『資本論』学習資料室

泉州で開催された「『資本論』を読む会」の4年余りの記録です。『資本論』の学習に役立たせてください。

『資本論』学習資料No.7(通算第57回)

2018-12-14 21:58:15 | 『資本論』

『資本論』学習資料No.7(通算第57回)

 

◎『資本論』第1巻の意義 

 大谷禎之介氏の新著『資本論草稿にマルクスの苦闘を読む』の紹介を続けます。 

 大谷氏は『資本論』第1巻の意義を次のように述べています。 

 〈『資本論』第1巻に収められている第1部は,資本主義的生産様式の最基底をなす「資本の生産過程」を対象に据え,それを分析・展開することによって「現代ブルジョア社会」の「経済的運動法則」,すなわち生成・発展・消滅の法則を明らかにし,そのなかで,資本主義社会そのものが労働する諸個人を「墓掘り人」に変身させることを示し,それによって諸個人の変革実践に,「人類の苦しみ」を取り除く新社会の「産みの苦しみを短縮し和らげる」ためにはなにをなすべきか,という指針を与えていたのであって,第1部が,そのような意味での「一つのまとまった全体」として,労働する諸個人に早く広く読まれることをマルクスが心から望んでいた〉(大谷新著32頁、太字は大谷氏による傍点による強調) 

 そしてまた次のようなエピソードも紹介しています。 

 〈マルクスは,はるかのちの1879年7月29日に,カルロ・カフィエロ宛の手紙の草案のなかで,カフィエロによる『資本論』第1部についての紹介には,「資本主義的生産の進展によってプロレタリアートの解放にとって必要な物質的諸条件が自然成長的に生みだされる」ということの「証明〔preuve〕」への言及が欠落していることを指摘し,「この唯物論的な土台〔cette base matérilaiste〕こそが批判的革命的社会主義をそれの先駆者たちから区別するのだ」(《Lettresh sur'Le Capital'》,Paris 1964,p.297)と述べた。すなわち,自分は『資本論』第1部で,資本主義社会そのものが「プロレタリアートの解放にとって必要な物質的諸条件を生みだすことの「証明」を与えたのだ,と晩年のマルクス自身が明言しているのである。〉(同26-27頁) 

  新著の紹介は次回以降も続けることにして、本題に入ることにします。

 

◎第16パラグラフ(計算貨幣) 

【16】〈(イ)したがって、今や、諸価格、すなわち諸商品の諸価値が観念的に転化されている金量は、貨幣名、または金の度量基準の法律的に有効な計算名で表現される。(ロ)したがって、1クォーターの小麦は1オンスの金に等しいと言うかわりに、イギリスでは、それは3ポンド・スターリング17シリング10[1/2]ペンスに等しいと言うであろう。(ハ)こうして、諸商品は、それらがどれだけに値するかを、それらの貨幣名で語り、貨幣は、ある物を価値として、したがって貨幣形態で、固定する必要がある時にはいつでも、計算貨幣として役立つのである(60)。〉 

(イ) したがって、今や、諸価格、すなわち諸商品の諸価値が観念的に転化されている金量は、いまでは貨幣名、または金の度量基準の法律的に有効な計算名で表現されるようになります。 

  まず確認できるのは、〈貨幣名〉が言い換えられて、〈または金の度量基準の法律的に有効な計算名〉とされています。つまり貨幣名というのは、金の度量基準が、法律で社会的に有効なものとして定められたものだということです。そしてそれは諸商品の価値を価格として表示し、計算する時の計算名でもあるということです。
  ここで〈金の度量基準の法律的に有効な計算名〉とありますが、これはその前のパラグラフで〈貴金属の一定の重量部分、たとえば一オンスの金が、公的に可除部分に分割されて、ポンド、ターレルなどのような法定の洗礼名を受け〉、〈その時に、貨幣の本来の度量単位として通用することになるこのような可除部分は、さらに下位の可除部分に細分されて、シリング、ペニーなどのような法定の洗礼名を受け取る〉と述べられていたことを受けています。つまりまず度量単位としての一定の金重量にポンド、ターレルという法定の貨幣名がつけられ、さらにそれらが下位の部分に分割されて、シリング、ペニーという貨幣名が法律によって決められたということです。
 そこからいまでは諸商品の価格は、××ポンドとか、○○シリングとか、△△ペニーと呼ばれるようになるということです。だからそうしたポンドやシリングやペニーを〈法律的に有効な計算名〉だとしているわけです。 

(ロ) こうして、1クォーターの小麦は1オンスの金に等しいと言うかわりに、イギリスでは、それは3ポンド・スターリング17シリング10[1/2]ペンスに等しいと言うことになるのです。 

  つまり諸商品の価格は、直接金の重量によってではなく、法律で決められた貨幣名であるポンドやシリングやペンスによって表されるようになり、金そのものは価格を表すものとしては表面には出てこなくなります。それは内在的には媒介していますが、度量基準が重量基準から離れると、直接的には諸商品の価格には何の関係もないように見えるようになります。諸商品の価格は、ただ法律で決まっている貨幣名、あるいは計算名で測られて表されているだけに見えるのです。 

(ハ) こうして、諸商品は、それらがどれだけに値するかを、それらの貨幣名で語り、貨幣は、ある物を価値として、したがって貨幣形態で、固定する必要がある時にはいつでも、計算貨幣として役立つようになるのです。 

  こうして諸商品がどれだけに値するか(つまりそれはその価値を問うことなのですが)は、しかし同じ価値を持つ金という貨幣商品との関係においてではなく(それは内在的な関係としてだけ存在していて、直接的には見えなくなります)、われわれが感覚的に表象できるのは、ただ法律で定められた貨幣名で評価されるというようになるのです。
  だから金貨幣(金貨)が例え現実に流通していても、人々は商品の価格を金を直接意識することなく、ただ法的に決まっている貨幣名であるポンドとかドルとか円で表すようになります。それがどれだけの金量に付けられた貨幣名であるかということは、直接には意識されなくなるのです。ましてや金貨幣が流通から姿を消している今日では、ボンドやドルや円という貨幣名が、実際にはどれだけの金量につけられた貨幣名であるかということすらハッキリしていません。にも関わらず依然として諸商品の価格はポンドやドルや円で表されているわけです。ポンドやドルや円という貨幣名が、どれだけの金量を表しているかは、今日ではただそれぞれの国の金の市場価格によってのみ知りうるだけです。しかし諸商品の価格をポンドやドルや円で表す場合、そうした金との関係を人々はまったく意識しません。それは商品の交換関係のなかに内在的に客観的な法則として存在しているものであって、決して直接的なものではないからです。しかしそうした関係が内在的には明確に存在しているし、そうであるからこそ諸商品は価値を価格として表すことができているのです。
  こうして貨幣は計算貨幣として機能するようになります。つまりある物の価値を評価し、固定する必要が生じた時に、それを貨幣名で表示するのです。日本の国家予算は100兆円であるとか、日本のGDPは500兆円であるという場合、貨幣は計算貨幣として機能しているのです。

 

◎注60

【注60】〈(60) 第2版への注。「人がアナカルシスに、ギリシア人は何のために貨幣を用いるかと問うた時、彼は答えて言った。計算のために、と」(アテナイオス『学者の饗宴』、第四巻、第四九、シュヴァイクホイザー編、一八〇二年版、第二巻〔一二〇ページ〕)。〉

  これはただ計算貨幣という用語を史上初めて使ったということで、参考に上げられているだけに思えます。

 

◎第17パラグラフ(貨幣名では価値関係の痕跡が消え失せている)

【17】〈(イ)ある物の名称は、その性質にとってまったく外的なものである。(ロ)ある人の名がヤコブであると知っても、私はその人物については何もわからない。(ハ)同じように、ポンド、ターレル、フラン、ドゥカートなどの貨幣名においては、価値関係のすべての痕跡が消えうせている。(ニ)これらの秘教(カパラ)的章標の奥義をめぐる混乱は、貨幣名が商品の価値を表現すると同時に、ある金属重量の、すなわち貨幣の度量基準の、可除部分をも表現するだけに、なおさら大きくなる(61)。(ホ)他方、価値が、商品世界の多種多様な物体から区別されて、この没概念的で物的な、しかしまた、まさしく社会的な形態にいたるまで発展し続けるということは、必然的である(62)。〉

(イ)(ロ) ある物の名称は、その性質にとってまったく外的なものです。例えばある人の名がヤコブであると分かっても、私たちはその人物については何もわかりません。

  彼女の名前が花子だと分かっても、彼女が花のように美しいとは限りません。名前を知ったからといって、その人のことについてはまだ何も知ったことにはならないのです。

(ハ) 同じように、ポンド、ターレル、フラン、ドゥカートなどの貨幣名においては、価値関係のすべての痕跡が消えうせているのです。

  このように名前というのは、外的なものなので、同じことは貨幣名にも言えます。ある商品の価格が1ポンドだとか、1ターレルだとか、1フラン、1ドッカートと貨幣名で言われても、それと商品の価値との関連が分からず、ただ外部から勝手に付けられたものであるかのように見えてくることになります。

 ここに出てくるさまざまな貨幣名については、以下の説明を参照。
{・ポンド--イギリスの通貨単位。1ポンドの重さの銀の価格から出たもの。1ポンドは100ペンス。1971年,十進法を採用するまでは,1ポンドは20シリング,また24〇ペンス。磅。記号 £ または L (三省堂大辞林)
・ターレル--15世紀末から19世紀にかけて,ヨーロッパ各地に通用した銀貨の名。もとプロイセンの銀貨の名で,ドイツでは長く貨幣単位とされた(同)
・フラン--スイスの通貨単位。フランス・ベルギーなどの旧通貨単位。1フランは100サンチーム。記号 F 〔「法」とも書く〕 (同)
・ドッカート(ドゥカート)--、中世後期から20世紀の後半頃までヨーロッパで使用された硬貨。同時期を通じて、多様な金属で作られた様々なドゥカートが存在した。ヴェネツィア共和国のドゥカート金貨は、中世のヒュペルピュロン(英語版)やフローリン、または現代の英ポンドや米ドルのように国際通貨として広く受け入れられていた。(ウィキペディア)}

(ニ) これらの神秘的な象徴の隠された意味にかんする混乱は、これらの貨幣名が、商品の価値と同時に、ある金重量の加除部分、つまり貨幣の尺度基準の加除部分をも表しているだけに、さまざまな困惑と混乱を引き起こします。

  ここでは〈これらの秘教(カパラ)的章標の奥義をめぐる混乱は〉云々といささか分かりにくい表現になっていますが、初版ではもっとすっきりと書かれており、書き下し文ではそれに習いました。初版ではこの文節に続くかたちで〈これらの貨幣名がその一方を表わしているのは、それらが他方を表わしているからにほかならないがゆえに、ますますはなはだしくなる〉となっています。
  ここで言われていることは次のようなことです。貨幣名というのは、そもそも法的に金の度量基準が社会的に有効なものとして定められたものです。つまり一定の金重量にポンド、ターレルという法定の貨幣名がつけられて、それが分割されてシリング、ペニーと名前がつけられたものです。しかし1クォーターの小麦は1オンスの金に等しいというかわりに、3ポンド・スターリング17シリング10[1/2]ペンスだということになると、3ポンド・スターリング17シリング10[1/2]ペンスというのは、小麦の価値を価格として表すだけでなく、金1オンスの価格でもあるように見えてくるということです。だから注61にあるように、これを鋳造価格と呼び、国家が金の価格を決めることができるかのような錯覚が生じてくることになるわけです。
  大谷氏はこの部分を次のように分かりやすく説明しているので紹介しておきましょう。

  〈そのような混乱した考え方をさらにひどくするのは、貨幣名が一方では、表象された金量に転形されている商品の価値を言い表すと同時に、他方では自然物としての金の量を言い表す、という事情である。例えば、1mの綿布の価値が100円という価格で表されるのと同じように、7.5㎎の金が100円と言い表されるので、この100円も7.5㎎の金の「価格」であると観念されるのである。ただこの「価格」は、国家が7.5㎎の金を1円と名付けて、7.5㎎の金を100円に鋳造することによって生じたものであるから、金の「鋳造価格」と呼ばれる。〉(「貨幣の機能」252頁)

(ホ) 他方、価値が、商品世界の多種多様な物体から区別されて、この没概念的で物的な、しかしまた、まさしく社会的な形態にいたるまで発展し続けるということは、必然的なのです。

  貨幣というのは、商品の価値の絶対的な化身ですが、それは人間の社会的関係が物そのものとして現れているものです。だからこうした貨幣が、さまざまな諸商品の物体とは区別されて、没概念的な物的な、またどうじに社会的な形態にまで発展しつづけることは必然なのだとマルクスは述べています。後に、マルクスは第3巻で、そうした貨幣そのものが、金という物的姿をさえ投げ捨てて、ただ紙切れによって代表されるようになることについても、次のように述べています。

  〈金銀はなにによって富の他の諸姿態から区別されるのか? その価値の大きさによってではない。というのも,これは金銀に物質化されている労働の分量によって規定されているのだからである。そうではなくて,富の社会的な性格の自立した化身,表現として区別される。この社会的な定在は,社会的な富の現実の諸要素と並んで,その外部に,彼岸として,物として,物象として,商品として,現われるのである。生産が円滑に進んでいるあいだは,このことは忘れられている。いまや,富の社会的な形態としての信用が,貨幣の地位を押しのけて奪ってしまう。生産の社会的な性格にたいする信頼こそが,生産物の貨幣形態を,ただ瞬過的でしかないもの(たんなる心像),ただ観念的でしかないものとして現われさせるのである。〉(大谷『マルクス利子生み資本論』第4巻282-283頁)

 

◎注61

【注61】〈(61) 第2版への注。「価格の度量基準としての金〔*〕は、商品価格と同じ計算名で現れ、したがって、たとえば一オンスの金は、一トンの鉄の価値と同じく、三ポンド・スターリング一七シリング一〇1/2ペンスで表現されるので、金のこの計算名は、金の鋳造価格と呼ばれてきた。このことから、あたかも金(または銀)はそれ自身の材料で評価され、他のすべての商品と違って国家によってある固定した価格を与えられるかのような驚くべき考えが生じた。一定の金重量の計算名を固定化することが、この重量の価値を固定化することと見まちがえられたのである。」(カール・マルクス『経済学批判』、52ページ〔『全集』、第13巻、57ページ〕)。
〔* 第2版から第4版までと英語版では、貨幣、となっている。〕〉

  これは『経済学批判』からとられた原注ですが、『資本論』ではこの原注と次の原注に使われている『経済学批判』の一文にだけ「鋳造価格」という用語が出てきて、本文には出てきません。この「鋳造価格」についても大谷氏の説明を紹介しておきます。

  〈一般の商品の価格は、それ自身の価値を金で表現したものであるのにたいして、金の「鋳造価格」は国家によって与えられるので、あたかも金は、一般の商品とは違って、国家によってある固定した「価格」を与えられるかのような奇妙な考え方が生じた。一定の金量の計算名を固定させることが、この金量の「価格」を固定されることだと勘違いされたのである。金の「鋳造価格」というのは、じつは、まったく混乱した表現である。価格とは、商品の価値を貨幣である金で表現したものなのであるから、この価格表現に役立つ貨幣としての金は、そもそもそのような意味での「価格」をもつことができるはずがないのである。それはただ、それの量を計量するための単位量につけられた貨幣名をつもことができるだけであり、その量の金を鋳貨にするのは金の形態を地金から鋳貨に変えるだけのことであって、金の「価格」を与えることなどではまったくない。〉(同25-253頁)

 

◎注62

【注62】〈(62) 『経済学批判』の中の「貨幣の度量単位に関する諸理論」、53ページ〔『全集』、第13巻、59ページ〕以下を参照せよ。「鋳造価格」を引き上げたり引き下げたりすること--すなわち、金または銀のすでに法律的に固定化された重量部分に対する法定の貨幣名を、国家が、より大きいかまたはより小さい重量部分に移しかえること、したがってまた、たとえば1/4オンスの金を二〇シリングではなく、今後は四〇シリングに鋳造すること--をめぐるもろもろの幻想は、それらが国家的・私的債権者に対抗する拙劣な財政操作を目的とするのではなく、経済的「奇跡療法」を目的とするものである限り、ペティが『貨幣小論。ハリファックス侯閣下へ。一六八二年』において十二分に論じつくしているので、もっと後代の人々は言うまでもなく、すでにペティの直接の後継者であるサー・ダッドリー・ノースやジョン・ロックでさえ、ペティを浅薄化することしかできなかった。ペティは、とりわけ、次のように言う。「もし国民の富を一片の布告によって一〇倍にすることができるのならば、わが統治者たちがすでにとうの昔にその種の布告を発しなかったのは、奇妙なことであろう」(同前、三六ページ〔松川七郎訳『貨幣小論』、所収『久留間鮫造教授還暦記念論文集・経済学の諸問題』、法政大学出版局、一一〇ページ〕)。〉

  ここでは『経済学批判』の「B 貨幣の度量単位にかんする諸理論」全体が参照個所として挙げられています。しかし、これは全集版でぼぼ10頁にあたります。とてもここでその内容を紹介したり要約することはできません。ただ国家が法定の貨幣名をより大きいか小さい重量部分に移しかえたことについては、『経済学批判』のなかに次のような例が紹介されています。

  〈こうして生じた混乱の結果、一般的改鋳が決議されたときに、大蔵大臣ラウンズは、一オンスの銀の価値が上昇したのであって、だからそれは、これまでのように五シリング二ペンスに鋳造されずに、今後は六シリング三ペンスに鋳造されなければならない、と主張した。だから事実上彼は、一オンスの価値が上昇したからその可除部分の価値は低下した、と主張したわけである。しかし、彼のこのまちがった理論は、ひとつの正しい実際上の目的を美化したものにすぎなかった。国債は軽いシリングで契約されたのに、重いシリングで償還されるべきであろうか? 名目上は五オンスでも現実には四オンスしか受け取っていなかった場合、四オンスの銀を返済せよというかわりに、彼は逆に、名目上で五オンスを返済せよ、だがそれを金属実質〔純分〕からすれば四オンスに減らし、いままで五分の四シリングとよばれていたものを一シリングとよべ、と言ったのである。だからラウソズは、理論上は計算名を固執しながら、事実上は金属実質を固執したのである。〔事実上〕計算名だけを固執し、したがって二五ないし五〇%も軽いシリング貨を完全量目のシリング貨と同一だとした彼の反対論者たちは、逆に金属実質だけを固守しているのだと主張したのであった。〉(全集第13巻60頁)

  なおペティの『貨幣小論』については、マルクスが引用している部分は、問答形式で書かれている答えの一部ですが、その問答全体を紹介しておきます。

  〈問11 あなたは、新鋳のばあい〔量目〕の1/4が削減されるものと仮定したけれども、実は1/10しか削減されないものと仮定すれば、事態はどのようになるであろうか?
  答  事態はまったく同一である。というのは、〔数量が〕より多いとかよりすくないとかいうことは質を変化させるものではないからである。むしろ諸君は、一シリングが、まちがって一〇シリングまたは二〇シリングと考えられているばあいを仮定してみるがよい。そうすれば、不条理はまったく明白であって、庶民の知識ではとうてい識別できないようなばあいに必要なこういう論証は全然無用であろう。もし国民の富が一片の布告によって十倍になりうるものならば、わが統治者たちがずっと以前からこういう布告をまだ発したためしがない、というのはふしぎなことではないか。〉(『経済学の諸問題』109-110頁)

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【付属資料】

●第16パラグラフ

《経済学批判》

 〈こうして一商品の価格、すなわちその商品が観念的に転化されている金量は、いまや金度量標準の貨幣名で表現される。だからイギリスでは、1クォーターの小麦は1オンスの金に等しいと言うかわりに、それは3ポンド17シリング10ペンス2分の1に等しいと言う。このように、すべての価格は同じ名称で表現される。諸商品がその交換価値にあたえる独自な形態は、貨幣名に転化しており、この貨幣名で諸商品は、それらがどれだけに値するかを互いに語りあうのである。貨幣のほうは計算貨幣となるのである。〉(56頁)
 〈頭のなかや、紙のうえや、ことばのうえでの商品の計算貨幣への転化は、なんらかの種類の富が交換価値の観点から固定されるたびにすぐおこなわれる。この転化のためには、金という材料が必要であるが、しかしただ表象された金としてだけである。1000梱の綿花の価値を一定数のオンスの金で評価し、そしてこの一定数のナンスそのものをさらにオンスの計算名、ポンド、シリング、ペンスで表現するためには、現実の金の一片も必要ではない。たとえば、1845年のサー・ロバート・ピールの銀行法以前にスコットランドでは、1オンスの金が、しかもイングランドの計算度量標準として3ポンド17シリング10ペンス2分の1で表現され、法定の価格の尺度に役だっていたけれども、1オンスの金も流通していなかった。またシベリアと中国とのあいだの商品交換では、実際上取引はたんなる交換取引〔物々交換〕にすぎないのに、銀が価格の尺度として役だっている。だから計算貨幣としての金にとっては、その度量単位そのものなりその小区分なりが、実際に鋳造されているかどうかはどうでもよいことなのである。イギリスでは、ウィリアム征服王の時代には、当時純銀1ポンドであったポンド・スターリングと、1ポンドの20分の1であったシリングとは、ただ計算貨幣としてだけ存在していたのに、これにたいして240分の1ポンドの銀であるペニー貨が、実在する最大の銀鋳貨であった。逆に今日のイギリスでは、シリングとペンスとは1オンスの金の一定部分にたいする法定の計算名ではあるが、シリング金貨やペニー金貨はぜんぜん存在していない。計算貨幣としての貨幣は一般にただ観念的に存在しているだけでかまわないが、他方、現実に存在している貨幣はまったく別の度量標準にしたがって鋳造されているのである。たとえば、北アメリカのイギリスの多くの植民地では、流通貨幣は、18世紀にはいってからもずっとスペインやポルトガルの鋳貨から成りたっていたが、計算貨幣はどこでもイギリスと同じものであった。〉(56-57頁)
 ここで〈計算度量標準〉とか〈価格の尺度〉という用語が出てきますが、いずれも「計算貨幣」と理解してよいと思います。

《初版》 これも初版と現行版とでは位置が大きく異なる。

 〈諸商品は自分たちの価値を、いまでは、金と同じ名で表現しているだけではなく、ポンド、スターリング、シリング、ぺニー等々のような、金尺度標準の同じ社会的に通用する計算名でも、表現している。貨幣は、それがある物を価値として確定することが必要となり、したがって貨幣形態で確定することが必要となるたびに、いつでも計算貨幣として役立つのである。〉(87-8頁)

《補足と改訂》

 〈[4 1 ] 2 3) p. 5 9 )したがって、いまや、諸価格、すなわち諸商品が観念的に転化されている金分量は、貨幣名、または金の度量基準の社会的に有効な計算名で表現される。
したがって、1クォーターの金に等しいと言う代わりに、イギリスでは、それは3ポンド・スターリング17シリング10 1/2ペンスに等しいと言うであろう。諸商品は、それらがどれだけに値するかを、それらの貨幣名で語り、貨幣は、ある物を価値として、それゆえ貨幣形態で固定する必要があるときにはいつでも、計算貨幣として役立つのである。(注。「人がアナカルシスに、ギリシア人はなんのために貨幣を用いるかと問うたとき、彼は答えて言った。計算のために、と」) (アテナイオス『学者の饗宴』第4巻、第49、シュヴァイクホイザー編、1802年版、第2巻〉〉(41頁)

《フランス語版》

 〈価格、すなわち商品が観念的に転化されている金の分量は、いまや金の尺度標準の貨幣名で表現される。したがって、1クォーターの小麦は1オンスの金に等しいと言うかわりに、イギリスでは、3ポンド17シリソグ10 1/2ペンスに等しいと言われるだろう。商品がどれだけの価値があるかは、その商品の貨幣名で語られるのであり、ある物を価値として、したがって貨幣形態で固定することが、問題となるたびごとに、貨幣は計算貨幣として役立つのである(10)。〉(78頁)

 

●注60

《経済学批判》

 〈* 「人がアナカルシスに、ギリシア人はなんのために貨幣を用いるか、と問うたとき、彼は答えた。計算のために、と。」(アテナイオス『学者の饗宴」第四篇、第四九節。シュヴァイクホイザー主編、第二巻〔一二〇ぺージ〕、一八〇二年)。
 * 一八五九年版では、金、となっている。〉

《初版》 なし

《フランス語版》

 〈(10) 「アナカルシスは、貨幣がギリシア人のあいだではなにに使われるかと問われたとき、計算のために使うと答えた」(アテナイオス『学者の饗宴』、第一部、第四篇)。〉(78頁)

 

●第17パラグラフ

《初版》

 〈ある物の名称はその物の性質にとっては全く外的であり、したがって、その物の概念規定もその物の名称のうちに消え去っている。ある人がヤコブと呼ばれていることを私が知っていても、私はその人についてなにも知らない。このことと同じように、ポンド、ターレル、フラン、ダカット等々の貨幣名のうちに、価値関係の痕跡はすべて消え去っている。これらの神秘的な象徴のかくれた意味にかんする混乱は、これらの貨幣名が、商品の価値と同時に、ある金重量の可除部分すなわち貨幣の尺度標準の可除部分をも表わしているだけに、また、これらの貨幣名がその一方を表わしているのは、それらが他方を表わしているからにほかならないがゆえに、ますますはなはだしくなる(47)。他方、価値が、諸商品の雑多な体躯から区別されて、このわけのわからない、物的な、とはいっても単純に社会的でもある形態にまで、発展しつづけるということは、必然的なのである。〉(88頁)

《フランス語版》

 〈物の名称は、その物の本性にとっては全く外的である。私は、ある人がジャックという名前であることを知っても、その入についてなにも知らない。それと同じように、ポンド、ターレル、フラン、ドゥカートなどの貨幣名には、価値関係のどんな痕跡も消え失せている。これらの神秘的な表章の背後に隠されていると人が思うような意味は、困惑と混乱を惹き起こすが、この困惑と混乱は、貨幣名が商品価値を表現すると同時にある金重量の可除部分を表現するだげに、ますます大きくなる(11)。他方、価値は、それが諸商品のさまざまな体躯から区別されているために、こういう奇妙ではあるが純粋に社会的な形態を帯びることが、必然的になるのである(12)。〉(78-8頁)

 

●注61

《経済学批判》

 〈価格の度量標準としての金は、商品価格と同じ計算名であらわれ、したがって、たとえぽ一ナンスの金は一トンの鉄と同じに三ポンド一七シリング一〇ベンスニ分の一で表現されるので、このような金の計算名は、金の鋳造価格とよばれてきた。このことから、あたかも金はそれ自身の材料で評価され、他のすぺての商品と違って国家の側からある固定した価格をあたえられるかのような、奇妙な考え方が生じた。一定の金重量の計算名の固定が、この重量の価値の固定と見まちがえられたのである。〉(57頁)
 なお『批判』ではこの一文の最後に次のような注が付いている。
 〈そこで、たとえばデーヴィッドアーカート氏の『常用語』には次のように書いてある。「金の価値はそれ自身によって測られるというが、他の事物にあっては、どうしてある物質が自分の価値の尺度でありえようか? 金の価値は、虚偽の名称をつけられたそれ自身の重量によって決められるという。--そして、一オンスは何ポンド何分の一の価値があるという。これは尺度の偽造であって、度量標準の確定ではない。」〔一〇四- 一〇五ページ〕〉(58‐59頁)

《フランス語版》 これもフランス語版は現行版とは異なる注になっている。

 〈(1) 金は、価格の尺度標準としては、商品価格と同じ名称をもっており、さらに、この名称が表わす尺度単位たとえばオンスという可除部分にしたがって鋳造された。このため、1オンスの金は1トンの鉄の価格と全く同じように3ポンド17シリング10[1/2]ペンスで表現することができるのであって、この表現には鋳貨の価格名が与えられた。このことから、金は他のどんな商品とも比較されることなく、自分自身によって評価されうるし、他のすべての商品とちがって、国家から固定した価格を受け取るのである、という驚くべき観念が生じた。人は、計算貨幣の名称を金の一定重量として固定することと、この重量の価値を固定することとを取りちがえた。イギリスの文献には、この取りちがいが際限もなくくだくだしく述べられている著作が無数にある。これらの文献は、海峡の向う側にいる幾人かの著述家に、同じ狂気を伝染させた。〉(79頁)

 

●注62

《初版》

 〈(47)『経済学批判』のなかの「貨幣の尺度単位にかんする諸理論」、53ページ以下、参照。「鋳造価格」の引き上げまたは引き下げは、金または銀の・法律上固定された重量部分にたいする法定貨幣名を、国家の命により、より大きいかまたはより小さい重量部分に転用することであり、したがってまた、たとえば1/4オンスの金を、将来は20シリングではなく40シリングに鋳造することなのであるが--この引き上げまたは引き下げについての諸幻想は、それらが、国家的なおよび私的な債権者たちにたいする拙劣な財政操作を目的とせずに、経済的な「奇跡療法」を目的としているかぎりでは、ペティが『住民幣随想。ハリファックス侯爵閣下へ。1682年』のなかであますところなく論じ尽くしたので、さらに後代の人々は言うに及ぱず、彼の直接の後継者であるサーダッドリノースジョンロックでさえも、ペティの説明を浅薄にすることしかできなかったのである。なかんずくペティはこう一言っている。「もし一片の布告で一国の富を10倍にすることができれば、わが国の統治者たちがずっと以前にこのような布告を発しなかったということは、奇妙なことであろう。」(同上、36ページ。)〉(88頁)

《フランス語版》

 〈(12) すでに引用した著書『経済学批判』のなかの「貨幣の尺度単位にかんする諸理論」、53ページ以下を参照せよ。「鋳貨価格」の引き上げまたは引き下げにかんする幻想--この幻想は、金または銀の一定重量についてすでに固定されている法的名称を、国家の側から、より大きなまたはより小さな重量に与えることであり、すなわち、たとえば1/4オンスの金を、20シリングではなく40シリングに鋳造することである--、このような幻想は、それが国家的または個人的債権者にたいする拙劣な財政操作を目的としないで、経済的な「奇跡治療」を行なうことを目的とするかぎりでは、すでにW・ペティによって、その著書『貨幣随想。ハリファックス侯へ』、1682年、のなかで申し分なく論ぜられたものである。あまりに申し分なく論じられたので、彼の直接の後継者であるサー・ダッドリ・ノースやジョン・ロックは、もっと最近の人々はいわずもがなであるが、彼の説明を浅薄にし、弱めることしかできなかったのである。彼はなかんずくこう述べている。「もし一国の冨が、一片の布告でもって一〇倍にすることがでぎれば、わが国の支配者がずっと以前にそのことを行なわなかったのは、不思議なことであろう」(同上、三六ページ)。〉(79頁)

 

 

 

 

 

 

 

 

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