『資本論』学習資料室

泉州で開催された「『資本論』を読む会」の4年余りの記録です。『資本論』の学習に役立たせてください。

『資本論』学習資料No.16(通算第66回)(1)

2019-11-11 14:00:18 | 『資本論』

『資本論』学習資料No.16(通算第66回)(1)

 

 

◎諸商品の価値存在は諸商品の統一性〔Einheit〕をなしている(大谷新著の紹介の続き) 

  大谷禎之介著『資本論草稿にマルクスの苦闘を読む』「Ⅲ 探索の旅路で落ち穂を拾う」のなかで、今回は「第10章 商品および商品生産に関するいくつかの問題について」を取り上げます。
  大谷氏は1993年から1995年にかけて『経済志林』に五つの論考を発表し、後に講義用のテキストとしてまとめましたが、それに入りきらなかったものを今回の章と次章で紹介するものだとの説明があります。〈本章で取り上げているのは,いずれも,マルクスが『資本論』第1部 第1篇で商品および商品生産について述べている内容を十分に理解できず,誤解したうえでマルクスを批判するというたぐいの議論が多い論点である〉(459頁)と。
  まず問題にされるのは〈論点1 使用価値の捨象によって抽象的労働に到達するのは「無理」か--置塩信雄氏の見解について--〉です。置塩氏の主張を紹介するのは省略して、 大谷氏の批判のなかで注目すべき論点だけを紹介することにします。それは〈諸商品の価値存在は諸商品の統一性〔Einheit〕をなしている〉というものです。次のように論じています。 

  〈こうして,抽象的労働の対象化としての価値が析出された。このことによって同時に明らかになるのは,「商品の「価値」は,他のすべての歴史的社会形態にも別の形態でではあるが,同様に存在するもの,すなわち労働の社会的性格--労働が「社会的」労働力の支出として存在するかぎりでの--を,ただ歴史的に発展した一形態で表現するだけだということ」(マルクス『アードルフ・ヴァーグナー著『経済学教科書』への傍注』,MEW19S.375.)であって,だからこそマルクスは,初版本文で,交換価値から価値を析出した直後に,次のように言うのである。
  「諸使用対象または諸財貨としては,諸商品は物体的に異なっている諸物である。これに反して,諸商品の価値存在は諸商品の統一性〔Einheit〕をなしている。この統一性は,自然から生じるのではなくて,社会から生じるのである。さまざまな使用価値においてたださまざまに表わされるだけの共通な社会的実体,それは--労働〔dieArbeit〕である。」(『資本論』第1部初版,MEGAII/5,S.19;岡崎次郎訳『資本論第1巻初版』,大月書店,国民文庫,1976年,25ページ。)
   なお,付言すれば,『資本論』現行版の価値形態論の最初の部分でマルクスが次のように言うことができたのも,価値の実体がこのような「社会的」なものであることが,すでに明らかにされていたからである。
  「商品体の感覚的に粗い対象性とは正反対に,商品の価値対象性には一分子も自然素材は入っていない。それゆえ,ある一つの商品をどんなにいじくりまわしてみても,価値物としては相変わらずつかまえようがないのである。とはいえ,諸商品は,ただそれらが人間的労働という同一の社会的統一性〔Einheit〕の諸表現であるかぎりでのみ価値対象性をもっているのだということ,したがって商品の価値対象性は純粋に社会的であるということを思い出すならば,価値対象性は商品と商品との社会的な関係のうちにしか現われえないということもまたおのずから明らかである。」(『資本論』第1部,MEW23,S.62.〉
(447-448頁、下線はマルクス、太字は大谷氏による傍点) 

   大谷氏の新書の紹介はこれぐらいにして、テキストの解読に取りかかりましょう。今回は第3章「貨幣または商品流通」の第2節 「流通手段」の「b 貨幣の通流」の第10パラグラフから最後までです。

 

◎第10パラグラフ(貨幣流通の速さは商品流通の速さに規定されている) 

【10】〈(イ)貨幣流通では一般にただ諸商品の流通過程が、すなわち反対の諸変態をつうじての諸商品の循環が、現われるだけであるが、同様に、貨幣流通の速さに現われるものも、商品の形態変換の速さ、諸変態列の連続的なからみ合い、物質代謝の速さ、流通過程からの諸商品の消失の速さ、そしてまた新たな諸商品の入れ替わりの速さである。(ロ)つまり、貨幣流通の速さには、対立しながら互いに補い合う諸段階の、価値姿態への使用姿態の転化と使用姿態への価値姿態の再転化との、または売りと買いという両過程の、流動的な統一が現われる。(ハ)逆に、貨幣流通の緩慢化には、これらの過程の分離と対立的な独立化、形態変換したがってまた物質代謝の停滞が現われる。(ニ)この停滞がどこから生ずるかは、もちろん、流通そのものを見てもわからない。(ホ)流通は、ただ現象そのものを示すだけである。(ヘ)通俗的な見解は、貨幣流通が緩慢になるにつれて流通部面のあらゆる点で貨幣が現われては消える回数が少なくなるのを見るのであるが、このような見解がこの現象を流通手毅の量の不足から説明しようとするのは、いかにもありそうなことである(77)。〉 

  (イ) そもそも通貨幣流通として現れているものは、諸商品の流通過程、すなわち対立する諸変態をつうじて進行する諸商品の循環でしかないのですが、同様に、貨幣流通の速さとして現われているものも、商品の形態変換の速さ、そしてまたそれらが新たな諸商品によって置き換えられる速さです。 

 私たちは貨幣の通流をそれ自体として観察してきましたが、そもそも貨幣の通流というのは、第1パラグラフ(【1】)の解説のなかで紹介した久留間鮫造が作成した図(商品の変態と貨幣の通流)を見ると容易に分かりますように、諸商品の変態がそうした貨幣の流通を引き起こしているということでした。   ということはこれも当然のことですが、貨幣の流通の速さというのは、こうした諸商品の変態の速さに規定されているということです。つまり流通過程に諸商品が登場するとともに、貨幣に媒介されて、すぐに消費過程に落ちていく、そしてそれと入れ代わりに新たな商品がまた流通過程に登場し、それもすぐに消費過程に落ちていく、そうした諸商品の新陳代謝の速さに規定されている、あるいは貨幣の流通の速さにそれが現われているということです。 

  (ロ) つまり、貨幣流通の速さとして現れているのは、対立しながら互いに補い合う諸段階の、すなわち価値姿態への使用姿態の転化と使用姿態への価値姿態の再転化との、または販売と購買という両過程の、流動的な統一なのです。 

  同じことですが、貨幣の通流の速さとして現われているのは、諸商品の変態の、すなわち対立しながら互いに補い合う変態の諸段階、すなわち使用価値としての商品が、貨幣に変態して価値姿態になり、さらに再び別の商品に、すなわち使用価値姿態に再転化するという、ようするに同じ商品所持者が販売と購買という両過程を行なう、その流動的な統一を表しているのです。 

  (ハ)(ニ)(ホ) 逆に、貨幣流通の緩慢化として現れているのは、これらの過程の分離と対立的な自立化、形態変換したがってまた物質代謝の停滞です。この停滞がどこから生じているのかは、もちろん、流通そのものを見てもわかりません。流通は、ただこの現象そのものを示すだけです。 

  ということは、これも当然ですが、貨幣の通流がゆっくりしているいうことは、これらの諸商品の変態がいろいろなところで滞り、形態変換が最後まで行かずに停滞しているということです。それは商品が売れなかったり、売れたがその貨幣の保持者が次の商品を買う機会を伺っていて、購買をすぐには行なわないということです。これは社会的な物質代謝の停滞を表していますが、しかしこの停滞が何を原因として生じているのかは、流通過程を見ているだけでは分かりません。私たちがいま見ている直接的な流通過程というのはブルジョア社会の表層に現われているものをその背後にある具体的な諸関係を捨象して見ているわけですから、流通を規定するその背後の関係は見えていないからです。 

  (ヘ) 通俗的な見解が、貨幣流通が緩慢になるにつれて流通部面のあらゆる点で貨幣が現われては消える回数が少なくなるのを見て、この現象を流通手毅の量の不足から説明するのは、当然のことです。 

  だからブルジョア社会の直接目に見える表面だけをただなぞっているだけの俗流経済学者たちが、貨幣の通流が緩慢になって、諸商品が売れずに滞留しているのを、流通手段の不足から説明するのは、当然のことなのです。景気を引き上げるために、通貨をジャブジャブと供給せよ、などという俗論がはびこっているのはそのためです。

 

◎注77 

【注77】〈77(イ)「貨幣は……売買の通常の尺度だから、だれでも、売るものがあっても買い手が見つからないと、すぐに、王国内または一国内の貨幣の不足が自分の品物の売れない原因だと考えがちである。そこで、至るところで貨幣の不足が叫ばれることになる。だが、これは大きなまちがいである。……貨幣を求めて叫ぶこれらの人々は、なにを求めているのか?……農業者は不平を言う……彼はこう考える。国内にもっと多くの貨幣がありさえすれば、自分の品物に相当する価格が得られるのに、と。…… だから、彼に足りないのは、貨幣ではなくて、売りたくても売れない自分の穀物や家畜の価格であるように見える。……なぜ彼は価格が得られないのか?……(1)国内に穀物や家畜がありすぎるので、市場にくるのは、たいてい、彼と同じに、どうしても売る必要のある人々で、買う必要のある人々はわずかしかいないからであるか、または(2)輸送による通常の海外販路がないからであるか……または(3)たとえば貧窮のために以前ほどは家計に支出することができないという場合のように、消費が減っているからであるか、そのどれかである。それだから、農業者の品物の価格を少しでも高めるであろうものは、貨幣そのものの増加ではなく、実際に市場を圧迫しているこれらの三つの原因のどれかを取り除くことである。……商人も小売屋も同じように貨幣を求めている。すなわち、市場が足りないので、自分たちのあきなう品物のはけ口を求めているのである。……富がすばやく人手から人手に移ってゆくときほど一国の栄えることはない。」(サー・ダッドリ・ノース『商業論』、ロンドン、1691年、11-15ページの諸所。〔久保訳『バーボン=ノース交易論』、96-99ページ。〕) (ロ)ヘレンシュヴァントのごまかしのすべては結局次のようなことになる。(ハ)すなわち、商品の性質から生じ、したがって商品流通に現われるいろいろな矛盾は、流通手段の増加によって除去されうるということである。(ニ)それにしても、生産過程および流通過程の停滞を流通手段の不足のせいにする世間一般の幻想からは、けっして、その逆に、流通手段の現実の不足、たとえば政府の拙劣な「通貨調節」策によるその不足が、それ自身また停滞をひき起こすことはありえない、ということにはならないのである。〉 

  これは原注ですが、部分的にはマルクスの文章もあることから、全体を平易に書き直しておきます。ただし、引用部分はそのまま再現。 

  (イ) 「貨幣は……売買の通常の尺度だから、だれでも、売るものがあっても買い手が見つからないと、すぐに、王国内または一国内の貨幣の不足が自分の品物の売れない原因だと考えがちである。そこで、至るところで貨幣の不足が叫ばれることになる。だが、これは大きなまちがいである。……貨幣を求めて叫ぶこれらの人々は、なにを求めているのか?……農業者は不平を言う……彼はこう考える。国内にもっと多くの貨幣がありさえすれば、自分の品物に相当する価格が得られるのに、と。…… だから、彼に足りないのは、貨幣ではなくて、売りたくても売れない自分の穀物や家畜の価格であるように見える。……なぜ彼は価格が得られないのか?……(1)国内に穀物や家畜がありすぎるので、市場にくるのは、たいてい、彼と同じに、どうしても売る必要のある人々で、買う必要のある人々はわずかしかいないからであるか、または(2)輸送による通常の海外販路がないからであるか……または(3)たとえば貧窮のために以前ほどは家計に支出することができないという場合のように、消費が減っているからであるか、そのどれかである。それだから、農業者の品物の価格を少しでも高めるであろうものは、貨幣そのものの増加ではなく、実際に市場を圧迫しているこれらの三つの原因のどれかを取り除くことである。……商人も小売屋も同じように貨幣を求めている。すなわち、市場が足りないので、自分たちのあきなう品物のはけ口を求めているのである。……富がすばやく人手から人手に移ってゆくときほど一国の栄えることはない。」(サー・ダッドリ・ノース『商業論』、ロンドン、1691年、11-15ページの諸所。〔久保訳『バーボン=ノース交易論』、96-99ページ。〕) 

  これはノースの『商業論』からの抜粋です。ところどころ……が入っているところをみるとマルクスによる要約と考えることもできます。ノースについては、『資本論辞典』から紹介しておきましょう(なお原注81にもノースは出てきます)。 

  〈ノース Sir Dudley North (1641-1691)イギリスの近東貿易商人・経済学者.はじめ近東貿易に従事したが,これによって巨富をえてからはロンドンに居住し,チャールズ二世治下のトーリー党反勤時代に郡奉行に任ぜられ,ナイトにも列せられた.ジェイムズ二世治下では下院議員に選出され,金融事項にかんしては下院で指導的役割をはたしたが,ステュアート王朝の没落とともにふたたび貿易商に復帰した.主著は《Disourses upon Trade》(1691)であって,これはベティの著述と直接につながりをもち,かつペティを直接の基礎としながら,ロックと同じように利子の引下げおよび利子の引上げという動機から書かれた.しかしロックは利子率が高いことの原因を貨幣の不足に求めたのにたいして.ノースはそれを資本の不足に求めた.ノースはストックという言葉を貨幣ばかりでなく,資本の意味にも理解し,はじめて利子の正しい解釈に到達した. このばあい,利子の正当化の根拠は地代の実存から導き出されている.また彼は金銀そのものを重要視する重金主義的幻想に陥らずに,問題とすべきは商品そのものの交換価値の定在形態としての,すなわち商品に転形する契機としての金銀だけであるという当時としではみごとな認識にも到達した.さらにまた古典派経済学の最初の認識の一つが,交換価値の結晶体たる蓄蔵貨幣と自己増殖する貨幣との相違を認識すること,すなわち資本としての貨幣の叙述であるとすれば.ノースにおいてもかかる点の認識があったといいうる.彼にはまた世界貨幣としての貨幣の認識もあったし.さらに流通しうる貨幣量は商品交換によっておのずから規定されるという認識もあった.なお《反デューリング論》第2篇第10章でも. ノースに言及されているが,ここではノースの著書は内外交易についての一つの古典的な自由貿易論の論述書である,とされている.けっきょく,この著におけるノースの立場は,土地所有に対抗してたちあがった資本--産業資本および商業資本--の立場であるとされる.そしてマルクスはノースをもって第一流のイギリスの商人であり,当時のもっとも著名な理論経済学者の一人であったと評価している.(久保芳和)〉(528頁) 

  これをみるとノースは商人でありながらなかなか洞察力のある理論家だったようです。今回の引用文でも、商品が売れないのは貨幣の不足からだという主張に対して、①売れないのは、売る人が多く、買う人が少ないからか、②海外販路が欠けているからか、③家計の支出が減って、消費が減っているからか、と三つの理由をあげて、貨幣不足を理由にした主張の皮相さを暴露しています。もちろん、こうした理由もその限りでは皮相であり、不十分ではありますが、しかし少なくとも貨幣不足という流通の現象に固執した主張よりも、その背後にある関係をみようとしているという点で優れているといえます。 

 (ロ)(ハ) ヘレンシュヴァントのごまかしのすべては、結局のところ、商品の性質から生じ、したがって商品流通に現われるいろいろな矛盾は、流通手段を増加させることによって除去することかできる、ということに帰着します。 

  フランス語版ではここで改行が入っています。ヘレンシュヴァントについては、全集第25巻bの人名索引に〈ヘレンシュヴァント,ジャソHerren・schwand,Jean(1728-1812)スイスの経済学者〉(42頁)とあるだけで、どういう著書があるのかもわかりません。『資本論辞典』にも紹介はありませんでした。『資本論』第3巻には〈多かれ少なかれ半封建的な社会で成長した人々、たとえばヘレンシュヴァントなどは、18世紀の末になってもまだこのような農業と製造工業との分離を向こう見ずな社会的冒険と見ており、わけのわからない危険な存在様式と見ている〉(1009頁)という記述がみられるだけです。インターネットで調べると、ヘレンシュヴァントについてのいくつかの論文を見いだしましたが、その内容をここで紹介するまでもないでしょう。
  いずれにせよ、マルクスはここでヘレンシュヴァントも商品流通の諸矛盾を、流通手段の不足から説明し、それを増加させることによって除去できるという説を唱える人物として取り上げていることを確認すればよいでしょう。 

  (ニ) ちなみに、生産過程および流通過程の停滞を流通手段の不足のせいにする世間の幻想が誤っているからと言って、その逆に、流通手段の現実の不足が、たとえば政府の拙劣な「通貨調節」策によるその不足が、それ自身また停滞をひき起こすことはありえない、ということにはなるわけではけっしてありません。 

  生産過程や流通過程の停滞を流通手段の不足のせいにする俗論が誤っているからと言って、流通手段の現実の不足が、政府の「通貨調節」策、すなわちピール条例(1844年)によって、その不足がより一層劇化され、恐慌を深刻にさせることはないとはいえないわけです。
  ここではマルクスはピール条例そのものについてはほのめかすだけで具体的に論じていません。なので、私たちもそれを詳しく説明するのは、また別の機会に取っておきましょう。

 

◎第11パラグラフ(流通手段の量を規定する三つの要因--価格の運動、流通商品量、貨幣の流通速度) 

【11】〈(イ)要するに、それぞれの期間に流通手段として機能する貨幣の総量は、一方では、流通する商品世界の価格総額によって、他方では、商品世界の対立的な流通過程の流れの緩急によって、規定されているのである。(ロ)そして、この価格総額の何分の一が同じ貨幣片によって実現されうるかは、この流れの緩急によって定まるのである。(ハ)また、諸商品の価格総額は、各商品種類の量と価格との両方によって定まる。(ニ)ところが、この三つの要因、つまり価格の運動と流通商品量とそして最後に貨幣の流通速度とは、違った方向に、違った割合で変動することができる。(ホ)したがって、実現されるべき価格総額も、したがってそれによって制約される流通手段の量も、非常に多くの組み合わせの結果でありうるのである。(ヘ)ここでは、ただ商品価格の歴史上最も重要なものだけをあげておこう。〉 

  (イ) つまり、それぞれの期間に流通手段として機能する貨幣の総量は、一方では、流通する商品世界の価格総額によって、他方では、商品世界の対立しているもろもろの流通過程の流れの緩急によって、規定されているのです。 

 今回のパラグラフはこれまでの貨幣の流通量の考察の一つの纏めであるとともに、その流通量の諸変化をこれから考察するための、前文という位置づけがあるようです。   ここではある一定の期間に流通手段として機能する貨幣の総量を問題にし、まずそれは①商品世界(全商品)の価格総額によって、そして②商品流通の速度によって、規定されていると述べています。 

  (ロ) そして、この価格総額の何分の一が同じ貨幣片によって実現されることができるか は、この流れの緩急によって定まります。 

  〈この価格総額の何分の一が同じ貨幣片によって実現されうるか〉というのは、全商品総額の何分の一かが同じ貨幣片によって実現されるということは、一つの貨幣片が次々と諸商品を実現していくということであり、それは貨幣の流通速度を表しています。つまりこの一文は、貨幣の流通速度は商品の流通の速度によって決まると述べているわけです。 

  (ハ) また、諸商品の価格総額は、各商品種類の量と価格との両方によって定まります。 

  最初の貨幣の流通量を規定する諸商品の価格総額というのは、さまざまな商品の量とそれぞれの価格によって決まってくるということです。ここで〈各商品種類の量〉というのは、商品の種類の量ではなく、さまざまな種類の商品のそれぞれの量という意味です。 

  (ニ) ところが、この三つの要因、つまり価格の運動と流通する商品量とそして最後に貨幣の流通速度とは、違った方向に、違った割合で変動することができます。 

  ここで流通手段の量を規定する三つの要因が挙げられています。①〈価格の運動〉というのは、商品世界(全商品)の価格総額を規定する諸商品の価格の変化(増減)ということです。これは生産力の変化による価値の変化によっても、貨幣商品(貨幣材料)の価値の変化によっても生じますし、需給の変動によっても生じます。また②〈流通商品量〉というのは、流通過程に投じられる商品量ということです。これはさまざまな要因によって増減しますが、大きくは景気の好不況によって増減します。さらに③〈貨幣の流通速度〉というのは、商品の流通速度の緩急、すなわち社会的な物質代謝の緩急によって規定されています。つまりそれぞれの三つの要因は違った方向に、また違った割合で変化するということです。 

  (ホ)(ヘ) ですから、実現されるべき価格総額も、したがってそれによって制約される流通手段の量も、非常に多くの組み合わせの結果でありうるわけです。私たちはここでは、商品価格の歴史上最も重要な組み合わせだけをあげておきましょう。 

  だから実現されるべき価格総額も、そしてそれによって規定される流通手段の量も、上記の三つの要因のさまざまな組み合わせてによって、非常に多くのケースがありうるということです。マルクスは、その変化をもたらす三つの要因のなかで〈歴史上最も重要なものだけをあげておこう〉と述べていますが、しかしそれがどういう歴史的な経済的事実にもとづいたものなのかは具体的には述べていません。付属資料にある『経済学批判』では、イギリスの穀物価格の変化と流通手段の量の変化が紹介されています。

 

◎第12パラグラフ(商品価格が変わらない場合に流通する貨幣総量の増減) 

【12】〈(イ)商品価格が変わらない場合には、流通手段の量が増大しうるのは、流通商品量が増加するからであるか、または貨幣の流通速度が下がるからであるか、または両方がいっしょに作用するからである。(ロ)逆に、流通手段の量は、商品量の減少または流通速度の増大につれて減少することがありうる。〉 

  (イ) 商品価格が変わらない場合に流通手段の量が増大しうるのは、流通する商品の総量が増加するからか、または貨幣の流通速度が下がるからか、またはこの両方がいっしょに作用するからです。 

  もう一度、貨幣の流通量を規定する三つの要因を確認しておきましょう。①価格の変動、②流通する商品量、③貨幣の流通速度です。
  そして最初にここで検討しているのは①の商品の価格が変わらない場合です。その場合の流通手段の量が増減しうるケースを見ているのです。
  まず最初は流通する貨幣総量が増大しうる場合です。それは流通する商品の量が増加する場合(②が増加する場合)か、貨幣の流通速度が下がる場合(③が下がる場合)です。商品の価格が変わらなくても流通する商品量が増えれば、実現すべき価格総額が増大します。そうすれば流通する貨幣の量は増大します。あるいは貨幣の流通速度が遅くなると、それだけ貨幣の流通量は増えなければなりません。 

  (ロ) 逆に、商品の総量が減少するか、または流通速度の増大することの結果として、流通手段の総量が減少することがあります。 

  今度は①の商品の価格に変化がない場合に貨幣の流通総量が減少するケースです。   この場合は、②流通する商品量が減少するか、あるいは③貨幣の流通速度が増大するという場合が考えられます。

 

◎第13パラグラフ(商品価格が一般的に上る場合の貨幣の流通量) 

【13】〈(イ)商品価格が一般的に上がっても、流通手段の量が不変でありうるのは、商品価格が上がるのと同じ割合で流通商品量が減少する場合か、または流通商品量は変わらないが、価格の上昇と同じ速さで貨幣の流通速度が増す場合かである。(ロ)流通手段の量が減少しうるのは、商品量が価格上昇よりも速く減少するか、または流通速度が価格の上昇よりも速く増すからである。〉 

  (イ) 商品価格が一般的に上がっても、流通手段の総量が不変でありうるのは、商品価格が上がるのと同じ割合で流通する商品の総量が減少する場合か、または流通する商品の総量は変わらないのに、価格の上昇と同じ速さで貨幣の流通速度が増す場合です。 

  今度は①の商品価格が一般的に上る場合の流通手段の量の変化を見ています。
  まず流通手段の量に変化がないケースとして考えられるのは、①の価格の上昇と同じ割合で②の流通する商品の量が減少する場合です。あるいは②の流通する商品の量が変わらなくても、①の価格の上昇と同じ割合で貨幣の流通速度が増す場合です。速度は量の代わりになりますから、実現するべき価格総額が増えても、それだけ速度が増せば、流通する貨幣量に変化はありません。 

  (ロ) 流通手段の総量が減少しうるのは、商品の総量が価格上昇よりも速く減少するか、または流通速度が価格の上昇よりも速く増す場合です。 

  次に①の商品価格が一般的に上るのに流通手段の総量が減少するケースです。
  それは②の流通する商品の量が①の商品価格の上昇するよりも速く減少する場合です。その場合は、実現されるべき商品の価格総額は結果として減少しますから、流通する貨幣の総量は減少するのです。
  あるいは③の貨幣の流通速度が①の価格の上昇よりも速く増大する場合です。この場合、価格の上昇は流通する貨幣の流通量を増大させますが、それより流通速度が増大することによる貨幣の流通量の減少効果が大きいために、結果として流通貨幣量が減少することになるわけです。

 

◎第14パラグラフ(商品価格が一般的に下がる場合の貨幣の流通量) 

【14】〈(イ)商品価格が一般的に下がっても、流通手段の量が不変のままでありうるのは、商品価格が下がるのと同じ割合で商品量が増大するか、または価格が下がるのと同じ割合で貨幣の流通速度が落ちる場合である。(ロ)流通手段の量が増大しうるのは、商品価格が下がるのよりももっと速く商品量が増大するか、または商品価格が下がるのよりももっと速く流通速度が落ちる場合である。〉 

  (イ) 商品価格が一般的に下がっても、流通手段の総量が不変のままでありうるのは、商品価格が下がるのと同じ割合で商品の総量が増大するか、または価格が下がるのと同じ割合で貨幣の流通速度が下がる場合です。 

  次は①の商品価格が一般的下がる場合の流通手段の変化を見ています。
  まず、流通手段の総量に変化がない場合というのは、①の商品の価格の下がるのと同じ割合で②の商品の量が増大するケースです。この場合は結果として実現されるべき商品の価格総額は変わらないのですから、貨幣の流通量も変わりません。
  あるいは①の価格の下がるのと同じ割合で、③の貨幣の流通速度が下がる場合です。この場合も、価格が下がるだけ貨幣の流通量は減りますが、しかし同じ割合だけ貨幣の流通速度が減少するなら、速度の減少に対応して流通する貨幣量は増えなければなりませんから、全体としては貨幣の流通量に変化がないことになります。 

  (ロ) 流通手段の量が増大しうるのは、商品価格が下がるのよりももっと速く商品の総量が増大するか、または商品価格が下がるのよりももっと速く流通速度が下がる場合です。 

    次に①の商品の価格が一般的下がる場合に貨幣の流通量が増大するケースです。
  これは①の商品の価格が下がるのよりもっとも速く②の商品の流通量が増大する場合です。価格が下がってもそれ以上に商品量が増大すれば、実現すべき商品の価格総額は増大しますから、貨幣の流通量は増大することになります。
    あるいは①の商品の価格が下がるよりももっと速く流通速度が下がる場合です。価格の下落はそれだけ貨幣の流通量を減らすように作用しますが、しかし貨幣の流通速度がそれ以上に減少すれば、それは流通量の増大として作用しますから、結果として貨幣の流通量は増大することになります。

 

◎第15パラグラフ(諸要因は相殺され一国の流通貨幣量の平均水準は安定している) 

【15】〈(イ)いろいろな要因の変動が互いに相殺されて、これらの要因の絶え間ない不安定にもかかわらず、実現されるべき商品価格の総額が変わらず、したがってまた流通貨幣量も変わらないことがありうる。(ロ)それゆえ、ことに、いくらか長い期間を考察すれば、外観から予想されるよりもずっと不変的な、それぞれの国で流通する貨幣量の平均水準が見いだされるのであり、また、周期的に生産恐慌や商業恐慌から生ずる、またもっとまれには貨幣価値そのものの変動から生ずるひどい混乱を別とすれば、外観から予想されるよりもずっとわずかな、この平均水準からの偏差が見いだされるのである。〉 

  (イ) さまざまの要因の変動が互いに相殺された結果、これらの要因の絶え間ない不安定にもかかわらず、実現されるべき商品価格の総額が変わらず、したがってまた流通する貨幣量も変わらないことがあります。 

 貨幣の流通量を規定する三つの要因--①価格の変動、②流通する商品量、③貨幣の流通速度--がさまざまに変化しても、それらが互いに相殺し合って実現されるべき商品価格の総額に変化がなく、よって流通する貨幣量にも変化がない場合があります。例えば①の商品の価格が上昇(あるいは下落)しても、それと同じ程度に②の流通する商品量が減少(あるいは増大)すれば、全体として実現すべき商品の価格総額は変わりません。この場合〈実現されるべき商品価格の総額が変わ〉らないという前提が入っているので、③の貨幣の流通速度は関係がありませんが、しかしマルクスが謂わんとしているのは、これまで【12】~【14】の考察を踏まえるなら、流通速度も含めたさまざまな要因が相殺し合うことによる貨幣の流通量が変わらないことのように思えます。 

  (ロ) それだから、ことにいくらか長い期間を考察すれば、外観から予想されるよりもずっと不変的な、それぞれの国で流通する貨幣量の平均水準が見いだされるのですし、また、周期的に生産恐慌や商業恐慌から生ずる、またもっとまれには貨幣価値そのものの変動から生ずるひどい混乱を別とすれば、外観から予想されるよりもずっとわずかな、この平均水準からの偏倚が見いだされるのです。 

  こうした諸要因の相殺効果があるから、それぞれの国で流通する貨幣量の平均水準というのは、いくらか長い期間をとると、その外観から予報されるよりもずっと安定しているのです。また周期的には生産恐慌や商業恐慌から生じたり、あるいはもっとまれなことですが、貨幣価値そのものの変動から生じるひどい混乱を別とすれば、この平均水準からの偏倚も、その外観から予想されるよりもずっとわずかなものなのです。
  ようするに貨幣の流通量というのは、それほど目まぐるしく変化するようなものではなくて、思った以上に安定しているということです。例えば政府やブルジョア経済学者たちはデフレ克服のためとか、景気浮揚のために通貨をどんどん発行せよ叫んできましたが、しかし日銀の銀行券の発行残高の推移を見てみますと、下図のようにそれほど大きくは変化していません。しかしこれは当然のことであって、そもそも通貨(貨幣の流通手段と支払手段を併せたもの)の量というのは、原理的にみても商品の流通の現実に規定されているのであって、時の政府が恣意的に左右できるようなものではないのですから。

 注:「日本の場合、現金通貨とは日本銀行券と日本の硬貨の合計であり、中央銀行預け金は金融機関が保有している日銀当座預金残高がこれに当る。日本銀行の定義するマネタリーベースは日本銀行券発行高と貨幣流通高と日本銀行当座預金残高の3つを合計したものである」(ウィキペディア) 

 つまり通貨の垂れ流し、などと言われているのは、日銀が市中銀行がもっている国債や株式等を買い入れて、日銀にある市中銀行の当座預金残高を積み増しているだけなのです。それがマネタリーベースの増大として現れています。しかし日銀のいう「現金通貨」そのものは漸増しているとはいえ大きな変化はありません。

 

◎第16パラグラフ(貨幣数量説=「商品価格は流通手段の量によって規定される」) 

【16】〈(イ)流通手段の量は、流通する商品の価格総額と貨幣流通の平均速度とによって規定されているという法則(78)は、次のようにも表現することができる。(ロ)すなわち、諸商品の価値総額とその変態の平均速度とが与えられていれば、流通する貨幣または貨幣材料の量は、それ自身の価値によって定まる、と。(ハ)これとは逆に商品価格は流通手段の量によって規定され、流通手段の量はまた一国に存在する貨幣材料の量によって規定される、という幻想(79)は、その最初の代表者たちにあっては、商品は価格をもたずに流通過程にはいり、また貨幣は価値をもたずに流通過程にはいってきて、そこで雑多な商品群の一可除部分と金属の山の一可除部分とが交換されるのだ、というばかげた仮説に根ざしているのである(80)。〉 

  (イ)(ロ) 流通手段の量は、流通する商品の価格総額と貨幣流通の平均速度とによって規定されているという法則は、次のようにも表現することができます。すなわち、諸商品の価値総額とその変態の平均速度とが与えられていれば、流通する貨幣または貨幣材料の量は、それ自身の価値の大きさによって定まる、と。 

  これはすでに以前にも述べましたが、流通手段の量は、流通する商品の価格総額と貨幣流通の速度に規定されているという法則は、諸商品の価格総額と変態の平均速度(つまりそれは貨幣の流通速度に反映されます)が決まっていれば、あとは流通する貨幣の量は、今度は貨幣自信の価値の大きさ、貨幣材料になる金や銀の価値の大きさによって決まるということでもあります。 

  (ハ) これとは逆に商品価格は流通手段の総量によって規定され、流通手段の総量はまた一国に存在する貨幣材料の量によって規定される、という幻想は、その最初の代表者たちにあっては、商品は価格をもたずに流通過程にはいり、また貨幣は価値をもたずに流通過程にはいってきて、そこで雑多な商品群の一可除部分と金属の山の一可除部分とが交換されるのだ、というばかげた仮説に根ざしているのです。 

  しかしこれとは逆に商品の価格は流通手段の量によって規定され、そして流通手段の総量は一国に存在する貨幣材料の量によって規定されているという、貨幣数量説という幻想が生まれてきます。その代表者たちにあっては、商品は価格をもたずに流通過程に入り、また貨幣は価値をもたずに流通過程に入ってきて、そこで雑多な商品群の一加除部分と金属の山の一加除部分とが交換されるという馬鹿げた仮説にもとづいたものなのです。   これらについては原注が詳しいので、そこで検討しましょう。

 

  (字数制限をオーバーしましたので、全体を三分割し、本文の続きは(2)に、付属資料は(3)に掲載します。)

 

 

 

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『資本論』学習資料No.16(通算第66回)(2)

2019-11-11 13:12:56 | 『資本論』

『資本論』学習資料No.16(通算第66回)(2)

 

 

◎注78 

【注78】〈78(イ)「一国の産業を運営してゆくのに必要な貨幣には一定の標準と割合とがあるのであって、それより多くても少なくても、産業に害を及ぼすであろう。これは、ちょうど、小売商業で、銀貨をくずすとか、最小の銀貨でも清算できない勘定をすませるとかするために、ある割合のファージング貨が必要であるようなものである。……ところで、商業で必要なファージング貨の数の割合が、人民の数や彼らの交換の度数から推定することができ、またことに最小の銀貨の価値からも推定することができるように、それと同じやり方で、われわれの産業で必要な貨幣」(金銀貨)「の割合も、やはり交換の度数から、また支払の大きさから推定することができるのである。」(ウィリアム・ペティ『租税貢納論』、ロンドン、1667年、17頁。〔岩波文庫版、大内.松川訳、64ー65頁。〕) (ロ)ヒュームの学説は、J・ステュアートなどに反対してA・ヤングによって『政治算術』(ロンドン、1774年)のなかで弁護されており、この書の112ページ以下には特に『価格は貨幣量によって定まる』という1章がある。(ハ)私は『経済学批判』の149頁〔本全集、第13巻、142、143(原) ベージを見よ〕で「彼(A・スミス) は、まったくまちがって貨幣を単なる商品として取り扱うことによって、流通鋳貨量についての問題を暗黙のうちにかたづけてしまっている」と述べておいた。(ニ)こう言えるのは、ただ、A・スミスが職務上〔ex officio〕貨幣を論じている場合だけのことである。(ホ)しかし、ときには、たとえば以前の経済学の諸体系の批判では、彼は正しいことを言っている。(ヘ)「鋳貨の量は、どの国でも、それによって流通させられるべき諸商品の価値によって規制される。……ある1国で年々売買される財貨の価値は、これらの財貨を流通させ適当な消費者たちに分配するために一定量の貨幣を必要とするが、それよりも多くの貨幣を働かせることはできない。流通の水路は、それを満たすに足りるだけの額を必ずひき入れるが、それよりも大きな額はけっして受け入れない。」(『諸国民の富』、第4篇、第1章。〔第3巻、87、89頁。〕〔岩波文庫版、(3)26、28頁。〕)(ト)同様に、A・スミスは彼の著書を職務上では分業の礼賛で始めている。(チ)あとになって、国家収入の源泉を論じている最後の篇では、彼は、おりにふれて、彼の師A・ファーガソンの分業の非難を再生産している。〉 

  (イ) 「一国の産業を運営してゆくのに必要な貨幣には一定の標準と割合とがあるのであって、それより多くても少なくても、産業に害を及ぼすであろう。これは、ちょうど、小売商業で、銀貨をくずすとか、最小の銀貨でも清算できない勘定をすませるとかするために、ある割合のファージング貨が必要であるようなものである。……ところで、商業で必要なファージング貨の数の割合が、人民の数や彼らの交換の度数から推定することができ、またことに最小の銀貨の価値からも推定することができるように、それと同じやり方で、われわれの産業で必要な貨幣」(金銀貨)「の割合も、やはり交換の度数から、また支払の大きさから推定することができるのである。」(ウィリアム・ペティ『租税貢納論』、ロンドン、1667年、17頁。〔岩波文庫版、大内.松川訳、64ー65頁。〕) 

  この原注は〈流通手段の量は、流通する商品の価格総額と貨幣流通の平均速度とによって規定されているという法則〉という一文につけられています。この部分はペティからの抜粋だけですが、ペティは〈一国の産業を運営してゆくのに必要な貨幣には一定の標準と割合とがある〉とし、それは〈小売商業で、……ある割合のファージング貨が必要であるようなもの〉だとして、その割合は〈人民の数や彼らの交換の度数から推定することができ、またことに最小の銀貨の価値からも推定することができる〉として、〈それと同じやり方で、われわれの産業で必要な貨幣」(金銀貨)「の割合も、やはり交換の度数から、また支払の大きさから推定することができる〉としています。つまりこの限りでは、ペティは貨幣の流通量は交換の度数や支払の大きさから推定できると正しく指摘していることが分かります。だから、マルクスはそうした正しい指摘として抜粋していると考えられます。 

  (ロ) ヒュームの理論は、J・ステュアートなどに反対してA・ヤングによって『政治算術』(ロンドン、1774年)のなかで弁護されており、この書の112ページ以下には特に『価格は貨幣量によって定まる』という1章があります。 

  この部分以下はフランス語版では改行が入っており、上記のペティからの抜粋とは区別されています。また冒頭の部分は、若干、以下のように書き直されています。 

  〈「価絡は貨幣がどれだけ多量であるかに依存する」というヒュームの理論は、A・ヤングによりその著『政治算術』、ロンドン、1774年、112ページ以下、のなかで、サー・ジェームズ・ステユアートやその他の入々に反対して弁護された。〉 (江夏・上杉訳103頁) 

  貨幣数量説の幻想については、それを主張したヒュームの理論を、ヤングが弁護しており、「価格は貨幣量によって定まる」という章まで設けているということです。『経済学批判』のなかには次のような一文があります。 

  〈商品の価格は流通する貨幣の量によって決まるのであって、逆に流通する貨幣の量が商品の価格によって決まるのではない、という命題がうちたてられる。われわれは、こういう見解が17世紀のイタリアの経済学者たちのあいだで多かれ少なかれほのめかされ、ロックによってときには肯定され、ときには否定され、『スペクテーター』(1711年10月19日号) によって、モンテスキューヒュームとによって決定的に展開されているのを見いだすのである。ヒュームは18世紀におけるこの理論の最も重要な代表者である〉 (全集第13巻136頁) 

  それに対して、マルクスはステュアートについては、次のように高く評価しています。 

  サー・ジェームズ・ステユアートは、鋳貨と貨幣についての彼の研究をヒュームとモンテスキューとの詳細な批判から始めている。じっさい、彼は流通する貨幣の量が商品価格によって規定されるのか、それとも商品価格が流通する貨幣の量によって規定されるのか、という問題を提起した最初の人である。彼の説明は、価値の尺度についての空想的な見解と、交換価値一般についての動揺した叙述と、重商主義の名ごりとによってくもらされていはするが、それでも彼は、貨幣の本質的な諸形態規定性と貨幣流通の一般的法則とを発見している。それは彼が、機械的に一方の側に諸商品を、他方の側に貨幣をおくことなく、事実に則して商品交換自体のさまざまな契機からさまざまな機能を展開しているからである。〉 (全集第13巻141頁) 

  (ハ)(ニ) 私は『経済学批判』の149頁〔本全集、第13巻、142、143(原) ベージを見よ〕で「彼(A・スミス) は、まったくまちがって貨幣を単なる商品として取り扱うことによって、流通する鋳貨の量についての問題を暗黙のうちにかたづけてしまっている」と述べておきました。このように言えるのは、A・スミスが「職務上」〔ex officio〕貨幣を論じている場合だけのことです。 

   この『経済学批判』の一文を紹介しておきましょう。 

  〈彼ははっきり定式化しようとすれば彼の先行者たちとの決着をつけなければならないような場合には、一度ならず問題の要点をやわらげるようにしている。貨幣理論でもそうである。彼は、一国に存在する金銀は、一部分は鋳貨として用いられ、一部分は銀行のない国々では商人のための準備金として、信用流通のおこなわれる国々では銀行準備金としてたくわえられ、一部分は国際的諸支払の決済のための蓄蔵貨幣として役だち、一部分は奢侈品に加工される、と語ることによって、ステユアートの理論をだまって採用しているのだ(マルクスはその前に注において、ステュアート著書から同様の主張を紹介している。--引用者)。彼は、貨幣をまったくまちがってただの商品として扱うことにより、流通する鋳貨の量にかんする問題をこっそりかたづけている(**)。 
   (**)だから、「通貨」〔currency〕と「貨幣」〔money〕との、すなわち流通手段と貨幣との区別は、『諸国民の富』のうちには見られない。ヒェームとステユアートとを非常によく知っていたアダム・スミスの外見上の公平さに欺かれて、正直なマクラレンは、次のように述ぺている。「物価が通貨の量に依存するという理論は、それまでのところ注意をひかなかった。そしてスミス博士も、ロック氏と同じように」(ロックは彼の見解を変えている)「金属貨幣を商品にほかならないと考えている。」(マクラレン、前掲書、44ページ)〉 (全集第13巻136頁) 

  ここで〈職務上〔ex officio〕〉と述べている部分は、新日本新書版は〈"立場上"〉と訳しています。『批判』の抜粋した少し前の部分で、マルクスは〈最新の「通貨」〔currency〕史家マクラレンでさえ、アダム・スミスをステユアートの理論の発明者にしてしまい、リカードをヒュームの理論の発明者にしてしまった。ところが、リカードはヒュームの理論を精密にしたのに、アダム・スミスはステユアートの研究の諸結果を死んだ事実として記録するにとどまっている〉(143頁)と述べ、そして先の抜粋の冒頭にあるように〈彼ははっきり定式化しようとすれば彼の先行者たちとの決着をつけなけれぽならないような場合には、一度ならず問題の要点をやわらげるようにしている〉という部分に繋がるようです。つまりスミスは〈商品価格と流通手段の量との関係についての論争が、この半世紀のあいだたえずイギリス議会をさわがせ、イギリスで大小幾千のパンフレットを生みだした〉(同143頁)ほど大論争になっている問題には正面から取り組むのではなく、あいまいにしているということのようです。
 『資本論辞典』によれば、スミスは1751~1763年グラスゴー大学教授、1764-1766年パックルー公の師として彼とともに大陸を旅行、その後、『諸国民の富』の執筆に専念、1776年に刊行、その翌年にはスコットランド関税委員,晩年の1787年にはグラスゴウ大学総長になった、とあります。こうした立場上、論争を避けたのをマルクスは皮肉っているといえるのかも知れません。 

  (ホ)(ヘ) 「職務上」でないときには、彼はときとして、たとえば以前の経済学の諸体系の批判で、正しいことを言っています。「鋳貨の量は、どの国でも、それによって流通させられるべき諸商品の価値によって規制される。……ある1国で年々売買される財貨の価値は、これらの財貨を流通させ適当な消費者たちに分配するために一定量の貨幣を必要とするが、それよりも多くの貨幣を働かせることはできない。流通の水路は、それを満たすに足りるだけの額を必ずひき入れるが、それよりも大きな額はけっして受け入れない。」(『諸国民の富』、第4篇、第1章。〔第3巻、87、89頁。〕〔岩波文庫版、(3)26、28頁。〕) 

  しかし職務上の立場を考慮しない場合は、以前の経済学の諸体系の批判で正しいことを言っていると述べ、『諸国民の富』からの抜粋があります。確かにこの抜粋のなかではスミスは正しい主張を述べています。その部分を紹介しておきましょう(下線部分がマルクスが引用しているところ)。 

  〈これと同様に、すぐにも気づかれるべきことは、あらゆる国における金銀の量はこれらの金属の用途によって制限され、またそれらの用途は鋳貨として諸商品を流通させたり、金器銀器として一種の家具を供給したりすることに存すること、あらゆる国における鋳貨の量はそれによって流通される諸商品の価値によって規制されるのであって、諸商品の価値が増加すれば、その一部は、諸商品の流通に不可欠な鋳貨の追加量を購買するために、それがえられるところなら海外のおよそどのようなところへでも、ただちに送られるであろうこと、金器銀器の量は、好んでこういう部類の華麗さをほしいままにしようとする私人の家族の数や富によって規制されるのであって、このような家族の数や富が増加すれば、この増加した富の一部は、金器銀器の追加量が発見されるところならおよそどのようなところにおいても、それを購買するために使用されるにちがいなかろうこと、ある国へ金銀の不必要な量を導入するかまたはそれを留保しておくかのいずれかすることによって、その国の富を増加させようと試みるのは、私人の家族に不必要な数の台所道具をしいてもたせることによって、そのごちそうをふやそうと試みるのと同様に不条理であること、これである。〉(『諸国民の富』岩波文庫(3)28-29頁)
 〈その国の流通貨幣を大いに節約するということはめったにできるものではない。というのは、この貨幣のなかに余分のものがたくさんあるなどということはめったにありえないからである。ある国で年々に売買される財貨の価値は、これらの財貨を流通し、適当な消費者に分配するために、一定量の貨幣を必要とはするけれども、それ以上の用途をあたえうるものではない。流通の水路は、それを満たすのに十分なだけの額を必然的にそれ自体へひきいれるにしても、それ以上はけっしてうけいれはしない。とはいえ、対外戦争のばあいには、この水路から一般になにほどかがひきだされる。〉(同上30-31頁) 

  (ト)(チ) 同じように、A・スミスは自分の著書を、「職務上」では分業の礼賛で始めています。あとになると、国家の所得の源泉を論じている最後の篇では、彼は、おりにふれて、彼の師であるA・ファーガソンが行った、分業の非難を再生産しています。 

  この部分もフランス語版ではここで改行されています。ここでもスミスのちぐはぐな主張を指摘しているように思えます。マルクスは後に紹介する『反デューリング論』の「批判的歴史」のなかでスミスのこうした混乱を次のように述べています。 

 〈ところで、アダム・スミスには、価値概念についての「相反する見解」の「痕跡」だけでなく、二つばかりか三つまでも、まったく正確にいえば四つまでも、価値についての極端に相反する見解が見いだされ、それらが気楽に並存し、雑居している〉(全集第20巻241頁)しかし同時にマルクスはこうしたスミスの混乱について、〈だが、必然的に手さぐりをし、実験し、やっと形をとりはじめて諸観念の混沌とたたかわざるをえなかったこの経済学の創始者にあっては当然だった〉(同241-242頁)とも述べています。 

 スミスは、『諸国民の富』を〈分業の礼賛で始めている〉とありますが、「第1篇 労働の生産諸力における改善の諸原因について、また、その生産物が人民のさまざまの階級のあいだに自然に分配される秩序について」の第1章が「分業について」であり、〈労働の生産諸力における最大の改善と、またそれをあらゆる方面にふりむけたり、充用したりするばあいの熟練・技巧および判断の大部分とは、分業の結果であったように思われる。〉(第1巻98頁)と書いています。
  〈あとになって、国家収入の源泉を論じている最後の篇では、彼は、おりにふれて、彼の師A・ファーガソンの分業の非難を再生産している〉とありますが、まず〈A・ファーガソンの分業の非難〉について、『資本論』第1巻「第4篇 相対的剰余価値」の「第12章 分業とマニュフアクュア」の「第4節 マニュフアクュアのなかでの分業と社会のなかでの分業」で次のように述べています。 

  〈社会のなかでの分業のための豊富な材料をマニュファクチュア時代に供給するものは世界市場の拡大と植民制度であって、これらはマニュファクチュア時代の一般的な存在条件に属するものである。ここでこれ以上詳しく示すことはできないが、分業は経済的部面だけではなくそのほかにも社会のあらゆる部面をとらえて、どこでもあのような専門や専業の形成と人間の細分とのための基礎を置くのであって、この人間細分こそは、すでにA ・スミスの師のA ・ファーガソンに、「われわれは奴隷ばかりの国民になった、われわれのなかに自由な人間はいない」とまで叫ばせたのである。〉 (『資本論』全集第23a巻464頁) 

  次に、スミスの『諸国民の富』第5篇「主権者または国家の収入について」「第1章 主権者または国家の経費について」「第1節 防衛費」のなかには次のような一文があります。 

  〈ところで戦争技術というものは、たしかにあらゆる技術のなかでもっとも高尚なものであるから、文明の進歩につれて、それは必然的にもっとも複雑な技術の一つになる。機械技術の状態が、それが必然的に関連する他の若干の技術の状態とともに、ある特定の時代の戦争技術はどの程度まで完全なものにされうるかということを決定する。ところが、それをこの程度の完全さにするためには、それが市民の特定階級の唯一または主要な職業になる必要があるし、またあらゆる他の技術のばあいと同様に、この技術の改善のために分業が必要になる。他の諸ぎじゅつのばあいには、分業は個人の慎慮によって自然に導入されのであって、そのばあいかれらは、多数の生業に従事するよりも、一つの特定の生業に限定するほうが、よりよく自分たちの私的な利益が増進される、ということを承知しているのである。ところが、兵士という生業を、他のすべてとは別個独立の、一つの特殊の生業にずくことができるのは、国家の英知だけである。一人の私的市民が、深閑とした平和の時代に、しかも公共社会からなんら特別の奨励もうけずに、自分の時間の大部分を軍事訓練についやすなら、かれは疑いもなくひじょうにそれに上達もするであろうし、またそれをひじょうにおもしろがりもするであろうが、かれ自身の利益が増進しないだろうことはたしかである。〉(岩波文庫 四の15-16頁)

 

◎注79 

【注79】〈79(イ)「どの国でも、金銀が国民のあいだで増加するにつれて、物価はたしかに上がって行くであろう。したがってまた、ある国で金銀が減少すれば、すべての物価は、このような貨幣の減少に比例して下落せざるをえない。」(ジェーコブ・ヴァンダリント『貨幣万能論』、ロンドン、1734年、5頁。)(ロ)ヴァンダリントとヒュームの『小論集』〔『種々の主題についての小論および論文集』〕とをもっと詳しく比較してみると、ヴァンダリントのとにかく重要な著書をヒュームが知っていて利用したということは、私にはまったく疑う余地のないことに思われる。(ハ)流通手段の量が価格を規定するという見解は、バーボンやもっとずっと古い著述家にも見られる。(ニ)ヴァンダリントは次のように言っている。(ホ)「無制限な貿易によっては、なんの不都合も生ずるものではなく、かえって非常に大きな便益が生ずる。……というのは、もしそれによってその国の正金が減らされるならば、といってもそれを防ぐためにいろいろな禁止が考えられるのであるが、その正金を手に入れる諸国では、正金がそれらの諸国で増加するにつれて、おそらくすべての物価が騰貴するであろうからである。そして……わが国の製造品も、そのほかのすべてのものも、やがて、貿易差額をわが国に有利に転換するほどに安くなり、これによって再び貨幣を取りもどすであろう。」(同前、43、44頁。)〉 

  (イ) 「どの国でも、金銀が国民のあいだで増加するにつれて、物価はたしかに上がって行くであろう。したがってまた、ある国で金銀が減少すれば、すべての物価は、このような貨幣の減少に比例して下落せざるをえない。」(ジェーコブ・ヴァンダリント『貨幣万能論』、ロンドン、1734年、5頁。) 

  この原注は〈これとは逆に商品価格は流通手段の量によって規定され、流通手段の量はまた一国に存在する貨幣材料の量によって規定される、という幻想〉という一文につけられています。
 これはウァンダリントの著書からの引用ですが、金銀の増減と、物価の騰落の関連を主張するものです。貨幣の増加は物価を上げ、その減少は物価の下落を招くと。
   ウァンダリント(-1740年)は、イギリスに帰化したオランダ商人で、唯一の著書が『貨幣万能論』だったようです。 

  (ロ) ヴァンダリントとヒュームの『小論集』〔『種々の主題についての小論および論文集』〕とをもっと詳しく比較してみますと、ヴァンダリントの著書--ちなみに、この書物は重要です--をヒュームが知っていて利用したということには疑う余地がありません。 

  こうしたヴァンダリントの主張は、明らかに貨幣数量説的な幻想です。〈ヒュームは18世紀におけるこの理論の最も重要な代表者である〉とマルクスも書いていますが、しかしそのヒュームの理論は、彼の先輩であるヴァンダリントの著書を知っていて利用したものだと暴露しているわけです。そのために最初にヴァンダリントの貨幣数量説的主張を紹介したわけです。
  ウァンダリントとヒュームの関係については、『反デューリング論』の中で、マルクスは詳細に論じています(『反デューリング論』はエンゲルスの著書ですが、その中の「批判的歴史」はマルクスが書きました)。今そのすべてを紹介することはできませんが、次のように述べています。 

 〈ヒュームは一歩一歩、ときにはたんなる気まぐれについてさえ、ジェーコブ・ヴアンダリントの『貨幣万用論』、ロンドン、1734年刊、に追随している。このヴァソダリントは、デューリング氏は今日までまったくご存じなかったにせよ、18世紀の末ごろの、すなわちスミス以後の時期のイギリスの経済学的諸著作のなかでさえ、なお重視されていた人である。
  ヴァンダリントと同じように、ヒュームも、貨幣をたんなる価値章標として取り扱っている。彼は、一国の貿易差額がつねに逆調または順調をたもつことができない理由を、ヴァソダリントからほとんど逐語的に(そして、このことは重要である。というのは、価値章標論のほうは、彼がそこから借りようと思えば借りられるような著作が、ほかにもたくさんあったからである) 書きうつしている。彼は、ヴァンダリントと同じように、それぞれの国の異なった経済的地位におうじて自然に収支の均衡が成立することを教えている。彼は、ヴァンダリントとともに自由貿易を説いているが、ただ後者ほど大胆でも、首尾一貫してもいない。彼は、ヴァンダリントとともに、欲望が生産の推進者であることを強調しているが、ただもっと浅薄なやり方でこれをおこなっている。彼は、銀行貨幣や政府証券全体が商品価格に影響を及ぼすという、ヴァンダリントの誤りに追随している。彼は、ヴァンダリントとともに信用貨幣を排斥している。ヴァンダリントと同じように、彼も、商品価格は労働の価格、つまり労賃に依存するものだとしている。彼は、貨幣退蔵が商品価格を低い水準にたもつという気まぐれな考えをさえ、ヴァンダリントから書きうつしている等々。〉 (全集第20巻246-247頁) 

  (ハ) 流通手段の量が価格を規定するという見解は、バーボンやもっとずっと古い著述家にも見られるものです。 

  同じような流通手段の量が商品の価格を規定するという見解は、バーボンやもっと古い著述家にもみられるということです。
  バーボン(1640-1698年)はイギリスの医者であり、経済学者だったようです。『資本論辞典』では、〈商品に内在的な交換価値なるものは存在しないとの認識も見出される〉が、マルクスは〈諸商品は使用価値としては,なによりもまず相異なる質であるが,交換価値としては,まったく同等でただ量的にのみ異なるにすぎないという認識がバーボンにおいてすでに認められることに敬意を表している〉と述べ、〈しかし他方では,商品価格は流通手段の分量によって規定されるとなすヴァンダーリントやヒュームと共通した幻想をいだいていたとの批判をも記している〉と書かれています。(久保芳和)。
   またすでに紹介しましたが、『経済学批判』でも 〈商品の価格は流通する貨幣の量によって決まるのであって、逆に流通する貨幣の量が商品の価格によって決まるのではない、という命題がうちたてられる。われわれは、こういう見解が17世紀のイタリアの経済学者たちのあいだで多かれ少なかれほのめかされ、ロックによってときには肯定され、ときには否定され、『スペクテーター』(1711年10月19日号) によって、モンテスキューヒュームとによって決定的に展開されているのを見いだすのである〉(全集第13巻136頁)と述べられていました。
  年代的にみますと、ロック(1632-1704年)、バーボン(1640-1698年)、ヴァンダリント(-1740年)、モンテスキュー(1689-1755年)、ヒューム(1711-1776年)という順序になるようです。 

  (ニ)(ホ) ヴァンダリントは次のように言っています。「無制限な貿易によっては、なんの不都合も生ずるものではなく、かえって非常に大きな便益が生ずる。……というのは、もしそれによってその国の正金が減らされるならば、といってもそれを防ぐためにいろいろな禁止が考えられるのであるが、その正金を手に入れる諸国では、正金がそれらの諸国で増加するにつれて、おそらくすべての物価が騰貴するであろうからである。そして……わが国の製造品も、そのほかのすべてのものも、やがて、貿易差額をわが国に有利に転換するほどに安くなり、これによって再び貨幣を取りもどすであろう。」(同前、43、44頁。) 

  これはヴァンダリントからの引用だけですが、これはほぼリカードの主張を先取りしたものと言えるでしょう。リカードは次のように主張したのだからです。 

  〈こんどは、一国から他国への輸出入がそれと同様に作用する。〔貨幣〕流通の膨張のために物価が騰貴し金の価値がその金属価値以下に低下した国では、金は他の諸国にくらべて減価し、したがって諸商品の価格は他の諸国にくらべて騰貴しているであろう。そこで金が輸出され、商品が輸入されるであろう。これと反対の場合には反対のことが起こるであろう。〉 (『経済学批判』全集第13巻151頁)

 

◎注80 

【注80】〈80 (イ)各個の商品種類がそれぞれの価格によって全流通商品の価格総額の一要素をなしているということは、自明である。(ロ)しかし、どうして、互いに通約されえないいろいろな使用価値が一団となって、一国にある金銀量と交換されるようになるのかは、まったく不可解である。(ハ)商品世界は一つの単一な総商品であって各商品はただその一可除部分をなすだけだと言いくるめてしまえば、次のようなみごとな計算例がでてくる。(ニ)総商品=xツェントナーの金、商品A=総商品の加除部分=xツェントナーの金の同じ加除部分 モンテスキューにはりっぱにこれがでてくる。(ホ)「世界に現存する金銀の量を、現存する商品の総計と比べてみれば、たしかに各個の生産物または商品を貨幣の一定量と比較することができる。世界にはただ一つの生産物またはただ一つの商品があるだけだと、または、ただ一つの商品が買われるだけだと仮定し、またこの商品が貨幣と同じに分割可能なものだと仮定すれば、その場合には、この商品のある一部分は貨幣量の一部分に相当するであろう。商品の総計の半分は貨幣総量の半分に。……諸物の価格は、根本的には、つねに貨幣章標の総量にたいする諸物の総量の比率によって定まるのである。」(モンテスキュー『法の精神』、『著作集』第3巻、12、13ページ。〔岩波文庫版、宮沢訳、下、103ページ。〕)(ヘ)リカードやその弟子のジェームズ・ミルやロード・オーヴァストンたちによるこの説のいっそうの展開については、『経済学批判』、140ー146ページ、および150ページ以下参照。〔本全集、第13巻、134-140(原)ページおよび143(原)ページ以下を見よ。〕(ト)J・S・ミル氏は、彼の得意とする折衷論理を用いて、彼の父ジェームズ・ミルと同意見であると同時にその反対者たちとも同意見だと称する術を心得ている。(チ)彼の概説書『経済学原理』の本文と、彼がみずから現代のアダム・スミスだと名乗りをあげているその序文(第1版)とを比べてみると、この男の素朴さと、彼の言うことを信じて彼をアダム・スミスだと買いかぶっている読者の素朴さと、どちらにより多く驚嘆してよいのかわからないのであるが、アダム・スミスにたいするこの男の関係は、ちょうどウェリントン公にたいするカルス准男爵ウィリアムズ将軍の関係のようなものである。(リ)経済学の領域でのJ・S・ミル氏の広範囲でもなければ内容豊富でもない独創的な諸研究は、1844年に出た彼の小著『経済学の未解決の諸問題』のなかに、すべてが隊伍を組んで行進しているのが見いだされるのである。(ヌ)ロックは、金銀の無価値性と、量による金銀の価値の規定との関連を、あからさまに語っている。(ル)「人類は、金銀に想像的な価値を与えることに同意したのだから、……これらの金属に見られる内在的な価値は、量以外のなにものでもないのである。」(『諸考察』、1691年、所収、『著作集』、1777年版、第2巻、15ページ。)〉 

  (イ)(ロ) 各個の商品種類がそれぞれの価格によって、流通しているすべての商品の価格総額の一要素をなしている、ということは自明です。しかし、たがいに同じ単位で計量できないいろいろな使用価値がひとかたまりになって、それが一国にある金銀の総量と交換される、というのですが、どうしてそんなことが生じるのか、まったくわかりません。 

 この原注は貨幣数量説の幻想の〈その最初の代表者たちにあっては、商品は価格をもたずに流通過程にはいり、また貨幣は価値をもたずに流通過程にはいってきて、そこで雑多な商品群の一可除部分と金属の山の一可除部分とが交換されるのだ、というばかげた仮説に根ざしているのである〉という一文に付けられています。
  貨幣数量説を主張する人たちは、一国のなかにあある商品総量と貨幣総量を比較させ、商品の価格は貨幣の総量の大きさによって決まると主張します。確かにさまざまな商品種類はそれぞれの価格をもち、流通しているすべての商品の価格総額の一要素をなしているということは真実です。しかし、互いに同じ単位で計量できないいろいろな使用価値をひっくるめてその総量を言い、それが一国にある金銀の総量と交換されるなどとどうして言えるのでしょうか。そんなことはただ頭のなかにだけにある幻想に過ぎません。 

  (ハ)(ニ) 商品世界は一つの単一な総商品であって、各商品はただその一可除部分をなすだけだと、言いくるめてしまえば、次のようなみごとな計算例がでてくることになります。総商品=xツェントナーの金。商品A=この総商品の加除部分=xツェントナーの金の同じ加除部分。こうしたことが、モンテスキューにあっては大まじめに語られています。 

  彼らの主張は、さまざまな使用価値をもっている商品をひっくるめて一つの単一の商品の固まりとし、個々の商品はその加除部分をなすのだとして、次のような等式を立てることにあります。すなわち 総商品=Xツェントナーの金。そして商品Aはこの総商品の加除部分であり、だから 商品A=Xツェントナーの金の同じ加除部分 というわけです。こうした等式は、例えばモンテスキューにあっては次のように大まじめに語られているのです。 

  (ホ) 「世界に現存する金銀の量を、現存する商品の総計と比べてみれば、たしかに各個の生産物または商品を貨幣の一定量と比較することができる。世界にはただ一つの生産物またはただ一つの商品があるだけだと、または、ただ一つの商品が買われるだけだと仮定し、またこの商品が貨幣と同じに分割可能なものだと仮定すれば、その場合には、この商品のある一部分は貨幣量の一部分に相当するであろう。商品の総計の半分は貨幣総量の半分に。……諸物の価格は、根本的には、つねに貨幣章標の総量にたいする諸物の総量の比率によって定まるのである。」(モンテスキュー『法の精神』、『著作集』第3巻、12、13ページ。〔岩波文庫版、宮沢訳、下、103ページ。〕) 

  これはモンテスキューからの抜粋のみです。マルクスが省略している部分も含めて、全体を紹介しておきましょう。 

  〈貨幣は商品または農産物の価格である。しかしこの価格はいかにして定まるか、すなわち、どれだけの分量の銀でそれぞれの物は代表されるであろうか。
  世界における金銀の総量と世界における商品の総額とを比較すれば、個々の農産物または商品は金銀の全体の一定の部分に比較されうるであろうことは確かである。一方の全体と他方の全体との割合は、一方の部分と他方の部分との割合に等しい。世界にただ一つの農産物または商品しか存在せず、または買いうる商品がただ一つしか存在せず、またそれが銀のように分割可能であると仮定すれば、この商品のこの部分は銀の総量のある部分に相当し、一方の全体の半分は他方の全体の半分に当たり、一方の十分の一、百分の一、千分の一は他方の十分の一、百分の一、千分の一に当たるであろう。しかし人間の間で財産を構成するものが全部同時に商業に提供されはしないし、それの表徴である金属または貨幣もまた同時にそこに存在しないから、価格は物の全体と表徴の全体との複比と、市場に存在する物の全体とこれまた市場に存在する表徴の全体との複比とによって定まるであろう。そして今日市場にない物が明日はそこに存在しうるし、今日そこにない表徴がやはり同じょうに明日そこに戻ってくることがあるから、物の価格の決定はつねに根本的には物の全体の表徴の全体にたいする比に依存する。〉(『世界の大思想 モンテスキュー 法の精神』324-325頁) 

  (ヘ) リカードやその弟子のジェームズ・ミルやロード・オーヴァストンたちによるこの理論のいっそうの展開については、『経済学批判』、140ー146ページ、および150ページ以下参照。〔本全集、第13巻、134-140(原)ページおよび143(原)ページ以下〕を参照してください。 

  これは『経済学批判』の〈c 流通手段と貨幣にかんする諸理論〉の中にあるものです。その全体を紹介することはできませんが、さわりだけ紹介しておきましょう。
  まずリカードについて、マルクスは最初は〈リカードは、まず金銀の価値を他のすべての商品の価値と同様に、それらに対象化されている労働時間の量によって規定する〉(146頁、以下頁数は省略する)と述べ、〈だから、これまでのところでは、リカードは、貨幣の価値をあたえられたものとして前提したうえで、流通手段の量を諸商品の価格によって規定しているのであって、価値章標としての貨幣は、彼にとっては、一定の金量の章標を意味し、ヒュームの場合のように、諸商品の無価値な代理物ではない〉と述べています。つまりこの限りではリカードは正しいことを述べていたのです。〈これまでリカードの述べたところから生じる唯一の命題は、金の価値があたえられている場合には、流通する貨幣の量は、諸商品価格によって規定されている、ということである〉。
  ところがリカードは〈なめらかにすすめてきた叙述を突然にうちきって逆の見解に変わるところで、彼はいきなり貴金属の国際的流通をとりあげ、こうして、無関係な観点をもちこんで問題を混乱させてしまう〉というのです。そのリカード批判は長くなかなか難しいところがありますが、簡単に要約しますと、リカードの誤りは一国にある金をすべて流通手段として考え、その増減を国際的な関係から説明し、それによって諸商品の価格の増減が生じると説明したことにあるように思います。
   ジェームズ・ミルについては、マルクスは〈リカードの経済学の諸原理を支持する学派を形成した彼と同時代の人々のうちでは、ジェームズ・ミルが最も重要である〉と述べ、〈彼は、リカードがその見解の貧弱さを隠蔽するのに使った場ちがいの国際的錯綜を抜きにして、……リカードの貨幣理論を単純な金属流通の基礎のうえに叙述しようとした〉と述べ、長い抜粋を行なっています。その長い抜粋をすべて紹介できませんが、次のような一文があります。 

  〈「貨幣の価値とは、それが他の商品と交換される比率、言いかえれば一定量の他の物と交換に渡される貨幣の量に等しい。この割合は一国に存在する貨幣の総量によって規定されている。一国のすべての商品が一方の側にあり、この国のすぺての貨幣が他方の側にあるものと仮定すれぽ、両者が交換されるさい、貨幣の価値、すなわち貨幣と交換される諸商品の量は、まったく貨幣そのものの量に依存することは明らかである。…(以下略)…」〉(155頁) 

  ロード・オーヴァストンについては、次のように述べています。 

  〈銀行券の発行は、貴金属の輸出入におうじて、または為替相場におうじて、調節されなければならない。金は鋳貨にほかならず、したがって輸入されるすべての金は流通する貨幣を増加させ、したがって物価を騰貴させるし、輸出されるすべての金は鋳貨を減少させ、したがって物価を下落させる、というリカードの誤った前提、この理論的前提は、この場合、そのときどきに現存する金と同量の鋳貨を流通させようとする実際上の実験となったのである。イギリスで「通貨主義」〔currency principle〕学派という名称で知られているオーヴァストン卿(銀行家ジョーンズ・ロイド)、トレンズ大佐、ノーマン、クレー、アーバスノットその他無数の著述家たちは、この学説を説教したばかりでなく、1844年と1845年のサー・ロバート・ピールの銀行法をつうじて、それをイングランドとスコットラソドにおける現行の銀行立法の基礎とした。このうえなく大がかりな全国的規模の実験ののちに、この学説が理論上も実践上も不面目な失敗をこうむった……〉 (160頁) 

  (ト)(チ)(リ) J・S・ミル氏は、彼の得意とする折衷論理を用いて、彼の父ジェームズ・ミルと同意見であると同時にその反対者たちとも同意見だと称する術を心得ています。彼の概説書『経済学原理』の本文と、彼がみずから現代のアダム・スミスだと名乗りをあげているその序文(第1版)とを比べてみると、この男の素朴さと、彼の言うことを信じて彼をアダム・スミスだと買いかぶっている読者の素朴さと、どちらにより多く驚嘆してよいのかわからないのですが、アダム・スミスにたいするこの男の関係は、ちょうどウェリントン公にたいするカルスのウィリアムズ・カルス将軍の関係のようなものです。経済学の領域でのJ・S・ミル氏の広範囲でもなければ内容豊富でもない独創的な諸研究は、1844年に出た彼の小著『経済学の未解決の諸問題』のなかに、すべてが隊伍を組んで行進しているのが見いだされるのです。 

  ジョン・ステュアート(1806-1873年)はマルクスとほぼ同時代のイギリスの経済学者です。ここではJ・S・ミルをこてんぱんにけなしていますが、『資本論辞典』を見ると必ずしもマルクスはそうした一面的な評価をしているわけではないようです。「Ⅱ マルクスのミル論」の中からその一部を紹介しておきましょう。 

  〈ミルにたいするマルタスの評価はいろいろな問題に関連して与えられている.マルク旦はミルを一般的には聡明な人,教養のある,批判的な意識の人々の一人といっている……(1)ミルの一般的見地については,資本の経済学をプロレタリアートの要求と調和せしめようとして生じた,気の抜けた混合主義の最良の代表者,ブルジョア経済学の破産を宣告したものであって, 1848年のヨーロッバ大陸の革命がイギリスに反応して,プロレタリアートの要求はもはや無視することができないまでに発展してきたが,しかし支配諸階級のたんなる阿諛者たることをもって満足しないところから生じたものである,といっている。(2)方法については, ミルの方法は折衷的論理である,ブルジョア的限界の内部においてすら,純専門的立場からいえば訂正を必要とするところの先行者たちの誤った分析を看破するにいたらず,いつも門弟的のドグマチズムをもって師匠たちの思想混乱を登録している,といっている。(3)ミルの経済学の領域における独創的研究は,一般的に質量ともに,大したものではない。等々、以下略〉(566頁) 

  (ヌ)(ル) ロックは、金銀には価値がないことと、量による金銀の価値の規定との関連を、あからさまに語っています。「人類は、金銀に想像的な価値を与えることに同意したのだから、……これらの金属に見られる内在的な価値は、量以外のなにものでもないのである。」(『諸考察』、1691年、所収、『著作集』、1777年版、第2巻、15ページ。) 

  ここではロックは金銀には価値がないことと量による金銀の価値の規定について語っていることが紹介されていますが、『経済学批判』でも、マルクスは次のように述べています。 

  〈すでにロックが、金銀はただ想像上のまたは慣習上の価値をもつにすぎないと言ったが、これは、金銀だけが真の価値をもつという重金主義の主張にたいする反対論の最初の粗野な形態である。金銀の貨幣定在は、ただ社会的交換過程におげるそれらの機能からだけ発生するということが、金銀はそれ自身の価値、したがってそれらの価値の大きさを社会的な機能のおかげでもっている、というように解釈されるのである。だから金銀は価値のないものであるが、しかし流通過程の内部では諸商品の代理者として一つの擬制的な価値の大きさを得る。金銀は、この過程によって貨幣に転化されるのではなくて、価値に転化される。金銀のこの価値は、それ自身の量と商品量とのあいだの比率によって規定される。なぜならば、両者の量は互いに一致しなければならないからである。〉 (全集第13巻140頁)

 

  (【付属資料】は(3)に掲載。)

 

 

 

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『資本論』学習資料No.16(通算第66回)(3)

2019-11-11 12:38:58 | 『資本論』

『資本論』学習資料No.16(通算第66回) (3)

 (やはり今回も字数をオーバーしましたので、付属資料は(3)として掲載します。)

 

 【付属資料】

 

●第10パラグラフ 

《経済学批判》 

  〈この流通の回数、すなわち貨幣流通の速度は、それはそれとして、諸商品がそれらの変態のいろいろな局面を通過する平均速度、これらの変態が連鎖をなしてつながっていく平均速度、自分の変態を通過した諸商品が流通過程で新しい諸商品によって置き換えられる平均速度によって規定されており、言いかえれば、ただその平均速度を表現するにすぎない。〉(全集第13巻83頁) 

《初版》 

  〈貨幣流通一般のうちには諾商品の流通過程だけが現われているのと同様に、貨幣流通の速さのうちには諸商品の形態変換の速さが、変態諸系列の連続的なからみあいが、物質代謝のすばやさが、流通部面からの諸商品の迅速な消失とこれらの商品にとって代わる新たな商品の同じくらい迅速な登場が、現われている。こうして、貨幣流通の速さのうちには、対立しながら互いに補足しあう諸段階--価値姿態への使用姿態の転化と使用姿態への価値姿態の再転化--の、すなわち、販売と購買という両過程の、流動的な統一が、現われている。逆に、貨幣流通の減速のうちには、これらの過程の分離と対立的な自立化が、形態変換したがって物質代謝の停滞が、現われている。この停滞がどこから生じているかは、もちろん、流通そのものを見てもわからない。流通は現象そのものを示しているにすぎない。通俗的見解は、貨幣流通の減速につれて、流通の表面のあらゆる点で貨幣が現われては消える回数が少なくなる、と見ているが、この通俗的見解には、この現象を流通手段の量の欠乏から説明することが、いかにも性に合っている(61)。〉(江夏訳113頁) 

《フランス語版》 

  〈貨幣流通一般が、その衝動と方向を商品流通から受け取っているのと同じように、貨幣運動の速さは、商品の形態変化の速さ、変態諸系列のお互いのなかでの連続的再登場、流通からの商品の突然の消滅、これと同じほど突然の新商品による交替のみを、反映している。このようにして、貨幣流通が速くなると、対立し補足しあう段階の流動的な統一、商品の使用姿態の価値姿態への転化とその価値姿態の使用姿態への再転化との流動的な統一が、すなわち、同じ交換者によって交互に行なわれる二つの行為である販売と購買との統一が、現われる。逆に、貨幣流通が緩慢になったばあいには、これらの現象の分離と、これらの現象が相互に対立して孤立する傾向とが、形態変化の中断したがって物質代謝の中断が、現われる。流通はもちろん、この中断がどこから生ずるかを明らかにはしない。流通は現象しか示さない。通俗的見解は、貨幣流通が緩慢になるのにつれて、貨幣が流通部面のあらゆる点に出没する頻度が少なくなる、ということを認めるが、この見解は、この現象の説明を、流通する金属量の不足のうちにもとめる傾向がある(27)。〉(江夏・上杉訳100頁)

 

●注77 

《初版》 

  〈(61)「貨幣は……売買の共通の尺度であるから、なにか売るものをもっていても買い手が見つからない者は誰でも、すぐに、王国内あるいは国内の貨幣の欠乏が自分の品物の売れない原因であると考えがちである。そこで、貨幣の欠乏が共通の叫びになる。これは大きなまちがいだ……。貨幣を求めて大声で叫ぶこれらの人々は、なにを必要としているのか?……農家は不平を言う……彼は、国内にもっと多くの貨幣があれば自分の品物によい値段がつけられると考える……そこで、彼の必要とするものは、貨幣ではなくて、売りたくても売れない自分の穀物か家畜のほどよい値段であるらしい。なぜ彼はほどよい値段が得られないのか?……(1)国内には穀物や家畜が多すぎるので、市場にやってくるたいがいの人々は、彼と同じに、是非とも売る必要のある人々であって、買う必要のある人がほとんどいないからであるか、または、(2)輸送による通常の海外販路が欠けているからであるか……または、(3)貧窮のために以前ほどは家事に支出しないというばあいのように、消費が減っているからである。それゆえに、農家の品物の値段を少しでも上げるであろうものは、特定の貨幣の増加ではなく、真に市場を圧迫しているこれらの三つの原因のどれかを取り除くことである。……卸売商も小売商も同じように貨幣を必要としている。すなわち、彼らは、市場が充分でないので、自分たちが商う品物の販路を必要としている。すなわち、彼らは、市場が充分でないので、自分たちが商う品物の販路を必要としている。……富が人の手から手にさっと動くときほど、一国が栄えることはない。」(サー・ダッドリー・ノース『交易論、ロンドン、1692年』、11-15ページの各所。)ヘルレンシュヴァントのいかさまはすべて、商品の本性から生じ、したがって商品流通のうちに現われている諸矛盾は、世間一般の幻想であるが、だからといって、その逆に、たとえば政府の拙劣な「通貨調節」策の結果である流通手段の現実の欠乏が、それだけで停滞をひき起こすことはありえない、ということにはけっしてならない。〉(江夏訳113-114頁) 

《フランス語版》 

  〈(72) 「貨幣は販売と購買との共通の尺度であるから、売らねばならないなにものかがあるのに貿い手を得ることのでぎない人は誰でも、王国内の貨幣の不足が自分の物品の売れない原因である、と考えがちである。それだから、誰もが貨幣が不足しているとわめいている。しかし、これは大きなまちがいだ。… … 大声で貨幣を叫びもとめている人々は、いったいなにを欲しているのか?… … 農業者は嘆いている。国内にもっと多くの貨幣があれば、自分の生産物にたいする対価を見出すであろう、と彼は考える。彼の穀物や家畜に欠けているものは、貨幣ではなくて対価であるように見える。… … それではなぜ、彼は対価を見出さないのか?… …(1)国内に余りにも多くの穀物や家畜があるので、市場にやって来る人々は大半、彼と同じように売る必要があるのであって、買う必要のある人はほとんどないからであるか、(2)あるいは、輸出による通常の販路が欠けているからであるか、… … あるいはさらに、(3)多くの人々が貧乏のため、以前支出していたのと同じだけのものを家計に支出できないばあいのように、消費が減少しているからであるか、のいずれかである。したがって、農業者の物品を売らせるものは、貨幣の増加ではなく、これら三つの原因の一つが消滅することであろう。同じように、卸売商も小売商も貨幣に欠乏している、すなわち、市場が不足しているために彼らは自分たちが取引する物品のための販路に欠乏しているのである。… …富が一方の手から他方の手にたちまち飛んで行くばあいほど、一国が繁栄することはない」(サー・ダッドリ・ノース『交易論』、ロンドン、1691年、11-15ページの各所)。
 ヘレンシュヴァントの刻苦精励の作品はすぺて、次のことに要約される。すなわち、商品の性質から生じ必然的に流通内で現われる対立は、いっそう多量の貨幣をそこに投ずれば除去することができる、ということ。だが、生産と流通の進行における減速または休止を貨幣の欠乏のせいにすることは、幻想であっても、このことから、法律上の制限から生ずる流通手段の現実の欠乏がそれ自身停滞を惹き起こすことはありえないのだ、ということにはけっしてならない。〉(江夏・上杉訳101頁)

 

●第11パラグラフ 

《経済学批判》 

  〈貨幣流通の前提は商品流通であり、しかも貨幣が流通させるのは、価格をもつ諸商品、すなわち観念的にすでに一定の金量と等置されている諸商品である。諸商品の価格規定そのものには、度量単位として役だつ金量の価値の大きさ、すなわち金の価値は、あたえられたものとして前提されている。だからこの前提のもとでは、流通に必要な金の量は、まず第一に実現されるべき商品価格の総額によって規定されている。ところが、この総額そのものは、(1)価格の高さ、つまり金で評価された諸商品の交換価値の相対的な高さまたは低さによって、(2) 一定の価格で流通する諸商品の量によって、つまりあたえられた価格での購買と販売との量によって規定される。…(中略)…だから、価格の騰貴にもかかわらず、流通させられる諸商品の量が価格総額の増加するよりも大きな割合で減少するならば、商品流通に必要な金の量は減少しうるし、また逆に流通させられる諸商品の量は減少しても、それらの価格総額がそれよりも大きな割合で増加するならば、流通手段の量は増加しうることになる。たとえば、イギリス人のみごとな詳細な研究が証明したところでは、イギリスでは、穀物騰貴の最初の段階では、減少した穀物量の価格総額が以前の数量の多かった穀物量の価格総額よりも大きく、しかも同時に、その他の商品量の流通はもとの価格でしばらくのあいだ支障なくつづくので、流通する貨幣の量は増加するのである。これに反して、穀物騰貴のあとの段階では、穀物とならんでもとの価格で売られる商品の量が減少するか、または以前と同じ量の商品がもっと低い価格で売られるか、どちらかのために、流通する貨幣の量は減少するのである。
  しかしすでに見たように、流通する貨幣の量は、たんに実現されるぺき商品価格の総額によって規定されるだけでなく、同時に貨幣の流通する速度、つまり貨幣があたえられた期間内にこの実現の仕事をなしとげる速度によっても規定される。もし同じソヴリン金貨が同じ日にそれぞれ1ソヴリンの価格の商品を10回買い、したがってその所持者を10回変えれば、このソヴリン金貨は、1日にそれぞれ1回しか流通しないソヴリン金貨10個とちょうど同じ仕事をする。だから金の流通の速度は、金の量の代わりをすることができるのであり、言いかえれは、流通過程における金の定在は、たんに商品とならんでいる等価物としてのその定在によって規定されるだけではなく、商品変態の運動の内部での金の定在によっても規定される。けれども、貨幣流通の速度はある一定の程度までしかその量の代わりをしない。なぜならば、どのあたえられた時点でも、際限なく分裂した購買と販売とが、空間的に並行しておこなわれるからである。〉(84-85頁) 

《初版》 

  〈だから、それぞれの期聞に流通手段として機能しつつある貨幣の総量は、一方では、流通しつつある商品世界の価格総額によって規定され、他方では、商品世界の対立的な流通諸過程の流れの緩急--この緩急いかんで、上記の価格総額のどれだけの部分が同じ貨幣片によって実現されうるかが、きまるのである--によって規定されている。だが、諸商品の価格総額は、各商品種類のならびに価格によってきまる。ところが、価格の運動流通しつつある商品量、そして最後に貨幣の流通速度という三つの要因は、ちがった方向に、しかもちがった割合で変動しうるのである。だから、実現されるべき価格総額も、したがって、それによって制約される流通手段の量も、非常に多くの組み合わせをもっている。ここでは、商品価格の歴史上最も重要なものだけを列挙することにしよう。〉(江夏訳114頁) 

《フランス語版》 

  〈与えられた期間内に流通手段として機能する貨幣の総量は、一方では流通する全商品の価格総額によって規定され、他方ではこの全商品の変態の相対的速度によって規定される。ところが、諸商品の総価額は、各商品種類のにも価格にも依存する。これら三つの要因、すなわち、価格の変動流通する商品量、最後に貨幣の流通速度は、さまざまな割合でちがった方向に変化することがありうる。したがって、実現すべき価格総額も、それゆえに、価格総額の要求する流通手段のも、多数の組合せを受けいれることができるが、ここでは、価格史上最も重要な組合せだけを記述することにしよう。〉(江夏・上杉訳101頁)

 

●第12パラグラフ 

《経済学批判》 

  ここでは第12~15パラグラフに共通するものと思われるものを紹介しておきます。 

〈流通する諸商品の総価格が騰貴しても、その騰貴の割合が貨幣流通の速度の増大よりも小さければ、流通手段の量は減少するであろう。逆に流通の速度が、流通する商品量の総価格が減少するよりも大きな割合で低下するならば、流通手段の量は増加するであろう。一般的に価格が低落するのにともなう流通手段の量の増加、一般的に価格が騰貴するのにともなう流通手段の量の減少は、商品価格の歴史のうえで最もよく確認された現象のひとつである。しかし、価格水準の騰貴をひきおこし、同時に貨幣の流通速度の水準のそれ以上の上昇をひきおこす諸原因、さらにまたその逆の運動をひきおこす諸原因は、単純流通の考察の範囲外にある。一例としては、信用がひろくおこなわれている時代にはとくに、貨幣流通の速度は商品の価格よりも急速に増大するのに、信用の減退にともなって、商品の価格は流通の速度よりも緩慢に下落することをあげることができる。単純な貨幣流通の表面的で形式的な性格は、まさに次の諸点に、流通手段の数を規定するすべての契機、たとえば流通する商品の量、価格、価格の騰落、同時におこなわれる購買と販売の数、貨幣流通の速度のような諸契機は、商品世界の変態の過程に左右され、この過程がさらに生産様式の全性格、人口数、都市と農村との関係、運輸手段の発達、分業の大小、信用等々、要するにすべて単純な貨幣流通の外部にあって、ただそれに反映するにすぎない諸事情に左右される、ということに現われている。〉(85-86頁) 

《初版》 

  〈商品価格が不変なばあいには、流通手段の量が増加しうるのは、流通しつつある商品の量が増加するからであるか、貨幣の流通速度が下がるからであるか、または、両者が共に作用するからである。逆に、流通手段の量は、商品量が減少するかまたは貨幣の流通速度が上がるにつれて、減少しうる。〉(江夏訳114頁) 

《フランス語版》 

  〈価格が同じままであれば、流通する商品量が増加しようと、貨幣の流通速度が減少しようと、または、これらの二つの事情がともに作用しようと、流通手段の量は増加しうる。逆に、商品量が減少するか、または、貨幣が流通を速めれば、流通手段の量は減少しうる。〉(江夏・上杉訳102頁)

 

●第13パラグラフ 

《初版》 

  〈商品価格が一般的に上がるばあいには、流通手段の量が不変でありうるのは、商品価格が上がるのと同じ割合で、流通しつつある商品の量が減少するばあいであるか、または、流通しつつある商品量は不変であるが、価格の上昇と同じ速さで貨幣の流通速度が増すばあいである。流通手段の量が減少しうるのは、価格上昇よりも商品量が急速に減少するからであるか、または、価格上昇よりも貨幣の流通速度が急速に増すからである。〉(江夏訳115頁) 

《フランス語版》 

  〈商品価格が一般的な騰貴をこうむるばあい、流通する商品量が商品価格の騰貴と同じ割合で減少するか、または、流通する商品量が同じままであるのに貨幣の流通速度が価格の騰貴と同じくらい急速に増大すれば、流通手段の量は同じままでありうる。商品量が減少するか、または、貨幣の流通速度が商品価格よりも急速に増大すれば、流通手段の量は減少しうる。〉(江夏・上杉訳102頁)

 

●第14パラグラフ 

《初版》 

  〈商品価格が一般的に下がるばあいには、流通手段の量が不変でありうるのは、商品価格が下がるのと同じ割合で、商品量が増加するばあいであるか、または、価格が下がるのと同じ割合で貨幣の流通速度が落ちるばあいである。流通手段の量が増加しうるのは、商品価格が下がるよりも商品量が急速に増加するばあいであるか、または、商品価格が下がるよりも貨幣の流通速度が急速に落ちるばあいである。〉(江夏訳115頁) 

《フランス語版》 

  〈商品価格が一般的な低落をこうむるばあい、商品量が商品価格の低落と同じ割合で増加するか、または、貨幣の流通速度が価格と同じ割合で減少すれば、流通手段の量は同じままでありうる。商品量が商品価格の低落よりも急速に増加するか、または、流通速度が商品価格の低落よりも急速に減少すれば、流通手段の量は増加しうる。〉(江夏・上杉訳102頁)

 

●第15パラグラフ 

《経済学批判》 

  〈ところで経験の示すところでは、ある一定の国の金属流通の水準、すなわち流通する金または銀の量は、たしかに一時的な干満に、しかも多くの場合きわめて激しい干満に出会うけれども(*)、しかし全体として比較的長期間にわたって同一不変のままであって、平均水準からの乖離は、ただ微弱な振動としてつづくだけであるとすれば、この現象は、流通する貨幣の量を規定する諸事情の相対立する性質から簡単に説明される。それらの事情の同時的変化は、それらの作用を中和させ、すぺてをもとのままにしておくのである。 

  (*)金属流通がその平均水準以下に異常に減少した一例は、『ロンドン・エコノミスト』からの次の抜粋を見ればわかるように、1858八年にイギリスで見られた。「事柄の性質上」(つまり単純流通のこまかく分裂した性格から)「市場と、銀行業を営んでいない階級の手中とで変動している現金の量については、そんなに正確な資料は入手できない。だがおそらく大商業国の造幣局が活動しているかいないかが、この量の変化の最も適切な指標のひとつであろう。多くが必要とされれば多くつくられるであろうし、すこししか必要とされないならばすこししかつくられないであろう。……イギリスの造幣局では、鋳造高は、1855年には924万5000ポンド・スターリング、1856年には647万6000ポンド・スターリング、1857年には529万3858ボンド。スターリングであった。1858年中には造幣局は、ほとんどなにもすることがなかった。」『エコノミスト』、1858年7月10日。だが同時に〔イングランド〕銀行の地下室にはほぼ1800万ポンド・スターリングの金がよこたわっていた。〉(全集第13巻86-87頁) 

《初版》 

  〈さまざまな諸要因の変動が互いに相殺しあうので、これらの要因が不断に不安定であっても、実現されるべき商品価格の総額が不変であり、したがって流通しつつある貨幣量も不変である、ということがありうる。だから、とりわけ、いくらか長い期間を考察するばあいには、外観から予期されるよりもはるかに不変的な、それぞれの国で涜通しつつある貨幣量の平均水準が、見いだされるし、そしてまた、周期的に生産恐慌や商業恐慌から生ずる、また、もっとまれには貨幣価値そのものの変動から生ずる、ひどい混乱を除けば、外観から予期されるよりもはるかにわずかな、この平均水準からの背離が、見いだされるのである。〉(江夏訳115頁) 

《フランス語版》 

  〈種々の要因の変動が相互に相殺しあうことがありうるがゆえに、これらの要因が永続的に変動しても、実現すべぎ価格総額は、したがって流通する貨幣量も、相変わらず同じである。実際のところ、ある程度の継続期間を考察すれば、平均水準からの偏差は、一見して予想するよりもはるかに小さいことが見出される。といっても、たいがいは産業恐慌や商業恐慌から生ずるような、また、例外的には貴金属の価値そのものの変動から生ずるような、周期的な激しい混乱は、別であるが。〉(江夏・上杉訳102頁)

 

●第16パラグラフ 

《経済学批判》 

  〈そこで、流通の速度が前提されているとすれば、流通手段の量は、簡単に商品の価格によって規定される。だから流通する貨幣が増減するから価格が騰落するのではなく、価格が騰落するから、流通する貨幣が増減するのである。これは最も重要な経済法則のひとつであって、商品価格の歴史によって詳細にこれを証明したのは、おそらくリカード以後のイギリス経済学の唯一の功績をなすものであろう。〉(全集第13巻86頁)
  〈貨幣の流通速度があたえられており、商品の価格総額があたえられていれば、流通媒介物の量は一定である、という法則は、商品の交換価値とそれらの変態の平均速度とがあたえられていれば、流通する金の量はそれ自身の価値に依存する、と表現することもできる。〉(同87頁)
  〈金銀はなんら内在的価値をもたず、したがって実際には現実的な商品ではない。これがヒュームの第三の「必然的帰結」である。彼は、価格をもたない商品と価値をもたない金銀とを流通過程にはいりこませる。だから彼はまた、商品の価値と金の価値とについては全然論じないで、ただそれらの相関的な量についてだけ論じるのである。……だからヒュームは、金銀を非商品として商品の世界にはいりこませておきながら、それらが鋳貨という形態規定性で現われると、逆にそれらを単純な交換取引〔物々交換〕によって他の商品と交換されるただの商品に転化させてしまうのである。そこでもしも商品世界がたった一つの商品、たとえば100万クォーターの穀物から成りたっているとすれば、1クォーターの穀物は、200万オンスの金が現存するならば2オンスの金と交換され、2000万オンスの金が現存するならば20オンスの金と交換され、こうして商品の価格と貨幣の価値とは、現存の貨幣量に反比例して騰落すると考えるのは、きわめて簡単であろう。ところが、商品世界は際限なくさまざまな使用価値から成りたっており、それらの相対的価値はけっしてそれらの相対的量によって規定されていない。それではヒュームは、商品の量と金の量とのあいだのこの交換をどう考えるのか? 彼は、それぞれの商品は総商品量の可除部分として、金の量のそれに対応する可除部分と交換されるという無概念的であいまいな考えで満足する。だから、商品にふくまれている交換価値と使用価値との対立から発生し、貨幣の流通に現われ、そして貨幣のいろいろな形態規定性に結晶する諸商品の過程的運動は消え去ってしまって、それに代わって一国に存在する貴金属の総重量と、同時に現存する商品総量との、頭のなかででっちあげられた機械的等置が出てくるのである。〉(同139-140頁) 

《初版》 

  〈流通手段の量は流通しつつある諸商品の価格総額と貨幣流通の平均速度とによって規定されている(62)という法則は、次のようにも表現することができる。すなわち、諸商品の価値総額が与えられ、諸商品の変態の平均速度が与えられているばあいには、流通しつつある貨幣または貨幣素材の量は、それ自身の価値によってきまる、と。これとは逆に、商品価格は流通手段の量によって規定され、流通手段の量のほうは一国に存在する貨幣素材の量によって規定されている(63)、という幻想は、それの最初の代表者たちにあっては、商品は価格をもたず貨幣は価値をもたぬまま、流通過程にはいり、それからこの過程で、雑多な商品群の一可除部分と金属の山の一可除部分とが互いに交換しあうのだ(64)、という愚かな仮説に、根ざしているのである。〉(江夏訳115-116頁) 

《フランス語版》 

  〈流通手段の量は流通する商品の価格総額と貨幣流通の平均速度によって規定される(28)という法則は、次のことに帰着する。すなわち、商品の価値総額と商品の変態の平均速度が与えられれば、流通している貴金属の量はそれ自身の価値に依存する、ということ。逆に、商品価格は流通手段の量によって規定され、この量は一国内の貴金属がどれだけ多量であるかによって規定される(29)、という幻想は、商品と貨幣とが一方は価格をもたず他方は価値をもたないまま流通に入りこみ、次いで商品の山積みの可除部分が金属の山の同じ可除部分とそこで交換される、という馬鹿げた仮説に、本来根ざしているのである(30)。〉(江夏・上杉訳102-103頁)

 

●注78 

《初版》 

  〈(62)「一国の取引を営むのに必要な貨幣にはある限度とある割合とがあって、それより多〈ても少なくてもこの取引に害を及ぼすであろう。このことはちょうど、小規模な小売取引では、銀貨をくずすとか、最小の銀貨でも清算できないような勘定をすませるとかするために、ある割合のファージシグ貨が必要であるようなものである。……ところで、取引で必要なファージング貨の数の割合が、国民の数やファージング貨の交換の頻度から測定することができ、また主に最小の銀貨の価値から測定できるように、それと同じやり方で、わが国の取引に必要な貨幣(金銀貨)の割合も同様に、交換の頻度から、また支払いの大きさから、測定することができる。」(ウィリアム・ペティ『租税貢納論、ロンドン、1667年』、17ページ。) ヒュームの学説は、A・ヤングによってその著『政治算術、ロンドン、1774年』のなかで、J・ステュアートたちに反対して弁護されたのであって、この著書の112ページ以下には、特に「価格は貨幣量によってきまる」という一章がある。私は『経済学批判』、149ページで、「彼(A・スミス)は、貨幣を単なる商品として取り扱うという全くの誤りをおかすことによって、流通しつつある鋳貨にかんする問題を暗黙のうちに除去してしまっている」、と述べておいた。このことがあてはまるのは、A・スミスが職務上貨幣を論じているかぎりにおいてのことである。とはいっても、ときおり、たとえば以前の経済学の諸体系にたいする批判では、彼は正しいことを言っている。「鋳貨量は、どの国でも、この量で流通させられるべき諸商品の価値によって規制されている。……どこかある国で年々売買される諸財貨の価値は、これらの財貨を流通させ、しかるべき消費者たちに分配するために、ある量の貨幣を必要とするが、それ以上の貨幣を働かせることはできない。流通の水路は、それをみたすに足りるだけの額を必ず引き入れるが、それ以上をけっして受け入れない。」(『諸国民の富』、第4篇、第1章。)同様に、A・スミスは彼の著書を、職務上、分業の賛美でもって始めている。あとになって、国家収入の源泉にかんする最後の篇では、彼はときおり自分の師A・ファーガソンの分業非難を再生産している。〉(江夏訳116頁) 

《フランス語版》 

  〈(28) 「一国の商業を進行させるために必要な貨幣には、ある大きさの範囲と割合があって、これ以上でもこれ以下でも、この商業は妨害をこうむるであろう。それはちょうど、小さな小売業では、銀貨を両替えするために、とりわけ、最小の銀貨でも完全には決済しきれない勘定のために、ある割合のファージング貨(リヤール貨) が必要であるのと同様である。……商業が必要とするファージング貨の数の割合が、商人の数や彼らの交換の頻度、とりわけ、最小の銀貨の価値にしたがって計算されなければならないのと同じように、われわれの商業に必要な貨幣(銀または金) の割合も、交換の数と果たすべき支払いの大きさにもとついて計算されなければならない」(ウィリアム・ペティ『租税貢納論』、ロンドン、1667年、17ページ)。
 「価絡は貨幣がどれだけ多量であるかに依存する」というヒュームの理論は、A・ヤングによりその著『政治算術』、ロンドン、1774年、112ページ以下、のなかで、サー・ジェームズ・ステユアートやその他の入々に反対して弁護された。私は私の著書『経済学批判』の149ページで、アダム・スミスは流通する貨幣量にかんするこの間題を黙過した、と述べておいた。とはいうものの、このことは、アダム・スミスが貨幣の問題を職務上論じているばあいにかぎって、真実なのである。時折、たとえば以前の経済学の体系の批判では、彼はこの間題について自分の考えを正しく述べている。「各国の貨幣量は、その国が流通させなければならない商品の価値によって規制される。……一国内で年々売買される物品の価値は、これを流通させこれを消費者に分配するための若干量の貨幣を要求するのであって、それ以上余計に貨幣を使用することはできない。流通の運河は必ず、この運河を満たすに足りるだけの額を引き寄せるが、それ以上のものは全然受け入れない」。  同じように、アダム・スミスは白分の著書を職務上分業の礼賛から始めている。後になって、国家収入の源泉にかんする最後の篇で、彼は、自分の先生であるA・ファーガソンが分業に反対して行なった観察を再生している(『諸国民の富』、第4篇、第1章)。〉(江夏・上杉訳103頁)

 

●注79 

《初版》 

  〈(63)「どの国でも、金銀が国民のあいだで増加するにつれて、諸物の価格は確かに上がるであろう。そしてそれゆえに、どこかある国で金銀が減少すれば、あらゆる物の価格は、このような貨幣の減少に比例して下がるにちがいない。」(ジエイコブ・ヴァンダリント『貨幣万能論』、ロンドン、1734年、5ページ。)ウァンダリントとヒュームの『論集』とをさらに詳しく比較すると、ヴァンダリントの、ともあれきわめて秀でた著書を、ヒュームが知っていて利用したことは、私にはいささかの疑いもない。流通手段の量が価格を規定するという見解は、バーボンにも見られるし、なおずっと古い著述家たちにも見られる。ヴァンダリントは言う。「拘束を受けない貿易をしたばあい、なんの不都合も生じえず、かえって、非常に大きな便益が生じうる。……なぜならば、もしこういった貿易によってその国の正金が減らされれば、といっても、このことを防ぐために禁止策が図られるのであるが、その正金を手に入れる諸国では、正金がそれらの諸国で増加するにつれて、すべての物の価格がきっと騰貴するであろうから。そして、……わが国の製造品もその他すべての物も間もなく、貿易差額をわが国に順ならしめるほどのころあいの値段になり、このことによって再ぴ貨幣を取り戻すであろう。」(同上、44ページ。)〉(江夏訳116-117頁) 

《フランス語版》 

  〈(29)「物の価格はどの国でも、金や銀が住民のあいだで増加するのにつれて、騰貴する。したがって、一国内で金や銀が減少すれば、すべての物の価格は貨幣のこの減少に比例して低落するであろう」(ジェーコブ・ヴァンダリント『貨幣万能論』、ロンドン、1734年、5ページ)。ヴァンダリントの著述とヒュームの論集とをいっそう綿密に比較してみると、ヒュームが自分の先輩の著作を知っており、これを利用したということについて、私にはいささかの疑念もない。流通手段の量が価格を決定するという意見は、バーボンにも彼以前の他の多数の著者にも見出される。ヴァンダリントはこう述べる。「無制限な貿易の自由からは、どんな不郁合も生じえないのであって、逆に大きな利益が生ずる。……というのは、 一国の正金がそれによって減少するならば--これを防止することが禁止策の仕事だが--、正金を獲得した他の諸国は自国で、貨幣が増加するのにつれてすべての物の価格が騰貴するのを、確実に見るからである。……そしてわが国の工場は、充分に低い価格で引き渡しをして貿易収支をわが国に順ならしめ、このようにして貨幣をわが国に復帰させる、ということに成功するであろう」(同上、44ページ)。〉(江夏・上杉訳103-104頁)

 

●注80 

《経済学批判》(これはすでに第16パラグラフの資料として紹介したものですが、もう一度紹介しておきます。) 

 〈金銀はなんら内在的価値をもたず、したがって実際には現実的な商品ではない。これがヒュームの第三の「必然的帰結」である。彼は、価格をもたない商品と価値をもたない金銀とを流通過程にはいりこませる。だから彼はまた、商品の価値と金の価値とについては全然論じないで、ただそれらの相関的な量についてだけ論じるのである。……だからヒュームは、金銀を非商品として商品の世界にはいりこませておきながら、それらが鋳貨という形態規定性で現われると、逆にそれらを単純な交換取引〔物々交換〕によって他の商品と交換されるただの商品に転化させてしまうのである。そこでもしも商品世界がたった一つの商品、たとえば100万クォーターの穀物から成りたっているとすれば、1クォーターの穀物は、200万オンスの金が現存するならば2オンスの金と交換され、2000万オンスの金が現存するならば20オンスの金と交換され、こうして商品の価格と貨幣の価値とは、現存の貨幣量に反比例して騰落すると考えるのは、きわめて簡単であろう。ところが、商品世界は際限なくさまざまな使用価値から成りたっており、それらの相対的価値はけっしてそれらの相対的量によって規定されていない。それではヒュームは、商品の量と金の量とのあいだのこの交換をどう考えるのか? 彼は、それぞれの商品は総商品量の可除部分として、金の量のそれに対応する可除部分と交換されるという無概念的であいまいな考えで満足する。だから、商品にふくまれている交換価値と使用価値との対立から発生し、貨幣の流通に現われ、そして貨幣のいろいろな形態規定性に結晶する諸商品の過程的運動は消え去ってしまって、それに代わって一国に存在する貴金属の総重量と、同時に現存する商品総量との、頭のなかででっちあげられた機械的等置が出てくるのである。〉(同139-140頁) 

《初版》 

  〈(64)各個の商品種類が、それぞれの価格によって流通しつつある全商品の価格総額の一要素を成している、ということは自明である。ところが、どうして、互いに通約されえない諸使用価値が、一団となって、一国にある金銀量と交換しあうことになるのか、全く不可解なことである。商品世界は唯一無二総商品であって、各商品はそれの一可除部分を成しているにすぎないと騙すならば、次のようなみごとな計算例が出てくる。総商品=xツェントナーの金 であれば、商品A=諸商品の加除部分=xツェントナーの金の同じ加除部分 になる、と。モンテスキューにはあからさまにこのことが出てくる。「世界に現存している金銀の量を、世界に現存している商品の総量と比較すれば、確かに、それぞれの生産物または商品が、個々に、貨幣のある部分と比較されうるであろう。世界にはただ一つの生産物または商品しか現存していない、あるいは、買われるものはただ一つしかなく、しかもそれが貨幣のように分割されていると仮定しよう。この商品の一部分は貨幣量の一部分に照応するであろうし、一方の総計の半分が他方の総計の半分に照応するであろう、云々。諸物の価格の決定はいつでも、根本的には、象徴の総計にたいする諸物の総計の比率によってきまる。」(モンテスキュー、前掲書、第3巻、12、13ページ。)リカードやその弟子ジェームズ・ミル、ロード・オーヴァストンたちによる、この理論のいっそうの発展については、『経済学批判』、140-146ページ、および150ページ以下、を参照せよ。J・St・ミル氏は、彼の得意とする折衷的な論理を用いて、彼の父J・ミルと同意見であると同時にJ・ミルの反対者たちとも同意見だとする術を心得ている。彼の概論『経済学原理』の本文を、彼がみずから現代のアダム・スミスと名乗り出ている序文(第1版)とを比べてみると、この男の素朴さと、彼を信用してアダム・スミスだと買いかぶっている読者の素朴さと、そのどちらにより多く驚嘆してよいのか、わからないが、アダム・スミスにたいするこの男の関係は、ほぼ、ウェリントン公にたいするカルス要塞のウィリアムズ・カルス将軍の関係のようなものである。経済学の領域での、J・St・ミル氏の広範でもなければ内容豊富でもない独創的な諸研究は、1844年に出た彼の小著『経済学上の若干の未解決な諸問題』のなかに、すべてが列を整えて行進している模様が、見いだされる。ロックは、金銀の無価値性による金銀の価値規定との関連を、単刀直入にこう述べている。「人類は金銀に想像的な価値を与えることに同意したのであるから、……これらの金属のうちに考察される内在的価値は、以外のなにものでもない。」(『……若干の考察、1691年』、『著作集』、1777年版、第2巻、15ページ。)〉(江夏訳117-118頁) 

《フランス語版》 

  〈(30) 明白なことであるが、それぞれの商品種類は、その価格によって流通しているすべての商品の価格総額の一要素をなしている。だが、どうして相互に通約不可能な使用価値の山積みが、一国にある金または銀の量と交換されうるかは、理解できない。もし諸商品の全体を唯一無二の総商品--そのうちの各商品は部分をなすにすぎない--に還元すれば、次のような不条理な等式が得られるだろう。すなわち、総商品=xキンタールの金、商品A=総商品の部分=xキンタールの金の同じ部分、このことは、モンテスキューによってきわめて素直に表現されている。「世界に現存している金と銀の量を、世界に現存している商品の総量と比較すれば、確かに、それぞれの生産物または商品が、個々に、金と銀とのある部分と比較されうるであろう。世界にはただ一つの生産物または商品しか存在しない、あるいは、買われるものはただの一つだけであって貨幣のように分割されていると仮定しよう。この商品の一部分は貨幣量の一部分に照応するであろうし、一方の総計の半分は他方の総計の半分に照応するであろう、云々。物の価格の決定はいつでも、根本的には、表章の総計にたいする物の総計の比率に依存している」(モンテスキュー、前掲書、『著作集』第3巻、12、13ページ)。リカードによって、その弟子ジェームズ・ミルやロード・オーヴァストンたちによって、この理論にささげられた発展については、私の著書『経済学批判』の140-146ぺージ、および150ページ以下を見よ。J・S・ミル氏は、いともみごとに駆使する折衷的論理をもって、自分の父ジェームズ・ミルの意見にもその反対意見にも同時に賛成であるように折り合いをつけている。彼の概論『経済学原理』の本文を、彼自身が現代のアダム・スミスであると自己紹介している初版の序文と比較すれば、この男の素朴さを嘆賞してよいのか、それとも、彼を実際にアダム・スミスと思いちがいした読者の素朴さ--たとえ彼がアダム・スミスに類似していること、カルスのウィリアムズ将軍がウェリントン侯に類似しているのと同じであっても--を嘆賞してよいのか、わからない。経済学の領域でのJ・S・ミル氏の、独創的だが余り広範でも深遠でもない研究は、1844年に『経済学の若干の未解決な問題』という題名で刊行された彼の小著のなかにすべてが戦闘隊形に整列されているのが、見出される。ロックはどうかといえば、ロックは、貴金属の無価値性にかんする彼の理論と、量だけによる貴金属の価値規定とのあいだの関係を、単刀直入にこう言い表わしている。「人類は金と銀に想像的な価値を与えることに同意したのであるから、……これら金属のうちに考察される内在的な価値は、量以外のなにものでもない」(ロック『若干の考察』、1691年、『著作集』1777年版、第2巻、15ぺージ)。〉(江夏・上杉訳104頁)

  (了)

 

 

 

 

 

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