『資本論』学習資料室

泉州で開催された「『資本論』を読む会」の4年余りの記録です。『資本論』の学習に役立たせてください。

第19回「『資本論』を読む会」の報告(その1)

2009-12-22 21:23:08 | 『資本論』

第19回「『資本論』を読む会」の報告(その1)

 

◎“師走”

 「師走」『語源由来辞典』によると、当て字で、語源は諸説あるそうで、正確なものは未詳だそうです。しかし主なものとしては、師匠の僧がお経をあげるために、東西を馳せる月という意味があるようです。それ以外には、「年が果てる」意味の「年果つ(としはつ)」が変化したとするものや、「四季の果てる月」を意味する「四極(しはつ)」からとする説、あるいは「一年の最後になし終える」意味の「為果つ(しはつ)」からとする説などがあるということです。

 ところで「師走」だからというわけでもないのでしょうが、第19回「『資本論』を読む会」は何とも慌ただしく、あっというまに終わってしまいました。だからあまり報告することもない状態なので、実は、報告者は困っている次第なのです。

 今回は「b 相対的価値形態の量的規定性」をすべて終えました。この部分は確かにあまり難しい問題はない所ではあるのですが、しかしそれにしても簡単にやり過ぎのように、報告者には思えました。

 だから報告担当の亀仙人は、敢えて難しい問題をぶつけてみました。すなわち、現行版の『資本論』では(初版付録もそうですが)、「相対的価値形態の内実」のあとに、「量的規定性」が考察されているが、初版本文では量的規定性が考察されたあとに相対的価値形態が考察されていること、また相対的価値形態の考察もその展開は現行版や初版付録とは一見すると逆の展開になっているように見えるが、これはどうしてなのか、という問題です。これは初版本文の論理的展開はどうなっているのか、という問題とも関連して(しかもマルクス自身は、本文の敍述こそ《弁証法が……はるかに鮮明》だと、初版序文で書いているわけです)、大変、興味深いテーマではありますが、しかし、やはりこれはあまりにも問題が横道に逸れ過ぎるので、またその機会があれば、論じることにして、今回は割愛したいと思います(どこかの誰かさんが「報告が長すぎる」とブツクサ言っていることもありますし)。

◎各パラグラフごとの検討

 とにかくこれまで通り、パラグラフごとに簡単な解説を書いておくことにしましょう。ただ今回は、分節ごとの詳細な解読は不要と考えて、パラグラフごとに全体を解説することにします。これまで通り、最初にパラグラフ全体を紹介し、そのあとに解説をつけるという順序で行なうことにします。また関連資料は最後に回します。

【1パラグラフ】

 《その価値が表現されるべき商品は、どれも、与えられた量のある使用対象--15シェッフェルの小麦、100ポンドのコーヒーなど--である。この与えられた商品量は、一定量の人間労働を含んでいる。したがって、価値形態は、単に価値一般だけではなく、量的に規定された価値、すなわち価値の大きさをも表現しなければならない。したがって、商品Bに対する商品Aの、上着に対するリンネルの、価値関係においては、上着という商品種類は、単に価値体一般として、リンネルに質的に等置されるだけではなく、一定量のリンネル、たとえば20エレのリンネルに対して、一定量の価値体または等価物、たとえば一着の上着が等置されるのである。》

・まずこれまで考察してきた商品の価値の表現においては、二つの商品の等置関係の質的な面だけが考察されてきましたが、しかし実際には、その価値が表現される商品は、どれもある与えられた分量の使用対象なわけです。
 第1章では、《鉄、紙などいっさいの有用物は、二重の観点から、質および量の観点から、考察されなければならない。このような物はどれも、多くの属性からなる一つの全体であり、したがって、さまざまな面で有用でありえる。これらのさまざまな面と、したがって物のいろいろな使用の仕方とを発見することは、歴史的な行為である。有用物の量をはかる社会的尺度を見つけだすこともそうである。諸商品尺度の相違は、一部は、はかられる対象の性質の相違から生じ、一部は、慣習から生じる》とされ、《使用価値の考察に際しては、一ダースの時計、一エレのリンネル〔亜麻布〕、一トンの鉄などのようなその量的規定性がつねに前提されている》と指摘されていました。
 ここでは《15シェッフェルの小麦、100ポンドのコーヒーなど》が例として上げらています。ここで《シェッフェル》というのは、新日本新書版の解説によれば、「古い穀物単位」であり、その値は地域によって異なるが、1シェッフェルは23-223リットルと極めて大きな幅があることが紹介されており、プロイセンでは54.96リットルだとの説明があります。
・こうした一定量の商品は、だから一定量の人間労働を含んでいるわけです。つまり一定の価値の大きさをもっているわけです。
・だからわれわれがこれまで見てきた、価値の相対的表現である、価値形態は、単に価値一般だけでなく、量的に規定された価値、つまり価値の大きさも表現しなければならないというわけです。
・したがって、商品Bに対する商品Aの、上着に対するリンネルの、価値関係においては、上着は価値体一般としてリンネルに質的に等置されたのですが、一定量のリンネル、例えば20エレのリンネルに対しては、一定量の価値体または等価物として、例えば一着の上着が等置されるというわけです。
 要するに、ここでは、われわれはこれまで相対的価値形態の質的側面を見ることによって、その内実を明らかにすることが出来たのですが、今度は、それらは同時に量的規定性をもったものであることが再確認されていると言えるでしょう。

【2パラ】

 《「20エレのリンネル=1着の上着 または、20エレのリンネルは一着の上着に値する」という等式の前提にあるのは、一着の上着には20エレのリンネルにひそんでいるのとまったく同じ量の価値実体がひそんでいること、すなわち、両方の商品量は等しい量の労働または等しい大きさの労働時間を費やさせることである。ところが、20エレのリンネルまたは一着の上着の生産に必要な労働時間は、織布労働または裁縫労働の生産力が変動するたびに、変動する。そこで、このような変動が価値の大きさの相対的表現に与える影響について立ちいって研究しなければならない。》

・「20エレのリンネル=1着の上着 または、20エレのリンネルは一着の上着に値する」という等式の前提にあるのは、二つの商品にはまったく同じ量の価値の実体、抽象的人間労働の凝固がひそんでいるということです。つまり両方の商品の二つのそれぞれの量の生産のためには、等しい量の人間労働、または等しい大きさの労働時間が必要だということです。
・しかし、20エレのリンネルあるいは一着の上着の生産に必要な労働時間は、織布労働または裁縫労働の生産力が変われば、変化します。だから、こうした変化が価値の大きさの相対的表現にどのような影響を与えるのかを立ち入って研究する必要があるということです。

 ここでは、「20エレのリンネル=1着の上着」という等式においては、確かに二つのそれぞれの量の商品の価値が同じことを示していますが、しかし価値の大きさの表現としては、あくまでも一定量のリンネルの価値の大きさだけが表現されているのであって、一定量の上着の価値の大きさそのものは表現という点では問題にはなっていないこと、にもかかわらず、リンネルの価値の大きさの表現においても、上着の価値の大きさが関連してくるのだ、という指摘がありました。

【3】

 《 Ⅰ リンネルの価値は変動するが(19)、上着価値は不変のままである場合。たとえば、亜麻のとれる耕地〔Boden〕がますますやせた結果、リンネルの生産に必要な労働が二倍になるとすれば、リンネルの価値は二倍になる。今や一着の上着は20エレのリンネルの半分の労働時間を含むにすぎないから、20エレのリンネル=1着の上着 の代わりに、20エレのリンネル=2着の上着 となるであろう。これに対して、たとえば織機の改良によって、リンネルの生産に必要な労働時間が半分に減少すれば、リンネル価値は半分に低下する。それに応じて、今や、20エレのリンネル=1/2着の上着 となる。したがって、商品Aの相対的価値、すなわち商品Bで表現される商品Aの価値は、商品Bの価値が不変のままでも、商品Aの価値に正比例して、上昇または低下する。》

・ I  リンネルの価値の大きさは変動するが、上着の価値は不変である場合。
・それは例えば、亜麻が不作の結果、リンネルの生産に必要な労働時間が二倍になるならば、リンネルの価値も二倍になります。
・だから一着の上着は20エレのリンネルの半分の労働時間を含むに過ぎないから、20エレのリンネル=2着の上着という等式になります。
・これに反して、織機の改良によって、リンネルの生産に必要な労働時間が半分になれば、リンネルの価値は半分になり、よっていまや、20エレのリンネル=半分の上着となります。したがって、商品Aの相対的価値、つまり商品Bで表された商品のAの価値は、商品Bの価値が不変でも、商品Aの価値の変動に正比例して、上昇または下落するという結論がでてきます。

 ここでは「1/2着の上着」という表現がでてきますが、1/2着の上着は使用価値ではないということから、マルクスを批判する論者があることが所沢の「『資本論』を読む会」では問題になったようだという紹介があり、そこでの解説は見事であるという意見がありました。
http://shihonron.exblog.jp/9939276/を参照)

【4】

 《 Ⅱ リンネルの価値は不変のままであるが、上着価値が変動する場合。こうした事情のもとで、たとえば羊毛の刈りとりが思わしくないために、上着の生産に必要な労働時間が二倍になれば、20エレのリンネル=1着 の上着の代わりに、今や、20エレのリンネル=1/2着の上着 となるであろう。これに反して、上着の価値が半分に減少すれば、20エレのリンネル=2着の上着 となるであろう。だから、商品Aの価値が不変のままでも、商品Aの相対的な、商品Bで表現される価値は、Bの価値変動に逆比例して、低下または上昇する。》

・II リンネルの価値が不変で、上着の価値が変動する場合。
・羊毛の刈り取りが思わしくないために、上着の生産に必要な労働時間が二倍になると、価値が二倍になり、20エレのリンネル=1/2の上着 となります。
・これに反して、上着の価値が半分に減少すれば、20エレのリンネル=2着の上着 となります。
・だから、商品Aの価値が不変でも、商品Aの相対的な価値が、商品Bで表現される場合、商品Bの価値変動に逆比例して、それは上下するといえます。

【5】

 《 ⅠおよびⅡのもとでのさまざまの場合を比較してみると、相対的価値の大きさの同じ変動が正反対の原因から生じうることがわかる。実際、20エレのリンネル=1着の上着 は、(1)リンネルの価値が二倍になっても、上着の価値が半分に減少しても、20エレのリンネル=2着の上着 という等式になり、また、(2)リンネルの価値が半分に低下しても、上着の価値が二倍に上昇しても、20エレのリンネル=1/2着の上着 という等式になるのである。》

・ I とIIの場合におけるさまざまな場合を比較すると、相対的価値の大きさの同じ変動が正反対の原因から生じうることがわかります。例えば「20エレのリンネル=1着の上着」が「20エレのリンネル=1/2着の上着」に変動した場合、その原因は、一つは上着の価値は変わらないのに、リンネルの価値が半分になったからであり、もう一つはリンネルの価値に変化がないのに、上着の価値が二倍に上がったから、という二つの原因が考えられました。つまり一方は価値が下がったから、他方は価値が上がったから、同じ相対的価値の変動が生じたことになるわけです。
・実際、「20エレのリンネル=1着の上着」という等式は、(1)リンネル価値が二倍になっても、あるいは上着の価値が半分になっても、「20エレのリンネル=2着の上着」になる。(2)他方、リンネルの価値が半減しても、上着の価値が二倍になっても、「20エレのリンネル=1/2着の上着」という等式になります。

【6】

 《 Ⅲ リンネルおよび上着の生産に必要な労働量が、同時に同じ方向に、同じ比率で変動することもある。この場合には、これらの商品の価値がどんなに変動しようと、あい変わらず、20エレのリンネル=1着の上着 である。これらの商品の価値変動は、これらの商品を、価値が不変のままであった第三の商品と比較すれば、すぐにわかる。すべての商品の価値が、同時に、同じ比率で、上昇または低下すれば、それらの商品の相対的価値は不変のままであろう。これらの商品の現実の価値変動は、同じ労働時間内に、今や一般的に、以前よりも多量かまたは少量の商品量が供給されるということから見てとれるであろう。》

・リンネルと上着の生産に必要な労働量が、同時に同じ方向に、同じ比率で変動する場合。
・この場合には、二つの商品の価値がどんなに変動しようと、二つの商品で表される相対的価値の大きさには変動はありません。
・これらの価値の変化は、価値が不変な第三の商品と比較することによってわかります。
・すべての商品が、同時に、同じ比率で、上昇または低下するならば、それらの商品の相対的価値は不変のままです。
・これらの商品の価値の変動は、同じ労働時間内に、以前よりもより多くかより少ない商品量が供給されることから見ることができるということです。

【7】

 《 Ⅳ リンネルおよび上着の生産にそれぞれ必要な労働時間、したがってこれらの商品の価値が、同時に同じ方向に、しかし等しくない程度で変動するか、あるいは反対の方向に変動するなどなどのことがありえる。この種のありとあらゆる組あわせが一商品の相対的価値に与える影響は、Ⅰ、Ⅱ、およびⅢの場合を応用すれば、簡単にわかる。》

・IV リンネルおよび上着の生産に必要な労働時間が、よってそれらの価値が、同時に同じ方向に、しかし等しくない程度で変動したり、あるいは反対の方向に変動するなどのことはありえます。
・この種のありとあらゆる組み合わせが一つの商品の相対的価値に与える影響は、 I 、II、IIIのケースを応用すれば、簡単にわかるということです。

【8】

 《 こうして、価値の大きさの現実の変動は、価値の大きさの相対的表現または相対的価値の大きさには、明確にもあますところなしにも反映されはしない。一商品の相対的価値は、その商品の価値が不変のままでも、変動しうる。一商品の相対的価値は、その商品の価値が変動しても、不変のままでありえる。そして、最後に、一商品の価値の大きさとこの価値の大きさの相対的表現とが同時に変動しても、この変動が一致する必要は少しもない(20)。》

・こうして、実際の価値の変動は、その相対的表現、あるいは相対的価値の大きさには、明確に、忠実に反映されることはありません。
・一商品の相対的価値は、その商品の価値が不変でも変動するし、
・一商品の相対的価値は、その商品が変動しても、不変のままでありえます。
・だから最後に、一商品の価値の大きさとその相対的表現とが同時に変動しても、その変動が一致する必要はまったくないわけです。

【注20】

 《(20) 第2版への注。価値の大きさとその相対的表現とのこうした不一致は、俗流経済学によっていつもながらの鋭敏さで利用されてきた。たとえば、次のとおり。「Aと交換されるBが騰貴するために--そのあいだにAに支出される労働は減少していないのに--Aが低落するということをひとたび認めれば、諸君の一般的価値原理は崩壊する。・・・・もしも、Aの価値がBに対して相対的に上昇するので、Bの価値がAに対して相対的に低下するということが承認されるならば、リカードが、一商品の価値はそれに体現された労働の量によってつねに規定されるという、彼の大命題の基礎にすえた根拠が崩れさる。なぜなら、もしもAの費用におけるある変動が、Aと交換されるBとの関係におけるAそれ自身の価値を変化させるだけでなく、Bの生産に必要とされる労働量には何の変動も生じなかったのにBの価値をもAの価値に対して相対的に変化させるならば、その場合には、一つの物品に支出される労働量がその価値を規制するということを断言する学説が崩壊するだけでなく、一つの物品の生産費がその価値を規制するという学説も崩壊するからである」(J・ブロードハースト『経済学』、ロンドン、一八四二年、一一、一四ページ)。
・ ブロードハースト氏は、同じように、次のように言うこともできよう。どうか一つ、10/20、10/50、10/100等々という比をよく見たまえ。10という数は不変のままなのに、その比率上の大きさ、すなわち、20、50、100という分母に対するその相対的な大きさは、たえず減少している。だから、一つの整数、たとえば、10の大きさは、それに含まれる1という単位の数によって「規制」されているという大原理は崩壊する、と。》

 ここでは、商品の価値の相対的な表現が、その価値の変化を必ずしも忠実に表さないということから、だから商品の価値がそれに体現された労働の量によって規定されるというリカードの価値論の崩壊を主張するブロードバーストの誤りが、分数を例に使って、実に分かりやすく説明されています。

 (字数の関係で、関連資料は「その2」になります。)

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第19回「『資本論』を読む会」の報告(その2)

2009-12-22 21:01:27 | 『資本論』

第19回「『資本論』を読む会」の報告(その2)

 

【付属資料】

【表題】

《初版付録》--「d 価値関係のなかに含まれている相対的価値形態の量的な被規定性

【1】

《初版本文》

 《これまではただ価値の実体と価値の大きさとが規定されただけなので、今度は価値の形態の分析のほうに方向転換することにしよう。
 まず第一に、ふたたび商品価値の第一の現象形態に立ち帰ってみよう。
 二つの量の商品をとってみて、それらはそれらの生産に等しい労働時間がかかる、つまり、それらは等しい大きさの価値である、とすれば、40エレのリンネル=2着の上着、すなわち.40エレのリンネルは二着の上着に値する、ということになる。われわれが見るのは、リンネルの価値が一定量の上着で表現されている、ということである。ある一つの商品の価値は、このように別の一つの商品の使用価値で表わされている場合には、その商品の相対的な価値と呼ばれる。》

《初版付録》

 《とはいえ、20エレのリンネルは、ただ、価値一般、すなわち人間労働の凝固であるだけではなくて、それは特定の大きさの価値である。すなわち、それのなかには一定量の人間労働が対象化されている。それだから、上着にたいするリンネルの価値関係においては、上着という商品種類が、単に、価値体一般として、すなわち人間労働の物体化として、リンネルに質的に等置されるだけではなくて、この価値体の一定量が、1ダース等々ではなく一着の上着が、一着の上着のなかに20エレのリンネルにおけるとちょうど同じだけの価値実体すなわち人間労働が含まれているかぎりにおいて、等置されるのである。》

《補足と改訂》

 《[A]

[11〕b)相対的価値形態の量的規定性

 その価値が表現されるべき商品は,どれも,与えられた分量の使用対象--何シェッフェルの小麦,何ポンドのコーヒー等々--である。この与えられた商品分量は,一定分量の人間的労働を含んでいる。したがって,価値形態は,単に価値一般だけではなく,量的に規定された価値,すなわち価値の大きさをも表現しなければならない。それゆえ,商品Bにたいする商品Aの価値関係においては,商品種類Bは商品Aに質的に等置されるだけではなく,ある与えられた分量のAにたいしてBが,20エレのリンネルにたいして一定量の等価物が,等置される。

[B]

b)相対的価値形態の量的規定性

 その価値が表現されるべき商品は,何シェッフェルの小麦,何ポンドのコーヒー等々といった与えられた分量である。その商品分量は一定量の人間的労働を含んでいる。それゆえ,商品は価値一般としてだけではなく,量的に規定された価値すなわち価値の大きさとしても表現されなければならない。》

《フランス語版》

 《価値が表現されるべきどの商品も、ある分量の有用物、たとえば15ブヅシェルの小麦、100ポンドのコーヒー等であって、一定の分量の労働を含んでいる。したがって、価値形態は、たんに価値一般ばかりでなく、ある価値量をも表現しなければならない。商品A の商品Bにたいする価値関係では、商品Bが質の観点でAに等しいと宣言されるだけでなく、さらにBのある分量がA の与えられた分量に等しいのである。》

【2】

《初版本文》

 《一商品の相対的な価値は、その商品の価値が不変のままであっても、変動することがありうる。逆に、その商品の相対的な価値は不変のままでありうる。たとえその価値は変動しようとも。すなわち、40エレのリンネル=2着の上着 という等式が前提しているのは、両方の商品に同じ量の労働が費やされている、ということである。しかし、それらの商品を生産する労働の生産力に変動が生ずれば、そのつど、それらの商品の生産に必要な労働時間は変動するのである。そこで、このような変動が相対的な価値に及ぼす影響を考察してみよう。》

《補足と改訂》

 《[A]

 20エレのリンネル=1着の上着,すなわち,20エレのリンネルは1着の上着に値するという等式の前提にあるのは,1着の上着には20エレのリンネルに潜んでいるのとまったく同じ量の価値実体が潜んでいること,すなわち,両方の商品分量は等しい量の労働または等しい大きさの労働時間を費やさせるということ,である。ところが,20エレのリンルまたは1着の上着の生産に必要な労働時間は,織布労働または裁縫労働の生産力が変動するたびに,変動する。そこで,このような変動が価値の大きさの相対的表現に与える影響について立ち入って研究しなければならない。

[B]

 20エレのリンネル=1着の上着,すなわち20エレのリンネルは1着の上着に値するという等弐の前提にあるのは,両方の商品分量は等しい量の労働を費やさせる、または等しい大きさの労働時間で生産されることである。ところが,さまざまな種類の労働の生産力が変動するたびに,そのときどきの商品分量の生産に必要な労働時間が変動する。そこで,われわはこのような変動が、ある商品,われわれの例ではリンネルの価値の大きさの相対的表現に与える影響について考察してみよう。》

《フランス語版》

 《20メートルのリンネル=一着の上衣、あるいは20メートルのリンネルが一着の上衣に値するという等式は、両商品のどちらも同量の労働が費やされているか、あるいは、両商品が同じ時間内に生産される、ということを前提している。だが、この時間は両商品のどちらにとっても、それを作り出す労働の生産力が変動するたびごとに変動する。さて、この変動が価値量の相対的表現に及ぼす影響を調ぺてみよう。》

【3】

《初版本文》

 《 I 上着の価値が不変なままであるときに、リンネルの価値が変動する、としよう。たとえば亜麻を栽培する土地の豊度の低下の結果として、リンネルの生産のために支出される労働時間が二倍になるとすれば、リンネルの価値は二倍になる。40エレのリンネル=2着の上着 にかわって、40エレのリンネル=4着の上着 となるであろう。なぜならば、2着の上着は今では40エレのリンネルの半分だけの労働時間しか含んでいないからである。これとは反対に、たとえば織機の改良の結果として、リンネルの生産に必要な労働時間が半分だけ減少するとすれば、リンネルの価値は半分だけ低下する。したがって今度は40エレのリンネル=1着の上着 となる。それだから、商品Aの相対的な価値、すなわちその商品の価値が商品Bで表現されたものは、商品Bの価値が不変のままであれば、商品Aの価値に正比例して上がり下がりするのである。》

《フランス語版》--ほぼ同じだが、傍点(下線に変換)が付けられている。

 《 I 上衣の価値が不変のままであるのに、リンネルの価値が変動するばあい。亜麻を供給する土地の収穫高がいちだんと少なくなった結果、リンネルの生産に必要な労働時間が二倍になると仮定すれば、そのばあいリンネルの価値も二倍になる。20メートルのリンネル=1着の上衣 のかわりに、20メートルのリンネル=2着の上衣 になる。というのは、1着の上衣はいまでは半分の労働しか含んでいないからである。これに反して、織機の改良の結果、リンネルの生産に必要な時間が半減すれば、リンネルの価値も同じ比率で減少する。したがって、20メートルのリンネル=1/2の上衣 になる。だから、商品A の相対的価値、すなわち、商品B のうちに表現される商品A の価値は、商品B の価値が不変のままであっても、商品A の価値に正比例して上昇するかまたは低下する。》

【4】

《初版本文》

 《II 上着の価値が変動するときに、リンネルの価値は不変のままである、としよう。こういう事情のもとで上着の生産に必要な労働時間が、たとえば羊毛刈り取りの不調の結果として、二倍になるならば、40エレのリンネル=2着の上着 にかわって、今度は40エレのリンネル=1着の上着 となる。これに反して、上着の価値が半分だけ減少するならば、40エレのリンネル=4着の上着 となる。それゆえ、商品Aの価値が同じままであるならば、商品Aの相対的な、商品Bで表現される価値は、Bの価値変動に反比例して、低下したり上昇したりするのである。》

《フランス語版》--ほぼ同じだが、傍点(下線に変換)がついている。

 《 II 上衣の価値が変動するのに、リンネルの価値が不変のままであるばあい。この事情のもとでは、羊毛の刈取りがあまり順調でなかった結果、上衣の生産に必要な時間が二倍になると仮定すれば、20メートルのリンネル=一着の上衣 のかわりに、いまでは 20メートルのリンネル=1/2着の上衣 になる。これに反して、上衣の価値が半分に低下すれば、そのばあい 20メートルのリンネル=2着の上衣 になる。商品Aの価値が不変のままであっても、商品Bのうちに表現される商品Aの相対的価値は、商品Bの価値変動に反比例して上昇するかまたは低下する、ということがわかる。》

【5】

《初版本文》

 《 I とIIとのいろいろな場合を比較してみると、次のような結果になる。すなわち、相対的な価値の同じ変動がまったく反対の諸原因から生ずることがありうる、ということである。たとえば、40エレのリンネル=2着の上着 が(1)等式 40エレのリンネル=4着の上着 になるのは、リンネルの価値が二倍になるか、または上着の価値が半分だけ低下するからであって、(2)等式 40エレのリンネル=1着の上着 になるのは、リンネルの価値が半分だけ低下するか、または上着の価値が二倍に上昇するからである。》

《フランス語版》--同じだが、傍点(下線に変換)がついている。

 《 I とIIのなかに含まれている種々のばあいを比較すれば、相対的価値の同じ量的変動が全く相反した原因から生じうるということは、明らかである。したがって、20メートルのリンネル=1着の上衣 という等式が 20メートルのリンネル=2着の上衣 になるのは、リンネルの価値が二倍になるか、または上衣の価値が半減するからである。そしてまた 、20メートルのリンネル=1/2着の上衣 になるのは、リンネルの価値が半減するか、または上衣の価値が二倍になるからである。》

 【6】

 《初版本文》

 《III リンネルと上着との生産に必要な諸労働量が、同時に、同じ方向で、同じ割合で、変動する。こういう場合には、たとえリンネルと上着との価値がどのように変えられていようと、相変わらず 40エレのリンネル=1着の上着 である。それらの価値変動は、それらと、その価値が不変のままだった第三の一商品と比較してみれば、すぐに発見される。もしすべての商品の価値が同時に同じ割合で上昇または低下するならば、すべての商品の相対的な諸価値は不変のままである。それらの商品の現実の価値変動は、同じ労働時間で今や一般的に以前よりもより大きいかまたはより小さい商品量が供給されるであろう、ということから推知されるであろう。》

《フランス語版》--同じだが、傍点(下線に変換)がある。

 《 III リンネルと上衣との生産に必要な労働量が、同時に同じ方向に同じ比率で変動すれば、このばあいには、それらの価値変動がどうあろうと、以前と同じように 20メートルのリンネル=1着の上衣 である。この価値変動は、その価値が同じままである第三の商品と比較することによって、発見される。もしすぺての商品の価値が同時に同じ比率で増大または減少すれば、それらの相対的価値は全く変動しない。それらの商品の本当の価値変動は、同じ労働時間内に供給される商品量が、いまでは一般に、以前よりも多くなるか少なくなるかで、わかるはずである。》

【7】

《初版本文》

 《IV リンネルと上着とのそれぞれの生産に必要な労働時間、したがってまたそれらの物の価値は、同時に同じ方向においてではあるが違った程度において、あるいはまた反対の方向、等々において、変動することがありうるであろう。あらゆる可能なその種の組み合わせが一商品の相対的な価値に及ぼす影響は、 I とIIとIIIとの場合の適用によって簡単に明らかになるのである。》

【8】

《補足と改訂》

 《それゆえ,現実の価値の大きさの変動は,その相対的表現すなわち相対的価値の大きさに,曖昧さをのこさずあますところなく反映するというわけではない。ある一つの商品の相対的価値は,その価値が変化しなくても,変動することがある。その相対的価値は,その価値が変動しても変わらないことがある,そして最後に,その価値の大きさとこの価値の大きさの相対的表現とにおける同時的変動はなんら一致する必要はないのである。》

《フランス語版》

 《価値量の本当の変動は、価値量の相対的表現のうちにけっして明瞭にも全面的にも反映しない、ということがわかる。一商品の相対的価値は、その商品の価値が不変のままであっても変動することがあるし、その商品の価値が変動しても不変のままであることもあるし、そして最後に、価値量の変動と価値量の相対的表現の変動とが、正確に照応せずに同時に起こることもある。(19)》

§初版付録には、独自に「e 相対的価値形態の全体。」という項目が設けられ、次のように論じられている。

 《 こうして、相対的な価値表現によって、第一に、商品の価値は、その商品自身の使用価値とは違った形態を得る。この商品の使用形態は、たとえばリンネルである。これに反して、この商品は自分の価値形態上着にたいする自分の同等性関係において、もっている。この、同 等性の関係によって、この商品とは感覚的に違っている別の一商品体が、この商品自身の価値存在の鏡となり、この商品自身の価値姿態となる。こうして、この商品は、その現物形態とは相違し無関係で独立な価値形態を得る。しかし、第二に、特定の大きさの価値としては、特定の価値の大きさとしては、この商品は、自分にたいして別の商品体が等置されているところの量的に規定された関係すなわち割合によって、量的に計られているのである。》(国民文庫版136-7頁)

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第19回「『資本論』を読む会」の案内

2009-12-01 13:10:34 | 『資本論』

『資  本  論』  を  読  ん  で  み  ま  せ  ん  か 


                                    
 11月20日、菅直人副総理(経済財政担当相)は、11月の月例経済報告で日本経済は「緩やかなデフレ状況にある」と宣言しました。

 

 デフレーション(deflation)の明確な定義は無いようですが、IMF(国際通貨基金)は「少なくとも2年程度下落が続く状態」などと定義しているようです。要するに物価が持続的に下落する状態です。

 物価、つまり「商品の価格」は、何によって決まってくるのでしょうか。

 『資本論』の第1篇では「商品と貨幣」が論じられています。そこでは商品の「価格」は、商品の「価値」の貨幣表現だと述べています。つまり商品の価格は、貨幣によって商品の価値を相対的に計った(尺度した)ものなのです。そして商品の「価値の大きさ」は、その商品の生産のために社会的に必要な労働時間によって規定される、云々。

 こうした『資本論』で論じられている、商品の「価値」と「価格」の理論は今日においても当然妥当します。しかし今日の物価を規定する要因は、もっと複雑であり、さまざまなものによって媒介されています。少し、物価下落の考えられうる要因を挙げてみましょう。

 (1)、まず当然、商品の「価値」の低下があります。これはパソコンやテレビなど電化製品などの価格の下落などはそれらを生産する技術の革新によって、生産力が上がった分だけ、一つの商品に支出される労働量が減少して、価値が低下した結果と考えられます。

 (2)、貨幣価値の変動。これは金を生産する生産力の変化によって、金の価値量が変化し、よってその金によって相対的に表現された商品の価格が、例えその価値が変わらなくても変化する場合があることです。しかし金の価値そのものは、そんなに急速に変化するようなものではないですから、とりあえずは考えなくてもよいでしょう。

 (3)、度量標準の変化。これは現代の通貨(円)が、どれだけの金量を代表しているのかという問題です。私たちが使っている「一万円札」は日銀が発行する銀行券です。それが一般流通に入って通貨(流通手段)として流通しています。その限りでは金を代理して流通する紙幣と同じ流通法則に立脚しているのです。これは兌換銀行券か不換銀行券かの相違とは無関係です。しかし現在の日銀券のように不換券の場合(金との交換が停止されている場合)は、それがどれだけの金量を代表しているのかは、法的、制度的には決まっていません。だからそれは日常的に変化しているわけですが、その変化は、金の市場価格(円価格)に反映しており、それによって現在の一万円札が、だいたいどれぐらいの金量を代理しているかの見当はつけることができます。ただこれは一般的には、代表する金量は減る傾向にあり、通貨の「価値」は下落傾向にあるので、その限りでは物価を一般的に押し上げるように作用するのです。だからこれはデフレではなくインフレ要因として作用するのです。

 (4)、為替相場の変動。これは円がドルやその他の通貨に対して高くなる場合が考えられます。その場合は、輸入商品の価格が下落します。例えばドン・キホーテの690円のジーンズが用意した3万本がたちまち売り切れたなどという例は、そうしたケースに当てはまるでしょう。為替相場は、だいたいにはそれぞれの国の通貨の「価値」(それぞれの通貨が代表する金量)を反映しますが、直接には、その国の国際収支に規定されています。一般に、輸入より輸出が多かったり、外国に投資した資本からの収入が多かった場合に高くなりますが、為替投機によっても急速に変動する場合もあります。

 (5)、原油の高騰のように、国際的な商品投機による物価変動が国内に波及する場合もありえます。つまり今日の物価下落は、一時期の原油の高騰(それはもっぱら投機によるものと考えられています)から較べれば、比較的その価格が落ち着いている状態を反映している側面もありうるわけです。

 (6)、最後に、これは今回の物価下落の一番重要な要因と思いますが、マルクスは過剰生産恐慌時には、過剰な商品や資本の「価値の破壊」が強行されると指摘しています。つまり過剰な商品は強制的に投げ売りされるし、過剰な生産整備はスクラップ化されざるをえません。今回の物価下落の原因としては、サブプライム金融恐慌によって暴露された過剰生産が調整されている局面という要素が一番大きいように思います。政府は2001年3月にもデフレ宣言を行ないましたが、あの時も2000年のアメリカのITバブルが崩壊した時期に合致します。むろし今回の「価値の破壊」がドラスチックに進まないのは、これもさまざまな要因がこれまた絡んでいますが(その大きな要因としては政府のエコ補助などさまざまな救済策があるでしょう)、デフレ圧力を通貨価値の下落によるインフレ圧力がある程度相殺しているからだとも考えられます。本来ならもっと激しい物価の下落があってもおかしくはないのです。

 このように物価の一般的下落といってもさまざまな要因が絡まっていますが、しかしそれらを解明するためにも、やはり『資本論』の研究はその基礎として必要なのです。貴方も日常的な経済現象をより深く理論的に把握するためにも『資本論』を一緒に読んでみませんか。

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第19回「『資本論』を読む会」・案内


   ■日時   12月20日(日) 午後2時~

  ■会場   堺市立南図書館(泉北高速・泉ヶ丘駅南西300m、駐車場はありません。)

  ■テキスト 『資本論』第一巻第一分冊(どの版でも結構です)

  ■主催   『資本論』を読む会
                                                                                        

 

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