『資本論』学習資料No.35(通算第85回)(1)
◎大谷氏の最終講義(下)(大谷禎之介著『マルクスの利子生み資本論』全4巻の紹介 №4)
今回は大谷氏の最終講義が収められている「序章A マルクスの利子生み資本論」の後半(「3 マルクス利子生み資本論の構成と内容」)を取り上げます。
ここでは、最初に(№33)紹介しました「第5章の構成」の一覧表にもとづいて、第5章全体の大まかな内容が紹介されています。
すでに紹介しましたように、「第5章 利子と企業利得(産業利潤または商業利潤)とへの利潤の分裂。利子生み資本。」の草稿はマルクス自身によって1)~6)の項目に分けられています(一部番号の打ち間違いがあります)。それぞれの項目にはマルクス自身による表題があるものもあればないものもあります。先の一覧表のうち〔 〕内に書かれている表題は大谷氏によるものですが、〔 〕のないものはマルクス自身によるものです。つまりマルクス自身が表題を書いているのは〈2) 利潤の分割。利子率。利子の自然的な率〉、〈4) 利子生み資本の形態での剰余価値および資本関係一般の外面化〉、〈5) 信用。架空資本〉、〈6) 前ブルジョア的諸関係〉です。だから1)と3)は項目だけあって、表題はないわけです。
大谷氏はこの第5章の全体をその内容から考えて、大きく〈A、利子生み資本の理論的展開〉と〈B、利子生み資本についての歴史的考察〉の二つに分けられると考えています。そして〈利子生み資本の理論的展開〉は、〈Ⅰ.利子生み資本の概念的把握〉と〈II.信用制度下の利子生み資本の考察〉に分けられると考えています。そして〈Ⅰ〉には、マルクス自身の項目として1)~4)が入り、〈II〉には5)が入ると考えています。そして〈B〉には6)が該当すると考えているわけです。
〈Ⅰ.利子生み資本の概念的把握〉に入る1)~4)は草稿そのものの完成度が高く、エンゲルスも草稿をほぼそのまま利用して第21章~第24章を編集しています。
しかし〈II.信用制度下の利子生み資本の考察〉に該当する〈5) 信用。架空資本〉は、完成度が低く、エンゲルスが編集でもっとも手こずった部分です。エンゲルスはそれを第25章~第35章の11の章に分けていますが、マルクス自身はⅠ)、II)、III)の三つの項目を付けているだけです。Ⅰ)はエンゲルス版の第28章にほぼ該当し、II)は第29章、III)は第30~32章にほぼ該当します。
大谷氏は内容からみて〈II〉全体を、〈A 信用制度〉、〈B 信用制度下の利子生み資本(monied capital)〉、〈C 地金と為替相場。貨幣システムによる信用システムの被制約性〉の三つの部分に分けられると考えています。エンゲルス版の章を当てはめると〈A〉には第25章~第27章が該当し、〈B〉には第28章~第34章が該当することになります。そして〈C〉には第35章が該当します。ただし大谷氏は第26章と第33章、第34章は、マルクスが本文として書いたものではなくて、ただ抜粋集として書いたものを、エンゲルスが一つの章として本文として編集してしまっているものだと考えています。
以上が第5章の全体の構成と内容です。大谷氏はそれぞれについて簡潔な説明を与えていますが、それを繰り返したり、要約することは不要でしょう。ここではやや疑問に思ったところと、重要な視点の指摘と思えた部分を紹介しておきましょう。まず後者からです。
大谷氏は〈(2)信用制度下の利子生み資本(monied capital)の分析〉という小項目のなかで、次のように述べています。
〈monied capita1を必然的に生み出して,それを自分の運動の媒介形態にするのは,生産的資本,最も根底的には,産業資本なのですから,monied capitalの分析とは,具体的には,この資本の運動が,この資本を生み出した産業資本の運動から離れてどのように自立化し,逆に生産的資本の運動にどのように反作用するのか,そしてこのような自立化にもかかわらず,生産的資本の運動によってどのように規定され,制約されているのか,ということを明らかにすることです。産業資本の運動というのは,資本の再生産過程の進行ですし,この進行の具体的な形態は産業循環,景気循環にほかなりませんから,この分析は,monied capita1の運動を,再生産過程からこの資本が自立化しながら再生産過程によって最終的に制約される過程としてとらえることですし,それはまた同時に,産業循環の局面転換のなかでの,monied capitalの運動と生産的資本の運動との内的関連を明らかにすることでもあります。〉(66頁)
これは重要な指摘だと考えます。
次にやや疑問に思った点です。〈(b)monied capitalの諸形態。架空資本としてのmonied capital〉という小項目のなかで、次のように述べています。
〈そして,銀行資本がとっている形態のなかには,利子生み証券などのいわゆる擬制資本が含まれているだけでなく,じつは,銀行の準備金にいたるまで,そのすべての形態が本質的に架空なものであること,架空資本であることが明らかにされます。〉(67頁)
大谷氏は「架空資本」と「擬制資本」の二つのタームを使っているのですが、それらがどのように異なり、どのように関連しているのかについて明確には述べていません。どうしてそれらを使い分ける必要があるのかについても何も述べていないのです。擬制資本については「いわゆる」という修飾語がついています。これは一般に言われているがという意味を込めているのかも知れませんが、しかしそうしたタームを使っている人たちには架空資本の明確な概念が無いからだという批判的視点がないのです。だからそうした俗説をそのまま受け入れていることになっているように思えます。
また大谷氏は〈架空なもの〉と〈架空資本〉とを明確に区別せずに論じています。あたかもそれはただ言い方を変えただけのものであるかのように、〈銀行の準備金にいたるまで,そのすべての形態が本質的に架空なものであること,架空資本であることが明らかにされます〉という言い方がそれを示しています。しかしマルクス自身は〈架空資本〉と〈架空なもの〉とを明確に区別して論じているのです。「架空資本」はその独自な運動形態を持っていますが、「架空なもの」はそうしたものはありません。例えば株式や国債などは「架空資本」ですが、準備金や預金などは、それ自体に独自な運動形態などはないのですから、「架空なもの」とはいえても「架空資本」とはいえないのです。マルクスは第29章ではこうした区別を明確に意識して論じていることを大谷氏は見落としています。
とりあえず、大谷本の紹介はこれぐらいにしておきます。それでは本論に入りましょう。今回は「第8章 労働日」の「第3節 搾取の法的制限のないイギリスの諸産業部門」を取り上げます。
第3節 搾取の法的制限のないイギリスの産業諸部門
◎第1パラグラフ(今度は労働力の搾取が今日なお無拘束であるか、またはつい昨日までまだ無拘束だったいくつかの生産部門に目を向けてみよう)
【1】〈(イ)これまでわれわれが労働日の延長への衝動、剰余労働にたいする人狼的渇望を考察してきた領域は、イギリスのあるブルジョア経済学者の言うところでは、アメリカン・インディアンにたいするスペイン人の残虐にも劣らない極度の無法(64)のために資本がついに法的な取締りの鎖につながれることになった領域だった。(ロ)そこで今度はわれわれの目を、労働力の搾取が今日なお無拘束であるか、またはつい昨日までまだ無拘束だったいくつかの生産部門に向けてみよう。〉
(イ) これまで私たちが労働日の延長への衝動、剰余労働にたいする人狼的渇望を考察してきた領域は、イギリスのあるブルジョア経済学者の言うところによりますと、アメリカン・インディアンにたいするスペイン人の残虐にも劣らない極度の無法のために資本がついに法的な取締りの鎖につながれることになった領域だったわけです。
ここで〈これまで〉と述べているのは、第1・2節を指していると思います。第2節の第7パラグラフでは〈ドナウ諸侯国のレグルマン・オルガニクは剰余労働にたいする渇望の積極的な表現だったのであり、それを各条項が合法化しているのだとすれば、イギリスの工場法は同じ渇望の消極的な表現である。この法律は、国家の側からの、しかも資本家と大地主との支配する国家の側からの、労働日の強制的制限によって、労働力の無際限な搾取への資本の衝動を制御する。日々に脅威を増してふくれあがる労働運動を別とすれば、工場労働の制限は、イギリスの耕地にグワノ肥料〔南米の海鳥の糞〕を注がせたのと同じ必然性の命ずるところだった。一方の場合には土地を疲弊させたその同じ盲目的な略奪欲が、他方の場合には国民の生命力の根源を侵してしまったのである。ここでは周期的な疫病が、ドイツやフランスでの兵士の身長低下と同じ明瞭さで、それを物語ったのである。〉と述べられていました。工場法による資本の搾取欲に対する法的制限が論じられていたのです。
(ロ) そこで今度は私たちの目を、労働力の搾取が今日でもなお無拘束であるか、またはつい昨日までまだ無拘束だったいくつかの生産部門に向けてみることにしましょう。
しかしこうした工場法の制限がすべての産業部門に一律に及んだのではなく、ある部門ではまったく法的規制が及んでいないか、つい最近までおよんでいなかった部門があり、それらをこれから取り扱うのだというわけです。
第2節の注48でも次のように述べていました。
〈〈48 イギリスにおける大工業の発端から1845年までの時期にはところどころで言及するだけにして、この時期についてはフリードリヒ・エンゲルスの『イギリスにおける労働者階級の状態』、ライプツィヒ、1845年〔本全集、第2巻を見よ〕の参照を読者にすすめておく。エンゲルスが資本主義的生産様式の精神をどんなに深くつかんだかは、1845年以来公刊されている工場報告書や鉱山報告書などが示している。また彼が事態の詳細をどんなに感嘆に値するやり方で描いたかは、彼の著書と18年ないし20年後に公表された「児童労働調査委員会」の公式の報告書(1863-1867年)とをほんのうわつらだけ比較してみただけでも、よくわかる。すなわち、これらの報告書は、工場立法が1862年まではまだ実施されていなかったし部分的には今なお実施されていない産業部門を取り扱っているのである。だから、これらの部門では、エンゲルスの記述した状態にたいして多少とも大きな変更が外から加えられたことはなかったのである〉
ここでもエンゲルスの著書が刊行された20年後に公表された「児童労働調査委員会」の公式の報告書(1863-1867年)について〈これらの報告書は、工場立法が1862年まではまだ実施されていなかったし部分的には今なお実施されていない産業部門を取り扱っている〉と述べています。だからこの第3パラグラフではこうした産業部門の問題を取り扱うということでしょう。
ここには〈アメリカン・インディアンにたいするスペイン人の残虐にも劣らない極度の無法〉という文言が出てきますが、生成AIを使って調べてみますと、次のような回答が出てきました。
〈スペイン人の征服者たちは、15世紀から16世紀にかけて、西インド諸島やアメリカ大陸の先住民であるインディオを虐殺、奴隷化、掠奪しました。その悲惨な実態を記録したのが、ドミニコ会士でインディオの擁護者だったバルトロメ・デ・ラス・カサスの著書『インディアスの破壊についての簡潔な報告』です1。この本は、1552年にスペインで出版されましたが、内容があまりにも恐ろしいために禁書となりました。ラス・カサスは、スペイン人がインディオに対して行った残酷な行為を詳細に描写し、征服戦争の停止と平和的な布教の必要性を訴えました。しかし、この本は反スペインの根拠として他国に利用されたり、中南米では独立運動や先住民擁護運動の参考文献として読まれたりしました。〉
〈『インディアスの破壊についての簡潔な報告』には、スペイン人征服者たちがインディオに対して行った残虐な行為の具体的な記述がたくさんあります。例えば、以下のようなものです。
エスパニョーラ島での虐殺:「彼らは、この島に住む人々を、まるで犬や羊やその他の動物を殺すように、あるいはまるで木の枝を切り落とすように殺しました。彼らは、子供や老人や若者を、男でも女でも区別せずに、剣で切り刻んだり、槍で突き刺したりしました。彼らは、妊娠中の女性の腹を割いて胎児を取り出したり、小さな子供を足首から持ち上げて岩に叩きつけたりしました。」p. 14
キューバ島での虐殺:「彼らは、この島に住む人々を、まるで草を刈るように殺しました。彼らは、子供や老人や若者を、男でも女でも区別せずに、剣で切り刻んだり、槍で突き刺したりしました。彼らは、妊娠中の女性の腹を割いて胎児を取り出したり、小さな子供を足首から持ち上げて岩に叩きつけたりしました。」p. 20
メキシコでの虐殺:「彼らは、この国に住む人々を、まるで草を刈るように殺しました。彼らは、子供や老人や若者を、男でも女でも区別せずに、剣で切り刻んだり、槍で突き刺したりしました。彼らは、妊娠中の女性の腹を割いて胎児を取り出したり、小さな子供を足首から持ち上げて岩に叩きつけたりしました。」p. 28
このように、ラス・カサスは同じ言葉を繰り返してインディオへの暴力の恐ろしさと反復性を強調しています。また、他にも以下のような記述があります。
インディオが犬にかみ殺される場面:「彼らは犬たちにインディオたちを食わせることが常でした。そのため犬たちはインディオたちの肉と血と骨と内臓と皮膚と筋肉と髪と爪と目と歯と舌と口と鼻と耳と顔と頭と首と胸と腹と手足と指先と爪先まで食べ尽くしました。」p. 16
インディオが火あぶりにされる場面:「彼らはインディオたちを火あぶりにすることが常でした。そのためインディオたちは火焔の中で焼かれて灰となって消えました。」1 p.
インディオが拷問される場面:「彼らはインディオたちを拷問することが常でした。そのためインディオたちは鉄の鎖や木の棒や鞭や針や爪やナイフや剣や矢や槍や石や火などで傷つけられて血だらけになりました。」p. 22
これらの記述は、ラス・カサスが目撃したり聞いたりした事実に基づいています。彼は、インディオの人口が征服前と比べて激減したことも数値で示しています。p. 32-33
ラス・カサスは、これらの記述を通して、スペイン人征服者たちがインディオに対して行った非人道的な行為を弾劾し、インディオの権利と自由を擁護するためにスペイン王室や教会に働きかけました。しかし、彼の主張は植民者や征服支持者から反発を受け、本書も禁書とされました。〉等々。
◎注64
【64】〈64 (イ)「工場主たちの貧欲、利得の追求における彼らの残虐は、スペイン人がアメリカ征服にさいして金の追求において行なった残虐にも劣らないほどのものだった。」(ジョン・ウェード『中間階級および労働者階級の歴史』、第3版、ロンドン、1835年、114ページ。(ロ)この書の理論的な部分は、一種の経済学綱要で、当時としてはいくらか独創的なものを、たとえば商業恐慌について、含んでいる。(ハ)歴史的な部分は、サー・M ・イーデンの『貧民の状態』、ロンドン、1797年、からの無恥な剽窃でだいなしになっている。〉
(イ) 「工場主たちの貧欲、利得の追求における彼らの残虐は、スペイン人がアメリカ征服にさいして金の追求において行なった残虐にも劣らないほどのものだった。」(ジョン・ウェード『中間階級および労働者階級の歴史』、第3版、ロンドン、1835年、114ページ。
これは〈これまでわれわれが労働日の延長への衝動、剰余労働にたいする人狼的渇望を考察してきた領域は、イギリスのあるブルジョア経済学者の言うところでは、アメリカン・インディアンにたいするスペイン人の残虐にも劣らない極度の無法(64)〉という本文につけられた原注です。つまりこのマルクスの一文はジョン・ウェードの一文から借りてきたものであることを示すものです。この限りではウェードの指摘は正当なものだということでしょう。
(ロ)(ハ) この書の理論的な部分は、一種の経済学綱要で、当時としてはいくらか独創的なものを、たとえば商業恐慌について、含んでいます。歴史的な部分は、サー・M ・イーデンの『貧民の状態』、ロンドン、1797年、からの無恥な剽窃でだいなしになっています。
このように一定の評価をしてその一文を取り込んだのですが、しかしウェードの著書そのものは理論的な部分にはいくらかの独創性はあるものの、歴史的な部分は恥知らずな剽窃からなっているといるということです。
マルクスは『61-63草稿』のなかでも同じようなウェードへの評価を次のように下しています。
〈(ウェイドは、彼の著書の抽象的な経済学的部分では、少しばかりの、当時としては独創的なものを示している、--たとえば経済恐慌、等々。これにたいして、歴史的部分はその全体が、イギリスの経済学者たちのあいだで流行っている恥知らずな剽窃の適切な一例である。つまり彼は、サー・F・モートン・イーデンの『貧民の状態、または、ノルマン征服期から現在までのイギリス労働者階級の歴史』、全3巻、ロンドン、1797年、からほとんど逐語的に引き写しているのである。)〉(草稿集④150頁)
ウェードとイーデンについては『資本論辞典』からその概要を紹介しておきます。
〈ウェイドJohn Wade (1786-1875) イギリスの文筆業者.……主著としては.《British History.chronologically arranged》(1839)や《History of the Middle and Working Class.Also an Appendix of Prices》(1833)などがあげられる.マルクスは,この後者の箸舎をしばしば引用し,これを評して,その歴史的都分はイーデンの《The State of the Poor:or,An History of the Labouring Classes.in England.etc.》(1797)からの剽窃におわっているときめつけている.しかし,この彼の理論的な部分は.ー穏の経済原輸をなしており.当時としては独創的なものをいくらかふくんでおり,たとえば商業恐慌にかんする叙述などにはそれがあらわれている.と評している.また彼の労働者階級の運命やこの階級の経済的利害についての叙述にも,かなりするどい洞察がみられるという.たとえば,労働者階級の全所得のうちで,食料に支出される部分の割合は. 18世粗末では手工業者で3分の1. 農業労働者で2分の1であるが. 19世紀中葉の資本主義祉会では.その割合がきわめて高いとし、ここから労働者たちの経済的独立性は.時代とともに失われてきているという帰結をひきだしている点や.また,資本蓄積の条件にかんして.資本が労働者を雇用する経済的限界を正しく指摘しながら,‘雇主の利益が平均利潤以下に低下するほど労働賃銀の率が高くなれば.彼は労働者を使用するのをやめるか.または,労働者が労働賃銀の引下げを承認するという条件で彼らを使用する'とのべている点などが,これである.〉(475頁)
〈イーデン Sir Frederick Morton Eden(1766-1809)イギリスの経済学者. ……主著としては,《The State ofthe Poor:or,An History of the Labouring Clases in England,from the Conquest to the Present Period;in which are particularly considered,their Domestic Economy,with respect to diet,dress,fuel,and habitation;etc.》(3 vo1s.,1797)があり.もっとも有名である.イーデンは1794-1795年の物価勝貴にともなう都市および農村の労働者階級の窮乏に直面して,貧民の生活状態を調査する計画をたて.実態調査に着手し,協力者をえて,各地の実情について材料を蒐集した.その結果を集大成したこの書物は, 18世紀末葉のイギリスにおける労働者階級の状態を,とくに労働者の家計状・貧民救済のための諸政策・救貧院・農工商業の各分野での共済組合などについて.具体的に分析検討したものであって,その実証的な成果は一般にアダム・スミス経済学の帰納的領域をいっそう発展させたものだとみられている.マカロッタは.この書を評して.イギリスの労働者階級にかんする知識の一大宝庫だといっているが.マルクスもまた,資本主義的蓄積の一般的法則や資本の本源的蓄積過程を論ずるさいの資料的裏付けとして,この書物からしばLば引用しており,‘イーデンはスミスの弟子のうち,18世紀中にこれというほどの仕事をなした唯一者だ, <KI-647:青木4-957:岩波4-98)とほめている.しかしマルクスにあっては,イーデンの歴史的諸事実にたいする経済学的理解や洞察の不足が指摘され,その理論上の混乱やプルジョア的視野の限界性なども批判されている.たとえば,イーデンが一方では資本主義初期の農民からの土地収奪を承認しながら.他方ではマニュファクチュア経営から大工場への転換はこれを否定するなどの混乱(KI-797:青木4-1151:岩波4-340), あるいはまたイーデンが労働者の資本家への従属関係を説くにあたり,それを市民的諸制度という法律的なものに帰せしめて,一般に生産関係を法的な幻想の産物とみなすところの転倒せる表象におちいっている点などが.あきらかにされている(K1-647:青木4-957:岩波4-98).〉(471頁)
◎第2パラグラフ(無制限な奴隷状態!--児童労働の実態)
【2】〈「州治安判事ブロートン氏は、1860年1月14日にノッティンガム市の公会堂で催されたある集会の議長として、市の住民のうちレース製造に従事する部分では、他の文明社会には例がないほどの苦悩と窮乏とが支配的である、と明言した。……朝の2時、3時、4時ごろに9歳から10歳の子供たちが彼らのきたないベッドから引き離されて、ただ露命をつなぐだけのために夜の10時、11時、12時まで労働を強制され、その間に彼らの手足はやせ衰え、身体はしなび、顔つきは鈍くなり、彼らの人間性はまったく石のような無感覚状態に硬化して、見るも無残なありさまである。われわれは、マレット氏やその他の工場主があらゆる論議にたいして抗議するために現われたことに驚きはしない。……この制度は、モンタギュー・ヴァルピ師が述べたように、無制限な奴隷状態の制度、社会的にも肉体的にも道徳的にも知的にもどの点でも奴隷状態の制度である。……男子の労働時間を1日18時間に制限することを請願するために公の集会を催すような都市があるというのは、いったいどういうことだろうか!……われわれはヴァージニアやカロライナの農場主を非難する。だがしかし、彼らの黒人市場は、そこにどんな鞭の恐怖や人肉売買があろうとも、ヴェールやカラーが資本家の利益のため製造されるために行なわれるこの緩漫な人間屠殺に比べて、それ以上にひどいものなのだろうか?(65)」〉
これは全体が〈ロンドン『デーリ・テレグラフ』、1860年1月17日〉からの抜粋だけからなっています。この第3節ではこうした引用や抜粋が多く、しかも読めばほぼそれだけでわかるような歴史的事実であったり、現実の暴露であったりします。だから、それらを平易に書き直してもほとんど意味がないケースが多いので、特別な場合を除いて、平易な書き下し文は省略して、その内容について気づいたことを書いていくだけにしたいと思います。
ここではノッティンガム市にあるレース製造業における児童労働の酷さを州治安判事というお偉いさんが告発するという内容になっています。ここで問題になっているレース製造業というのは、第1パラグラフにあった、いまだ労働法が及んでいない産業部門なのでしょう。これは1860年時点の状態ですから、1845年ごろまでが取り上げられているエンゲルスの『イギリスにおける労働者階級の状態』(以下、『状態』と略す)からすでに15年たっているわけです。しかしそこにある実態はエンゲルスが取り上げているものとほとんど変わらない状態にあることがわかります(『状態』についてはこのあと紹介)。
ここでは、わずか9歳から10歳の子供が、朝の2時、3時、4時にベッドからたたき起こされて、夜の10時、11時、12時まで働かされているというのです。もし2時に起こされて10時まで働かされたとしても1日20時間労働です! 睡眠とその他のことにたった4時間しか残されていません。だから子供たちは心身ともに萎え衰え緩慢な人間屠殺の状態に陥っているというのです。本当に考えられないほどの恐ろしい状態にあったことがわかります。ブロートンはヴァルピ師の言として、それは黒人奴隷がおかれた状態よりより酷いものであり、無制限な奴隷状態だと断じています。
エンゲルスの『状態』にも、ノッティンガムのレース製造業についての記述がありますので、少し長くなりますが、紹介しておきます。
〈靴下編工のくらしている地方と同じところに、レース製造業の中心地もある。前の三つの州には、全部で2760台のレース編機が動いているのに、イギリスのそのほかの部分には、わずかに786台あるにすぎない。レース製造業は、厳格におこなわれている分業によって非常に複雑なしくみになっていて、たくさんの部門をもっている。まず、撚糸を糸巻にまかねばならない。この仕事は、14歳以上の娘たちの手でおこなわれる(糸巻工 winders)。つぎに、糸巻が、8歳以上の少年たち(糸通し工 threaders)の手で機械にかけられる。糸は、機械1台につき平均1800個ある細い穴をとおされ、その所定の場所にみちびかれる。それから労働者がレースを編むわけだが、レースは、幅のひろい布のようになって機械からでてきて、ほんの幼い子供たちの手で、つなぎの糸がぬきとられ、1枚1枚のレースに仕分けられるのである--これはレースほどき(running lace) とか、レースぬき(drawing lace)とかよばれまた子供自身は、レースの解き手(lace-runner) とよばれる。それからレースは、売りにだせるまで仕上げられる--糸巻工も、糸通し工も、機械の糸巻がからになるとすぐに必要となるので、きちんとした労働時間はもっていない。そして、労働者は夜間も編むので、どんな時間にでも工場や、編工の作業室によばれるかもしれないのだ。こうした仕事の不規則さ、頻繁な夜業、そのために生じるめちゃくちゃな生活様式が、たくさんの肉体的および道徳的害悪、とくにあらゆる証人が一致して認めている放縦な、ませた性交を生みだす。作業そのものが、目に非常に有害である。糸通し工の場合には、永続的な害は一般には確認されていないが、それでもこの害は目の炎症をひきおこし、糸を穴にとおしているときには、目が痛んだり、涙がながれたり、視力が一時ぼけたりするようなことさえおこる。しかし、糸巻工の場合には、その作業が目をひどくいため、しばしば角膜炎のほかに白内障眼(ソコヒ)や、黒内障眼もひきおこすきがめずらしくないことは、確認されている。編工自身の作業は非常に困難である。それというのも、機械の幅が時とともにたえずひろく製作されるようになり、そのためいまでは、3人の成年男子によって動かされるような機械ばかりになっているからである。この3人は、それぞれ4時間ごとに他の者と交替するので、彼らは、3人全部を合計すると毎日24時間、そのひとりひとりは毎日8時間働くことになる。このことからも、機械をあまり長くとめておかないように、糸巻工と糸通し工とが、なぜこのようにしばしば夜も仕事をしなければならないかが、明らかになる。いずれにせよ、1800個の穴に糸巻の糸をとおすには、3人の子供で2時間かかる。多くの機械は蒸気力によっても動かされるので、成年男子の労働は排除される。そして、児童雇用委員会の報告は、子供たちの募集される「レース工場」についてしかいつも述べていないので、この点から推察すると、近ごろは編工の仕事が工場の大作業室に移されたか、それとも蒸気編みの応用がかなり一般化した、という結論がでてくるようにみえる。これら2つの場合とも、工場制度の進歩である。だが、もっとも不健康なのは解き手〔ラソナー〕の仕事である。彼らは、たいてい7歳、それどころか5歳または4歳の子供である。委員グレインジャーは、2歳の子供さえこの仕事にたずさわっているのを目撃した。精巧に編みあわされた編物から、針でぬきだされる同じ1本の糸をたどっていくことは、目に非常に有害である。ことに有害なのは、この仕事が、一般におこなわれているように、14時間ないし16時間も続行される場合である。もっとも害の少ない場合でも、極度にひどい近眼になり、最悪の場合には、しょっちゅうおこることではあるが、黒内障眼(ソコヒ)によって不治の盲目となる。ところがそのうえに、子供たちはいつも背をかがめてすわっているために、虚弱になり、息切れがし、消化不良によって腺病質になる。娘たちの場合には、子宮の機能障害はほとんど一般的にみられ、また脊椎の彎曲も同様である。そこで、「解き手はみんなその歩き方でわかる」。レースの刺繍も、同じ結果を目にも、体質全体にももたらす。レースの生産に従事している子供たちの健康が、いずれもはなはだしくそこなわれているということ、またこれらの子供は顔色がわるく、きゃしゃで、虚弱で、その年齢のわりに小さく、病気にたいする抵抗力もほかの者よりはるかによわいということは、医師の証人たちがみな一致して認めている。この子供たちのふつうの病気はつぎのとおりである。一般的な虚弱、たびたびの失神、頭・横腹・背中・腰の疼痛、心悸亢進(シンキコウシン)、吐き気、嘔吐と食欲減退、脊椎の彎曲、るいれきおよび肺結核。ことに、女性の身体の健康は、たえまなく、そしてはなはだしくそこなわれる。貧血症、難産および流産についての訴えは一般的であった(グレインジヤーの報告のいたるところ)。そのうえさらに、児童雇用委員会の同じ小委員〔グレインジャー〕は、つぎのように報告している。子供たちは、そまつな、ぼろぼろ着物を着ていることが非常に多く、食物も十分でなく、たいていパンとお茶だけで、しばしば数ヵ月間もまったく肉にありつかない、と。これらの子供たちの道徳的な状態については、グレインジャーは、つぎのように報告している。
「ノッティンガムのすべての住民が、警察、僧侶、工場主、労働者、子供の両親自身が、現在の労働制度は不道徳を生みだすもっとも実りゆたかな源泉である、ということを一様に信じている。たいていは少年である糸通し工と、たいていは少女である糸巻工とは、工場では同じ時間に--ときには真夜中に必要である。そして彼らの両親は、彼らが工場でどのくらいのあいだ使われるか知ることができないので、彼らは、けしからぬ関係を結んだり、仕事のあとでいっしょに遊びまわったりする絶好の機会をもっている。このことが、世論によれば、ノッティンガムにものすごく広範に存在しているといわれる不道徳に、少なからず寄与している。それでなくても、これらの子供や若い人たちのぞくしている家族の家庭的な安らぎや、心地よさが、こうしたきわめて不自然な事態のために、まったく犠牲にされている」と。〉(全集第2巻424-頁)
◎注65
【65】〈65 ロンドン『デーリ・テレグラフ』、1860年1月17日。〉
これは第2パラグラフの引用分の出展を示すだけのものです。『ザ・デイリ・テレグラフ』(The Daily Telegraph) (ロンドン)は日刊紙で1855年から刊行されています。
◎第3パラグラフ(スタフォードシャの陶器製造業の三つの調査報告書)
【3】〈(イ)スタフォードシャの陶器製造業(pottery) は、最近22年間に3回にわたる議会の調査の対象になった。(ロ)その結果は、「児童労働調査委員会」への1841年のスクリヴン氏の報告と、枢密院の医務官の命令で公表されたグリーンハウ博士の報告(『公衆衛生。第三次報告書』、第1巻、102-113ページ)と、最後に1863年6月13日の『児童労働調査委員会。第一次報告書』のなかの1863年のロンジ氏の報告とに書かれてある。(ハ)私の課題のためには、1860年と1863年の報告書から、搾取される子供たち自身のいくつかの証言を借りてくるだけで十分である。(ニ)子供からは大人を、ことに少女や婦人を、しかも、それに比べれば綿紡績業などは非常に快適で健康的な仕事に見えるような産業部門では、推論してよいであろう(66)。〉
(イ)(ロ) スタフォードシャの陶器製造業(pottery) は、最近22年間に3回にわたる議会の調査の対象になりました。その結果は、「児童労働調査委員会」への1841年のスクリヴン氏の報告と、枢密院の医務官の命令で公表されたグリーンハウ博士の報告(『公衆衛生。第三次報告書』、第1巻、102-113ページ)と、最後に1863年6月13日の『児童労働調査委員会。第一次報告書』のなかの1863年のロンジ氏の報告とに書かれてあります。
陶器製造業は、最近22年間に3回も議会の調査対象にされ、その結果は、いくつかの報告書として公表されたということです。
(ハ)(ニ) 私の課題のためには、1860年と1863年の報告書から、搾取される子供たち自身のいくつかの証言を借りてくるだけで十分です。子供からは大人を、ことに少女や婦人を、しかも、それに比べれば綿紡績業などは非常に快適で健康的な仕事に見えるような産業部門では、推論してよいでしょう。
ここでマルクスが〈私の課題のためには〉と述べているのは、第3節の表題である〈搾取の法的制限のないイギリスの産業諸部門〉の実態を明らかにして、資本の搾取を抑制する法的制限の必要と正当性を明らかにするということでしょう。そのためには陶器製造業におけるその実態を見るためには、1860年と1863年の報告書から子供たち自身の証言を借りてくればよいということです。
そしてそこでの子供たちの状況をみれば、大人の労働者や、ことに少女や婦人の労働者がどのような状態にあるかは推し量ることかできるだろうと述べています。
ここでマルクスは陶器製造業に比べれば〈綿紡績業などは非常に快適で健康的な仕事に見える〉と書いていますが、そもそも児童労働調査委員会そものが、織物の工場主たちかの要請でできたものだと次のように述べています。
〈{というのは、工場制度がそのいまわしい面をみせて最初に発展したのは、これらの織物においてだったからである。児童労働調査委員会も、もとはといえば、これらの工場主の要請によってできたものであって、それは、他の工業部門つまり炭鉱やガラス工場、陶器工場などにも同様な、いやもっとひどい状態が支配していることを証明するためであった。}〉(草稿集⑨188頁)
◎注66
【66】〈66 フリードリヒ・エンゲルス『イギリスにおける労働者階級の状態』、249-251ページ参照。〔本全集、第2巻、423-425(原)ページを見よ。〕〉
これは〈子供からは大人を、ことに少女や婦人を、しかも、それに比べれば綿紡績業などは非常に快適で健康的な仕事に見えるような産業部門では、推論してよいであろう(66)。〉という本文に付けられた原注で、エンゲルスの『状態』の参照箇所が示されています。指示されている箇所はスタッフォードシァの製陶業の労働者の状態が紹介されている部分です。その内容については付属資料を参照。
((2)に続きます。)