『資本論』学習資料室

泉州で開催された「『資本論』を読む会」の4年余りの記録です。『資本論』の学習に役立たせてください。

第43回「『資本論』を読む会」の報告(その1)

2012-02-25 23:44:58 | 『資本論』

第43回「『資本論』を読む会」の報告(その1)

 

◎関電、全原発停止

 関西電力は21日未明、福井県にある高浜原子力発電所3号機(出力87万キロワット)の原子炉を停止しました。これで関電の11基あるすべての原発が停止したことになります。当面の電力需給は安定していますが、関電は夏の需要ピーク時には大変なことになるなどと「危機的状況」を強調し、「電力の需給安定には、原子力の再稼働が不可欠」(八木社長)などと述べています。

 ところがおかしなことに、関電は、大阪府や大阪市の電力需給の詳しいデータの公開要請にはガンとして答えようとしていません。節電への協力を呼びかけながら、それが必要である裏付けとなるデータの公開を拒み続けているのです。これは一体、どうしたことでしょうか。

 それは恐らくデータを公開すれば、これまで原発に反対する人たちが主張してきた、原発がなくても日本には電力需要を十分にまかなうだけ発電設備はある、という主張を裏付けてしまうからではないかと思われます。

 というのも、私の知人は関電で長く働き、今はすでに定年退職していますが、彼のいうには、これまでは、原発の稼働率を上げるために、関電管内の火力発電所の多くは停止ししてきたというのです。だから停止した火力発電所を再稼働すれば、十分電力の需要に応じることが出来るだけの余力を今の関電は持っていると言います。例えば多奈川第二火力発電所は定格出力は120万キロワットです。これがすべて停止したままなのです。あるいは海南火力発電所(同210万キロワット)もその一部は停止したままです。

 もちろん、停止している火力発電所を再稼働すれば、それだけ燃料代がかかるかも知れません。しかし、老朽化して危険極まりない原発を再稼働して、放射能の恐怖にさらされるより、よっぼとましというものではないでしょうか。

 関電にとっては、原発は“ドル箱”であり、稼ぎ頭なので、何としても原発を動かしたいとの思いがあるのは分かるのですが……。

◎ロビンソンの問題を再び議論

 さて、今回の学習会はやや違った趣のもとに始まりました。というのはNさんが、彼は第41回の報告で紹介しましたように、第12パラグラフに関連して、ロビンソンが飼っていたのはヤギなのに、どうしてマルクスはラマにしたのか、と問題提起をされた方ですが、今度は、同じ第12パラグラフに関連する資料として、大塚久雄『社会科学における人間』(岩波新書)からロビンソンに言及しているところ(96-110頁)をコピーして資料として持ってきてくれたからです。だから学習会は、まずこの資料に一通り目を通すことから始めました。そしてその中身について、若干の議論を行ったわけです。その詳しい内容を紹介することは、やはりこの報告のなかでは主題を外してしまうので、出来ませんが、大塚氏のこの著書は、コピーされた部分を読むだけでも、細かく見て行くと色々と問題が多いものでした。だからここでは、主要な点に限って、その問題点を指摘しておきたいと思います。

●わざわざマルクスの取り上げている問題を、近代経済学(ブルジョア経済学)の「資源配分」という用語に置き換える

 さて、この大塚氏の著書は、1976年のNHK人間大学における講義を新書に再編したもののようですが、同氏は、マルクスがロビンソン物語で問題にしているのは次のようなことだと述べています。

 〈このマルクスの指摘する基本的な諸事実は、実は、われわれが現在使い慣れている語で言いかえますと、物的ならびに人的資源の配分、簡単に資源配分とよばれているものですね。〉〈経済の本質が資源配分である〉〈およそ経済現象なるものはつねに「資源配分」の問題だ〉云々。

 確かにマルクスがロビンソン物語を取り上げているのは、これまでの報告でも指摘してきたように、あらゆる社会的生産諸形態に共通する物質的な生産を人間と自然というもっとも抽象的な契機に還元して考察するためでした。しかしそれを〈物的ならびに人的資源の配分、簡単に資源配分とよばれているもの〉だと捉えるのは、決して正しくありません。そもそもマルクスは商品の物神的性格の秘密を暴露しているのです。その内容を紹介するに際して、物神崇拝に取り込まれたカテゴリーである〈物的ならびに人的資源の配分〉などという用語を使うこと自体、おかしなことです。ましてや、それがマルクスの主張していることだ、などと説明することは途方もないことではないでしょうか。おまけに大塚氏は〈「資源配分論」はいわれる近代経済学の方のレパートリーのなかに含まれている〉などとも述べており、そのことを先刻承知の上で使っているのですから、何をか況んやです。

 〈人的資源〉という用語を調べてみますと、次のような説明があります。

 〈資源ということばは……主として人間の利用できる天然資源 natural resources を指すようである。しかし,一方〈人的資源〉なることばも使われ,この場合は人間がみずからを客観的に見て,なんらかの目的の達成には人間も必要な資源と考えているのであろう。〉〈資本とは投資によってその価値を増大させることのできる財貨であるが,この考え方を投資対象としての人間に適用したものが〈人的資本〉の概念である。すなわち,人間の経済的価値を投資によって高めることができるという考え方である。〉(平凡社世界大百科事典)

 しかしマルクスはこうした考え方こそ〈資本主義的な考え方の狂気の沙汰〉だと、次のように述べているのです。

 〈国債という資本ではマイナスが資本として現われる――ちょうど利子生み資本一般がすべての狂った形態の母であってたとえば債務が銀行業者の観念では商品として現われることができるように――のであるが、このような資本に対比して次には労働力を見てみよう。労賃はここでは利子だと考えられ、したがって、労働力は、この利子を生む資本だと考えられる。たとえば一年間の労賃が五〇ポンドで利子率が五%だとすれば、一年間の労働力は一〇〇〇ポンドという資本に等しいとみなされる。資本家的な考え方の狂気の沙汰はここでその頂点に達する。〉(全集25b596頁)

 マルクスはあらゆる社会的生産諸形態に共通して存在している〈本来の物質的生産の領域〉(『資本論』第3部・全集25巻b1051頁)について、次のように述べています。

 〈未開人は、自分の欲望を充たすために、自分の生活を維持し再生産するために、自然と格闘しなければならないが、同じように文明人もそうしなければならないのであり、しかもどんな社会形態のなかでも、考えられるかぎりのどんな生産様式のもとでも、そうしなければならないのである。彼の発達につれて、この自然必然性の国は拡大される。というのは、欲望が拡大されるからである。しかしまた同時に、この欲望を充たす生産力も拡大される。自由はこの領域のなかではただ次のことにありうるだけである。すなわち、社会化された人間、結合された生産者たちが、盲目的な力によって支配されるように自分たちと自然との物質代謝によって支配されることをやめて、この物質代謝を合理的に規制し自分たちの共同的統制のもとに置くということ、つまり、力の最小の消費によって、自分たちの人間性に最もふさわしく最も適合した条件のもとでこの物質代謝を行なうということである。しかし、これはやはりまだ必然性の国である。〉(同1051頁)

 このように、ここでもマルクスはロビンソン物語と同じように、社会を一人の人間に置き換えて、未開人や文明人という形で、それを直接自然に対峙させて、「彼の発達」を問題にしています。大塚氏が指摘していることは、その限りでは、こうしたあらゆる社会形態からも独立した物質的生産の領域そのものなのですが、しかし、大塚氏は、それを、マルクスが「商品の物神的性格とその秘密」を暴露しているパラグラフの説明として、敢えてわざわざブルジョア経済学の「資源配分」という用語に置き換えて論じているのです。これはまさに氏のブルジョア的本性を暴露するだけではなく、悪しき意図をも示すものではないでしょうか。

●「人間類型」から社会を説明する観念的な俗説をマルクスに被せる

 また大塚氏はマックス・ウェーバーの「人間類型論」に引き付けて、マルクスを読んでいます。ロビンソンクルーソーを「第一の人間類型」とし、「中産的生産層の典型」として捉えているわけです。そしてマルクスにも同じようなとらえ方があるのではないか、というのが、どうやら大塚氏の問題意識のようです。次のように述べています。

 〈少なくとも、経済学の範囲内で論じている限り、マルクスもまた「ロビンソン的人間類型」を認識のモデルとして前提していた、と。あるいは、マルクスは、「ロビンソン的人間類型」がおよそ経済学における理論形成の前提となっている、と考えていた、と。私はそう言ってさしつかえないのではない、と思います。〉

 しかし、これはとんでもない話ではないでしょうか。『資本論』のどこを読めばそうした理解が可能なのか、さっぱり分かりませんが、こんな観念的な歴史観をマルクスになすりつけることは許されるものではありません。大塚氏は最後には〈厳密な意味では、マルクスの学問には、人間論は立派にあっても、人間類型論はなかった、ということになるかと思います〉などとも述べていますが、とうていマルクスの理論を語る資格などないといわざるを得ないと思います。

 また大塚氏は、『資本論』の前に書かれた遺稿として『資本制的生産に先行する諸形態』も紹介して、それについて次のようにも述べています。

 〈そこでは、……『資本論』の段階では慣用することになるような、そしてわれわれにはなじみの、生産諸力が発達すれば生産関係としての共同体は解体する、というような言い方はしていません。〉

 しかし、これも真っ赤なウソであることは明らかです。次の一文を見てください。

 〈労働する諸主体相互間の、また彼らの自然にたいする、一定の諸関係は、彼らの生産諸力の一定の発展段階に対応するのであって、彼らの共同体組織もこれにもとづく所有も、結局のところ、この発展段階に帰着するのである。ある点までは再生産〔が行われる〕。それから解体に転変する。〉(『資本論草稿集』2、149頁)

 そもそも『先行する諸形態』というのは、一般に『経済学批判要綱』と言われている1857-58年の草稿の一部なのです。マルクスはこの『要綱』での研究とそこで明確になった経済学批判のプランにもとづいて、その第一分冊として『経済学批判』を1859年に刊行し、その「序言」で、〈私の研究にとって導きの糸として役だった一般的結論〉として定式化したものが、あの有名な「唯物史観の定式」と言われるものなのです。つまりマルクス自身が、『批判』のもとになった『要綱』における研究を、「序言」で定式化したような観点を導きとして行ったのだと、自ら述べていることになるのです。だからその一部である『先行する諸形態』にそうした観点が貫かれていることは当然といえばあまりにも当然なのです。

 大塚氏が『先行する諸形態』が書かれた、こうした経緯を知った上であのようなことを述べているのでしたら、でたらめな人間であるといわざるを得ないし、知らずに書いているなら、学者として“失格”であると言わなければなりません。

 いずれにせよ、大塚氏のこの著書は、残念ながら、われわれの『資本論』の理解を助けて、深めるものというより、間違った理解へと、われわれを導き迷わす類のものといわざるを得ないでしょう。

(テキストの学習の報告は、「その2」を参照してください。)

 

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第43回「『資本論』を読む会」の報告(その2)

2012-02-25 23:12:04 | 『資本論』

第43回「『資本論』を読む会」の報告(その2)

 

◎第18パラグラフ

 さて、そういうわけで、最初に頂いた資料を読む時間をとり、若干のそれについての議論を行ったあと、テキストにもどり、第18パラグラフから学習を開始しました。その報告を行います。いつものように、まず最初にテキスト本文を紹介し、それに文節ごとに記号を付して、それぞれを平易に書き下しながら、議論も紹介していくことにしましょう。

【18】〈(イ)商品世界にまつわりついている物神崇拝に、あるいは社会的労働諸規定の対象的外観に、一部の経済学者がどんなにはなはだしくあざむかれているかということは、とりわけ、交換価値の形成における自然の役割についての退屈でばかばかしい論争が示している。(ロ)交換価値は、ある物に支出された労働を表現する一定の社会的様式であるから、たとえば為替相場と同じように、それが自然素材を含むことはありえないのである。〉

(イ)商品世界にまとわりついている物神崇拝、あるいは社会的な労働諸規定の対象的外観に、一部の経済学者がどんなにはなはだしくあざむかれているかということは、とくに交換価値の形成における自然の役割についての退屈でばかばかしい論争が示しています。

 ここで〈商品世界にまつわりついている物神崇拝〉を言い換えて、〈社会的労働諸規定の対象的外観〉とも述べているように思えます。学習会では、この二つは同じものと考えてよいのか、また「物神崇拝」を「物象化」と区別して、後者は労働の社会的性格が物の社会的自然属性や物の社会的関係として現れる客観的な現象をいうが、前者はそれが意識に反映したものだとする理解があるが、こうした理解は正しいのか、あるいは次のパラグラフには「物神的性格」という言葉も出てきますが(これは第4節の表題「商品の物神的性格とその秘密」にもなっています)、これらはどのように区別されるのか、また、第3章「貨幣または商品流通」第2節「流通手段」「a 商品の変態」の最後の方に出てくる「物の人格化と人格の物化との対立」の理解との関連などが話題になりました。これらは、しかし、話題になったというだけで、議論のなかで問題がハッキリ解決したわけではなく、ある意味では、今後の課題として問題提起されたものと受け止めています。よって、今後、こうした問題も考えていくための一つの参考文献として『資本論体系 2 商品・貨幣』所収の西野勉「物神性論に関する諸学説」から少し紹介しておきましょう。西野氏は平子友長氏の主張に依拠して、この問題を次のように説明しています。

  〈広義の「物象化」とは、「物神崇拝」という転倒した意識を生ずる客観的現象のなりたち、すなわち、人間の社会的関係がどういう関連を通じて「物象化」(広義の)し、さらにそれがどういう関連を通じて物の自然的関係・属性として現象する=「物化」することになるのか、という客観的現象のなりたちをとらえた概念であるのにたいして、「物神性」とは、その広義の「物象化」の結果、「物象」の社会的関係が、物の自然的属性や質料的関係性として現象しているその結果としての転倒現象のみを批判的にとらえた概念だというべきであろう。その転倒現象をあるがままに受け入れるところの日常意識が「物神崇拝」というべきであろう。〉(393頁、傍点で強調されている部分を下線にした)

 このように西野氏や平子氏らは、「物神崇拝」を「意識の問題」と捉えているようです。しかし、果たしてそうした理解は正しいのでしょうか。学習会では、単に意識の問題として捉えるのはおかしいのではないか、という疑問が出されました。いずれにせよ、もう一度、この問題を考えるために参考になるので、以前学習した第4パラグラフを見てみることにしましょう。

 〈したがって、商品形態の神秘性は、単に次のことにある。すなわち、商品形態は、人間に対して、人間自身の労働の社会的性格を労働生産物そのものの対象的性格として、これらの物の社会的自然属性として反映させ、したがってまた、総労働に対する生産者たちの社会的関係をも、彼らの外部に存在する諸対象の社会的関係として反映させるということにある。この“入れ替わり”によって、労働生産物は商品に、すなわち感性的でありながら超感性的な物、または社会的な物に、なる。たとえば、物が視神経に与える光の印象は、視神経そのものの主観的刺激としては現れないで、目の外部にある物の対象的形態として現れる。しかし、視覚の場合には、外的対象である一つの物から、目というもう一つの物に、現実に光が投げられる。それは、物理的な物と物とのあいだの一つの物理的な関係である。これに対して、労働生産物の商品形態およびこの形態が自己を表すところの労働生産物の価値関係は、労働生産物の物理的性質およびそれから生じる物的諸関係とは絶対に何のかかわりもない。ここで人間にとって物と物との関係という幻影的形態をとるのは、人間そのものの一定の社会的関係にほかならない。だから、類例を見いだすためには、われわれは宗教的世界の夢幻境に逃げこまなければならない。ここでは、人間の頭脳の産物が、それ自身の生命を与えられて、相互のあいだでも人間とのあいだでも関係を結ぶ自立した姿態のように見える。商品世界では人間の手の生産物がそう見える。これを、私は物神崇拝と名づけるが、それは、労働生産物が商品として生産されるやいなや労働生産物に付着し、したがって、商品生産と不可分なものである。〉

 ここではマルクス自身が、〈これを、私は物神崇拝と名づける〉と述べており、だから「物神崇拝」とは何かを理解するカギは、このパラグラフにあると考えることが出来ます。そしてこのパラグラフを読む限り、「物神崇拝」というのは、人間自身の労働の社会的性格を労働生産物そのものの対象的性格として、つまりこれらの物の社会的自然属性として反映したものであり、総労働に対する生産者たちの社会的関係をも、彼らの外部に存在する諸対象の社会的関係として反映させることから生じるものだと説明されています。労働生産物の商品形態は、決して単なる意識の問題ではないことは明らかです。だからこのマルクスの説明を見る限り、「物神崇拝」を単なる意識の問題と理解することにはやはり疑問を持たざるを得ません。

 またいわゆる「物象化」と言われているものは、こうした人間自身の労働の社会的性格や、総労働に対する生産者たちの社会的関係が、物の社会的自然属性や物の社会的関係として反映され、しかもそれらによって人間自身が支配され、引き回される転倒した関係を意味します。だから「物象化」というのは、「物神崇拝」とその限りでは同じものです。ただ「物神崇拝」は、「物象化」という同じ事態を、すなわち人間が自分自身の労働の社会的属性や総労働に対する関係を反映させたものに支配される事態を、人間が自分たちの社会的な意識の産物にすぎない神によって支配される関係にアナロジーさせて、物を神として崇拝し、それに跪く現実を指して「物神崇拝」と述べているものではないでしょうか。だから「物象化」は「物神崇拝」とは何か別物ではなく、また前者は現実の関係であるが、後者はその現実を反映した、あるいはそれに捕らわれた意識の問題だというのでもなく、基本的には同じ内容を述べたものだと考えられるのではないでしょうか。

 「カネさえあればなんでもかなう」というのは、単に意識の問題ではなく、ブルジョア社会の現実であり、だからこそ、カネをありがたがり、札束の前に卑屈になって跪くのではないでしょうか。それは決して単なる意識の問題ではないのです。

 また〈交換価値の形成における自然の役割についての退屈でばかばかしい論争〉というのは、『剰余価値学説史』の〈(b)労働概念の自然過程への拡張によるそれへの歪曲。交換価値と使用価値との同一視〉(全集26巻III・231頁)という項目を見ると、こうした見解は、価値の生産価格への転化という現象をリカードの理論では説明不可能なところから生まれたようです。一般的利潤率の生成を知らず、よって価値の生産価格への転化を知らなかったリカードはそれを「例外」としたのですが、リカード学派を解体させた経済学者たちは、さらに突き進んで、だから価値は労働によって規定されないのだと結論し、次のような例を挙げたというのです。

 〈その事例は次のようなものであった。すなわち、ある種の諸商品は、それに労働が費やされることなしに、生産過程のなかに留まるのであって(たとえぽ酒倉のなかのぶどう酒)、その期間のあいだ、それらの商⑱品はある種の自然過程の作用にさらされる、ということである。(たとえばミルによっては指摘されていないが、いくつかの新たな化学的能因が充用される前の、農耕や皮なめしにおける労働の長い中断が、そうである。)それにもかかわらず、この期間は利潤を生みだしているものとして計算される。商品に労働が加えられない期間が労働期間として計算されるのである。(一般に、より長い流通期間が見込まれる場合も同じである。)、ミルはこの難局をいわば「うそを言って切り抜けた」のであるというのは彼は次のように言っているからであるすなわち人は、たとえばぶどう酒が酒倉のなかにある期間をたとえ前提からすれば実際にはそうでないにしても、労働を吸収している期間とみなすことができるであろう、と。そうでなければ、人は「時間」が利潤をつくりだし、時間そのものが「音や煙」である、と言わなけれぽならないであろう、と。ミルのこのような駄弁をマカロックは話の糸口にし、というよりはむしろ彼のいつもの気どった剽窃のやり方で、その駄弁を一般的な形態で再生産しているのであって、そのなかでは、隠されていたばかげた考えが解放され、リカードの体系の、また一般にすべての経済学的思考の、最後の残存物までが都合よく除去されているのである。〉(全集26巻III・232-3頁)

 またこの引用の最後で言われているマカロックの主張については、次のように説明されています。

 〈不都合が取り除かれているのは、諸商品の使用価値が-- 交換価値と呼ばれ、また、諸商品が使用価値として通過する作業や、諸商品が使用価値として生産過程のなかで果たす役だちが--労働と呼ばれる、ということによってなのである。このようにして、実際、日常生活のなかでは、労働する役畜や労働する機械が云々され、また、詩的に、鉄は炎熱のもとで労働しているとか、ハンマーの重圧のもとでうめくとき労働している、とも言われたりするのである。それどころか、鉄が歩いたりもするのである。そして労働は一つの作業なのだからどんな作業でも労働であるということよりも容易に証明できることはないまったく同様に証明されうることは感覚のあるものはすべて肉体的なものだからすべての肉体的なものが感覚をもっているということであろう

 「労働は、正確には、それが人間や下等な動物や機械や自然力のどれによって行なわれようと、ある望ましい所産をもたらす傾向のあるなんらかの種類の作用または作業である、と定義しうるであろう。」(マカロック『経済学原理』七五ぺージ。)

 そして、このことは、けっして〔ただ〕労働用具に〔だけ〕かかわりがあることではない。それは、事実上、原料についてもまったく同様にあてはまる。羊毛は、それが染料を吸収する場合には、ある物理的な作用または作業を受ける。一般に、「ある望ましい所産をもたらすために」ある物に、物理的、機械的、化学的などの作用を及ぼすならば、必ずその物自体は反作用をする。だから、それ自身が労働することなしに、それが加工されるということはありえない。こうして、生産過程にはいるすべての商品は価値が増加するのであるが、それは、それ身の価値が保存されるからだけではなく、それらの商品が、単に対象化された労働ではなく「労働する」ということによって、新しい価値をつくりだすからである。これによって当然すべての困難は除去される。実際には、これは、単に、セーの「資本の生産的役だち」や「土地の生産的役だち」などの遠回しな表現にすぎず、それを改名したものにすぎない。〉(同325-6頁)

 以下、マルクスの叙述は続きますが、これぐらいで十分でしょう。

(ロ)交換価値は、ある物に支出された労働を表現する一定の社会的な様式なのですから、例えば、為替相場と同じように、それに自然素材が含まれるということはありえないのです。

 ここでは〈交換価値は、ある物に支出された労働を表現する一定の社会的様式である〉という説明があります。実際、生産物が商品という形態をとらない社会では、ある物に支出された労働は直接労働時間で計られていました。例えば、農民は田植えをしなければならない時期から逆算して、田を耕したり、水を入れて均すなどさまざまな田植えの準備をやりますが、それぞれの作業にどれだけの労働日が必要かを常に意識して自分の労働を配分します。同じように、大工は棟上げの日を決めて、そこから逆算して、上棟に必要な一切のものを材木を加工して準備しますが、その場合にどの作業にどれだけの日数が必要かを常に考えて作業をしています。これらはすべて一つの生産過程のなかでの話ですが、本来は、社会的な生産においても同じことが必要なのです。しかし労働が直接社会的に結びつけられていない社会では、その労働の社会的な結びつきや、ある物にどれだけの労働が支出されるべきかは、結局、それらの労働生産物が商品として交換されるなかで事後的に決まってくるわけです。だから価値というのは、そうした物に支出された労働を表現する一つの社会的やり方であって、だから価値にはそもそも自然素材などはまったく含まれていないのだというわけです。それは為替相場に自然素材が含まれていないのと同じだとも。しかし為替相場に自然素材が含まれていないことは認めるブルジョア経済学者も、しかし物神崇拝に取り込まれているがために、商品の価値には、自然の産み出す「価値」も含まれるのだと考えているわけです。それは次のパラグラフを見れば分かります。

◎第19パラグラフ

【19】〈(イ)商品形態は、ブルジョア的生産の最も一般的な最も未発展な形態であるから--だからこそ、商品形態は、こんにちほど支配的な、したがって特徴的な様式でではないにしても、早くから登場するのだが--その物神的性格はまだ比較的にたやすく見ぬけるように見える。(ロ)もっと具体的な形態の場合には、簡単であるという外観さえ消えうせる。() 重金主義の幻想はどこから来るのか? (ニ)重金主義は、金銀を見ても、貨幣としての金銀は一つの社会的生産関係を、しかも奇妙な社会的属性をおびた自然物という形態で、表示するのだということを見てとることができなかった。(ホ)また、お高くとまって重金主義を冷笑している近代の経済学は、それが資本を取りあつかうやいなや、その物神崇拝は手に取るように明らかになるではないか? (ヘ)地代は大地〔Erde〕から生じるのであって、社会から生じるのではないという重農主義的幻想が消えてから、どれだけたったであろうか?〉

(イ)(ロ)商品形態は、ブルジョア的生産の最も一般的な最も未発展な形態ですから、そしてだからこそ、商品形態は、ブルジョア的な生産ではそうであるように、支配的で特徴的な様式にまでなっていないとしても、早くから歴史的には登場します。しがし、そうした未発展な商品形態では、まだその物神的性格は比較的容易に見抜くことが可能なように見えます。しかし、もっと具体的な形態、例えば貨幣形態であるとか、資本形態などの場合は、簡単であるという外観さえ消え失せます。

 ここでは商品形態では、その物神的性格はまだ比較的にたやすく見抜けると言われていますが、これはどういうことかが問題になりました。

 商品形態を、その発展したものである貨幣形態や資本形態と比較してこのように言われているのですが、商品形態では物神的性格が比較的容易に見抜けるというのは、商品の価値は、生産物の「社会的自然属性」だと言われますが、しかしそれが生産物の実際の自然の属性とは異なるものであることが比較的容易に理解されるということではないかと思います。

 初版付録の等価形態の第四の特性の表題は、〈商品形態の物神崇拝は、等価形態では、相対的価値形態においてよりも顕著である〉となっています。つまりここで相対的価値形態にあるのは、単なる一つの商品ですが、等価形態にある商品は、さらに貨幣へと発展するものなのです。つまり相対的価値形態にある商品リンネルの価値は、ここでは上着という別の商品の使用価値によって表現されています。だからリンネルの価値は、リンネルの使用価値とは異なるものであり、何らかの商品の関係から生じるものであるということは、ここでは容易に理解できるわけです。それに対して、上着は、リンネルとの価値関係(表現)の中では、その使用価値そのものが価値なっています。つまりその自然属性そのものが価値という社会的属性と密接不可分に癒着しているのです。しかし,まだ等価形態の未発達な段階では、上着は別のある商品と入れ代わることが可能ですから、別に上着の使用価値そのものにそうした属性がくっついているわけではないことはまだ分かります。しかし、貨幣形態では、金という商品にそれが最終的に固着し、それ以のすべての商品は等価形態から排除されています。つまりここでは金という自然属性そのものが、そうした社会的属性を独占的にまとっており、だからこそ今度は、自然属性そのものが社会的属性と密接不可分になっています。だから貨幣形態では、金という物的姿そのものが価値そのものに、価値の絶対的化身として現れて、その物神的性格を見抜くことは、単なる商品形態に比べてより困難になっているとマルクスは述べているのだと思います。

 そしてさらに発展した資本形態では、ブルジョア経済学者は資本を物として、すなわち財貨として見るのは彼らにとってより強い常識として一般化しているのだというわけです。

(ハ)(ニ)重金主義の幻想はどこから来るのでしょうか? 重金主義は、金銀を見ても、貨幣としての金銀は一つの社会的な生産関係を、金銀という自然物の社会的な自然属性として、表しているのだということが分かりませんでした。

 ここで〈重金主義の幻想〉というのは、金銀こそが唯一の富だと考えたことではないかと思います。つまり商品形態のより発展した貨幣形態では物神崇拝を見抜くことはより困難であり、よって重金主義者は、金銀を見ても、それが社会的な生産関係を表すものであり、金銀が持つ社会的な力は、彼ら自身の社会的な関係から生じているということを理解できなかったわけです。重金主義については付属資料を参照してください。

(ホ)また、その重金主義を批判し、冷笑している近代の経済学は、しかし自分たちも資本を取り扱うとなると、資本は工場や機械などの財物だと強固な理解から抜けきれず、その物神崇拝は手にとるように明らかではないでしょうか。

 ここで〈近代の経済学〉とあるのは古典派経済学、特にスミスリカード以降の経済学を指すのだと思います。スミスは『諸国民の富』第4篇で「重商主義体系の原理」を取り上げ、金銀を唯一の富とする重商主義者は、羊や牛を唯一の富としたタタール人と同じであり、むしろタタール人の方が「真理にもっとも近かった」などと述べ、重商主義者たちの主張を、ことごとく批判しています。

 また『経済学批判』では、マルクスは次のようにも述べています。

 〈最後に、交換価値を生みだす労働を特徴づけるものは、人と人との社会的関係が、いわば逆さまに、つまり物と物との社会的関係としてあらわされることである。一つの使用価値が交換価値として他の使用価値に関係するかぎりでだけ、いろいろな人間の労働は同等な一般的な労働として互いに関係させられる。したがって交換価値とは人と人とのあいだの関係である、というのが正しいとしても、物の外被の下に隠された関係ということをつけくわえなければならない。一ポンドの鉄と一ポンドの金とが、その物理的、化学的属性が違っているにもかかわらず、同一の量の重さをあらわしているように、同一の労働時間をふくんでいる二つの商品の使用価値は、同一の交換価値をあらわしている。こうして交換価値は、使用価値の社会的な自然規定性として、物としての使用価値に属する一つの規定性として現われる。そしてその結果として、諸使用価値は、交換過程において一定の量的割合で互いに置き換えられ、等価物を形成するが、それはちょうど、単純な化学元素が一定の量的割合で化合して、化学当量を形成するのと同じことである。社会的生産関係が対象の形態をとり、そのために労働における人と人との関係がむしろ物相互の関係および物の人にたいする関係としてあらわされること、このことをあたりまえのこと、自明のことのように思わせるのは、ただ日常生活の習慣にほかならない。商品では、この神秘化はまだきわめて単純である。交換価値としての諸商品の関係は、むしろ人々の彼らの相互の生産的活動にたいする関係であるという考えが、多かれ少なかれ、すべての人の頭にある。もっと高度の生産諸関係では、単純性というこの外観は消えうせてしまう。重金主義のすべての錯覚は、貨幣が一つの社会的生産関係を、しかも一定の属性をもつ自然物という形態であらわすということを貨幣から察知しなかった点に由来する。重金主義の錯覚を見くだして嘲り笑う現代の経済学者たちにあっても、彼らがもっと高度の経済学的諸範疇、たとえば資本を取り扱うことになると、たちまち同じ錯覚が暴露される。彼らが不器用に物としてやっとつかまえたと思ったものが、たちまち社会関係として現われ、そして彼らかようやく社会関係として固定してしまったものが、こんどは物として彼らを愚弄する場合に、彼らの素朴な驚嘆の告白のうちに、この錯覚が突然現われるのである。〉(全集13巻19-20頁)

 また〈近代の経済学は、それが資本を取りあつかうやいなや、その物神崇拝は手に取るように明らかになるではないか?〉という部分については、『資本論』第2部の固定資本と流動資本との区別を論じた部分から一部紹介しておきましょう。

 〈根本的な誤り--固定資本と流動資本という範疇と不変資本と可変資本という範疇との混同--は別としても、経済学者たちのあいだに見られる従来の概念規定の混乱は、何よりもまず次の諸点に基づくものである。
 人々は、労働手段が素材としてもっている特定の諸属性、たとえば家屋などの物理的な不動性のようなものを、固定資本の直接的属性だとする。このような場合にいつでもたやすく指摘できるのは、労働手段としてやはり固定資本である他の労働手段が反対の属性をもっているということであり、たとえば船などの物理的な可動性である。
 あるいはまた、価値の流通から生ずる経済上の形態規定を物的な属性と混同する。あたかも、それ自身では決して資本ではなくてただ特定の社会的諸関係のもとでのみ資本になる物が、それ自体としてすでに生まれ長柄に固定資本とか流動資本とかいう一定の形態の資本でありうるかのように。〉(第2部、全集24巻197頁)

(ヘ)あるいは地代は土地から生じるのであって、社会から生じるのではないという重農主義的な幻想が消えてから、どれだけたったでしょうか。

 学習会では、ここでマルクスは何を言いたいのかが問題になりました。重金主義、重商主義、重農主義、そしてそれらを克服した近代の経済学との関係を、マルクスは、『経済学批判への序説』において、労働一般の観念の成立と関連させて、次のように述べています。

 〈労働はまったく簡単な範疇のように見える。このような一般性においての――労働一般としての――労働の観念も非常に古いものである。それにもかかわらず、経済学的にこの簡単性において把握されたものとしては、「労働」は、この簡単な抽象を生みだす諸関係と同様に近代的な範疇である。たとえば重金主義は、富を、まだまったく客体的に、自分の外に貨幣の姿をとっている物として、定立している。マニュファクチュア主義または重商主義が、対象から主体的活動に――商業労働とマニュファクチュア労働に――富の源泉を移しているのは、重金主義にたいして大きな進歩だった。といっても、まだこの活動そのものを金儲けという局限された意味でしか把握していないのであるが。この主義にたいして、重農主義は、労働の一定の形態――農業――を、富を創造する労働として定立し、また対象そのものを、もはや貨幣という仮装のなかでではなく、生産物一般として、労働の一般的結果として、定立するのである。しかしまだこの生産物を、活動の局限性に対応して、やはりまだ自然的に規定された生産物――農業生産物、とくに〔par excellence〕土地生産物――として考えているのである。
 富を生みだす活動のあらゆる限定を放棄したのは、アダム・スミスの大きな進歩だった。――マニュファクチュァ労働でもなく、商業労働でもなく、農業労働でもないが、しかもそのどれでもあるたんなる労働。富を創造する活動の抽象的一般性とともに、いまやまた、富として規定される対象の一般性、生産物一般、あるいはさらにまた労働一般、といっても過去の対象化された労働としてのそれ。この移行がどんなに困難で大きかったかは、アダム・スミス自身もまだときどきふたたび重農主義に逆もどりしているということからも明らかである。〉(全集13巻630-1頁)

  重金主義は16-17世紀の重商主義の前期の経済政策あるいは経済思想ですが、重農主義は主に18世紀にフランスで学派を形成した経済学者の一団です。その中心に位置するケネーは1694-1774年です。それに対して、スミスは1723-1790年、リカードは1772-1823年です。だからマルクスが〈重農主義的幻想が消えてから、どれだけたったであろうか?〉というのは、〈近代の経済学〉が、そうした重農主義的幻想を克服してから、すでに一世紀ほど経っているのに、いまだに彼らは資本を取り扱うや、物神崇拝の幻想に惑わされているではないか、という意味で、述べているのではないか、ということになりました。

(【付属資料】は「その3」を参照。)

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第43回「『資本論』を読む会」の報告(その3)

2012-02-25 23:04:34 | 『資本論』

第43回「『資本論』を読む会」の報告(その3)

 

【付属資料】

●第18パラグラフに関するもの

《初版本文》

 〈商品世界に付着している物神崇拝、あるいは、社会的な労働規定の対象的な外観を見て、一部の経済学者がどんなに欺かれているかは、なかんずく、交換価値の形成における自然の役割にかんしての退屈でくだらない論争が、明らかにしている。交換価値は、ある物に費やされた労働を表現する特定の社会的なやり方であるから、たとえば為替相場と同じに、もはや自然素材を含んでいるはずがない。〉(江夏訳67頁)

《フランス語版》

 〈商品世界に内在的な物神崇拝によって、あるいは労働の社会的属性の物的な外観によって、大半の経済学者のもとに産み出された幻想を、とりわけ証明するものは、交換価値の創造における自然の役割についての、長々しい、無味乾燥な彼らの論争である。交換価値は、ある物体の生産に使用された労働を計算するための、特殊な、社会的なやり方にほかならないから、たとえば為替相場と同じように、物的な要素を含むはずがない。〉(江夏他訳58頁)

●第19パラグラフに関するもの

《初版本文》

 〈商品形態は、ブルジョア的な生産の最も一般的で最も未発展な形態として、すなわち、それゆえに、すでに以前の生産時代においても、今日と同じように支配的なやり方、したがって特徴的なやり方ではないにせよ、現われているところの形態として、まだ比較的容易に見抜かれるものであった。ところが、たとえば資本のような、いっそう具体的な諸形態は、どうか? 古典派経済学の物神崇拝が、ここでは手にとるように明らかになる。〉(江夏訳68頁)

《補足と改訂》

 〈商品形態は、プルジョワ的生産のもっとも一般的なそしてもっとも未発達な形態であるから--だからこそ、商品形態は、今日ほど支配的な、それゆえ特徴的な様式でではないにしても、すでに早くから登場するのだが--その物神的性格はまだ比較的にたやすく見抜けるように見える。もっと具体的な社会的諸形態にあっては、簡単であるという外見さえ消えうせる。重金主義の幻想はどこから来るのか? 金銀を見ても、貨幣としての金銀は一つの社会的生産関係を、しかも自然物の形態において、表示するのだということを見てとることができなかった。

[A]

 また、お高くとまって重金主義を冷笑している近代の経済学は、それが資本を取り扱うやいなや、その物神崇拝は手に取るように明らかだということではなくなるのではないか?
 近代の経済学がまぬけにも、物だとして理解しようとした資本は、彼らにとって社会的関係として相対するとき、そして彼らがすぐにまた物だとからかい、そのあとで彼らは資本を社会的関係としてはおよそ規定しないのを見るとき、同じ幻想があらわになっている。地代は土地から生じるのであって、社会から生じるのではないという重農主義的幻想が消えてから、どれだけたったであろうか?

[B]

 また、お高くとまって重金主義を冷笑している近代の経済学は、それが資本を取り扱うやいなや、その物神崇拝、は手に取るように明らかだということではなくなるのではないか? 地代は土地から生じるのであって、社会から生じるのではないという重農主義的幻想が消えてから、どれだけたったであろうか? 〉(小黒訳26-7頁)

《フランス語版》

 〈今日の社会では、労働生産物に結びつく最も一般的で最も単純な経済形態、すなわち商品形態は、誰もがそれに悪意を認めないほど、万人に身近なものである。もっと複雑な別の経済形態を考察しよう。たとえぽ、重商主義の幻想はど鋤こから生ずるか? それは明らかに、貨幣形態が貴金属に極印を押す物神崇拝的な性格からである。それでは、自由思想家をよそおって、重商主義者の物神崇拝にたいして色槌せた冷やかしを倦むことなくむしかえす近代の経済学は、この外観にだまされることがいっそう少ないか? 諸物、たとえぽ労働手段が本性上資本であること、労働手段からこの純粋に社会的な性格を奪い取ろうとして人は反自然の罪を犯すこと、これが近代の経済学の基礎的学説ではないのか?最後に、重農主義者は、多くの点で優れているにしても、地代が人間から奪われた貢物ではなく、自然そのものが土地所有者に与える贈り物である、と考えなかったか?(フランス語版では、ここで改行せずに、現行版の次のパラグラフの最初の文節がこのパラグラフの最後に来たあと改行している。--引用者) 〉(江夏他訳58頁)

●『資本論辞典』から

重金主義Monetarsystem 重金主義とは.資本主義の初期にあたる16-17世紀にかけて西ヨーロッパ,とくにイギリスを中心として支配的におこなわれた経済政策ならびに経済思想の総称である広義の〈重商主義〉の前期をいう.この経済思想の基調は.貨幣が本性上金銀であるところから,金銀を富の唯一の形態だとみて,一国の富の大いさは金銀の保有量によって測られるとする点に求められる.したがって貨幣としての金銀を極度に重要視し,それを保蔵ないし蓄積することを強調したのであって,その限りでは素朴で一面的な主張というほかはない.だが反面においてこの思想のなかには,近代資本主務社会にたいする鋭い認識がひそんでいる.すなわち‘近代世界の最初の通弁である重金主義--重商主義はただその一変種にすぎない--の創始者たちは,金および銀つまり貨幣を唯一の富だと宣言し,正当にもブルジョア社会の使命をば貨幣をもうけること……だ, と明言したのである’(Kr 170;岩波208:国民197:選集補3-184:青木209)・初期資本主義の時代には,まだ国民的生産の大部分が封建的緒形態によって営まれており,生産物の商品への転形,貨幣を媒介とする商品流通は,まだきわめて限られた部面であらわれたにすぎなかった.それゆえに生産物の大部分は,総じて全社会的な素材変換の過程のなかに入らないから.むろん一般的抽象的労働の対象化としてはあらわれず,事実上ブルジョア的冨を形成するものではなかった.そこでせいぜい‘その当時の真にブルジョア的な経済の領域は,商品流通の領域であった.'この商品流通という原初的な領域に立脚してブルジョア的生産の全過程を判断して,そこにこの社会的生産形態に固有の秘密を,すなわちそれが交換価値によって支配されているということを洞見しえた点は.重商主義者の卓見である.のみならず,彼らの提唱した具体的諸政策の背後には,世界商業や外国貿易を尊重する思想の裏づけとして,こうした内外商業に直接につながる国民的労働の特定の諸部門を,富または貨幣の唯一の真の源泉だとみる見地があった(Kr170-172 ;岩波208-210;国民197-199;選集補3-184-185;青木209-211)・すなわち貨幣としての金銀は富の基盤をなすものであるが,しかし外国貿易に登場する生産物の生産やまたその生産物の商品への転形も,それらがけっきょくは貨幣に転形されて自国に金銀をもたらすならば,やはり富を実現するための条件であるといわなければならない.それゆえ重金主義は世界市場のための生産,生産物の商品への転形をも,正当に資本主義的生産の前提および条件として布告したのである(KIII-834-835 ;青木13・1106:岩波11-289)・しかしこの学説は,金銀をみても,それが貨幣としての社会的生産関係をば社会的属性を具えた自然物の形態で表示することを感知しなかったし(Kr20:岩波32:国民25;補3-18;青木38),また貨幣の運動をとらえても,それをG-W-G'という無概念的形態において固定化し. この循環形式の背後にひそむ生産関係にまでたちいって洞察する観点をもちえないで,もっぱらそこに貨幣形態での金銀量の増加を考えるだけにとどまり,貨幣をそのまま資本と混同したのである(KII-57;青木5-81:岩波5-95). これは,この経済思想がその根本的性絡において粗雑な〈実利主義〉にもとづく本来的な俗流経済学であることを示すものである(KIII-834青木13-1106:岩波11-289).
〔原典〕KIII・834-835:青木13-1105-1106:岩波11・289-290. Kr第1編第2章C→重商主義(石垣博美)

フィジオクラートPhysiokrat
Ⅰ 名称 フィジオクラートとは. 18世紀の後半フランスで学派を形成した経済学者の一団.すなわちフランソワ・ケネー(Francois Quesnay. 1694-1774)を中心とするミラボー侯(Victor Riquetti,Ma rquls de Mirabeau,1715-1789),デュポン ・ド・ヌムール(Pierre Samuel Dupont de Nemours,1739-1817),メルシェ・ド・ラ・リグィエール(Paul Pierre Le Mercier de Ja Riviere de Saint Medard,1720-1793). ボードー師(L'abbe Nicolas Baudeau. 1730-1792). ル・トローヌ(Guil1aume Francois Le Trosne,1728-1780)などのひとびとを指すのである.彼らはケネーを学祖として学派を形づくったが,テュルゴ(Anne Robert Jacques Turgot,1727-1781)はこの学派の正系と見られていず,またみずからもこの学派に属することを否定した.それにもかかわらず彼がケネーの経済学説の骨子を継承し,それを発展させた重要な思想家であることはよく知られている.だからマルクスも彼をこうした意味でフィジオクラートのー人に数えているのである.ちなみに彼らはその在世当時からみずからをエコノミスト(economistes) と称し,また19世紀の前半までは他からもその名をもって呼ばれた.多分に思想の神秘的特徴を匂わせるフィジオクラートという名称が起ったのは,デュポンがヶネーの論稿を集めて公刊した害物の名《フィジオクラシー (Physiocratie. 1767)からであり,さらにこの名が一般化したのはおそらく. 19世紀の中葉,デール(EugeneDaire)がデュポンの編著にのっとり,学派の主要著作を編纂して《フィジオクラト》(Physiocrates,1846)と題する二巻本を刊行してから後のことと考えられる.マルクスが学派の著作に接したのは,主としてこの二巻本を通じてである.
II 業綬と性格 フィジオクラシー (重農主義)とは自然の統治というほどの意味をもつ.この学派は社会という体躯を支配する自然的秩序を開明し,とくに経済生活の自然的組織を貫ぬく物理的法則をあきらかにしようとしたが,このような意図は現状の批判,なかんずくフランス重商主義(Colbertismus)批判の動機と深く結びついている.批判の対象となった社会はいうまでもなく.アンシャン・レジム(ancienregime)下の経済的に荒廃し,財政的にも破綻に瀕した農業国フランスであり,解決の狙いは農業経営の資本主義化である.ここに彼らの政策の基本的項目としての大農論が,(農産物)取引の自由化政策ならびに課税対象をもっぱら農業生産の剰余価値たる〈純生産物〉(produit net). すなわち地代のみに限るべしという単一税(impdtunique)政策とともに前景に出てくる.しかしフィジオクラシーはたんなる政策論ではなかった.それは政治算術的な方法にもとづいて国民の経済生活に実躍的な分析を加え,そこから一つの物理的法則すなわち資本の再生産の秩序をさぐり出そうとしたのである.この秩序はまず社会の構成を機能的に地主階級と生産階級たる(借地)農業者の階級と不生産階級たる商工業者の階級に三分し,農業のみが生産的であること,したがって農業生産においてのみ剰余価値たる純生産物が創出されること,この創出された純生産物が年々地代として地主階級に支払われ,その収入を形成することを前提とし,さらに取引における自由と経営資本の所有権の完全な保症とが存するばあい,商業国間に適用する恒常的な平均価格(prix commun)の存立を基礎として,農業者の経営資本がいかに流通過程における転形(W'-G'-W…P…W')を経つつ純生産物を産出し,年々同じ規模の単純再生産を繰り返えすかの構想となって実を結ぶ.この構想の図式化が《経済表》(Tableau Oeconomique. 1758 ;〔岩波文庫〕増井幸雄=戸田正雄訳:坂田太郎訳)であることはいうまでもない.かような分析こそまさしく彼らを近代経済学の父たらしめるものといわれるが.この分析の基本方向は,剰余価値を流通過程における‘富の譲渡またはその振動にもとづく利潤'(MWI-32:青木1-82)と見る〈重商主義〉とはまさに対蹠的に,剰余価値創出の場を流通過程から直接的生産過程に移したところにある(MWI-ll:青木1-51)・しかしながらわれわれはその反面に,彼らが当時の素朴な重農論者のように,いたずらに貨幣を賎視し.富の財物観にとらわれ,したがって重商主義以前に逆行したりすることなく,再生産過程を流通過程との相即においてとらえた識見の高さを十分評価しなくてはならない.マルクスがフィクオクラートの理論的立場を〈商品資本循環の方式〉として特徴づけた意味を,よく汲みとる必要があると考えるのである(KII第1篇第3章,とくにKII-95:青木5・131:岩波5-155)・
 ところで彼らが剰余価値創出の場を流通過程から直接的生産過程に移し..資本主義的生産の分析に鍬を入れるに当って,当然労働力の価値とその労働力がつくりだす価値との差異を把握Lてかからなくてはならなかった.資本主義的生産が発展するための基礎は,まず商品としての労働力が資本ないしは土地所有としての労働諸条件に対立することにあるが,労働力の価値とそれが創出する価値との差異を見極めるためには,さしあたって前者がある一定の大いきとしてとらえられる必要がある.フィジオタラートはこれを必要生活手段の価格としての労賃最低限としてつかんだ.もっとも彼らはいまだ価値そのものの本性を認識することがなく.価値一般の分析に入りこみえなかったため,この差異はひっきょう労働者が年々消費する使用価値の総額を超えて生産する使用価値の超過分としてとらえられざるをえず,したがってすべての生産部門のうち,そのいきさつが判然とあらわれる農業のみが生産的と考えられたわけである(MWI-11-12 :青木1-50-53)・そのばあい彼らにとっては.剰余価値を生む農業労働の生産性が自然の生産力,自然のたまものとしてあらわれるが,農業労働から分離してそれに対立する労働諸条件としての土地所有が,おのずから自然のたまものとしての剰余価値を地代として収得する権能を認められる.フィジオクラートにあっては,封建制--土地所有の支配--がブルジョア的生産の見地のもとで再生産され,封建制がブルジョア化されることによってブルジョア社会が封建的仮象をうけとるといわれるのは,こうした構想の性格によるのである(MWI-16:青木1-57-58).
 たしかにフィジオタラートの体系は,資本主義的生産の最初の体系的把握である.産業資本の代表者たる借地農業者の階級が全経済運動を指導する.農耕は資本主義的に経営される(KII-36l;青木7-468;岩波7-21)・しかしながらこのぼあいの資本主義的生産は,正しくは封建制からの脱出期におけるブルジョア社会に照応するものであることに注意しなくてはならない.したがってとの点にフィジオクラートの思想の性格の複雑さ,あいまいさがあらわれるのは当然ということができる.しかし彼らの一人一人の思想のニュアンスは,けっして一様でない.たとえば封建的仮象はミヲボーにおいてもっとも著しいが,テュルゴにおいてはこうした仮象がほとんど消滅し,思想の明瞭な近代化を認めることができる(MWI-16:青木1-58)・ところで,かような性格の複雑さは,一方において土地所有者が外見上は賛美されるが,そのことが反面においてその経済的否認に,そして資本主義的生産の確認につながる点に端的にあらわれる.すなわち単一税政策の主張は,すべての租税が唯一の剰余価値たる地代に転嫁さるべしというのであり.したがって土地所有を部分的に没収しようとするのであるが,これこそはフランス革命立法が遂行しようとLた当の政策である.かようにして借地農業者をはじめ商工業者は,租税の負担から解放されることになるが,そればかりでな〈彼らはいっさいの国家的干渉や特権の付与からも自由にされなくてはならない.この自由放任政策は,その動機において良価(bon prix)すなわち十分に生産費を償う価格の確立を目ざすものである点に注意を要するが.いずれにしろ単一税政策も自由放任政策も,そのことごとくが表向きは土地所有の利益のために行なわれるといういきさつに,思想の過渡的性絡をはっきりと読みとることができるのである(MW1-18-19 ;青木1-61-62).
 〔原典)KII第1篇第3章;第3遍第19章1.MWⅠ第2章 →ケネー(坂田太郎)

 

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第43回「『資本論』を読む会」の案内

2012-02-13 04:18:18 | 『資本論』

『資 本 論』  を  読  ん  で  み  ま  せ  ん  か 

                                      

 先月末、「大阪維新の会」が、教育委員会の異論を押し切って、大阪府教育基本条例案を大筋で決定しました。そして23日にはじまる府議会では維新の会が過半数を握っており、ほぼ原案どおり可決される見通しとも言われています。

 同条例案は前文で「教育行政からあまりに政治が遠ざけられ、教育に民意が十分に反映されてこなかった結果生じた不均衡な役割分担を改善し、政治が適切に教育行政における役割を果たし、民の力が確実に教育行政に及ばなければならない」などと述べ、政治家である知事が「教育の目標」を決め(6条2項)、それに従わない教育委員は知事によって罷免する(12条2項)などとしています。つまり教育内容や教育制度に、直接、政治家が介入しようというのです。

 橋下同会代表は、「教育に民意が十分に反映されてこなかった」から、だから選挙で選ばれた知事が「教育の目標」を決めれば、民意が反映されると言います。しかしそういう橋下代表は、他方で「すべてをマニフェストに掲げて有権者に提起するのは無理です。……選挙では国民に大きな方向性を示して訴える。ある種の白紙委任なんですよ」(12日朝日)などとも述べています。つまり選挙に勝てば、白紙委任されたも同然であり、だから知事のやりたいようにやるのだ、というわけです。だから「民意を反映する」などというのはまやかしであり、ただ知事の反動的な意向をストレートに教育にも徹底させようとするものにほかなりません。

 しかし教育に時の権力が直接介入することを許せば、どういう結果になるかは、戦前の軍国主義教育が国民を戦争に総動員する上で、大きな役割を果たしたことを考えれば、あまりにも明らかです。だからこそ、その反省の上に立って、戦後の教育基本法の第16条は、「教育は不当な支配に服することなく行われるべき」と定め、教育への政治の不当な介入を否定してきたのです。

 橋下代表の狙いは、こうした戦後の教育の大原則とでもいうべきものを覆し、知事が教育内容にも介入して、ファッショ的な統制と管理を教育の中にも持ち込もうというものです。

 もちろん、私たちは一部の自由主義者のように、教育は「中立であるべき」などという理念を振りかざす気はありません。なぜなら、ある時代の支配的な思想は、常に支配階級の思想にほかならないように、ブルジョア社会のもとでは、教育もまたブルジョア教育にしかなりえないからです。しかし、そのことは教育が支配階級の支配の道具に堕すことを容認しなければならないことを意味しません。資本・賃労働の関係の下では、労働者の賃金は、労働力の価値以上にはなりえません。しかしだからといって、労働者が賃上げを求めて闘う必要がなくなるわけではないように、教育に対する権力の不当な支配とも労働者は闘って行く必要があるのです。「教育の中立」といったありえない理念のためにではなく、資本の支配との闘いの一環として闘うのです。

 マルクスも『ゴータ綱領批判』のなかで、綱領が「国家による普通・平等の国民教育」を掲げていることを批判して、教育への国家の影響を排除すべきことを次のように主張しています。

 〈「国家による国民教育」はまったく不適当だ。一般的な法律によって国民学校の財源、教員の資格や授業科目などを規定すること、またアメリカ合衆国でおこなわれているように、国家の視学官がこれらの法規の実行を監督することと、国家を国民教育者に任命することとは、まったく別のことである! 逆に、政府と教会のどちらも、学校にたいしていかなる影響をも及ぼしえないようにしなければならない。〉(全集19巻31頁)

 橋下・維新の会代表のファッショ的な企みを断固粉砕しましょう。労働者の闘いをさらに発展させるために、共に、『資本論』を学びましょう。

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第43回「『資本論』を読む会」・案内


■日   時    2月19日(日) 午後2時~

■会  場   堺市立南図書館
      (泉北高速・泉ヶ丘駅南西300m、駐車場はありません。)

■テキスト  『資本論』第一巻第一分冊(どの版でも結構です)

主  催  『資本論』を読む会(参加を希望される方は連絡くださいsihonron@mail.goo.ne.jp)

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第42回「『資本論』を読む会」の報告(その1)

2012-02-01 03:09:41 | 『資本論』

第42回「『資本論』を読む会」の報告(その1)

 

◎これはもうペテン師である

 野田首相は23日の通常国会の冒頭、施政方針を明らかにする演説を行いました。何がなんでも消費増税をやりたいというわけです。
 しかしその演説は、首相が、まだ一代議士として街頭で演説していたものとは真逆になっています。その後の国会審議のなかでも取り上げられていましたが、これは国民の多くが知っておくべきことだと思います。

 首相は、街頭で演説しています。「書いてあることを命懸けで実行する。書いていないことはやらない。これがルールなのです」。「消費税5%分の皆さんの税金に、天下り法人がぶらさがっている。シロアリがたかっているのです。」「それなのに、シロアリを退治しないで、今度は消費税を引き上げるんですか」。「シロアリを退治して、天下り法人をなくして、天下りをなくす、そこから始めなければ、消費税を引き上げる話はおかしいんです。徹底して無駄遣いをなくしていく、それが民主党の考え方です。」

 一体、誰が「ルール」を踏みにじっているのでしょう。“どじょう”の舌は二枚舌なのでしょうか。これはもうただ政治不信を振りまいているだけとしか言いようがありません。「命懸けで実行する」と約束したのですから、実行できなかった責任をとって一刻も早く政治の舞台から身を引くべきす。何とも情けない政治の昨今ではあります。

◎第17パラグラフについて

 今回は第17パラグラフを一つだけやりました。しかしこのパラグラフには本文の何倍もある三つの長い注があり、それらについても詳しく検討を行いました。さっそく、その報告を行いましょう。いつものように、まず本文を紹介し、各文節ごとに記号を付して、平易い書き下すなかで、議論についても紹介していくことにします。まず本文の紹介です。

【17】〈(イ)ところで、たしかに経済学は、不完全にではあるけれども(31)、価値と価値の大きさを分析して、この形態のうちに隠されている内容を発見した。(ロ)しかし、経済学は、では、なぜこの内容があの形態をとるのか、したがって、なぜ労働が価値に、またその継続時間による労働の測定が労働生産物の価値の大きさに表されるのか?という問題を提起したことさえもなかった(32)。(ハ)諸定式--すなわち生産過程が人間を支配していて、人間がまだ生産過程を支配していない社会構成体に属するものであるということが、その額(ヒタイ)に書かれている諸定式は、経済学のブルジョア的意識にとっては、生産的労働そのものがそうであるのと同じくらいに自明な自然的必然性であると見なされるのである。(ニ)それだから、経済学が社会的生産有機体の前ブルジョア的形態を取りあつかうやり方は、教父たちが前キリスト教的諸宗教を取りあつかうやり方と同じなのである(33)。〉

(イ)たしかに、これまでの経済学は、不完全ではありますが、価値と価値の大きさを分析して、これらの形態のうちに隠されている内容を発見しました。

 さて、このパラグラフからは物神性をまとった経済的諸カテゴリーを自然なものとして扱った古典派経済学の批判に充てられています。

 学習会では、〈この形態のうちに隠されている内容〉というのは何か、という疑問が出されました。しかしそれについては、すぐにその後説明されているとの指摘がありました。すなわち労働やその継続時間、つまり労働時間のことではないか、ということです。

(ロ)しかし、経済学は、では、なぜ、この内容(労働や労働時間)が、そうした形態をとるのか、どうして労働が価値として表されるのか、あるいは、その継続時間による労働の量の測定が、労働生産物の価値の大きさとして表されるのか、という問題については、そもそもそうした問題を提起したことも無かったのです。

 これは第3パラグラフの次の一文を思い出させます。

 〈では、労働生産物が商品形態をとるやいなや生じる労働生産物の謎のような性格は、どこから来るのか? 明らかに、この形態そのものからである。人間労働の同等性は、労働生産物の同等な価値対象性という物的形態を受け取り、その継続時間による人間労働力の支出の測定は、労働生産物の価値の大きさという形態を受け取り、最後に、生産者たちの労働のあの社会的諸規定がその中で発現する彼らの諸関係は、労働生産物の社会的関係という形態を受け取るのである。〉

 つまりこのようにマルクスが問題を提起して解明していることについて、これまでの古典派経済学は問題にもしたことがなかったということです。

(ハ)価値や価値の大きさという諸定式--これらは生産過程が人間を支配していて、人間がまだ生産過程を支配していない社会構成体に属しているということを示すものでもありますが--は、経済学のブルジョア的な意識にとっては、生産的労働がそうであるのと同じぐらいに自明な自然的必要性であると見なされているのです。

 ここでは〈生産過程が人間を支配していて、人間がまだ生産過程を支配していない社会構成体に属するものであるということが、その額(ヒタイ)に書かれている諸定式〉という一文が出てきます。まずこの〈諸定式〉というのは何を意味するかですが、JJ富村さんが準備してくれたレジュメには「資本主義的生産様式の法則・定式」と書かれていました。亀仙人は「価値や価格、貨幣等のブルジョア経済学の諸カテゴリー」ではないか、と言いました。ただフランス語版では、この部分は次のようになっています。

 〈生産諸形態が次のような時代、すなわち、生産と生産関係が人間によって支配されずに人間を支配する社会的な時代、に属していることが一見して明らかなばあい、これらの生産諸形態は、人間のブルジョア的意識にとっては、生産労働そのものと全く同じくらいに、自然的必然性であるように見える。〉(55-56頁)

 これから考えると〈これらの生産諸形態〉ということになります。ただ注33でも紹介されている『哲学の貧困』には、次のような一節があります。

 〈経済学者たちは、ブルジョア的生産の諸関係、分業、信用、貨幣等々を、固定した、不変の、永久的なカテゴリーとしで表現する。……経済学者たちは、どのようにしてこれらの与えられた諸関係のなかで生産がおこなわれるか、ということについては、われわれに説明してくれる。しかし彼らは、どのようにしてこれらの諸関係そのものが生産されたかということ、つまり、これらの諸関係を生誕させた歴史的運動については、われわれに説明してくれない。〉(全集第4巻129頁)

 だからこの〈諸定式〉というのは、ブルジョア的な生産諸形態、生産諸関係、あるいは分業や信用、貨幣、価値、価格等々の諸カテゴリーと考えてよいのではないでしょうか。

 ところで〈諸定式〉をそうしたものとして捉えると、ここで述べられていることは、一見すると、第8パラグラフで次のように指摘されていたことと矛盾するように思えるが、どう考えたらよいのだろう、という問題も提起されました。第8パラグラフでは次のように書かれています。

 〈だから、価値の額(ヒタイ)にそれが何であるかが書かれているわけではない。〉

 つまり、ここではこうしたブルジョア的諸カテゴリーには、その〈額(ヒタイ)にそれが何であるかが書かれているわけではない〉と言われているのに、今回の場合は、〈生産過程が人間を支配していて、人間がまだ生産過程を支配していない社会構成体に属するものであるということが、その額(ヒタイ)に書かれている〉と言われているからです。

 これは次のように考えられるのではないでしょうか。ここでマルクスが述べている〈生産過程が人間を支配していて、人間がまだ生産過程を支配していない社会構成体に属するものであるということ〉というのは、マルクスがこうした諸カテゴリーの根拠を、すなわち、その物象的な諸関係の秘密を解きあかした結果、言えることだと思います。だからここでマルクスが〈その額(ヒタイ)に書かれている諸定式〉というのは、そうした商品の物神的性格とその秘密が解きあかされたが故に、今は言えることだと理解すべきではないでしょうか。それに対して、第8パラグラフでは、ブルジョア的な目には、そうした諸関係はまったく見えないということで、〈だから、価値の額(ヒタイ)にそれが何であるかが書かれているわけではない〉と述べていると理解すべきだと思います。

 ところで、〈生産過程が人間を支配していて、人間がまだ生産過程を支配していない社会構成体に属するものであるということ〉というのは、第9パラグラフの次の一文に対応しています。

 〈交換者たち自身の社会的運動が、彼らにとっては、諸物の運動という形態をとり、彼らは、この運動を制御するのではなく、この運動によって制御される。たがいに独立〔unabhaengig〕に営まれながら、しかも社会的分業の自然発生的な諸分肢としてたがいに全面的に依存している〔abhaengig〕私的諸労働が社会的に均斉のとれた基準にたえず還元されるのは、私的諸労働の生産物の偶然的でつねに動揺している交換比率を通して、それらの生産のために社会的に必要な労働時間が--たとえば、だれかの頭の上に家が崩れおちる時の重力の法則のように--規制的な自然法則として暴力的に自己を貫徹するからである。〉

 だから〈生産過程が人間を支配して〉るということは、それらが生産者たちを一つの自然法則として統制し支配するということでしょう。そして、ここで言われている〈社会構成体〉とは、資本主義的生産様式のことだと思います。

 またここで〈経済学のブルジョア的意識にとっては、生産的労働そのものがそうであるのと同じくらいに自明な自然的必然性であると見なされる〉という部分は、第8パラグラフで〈商品生産というこの特殊な生産形態だけに当てはまること、すなわち、たがいに独立した私的諸労働に特有な社会的性格は、それらの労働の人間労働としての同等性にあり、かつ、この社会的性格が労働生産物の価値性格という形態をとるのだということが、商品生産の諸関係にとらわれている人々にとっては、あの発見の前にも後にも、究極的なものとして現れるのであり、ちょうど、空気がその諸元素に科学的に分解されても、空気形態は一つの物理的物体形態として存続するのと同じである〉と述べていたことを思い出すとよく分かると思います。

 またここでは〈生産的労働〉という言葉が出てきますが、これは第1節に〈それはまた、もはや指物労働や建築労働や紡績労働やその他の一定の生産的労働の生産物でもない〉として出てきます。つまり具体的有用労働と同義と考えてよいでしょう。

(ニ)だから、経済学が社会的生産有機体の前ブルジョア的形態、例えば封建的生産様式や古代的生産様式等を取り扱うやり方は、教父たちが前キリスト教的諸宗教を取り扱うのとまったく同じやり方なのです。

 この文節は、この一文につけられた注33を見れば、よく分かりますので、そこで考えることにしましょう。

(三つの注については、「その2」を参照)


 

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第42回「『資本論』を読む会」の報告(その2)

2012-02-01 02:45:58 | 『資本論』

第42回「『資本論』を読む会」の報告(その2)

 

◎三つの長い注

 すでに述べたように、この第17パラグラフは、本文は短いのに、それにつけられた三つの注はいずれも長いものです。しかも内容も重要であり、決しておろそかにできません。学習会でも、それぞれについて詳しく検討しました。次に、その報告をやりましょう(但し、注については、文節ごとの平易な書き下しは不要と考えます)。

【注31】〈リカードの価値の大きさの分析--しかもこれは最良の分析である--の不十分さは、本書の第3部および第4部からわかるだろう。しかし、価値一般について言えば、古典派経済学は、価値に表される労働と、生産物の使用価値に表される限りでの労働とを、どこにおいても、明文によっては、また明瞭な意識をもっては、区別していない。もちろん、実際には区別を行っている。なぜなら、古典派経済学は、労働を、ある時は量的に、ある時は質的に、考察しているからである。しかし、古典派経済学は、諸労働の単なる量的区別がそれらの質的統一性または同等性を、したがってまたそれらの抽象的人間労働への還元を前提するということに思いつかなかったのである。たとえば、リカードは、デスチュト・ド・トラシが次のように言う時、これに賛意を表明している。「われわれの肉体的および精神的諸能力だけがわれわれの本源的富であることはたしかであるから、それらの能力の使用、すなわち、何らかの種類の労働は、われわれの本源的財宝である。われわれが富と呼ぶいっさいの物をつくり出すのは、つねにこの能力の使用である・・・・。さらにまた、それらの物はすべてそれらをつくり出した労働だけを表していること、そして、もしそれらの物が一つの価値をもつとすれば、あるいはむしろ二つの区別される価値すらもつとしても、それらの物はそのような価値を、ただ、それらを生み出す労働のそれ」(価値)「から引きだすことができるだけである、ということもたしかである」(〔デスチュト・ド・トラシ『イデオロギー要論』、第四および第五部、パリ、一八二六年、三五、三六ページ〕リカード『経済学原理』、第三版、ロンドン、一八二一年、三三四ページ〔堀経夫訳、『リカード全集』Ⅰ、雄松堂書店、三二八ページ〕)。われわれは、リカードが彼自身のより深い意味をデスチュトに押しつけているということだけを示唆するにとどめる。実際、デスチュトは、たしかに一面では、富を形成するすべての物は「それをつくり出した労働を代表している」と言っている。しかし、他面では、これらの物はそれらの「二つのあい異なる価値」(使用価値と交換価値)を「労働の価値」から得ると言っているのである。こうして彼は、一商品(ここでは労働)の価値をまず前提し、それによってあとから他の諸商品の価値を規定するという俗流経済学の浅薄さにおちいっている。リカードは、使用価値にも交換価値にも労働が(労働の価値が、ではなく)表示されているというふうにデスチュトを読んでいる。ところが、リカード自身は、二重に表示される労働の二面的性格をほとんど区別していないから、「価値と富、両者を区別する諸属性」という章〔第二〇章〕の全体で、J・B・セーごときの愚論との格闘に苦労しなければならないのである。それゆえまた、とどのつまりリカードは、デスチュトが価値源泉としての労働については彼自身と一致しているのに、他面、価値概念についてはセーと一致しているということに、すっかりあきれ果てているのである。〉

 まず最初にマルクスは〈リカードの価値の大きさの分析--しかもこれは最良の分析である--の不十分さは、本書の第3部および第4部からわかるだろう〉と書いていますが、ここに出てくる〈本書の第3部および第4部〉というのは、第1版序文の次の一文にもとづいているとの指摘がありました。

 〈本書の第二巻は資本の流通過程(第二部)と総過程の諸形態(第三部)とを、最後の第三巻(第四部)は理論の歴史を取り扱うことになるであろう。〉(全集23a11頁)

 次に、ここでマルクスはリカードが〈価値に表される労働と、生産物の使用価値に表される限りでの労働とを、どこにおいても、明文によっては、また明瞭な意識をもっては、区別していない〉一つの例として、リカードがデスチュト・ド・トラシの一文に賛意を表していることを上げています。ただそれが、どうしてリカードが労働の二重性を意識的に区別できていない例と言えるのかが、いま一つよく分かりませんだしたが、デスチュト・ド・トラシの一文を見ると、それが〈二つの区別される価値〉、つまり使用価値と交換価値とを無区別に、同じ労働から引き出されるものとして説明していて、両者の区別をしていないのに、リカードはその誤りを見抜くことが出来ずに、むしろそれに賛意を表明しているから、だと言えるのではないか、ということになりました。

 そしてマルクスは、さらにリカードは自分自身のより深い理解をデスチュト・ド・トラシに押しつけているとも述べていますが、これはデスチュト・ド・トラシは生産物の価値を労働の価値から説明するという、つまり価値を価値から説明するという俗流的な誤りに陥っているのに、リカードはそれを理解できず、むしろ自身の見解に引き付けて、生産物の価値をそれに支出された労働で説明しているものと理解しているということではないかということになりました。

 最後に〈とどのつまりリカードは、デスチュトが価値源泉としての労働については彼自身と一致しているのに、他面、価値概念についてはセーと一致しているということに、すっかりあきれ果てているのである〉という部分については、リカードがデスチュト・ド・トラシの著書について、注のなかで論じている次の一文を指しているのではないか、との指摘もありました。

 〈『観念学概論』第4巻、99頁--本書のなかに、ド・トラシ氏は経済学の一般原理に関する有益で優れた論説を発表した。だが、氏が氏の権威を持って、『価値』、『富(リッチス)』、『効用』という用語にセー氏が与えている定義を支持していることを付言しなければならないのは、残念である。〉(『経済学および課税の原理』岩波下巻102頁)

 なおJJ富村さんのレジュメには、「セーの価値概念」と題して、『資本論辞典』の一部が引用されていましたので、それも紹介しておきましょう。

 〈‘物の価値(富の唯一の属性)は物の効用,すなわち人間の欲望を満足させる物の性能にもとづく'とする見地から富を自然的富,社会的富の二種類にわけ,前者は空気や水等のごとく自然から無償で与えられる物の効用,後者は自然力・資本・労働の三要索の共同作用から生ずる物の効用で,その評価によって交換されると考える.つまりスミスの使用価値と交換価値の概念を効用説にすりかえたものであることがわかる.〉(510頁)

【注32】〈(32) 古典派経済学の根本的欠陥の一つは、それが、商品の分析、ことに商品価値の分析から、価値をまさに交換価値にする価値の形態を見つけだすことに成功しなかったことである。A・スミスやリカードのようなその最良の代表者においてさえ、古典派経済学は、価値形態を、まったくどうでもよいものとして、あるいは商品そのものの性質にとって外的なものとして、取りあつかっている。その原因は、価値の大きさの分析にすっかり注意を奪われていたというだけではない。それはもっと深いところにある。労働生産物の価値形態は、ブルジョア的生産様式の最も抽象的な、しかしまた最も一般的な形態であり、ブルジョア的生産様式はこの形態によって一つの特別な種類の社会的生産として、したがってまた同時に歴史的なものとして、性格づけられている。だから、人がこの生産様式を社会的生産の永遠の自然的形態と見誤るならば、人は必然的に、価値形態の特殊性を、したがって商品形態の、すすんでは貨幣形態、資本形態等々の特殊性を見落とすことになるのである。だから、労働時間による価値の大きさの測定についてはまったく一致している経済学者たちのあいだに、貨幣、すなわち一般的等価の完成した姿態、については、きわめて種々雑多なまったく矛盾した諸見解が見られるのである。このことは、たとえば、ありふれた貨幣の定義ではもはや間に合わない銀行業の取りあつかいに際してはっきりと現れてくる。それゆえ、反対に、価値のうちに社会的な形態だけを見る、あるいはむしろ実体のない社会的形態の外観だけを見る復活した重商主義(ガニルなど)が生じた。・・ここできっぱりと断わっておくが、私が古典派経済学と言うのは、ブルジョア的生産諸関係の内的関係を探求するW・ペティ以来のすべての経済学をさし、これに対して俗流経済学と言うのは、外見上の関係の中だけをうろつきまわり、いわばもっとも粗雑な現象のもっともらしい解説とブルジョア的自家需要とのために、科学的経済学によってとうの昔に与えられた材料をたえずあらためて反芻(ハンスウ)し、それ以外には、自分たち自身の最善の世界についてのブルジョア的生産当事者たちの平凡でひとりよがりの諸観念を体系づけ、学問めかし、永遠の真理だと宣言するだけにとどまる経済学をさしている。〉

 古典派経済学は「交換価値」を「真の価値」に、つまり「価値」に還元し、さらにその「価値」を「労働」に還元しましたが、なぜ「価値」が「交換価値」として現れるのかを、つまり「価値の形態」については何の関心も払わなかったとマルクスは指摘しています。その理由は、彼らが価値の大きさの分析にすっかり注意を奪われていただけではなく、労働生産物の価値形態は、このブルジョア的生産様式を、一つの特殊な種類の社会的生産として、歴史的に性格づけるものだから、このブルジョア的生産を永遠の自然的なものとして見るなら、価値形態の特殊性を、さらにまた商品形態や貨幣形態、あるいは資本形態等々の歴史的な特殊な性格を見落とすことになるからだ、というわけです。

 ここで、どうして「価値」ではなく「価値形態」が資本主義的生産を歴史的に特徴づけるものなのか、という疑問が出されました。しかし、これについてはすでに第2パラグラフで商品の神秘的性格は、商品の使用価値からも、価値規定の内容からも生じるのではないと明らかにされています。つまり価値規定の内容というのは、あらゆる社会形態に共通する一般的な条件だからです。だからこそ第12パラグラフで検討されたように、孤島に流されて、その意味ではあらゆる社会形態からも独立した、人間と自然という、もっとも抽象的な関係に還元されたロビンソンの島の生活のなかにも〈価値のすべての本質的規定が含まれている〉ことが確認されたのでした。

 ところで話は変わりますが、「社会主義の概念」を「価値の規定」から説明すべきだ、という主張があります。あるいは「価値の規定」によってこそ、「社会主義の概念の根底」が明らかになるというのです。しかし、こうした主張は、「価値規定の内容」が、あらゆる社会に共通な一般的な条件であるということを考えると、やや首を傾げざるを得ません。確かに「価値の規定」があらゆる社会に共通な一般的条件であるなら、当然、将来の社会主義においても、それは貫いていることは言うまでもありません。しかしそうであるなら、将来の社会主義の概念がそうした一般的な条件にただ還元されるだけでは、何一つ社会主義に固有の内容は明らかにならないのではないかと考えるからです。やはり社会主義の概念を語ろうとするなら、あらゆる社会に共通な一般的な条件に還元するだけではなく、むしろそうした一般的な条件が社会主義に固有のあり方によって現れている、その固有の内容こそが明らかにされるべきではないかと考えるわけです。

 では、そうした社会主義に固有の内容というのは、どういうものでしょうか。実は、それもすでに第15パラグラフでマルクスによって明らかにされています。それをもう一度、紹介してみましょう。

 〈最後に、目先を変えるために、共同的生産手段で労働し自分たちの多くの個人的労働力を自覚的に一つの社会的労働力として支出する自由な人々の連合体を考えてみよう。ここでは、ロビンソンの労働のすべての規定が再現されるが、ただし、個人的にではなく社会的に、である。ロビンソンのすべての生産物は、もっぱら彼自身の生産物であり、したがってまた、直接的に彼にとっての使用対象であった。この連合体の総生産物は一つの社会的生産物である。この生産物の一部分は、ふたたび生産手段として役立つ。この部分は依然として社会的なものである。しかし、もう一つの部分は、生活手段として、連合体の成員によって消費される。この部分は、だから、彼らのあいだで分配されなければならない。この分配の仕方は、社会的生産組織体そのものの特殊な種類と、これに照応する生産者たちの歴史的発展程度とに応じて、変化するであろう。もっぱら商品生産と対比するだけのために、各生産者の生活手段の分け前は、彼の労働時間によって規定されるものと前提しよう。そうすると、労働時間は二重の役割を果たすことになるだろう。労働時間の社会的計画的配分は、さまざまな欲求に対するさまざまな労働機能の正しい割合を規制する。他面では、労働時間は、同時に、共同労働に対する生産者たちの個人的関与の尺度として役立ち、したがってまた、共同生産物のうち個人的に消費されうる部分に対する生産者たちの個人的分け前の尺度として役立つ。人々が彼らの労働および労働生産物に対してもつ社会的諸関係は、ここでは、生産においても分配においても、簡単明瞭である。〉

 これこそが、もし「社会主義の概念」を語ろうとするなら、語られなければならない内容なのではないでしょうか。

 やや脱線しましたが、脱線ついでにもう少し脱線することをお許しください。

 あらゆる社会に共通な「価値規定の内容」ではなく、「価値形態」こそが、資本主義的生産の特殊歴史的な性格を特徴づけるものであるということですが、ここで「価値形態」や「商品形態」あるいは「貨幣形態」、「資本形態」等々の「形態」という言葉に注意してみましょう。マルクスは『経済学批判』のなかでは「形態規定性」とか「経済的形態規定」という用語を多用していますが、『資本論』ではそうした用語は出来るだけ避けています。しかし『資本論』で「形態」や「諸形態」という場合、その多くは『経済学批判』でマルクスが多用している「形態規定性」や「経済的形態規定」とほぼ同義と考えていよいと思います。つまりそれは社会的な生産における生産者の社会的関係が直接的なものではないために、それらが物の社会的属性や物の社会的関係として現れてきて、本来は目に見えない生産者の社会的な関係が、物の属性や物の関係という対象的な形態をとって目に見えるものとして現れ、しかもそうした物の属性や関係に逆に人間が支配され引き回されるという転倒した関係が生じてくる、そうした物の属性や関係が、すなわち「形態規定性」や「経済的形態規定」といわれるものなのです。

 マルクスは『資本論』第2部(巻)の最初の草稿において、「資本の流通」や「資本の回転」を取り扱う第1章(現行版では「第1編」)や第2章(同「第2編」)では、〈資本が流通過程の内部でとる新たな形態規定性を研究しなければならない〉(『資本の流通過程』大月版9頁)としています。それに対して、〈流通過程を現実の再生産過程および蓄積過程として考察する〉第3章(同じく「第3編」)では、〈たんに形態を考察するだけではなく、次のような実体的な諸契機がつけ加わる〉と述べ、三つの契機を列挙していますが、その最初のものが次のようなものです。

 〈(1)実体的な再生産……に必要な諸使用価値が再生産され、且つ相互に条件づけあう、そのしかた。〉(同9-10頁)

 社会の総再生産過程を考察する第3章(編)では、どうして単に形態だけでなく、実体的な諸契機が問題にされなければならないのかは、この(1)項目で明らかにされています。つまり社会の総再生産が行われているということは、社会の総生産物が、その使用価値にもとづいて互いに関連しあい、条件づけあって存在しているということです。つまり生産物の使用価値は、その物的属性によって、それが生産的に消費されるものか、それとも個人的に消費されるべきものかを明らかにしています。そればかりか生産物の物的属性は、それがどういう生産手段から生産されたものかも示しており、その限りではそれが生産されるまでの他の生産諸部門との関連や、あるいはその生産物そのものが、さらにどういう生産部門で生産的に消費されるものかも示しています。だから、すべての生産物の諸使用価値は、それによってそれらが社会な分業の一つの体系の網の目を表しているものなのです。つまり社会の総再生産が一定の均衡をもって維持されているということは、それが如何なる社会的諸形態でなされようと、だから資本主義的生産様式のもとであろが、封建的生産様式のもとであろうが、それらの物質的諸条件として、社会的分業の網の目が形成され、互いに関連しあい、質的にも量的にも、条件づけあって存在していなければならないということなのです。だからこうした物的属性にもとづく実体的諸条件というものは、あらゆる社会に共通な内容なのです。

 マルクスは社会の総再生産過程を、「再生産の表式」という、極めて簡単・簡潔な表式によって図示して考察しています。この「再生産の表式」こそ、社会の総再生産が行われるための物質的条件として、社会の生産諸部門とその諸生産物がどのように社会的に条件づけあっているか、その社会的な再生産の実体的構造を明らかにするものでもあるのです。だからこそ、「再生産の表式」は、資本の流通過程に固有の諸形態を捨象して、その実体的諸関連として考察するなら、あらゆる社会に共通の内容を持っており、よって将来の社会においても、計画的な再生産を考える上で、有効な内容を持っていると言えるのです。

 やや脱線が過ぎましたが、本題に戻しましょう。

 ここで〈だから、労働時間による価値の大きさの測定についてはまったく一致している経済学者たちのあいだに、貨幣、すなわち一般的等価の完成した姿態、については、きわめて種々雑多なまったく矛盾した諸見解が見られるのである。このことは、たとえば、ありふれた貨幣の定義ではもはや間に合わない銀行業の取りあつかいに際してはっきりと現れてくる〉という部分については、次の『経済学批判』の一文が参考になります。

 〈イングランド銀行が兌換を停止していた時期には、戦況報告よりも多数の貨幣理論が生まれたほどだった。銀行券の減価と金の市場価格のその鋳造価格以上への騰貴とは、二、三の〔イングランド〕銀行擁護論者の側に、またまた観念的貨幣尺度説をよびおこした。……なおついでながら、観念的貨幣尺度説が、銀行券の兌換性または不換性にかんする論争問題で新たな重要性を得たことを注意しておこう。もしも紙券がその名称を金や銀から受け取るとすれば、銀行券の兌換性、すなわちそれが金や銀と交換されうるということは、法律上の規定がどう言っていようが、依然として経済法則である。だからプロイセンの紙幣ターレルは、法律上は不換紙幣であるとしても、日常の取引で銀ターレル以下にしか通用しなくなり、したがって実際に兌換不能になれば、ただちに減価するであろう。だから、イギリスの不換紙幣の徹底的な主張者たちは、観念的貨幣尺度へ逃げこんだのであった。もしも貨幣の計算名であるポンド、シリング等々が、一商品が他の諸商品との交換で、あるときは多くあるときは少なく吸収したり吐きだしたりする一定量の価値原子にたいする名称であるというのであれば、たとえばイギリスの五ポンド券は、鉄や綿花となんの関係もないのと同じように、金ともなんの関係もない。五ポンド券という称号は、この券を金またはなんらかの他の商品の一定量と理論上等置することをやめてしまっているのだから、その兌換性の要求、すなわちそれをある特定の物の一定量と実際上等置しようとする要求は、その概念そのものによって排除されることになろう。〉(全集第13巻64-66頁)

 次に〈それゆえ、反対に、価値のうちに社会的な形態だけを見る、あるいはむしろ実体のない社会的形態の外観だけを見る復活した重商主義(ガニルなど)が生じた〉というの部分については、次の一文が参考になります。

 〈われわれの分析が証明したように、商品の価値形態または価値表現が商品価値の性質から生じるのであり、逆に、価値および価値の大きさが交換価値としてのそれらの表現様式から生じるのではない。ところが、この逆の考え方が、重商主義者たち、およびその近代的な蒸しかえし屋であるフェリエ、ガニルなど(22)の妄想であると共に、彼らとは正反対の論者である近代自由貿易外交員、たとえばバスティアとその一派の妄想でもある。重商主義者たちは、価値表現の質的な側面に、したがって貨幣をその完成姿態とする等価形態に重きをおき、これに対して、自分の商品をどんな価格ででもたたき売らなければならない近代自由貿易行商人たちは、相対的価値形態の量的側面に重きをおく。その結果、彼らにとっては、商品の価値も価値の大きさも交換関係による表現のうち以外には存在せず、したがって、ただ日々の物価表のうちにのみ存在する。〉(「4 単純な価値形態の全体」から、23a82頁)

 なお復活した重商主義やガニル等については【付属資料】を参照してください。

【注33】〈(33) 「経済学者たちは奇妙なやり方をする。彼らにとってはただ二種類の制度があるだけだ。人為的制度と自然的制度と。封建制の制度は人為的制度であり、ブルジョアジーの制度は自然的制度である。彼らはこの点では、同じく二つの種類の宗教を区別する神学者たちに似ている。彼らのものでないどの宗教も人間のつくりものであるが、彼ら自身の宗教は神の啓示なのである。・・そういうわけで、かつてはとにかく歴史があったが、もうそれは存在しないのだ」(カール・マルクス『哲学の貧困。プルードン氏の「貧困の哲学」に対する返答』一八四七年、113ページ〔『全集』第4巻、143~144ページ〕)。ここで実にこっけいなのはバスティア氏で、彼は、古代のギリシア人やローマ人はただ略奪だけで生活していたと思いこんでいる。しかし、何世紀にもわたって略奪で生活していくからには、そこには略奪されるべきものがたえず存在しなければならない。言いかえれば、略奪の対象が引き続き再生産されていなければならない。とすれば、ギリシア人やローマ人も一つの生産過程を、したがって一つの経済をもっていて、それが彼らの世界の物質的基礎をなしていたことは、ブルジョア経済がこんにちの世界の物質的基礎をなしていることとまったく同じであるように思われるのである。それともバスティアは、奴隷労働にもとづく生産様式は略奪体制の上に立っているとでも考えているのだろうか? そうだとすると、彼はあぶない地盤の上にいることになる。アリストテレスのような大思想家でさえ奴隷労働の評価で誤ったのに、バスティアのようなちっぽけな経済学者がどうして賃労働の評価をまともにやれるはずがあろうか?・・この機会に、私の著書『経済学批判』(一八五九年)が出た時に、アメリカのあるドイツ語新聞から私に加えられた異論を簡単にしりぞけておこう。この新聞によれば、私の見解、すなわち、一定の生産様式といつでもこれに照応している生産諸関係、要するに、「社会の経済的構造は、法的かつ政治的上部構造がその上に立ち、一定の社会的意識形態がそれに照応するところの実在的土台である」ということ、「物質的生活の生産様式が、社会的、政治的、および精神的生活過程一般を制約する」という私の見解--およそこうした見解は、物質的利害が支配的であるこんにちの世界についてはたしかに正しいが、カトリックが支配的であった中世についてや、政治が支配的であったアテネおよびローマについては、正しくない、と。まず第一に奇妙なのは、中世と古典古代世界についてのこの世間周知の決まり文句をまだ知らないでいる人があるものと前提して、喜んでいる人がいるということである。中世がカトリックによって、古典古代世界が政治によって、生活していくことができなかったことだけは、はっきりしている。それどころか、その暮しを立てた仕方・様式こそ、なぜ、古典古代では政治が、中世ではカトリックが主役を演じたかを説明するのである。さらには、たとえばローマ共和政の歴史をほとんど知らなくても、土地所有〔Grundeigentum〕の歴史がその裏面史をなしていることくらいはわかる。他面では、すでにドン・キホーテは、遍歴騎士道がどのような経済的形態とも同じように調和すると妄想した誤りのために、ひどい目にあっているのである。〉

 まずここで『哲学の貧困』からの引用がありますが、その全文を紹介しておきましょう。

 〈経済学者たちは奇妙なやりかたをする。彼らにとっては、二種類の制度、すなわち人為の制度と自然の制度とが存在するにすぎない。封建制の諸制度は人為的制度であり、ブルジョアジーの諸制度は自然的制度である。この点では、彼らは、神学者たちに似ている。神学者たちもまた、二種類の宗教があるときめているからである。彼ら[神学者たち]の宗教でない宗教はいずれもみな人間が発明したものであるが、彼ら自身の宗教は神から発したものなのである。現在の諸関係──ブルジョア的生産諸関係──は自然的なものである、とかたることによって、経済学者たちは、それらの関係こそ自然の諸法則にしたがって富が創造され、生産諸力が発展する関係である、ということをほのめかす。ゆえに、これらの関係は、それ自体が時代の影響と無関係な自然法則である。つねに社会を規制すべき永久的な諸法則である。かくて、かつては若干の歴史が存在した。しかしもはや歴史は存在しない。かつては若干の歴史が存在した。というのは、封建制の諸制度がかつて存在したからであり、また、これらの封建制の諸制度のなかには、経済学者たちがそれを自然的なもの、したがって永久的なものと思いこませようとするところの、ブルジョア社会の生産諸関係とはまったく異なる生産諸関係が見いだされるからである。〉(全集4巻143-4頁、しかし本文は国民文庫版から)
 
 次に『経済学批判』「序言」の一文も紹介しておきます。

 〈私にとって明らかとなった、そしてひとたび自分のものになってからは私の研究にとって導きの糸として役だった一般的結論は、簡単にいえば次のように定式化することができる。人間は、彼らの生活の社会的生産において、一定の、必然的な、彼らの意志から独立した諸関係に、すなわち、彼らの物質的生産語力の一定の発展段階に対応する生産諸関係にはいる。これらの生産諸関係の総体は、社会の経済的構造を形成する。これが実在的土台であり、その上に一つの法律的および政治的上部構造が立ち、そしてこの土台に一定の社会的諸意識形態が対応する。物質的生活の生産様式が、社会的、政治的および精神的生活過程一般を制約する。人間の意識が彼らの存在を規定するのではなく、逆に彼らの社会的存在が彼らの意識を規定するのである。〉(全集第4巻6頁)

 ここでマルクスは〈アリストテレスのような大思想家でさえ奴隷労働の評価で誤った〉と述べていることについて、若干議論になりました。

 亀仙人は「等価形態」の次の一文がそれを示しているのではないか、と指摘しました。

 〈しかし、商品価値の形態では、すべての労働が同等な人間労働として、したがって同等と認められるものとして表現されているということを、アリストテレスは価値形態そのものから読みとることができなかったのであって、それは、ギリシアの社会が奴隷労働を基礎とし、したがって人間やその労働力の不等性を自然的基礎としていたからである。価値表現の秘密、すなわち人間労働一般であるがゆえの、またそのかぎりでの、すべての労働の同等性および同等な妥当性は、人間の同等性の概念がすでに民衆の先入見としての強固さをもつようになったときに、はじめてその謎を解かれることができるのである。しかし、そのようなことは、商品形態が労働生産物の一般的な形態であり、したがってまた商品所有者としての人間の相互の関係が支配的な社会的関係であるような社会において、はじめて可能なのである。アリストテレスの天才は、まさに、彼が諸商品の価値表現のうちに一つの同等性関係を発見しているということのうちに、光り輝いている。ただ、彼の生きていた社会の歴史的な限界が、ではこの同等性関係は「ほんとうは」なんであるのか、を彼が見つけだすことを妨げているだけである。〉(23a81頁)

 しかし他の人たちは、やや疑問を持っていたようです。

 また〈その暮しを立てた仕方・様式こそ、なぜ、古典古代では政治が、中世ではカトリックが主役を演じたかを説明する〉という部分について、まず〈古代世界では政治が……主役を演じたか〉については、次の一文が参考になります。

 〈アリストテレス。
 (なぜならば、主人――資本家――が主人としての実を示すのは、奴隷の獲得――労働を買う力を与える資本所有――においてではなく、奴隷の利用――生産過程での労働者の、今日では賃金労働者の、使用――においてだからである。)(だが、この知識は重大なものでも高尚なものでもない。)(すなわち、奴隷が仕方を心得ていなければならないこと、それを主人は命令することを心得ているべきである。)(主人が自分で骨を折る必要がない場合には監督者がこの名誉ある仕事を引き受けるのであって、主人自身は国務に従事したり哲学したりするのである。)(アリストテレス『政治学』、ベッカー絹、第一巻、第七章。)
 支配は、政治の領域でと同じように、経済の領域でも権力者たちに支配することの諸機能を課するということ、したがって経済の領域では彼らは労働力を消費することを心得ていなければならないということ、――こういうことをアリストテレスは率直な言葉で述べてから、さらにつけ加えて、この監督労働はあまりたいしたことでもないので、主人は、十分な資力ができさえすれば、このような骨折りをする「名誉」を監督者に任せてしまう、と言っているのである。〉(『資本論』第3部25a482-3頁)

 このように奴隷制社会では、奴隷を支配し、監督する機能が、つまり政治的諸機能が重要になるということではないかと思います。

 次に〈なぜ、……中世ではカトリックが主役を演じたか〉については、13パラグラフの次の一文が参考になるでしょう。

 〈暗いヨーロッパの中世に目を移そう。ここでは、独立した男の代わりに、だれもが依存しあっているのがみられる--農奴と領主と、臣下と君主と、俗人と聖職者とが。人格的依存が、物質的生産の社会的諸関係をも、その上に立つ生活領域をも性格づけている。しかし、まさに人格的依存関係が与えられた社会的基礎をなしているからこそ、労働も生産物も、それらの現実性とは異なる幻想的姿態をとる必要はない。それらは、夫役や貢納として社会的機構の中に入っていく。労働の現物形態が、商品生産の基礎上でのように労働の一般性ではなく労働の特殊性が、ここでは、労働の直接的に社会的な形態である。夫役労働も、商品を生産する労働と同じように、時間によってはかられるが、どの農奴も、彼が領主のために支出するのは彼の個人的労働力の一定量であるということを知っている。坊主どもに納めるべき十分の一税は、坊主の祝福よりもはっきりしている。〉

 また以前に紹介したエンゲルスの『フォイエルバッハ論』の次の一文も参考になると思います。

 〈中世においてはキリスト教は、封建制が発達するのとちょうど同じ歩調で封建制に照応した宗教となり、この制度に照応した封建的位階制度をもっていた。そしてブルジョアジーが台頭してきたとき、封建的なカトリック教に対抗してプロテスタント的異端が発展してきた。それはまず、南フランスの諸都市が最も繁栄していた時代に、そこのアルビ派のあいだで発展した。中世は、神学以外のイデオロギーのすべての形態――哲学、政治学、法学――を神学に併合して、これを神学の部門としていた。そのために、中世では、どの社会的運動も政治的運動も神学的形態をとるほかはなかった。大衆の気持はもっぱら宗教でやしなわれていたから、大きなあらしをまきおこすためには、大衆自身の利益も宗教的に扮装してもちださなければならなかったのである。〉(全集21巻同309頁)

 〈ローマ共和政の歴史をほとんど知らなくても、土地所有〔Grundeigentum〕の歴史がその裏面史をなしていることくらいはわかる〉という部分については、次の『資本論』の一文が参考になると思います。

 〈古代ローマのことが思い出されるであろう。「富者たちは不分割地の最大部分をわがものとしていた。彼らは、当時の事情から、それらの土地が再び彼らから取り上げられるおそれはないだろうと信じていたので、付近にある貧民の地片をあるいは合意によって買い取り、あるいは暴力によって奪い取り、こうして彼らはその後は個々の耕地ではなくただずっと広大な領地だけを耕作するようになった。そのさい、彼らは農耕や牧畜に奴隷を使用した。なぜならば、自由民は、彼らの手から取り上げられて労働から兵役に移されるおそれがあったからである。奴隷は兵役を免れていたので不安なく繁殖することができてたくさんの子供をつくったというかぎりでも、奴隷を所有することは彼らに大きな利益をもたらした。こうして、強者たちはありとあらゆる富を自分に引き寄せ、全土に奴隷が充満した。これに反して、イタリア人は貧困や貢租や兵役にすり減らされて、ますます少なくなった。そして、平和の時代になっても、彼らは完全な無為に運命づけられていた。というのは、富者が土地を握っていて、自由民のかわりに奴隷を農業に使用したからである。」(アピアン『ローマの内乱』、第一部、第七章。)この箇所はリキニウス法〔167〕以前の時代に関するものである。ローマの平民の没落をこんなにも速めた兵役は、カール大帝がドイツの自由農民の隷農化や農奴化を温室的に促進するために用いた一つの主要手段でもあったのである。〉(23b950頁)

 (【付属資料】は「その3」を参照)

 

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第42回「『資本論』を読む会」の報告(その3)

2012-02-01 02:24:03 | 『資本論』

第42回「『資本論』を読む会」の報告(その3)

 

【付属資料】

●第17パラグラフに関するもの

《初版本文》

 〈ところで、経済学は、たとい不完全であっても(27)、なるほど価値と価値量とを分析してきた。経済学は、なぜ労働が価値のなかに表わされ、労働の継続時間による労働の計量が価値量のなかに表わされるか、という問題さえ、いまだかつて提起したことがなかった。生産過程が人聞を支配していて人聞がまだ生産過程を支配していないところの社会組織に自分たちが所属していることを、自分たちの額(ヒタイ)に書き記している譜形態は、経済学のブルジョア的な意識にとっては、生産労働そのものと全く同じように自明的な自然必然性として、認められている。だから、社会的な生産有機体の前ブルジョア的な諸形態が経済学の手で取り扱われているのは、たとえばキリスト教以前の諸宗教が教父たちの手で取り扱われているのと、同じことである(28)〉(江夏訳65頁)

《フランス語版》

 〈きわめて不完全なやり方ではあるが、経済学は確かに、価値と価値量とを分析した(31)。だが、なぜ労働が価値のうちに現われ、労働時間による労働の測定が生産物価値の量のうちに現われるかは、経済学が一度も問題にしたことがない。生産諸形態が次のような時代、すなわち、生産と生産関係が人間によって支配されずに人間を支配する社会的な時代、に属していることが一見して明らかなばあい、これらの生産諸形態は、人間のブルジョア的意識にとっては、生産労働そのものと全く同じくらいに、自然的必然性であるように見える。教父がキリスト教に先行した諸宗教を扱ったのと同じように、経済学がブルジョア的生産に先行した社会的生産諸形態を扱っていることは、別に驚くにはあたらない。(32)〉(55-56頁)

●注31に関するもの

《初版本文》

 〈(27)リカードが行なう価値量分析の不充分さ--といっても、最良の分析であるが--は、本書の第三部および第四部から判断されるであろう。だが、価値一般にかんして言えば、古典派経済学は、価値のなかに現われている労働を、この労働の生産物の使用価値のなかに現われているかぎりでの同じ労働から、どこでも、はっきりと、明瞭に意識して、区別していない。古典派経済学はもちろん、労働をあるときには量的に別のときには質的に観察しているのであるから、じっさいにはこの区別を行なっている。しかし、古典派経済学は次のようなことには考えついていない。すなわち、諸労働のたんに量的なちがいは、それらの質的な一元性あるいは同等性を、したがって抽象的な人間的な、労働への・それらの還元を、前提にしているということ。たとえばリカードは、デステュット・トラシが次のように言うとき、彼に同意していると表明している。「われわれの肉体的および精神的な諸能力だけがわれわれの根源的な富であるということは確かであるから、これらの能力の使用であるなんらかの種類の労働は、われわれの根源的な財宝である。そして、われわれが富と呼ぶいっさいの物は、いつでも、これを使用することによって作り出されている。……これらの物はすべて、これらの物を作り出した労働を表わしているにすぎない、ということもまた確かである。そして、これらの物が一つの価値をもっていればまたは二つのちがった価値をさえもっていても、これらの物は、こういった価値を、これらの物の根源である労働のそれ(価値)から導き出すことができるだけのことなのだ。」(リカード『経済学原理。第三版。ロンドン、一八一二年』、三三四ページ。)われわれが示唆するのは、リカードが彼自身のいっそう奥深い意味をデステュットに押しかぶせている、ということでしかない。デステュットは、実のところ、確かに、一方では、富を形成しているすべての物は「それらの物を作り出した労働を表わしている」と言いながら、他方では、それらの物はそれらの「二つのちがった価値」(使用価値と交換価値)を「労働の価値」から得ていると言う。こうして、ある商品(ここでは労働)の価値を前提しておいて、このことによってあとから別の諸商品の価値を規定する、という俗流経済学の浅薄さに陥っている。リカードは、使用価値のなかにも交換価値のなかにも労働(労働の価値ではない)が表わされているというように、デステュットを読んでいる。ところが、リカード自身は、二重に表わされている労働二面的な性格をほとんど区別していないために、「価値と富、両者を区別する諸属性」という章全体にわたって、J・セーのような男の浅薄さと争うのに苦労せざるをえないことになる。したがってまた、最後に彼は、デステュットが、価値源泉としての労働については確かに自分自身と一致しているのに、価値概念についてはセーと一致していることに、すっかり驚いている。〉(江夏訳64-5頁)

《フランス語版》

 〈(31) ウィリァム・ペティ以後に価値をその真実の内容に還元した最初の経済学者の一入である、かの著名なフランクリンは、ブルジョァ経済学が行なう分析のやり方の一例を、われわれに提供していると言ってもよい。彼は言う。「交易一般とは労働と労働との交換にほかならないから、すべての物の価値は労働によって最も正確に評価される」(スパークス編『ペンジャミン・フランクリン等の労作』、ボストン、一八三六年、第二巻、二六七ページ)。フランクリンは、物が価値をもつのは、物体が重量をもつのと全く同じように自然である、と思っている。彼の観点からすれば、この価値がどのようにして最大限正確に評価されるかを見出すことだけが、問題なのである。彼は、「どんな物の価値も労働によって最も正確に評価される」と述べながら、交換される労働の差異を捨象して同等な人間労働に還元していることに気づいてさえいない。彼はこれとはちがってこう言うべきであったろう。長靴または短靴と机との交換は、靴製造と指物細工との交換にほかならないから、長靴の価値が最も正確に評価されるのは指物師の労働によってである! と。彼は労働一般という言葉を用いることによって、さまざまな労働の有用な性格と具体的な形態を捨象している。
 リヵードが価値量について与えた分析--これは最良のものである--の欠陥は、この著作の第三部と第四部で証明するであろう。価値一般にかんして、古典派経済学は、価値のうちに表わされている労働を、生産物の使用価値のうちに表わされているかぎりでの同じ労働から、けっしてはっきりと区別していない。古典派経済学は、労働を、あるばあいには質の観点で、あるばあいには量の観点で考察しているから、もちろん実際上この区別を行なっている。だが、諸労働のたんに量的でしかない相違は、それらの質的な一元性または同等性を、すなわち、諸労働の抽象的人間労働への還元を前提しているのだということは、この経済学の頭には浮ばない。リカードは、たとえばデステユット・ド・トラシが次のように言うとき、デステユットと同意見であると述べている。「われわれの肉体的、精神的力能は、われわれがもつ唯一の本源的な富であるということ、これらの力能の行使、すなわちなんらかの労働は、われわれの唯一の本源的な財宝であるということ、われわれが財産と呼ぶすべての物は、つねにこの行使から生まれるものであるということ……は確かであるから、これらすべての財産は、それらを産んだ労働を表わすだけであるということも、それらが一つの価値をもつならば、または二つの別々の価値をもつとしても、それらは、自分たちが生まれ出てきた労働の価値からのみこれらの価値を引き出しうるということも、同様に確かである」(デステユット・ド・トラシ『イデオロジー要論』、第四部および第五部、パリ、一八二六年、三五、三六ページ)。リカードがデステユットの言葉に余りにも深すぎる意味をもたせていることだけを、つけ加えておく。デステユットは一方では、富を形成する諸物がそれらの物を創造した労働を表わすと言いながら、他方では、それらの物がそれらの二つのちがった価値(使用価値と交換価値) を労働の価値から引き出すと主張する。こうして彼は、一商品の(たとえば労働の) 価値をあらかじめ承認しておいて別の商品の価値を規定するという俗流経済学の浅薄さに陥っている。
 リカードは、あたかもデステユットが、労働(その価値ではない) は使用価値のなかにも交換価値のなかにも同じように表わされている、と述べたかのように、デステユットを理解している。だが、リカード自身は、労働の二面性をほとんど識別していないので、「価値と富」という章全体にわたって、J・B・セーなる男の陳腐さとつぎつぎに論争せざるをえなくなった。したがって、結局のところ、リカードは、価値源泉としての労働についてはデステユットと同意見であるが、そのデステユットが他方で価値についてはセーと同じ概念を抱いていることに、すっかり驚いている。〉(56-57頁)

●注32に関するもの

《初版本文》

 〈(24) 古典派経済学の根本欠陥の一つは、この経済学が、商品の分析から、いっそう特殊的には商品価値の分析から、商品価値をまさに交換価値にするところの価値の形態を見つけ出す、ということに成功しなかったことである。A・スミスやリカードのような古典派経済学の最良の代表者たちにおいてさえ、古典派経済学は、価値形態を、全くどうでもよいものとして、あるいは、商品そのものの性質には外的なものとして、取り扱っている。その理由は、価値量の分析が古典派経済学の注意をすっかり奪ってしまった、ということにあるだけではない。その理由はもっと奥深いところにある。労働生産物の価値形態は、ブルジョア的生産様式の最も抽象的だがまた最も一般的な形態であって、このことによって、この生産様式は、社会的な生産様式の一つの特殊な様式として、したがって、また同時に歴史的に、特徴づけられている。だから、この生産様式を社会的な生産の永久的な自然形態と見誤るならば、必然的に、価値形態の、したがって商品形態の、さらに発展しては、貨幣形態や資本形態等々の、独自性をも、見落とすことになる。だから、労働時間による価値量の計量については全く同意見である経済学者たちのあいだには、貨幣すなわち一般的な等価物の完成した姿について、きわめて雑多できわめて矛盾している考えが、見いだされる。このことは、たとえば、貨幣のありふれた定義ではもはや間にあわない銀行制度の取り扱いにさいして、的確に現われてくる。このことから、反対に、復活した重商主義(ガニル等々)が生じたのであって、この重商主義は、価値のうちに、社会的な形態だけを、またはむしろ、この形態の・実体を欠いた仮象だけを、見ているのである。--きっぱりと注意しておくが、俗流経済学に対立して私が古典派経済学であると理解しているものは、ブルジョア的な生産諸関係の内的な関連を研究する、W・ペティ以後のすべての経済学のことであり、俗流経済学のほうは、外観上の関連のなかだけをうろついていて、いわばこの上なく大ざっぱな現象のもっともらしい説明とブルジョアの自家用とのために、科学的な経済学がはるか以前に提供した素材を絶えずあらためて反芻しているのであるが、それはともかく、ブルジョア的生産当事者たち自身の最良の世界について彼らが抱いている陳腐でひとりよがりの考えを、体系づけ、学者ぶってひけらかし、永遠の真理として宣言する、ということだけにとどまっているのである。〉(江夏訳58-9頁)

★重商主義について

  【ー般に重商主義とは.16~18世紀にわたる資本の〈本源的蓄積〉の時期にあらわれた経済政策および経済理論書の総称である。……重商主義政策の基本的主体は絶対主義的形態をもつ国家であり,それは〈商人資本〉の運動に支援されながらいわゆる本源的蓄積のための諸政策を暴力的に遂行する。この時期には,すでに大市場の形成がなされており,〈世界市場〉が発生し,商業資本はみずから生産に関与して小生産者を駆逐するにいたり,一方種々なる形の〈マニュファクチァ〉が発生した.国家は,貿易差額を大ならしめ国内の貨幣を増加させるために,輸出産業を奨励・統制し.労働日の延長と労賃の固定化を目的とする労働立法を制定した。……だが重商主義が,商業資本の運動において自立化した流通過程の表面的現象から出発して,それゆえに経済上の仮象のみをとりあげたことは,己の学説の根本的限界をなしている.……たとえば,剰余価値を剰余貨幣,つまり貿易差額の過剰分で表示したり.貨幣をそのまま資本だとみたりしたのは,そうした誤りにもとづいている。それゆえに重商主義的学説は,価値のうちにただ社会的形態の実体なき仮象のみをみたり貨幣や資本の形態規定性をそのまま一面的に説明することによって,ブルジョア社会の外面的特徴を端的につかみだすことに成坊したとはいえ,そうした現象の背後にひそむ本質的生産諸関係を洞察するまでには至らなかったのであり,そのために〈古典派経済学〉からの批判を受けることになるのである。】(石垣博美)(資本論辞典238-9頁)
 
 こうした重商主義者に対して、その〈近代的な蒸し返し屋〉といわれている、フェリエやガニルは、第一次フランス帝政の時代に帝政を擁護し、また帝政の公職について、ボナパルトの貿易禁止制度の賛美者であったと言われています。古典派経済学は価値形態に注意を払わなかったとマルクスは指摘していますが(後述参照)、彼らは逆に諸商品の価値とその大きさを、交換価値、あるいは価値形態から説明したのです。
 これに対して、彼らの保護貿易主義とは正反対の自由貿易主義の立場に立つバスティアは〈価値は交換されたサーヴィスの比例である〉とし、商品の価値も価値の大きさも交換関係による表現のうち以外には存在しない立場をとったと言われています(以上、第24回報告の付属資料参照http://blog.goo.ne.jp/sihonron/e/0cae37f317b0f62882b0f5fa5703dead)〉

★ガニルについて

ガニール  Charles Ganilh(1758-1836)フランスの経済学者・金融評論家で,新重商主義者.フランス革命時代およびその後のナポレオン帝政時代に多くの公職につく.当時のフランス金融事情にかんする歴史的著作がおそらくもっとも重要なものであるうが,なおその他の経済学の著書とは別に,《Dictionnaire analytique d'economie politique》(1826)を書いている.これは多はの難点をもち,当時一般の注意を惹いた問題を知りうる程度のものである.マルクスが直接引用している主著は,《Des systèms d'économie po1itque,de la valeur comparative de leurs doctrines,et de celle qui parait la plus favorable aux.progres de la richesse》(led.,1809:2ed.1821)の再販本である.新重商主義的主張を内容とし,マルタ旦は‘復活した重商主義'とよび,彼を重商主義の‘近代的な蒸しかえし屋'あるいはフェリエとともに‘帝政時代の経済学者'と評価した.
 批判は,まずガニールが,寓は交換価値からなり,貨幣--貨幣たるかぎりの商品--だとして,商品の価値を交換の生産物と考えた重商主義的見解に向けられ,それは商品の価値形態から逆に価値が生ずるとする誤れる見方であり,けっきよし価値の実体を見ることなく,価値のうちにただ商品経済の社会的形態のみを,あるいは実体なきその仮象のみを見るものとした(k1-66.87.98;青木1-164~155.155.185.203;岩波1-121~122,158.181.MWI第4章第8項). なお富は交換価値からなるという見方に関連して,『剰余価値学説史』では,ガニールが,生底的・不生産的労働の区別をも交換によって判断し,労賃の支払われる労働は,非物質的生産に従事する労働や召使などの労働といえども,すべて生産的労働であるとして,スミスの生産的・不生産的労働の区別を論破しようとしたことを,ガルエル,ローダデールの説と同様,‘まったくくだらない話'であり‘大衆文芸的論議" ‘教養ある饒舌にすぎない'としている(MWI第4章第8項および262:青木2-285~300,428-429),そしてガニールは,ガルニエが重商主義に逆戻りすると同様.重商主義に逆戻りし.重商主義の‘剰余価値'にかんする見解を,はっきりさせたとされる(MWI-168;青木2-287),さらに,機械採用の自然的必然的作用として,彼が,労働人口は絶対的に減少し,‘純生産物で生活する人口'数は増加すると考え,こうした仕方で人類は向上するのだとじて,生産的人口の減少に味方したことを批判している(KI-471:青木3-720~721 :岩波3-238~239.MWI第4章第9項). なお,資料的には,『資本論』第1巻第4章で,労賃の後払いが可能になった瞬間に,商業信用が始まったとする彼の文章を引用している(KI-182:青木2-325;岩波2-70).また同じく第5章では,農業で労働手段として土地を利用するのに,前提となるべき緒労働過程の大きな系列を彼が適切に数えあげていると指摘している(KI-187:青木2-333;岩波2-70).この指摘は.さきの彼の主著と異なり,『剰余価値説史』でマルクスが‘未見の書'とした彼の《Théorie de l'economie politique,etc.》(1815)によっている.(資本論辞典481頁)

★また『学説史』26 I にはシャルル・ガニルについて、「交換および交換価値に関する重商主義的見解」と題して、取り扱われている(26 I 232-240)
 〈ところが、ガニルは、重商主義者とともに、価値の大きさそのものが交換の産物だと思い込んでいる。けれども、生産物が交換を通して受け取るのは、価値の形態または商品の形態にすぎないのである。〉(同235頁)

●注33に関するもの

《初版本文》

 〈(28)「経済学者たちは奇妙なやり方をするものだ。彼らにとっては、人為的な制度と自然的な制度という二種類の制度しかない。封建制の制度は人為的な制度であり、ブルジョアジーの制度は自然的な制度である。彼らは、この点では、同じく二種類の宗教をうちたてる神学者たちに似ている。神学者たちの宗教でない宗教はどれも、人聞の発明品であるが、彼ら自身の宗教は神の啓示である。--それゆえに、かつては歴史があったがもはや歴史はない。」(カール・マルクス『哲学の貧困。プルードン氏の貧困の哲学に答えて。一八四七年』、一一三ページ。)古代のギリシア人やローマ人が略奪だけで生きていたと思っているバスティア氏は、ほんとうにおかしな男だ。人聞が幾世紀も略奪によって生きているとすれば、やっぱり、いつでもそこには略奪されるものがあらねばならないか、それとも、略奪の対象が絶えず再生産されていなければならない。だから、ギリシア人やローマ人も、ある生産過程を、したがってある経済をもっており、その経済は、ブルジョア経済が今日の世界の物質的な基礎を成しているのと全く同じように、彼らの世界の物質的な基礎を成していた、と思われるのである。さもなければ、バスティアは、もしや、奴隷労働にもとづく生産様式が略奪体制を土台にしているとでも思っているのだろうか? そうなると、彼は危険な地盤の上に身を置いていることになる。アリストテレスのような思想の巨人が奴隷労働の評価では遂を誤ったのに、どうして、バスティアのような小人の経済学者が賃労働の評価で正しい道を行けるはずがあろうか?--私はこの機会をとらえて、私の著作『経済学批判。一八五九年』の発刊のさいにアメリカのあるドイツ語新聞が私に向かって唱えた異議を、すげなくはねつけておこう。同紙は次のように述べた。私の見解、すなわち、特定の生産様式とそのつどこれに対応している生産諸関係、簡単に言えば「社会の経済構造は、法律的および政治的な上部構造がその上にそびえ立ち、特定の社会的意識形態がそれに対応しているところの、現実の基礎である」ということ、「物質的生活の生産様式が、社会的、政治的、精神的な生活過程一般を制約している」ということ、--これらすべてのことは、物質的な利害関係が支配している今日の世界にとっては、確かに正しいが、カトリック教が支配していた中世にとっても、政治が支配していたアテネやローマにとっても、正しくはない、と。第一に奇怪なのは、中世や古代世界についてのこの天下周知のきまり文句が誰かある人には知られていないと前提して喜んでいる者がいる、ということだ。中世はカトリック教によって生きてゆくことができなかったし、古代世界は政治によって生きてゆくことができなかった、ということだけは明らかである。これとは逆に、中世や古代世界がその生活を獲得したやり方は、なぜ、前者では政治が、後者ではカトリック教が、主役を演じたか、を明らかにしている。さらに、たとえば、ローマ共和国の歴史をほんのわずかでも知っていれば、土地所有の歴史がこの国の秘史を成していることがわかる。他方、遍歴騎士道が社会のどんな経済形態とも一様に両立すると妄想した誤りにたいしては、ドン・キホーテがすでに罰を受けてしまっている。〉(江夏訳65-6頁)

《フランス語版》

 〈(32) 「経済学者たちは奇妙なやり方をする。彼らにとっては、人為的制度と自然的制度という二種類の制度しかない。封建制の制度は人為的制度であり、ブルジョアジーの制度は自然的制度である。彼らはこの点では神学者たちに似ているのであって、神学者たちも二種類の宗教をうちたてている。彼らの宗教でない宗教はどれも人間の発明であるが、彼ら自身の宗教は神の啓示である。それゆえに、かつては歴史があったが、もはや歴史はない」(カール・マルクス『哲学の貧困。プルードン氏の貧困の哲学に答えて』、一八四七年、一一三ページ)。バスティアはこの上なく滑稽であって、ギリシア人とローマ人は掠奪だけで生活していたと想像している。だが、人が数世紀ものあいだ掠奪で生活するばあいには、それでもなお、取りあげるべぎあるものがつねに存在していなけれぱならないか、あるいは、絶えることのない掠奪の対象が不断に更新されなければならない。だから、ギリシア人もローマ人も、自分たちに属する自分たちの生産方式、したがって一つの経済をもっていた、と思わなければならないが、この経済は、ブルジョア経済が今日の社会の物質的基礎を成しているのと全く同じように、彼らの社会の物質的基礎を成していたのである。それともまたバスティアは、奴隷労働にもとつく生産様式が掠奪体制であると考えているのだろうか? そうなると、彼は危険な地盤の上に立っていることになる。アリストテレスのような大思想家が、奴隷労働の評価では思いちがいがありえたのに、どうしてバスティアのような小人が、賃労働の評価で誤りを犯さないであろうか? 私はこの機会をとらえ、一八五九年に刊行された私の著作『経済学批判』にかんしアメリカのあるドイツ語新聞が私に加えた反論について、若干言及しておく。この新聞によると、私の見解、すなわち、一定の生産様式とこれから生ずる社会的関係、一言にしていえば社会の経済構造は、法制的および政治的な機構があとでその上にうちたてられるところの現実的な土台であるから、物質的生活の生産様式が一般に社会的、政治的、知的生活の発展を支配するという私の見解は、物質的利害が支配している現代の世界にとっては正しいが、カトリック教が支配していた中世にとっても、政治が支配していたアテネやローマにとっても正しくない、というのである。まず奇妙なのは、中世と古代にかんするこの使い古された陳腐な語法を誰かが知らないと前提して喜ぶ男がいる、ということだ。中世がカトリック教によって、古代が政治によって生活できなかったことは、明白である。当時の経済条件は逆に、なぜ中世ではカトリック教が、古代では政治が主役を演じたか、を説明している。たとえば、ローマ共和国の歴史をほんのわずか知っても、この歴史の秘密が土地所有の歴史であることがわかる。他方、誰でも知っているように、ドン・キホーテはとっくの昔に、遍歴の騎士道が社会のすべての経済形態と両立すると信じたことを後悔せざるをえなかったのだ。〉(57-58頁)

★バスティアについて

バスティア(1801-1850) フランスの俗流経済学者で自由貿易論者.南フランスの葡萄栽培地方の貿易商の子に生まれ,1840年代のイギリス穀物法闘争に刺戟されて,盛んに自由貿易論を主張《Journal des Economistes》に寄稿したり,ボルドーやパリーに自由通商協会を段立して協会機関誌《La Liberte des Echanges》を創刊,その編集者となる等の活動をした,1848年2月革命以後は社会主義の反対者として,ルイ・ブラン,プルドン等を批判してパンフレットを書き,憲法制定議会議員,立法議会議員となった.主著《Les harmonies economiques》(1850)を出版後.イタリアに赴きローマで死す.
 その主著にみられるように,彼はセー以上に徹底した楽観的な経済的調和論者であり,古典派経済学の弁援者であった.マルクスは,セーにはまだ不偏不党の態度から彼自身で経済的諸問題の解決に努力している跡がみられるが,パスティアになると,もともと調和論者であり,剽窃をこととし支配階級にとって不愉快な古典派経済学の側面はきりすて,皮相なやり方でその階級のために情熱的な弁護をやっていると批判した(MWIII-573-574:改造社版全集11-565).というのは,彼は,ケアリーと同じように,資本主義的生産の現実的諸対立を実はそれがりリカードなどが経済理論の内部でつくり出したものだと考え(MWIII同上箇所.KI-590;青木3-880 :岩波3-431),資本主義的生産諸関係とそれらの敵対作用をみることなく,そのもっとも表面的でもっとも拍象的な状態,つまりそれ自身として考察された単純なる商品流通にみられる‘自由と平等と“労働"にもとづく所有の王国'を真理だと考えたからである(Briefe uber “Das Kapital”91:国民上88).そして彼は,プルジョア社会は自然的制度であり.それ以前の社会は人為的制度であると考え,たとえば古代のギリシャ人やローマ人は強奪によってのみ生活していたとしている(KI-87;青木1-186:岩波1-159).バスティアのこの皮相さは,一方では,同様に無批判な経済学者であり保護貿易論者であるケアリーと相通ずるものであり(K1 -590-591:青木3-880-881・岩浪3-431),剽窃問題までも,起したのであるが,他方,それは彼の経済理論が‘サーヴィス'という範疇を基礎としている点に明瞭にみられる.彼は,人聞のすべてのサーヴィスが生産的であるとし,価値は交換されたサーグィスの比例であるとした.マルクスはその点を批判してつぎのようにいう.だからバスティアにとっては,商品の価値も価値の大いきも交換関係による表現のうち以外には実存しない,したがって日々の価格表の番付けのうちにのみ実存することとなる(KI-66;青木1-154:岩波1-122).ところで,サーヴィス(役立ち)とは,商品のであれ労働のであれ,実はある使用価値の有用的な働き以外のなにものでもない.そして交換価値をきめるものは,そのような商品や労働が使用価値として行なうサーヴィスではなく,商品が生産されるさいにその商品自身に向かつてなされるサーヴィス,つまりそれを生産するに必要な労働なのである.たとえば,ある機械の交換価値は,その機械をもって短縮しうる労働時間の量によってきまるのではなくて,その機械あるいはそれと同一種類の機械を生産するのに必要な労働時間の量によってきまるのである.バスティアは.交換価値をその労働時聞に還元するのではなく,サーヴィスの交換に解消する,かくして労働生産物が商品として交換される特殊な形態規定性は捨象されてしまうことになる,と(Kr31:岩波36:国民28-29:選集補3.21:青木41-42).またバスティアは,利潤・利子も, シーニァ的な資本家の節約によるサーヴィスにたいする報酬として,地代も土地所有者の土地提供のサーヴィスにたいする報酬と考えた.
 『資本論』および『剰余価値学説史』第3部のプルドンの利子論の箇所では,無償信用をめぐる彼とプルドンとの利子生み資本にかんする論争書《Gratuité du Credit. Discusson entre M. Fr. Bastiat et M. Proudhon 》(1850)がとりあげられているが,そこでは一方的にプルドンの批判に力点が置かれている(KIII-378~380;青木10-490~493:岩波10-18~22.MWIII附録第I項).『剰余価値学説史』第3 部のルターの高利子輸の項では,バスティアが利子をサーヴィスにたいする報酬として,セーと同様に弁護していること,ここにわれわれはすでに'各人は他の人に役立つ'という理解からする競争鋭または調和説を見出すとされている(MWIII-591:改造社版全集11-583).バスティアは,自由競争下では等しいサーヴィスの交換が行なわれ,社会の進歩とともにより少ないサーヴィスをもってより多い富が獲得され,祉会は神の摂理によって調和的に発展すると考えていた.(資本論辞典531-2頁)

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