  私たちが「a 商品の変態」の第13パラグラフで見ましたように、〈貨幣として機能するためには、金は、どこかの点で商品市場にはいらなければならない。この点は金の生産源にある〉(全集版144頁)ことを知っています。つまりこの生産源を通って金あるいは銀、ようするに貨幣材料は、与えられた価値量(それはその生産のために支出された社会的に必要な労働時間によって規定されています)をもった商品として、同じ価値をもつ他の諸商品と直接的に交換されることによって流通部面にはいって来るのです。だから金(あるいは銀)の価値量は、価値尺度としての貨幣の機能を果すものとしては、すなわち諸商品の価格を決定する場合には、すでに諸商品にとっては、すでに与えられたもの、ある決まった量を持つものとしてあるのです。 

  ついでに関連して紹介しますと、「レキシコンII」には「産源地における金」という小項目に次のような説明があります。 

  〈a)新たに生産された金の他の諸商品との交換は,直接的な交換取引であって,範疇的な意味での購買ではない。
   b)ここでは販売(商品所有者の側での)が購買(金所有者の側での)なしに行なわれる。そしてこの一方的な販売によって追加的な金が流通内にもたらされるのであって,この金は,金にたいする需要を--それがどういう理由から生じるものであろうと--満たすのに役立つのである。
   c)金の相対的な価値の大きさの確定はもっぱらここで行なわれる。それがいったん貨幣として流通にはいれば,それの価値はすでに与えられたものとしてある。〉(65頁) 

  (ヨ)(タ)(レ)(ソ)(ツ) いま、たとえば価値尺度そのものの価値が下がれば、このことは、まず、貴金属の生産源で、商品としての貴金属と直接に交換される諸商品の価格変動に現われます。つまり貴金属と直接に交換される諸商品の価格が上がります。ブルジョア社会のまだあまり発展していない状態ではとりわけそうですが、商品としての貴金属と直接に交換されるのではないほかの商品の大きな部分は、貴金属の価値が下がったあとでもなおかなり長いあいだ、価値尺度がもつ、いまでは幻想的となり過去のものとなった価値で評価されるでしょう。しかし一商品は他の商品を、それと自分との価値関係をつうじて自分の価値表現を感染させていきます。こうして、諸商品の金価格または銀価格は、しだいに、それらの価値そのものによって規定された比率で調整されていって、ついにはすべての商品価値が貨幣金属の新たな価値に応じて評価されるようになるのです。このような調整過程は、直接に貴金属と交換される諸商品と入れ替わって流通過程に流入する貴金属の継続的な増大を伴います。ですから、諸商品の貨幣価値の下落に合わせて訂正された価格づけが一般化するにつれて、言い換えれば、新たな、すでに下がった、そしてある点までは引き続き下がって行く金属の価値によって諸商品の価値が評価されるようになるにつれて、それと同じ程度に、諸商品の価値の実現に、すなわち諸商品の価値に現実に貨幣という形態を与えるのに必要な金属の増加量もすでに存在しているのです。 

 それでは金(銀すなわち貨幣材料)の価値が、例えば下がった場合を例にそれがどのような形で実際の流通過程における諸商品の価値を尺度する貨幣の価値の減少として現われてくるのかを見てみましょう。
  まず産源地における金の価値が下がった場合、それと直接に交換する諸商品の価格に変化が生じます。それまではそれらの諸商品は既存の金の価値によって尺度された価格を持って、産源地に登場します。つまり一定の価格を持って登場するのですが、しかしそれらと交換される金は、その価値を尺度した金とはすでに違った価値の少ない金ですから、当然、諸商品は既存の尺度された金量よりも多くの金量と交換されることになります。つまりこのことは諸商品の価格が高くなるということです。
  産源地での直接的な交換においてはこのような変化があっても、それ以外のところでは依然として旧来のすでに幻想的なものとなった金の価値にもとづいて諸商品の価値は尺度されています。これはブルジョア社会がまだ十分に発展していないところではより一層そうした傾向があります。
  しかし諸商品の活発な交換が調節作用を果します。一つの商品が他の商品と交換される場合、両商品の価値関係を通じて、自分の価値を高く評価された諸商品の価格表示が、次々に伝播して、やがて貨幣金量の新たな価値に応じてすべての商品が評価されるようになるのです。
  すでに産源地においては、貴金属と直接交換される諸商品に代わって、価値の下がった貴金属がその下がった分だけ多く流通に入っていきます。そしてそれが継続的に生じます。ですから、下落した貨幣価値によって尺度されて増大した諸商品の価格は、それが一般化するにつれて、つまり下落した貨幣価値によって評価されて増大した諸商品の価格総額が増えるにつれて、それらを実現するに必要な流通手段としての貨幣総量そのものも、すでに増加して流通に存在しているということになるのです。 

  (ネ) 17世紀、そしてことに18世紀には、新たな金や銀の産源の発見に続いて生じたもろもろの事実を一面的に考察した結果、商品価格が上がったのは、より多くの金銀が流通手段として機能したからだ、というまちがった結論が引き出されました。 

  新たな金や銀の産源の発見に続いて生じたもろもろの事実(諸商品の価格が全般的に上がった)を一面的に考察した結果、17世紀、そしてとくに18世紀には、商品価格が上がったのは、より多くの金銀が流通手段として機能したからだ、という間違った結論が引き出されました。 

 これに関連して、『経済学批判』の「c 流通手段と貨幣にかんする諸理論」のなかに次のような一文があります。

  〈商品の価格は流通する貨幣の量によって決まるのであって、逆に流通する貨幣の量が商品の価格によって決まるのではない、という命題がうちたてられる。われわれは、こういう見解が17世紀のイタリアの経済学者たちのあいだで多かれ少なかれほのめかされ、ロックによってときには肯定され、ときには否定され、『スペクテーター』(1711年10月19日号) によって、モンテスキューヒュームとによって決定的に展開されているのを見いだすのである。ヒュームは18世紀におけるこの理論の最も重要な代表者である〉 (全集第13巻136頁)  
  〈16世紀と17世紀には、ヨーロッパの商品価格は、輸入されたアメリカの金銀の量の増加につれて騰貴した。したがって各国の商品価格は、その国に存在する金銀の量によって規定される。これがヒュームの第一の「必然的帰結」であった。16世紀と17世紀には、物価は貴金属の増加につれて一様に騰貴したのではなかった。また、商品価格になんらかの変化が現われるまでには、半世紀以上が経過したし、変化が現われてからでも、諸商品の交換価値が一般的に金銀の低下した価値にしたがって評価されるまでには、したがってこの革命が一般の商品価格をとらえるまでには、さらに長い期間がかかったのである。〉 (同139頁)

  (ナ) 以下では、金の価値はいつでも所与のものとしておきますが、実際にもそれは、価格評価の瞬間にはいつでも与えられた大きさなのです。 

  以下では、金の価値はいつでも与えられたものとして前提しますが、実際にも、それらが諸商品の価値を尺度する瞬間にはいつでも常にある与えられた大きさとして存在しているのです。
 

◎第7パラグラフ(流通のなかにある諸商品の量が増えれば、貨幣量も増える) 

【7】〈(イ)こういうわけで、この前提のもとでは、流通手段の量は実現されるべき諸商品の価格総額によって規定されている。(ロ)そこで、さらにそれぞれの商品種類の価格を与えられたものとして前提すれば、諸商品の価格総額は、明らかに、流通のなかにある商品量によって定まる。(ハ)もし1クォーターの小麦が2ポンド・スターリングならば、100クォーターは200ポンド・スターリング、200クォーターは400ポンド・スタリーング、等々であり、したがって小麦の量が増すにつれて、販売にさいしてこれと場所を取り替える貨幣量も増さなければならないということは、ほとんど頭を痛めなくてもわかることである。〉 

  (イ) こういうわけで、こうした前提のもとでは、流通手段の量は、諸商品の値決め交渉によって確定された実現されるべき、すなわち現実の貨幣に転換されるべき、価格総額によって規定されているのです。 

  貨幣の価値が与えられたものと前提すれば、流通手段の量は、諸商品の値決め交渉によって確定した価格、すなわち現実の貨幣へと実現されるべき諸商品の価格によって規定されています。 

  (ロ)(ハ) そこで、さらにそれぞれの商品種類の価格を与えられたものとして前提すれば、諸商品の価格総額は、明らかに、流通のなかにある商品量によって定まります。そこで、ほとんど頭を痛めなくてもわかることですが、もし1クォーターの小麦が2ポンド・スターリングでしたら、100クォーターは200ポンド・スターリング、200クォーターは400ポンド・スタリーング、等々なのですから、小麦の量が増すにつれて、販売にさいして小麦と場所を取り替える貨幣量も増えなければなりません。 

  さらにそれらの諸商品の価格そのものが与えられたものと前提されるならば、諸商品の価格総額は、明らかに流通のなかにある商品量によって決まります。1クォーターの小麦が2ポンド・スターリングならば、100クォーターの小麦は200ポンド・スターリングであり、200クォーターならば400ポンド・スターリング等々なのですから。小麦の量が増えるにつれて、それらの価格を実現する貨幣量も増えるのは当たり前のことです。 
 

◎第8パラグラフ(商品の価格変動が如何なるものであろうと流通手段の量への影響は同じである) 

【8】〈(イ)商品量を与えられたものとして前提すれば、流通する貨幣の量は、諸商品の価格変動につれて増減する。(ロ)流通貨幣量が増減するのは、諸商品の価格総額がそれらの商品の価格変動の結果として増減するからである。(ハ)そのためには、すべての商品の価格が同時に上がったり下がったりする必要は少しもない。(ニ)すべての流通する商品の実現されるべき価格総額を増加または減少させるには、したがってまた、より多量またはより少量の貨幣を流通させるには、一方の場合には或る数の主要物品の価格上昇が、他方の場合にはそれらの価格低下があれば、それで十分である。(ホ)商品の価格変動に反映するものが、現実の価値変動であろうと、単なる市場価格の変動であろうと、流通手段の量への影響は同じことである。〉 

  (イ)(ロ) 商品の量が与えられたものだとすれば、流通する貨幣の量は、諸商品の価格変動につれて増減します。流通する貨幣の量が増減するのは、諸商品の価格変動の結果としてそれらの価格総額が増減するからです。 

  商品の量が与えられたものと仮定しますと、流通する貨幣の量は、その諸商品の価格の変動につれて変動します。流通する貨幣の量が増減するのは、諸商品の価格の変動の結果、流通する商品の価格総額が増減するからです。 

  (ハ)(ニ) 商品の価格総額が増減するためには、すべての商品の価格が同時に上がったり下がったりする必要はまったくありません。すべての流通する商品の実現されるべき価格総額を増加または減少させるには、したがってまた、より多量またはより少量の貨幣を流通させるには、一方の場合には、ある数の主要物品の価格上昇が、他方の場合には、それらの価格低下があれば、それで十分です。 

  商品の価格総額が増減するためには、すべての商品の価格が同時に上るか下がる必要はまったくありません。流通にはさまざまな商品があります。同時には、ある商品は上るが、別の商品は下がる場合もありえます。だから商品総額が上るか下がるためには、主要な物品の価格が上るか、下がるかすれば、それで十分なのです。それによってより多量の貨幣の流通を引き起こすか、あるいはより少量の貨幣の流通を引き起こすことになります。 

  (ホ) 商品の価格変動に反映するものが、現実の価値変動、すなわち、もろもろの商品を生産するための社会的必要労働時間の変化による価値変動であろうと、需要と供給との量的比率の変動による、たんなる市場価格の変動であろうと、流通手段の量への影響は同じことです。 

  いずれにせよ商品価格総額によって流通手段の総量は規定されています。いまこの商品の価格の変動が、商品の価値の変動、すなわちもろもろの商品を生産するための社会的必要労働時間の変動によるものか、それともただ単に市場における需給の変動による市場価格の変動によるものなのか、そうした価格変動を引き起こす原因がいずれであろうと、それが流通手段の変動に与える影響という点では同じだということです。

◎第9パラグラフ(流通する貨幣量の法則は一般的に妥当する)
 

【9】〈(イ)ある数の、無関連な、同時的な、したがってまた空間的に並行する売りまたは部分変態、たえば1クォーターの小麦、20エレのリンネル、1冊の聖書、4ガロンのウィスキーの売りが行なわれるものとしよう。(ロ)どの商品の価格も2ポンド・スターリングで、したがって実現されるべき価格総額は8ポンド.スターリングだとすれば、8ポンド・スターリングだけの貨幣量が流通にはいらなければならない。(ハ)これに反して、同じ諸商品が、われわれになじみの商品変態列、すなわち1クォーターの小麦-2ポンド・スターリング-20エレのリンネル-2ポンド・スターリング-1冊の聖書-2ポンド・スターリング-4ガロンのウィスキ-2ポンド・スターリングという列の諸環をなすとすれば、その場合には2ポンド・スターリングがいろいろな商品を順々に流通させて行くことになる。(ニ)というのは、それは諸商品の価格を順々に実現して行き、したがって8ポンド・スターリングという価格総額を実現してから、最後にウィスキー屋の手のなかで休むからである。(ホ)それは4回の流通をなしとげる。(ヘ)このような、同じ貨幣片が繰り返す場所変換は、商品の二重の形態変換、2つの反対の流通段階を通る商品の運動を表わしており、またいろいろな商品の変態のからみ合いを表わしている(76)。(ト)この過程が通る対立していて互いに補いあう諸段階は、空間的に並んで現われることはできないのであって、ただ時間的にあいついで現われることができるだけである。(チ)それだから、時聞区分がこの過程の長さの尺度になるのであり、また、与えられた時間内の同じ貨幣片の流通回数によって貨幣流通の速度が計られるのである。(リ)前記の4つの商品の流通過程には、たとえば1日かかるとしよう。(ヌ)そうすると、実現されるべき価格総額は8ポンド・スターリング、同じ貨幣片の1日の流通回数は4、流通する貨幣の量は2ポンド・スターリングである。(ル)すなわち、流通過程の或る与えられた期間については、 

     諸商品の価格総額
-------------   =流通手段として機能する貨幣の量

  同名の貨幣片の流通回数 

となる。(ヲ)この法則は一般的に妥当する。(ワ)与えられた期間における1国の流通過程は、一方では、同じ貨幣片がただ一度だけ場所を替え、ただ1回流通するだけの、多くの分散した、同時的な、空間的に並行する売り(または買い)すなわち部分変態を含んでいるが、他方では、同じ貨幣片が多かれ少なかれ何回もの流通を行なうような、あるいは並行し、あるいはからみ合う、多かれ少なかれいくつもの環から成っている変態列を含んでいる。(カ)とはいえ、流通しつつあるすべての同名の貨幣片の総流通回数からは、各個の貨幣片の平均流通回数または貨幣流通の平均速度がでてくる。(ヨ)たとえば1日の流通過程のはじめにそこに投げこまれる貨幣量は、もちろん、同時に空間的に並んで流通する諸商品の価格総額によって規定されている。(タ)しかし、この過程のなかでは、一つの貨幣片はいわば他の貨幣片のために連帯責任を負わされるのである。(レ)一方の貨幣片がその流通速度を速めれば、他方の貨幣片の流通速度が鈍くなるか、または、その貨幣片はまったく流通部面から飛び出てしまう。(ソ)なぜならば、流通部面が吸収しうる金量は、その各個の要素の平均流通回数を掛ければ実現されるべき価格総額に等しくなるような量に限られるからである。(ツ)それゆえ、貨幣片の流通回数が増せば、その流通量は減るのであり、貨幣片の流通回数が減れば、その量は増すのである。(ネ)流通手段として機能しうる貨幣量は、平均速度が与えられていれば与えられているのだから、たとえば一定量の1ポンド券を流通に投げこみさえすれば、同じ量のソヴリン貨をそこから投げだすことができるのである。(ナ)これは、すべての銀行がよく心得ている芸当である。〉 

  (イ)(ロ) ある数の、互いに関連のない、同時に行われ、だからまた空間的に並んで進行する販売すなわち部分変態が、たえば1クォーターの小麦、20エレのリンネル、1冊の聖書、4ガロンのウィスキーの販売が行なわれるものとしましょう。こられのどの商品の価格も2ポンド・スターリングで、したがって実現されるべき価格総額は8ポンド.スターリングだとすれば、8ポンド・スターリングという貨幣量が流通にはいらなければなりません。 

  これはすでに私たちが、第6、第7パラグラフで確認したように、空間的に同時に並行しておこなわれるバラバラの一方的な商品変態(売りまたは買い)があるなら、それらの流通に必要な流通手段の総量は、諸商品の価格総額によって規定されているというこことを確認しているだけです。それを私たちにとっておなじみの1クォーターの小麦、20エレのリンネル、1冊の聖書、4ガロンのウィスキーを例にあげ、それらがすべて2ポンド・スターリングだとするなら、それらがただ同時に販売されるためには、それらの商品の価格の実現に必要なの貨幣量はその価格の総和である8ポンド・スターリングであり、それだけの貨幣が流通しなければならないということです。 

  『要綱』の次の一文を参考のための紹介しておきましょう。 

  〈貨幣が流通させるのは、商品ではなくて、商品にたいする所有権であり、また貨幣と交換にこの流通で実現されるものは、購買でであろうと販売でであろうと、これまた商品ではなくて、その価格である。だから流通のために必要とされる貨幣量は、まずもって、流通に投じられる商品の価格の高低によって規定されているのである。だが、この価格の総額は、第1にこの商品の価格によって、第2に決まった価格で流通にはいる商品の量によって、規定されている。〉 (レキシコン貨幣Ⅱ199頁)

  (ハ)(ニ)(ホ) これに対して、同じ諸商品が、私たちにはおなじみの商品変態列の環となっているとしましょう。すなわち、1クォーターの小麦-2ポンド・スターリング-20エレのリンネル-2ポンド・スターリング-1冊の聖書-2ポンド・スターリング-4ガロンのウィスキ--2ポンド・スターリングという列です。この場合には、2ポンド・スターリングがいろいろな商品を順々に流通させて行くことになります。というのは、2ポンド・スターリングが諸商品の価格を順々に実現して行き、したがって8ポンド・スターリングという価格総額を実現してから、最後にウィスキー屋の手のなかで休むからです。それは4回の流通をなしとげます。 

  ここから今回のパラグラフの主題です。これまでは流通する貨幣の総量は、流通する商品の価格の総額に規定されるということが確認されました。しかし流通貨幣総量は、それだけではなくて、貨幣の流通する速度によっても否定的に規定されているのです。ここで否定的にというのは、それだけ貨幣量を減らすように作用するからです。貨幣の流通する速度は量の代わりをするのです。だからその速度によっては1個の貨幣片はその何倍にもなることになります。
  ここでは私たちにとっておなじみの諸商品列を例にあげて説明しています。同じ2ポンド・スターリングという貨幣片が順々にまず1クォーターの小麦の価格を実現し、次に20エレのリンネルの価格を実現し、さらに1冊の聖書の価格を実現し、そして最後に4ガロンのウィスキ-の価格を実現して、最終的にウィスキー屋の手のなかで休止するとしています。つまり同じ2ポンド・スターリングの貨幣片が4回回転することによって、8ポンド・スターリングの代わりにをつとめたことになります。2ポンド・スターリングが4倍になったのです。 

  (ヘ)(ト)(チ) このような、同じ貨幣片が繰り返す場所変換は、商品の二重の形態変換を、2つの対立する流通段階を通る商品の運動を表わしており、またいろいろな商品の変態のからみ合いを表わしています。この過程が経ていく、対立し、また互いに補いあう諸段階は、空間的に並んで現われることはできず、ただ時間的にあいついで現われることができるだけです。ですから、もろもろの時聞部分がこの過程の持続を計る尺度になります。言い換えれば、与えられた時間内の同じ貨幣片の通流の回数によって、貨幣流通の速度が計られるのです。 

  先の例で見ましたように、貨幣は4回の場所変換を行ないました(小麦、リンネル、聖書、ウィスキーのそれぞれを、それを非使用価値とする所持者の手から、それを使用価値とする人の手に移しました)、私たちはそれらの商品がただ一方的に順々に売られたことを見ただけです。しかし私たちが「商品の変態」の節で確認したように、それらは例えばリンネルなら最初は貨幣に変態したあと、さらに聖書に変態したのでした。つまり二重の形態変換を行い、販売と購買という二つの対立する流通段階を通ったのでした。だから上記のような諸商品列の流通が示すのはそれらの諸商品の変態の絡まりあいなのです。
  これらの商品が経ていく過程は、同時に空間的にならんで行なうことはできません。ただ時間的にあいついで現われることができるだけです。
  だからこの場合、一個の貨幣片がどれだけの諸商品を流通させることができるのかは、例え順々に相次いでなされたとしても、あるいは長短の間をもって行なわれたとしても、そのための時間が問題になってきます。
  だから貨幣の流通する速度は、ある与えられた時間内に、同じ貨幣片が何回諸商品を流通させるか、その回転数が問われます。つまり貨幣の流通速度は、同じ貨幣片が一定の時間内に行なう回転数によって測られるのです。
  しかしここでも注意しなければならないのは、貨幣の流通速度といっても、すでに見たように、諸商品の変態の諸事情に規定されているのですから、商品の流通の速度がそれを決めるのであって、貨幣の流通を早くすれば(そもそもそれは誰かが早めたり遅くしたり恣意的に変えられるようなものではない!)、商品の流通も早められるというような関係にはないということです。 

  (リ)(ヌ)(ル) いまの4つの商品の流通過程に、たとえば1日かかるとしましょう。そうすると、実現されるべき価格総額は8ポンド・スターリング、同じ貨幣片の1日の流通回数は4回、流通する貨幣の量は2ポンド・スターリングです。言い換えれば、流通過程のある与えられた期間については、 

     諸商品の価格総額
-------------   =流通手段として機能する貨幣の量
 同名の貨幣片の流通回数 

となります。 

  私たちが最初に確認したのは、流通する諸商品の価格総額が流通する貨幣総量を規定するということでした。だからのその関係を式に示すと 

   諸商品の価格総額  =  流通手段として機能する貨幣の量

となります。
  しかし次に、貨幣の流通速度が貨幣の量の代わりをするということも確認しました。だからその考えを加えると上記の式はどうなるかを考えてみましょう。
  上記の商品列の例で考えると、いま4つの商品の流通に1日かかるとしましょう。すると実現されるべき価格総額は8ポンド・スターリングです。しかし上記の商品列で運動するの貨幣量は同じ2ポンド・スターリングだけであり、それが4回転したのでした。だから実際に4つの商品を流通するのに1日に必要な貨幣量は2ポンド・スターリングだったのです。だからそれを同じように式に表すと、 

      諸商品の価格総額(8ポンド)
 -------------------=流通手段として機能する貨幣の量(2ポンド)
  2ポンドの貨幣片の流通回数(4回) 

となります。具体的数値を外すと、上記の一般的な法則の式になります。 

  (ヲ)(ワ)(カ) この法則はあらゆる場合にあてはまります。与えられた期間における1国の流通過程は、もちろん一方では、同じ貨幣片がただ一度だけ場所を替え、ただ1回の流通を行うだけの、多くの分散した、同時的な、空間的に並行する販売(または購買)すなわち部分変態を含んでいますが、他方では、同じ貨幣片が多かれ少なかれ何回もの流通を行なうような、あるいは並行し、あるいはからみ合う、多かれ少なかれいくつもの環から成っている変態列を含んでいます。けれども、流通のなかにあるすべての同名の貨幣片の総流通回数からは、各個の貨幣片の平均流通回数または貨幣流通の平均速度がでてきます。 

  この法則はあらゆる場合に妥当します。もちろん、この法則は後に貨幣の支払手段としての機能によって若干修正されますが、しかしこの単純な商品流通によって明らかになった貨幣の流通量の法則は、貨幣にさらに具体的なさまざまな形態規定性が加わろうとそのなかに貫いているような法則なのです。これについてマルクスは『資本論』のいろいろなところで言及していますが、一つだけ紹介しておきましょう。これは第3部の現行版の第5篇第28章のなかにある一文です(しかし紹介するのは大谷訳の草稿から)。 

  〈貨幣が流通しているかぎりでは,購買手段としてであろうと支払手段としてであろうと--また,二つの部面のどちらでであろうと、またその機能が収入の,それとも資本の金化ないし銀化であるのかにまったくかかわりなく--,貨幣の流通する総量の量については,以前に単純な商品流通を考察したときに展開した諸法則があてはまる。〉 (大谷著『マルクスの利子生み資本論』第3巻105頁、全集版第25巻a569頁)

   つまり貨幣により具体的な規定性(例えば「資本」であるとか「収入」であるとか)が加えられたとしても、流通する貨幣量の法則は『資本論』第1部第3章第2節b) で展開した法則が妥当するのだと述べているのです。これが〈この法則は一般的に妥当する〉と述べている意味なのです。
 ところで、ある国で一定の与えられた期間内における貨幣の流通を考えてみますと、ある貨幣片はただ一回の流通を行うだけで、多くの分散した、同時に行われる販売または購買を媒介するだけのものもあれば、しかし他方では、同じ貨幣片が何回も流通して、多くの商品が、互いに並行して、絡み合う、変態列を順々に媒介して流通していくものもあると考えられます。だから同じ貨幣片の総数とそれらの総回転数をとると、同じ貨幣片の平均された回転数が出てきます。そうした各個の貨幣片の平均的な回転数、あるいは流通回数が、貨幣流通の平均速度になります。 

  (ヨ)(タ)(レ)(ソ)(ツ) たとえば、1日の流通過程のはじめにそこに投げこまれる貨幣量は、もちろん、同時に空間的に並んで流通する諸商品の価格総額によって規定されています。しかし、この過程のなかでは、一つの貨幣片は、いわば、他の貨幣片のために連帯責任を負わされるのです。一方の貨幣片がその流通速度を速めれば、他方の貨幣片の流通速度が鈍くなるか、または、その貨幣片はまったく流通部面から追い出されてしまいます。というのも、流通部面は、その各個の要素の中位の流通回数を掛ければ、実現されるべき価格総額とちょうど等しくなるような金の量しか、吸収していることができないからです。だから、貨幣片の流通の回数が増せば、それが流通する量は減ります。貨幣片の流通回数が減れば、その量は増します。 

  そこで例えば、一日の流通のはじめに投入される貨幣量というのは、そのときに空間的に並行して流通する諸商品の価格総額によって規定されます。そしてその一日が終わるまでに、最初に投入された貨幣総量を構成する各個の貨幣片はどのような流通を行なうのかを考えてみましょう。
  この一日の流通過程において、ある一定数の貨幣片は一度だけ流通するだけかも知れません。しかし他の多くの貨幣片はそれぞれ順々に商品列を流通させて、何回かの回転を行なうでしょう。そうしてそれらは平均的な回転数をもって流通すると考えられます。とするなら、一日に流通する商品の価格総額が与えられていれば、その流通に必要な貨幣量はその平均の回転数によって決まってきます。
  だからこの場合、さまざまな回転数で流通する貨幣は互いに連帯責任を負っているようなものなのです。ある貨幣片が流通速度を早めれば(回転数を増やせば)、他方の貨幣片は速度が鈍くなるか(回転数を減らすか)、あるいは一回回転しただけで、流通から出て行くことになります。いずれにせよ、流通部面か吸収しうる貨幣量というのは、流通する商品の価格総額を一定量の貨幣片の平均的な流通回数で割った量になるのであって、それ以上の貨幣は吸収し得ないことになります。だから貨幣片の流通の回数(回転数)が増えれば、貨幣量は減るし、流通する回数(回転数)が減れば、貨幣量は増えなければなりません。
  ここらあたりは、以前、大阪市内でやっていた「『資本論』を学ぶ会」のニュースで解説したものがあるので、参考のために紹介しておきましょう(№39から)。 

  【ある一国の流通部面で流通している貨幣の総量は、ある時点では一義的に決まってきます。それはその時に同時に空間的に平行して販売(あるいは購買)される諸商品総額に一致します。もちろん、この数字そのものは時とともに変化するわけですが、しかしわれわれはとりあえずその変化は無視しましょう。次にある一定期間を取ると、当然、その間に流通する(実現される)諸商品総額は増えるわけですが、しかし貨幣の総量がそれに応じて増えるわけではありません。というのは、ある貨幣片は、次の時点では別の商品を実現させ、さらに別の商品を実現させるというふうに次から次へと同じ貨幣片が諸商品を実現させるからです。他方で、別の貨幣片はあるいは一回だけ実現させてそれで終わりという場合もあるかも知れません。しかしいずれにしても、それらの個々の貨幣片の与えられた期間における平均の流通回数というものをわれわれは考えることは可能です。そうすると、その期間に全体として流通させられる諸商品の総額というのは、最初のある時点の貨幣総量全体が、その平均の流通回数だけ流通したと考えたものと同じだということが分かります。
 今それを分かりやすく説明するために、簡単に図で示すと別図のようになります。               

  

 Aは最初の時点です。斜線のQという円は、その時点における必要な貨幣総量を表します。A→B→Cは与えられた期間の推移を示すとして、同時にその長さは流通回数を表すと考えます。するとQ面にあるさまざまな貨幣片はそれぞれさまざまな回数の流通を繰り返しますが、円筒を斜めに切った楕円面Pがその回数の分布を表していると考えることができます。だから実現される価格総額は、高さACの円柱を斜めに切った円錐の体積として求められます。ところで平均の回数はちょうどBと考えることができ、だから円錐の体積は、高さをABとする円柱の体積と同じになります。つまりそれは最初の貨幣総量に平均回数を掛けたものです。だからマルクスは次のように述べているのです。
 <流通部面が吸収しうる金量は、その各個の要素の平均流通回数を掛ければ実現されるべき価格総額に等しくなるような量に限られる
 これを等式に表すと次のようになります。

        実現されるべき価格総額
      -----------------=流通部面が吸収しうる金量
       金の各個の要素の平均流通回数

 これが一国の与えられた期間に流通手段として必要な貨幣(金)総量を表す等式だと考えることができます。】 

  (ネ)(ナ) 流通手段として機能することのできる貨幣の量は、それの平均速度が与えられていれば、与えられた大きさなのですから、たとえば一定量の1ポンド・スターリング券、つまり銀行券を流通に投げこみさえすれば、同じ量のソヴリン金貨をそこから投げだすことができるのです。これは、すべての銀行がよく心得ている芸当です。 

  流通手段として機能することのできる貨幣の量というのは、流通する商品の総額が決まっていれば、その平均速度によって決まってきます。つまりそれ以上の貨幣量は流通過程には吸収されないということです。だから一定量の1ポンド・スターリングの銀行券を流通に投げ込めば、同じ量のソヴリン金貨が流通から投げ出されることになります。これは銀行業者がよく心得ていることです。
  ここでマルクスは〈たとえば一定量の1ポンド券を流通に投げこみさえすれば、同じ量のソヴリン貨をそこから投げだすことができるのである。これは、すべての銀行がよく心得ている芸当である〉と述べています。これを見るかぎりあたかも銀行は銀行券を恣意的に流通に投げ込むことができるかに思えます。しかしもちろん、こうしたことはありえません。銀行は銀行券を、例えば産業資本家や商業資本家たちが銀行に持参する手形を割引して貸し出すことによって、あるいは担保を取って貸し出すことによって(あるいは預金者が銀行から銀行券で預金を引き出すことよって)、銀行券を流通に"投げ込む"ことができるだけです。だから実際に銀行券を商品の価格の実現のために流通させるのは、再生産的資本家たちか個人的な消費者たちなのです。ただ銀行は、手形割引を容易にするか(利子率を引き下げて)、あるいは引き締めるかはある程度までは恣意的にできます(しかし利子率も一見すると恣意的に決めているように見えますが、これも貨幣資本〔moneyed capital〕の需給によって客観的に一意的に決まってくるものなのです)。それに銀行が貸し出す銀行券は利子生み資本(moneyed capital)であって、それ自体が通貨(流通手段)なのではありません。それが実際に産業資本家や商業資本家、あるいは個人的消費者によって流通に投じられることによって、はじめてそれは通貨(流通手段)になるのです。こうした区別も本当は必要なのです。
  しかし現実問題として、銀行家たちは銀行券の貸し出しを増やして、流通する銀行券の量を増やせば、それまで流通していたソヴリン金貨が銀行に預金や支払として還流してくる事実を知っているのです。そしてそれはいうまでもなく、流通手段として流通する貨幣の量が、流通する商品の価格総額や貨幣の平均回転数(流通速度)が決まっていれば決まってくるからです。そうした事態をマルクスは平易に説明するために、あたかも銀行が銀行券を流通に直接投げ込むことができるかのように述べて説明しているのだと思います。
  

◎注76 

【注76】〈76「生産物はそれ」(貨幣)「を動かし、それを流通させるものである。……その」(すなわち貨幣の)「運動の速度は、その量を補うものである。必要な場合には、それはただ人手から人手へと移るばかりで、一瞬も立ちどまらない。」(ル・トローヌ『社会的利益について』、915、916べージ。)〉 

  これは〈このような、同じ貨幣片が繰り返す場所変換は、商品の二重の形態変換、2つの反対の流通段階を通る商品の運動を表わしており、またいろいろな商品の変態のからみ合いを表わしている〉という一文に付けられた原注です。
  フランス語版の場合、同じ原注がつけられている本文は〈2ポンド・スターリングの繰り返す4度の位置変換は、小麦やリンネルや聖書の完全な、相互に組み合わされた変態--この変態はブランデーの第一変態によって終結する--から生ずる〉というものです。
  ここでも原注71と同じくル・トローヌの『社会的利益について』からの抜粋ですが、トローヌが先験的に問題を正しく見抜いていることを紹介するものになっています。
  トローヌは生産物が貨幣を動かすと明確に述べています。貨幣が商品を流通させるのではなく、商品が流通するから貨幣が流通するだという関係を正しく見抜いているのです。
  そして貨幣の流通速度がその量を補うものだと述べ、それは人手から人手に移ることによってその量を補うことを指摘しているわけです。 

  (字数オーバーのための「付属資料」は下に回します。) 

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『資本論』学習資料No.15(通算第65回) 下

2019-10-11 14:46:47 | 『資本論』

『資本論』学習資料No.15(通算第65回)下

 (やはり今回も字数をオーバーしましたので、付属資料は「下」として掲載します。)

 

 

 【付属資料】

 

●第5パラグラフ

《経済学批判》

  〈商品の使用価値は、流通からの商品の脱落とともに始まるが、流通手段としての貨幣の使用価値は、それが流通することそれ自体である。流通のなかでの商品の運動はただ瞬時的な契機にすぎないが、他方、流通のなかでの休むことのない俳徊が貨幣の機能となる。〉(全集第13巻82頁)

  《初版》

  〈どの商品も、流通への第一歩で、それの第一の形態変換で、流通から脱落するが、この流通には絶えず新しい商品がはいってくる。これに反して、貨幣は、流通手段として絶えず流通部面に滞留し、絶えず流通部面のなかを流浪する。したがって、この部面が絶えずどれだけの貨幣を吸収しているか、という問題が生ずる。〉(江夏訳108頁)

《フランス語版》

  〈それぞれの商品は第一の形態変換で、流通における第一歩で、流通から消え失せ、他の商品によって絶えずとってかわられる。これに反して、貨幣は交換手段としてつねに流通部面にとどまり、この部面を絶えず働きまわる。さて問題は、この部面が吸収すること分できる貨幣量がどれだけであるか、を知ることである。〉(江夏・上杉訳96-97頁)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●第6パラグラフ

《経済学批判》

 〈すでに見たように、貨幣は空間的に雑然と並行しておこなわれる購買と販売で、あるあたえられた量の価格を同時に実現し、ただ一度だけ商品と位置を転換する。だが他方では、貨幣の運動に諸商品の総変態の運動とこれらの変態の連鎖とが現われるかぎりでは、同じ貨幣片がいろいろな商品の価格を実現し、こうして多かれ少なかれ何回かの流通をとげる。だからあるあたえられた期間、たとえば一日間の一国の流通過程をとってみれば、価格の実現のために、したがって商品の流通のために必要な金量は、一方ではこれらの価格の総額、他方では同じ金片の流通の平均回数という二つの契機によって規定されているであろう。この流通の回数、すなわち貨幣流通の速度は、それはそれとして、諸商品がそれらの変態のいろいろな局面を通過する平均速度、これらの変態が連鎖をなしてつながっていく平均速度、自分の変態を通過した諸商品が流通過程で新しい諸商品によって置き換えられる平均速度によって規定されており、言いかえれば、ただその平均速度を表現するにすぎない。だから価格付与にあたっては、すぺての商品の交換価値は同じ大きさの価値をもつ金量に観念的に転化され、孤立した二つの流通行為G-WとW-Gとにおいては、同一の価値額が、一方では商品、他方では金で二重に現存していたのであるが、流通手段としての金の定在は、個々の休止している商品にたいする金の孤立的な関係によって規定されているのではなく、過程を経過しつつある商品世界における金の動的定在によって規定されているのである。すなわち、その位置転換で諸商品の形態転換をあらわし、したがってその位置転換の速度によって商品の形態転換の速度をあらわすという金の機能によって規定されている。だから流通過程における金の現実的存在、すなわち流通している現実の金量は、いまや総過程そのものにおける金の機能上の定在によって規定されているのである。〉(全集第13巻83-84頁)
  〈貨幣の流通速度があたえられており、商品の価格総額があたえられていれば、流通媒介物の量は一定である、という法則は、商品の交換価値とそれらの変態の平均速度とがあたえられていれば、流通する金の量はそれ自身の価値に依存する、と表現することもできる。だから金の価値、すなわちその生産に必要な労働時間が増減すれば、商品価格はそれに反比例して騰落するであろうし、流通速度が同じままならば、同一の商品量の流通に必要な金の量は、価格のこの一般的騰落におうじて増減するであろう。同じ変動は、古い価値尺度が、それよりも価値の高い金属か、価値の低い金属かによって駆逐された場合にも生じるであろう。たとえばオランダは、国債所有者にたいするやさしい思いやりと、カリフォルニアとオーストラリアの〔金鉱〕発見の影響にたいする恐怖から、金貨幣を銀貨幣でとりかえたとき、同一の商品量を流通させるのに、以前の金にくらべて一四倍から一五倍の銀を必要としたのであった。
  流通する金量は、変動する商品価格の総額と変動する流通速度とに依存するということから、次の結論、金属流通手段の量は収縮し膨張しうるものでなければならず、つまり金は流通過程の必要におうじて、あるときは流通手段として流通過程にはいり、あるときはふたたびそこから離脱しなければならない、という結論が生じる。流通過程そのものがどのようにこれらの諸条件を実現するかは、あとで見るであろう。〉(同87頁)
 〈貴金属の価値の減少、すなわちその生産に必要な労働時間の減少は、さしあたってその供給の増加に現われるだけである。それゆえに、のちにヒュームの学徒は貴金属の価値の減少は流通手段の量の増加に現われ、流通手毅の量の増加は商品価格の騰貴に現われる、と言った。しかし実際には、流通手段としての金銀ではなく、商品としての金銀と交換される輸出商品の価格だけが騰貴するのである。こうして、価値の減少した金銀で評価されるこれらの商品の価格は、その交換価値がひきつづき金銀のもとの生産費の基準にしたがって評価される他のすべての商品にたいして騰貴する。同じ国内での諸商品の交換価値のこういう二重の評価は、もちろん一時的なものでしかありえず、金価格または銀価格は交換価値そのものによって規定された比率で平衡化されなければならず、こうして結局は、すべての商品の交換価値は、貨幣材料の新しい価値におうじて評価されることになる。こういう過程の展開は、一般に市場価格の動揺のなかで商品の交換価値が自己を貫徹するしかたと同じように、ここでの問題ではない。だが、この平衡化が、ブルジョア的生産のあまり発展していない時代には、きわめてゆっくりと、また長期にわたっておこなおれ、どんな場合でも流通する現金の増加と歩調をそろえるものではないことは、16世紀の商品価格の運動についての新しい批判的研究によって的確に証明されている。ヒュームの学徒は、マケドニア、エジプト、小アジアの征服の結果として古代ローマに起こった物価騰貴をこのんで引合いにだすが、これはまったく見当ちがいである。古代世界に特有な、貯めこまれた蓄蔵貨幣の一国から他国への、突然で強力的な移転、略奪という単純な過程による貴金属の生産費の一定の国にとっての一時的減少は、たとえばエジプトやシチリアの穀物をローマで無償で分配したことが、穀物価格を規制する一般的法則に影響するものではないのと同じように、貨幣流通の内在的法則に影響するものではない。貨幣流通の詳細な観察に必要な材料、すなわち一方では商品価格のよく吟味された歴史、他方では流通媒介物の膨張と収縮、貴金属の流入と流出等々についての公式の連続的な統計、一般に銀行制度が十分に発展してはじめて生じてくる材料は、ヒュームも、18世紀のすべての著述家も、もっていなかったのである。〉(同137-138頁)
  〈価値の尺度の価値変動、言いかえれば計算貨幣として機能する貴金属の価値変動は、商品価格を騰貴または下落させ、したがってまた流通速度が同じままならば、流通する貨幣の量を増加または減少させるから、ヒュームは商品価格の騰落は流通する貨幣の量に依存する、と結論する。16世紀と17世紀には、金銀の量が増加したばかりでなく、同時にまたそれらの生産費も減少したということを、ヒュームは、ヨーロッパの諸鉱山が閉鎖されたことから知ることができた。16世紀と17世紀には、ヨーロッパの商品価格は、輸入されたアメリカの金銀の量の増加につれて騰貴した。したがって各国の商品価格は、その国に存在する金銀の量によって規定される。これがヒュームの第一の「必然的帰結」であった。16世紀と17世紀には、物価は貴金属の増加につれて一様に騰貴したのではなかった。また、商品価格になんらかの変化が現われるまでには、半世紀以上が経過したし、変化が現われてからでも、諸商品の交換価値が一般的に金銀の低下した価値にしたがって評価されるまでには、したがってこの革命が一般の商品価格をとらえるまでには、さらに長い期間がかかったのである。〉(同139頁)

《初版》

  〈一地方では毎日、巨大な数の、同時的な、したがって空間的に並列している、一面的な商品変態が、すなわち、相互に独立している商品所持者たちが行なうところの無数に大量な分散した販売が、生じている。諸商品は、それらの価格において、既定の想像された貨幣量に等置されている。さて、ここで観察されている直接的な流通形態は、商品と貨幣とをいつでも互いに生身(ナマミ)のままで向かいあわせ、一方を販売という極に、他方を購買という反対極に、向かいあわせているのであるから、商品世界の流通過程にとって必要な流通手段の量は、諸商品の価格総額によってすでに規定されている。じっさい、貨幣は、諸商品の価格総額のうちすでに観念的に表現されている金の総額を、実在的に表わしているにすぎない。だから、これらの二つの総額が等しいことは自明である。とはいえ、われわれが知っているとおり、諸商品の価値が不変のばあいには諸商品の価格は金(貨幣素材)そのものの価値とともに変動するのであって、金の価値が下がればそれに比例して上がり、金の価値が上がればそれに比例して下がる。諸商品の価格総額がこのように上がるか下がるかに応じて、流通しつつある貨幣の量も同じようにふえるか減るはずである。このばあい、流通手段の量の変動は、もちろん、貨幣そのものから生ずるのであるが、流通手段としての貨幣の機能から生ずるのではなく価値尺度としての貨幣の機能から生ずるのである。まず諸商品の価格が貨幣の価値に逆比例して変動し、それから、流通手段の量が諸商品の価格に正比例して変動する。これと全く同じ現象は、たとえば、金の価値が下がるのではなくて銀が価値尺度として金にとって代わるばあいとか、銀の価値が上がるのではなくて金が銀を価値尺度の機能から追い払うばあいでも、生ずるであろう。前者では、以前に流通していた金よりも多くの銀が、後者では、以前に流通していた銀よりも少ない金が、流通するはずである。双方のばあいとも、貨幣素材の価値、すなわち、価値の尺度として機能する商品の価値が変動し、したがって諸商品価値の価格表現が、したがって、これらの価格の実現に役立つところの流通しつつある貨幣の量が、変動したであろう。すでに見たように、諸商品の流通部面には一つの穴があって、この穴を通って金(銀、要するに貨幣素材)が、与えられた価値をもつ商品としてこの流通部面にはいってくる。この価値は、価値尺度としての貨幣が機能するさいには、したがって価格をきめるさいには、前提ずみである。いま、たとえば価値尺度そのものの価値が下がれば、このことはまず、貴金属の原産地で商品としての貴金属と直接に交換される諸商品の価格変動のうちに現われる。ことに、市民社会の比較的未発達な状態では、ほかの諸商品の大部分は、なおかなり長いあいだ、価値尺度がもっているところのいまでは幻想的になり過去のものである価値で、評価されるであろう。にもかかわらず、一商品は他商品にたいし、自分がこの他商品にたいしてもっているところの相対的な価値比率を通じて、影響を及ぼすのであって、諸商品の金価格または銀価格は、しだいに、これらの諸商品の価値そのものによってきめられた比率で調整され、ついには、すべての商品価値が貨幣金属の新たな価値に応じて評価されるようになる。この調整過程には、貴金属と直接的に交換される諸商品と引き換えに流入する貴金属の継続的な増加が、伴っている。だから、諸商品の訂正された価格づけが一般化するのと同じ度合いで、あるいは、諸商品の価値が、新たな、すでに下がった、そしてある点までは引きつづき下がりつつある金属の価値に合致して評価されるのと同じ度合いで、諸商品の価値の実現に必要な金属の増加量もすでに存在しているわけである。新たな金銀原産地の発見に続いて起きた諸事実を一面的に観察したために、17世紀ことに18世紀には、諸商品価格が上がったのはいっそう多くの金銀が流通手段として機能したからであるという謬論が、誘発された。以下では金の価値は与えられているものと前提するが、金の価値はじっさいにも価格評価の瞬間には与えられているのである。〉(江夏訳108-110頁)

《フランス語版》 (フランス語版は二つのパラグラフに分けられている。)

  〈一国では、さまざまな商品の程度の差はあれ多数の阪売、すなわち部分変態が、同時にまた相並んで毎日行なわれている。これらの商品の価値は、その価格によって、すなわち、想像された金の総額で表現される。したがって、市場に現われるすべての商品の流通が必要とする貨幣量は、これらの商品の価格の総額によって規定される。貨幣は、諸商品の価格の総額のうちにすでに観念的に表わされた金の総額を、実在的に表わしているにすぎない。したがって、これら二つの総額が相等しいことは、自明である。とはいうものの、われわれが知っているように、商品の価値が不変のままであれば、商品の価格は金の(貨幣材料の)価値とともに変動するのであって、金の価値の低落に比例して騰貴するし、金の価値の騰貴に比例して低落する。実現すべき価格総額のこのような変動は、これに比例する流通貨幣量の変化を必然的に惹き起こす。この変化は結局貨幣自体から生ずるが、それはもちろん、貨幣が流通手段として機能するかぎりにおいてではなく、価値尺度として機能するかぎりにおいてのことである。このようなばあいには、まず貨幣価値が変動する。次いで、商品価格が貨幣価値に反比例して変動し、最後に、流通貨幣量が商品価格に正比例して変動する。
  すでに見たように、流通には一つの戸口があり、この戸口から金(または他のすべての貨幣材料)が商品として入ってくる。金自体の価値は、価値尺度として機能する以前に、規定されているのである。さて、金の価値がたまたま変化する、つまり、低落すれば、このことはまず、金が他の商品と交換される貴金属の原産地で気づかれるであろう。この 商品の価格は騰貴するだろうが、他方、他の多数の商品は、金属貨幣の幻想的になった旧価値で評価されつづけるであろう。この事態は普遍的市場の発展度に応じて、長短の差はあるが持続することがありうる。とはいえ、ある商品は他の商品にたいし、両者の価値比率によって、しだいに影響を及ぼさざるをえない。諸商品の金価格または銀価格は、それらの比較価値としだいに平衡化され、ついにはあらゆる商品の価値が、金属貨幣の新価値にしたがって評価されることになる。この運動はどれも、貴金属--この貴金属が、交換される商品にとってかわるわけだが--の絶え間ない増加を伴う。商品の価格の改訂率が一般化し、その結果、全般的な価格騰貴が起こるのにつれて、商品価格の実現に必要な金属の増加分もすでに市場に流通しているわけである。金や銀の新鉱山の発見に続く諸事実を不完全に観察した結果、17世紀、とりわけ18世紀には、金や銀が以前よりも多量に流通手段として機能したために商品価格が騰貴したのだ、という誤った結論が生まれた。以下の考察では、金の価値は、それが価格決定の瞬間には実際そうであるように、与えられているものと仮定する。〉(江夏・上杉訳97-98頁)

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●第7パラグラフ

《経済学批判》

  〈貨幣流通の前提は商品流通であり、しかも貨幣が流通させるのは、価格をもつ諸商品、すなわち観念的にすでに一定の金量と等置されている諸商品である。諸商品の価格規定そのものには、度量単位として役だつ金量の価値の大きさ、すなわち金の価値は、あたえられたものとして前提されている。だからこの前提のもとでは、流通に必要な金の量は、まず第一に実現されるべき商品価格の総額によって規定されている。ところが、この総額そのものは、(1)価格の高さ、つまり金で評価された諸商品の交換価値の相対的な高さまたは低さによって、(2) 一定の価格で流通する諸商品の量によって、つまりあたえられた価格での購買と販売との量によって規定される*。

  * 貨幣の量は「それが商品によって約定された価格を維持するに十分なだけ存在しさえすれば」、どうでもよい。ボアギュベール『フランス詳説』。所収、前掲書、209ページ。「もし4億ポンド・スターリングの商品の流通に4000万ポンド・スターリングの金量が必要であり、そしてこの10分の1という比率が適当な水準であるとすれば、流通する商品の価値が自然的な原因から4億5000万に増加した場合には、金量は、その水準を保つためには、4500万に増加しなければならないであろう。」W・ブレーク『……政府支出によって生じる影響にかんする考察』、ロンドン、1823年、80、81ぺージ。*   * 一八五九年版では、四ニページ、となっていた。 〉(全集第13巻84-85頁)

《初版》

  〈したがって、この前提のもとでは、流通手段の量は、実現されるべき諸商品の価格総額によって定められている。さて、われわれがこれに加えて、どの商品種類の価格も与えられていると前提すれば、諸商品の価格総額は、明らかに、流通のなかに存在している商品量によってきまるわけである。1クオーダーの小麦が2ポンド・スターリングに値するならば、100クオーダーの小麦は200ポンド・スターリングに値し、200クォーターの小麦は400ポンド・スターリングに値し、等々、したがって、小麦の量が増加するにつれて、販売にさいして小麦と席を取り替える貨幣量も増加するにちがいない、ということを理解するには、さほど頭を痛めるには及ばない。〉(江夏訳110頁)

《フランス語版》

  〈このことがひとたび認められれば、流通する金の量は、実現すべき商品価格の総額によって規定されるであろう。それぞれの商品種類の価格が与えられれば、価格総額は明らかに、流通している商品量に依存するであろう。1クォーターの小麦が2ポンド・スターリングに値すれば、100クォーターの小麦は200ポンド・スターリングに値するであろう、等々ということ、そしてまた、小麦の販売のさいにこれと位置を変える金の量が小麦の量とともに増加するはずであるということは、脳味噌をしぼるまでもなく理解することができる。〉(江夏・上杉訳98頁)

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●第8パラグラフ

《初版》

  〈諸商品量が与えられていると前提すれば、流通しつつある貨幣の量は、諸商品の価格変動につれて増減する。この貨幣量が増減するのは、諸商品の価格変動の結果としてこれらの諸商品の価格総額が増減するからである。そのためには、すべての商品の価格が同時に上がったり下がったりする必要は断じてない。流通しつつある全商品の実現されるべき価格総額を増加または減少させるためには、したがってまた、より多量またはより少量の貨幣を流通させるためには、一方のばあいにはある数の主要物品の価格上昇があれば、他方のばあいにはこれらの主要物品の価格下落があれば、それで充分である。諸商品の価格変動がほんとうの価値変動を反映しようと、市場価格の単なる変動を反映しようと、流通手段の量に及ぼす影響は同じである。〉(江夏訳110-111頁)

《フランス語版》

  〈商品量が与えられておれば、商品価格の変動は流通貨幣量に反作用を及ぼすことができる。実現すべき価格総額が増大または減少するのに応じて、流通貨幣量はやがて上昇または下落する。そのためには、あらゆる商品の価格が同時に騰貴し、または下落する必要はない。実現すべき価格総額に影響を及ぼすには、若干数の主要物品の価格の騰貴または下落があれば、それで充分である。商品価格の変動が現実の価値変動を反映するにせよ、単なる市場の動揺から生ずるにせよ、流通貨幣量に生ずる結果は同じである。〉(江夏・上杉訳98頁)

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●第9パラグラフ

《経済学批判》 (以下、第6パラグラフの資料と重複するものもある)

  〈すでに見たように、貨幣は空間的に雑然と並行しておこなわれる購買と販売で、あるあたえられた量の価格を同時に実現し、ただ一度だけ商品と位置を転換する。だが他方では、貨幣の運動に諸商品の総変態の運動とこれらの変態の連鎖とが現われるかぎりでは、同じ貨幣片がいろいろな商品の価格を実現し、こうして多かれ少なかれ何回かの流通をとげる。だからあるあたえられた期間、たとえば一日間の一国の流通過程をとってみれば、価格の実現のために、したがって商品の流通のために必要な金量は、一方ではこれらの価格の総額、他方では同じ金片の流通の平均回数という二つの契機によって規定されているであろう。この流通の回数、すなわち貨幣流通の速度は、それはそれとして、諸商品がそれらの変態のいろいろな局面を通過する平均速度、これらの変態が連鎖をなしてつながっていく平均速度、自分の変態を通過した諸商品が流通過程で新しい諸商品によって置き換えられる平均速度によって規定されており、言いかえれば、ただその平均速度を表現するにすぎない。〉(全集第13巻83頁)
  〈しかしすでに見たように、流通する貨幣の量は、たんに実現されるぺき商品価格の総額によって規定されるだけでなく、同時に貨幣の流通する速度、つまり貨幣があたえられた期間内にこの実現の仕事をなしとげる速度によっても規定される。もし同じソヴリン金貨が同じ日にそれぞれ1ソヴリンの価格の商品を10回買い、したがってその所持者を10回変えれば、このソヴリン金貨は、1日にそれぞれ1回しか流通しないソヴリン金貨10個とちょうど同じ仕事をする。だから金の流通の速度は、金の量の代わりをすることができるのであり、言いかえれば、流通過程における金の定在は、たんに商品とならんでいる等価物としてのその定在によって規定されるだけではなく、商品変態の運動の内部での金の定在によっても規定される。けれども、貨幣流通の速度はある一定の程度までしかその量の代わりをしない。なぜならば、どのあたえられた時点でも、際限なく分裂した購買と販売とが、空間的に並行しておこなわれるからである。〉(同85頁)

《初版》

  〈関連のない、同時的な、したがって空間的に並存している、ある数の販売すなわち部分変態が、たとえば1クォーターの小麦、20エレのリンネル、1冊の聖書、4ガロンのウイスキーの、販売すなわち部分変態が、与えられているとしよう。どの物品の価格も2ポンド・スターリングであり、したがって、実現されるべき価格総額が8ポンド・スターリングであれば、8ポンド・スターリングの貨幣量が流通にはいらなければならない。これに反して、この同じ諸商品が、われわれになじみの変態系列、すなわち、1クォーターの小麦--2ポンド・スターリング--20エレのリンネル--2ポンド・スターリング--1冊の聖書--2ポンド・スターリング--4ガロンのウイスキー--2ポンド・スターリング、の諸環を形成しているならば、同じ2ポンド・スターリングが、いろいろな商品の価格を、順々に、したがってまた8ポンド・スターリングという価格総額を実現させることによって、これらの商品を順々に流通させ、そして最後に醸造屋の手のなかで休むことになる。それは4回の流通を果たしている。同じ貨幣片が繰り返すこの位置変換は、商品の2度の形態変換、2つの対立する流通段階を通る商品の運動を表わし、また、いろいろな商品の変態のからみあいを表わしている(60)。この過程が通過するところの、対立していながらも互いに補いあっている諸段階は、空間的に並存しえず、ただ時間的に継起しうるだけである。だから、期間がこの過程の長さの尺度になっており、または、与えられた時間内における同じ貨幣片の流通回数が、貨幣流通の速度を測るわけである。上記の4つの商品の流通過程が、たとえば1日間継続するとしよう。そうすると、実現されるべき価格総額は8ポンド-スターリング、同じ貨幣片の1日の流通回数は4回、流通しつつある貨幣の量は2ポンド・スターリングである。すなわち、流通過程のある与えられた期間については、

  諸商品の価格総額
---------- =流通手段として機能しつつある貨幣の量
  貨幣片の流通回数

になる。この法則は、一般的に妥当する。ある与えられた期間における一地方の流通過程は、確かに、一方では、同じ貨幣片が一度だけ位置を換える、すなわち一回だけ流通するところの、多数の、分散した、同時的な、空間的に並存している、販売(または購買)すなわち部分変態、を含んでいるが、他方では、同じ貨幣片が多かれ少なかれ幾回も流通するような、あるいは並行しあるいはからみあう、なにがしかの数の環から成っている、多数の変態系列、を含んでいる。とはいうものの、流通しつつあるすべての同名の貨幣片の流通総回数からは、個々の貨幣片の平均流通回数または貨幣流通の平均速度が出てくる。たとえば一日の流通過程の初めにこの過程のなかに投げ込まれる貨幣量は、もちろん、同時にしかも空間的に並んで流通する諸商品の価格総額によって規定されている。ところが、この過程のなかでは、一方の貨幣片が、いわば他方の貨幣片にたいして責任を負わされている。一方の貨幣片がその流通速度を速めれば、他方の貨幣片の流通速度は緩むか、または、その貨幣片は流通部面から完全に飛び出してしまう。なぜならば、流通部面は、金のある分量--これにこれの個々の要素の平均流通回数を掛けたものが、実現されるべき価格総額に等しくなるような分量--しか吸収できないからである。したがって、貨幣片の流通回数が増せば、それの流通する分量が減る。貨幣片の流通回数が減れば、それの分量が増す。流通手段として機能しうる貨幣量は、与えられた平均速度のもとでは与えられているから、たとえば一定量の1ポンド券を流通のなかに投げ入れさえすれば、同じ量のソブリン貨をそこから投げ出すことができるのであって、このことは、すべての銀行がよく心得ている術策である。〉(江夏訳111-113頁)

《フランス語版》 (フランス語版では、このパラグラフ全体は4つのパラグラフに分けられている。よって、注の位置も異なっている。)

  〈若干数の販売が、すなわち、たとえば1クォーターの小麦、20メートルのリンネル、1冊の聖書、4樽のプランデーの部分変態が相互の関連もなく同時に行なわれ、それがために、相並んで行なわれるとしよう。もしそれぞれの物品が2ポンド・スターリングに値すれば、これら物品の価格総額は8ポンド・スターリングであって、それを実現するためには8ポンド・スターリングを流通に投入しなければならない。反対に、右と伺じこれらの商品が、1クォーターの小麦--2ポンド・スターリング--20メートルのリンネル--2ポンド・スターリング--1冊の聖書--2ポンド・スターリング--4樽のブランデー--2ポンド・スターリングという既知の変態系列を形成するならば、そのばあいは同じ2ポンド・スターリングが、つぎつぎにこれらのさまざまな商品の価格を実現し、最後に酒造家の手中にとどまることによって、これらの商品を上記の順序で流通させるのである。このようにして、この2ポンド・スターリングは4回転する。
 2ポンド・スターリングの繰り返す4度の位置変換は、小麦やリンネルや聖書の完全な、相互に組み合わされた変態--この変態はブランデーの第一変態によって終結する--から生ずる(26)。このよう紮列を形成するところの、対立し相互に補足しあう諸運動は、つぎつぎに行なわれるのであって、同時には行なわれない。これらの運動には、長短の差はあれ遂行のための時間が必要である。そうなると、貨幣流通の速度は、与えられた時間内における同じ貨幣片の回転数によって測られる。4つの商品の流通が1日続くと仮定しよう。実現すべき価格総額が8ポンド・スターリング、各貨幣片の一日間の回転数が4回、流通貨幣量が2ポンド・スターリングであれば、

               商品価格の総額
------------------------=流通手段として機能する貨幣量
 与えられた時間内における同じ名称の貨幣片の回転数

である。
 この法則は一般的である。ある与えられた期間内における一国の商品流通には、多くの個々ばらばらな販売(または購買)、すなわち、同時的な部分変態が含まれており、この変態では、貨幣は一度しか位置を変えない、すなわち、1回しか回転しない。他方、相並んで行なわれようと、相互に組み合わされていようと、程度の差はあれ多岐にわたる変態の諸系列があり、そこでは同じ貨幣片が程度の差はあれ幾回も回転する。流通している貨幣の総額を構成する個々の貨幣片が機能する活動度は、いたって多様であるが、ある与えられた期間内におけるそれぞれの名称の貨幣片の総計は、ある大きさの価格総額を実現する。貨幣流通の平均速度がきまる。
  たとえば、ある与えられた瞬間に流通に投ぜられる貨幣量は、もちろん、相互に相並んで売られた商品の総価額によって規定されている。だが、流通の流れ自体では、それぞれの貨幣片は、いわば、隣の貨幣片にたいして責任を負わされている。一方がその流通速度を速めれば、他方はそれを緩めるか、あるいは流通部面から完全に投げ出される。というのは、この流通部面はある分量の金--この分量に金の平均回転数を乗じたものが、実現すべき価格総額に相等しい--しか吸収できないからである。貨幣の回転が増せば貨幣量は減り、貨幣の回転が減れば貨幣量は増す。貨幣の平均速度が与えられておれば、流通手段として機能しうる分量もまた規定される。したがって、たとえば、若干数の1ポンド銀行券を流通に投ずるだけで、流通から同数のポンド・スターリングを金で引き出すのに充分であろう。これは、すべての銀行によく知られている術策である。〉(江夏・上杉訳98-100頁)

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●注76

《初版》

  〈(60) 「諸生産物がそれ(貨幣)を運動させ、流通させる。……それの(すなわち貨幣の)運動の速度が貨幣量を補う。必要なばあいには、貨幣は一瞬もとどまることなく一方の手から他方の手に滑り落ちるだけである。」(ル・トローヌ、前掲書、915、916ページ。)〉(江夏訳113頁)

《フランス語版》

  〈(26)「生産物がそれ(貨幣)を運動させ、流通させる。……貨幣の運動の速度が貨幣量を補う。必要なばあいには、貨幣は一瞬もとどまることなく一方の手から他方の手へ滑り落ちるだけである」(ル・トローヌ、前掲書、915、916ページ)。〉(江夏・上杉訳99頁)

 

 

 

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