『資本論』学習資料室

泉州で開催された「『資本論』を読む会」の4年余りの記録です。『資本論』の学習に役立たせてください。

『資本論』学習資料No.6(通算第56回)

2018-11-23 21:41:47 | 『資本論』

『資本論』学習資料No.6(通算第56回)

 

◎『資本論』第1巻を完成させることがマルクスにとっての「実践」

  大谷禎之介氏は、最近『資本論草稿にマルクスの苦闘を読む』という新著を上梓されました(桜井書店2018年11月1日刊)。私自身は、まだ最初のあたりを読んだだけですが、すばらしい本だと思いました。私はこの『資本論』学習資料室のブログでも、また別の「マルクス研究会通信」というブログにおいても、大谷氏の諸説を批判的に取り上げて、遠慮の無い批判を加えてきましたが、しかしそれはやはり数多ある日本のマルクス経済学者のなかで、氏の諸説こそが最良のものであり、そこから学ぶものが多いと考えるからです。今回の著書を読んで、ますますその思いを強くしました。
  本書は三つの部門に分かれ「Ⅰ 『資本論』に刻まれたマルクスの苦闘」、「II 『資本論』第2部第3部の草稿を読む」、「III 探索の旅路で落ち穂を拾う」となっています。IIには『資本論』の第2部第8草稿の全訳と大谷氏による解説が含まれ、本書のほぼ6割強を占めています(全体は582頁と浩瀚)。
  しかしここで大谷氏の新著の紹介や批評をやろうというのではありません。〈第2章 「現代社会」の変革のための「資本の一般的分析」〉の最初の小項目「マルクスはなぜ『資本論』に心血を注いだのか」のなかで、大谷氏はマルクスが『資本論』第1巻の原稿を書き上げて、マイスナー書店に入稿した直後にジークフリート・マイアーに宛てて書いた書簡の一文を紹介しています。それを重引し、紹介しておきましょう。

  〈「仕事のできるすべての瞬間を私の著作〔『資本論』第1巻〕を完成するために使わなければなりませんでした。この著作のために私は健康もこの世の幸福も家族も犠牲にしてきたのです。……もし人が牛のようなものでありたいと思えば,もちろん人類の苦しみなどには背を向けて自分のことだけ心配していることもできるでしょう。しかし私は,もし私の本を,少なくとも原稿のかたちででも,完全に仕上げないで倒れるようなら,ほんとうに自分を非実践的だと考えたでしょう」(MEW31,S.54a下線と二重の下線はともにマルクスによるもの。〔〕は引用者による挿入。〉(3頁、「すべての」の下線が二重)

  つまりマルクスは『資本論』第1巻を「少なくとも原稿のかたちででも,完全に仕上げ」ることを何よりも自らに課した「実践」だと見なしていたということです。

  本書の内容については、またおいおい紹介していくとして、それでは第3章のパラグラフごとの解読の続きを始めましょう。

◎第13パラグラフ

【13】〈(イ)さて、価格形態の考察に戻ろう。〉

 (イ) それでは価格形態の考察に戻りましょう。

  これも一応一つのパラグラフになってますので、われわれも一つのパラグラフとして扱います。
  これ自体は極めて短いパラグラフなので、あまり解説のしようもないとも言えます。ただマルクスは〈価格形態の考察に戻ろう〉と書いています。ということはわれわれは以前は〈価格形態の考察〉をやっていたのだが、それが途中からずれて別の考察をやっていたということになります。ではそれはどの時点で、何の考察に移ったといえるのでしょうか。
  第8パラグラフにわれわれが付けた表題は【価値の尺度と価格の度量基準】というもので、これはまだ価格形態の考察だと思います。とすれば第9パラグラフ【金の価値変動はその価格の度量基準としての機能を損なわない】あたりから、第12パラグラフ【商品と金との価値変動の組み合わせによる商品価格の一般的な変動】までは、金の価値の変動が貨幣の価値尺度の機能や価格の度量基準の機能に如何なる影響を及ぼすか、あるいは諸商品の価値や金の価値の変動は諸商品の価格のどういう変動として現れてくるか、という問題が論じられています。つまり第9パラグラフからは価値変動の及ぼす影響というものに話題が転換しているといえるでしょう。だからマルクスは、第9パラグラフからは若干本来の価格形態の考察からはずれていたので、第13パラグラフから、もとの価格形態の考察に戻ろうと述べているのではないでしょうか。

◎第14パラグラフ(貨幣名は歴史的に重量名から分離する)

【14】〈(イ)金属重量の貨幣名は、さまざまな原因から、それらの最初の重量名からしだいに離れる。(ロ)中でも歴史的に決定的なのは、次の原因である。(ハ)(1)発展程度の低い諸国民のもとへの外国貨幣の導入。(ニ)たとえば、古代ローマにおいては、金鋳貨と銀鋳貨は、最初はまず外国商品として流通した。(ホ)これらの外国貨幣の呼称は、国内の重量名とは異なっている。(ヘ)(2)富が発展するにつれて、低級な貴金属は高級な貴金属によって、すなわち銅は銀によって、銀は金によって、価値尺度機能から押しのけられる--たとえこの順序があらゆる詩的年代記と矛盾していようとも(56)。(ト)たとえば、ポンドは、現実の一ポンドの銀を表す貨幣名であった。(チ)金が価値尺度としての銀を駆逐するやいなや、同じ呼称が、金と銀との価値比率に従って、おそらく1/15ポンドなどという金につけられる。(リ)貨幣名としてのポンドと、金の慣習的な重量名としてのポンドとは、今や分離される(57)。(ヌ)(3)何世紀にもわたって続けられてきた王侯による貨幣の変造。(ル)これによって、鋳貨の元来の重量からは、実際にその呼称だけが残されることになった(58)。〉

 (イ) 金属重量の貨幣名は、さまざまな原因から、それらの最初の重量名からしだいに離れます。

 ここでは、まず〈貨幣名〉という用語が出てきます。価格の度量基準というのは、商品の価値を尺度するために表象された貨幣商品の金の使用価値量を数量的に表すためのものでした。金の使用価値の量を測るためには、その重さを計ります。つまり習慣的には重量の基準が使われたのです。もともと相対的価値形態の分析で明らかになりましたが、相対的価値形態にある商品の価値を表す等価形態にある商品の使用価値の量的表現は、純粋に習慣的なものでした。例えば、等価形態にある上着の使用価値量を一着、2着と数える数え方は、習慣的なものです。靴なら一足、二足と数えます。金の場合はそれを重量で数えたというだけのものです。等価形態にくる諸商品と同じように貨幣金の場合も、何で数えるかは、その意味では習慣的なものであり、当初は、手近な重量単位が使われたに過ぎません。だから習慣的に決められるものなら、国王や政府が、法令で決めることもまた可能なわけです。ただ、歴史的には観念的に表象された金量という価格の度量基準についても、当初は、重量の基準がそのまま貨幣金の数量を表すものとして、すなわち度量基準として利用されたのです。そしてこの観念的に表象された貨幣金の数量を表したものを、「貨幣名」と言うのです。

 〈こうして一商品の価格、すなわちその商品が観念的に転化されている金量は、いまや金度量標準の貨幣名で表現される。だからイギリスでは、1クォーターの小麦は1オンスの金に等しいと言うかわりに、それは3ポンド17シリング10ペンス2分の1に等しいと言う。このように、すべての価格は同じ名称で表現される。諸商品がその交換価値にあたえる独自な形態は、貨幣名に転化しており、この貨幣名で諸商品は、それらがどれだけに値するかを互いに語りあうのである。〉(『批判』56頁)

 だから当初は、貨幣名は、貨幣商品としての金の重量名と一致していたのです。ところがこの貨幣名は、いろいろな理由で貨幣商品の重量そのものとは離れてくるというわけです。

 (ロ) 中でも歴史的に決定的なのは、次の原因です。

 そしてその離れてくる主な理由として、歴史的に決定的といえるのが、次の原因だということです。
 参考文献で紹介している『経済学批判』では〈あとで金属流通の性質から説明するつもりの歴史的過程は、価格の度量標準としての機能における貴金属の重量がたえず変動し減少していったのに、同じ重量名がそのまま保たれたという事情をもたらした。〉(全集第13巻54頁)と書いています。これを見ると、マルクスは〈価格の度量標準としての機能における貴金属の重量がたえず変動し減少していったのに、同じ重量名がそのまま保たれた〉ために、貨幣名が重量名と離れていった理由は、〈あとで金属流通の性質から説明するつもり〉だと述べているわけです。これはあとで出てきますが、流通手段としての機能における貨幣の象徴性や瞬過性という性質です。だから以下、歴史的に決定的な理由として述べているものの背景には、こうした貨幣の流通手段としての機能による作用が働いているということでもあるのです。

 (ハ)(ニ)(ホ) (1)発展程度の低い諸国民のもとへ外国貨幣を導入する場合。たとえば、古代ローマにおいては、金鋳貨と銀鋳貨は、最初はまず外国商品として流通しましたが、これらの外国貨幣の呼称は、国内の重量名とは異なっていました。

 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の「円」を調べてみると、次のような説明があります。
 〈「円(圓)」という単位名は中国に由来する。中国では、銀は鋳造せずに塊で秤量貨幣として扱われたが(銀錠)、18世紀頃からスペインと、それ以上にその植民地であったメキシコから銀の鋳造貨幣が流入した(洋銀)。これらはその形から、「銀圓」と呼ばれた。後にイギリスの香港造幣局は「香港壱圓」と刻印したドル銀貨を発行したのはこの流れからである。「銀圓」は、その名と共に日本にも流入し、日本もこれを真似て通貨単位を「円」と改めた。1870年、日本は、香港ドル銀貨と同品位・同量の銀貨を本位貨幣とする銀本位制を採用すると決定したが、直後に伊藤博文が当時の国際情勢を鑑みて急遽金本位制に変更することを建議した。〉

 (ヘ)(ト)(チ)(リ) (2)富が発展するにつれて、低級な貴金属は高級な貴金属によって、すなわち銅は銀によって、銀は金によって、価値尺度機能から押しのけられます--たとえこの順序があらゆる詩的年代記と矛盾していようとも。たとえば、貨幣名としての「ポンド」は、現実の1重量ポンドの銀に付けられたものでした。金が価値尺度としての銀を駆逐すると、同じ呼称が、つまり「1ポンド」という貨幣名が、その時の金と銀との価値比率にもとづいて、例えば1/15重量ポンドの金につけられることになります。だからこうなると重量としては1/15ポンドなのに、貨幣名としては、それを「1ポンド」と呼ぶことになるのです。だから貨幣名としてのポンドと、金の慣習的な重量名としてのポンドとは、今や分離されるのです。

 (ヌ)(ル) (3)何世紀にもわたって続けられてきた王侯による貨幣の変造。これによって、鋳貨の元来の重量からは、実際にその呼称だけが残されることになったのです。

 やはり『ウィキペディア』の「貨幣改鋳」から
 〈イギリスでは、1282年からエドワード1世の治下で、貨幣の純度を調べる「見本硬貨検査[71]」が行われた。これは、「12人の腕のいい金細工師をともなった12人の慎重で正直なロンドン市民」からなる審査団による、王立造幣局で発行したばかりの貨幣の公開検査で、イングランド硬貨の信頼性を獲得してきた。しかし、戦争の費用を捻出するためにエドワード3世により1344年と1351年に貨幣の改鋳が行われた後、イングランドでは何度も改鋳は繰り返された。中でもヘンリー8世により1542年から1547年までに実施された改鋳は大悪改鋳 (Great Debasement) と呼ばれた。ヘンリー8世による1526年の改鋳では銀貨の純度が2分の1に、大悪改鋳では3分の1にまで引き下げられたことで、貨幣の品質は大きく低下し、物価の高騰を招いたが、貨幣の流通速度も加速された。〉等々。

◎注56

【注56】〈(56) ついでに言えば、この順序はまた一般的歴史的妥当性をもつものでもない。〉

 これは〈たとえこの順序があらゆる詩的年代記と矛盾していようとも〉という一文につけられた原注です。新日本新書版では本文の〈詩的年代記〉という一文に*印がつけられ、次のような訳者の注があります。

 〈古代神話では、人類の歴史は、黄金時代、銀時代、青銅時代、英雄時代、鉄時代としだいに悪くなるのであり、それがギリシアのヘシオドスの叙事詩やローマのオヴィディウスの叙事詩などにうたわれた。〉(新日本新書版第1分冊170頁)

 だから貨幣の価値尺度機能を果たす貴金属が歴史的に銅、銀、金という順序に変遷してきたのは、金、銀、銅へと変遷した詩的年代記とは矛盾したのであるが、同じように、この銅、銀、金という順序そのものは、〈一般的歴史的妥当性をもつ〉わけでもないというわけです。つまりあらゆる国や地域で、歴史的に、そうした順序で貨幣を担った貴金属の種類が変遷したわけではない、ということだと思います。

◎注57

【注57】〈(57) 第2版への注。こうして、イギリスのポンドは、その元来の重量の1/3以下を、〔一七〇七年のイングランドとの〕連合以前のスコットランドのポンドはわずかに1/36を、フランスのリーヴルは1/74を、スペインのマラベーディは1/1000以下を、ポルトガルのレイはさらにもっと小さな割合を、それぞれ表しているにすぎない。〔フランス語版では、この後に注59の文章が続き、注59はなく、そして、この注57と次の注58とが入れ替えられている〕〉

 これは第14パラグラフの付属資料として紹介した『経済学批判』では、本文の一部分となっています。関連部分をもう一度、紹介しておきます。

 〈あとで金属流通の性質から説明するつもりの歴史的過程は、価格の度量標準としての機能における貴金属の重量がたえず変動し減少していったのに、同じ重量名がそのまま保たれたという事情をもたらした。こうしてイギリスのポンドはその元来の重量の三分の一よりもわずかを、連合以前のスコットランドのポンドはたった三六分の一を、フランスのリーヴルは七四分の一を、スペインのマラペディは一〇〇〇分の一よりもわずかを、ポルトガルのレイはもっとずっと小さな割合をあらわしている。こうして金属重量の貨幣名は、その一般的な重量名から歴史的に分離したのである。*〉(全集第13巻54頁)

 なおフランス語版については、付属資料を参照。

◎注58

【注58】〈(58) 第2版への注。「その呼称がこんにちではもはや観念的でしかないような鋳貨は、どの国民にあっても、最も古い鋳貨である。それらはみな、かつては現実的であったし、まさに現実的であったからこそ、それらによって計算が行われたのである」(ガリアーニ『貨幣について』、一五三ページ)。〔注57末尾の訳注参照〕〉

 この注は、付属資料で紹介していますが、『経済学批判』では先に紹介した本文への注(*印)になっています。ただ〈それらはみな、かつては現実的であったし〉という部分は『批判』の注では〈しかし、すぺての鋳貨がある期間は実在的だったのであって〉となっていますが、その後にマルクスは括弧を付けて、〈これは、こんなに拡張して言ったのでは正しくない〉という一文を挿入しています。

◎第15パラグラフ(貨幣の度量基準は、最終的には法律によって規制される)

【15】〈(イ)こうした歴史的過程は、金属重量での貨幣名とその慣習的重量名との分離を世の習わしにする。(ロ)貨幣の度量基準は、一方では純粋に慣習的であり、他方では一般妥当性を要求するので、最終的には法律によって規制される。(ハ)貴金属の一定の重量部分、たとえば一オンスの金が、公的に可除部分に分割されて、ポンド、ターレルなどのような法定の洗礼名を受け取る。(ニ)その時に、貨幣の本来の度量単位として通用することになるこのような可除部分は、さらに下位の可除部分に細分されて、シリング、ペニーなどのような法定の洗礼名を受け取る(59)。(ホ)一定の金属重量が金属貨幣の度量基準であることに変わりはない。(ヘ)変えられたのは、分割と命名だけである。〉

 (イ) こうした歴史的な過程によって、想像された金属重量にもとづく貨幣名と、それが実際に習慣的に決まっている重量名とが分離することがどこでおきてきます。

 (ロ) 貨幣の度量基準、つまり貨幣名は、商品交換のなかで慣習的に決まってきます。だから国のさまざまな地域でそれがさまざまでありえます。しかし、商品交換が発展し、広がれば広がるほど、それはどこでも同じでなければ、商品の交換を広く普及させることはできません。だから、結局は、最終的には国によって、法律によって規制されることになるのです。

 (ハ) たとえば1オンスの金が、政府によって可除部分に分割されて、ポンド、ターレルなどのような、法律で決められた名前が付けられるようになります。

 日本では、以前にも紹介しましたが、1897年に制定された「貨幣法」によって、その第2条で、「純金の量目750㎎をもって価格の単位となし、これを円と称す」とされていました。

 (ニ) その時に決められた、貨幣の本来の度量単位として通用することになるこのような可除部分は、さらに下位の可除部分に細分されて、シリング、ペニーなどのような法律によって決められた名前を受け取るわけです。

 同じ「貨幣法」の第4条では、「貨幣の算測は10進1位の法を用い、1円以下は1円の1/100を銭と称し、銭の1/10を厘と称す」としていました。

 (ホ)(ヘ) しかしこのことは、一定の金属重量が金属貨幣の度量基準であるということそのものは何の変わりもありません。変えられたのは、ただ分割の仕方とそれに付けられた名前だけです。

 しかし上記のように法律で決められるのは、あくまでも貨幣である金の重量をどのような名称で呼ぶか、ということであって、金の重量が価格の度量基準となっているという点では、重量名がそのまま貨幣名であったときとは何の違いもないのです。

●「法律」の理論的位置づけについて

 さてこのパラグラフでは、〈最終的には法律によって規制される〉と、〈法律〉が出てきます。つまり国家による規制が取り上げられています。これはどういう意義があるのかについて、最近出版された『資本論』の解説書、『マルクス 資本論』(佐々木隆治著、角川選書s.30.7.20刊)では次のように説明しています。

 〈さて、最後に本章で新たに登場した要素である「慣習」、「法律」、「人工的な組織」などの理論的な位置づけについて確認しておきましょう。
 これまで見てきたことからわかるように、これらの要素は、物象化(第一章)と物象の人格化(第二章) によって生まれてくる貨幣を、外から補完し、支えることによって、現実に機能できるようにするという役割を果たしています。逆に言えば、貨幣は物象化と物象の人格化だけでは成立することができず、かならず慣習や法律や人為的組織の媒介が必要だということになります。〉(209頁)

 ただ若干、意見を差し挟みますと、著者は「慣習」や「法律」が〈本章で新たに登場した要素〉であるかに述べていますが、これは必ずしも正確とは言い難い気がします。
   まず「慣習」についてですが、確かにマルクスはこのパラグラフでは〈貨幣の度量基準は、一方では純粋に慣習的であ〉ると述べています(『経済学批判』では同じことを〈度量単位、その可除部分およびそれらの名称の決定は、一方では純粋に慣習的なものであ〉ると述べています)。しかしこうしたことは果たして第3章ではじめて明らかになったというようなものでしょうか。等価物が相対的価値形態にある商品の価値をそれ自身の使用価値で表すのですが、等価物の使用価値の量の数的表現が「慣習」にもとづくことは、何も第3章で明らかになったというようなものではないのです。それは単純な価値形態の分析によってすでに明らかになっていたことなのです。例えば20エレのリンネルの価値を1着の上着で表す場合の、「1着」という等価形態にある商品の使用価値の数的表現は、純粋に習慣的なものです。〈貨幣の度量基準は、一方では純粋に慣習的であ〉るというのは、まさにこのことに基づいているのです。そもそも第1章の冒頭の部分では次のようにも述べられているのです。

 〈おのおのの有用物、鉄、紙、等々は、二重の観点から、すなわち質の面と量の面とから、考察される。このよう第な物は、それぞれ、多くの属性の全体であり、したがって、いろいろな面から見て有用でありうる。これらのいろいろな面と、したがってまた物のさまざまな使用方法とを発見することは、歴史的な行為でありうる。有用な物の量を計るための社会的な尺度を見いだすことも、そうである。いろいろな商品尺度の相違は、あるものは計られる対象の性質の相違から生じ、あるものは慣習から生ずる。〉(全集23a頁48頁、太字は引用者)

 このようにマルクスは第1章の使用価値の分析において、使用価値の量を計る尺度は、あるものは計られる対象の性質の相違から生じ、あるものは慣習から生ずると述べていたのです。だからこそ、相対的価値形態にある商品の価値の大きさを表す等価物の使用価値量を計る尺度も、同じように〈あるものは計られる対象の性質の相違から生じ、あるものは慣習から生ずる〉と言いうるのです。つまり金の場合は金属という性質からその重量によって計られ、上着の場合は、慣習によって、1着、2着と数えるのです。だからこそ、一般的等価物である金の使用価値の量を計る度量基準というものも、純粋に慣習にもとづくと言いうるのです。このパラグラフで〈貨幣の度量基準は、一方では純粋に慣習的であ〉ると述べているのは、このように第1章で明らかにした使用価値の考察と単純な価値形態の分析にもとづいているのです。
   次は「法律」ですが、これも第3章で初めて出てくるというようなものではありません。例えば「第2章 交換過程」の冒頭は次のようになっています。

  〈商品は、自分で市場に行くことはできないし、自分で自分たちを交換し合うこともできない。だから、われわれは商品の番人、商品所持者を捜さなけれぽならない。商品は物であり、したがって、人間にたいしては無抵抗である。もし商品が従順でなければ、人間は暴力を用いることができる。言いかえれば、それをつかまえることができる。これらの物を商品として互いに関係させるためには、商品の番人たちは、自分たちの意志をこれらの物にやどす人として、互いに相対しなけれぽならない。したがって、一方はただ他方の同意のもとにのみ、すなわちどちらもただ両者に共通な一つの意志行為を媒介としてのみ、自分の商品を手放すことによって、他人の商品を自分のものにするのである。それゆえ、彼らは互いに相手を私的所有者として認めあわなげればならない。契約をその形態とするこの法的関係は、法律的に発展していてもいなくても、経済的関係がそこに反映している一つの意志関係である。この法的関係または意志関係の内容は、経済的関係そのものによって与えられている。ここでは、人々はただ互いに商品の代表者としてのみ、したがって商品所有者としてのみ、存在する。一般に、われわれは、展開が章進むにつれて、人々の経済的扮装はただ経済的諸関係の人化でしかないのであり、人々はこの経済的諸関係の担い手として互いに相対するのだということを見いだすであろう。〉(全集第23巻a
113頁)

  このようにマルクスはすでに第2章で商品の交換を担う商品所有者間の関係は、契約をその形態とする法的関係であると述べています。この法的関係は、経済的関係そのものによって与えられているのですが、商品交換の当事者たちが、互いに商品の私的所有者として認め合う関係は、一つの法律的関係なのです。
 また著者は〈「人工的な組織」〉というものも上げています。これは版によっては「人為的制度」(新日本新書版)とも訳されていますが、これは「第3節 貨幣」の「b 支払手段」で問題になります。だから、とりあえずは、おいておきましょう。
  ついでに述べますと、著者は〈「慣習」、「法律」、「人工的な組織」など〉は、〈物象化(第一章)〉や〈物象の人格化(第二章) 〉を〈外から補完し、支える〉ものであるかに述べていますが、こうした捉え方は果たして正しいといえるでしょうか。物象化というのは、諸個人の社会的な関係が、諸個人が直接的には独立した私的な人格として存在しているがために、物の社会的な関係(商品相互の関係)や物そのもの(貨幣)として現れてくるということです。また政治的・法的・制度的関係というものも、やはり諸個人の社会的関係が、直接的なものとはなりえないために、一方では諸個人はただ私的な独立した人格として現れるのに対応して、彼らの共同的・公的関係が、自立化し、対立的なものになったものなのてす。だからそれらは一方は内的で、他方は外的であるというようなものではありません。それらは独立したバラバラの諸主体(諸個人)からみれば、いずれも外的であり、対立的でもあるのです。つまりそれらは諸個人を外的に規制するという点では、同じものであり、ただ一方はより抽象的なものであり(だから第1章から出てくる)、他方はより具体的なもの(だから第3章から出てくる)として分析の対象になってくるというに過ぎません。
 また第2章を〈物象の人格化〉として特徴づけることも必ずしも正しいとはいえないような気がします。確かに第2章からは商品の所有者が登場しますが、それについては、マルクス自身は次のように述べていました。

  〈商品は、使用価値と交換価値との、したがって二つの対立物の、直接的な統一である。だから、商品は直接的な矛盾である。この矛盾は、商品が、これまでのように(第1章でのように--引用者)、分析的に、あるときは使用価値の観点のもとで、あるときは交換価値の観点のもとで、観察されるのではなくて、(第2章では--同)一つの全体として、現実に、他の諸商品に関係させられるやいなや、発展せざるをえなくなる。諸商品の相互の現実の関係は、諸商品の交換過程なのである。〉(初版、江夏訳69頁)
 〈いままで(第1章では--同)商品は、二重の観点で、使用価値として、また交換価値として、いつでも一面的に考察された。けれども商品は、商品としては直接に使用価値と交換価値との統一である。同時にそれは、他の諸商品にたいする関係でだけ商品である。諸商品相互の現実的関係は、それらの交換過程である。(そしそれが第2章の課題である--同)、それは互いに独立した個人がはいりこむ社会的過程であるが、しかし彼らは、商品所有者としてだけこれにはいりこむ。彼らのお互いどうしのための相互的定在は、彼らの諸商品の定在であり、こうして彼らは、実際上は交換過程の意識的な担い手としてだけ現われるのである。〉(『批判』全集13巻、26頁)

  このようにマルクス自身は、第1章と対比して第2章を位置づけ、第2章ではじめて出てくる商品所有者について述べています。つまり第1章では商品を抽象的・分析的に、あるときは使用価値の観点から、また別の時には交換価値の観点から考察したが、商品というのはもともとはそれらが直接的に統一したものであり、第2章ではそうしたより具体的な商品を考察の対象にするが、そうすればそれは現実の諸商品の交換過程を問題にすることになり、そこでは第1章では捨象されていた商品交換の意識的な担い手としての商品所有者も分析の対象になってくるのだというに過ぎません。だから第2章の考察の対象(あるいは主題)は、使用価値と価値の直接的統一としての商品であり、それらが現実に交換される過程(そしてその交換過程の矛盾から必然的に生まれてくる貨幣)であって、決して商品所有者の考察が主題になっているとはいえないのです。だから第2章を〈物象の人格化〉として特徴づけることにはやはり首肯しがたいのです(不破哲三氏も第2章を商品所有者の考察が主題であるかのような位置づけをしていましたが)。

◎注59

【注59】〈(59) 第2版への注。デイヴィッド・アーカート氏は、その著書『常用語』〔ロンドン、一八五五年〕の中で、イギリスの貨幣の度量基準の単位である1ポンド(ポンド・スターリング)がこんにちではほぼ1/4オンスの金に等しいという途方もないこと(!)についてのべている。すなわち、「これは尺度の偽造であって、度量基準の確定ではない」〔一〇五ページ〕と。彼は、金重量のこの「偽りの命名」のうちに、他のすべての場合と同じように、文明というものの偽造の手のうちを見るのである。〉

  これは〈その時に、貨幣の本来の度量単位として通用することになるこのような可除部分は、さらに下位の可除部分に細分されて、シリング、ペニーなどのような法定の洗礼名を受け取る〉という部分に付けられた原注59です。注に出てくるデイヴィッド・アーカートは1/4オンスの金を「1ポンド」というのは、「尺度の偽造」であり、「偽りの命名」だと主張するわけです。
  『経済学批判』では、同じデイヴィッド・アーカートの『常用語』からの引用が注になっていますが、それが付けられている本文はまったく『資本論』とは違っています(付属資料参照)。しかし『常用語』からの引用は以下のように『資本論』より少し長めになっています。

 〈*そこで、たとえばデーヴィッド・アーカート氏の『常用語』には次のように書いてある。「金の価値はそれ自身によって測られるというが、他の事物にあっては、どうしてある物質が自分の価値の尺度でありえようか? 金の価値は、虚偽の名称をつけられたそれ自身の重量によって決められるという。--そして、1オンスは何ポンド何分の一の価値があるという。これは尺度の偽造であって、度量標準の確定ではない。」〔104-105ページ〕〉(全集第13巻58-59頁)

  これを見るとアーカートは、金の度量基準をあたかも「金の価値」を測るものであるかに間違って理解しています。いうまでもなく、金の度量基準というのは、金の価値ではなく、価格として表象された金の量そのものを測るためのものです。このように間違った理解に立って、アーカートは金の度量基準、あるいはその貨幣名というのは、〈虚偽の名称をつけられたそれ自身の重量によって決められる〉というのです。つまりそれは重量によって決められるのだが、その重量を表す名称は「虚偽」なのだというのです。なぜなら,1オンスの金なのに、それを「何ポンド」と称するからだ、というわけです。だから〈これは尺度の偽造であって、度量標準の確定ではない〉と断定するわけです。

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【付属資料】

●第13パラグラフ

《フランス語版》

 〈価格形態の考察に立ち戻ろう。〉(77頁)

●第14パラグラフ

《経済学批判》

 〈あとで金属流通の性質から説明するつもりの歴史的過程は、価格の度量標準としての機能における貴金属の重量がたえず変動し減少していったのに、同じ重量名がそのまま保たれたという事情をもたらした。こうしてイギリスのポンドはその元来の重量の3分の1よりもわずかを、連合以前のスコットランドのポンドはたった36分の1を、フランスのリーヴルは74分の1を、スペインのマラペディは1000分の1よりもわずかを、ポルトガルのレイはもっとずっと小さな割合をあらわしている。こうして金属重量の貨幣名は、その一般的な重量名から歴史的に分離したのである*。度量単位、その可除部分およびそれらの名称の決定は、一方では純粋に慣習的なものであり、他方では流通の内部で一般性と必然性という性格をもたなければならないから、それは法律上の規定とならなければならなかった。だからその純形式的な業務は、政府の仕事となった**。貨幣の材料として役だった特定の金属は、社会的にあたえられていた。国を異にするにつれて、法定の価格の度量標準は、当然ちがっている。たとえばイギリスでは、金属重量としてのオンスは、ペニーウェート、グレーン、カラット・トロイに分割されるが、貨幣の度量単位としての金1オンスは、3ソヴリン8分の7に、1ソヴリンは20シリングに、1シリングは12ペンスに分割されており、したがって22カラットの金100重量ポンド(1200オンス) は、4672ソヴリン10シリングに等しい。けれども、国境が消滅する世界市場では、貨幣尺度のこういう国民的性格はふたたび消滅し、金属の一般的な重量尺度にその席をゆずるのである
 *「その名称が今日ではもはや観念的なものにすぎないような鋳貨は、どの国民にあっても最古のものなのである。しかし、すぺての鋳貨がある期間は実在的だったのであって」(これは、こんなに拡張して言ったのでは正しくない)、「それらが実在的だったからこそ、それらで勘定がなされたのである。」(ガリアーニ『貨幣について』。所収、前掲書、153べージ)
 **ロマン主義者のA・ミュラーは言う。「われわれの考えでは、すぺての独立の主権者は、金属貨幣に名をつけて、それに社会的な名目価値、等級、地位、称号をあたえる権利をもっている。」(A・H・ミュラー『政治学綱要』第二巻、ベルリン、1809年、288ページ)称号にかんするかぎりでは、この宮中顧問官殿の仰せのとおりであるが、彼はただ内容だけを忘れている。彼の「考え」がどんなに混乱していたかは、たとえば次の章句に現われている。「とくにイギリスのように、政府が非常な寛大さで無料で鋳造し」(ミュラー氏は、イギリス政府の役人が自分のポケットから鋳造費を出す、と信じているらしい)、「なんらの鋳造手数料も取っていない国では、鋳造価格の正しい決定がどれほど重要なことであるかということ、だからもしも政府が、金の鋳造価格をその市場価格よりもいちじるしく高く定めるならば、たとえば政府がいまのように、1オンスの金にたいして3ポンド17シリング10ベンス2分の1を支払うかわりに、1オンスの金の鋳造価格を3ポンド19シリングと定めるならば、すべての貨幣は造幣局に流入し、そこで受け取った銀は市場で安い金と交換され、こうして金はあらためて造幣局にもちこまれることとなり、鋳貨制度は混乱におちいるであろうということは、だれでもよく知っている。」(前掲書、280 、281ページ) ミュラーは、イギリスの鋳貨に秩序を維持させようとして、自分を「混乱」におちいらせた。シリングとかぺンスとかは、たんなる名称であり、銀表章と銅表章によって代理された1オンスの金の一定部分の名称であるにすぎないのに、彼は、1オンスの金が金、銀、銅で評価されると想像し、こうしてイギリス人が三重の本位〔stabdard of value 〕をもっていることを祝福している。金とならんで銀を貨幣尺度として用いることは、なるほど1816年にジョージ3世の治世第56年法律第68号によってはじめて正式に廃止された。法律のうえでは1734年にジョージ2世の治世第14年(+)法律第42号によって実質上廃止されており、慣行のうえではそれよりずっとまえに廃止されていたのである。A・ミュラーがとくに経済学のいわゆる高度の理解に達するのを可能にした事情は二つあった。一つは、経済的諸事実についての彼の広範な無知、いま一つは、哲学にたいする彼のたんなるディレッタント的な惑溺である。

 (+)ジョージ2世の治世第14年は1734四年ではなく、1740年にあたる。しかし、ジョージ2世の治世には銀についての措置はおこなわれていないので、ジョージ3世の治世第14年にあたる1774年の銀貨25ポンド以上を法貨と認めるのを禁止した改革の誤記ではないかと思われる。この改革はジョージ3世の治世第14年法律第42号によっておこなわれているから、法律の番号も一致する。そうとすれば、59(原)ベージのジョージ2世も3世の誤記とみなければならない。

  こうして一商品の価格、すなわちその商品が観念的に転化されている金量は、いまや金度量標準の貨幣名で表現される。だからイギリスでは、1クォーターの小麦は1オンスの金に等しいと言うかわりに、それは3ポンド17シリング10ペンス2分の1に等しいと言う。このように、すべての価格は同じ名称で表現される。諸商品がその交換価値にあたえる独自な形態は、貨幣名に転化しており、この貨幣名で諸商品は、それらがどれだけに値するかを互いに語りあうのである。貨幣のほうは計算貨幣となるのである。*

 *「人がアナカルシスに、ギリシア人はなんのために貨幣を用いるか、と問うたとき、彼は答えた。計算のために、と。」(アテナイオス『学者の饗宴」第4篇、第49節。シュヴァイクホイザー編、第2巻〔120ぺージ〕、1802年)。〉(全集第13巻54-56頁)

《初版》

 〈けれども、いろいろな金属重量の貨幣名は、いろいろな理由によって、それらの金属重量のもともとの重量名からしだいに離れてくるが、それらの理由のなかでも次のものが歴史的に決定的である。(1) 発展度の低い諸民族のもとへの、外国貨幣の導入。たとえば古代ローマでは、銀鋳貨や金鋳貨が最初は外国商品として流通していた。こういった外国貨幣の名称は国内の重量名とはちがっている。(2) 富の発展につれて、高級でない金属が高級な金属によって価値尺度という機能から排除される。銅は銀によって、銀は金によって。たとい、この順序が、詩のなかで歌われるどんな年代記と矛盾していようとも(46a)。たとえば、ポンドは、実在する一重量ポンドの銀にたいする貨幣名であった。金が価値尺度としての銀を排除すると、同じ名称がおそらくは、金と銀との比価に応じて1/15重量ポンド等々の金に付着する。貨幣名としてのポンドと、金の普通の重量名としてのポンドとは、いまや分離している。(3) 数世紀にわたって継承された王侯の貨幣贋造、すなわち、鋳貨のもともとの重量からじっさいは名称だけをのこした贋造。〉(86頁)

《補足と改訂》

 〈2 0) これまで見てきたところによれば、再分割をともなった金属重量の慣習的度量基準とその呼称が、一番最初やはり価格の度重基準として使われた。しかし、さまざまな歴史的過程が変化をもたらした。そのうち、次のものが明らかに重要である、〉(41頁)

《フランス語版》

 〈すでに見たように、金属重量として慣用の尺度標準はまた、その名称とその下位区分とによって、価格の尺度標準と して役立つのである。しかし、若干の歴史的な事情が修正をもたらす。とりわけ、(1)発展の程度の低い諸民族のあいだに外来の貨幣が導入されること。たとえば、古代ローマにおいて金貨と銀貨とが外国商品として流通したとぎのようなものである。この外国鋳貨の名称は国内の重量名とはちがう。(2)富の発展。この発展は、価値尺度の機能においては、低級な貴金属をこれよりも高級な貴金属でもって、すなわち、銅を銀でもって、また銀を金でもってとりかえる。たとえこの継承が詩的年代記に相反していても、そうなのだ。たとえばポンドという言葉は、実在の銀1ポンドにたいして用いられた貨幣名であった。金が価値尺度として銀にとってかわるやいなや、同じ名称が、金と銀との価値の割合にしたがって、おそらくは1/15ポンドの金に付着する。貨幣名としてのポンドと、金の通常の重量名としてのポンドとは、いまや別になる(7)。(3)数世紀にもわたってひきつづき行なわれてきた国王や小国王による貨幣の贋造、すなわち、銀貨の最初の重量から実際に保持されたのは名称だけだ、という贋造(8)。〉(77頁)

●注56

《初版》

 〈(46a) それにしても、この順序もまた、一般的・歴史的妥当性をもつものではない。〉(86頁)

《フランス語版》 フランス語版は、注の場所も内容も異なっている。つまり現行版のこの注はフランス語版では削除されている。

 〈(7) 「今日観念的である鋳貨はどの国民にとっても最も古いものであり、すべての鋳貨はある期間実在していた(この最後の主張の正しさはさほど著しいものではない)。それは実在していたから、計算貨幣の用をなしたのである」(ガリアーニ、前掲書、153ぺージ)。〉(77頁)

●注57

《経済学批判》

 〈こうしてイギリスのポンドはその元来の重量の3分の1よりもわずかを、連合以前のスコットランドのポンドはたった36分の1を、フランスのリーヴルは74分の1を、スペインのマラべディは1000分の1よりもわずかを、ポルトガルのレイはもっとずっと小さな割合をあらわしている。〉(54)

《フランス語版》

 〈(8) このようにして、イギリスのポンドはその最初の重量のほぼ1/4しか示さず、1701年の併合以前のスコットランドのポンドはたんに1/366、フランスのリーヴルは1/76、スペインのマラベディは1/100以下、ポルトガルのレアルはさらにはるかに小さな分数である。デヴィッド・アーカート氏はその著『日常用語』のなかで、貨幣の尺度単位としてのイギリスの一ポンド(ポンド・スターリング)が1/4オンスの金の価値しかないという、彼を恐れさせるような事実について、こう述べている。「これは尺度の贋造であって、尺度標準の確定ではない」。貨幣の尺度標準のこのような偽称のうちに、どこでも同じように、彼は文明の偽造者の手を見ているのである。〉(77-8頁)

●注58

《経済学批判》

 〈*「その名称が今日ではもはや観念的なものにすぎないような鋳貨は、どの国民にあっても最古のものなのである。しかし、すぺての鋳貨がある期間は実在的だったのであって」(これは、こんなに拡張して言ったのでは正しくない)、「それらが実在的だったからこそ、それらで勘定がなされたのである。」(ガリアーニ『貨幣について』。所収、前掲書、153べージ)〉(54頁)

《初版》 なし

《フランス語版》 フランス語版にもこの注はない。

●第15パラグラフ

《経済学批判》

 〈こうして金属重量の貨幣名は、その一般的な重量名から歴史的に分離したのである。度量単位、その可除部分およびそれらの名称の決定は、一方では純粋に慣習的なものであり、他方では流通の内部で一般性と必然性という性格をもたなければならないから、それは法律上の規定とならなけれぽならなかった。だからその純形式的な業務は、政府の仕事となった。貨幣の材料として役だった特定の金属は、社会的にあたえられていた。国を異にするにつれて、法定の価格の度量標準は、当然ちがっている。たとえばイギリスでは、金属重量としてのナンスは、ペニーウェート、グレーン、カラット・トロイに分割されるが、貨幣の度量単位としての金1オンスは、3ソヴリン8分の7に、1ソヴリンは20シリングに、1シリングは12ペンスに分割されており、したがって22カラットの金100重量ポンド(1200オンス) は、4672ソヴリン10シリングに等しい。〉(54-55頁)

《初版》

 〈こういった歴史的な諸過程は、金属重量の貨幣名がこの重量の普通の重量名から分離することを、国民的な慣習にする。一方では純粋に慣習的であり他方では法律上の一般性と強制通用力とを必要とするところの、貨幣尺度標準の最終的な決定にさいしては、結局は、自明のことであるが、国家権力が、貴金属の一定重量部分たとえば金一オンスを重量単位として固定して、これを可除部分に分割し、それらの可除部分にポンド、ターレル等々のような任意の法定の洗礼名をつけるのである。それからは、このような可除部分が貨幣の固有の尺度単位として認められるが、この可除部分は、さらに別の可除部分に分割され、細分割され、これらの可除部分はこれらの可除部分で、シリングやぺニ一等々のような法定の洗礼名を受け取る。相変わらず、一定の金属重量が金属貨幣の尺度標準である。変わったのは、分割と命名である。〉(86-7頁)

《フランス語版》

 〈貨幣名と通常の金属重量名との分離は、この歴史的進化の結果、民衆的な慣習になった。貨幣の尺度標準は、一方では純粋に因襲的であり、他方では社会的な有効性を必要とするので、ついには法律がこの貨幣の尺度標準を規制する。貴金属の一定の重量部分、たとえば金1オンスが、ポンド、エキュ等のような法律上の洗礼名を授けられる可除部分に、公式に分割される。このぼあいに厳密な意味での尺度単位として用いられるこのような可除部分が、今度は、それぞれシリング、ペニー等の法律上の名称をもつ他の可除部分に再分割される(9)。一定の金属重量が相変わらず金属貨幣の尺度標準になっている。変わったのは再分割と命名法だけである。〉(78頁) 

●注59

《経済学批判》

 〈*そこで、たとえばデーヴィッド・アーカート氏の『常用語』には次のように書いてある。「金の価値はそれ自身によって測られるというが、他の事物にあっては、どうしてある物質が自分の価値の尺度でありえようか? 金の価値は、虚偽の名称をつけられたそれ自身の重量によって決められるという。--そして、1オンスは何ポンド何分の一の価値があるという。これは尺度の偽造であって、度量標準の確定ではない。」〔104-105ページ〕〉(全集第13巻58-59頁)

  ただしこの注の付けられている『経済学批判』の本文は〈1855年、1856年、1857年のあいだに、フランスからの金輸出にたいするフランスへの金輸入の超過は、4158万ポンド・スターリングにのぼり、他方では、銀輸入にたいする銀輸出の超過は3470万4000ポンド・スターリング*にのぼった。〉というもので、これは『資本論』では注53として抜粋されている一文のなかにある。

《初版》 なし

《補足と改訂》

 〈21) p. 58)T注. p.49)21〔 〕(例)。ここに置く。デイヴィド・アーカート氏は、『常用語』のなかで、貨幣の度量基準であるイギリスの1ポンド(ポンド・スターリング)がこんにちではほぼ1/4オンスの金に等しいという途方もないことについて述べている。すなわち、「これは尺度の偽造であって、度量基準の確定ではない」--彼は、金重量のこの「偽りの命名jのうちに、他のすべての場合と同じように、文明というものの偽造の手のうちを見るのである。

2 2) p. 5 9) (本文を注意して見る。)〉(41頁)

《フランス語版》 ごれも現行版とは本文が若干違っていることもあって、注も場所も内容も異なるものになっている。

 〈(9) 国がちがえば、法律上の価格の尺度標準は当然にちがう。たとえばイギリスでは、金属重量としてのオンスが、トロイウェイト〔金衡〕で計量した、ペニーウェイト、グレーン、カラットに分割される。ところが、貨幣の尺度単位としてのオンスは3ソブレン7/8に、ソプレンは20シリングに、 シリングは12ペンスに分割されるので、22カラットの金100ポンド(1200オンス)=4672ソブレン10シリングである。〉(78頁)

 

 

 

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『資本論』学習資料No.5(通算第55回)

2018-11-12 15:42:46 | 『資本論』

『資本論』学習資料No.5(通算第55回)

 

◎前回の続きです

  これまでまったく掲載してこなかったこともあり、掲載するとなると続けてとなります。

 

◎第9パラグラフ(金の価値変動はその価格の度量基準としての機能を損なわない)

【9】〈(イ)何よりもまず明らかなことは、金の価値変動は、価格の度量基準としてのその機能を決して損なわないということである。(ロ)たとえ金の価値がどんなに変動しても、異なった金量は、あい変わらずつねに、相互に同じ価値比率を保っている。(ハ)金の価値が一〇〇〇%低下しても、前と同じように、一二オンスの金は一オンスの金の一二倍の価値をもっているであろうし、しかも価格において問題となるのは、異なった金量の相互比率だけなのである。(ニ)他方、一オンスの金はその価値の増減につれてその重量を変えることは決してないから、その可除部分の重量も同様に変わらず、したがって、金は、その価値がどんなに変動しようとも、価格の固定的度量基準としてつねに同じ役目を果たす。〉

  (イ)(ロ)(ハ) 価格の度量基準の機能と価値尺度の機能とが、まったく異なるものであるなら、金の価値が変動しても、価格の度量基準としての機能を決して損なわないことは、明らかです。それは金の価値がどんなに変動しても、異なる金の量は、やはり同じように、その違いを変えずに、同じ比率を保っているからです。金の価値が、例え1000%低下しても、12オンスの金は1オンスの金の12倍の価値を持っています。価格において問題になるのは、異なった金量の相互の比率だけなのですから。

 商品の使用価値は、商品の自然属性であり、商品の価値は幻のような社会的な属性です。両者はまったく対立した属性なのです。だから商品の価値が変化しても、その使用価値には何の変化もありません。例えば1グラムの金の価値が変化して、以前は腕時計1個に値したものが、今は腕時計2個に値するようになったとしても、1グラムの金の重量はあくまでも1グラムの金であるように。価格の度量基準の機能というのは、貨幣としての金の物理的な量の問題であり、使用価値の問題です。だから貨幣としての金の価値が例え変化したとしても、その使用価値の量には何の影響もないのです。価格の度量基準として機能するためには、単位となる金の量が固定されることが何より重要ですが、しかしそのことは金という使用価値の量の固定であって、金の価値の固定ではありません。だから価値の変化が使用価値の量にどんな変化ももたらさないように、金の価値変動は、価格の度量基準の機能を決して損なわないのです。

  (ニ) 他方、1オンスの金は、例えその価値が変わろうとも、その重量を変えることは決してありませんから、その加除部分の重量もまた、その価値の変動によってその重量を変えることはありません。だから、金は、その価値がどんなに変動したとしても、価格の決まった度量基準としてはつねに同じ役割を果たすのです。

 この先の【8】パラグラフと今回の【9】パラグラフでは、価値尺度としての貨幣の機能と価格の度量基準としての貨幣の機能とが異なる機能であることが問題になっています。ではこの両者にはどのような関連があるのでしょうか。それについて大谷禎之介氏は次のように述べています。

 〈このように、価値尺度としての貨幣の機能と価格の度量標準としての貨幣の機能とはそれぞれ異なった機能であるが、しかし、一方で、価格の度量標準は、金が価値尺度として機能して、他方で、諸商品の価値を観念的な金量に転形していることを前提するし、他方で、価値の尺度は、それによって転形された価値である観念的な金量が価格の度量標準によって計量され、一定の貨幣名で言い表されることによって、はじめて諸商品の価値を相互に量的に比較するものとして機能することができる。両機能のあいだには、このような関連がある。〉(貨幣の機能249頁)

●現代の通貨の度量基準をどう考えたらよいのでしょうか

 ところで、学習会では、しばしば現在の日本銀行券や硬貨などの通貨と、『資本論』で学習している貨幣とその諸機能とはどのような関連にあるのか、現在の通貨にも、『資本論』で明らかにされている諸機能が、そのまま当てはまると考えてよいのかどうか、ということが問題になり議論されたりします。
 とすれば、現代の日銀券や硬貨などの通貨の度量基準というものは、果たしてどのように考えたらよいのでしょうか。『資本論』で問題になっている度量基準と関連させて、如何に考えたらよいのでしょうか。この問題について少し考えてみましょう。
 現代の通貨(例えば円やドルなどの銀行券)が、直接、商品の価値を尺度していないことはすでに述べました。現代においても商品の価値を尺度しているのは、それ自体一つの生産物てあり、商品でもある貨幣金なのです。しかし例えば円と金との関連が今ではまったくなくなったかに見えます。戦前においては、貨幣法によって1円は純金750㎎とし、1円の百分の1を銭、銭の10分の1を厘とするというように貨幣の度量基準が決められていました。しかし今はそんなものはありません。では今日では度量基準はまったく無くなったと考えるべきなのでしょうか。しかしそうではありません。以前にも述べましたが、確かに法的には度量基準は決まっていませんが、マルクスが貨幣の度量基準の機能として述べているものは、法律的に決まっているかどうかの以前の問題として、つまり商品から直接生まれた貨幣が持つ抽象的な機能の一つとして述べているのです。だからそれは客観的な法則として解明されているものであって、ただそうした法則が、やがては国家によって法的に度量基準として決められるというように作用するに過ぎないのです。だから度量基準というものは、本来は国家によって決められることによって初めて成り立つというような性格のものでは決してないのです。確かに度量衡を統一するというのは国家の一つの役割ですが、しかし国家による度量衡の制定がされる以前には、では諸物の重量が計られていなかったかというとそうでありません。商品の流通が全国的になり、広い範囲になればなるほど、同じ尺度で重量も計られないと、不便になり、商品流通を一層発展させるための障害になるから、それを統一する必要性も生じてきただけなのです。
 では今日の通貨の客観的に貫いている法則としての度量基準というものをどのように考えればよいのでしょうか。価格の度量基準というものは、あくまでも商品の価値を尺度した観念的な金量を測るものです。そこから1円は純金750㎎とするということは、金750㎎を1円と呼ぶ(名付ける)ということです。これが貨幣名であり、もし1円硬貨(金貨)という鋳貨の形態をとる場合は、それを鋳造価格といいます。だから現代の通貨の度量基準というものを理解するためには、まず現代の通貨がどれだけの金量を代理しているのかを知らねばなりません。それは以前にも述べましたように、金の市場価格の逆数がそれを示しています。それが今もし金1グラムが2500円だとしましょう。ということは1/2500グラムの金の貨幣名が1円ということです。そしてその1円を度量単位として、その10倍(十円硬貨)、100倍(百円硬貨)、500倍(五百円硬貨)、1000倍(千円札)、10000倍(1万円札)のそれぞれの通貨があるわけです。しかし「金1/2500グラムを1円とする」などと法的に決まっているわけではありません。それはあくまでも商品流通の現実によって、その商品世界から排除された貨幣としての金との関係のなかで客観的に決まっているものなのです。しかしこれこそが客観的な貨幣の度量基準なのです。そしてその限りでは今日においても度量基準は明確に機能しているわけです。そうでなければそもそも商品の価値を尺度した金量を何らかの数値として表し、諸商品の価格として表示し相互に比較することはできないことになるのです。

 

◎第10パラグラフ(金の価値変動は、その価値尺度としての機能もさまたげない)

【10】〈(イ)金の価値変動は、また、価値尺度としてのその機能をもさまたげない。(ロ)金の価値変動は、すべての商品に同時に影響し、したがって、“他の事情が同じであれば caeteris paribus ”、諸商品相互の相対的価値を変えないのである。(ハ)もっとも、今や、すべての商品は、以前よりも高いかまたは低い金価格で表現されるけれども。〉

  (イ)(ロ)(ハ) 金の価値の変動は、貨幣の価値尺度としての機能をも妨げることはありません。というのは、金の価値が例え変わったとしても、そのことは、その金で価値を表示するすべての商品に同時に影響するからです。だからさまざまな商品相互の価値の比率はそれによっては何の変化も受けないからです。もっとも、今では、すべての商品は、貨幣の価値の変化によって、以前よりもより高い(金の価値が低くなる場合)、あるいはより低い(金価値が高くなる場合)金価格で表現されますが。

 諸商品の価格で問題なのは、それらの商品の価格相互の相対的な関係、比率に過ぎません。だから例え貨幣の価値が変わろうとも、それぞれの商品はその変動した新たな価値を持った金を自分に等置するのですから、互いの相対的な価格の関係や比率には何の変化もないのです。例えばリンゴ1個の価値が金1ミリグラムで表され、時計1個の価値が、金1グラムの金で表されたとします。つまり時計1個の価値はリンゴ1個の価値の1000倍だとします。そして金の価値が2倍になったとしたら、今度は、リンゴ1個の価値は0.5ミリグラムの金で表され、時計1個は0.5グラムの金で表されるでしょう。しかし時計1個の価値は、リンゴ1個の価値の1000倍であることには変わりはありません。もちろん、この例からも分かるように、金の価値が高くなれば、同じ価値を持った商品は、以前よりも少ない金量を自分に等置するし(だから価格は低くなる)、金の価値が低くなれば、以前よりも多くの金量を自分に等置するでしょう(価格は高くなる)。しかしそれらはすべての商品について同じように生じるのですから、諸商品の価格の相互の関係・比率は以前とまったく同じになるわけです。だから金の価値変動は、価値尺度の機能には何の妨げにもならないわけです。

  

◎第11パラグラフ(商品価格の変動は単純な相対的価値形態の量的規定性が当てはまる)

【11】〈(イ)一商品の価値を他の何らかの商品の使用価値で表す場合と同じように、諸商品を金で評価する場合にも、そこで前提されることは、ただ、与えられた時点で一定の金量を生産するには一定量の労働が必要であるということだけである。(ロ)商品価格の運動に関しては、一般に、すでに展開された単純な相対的価値表現の諸法則が当てはまる。〉

  (イ) 相対的価値形態では、一商品の価値を他の何らかの商品の使用価値で表現しました。それと同じように、諸商品の価値を、金の使用価値(その量)で評価する場合も、ただ金も一つの商品であり、その生産には一定量の労働が必要だということだけです。

  (ロ) だから金で評価された諸商品の価格の運動についても、すでに第1章で展開された単純な価値形態の諸法則が当てはまります。

 われわれが第1章や第2章で論証してきたように、もともと金も他の商品と同じ労働生産物であり、その価値が変動することは他の諸商品と同じなのです。そうしたなかで、特定の商品である金が商品の世界からはじき出されて貨幣になったのですから、金の価値の変動がその相対的に価値を表現する機能に何の問題も生じないのはある意味では当然のことです。だから金によって評価された諸商品の価格の運動についても、以前明らかにした相対的な価値形態の量的規定性の法則が当てはまります。第1章で明らかにされた内容を確認しておきましょう(S.67-69)。「20エレのリンネル=1着の上着」という等式において、それぞれの商品の価値変動が相対的価値形態にどのような影響を与えるのか。

  〈Ⅰ リンネルの価値は変動するが、上着価値は不変のままである場合。たとえば、亜麻のとれる耕地〔Boden〕がますますやせた結果、リンネルの生産に必要な労働が二倍になるとすれば、リンネルの価値は二倍になる。今や一着の上着は20エレのリンネルの半分の労働時間を含むにすぎないから、20エレのリンネル=1着の上着 の代わりに、20エレのリンネル=2着の上着 となるであろう。これに対して、たとえば織機の改良によって、リンネルの生産に必要な労働時間が半分に減少すれば、リンネル価値は半分に低下する。それに応じて、今や、20エレのリンネル=1/2着の上着 となる。したがって、商品Aの相対的価値、すなわち商品Bで表現される商品Aの価値は、商品Bの価値が不変のままでも、商品Aの価値に正比例して、上昇または低下する。
  Ⅱ リンネルの価値は不変のままであるが、上着価値が変動する場合。こうした事情のもとで、たとえば羊毛の刈りとりが思わしくないために、上着の生産に必要な労働時間が二倍になれば、20エレのリンネル=1着の上着  の代わりに、今や、20エレのリンネル=1/2着の上着 となるであろう。これに反して、上着の価値が半分に減少すれば、20エレのリンネル=2着の上着 となるであろう。だから、商品Aの価値が不変のままでも、商品Aの相対的な、商品Bで表現される価値は、Bの価値変動に逆比例して、低下または上昇する。
  ⅠおよびⅡのもとでのさまざまの場合を比較してみると、相対的価値の大きさの同じ変動が正反対の原因から生じうることがわかる。実際、20エレのリンネル=1着の上着 は、(1)リンネルの価値が二倍になっても、上着の価値が半分に減少しても、20エレのリンネル=2着の上着 という等式になり、また、(2)リンネルの価値が半分に低下しても、上着の価値が二倍に上昇しても、20エレのリンネル=1/2着の上着 という等式になるのである。
  Ⅲ リンネルおよび上着の生産に必要な労働量が、同時に同じ方向に、同じ比率で変動することもある。この場合には、これらの商品の価値がどんなに変動しようと、あい変わらず、20エレのリンネル=1着の上着 である。これらの商品の価値変動は、これらの商品を、価値が不変のままであった第三の商品と比較すれば、すぐにわかる。すべての商品の価値が、同時に、同じ比率で、上昇または低下すれば、それらの商品の相対的価値は不変のままであろう。これらの商品の現実の価値変動は、同じ労働時間内に、今や一般的に、以前よりも多量かまたは少量の商品量が供給されるということから見てとれるであろう。
  Ⅳ リンネルおよび上着の生産にそれぞれ必要な労働時間、したがってこれらの商品の価値が、同時に同じ方向に、しかし等しくない程度で変動するか、あるいは反対の方向に変動するなどなどのことがありえる。この種のありとあらゆる組あわせが一商品の相対的価値に与える影響は、Ⅰ、Ⅱ、およびⅢの場合を応用すれば、簡単にわかる。
  こうして、価値の大きさの現実の変動は、価値の大きさの相対的表現または相対的価値の大きさには、明確にもあますところなしにも反映されはしない。一商品の相対的価値は、その商品の価値が不変のままでも、変動しうる。一商品の相対的価値は、その商品の価値が変動しても、不変のままでありえる。そして、最後に、一商品の価値の大きさとこの価値の大きさの相対的表現とが同時に変動しても、この変動が一致する必要は少しもない。〉(全集版23a72-74頁)


◎第12パラグラフ(商品と金との価値変動の組み合わせによる商品価格の一般的な変動)

 【12】〈(イ)商品価格が全般的に上昇しうるのは、貨幣価値が変わらなければ、商品価値が上がる場合だけ、商品価値が変わらなければ、貨幣価値が下がる場合だけである。(ロ)逆に、商品価格が全般的に低下しうるのは、貨幣価値が変わらなければ、商品価値が下がる場合だけ、商品価値が変わらなければ、貨幣価値が上がる場合だけである。(ハ)したがって、貨幣価値の上昇はそれに比例する商品価格の低下を引きおこし、また、貨幣価値の低下はそれに比例する商品価格の上昇を引きおこすということには決してならない。(ニ)そういうことは、ただ、価値の変わらなかった商品についてだけ言えることである。(ホ)たとえば、その価値が貨幣価値と同時にかつ同じ程度に上がる商品は、同じ価格を維持する。(ヘ)もしも商品の価値が貨幣価値よりもゆっくり上がるかまたは速く上がるかすれば、商品価格の低下または上昇は、その商品の価値変動と貨幣の価値変動との差によって規定される、等々。〉

  (イ) 諸商品の価格が全般的に上がるのは、貨幣価値が不変であれば、商品の価値が全般的に上がる場合だけですし、もし商品の価値が変わらないのであれば、貨幣価値が下がる場合だけです。
  (ロ) 反対に、諸商品の価格が全般に下がるのは、貨幣価値が不変であれば、諸商品の価値が価値が下がる場合だけであり、諸商品の価値が変わらないのであれば、貨幣価値が上がる場合だけです。
  (ハ) だから、貨幣価値が上がれば、それに比例して商品の価格が下がり、貨幣価値が下がれば、それに比例して商品の価格が上がるということには決してなりません。
  (ニ) そういうことは、ただ価値の変わらなかった商品についてだけに言えることです。
  (ホ) その価値が貨幣価値と同時にそして同じ程度に上がる商品については、その価格はまったく変わりません。
  (ヘ) またもしも商品の価値が貨幣価値よりもゆっくり上がるか、あるいは速く上がる場合には、商品の価格が下がるか、上がるかは、その商品の価値変動と貨幣の価値変動との差によって規定されてくるでしょう。

  この部分はこれ以上に説明を必要としないでしょう。 

 (以下、続く)

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【付属資料】 

 

●第9パラグラフ

 

《経済学批判》

 

 〈ある量の金を尺度単位として定め、その可除部分をこの単位の下位区分として定める必要は、当然に可変である価値をもつ一定量の金が、商品の交換価値にたいしてある固定的な価値比率におかれるかのような考えを生みだしたが、この考えでは、金が価格の度量標準として発展するまえに、諸商品の交換価値が価格に、金量に転化していることがすっかり見のがされていたのである。金価値がどう変動しようとも、いろいろな金量は、互いにいつも同一の価値比率をあらわす。金価値が1000%低落したとしても、21オンスの金は、相変わらず1オンスの金の21倍の価値をもっているであろう。そして価格においては、ただ種々の金量の相互の比例だけが問題なのである。他方、1オンスの金が、その価値の増減につれてその重量を変えることはけっしてないのだから、その可除部分の重量も変化することなく、こうして金は、その価値がどんなに変動しても、固定した価格度量標準としてつねに同じ役目を果たすのである。〉(53-54頁)

 

《補足と改訂》

 

 〈1 5) なによりもまず明らかなことは、金の価値変動は、価格の度量基準としてのその機能を決してそこなわないということである。たとえ金の価値がどんなに変動しでも、異なった金分量は、相変わらずつねに、相互に同じ価値比率を保っている。金の価値が1000%低下しでも、まえと同じように、12オンスの金は1オンスの金の12倍の価値をもっているであるうし、しかも価格において問題となるのは、異なった金分量の相互比率だけなのである。他方、1オンスの金はその価値の増減につれてその重量を変えることは決してないから、その可除部分の重量も同様にかわらず、したがって、金は、その価値がどんなに変動しようとも、価格の固定的度量基準としてつねに同じ役目を果たす。(『批判』p.48)〉(40頁)

 

 

《フランス語版》

 

 〈まず明らかなことだが、金の価値変動は、価格の尺度標準としての金の機能をなんら変えない。金の価値変動がどうあろうとも、種々の金量はいつも互いに同じ比率のままである。金価値が100%だけ低下しても、12オンスの金は相変わらず1オンスの金の12倍の価値をもつであろうし、価格においては、さまざまな金量相互間の比率だけが問題なのである。他方、1オンスの金は、その価値が騰貴または低落したからといって重量を少しも変えないのであるから、その可除部分の重量もこれと同じく少しも変動しない。その結果、金は、その価値がどんなに変化しようとも、価格の固定した尺度標準としてつねに同じ役目を果たすのである。〉(76頁)

 

 

●第10パラグラフ

《初版》 初版では、このパラグラフの位置が異なる。

 〈金の価値変動はまた、価値尺度としての金の機能を妨げるものではない。つまり、金の価値変動はすべての商品に同時に生ずるのであるから、その他の事情が同じならば、この変動は、これらの商品の相互間の相対的価値をそのままにしておく。とはいっても、いまでは、これらの商品はどれも、以前よりも高いか低いかの金価格で表現されてはいるが。〉(87頁)

《フランス語版》 フランス語版には、現行版にはない注がこのパラグラフにはついているので、それも紹介しておく。

 〈金の価値変動はまた、価値尺度としての金の機能を妨げるものではない。金の価値変動は、すぺての商品に同時に影響し、したがって、他の事情が等しいかぎり、これら商品相互の相対的価値量を同じ状態のままにしておく(6)。
 
 (6) 「貨幣は絶えず価値を変えるが、それにもかかわらず、それが全く不変のままであるぱあいと同じように、価値尺度として役立つことができる」(べーリ『貨幣とその価値変動』、ロンドン、1837年、11ページ)。〉(76頁)

 このベーリーの一文は『批判』ではもっと長い一文が注として使われていました(全集版第13巻54頁)が、それが初版や第2版では削除され、フランス語版で冒頭の部分だけが注として復活したことになります。

 

●第11パラグラフ

 

 

《初版》 次のパラグラフの参考文献に引用した部分の一部が、このパラグラフに対応している。

 

《補足と改訂》

 

 〈1 6) p. 5 9 )ー商品の価値を他のなんらかの商品の使用価値で表す場合と同じように、諸商品を金で評価する場合にも、そこで前提されることは、ただ、与えられた時点で一定の金分量を生産するには一定分量の労働が必要であるということだけである。商品価格の運動にかんしては、一般に、すでに展開された簡単な相対的価値表現の諸法則があてはまる。〉(40頁)

 

 

《フランス語版》

 

 〈商品を金で評価する際には、与えられた時期においては一定分量の金の生産には与えられた分量の労働が費やされるということしか、前提されていない。商品価格の変動にかんしては、この変動は、先に詳述した単純な相対的価値の法則によって規制されるのである。〉(76頁)

 

●第12パラグラフ

《初版》 初版では、このパラグラフは最初の方にある。

 〈諸商品価格の変動には、さきに与えられた単純な相対的価値表現の諸法則があてはまる。貨幣価値が相変わらず不変であるのに、諸商品価格が一般的に上がりうるのは、諸商品価値が上がるばあいにかぎられ、諸商品価値が相変わらず不変であれば、貨幣価値が下がるばあいにかぎられる。逆に、貨幣価値が相変わらず不変であるのに、譜商品価格が一般的に下がりうるのは、諸商品価値が下がるばあいにかぎられ、諸商品価値が相変わらず不変であれば、貨幣価値が上がるばあいにかぎられる。だから、貨幣価値の上昇が諸商品価格の比例的な下落をひき起こし、貨幣価値の下落が諸商品価格の比例的な上昇をひき起こすということには、けっしてならない。こういったことは、価値の不変な諸商品についてのみあてはまる。たとえば、貨幣価値と同程度にしかも同時に上がる価値をもっているような商品は、同じ価格を保持している。それらの商品の価値が貨幣価値よりも遅くかまたは速く上がれば、それらの商品の価格の下落または上昇は、それらの諸商品の価値変動と貨幣の価値変動とのによって限定される、等々。〉(83-4頁)

《補足と改訂》

 〈1 7) p. 5 6 )商品価格の全般的上昇は、金価値が不変のままであれば商品価値の上昇を表わしており、商品価値が不変のままであるとすれば金価値の下落を表わしている。逆の場合は逆である。商品価格の全般的下落は、金価値が不変のままであれば商品価値の下落を表わし、商品価値が不変のままであれば金価値の上昇を表わす。

1 8)T注。ここでは、まったく価値の変動に基づかない商品交換関係における変動は無視されている。

1 9)本文p.56を見よ。〉(40頁)

《フランス語版》

 〈商品価格の一般的な騰貴は、貨幣価値が不変のままであれぽ商品価値の騰貴を表現するし、商品価値が変動しなければ貨幣価値の低落を表現する。逆に、商品価格の一般的な低落は、貨幣価値が不変のままであれば商品価値の低落を表現するし、商品価値が同じままであれば貨幣価値の騰貴を表現する。この結果、貨幣価値の騰貴が商品価格のこれに比例する低落をもたらし、貨幣価値の低落が商品価格のこれに比例する騰貴をもたらす、ということには少しもならないのである。こうしたことは、価値の不変な商品についてしか生じない。たとえば、その価値が貨幣価値と同時にかつ同じ程度に騰貴したり低落したりする商品は、同じ価格を保持する。もし商品価値の騰貴または低落が、貨幣価値の騰貴または低落よりも緩慢にあるいは急速に生じるならば、商品価格の騰貴または低落の程度は、商品自体の価値変動と貨幣の価値変動との差に依存する、等々。〉(76-7頁)

 

 

 

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『資本論』学習資料No.4(通算第54回)

2018-11-12 14:00:18 | 『資本論』

『資本論』学習資料No.4(通算第54回)

 

 

◎そろそろ再開

 このブログの著者である亀仙人は、去年の初め頃から近隣で開かれている『資本論』の学習会に参加してきました。参加したときは第1章の途中からでしたが、ようやく最近になってこのブログが中断したままになっている第3章に入りました。よって、掲載が滞っていたこのブログも、参加している学習会の進展に合わせて、継続して掲載していくことにしたいと思います。
 ただ、「進展に合わせて」と言っても、別に学習会の報告をするというようなことではなく、私自身が学習会の前後に、関連する個所を勉強したものを紹介するに過ぎません。だから掲載も、学習会の進展に沿ったものというより、ただ私自身の勉強の進展具合に応じてということになります。形式その他は、これまでのものを踏襲します。

◎第7パラグラフ(貨幣の「価格の度量基準」としての機能)

【7】〈(イ)価格規定を受けた商品は、すべて、a量の商品A=x量の金、b量の商品B=z量の金、c量の商品C=y量の金 などの形態で表示され、そこでは、a、b、cは商品種類A、B、Cの一定量を表し、x、z、yは金の一定量を表す。(ロ)だから、諸商品価値は、さまざまな大きさの想像された金量に、したがって、商品体の錯綜した多様性にもかかわらず、金の大きさという同名の大きさに転化される。(ハ)諸商品価値は、このようなさまざまな金量として相互に比較され、測られあう。(ニ)そこで、諸商品価値を、その度量単位としてのある固定された量の金に関連づける必要が技術的に生じてくる。(ホ)この度量単位そのものは、さらに可除部分〔割り切ることのできる部分〕に分割されることによって度量基準に発展させられる。(ヘ)金、銀、銅は、それらが貨幣になる前に、すでに金属重量としてこのような度量基準をもっているので、たとえば一ポンドが度量単位として役立ち、そこから一方では再分割されてオンスなどになり、他方では合算されてツェントナーなどになる(54)。(ト)だから、すべての金属流通では、重量の度量基準の既存の呼称がまた貨幣の度量基準または価格の度量基準の最初の呼称をなしている。〉

 (イ) 価格規定を受けた商品は、すべて次のように表示されます。
 a量の商品A=x量の金
 b量の商品B=z量の金
 c量の商品C=y量の金
      等々
 ここでA、B、Cは商品の種類を、a、b、cはそれぞれの種類の商品の使用価値の一定量を表し、x、z、yは金の一定量を表しています。

 (ロ)(ハ) だからすべての商品の価値は、さまざまな大きさの想像された金量によって表示されます。商品の種類がどんなに多くて複雑であっても、それらは金の一定量というまったく同じものに、転化されているわけです。だからこそ、諸商品の価値は、さまざまな金量として、互いに比較され、測られ合うことが出来るわけです。

 ここで問題なのは〈さまざまな大きさの想像された金量〉という言葉が出てくることです。つまり諸商品の価値を表示する金量というのは、〈想像された〉ものだということです。しかしこれについては、すでに第5パラグラフで次のように書かれていました。

 〈商品の価格または貨幣形態は、商品の価値形態一般と同じように、手でつかめるその実在的な物体形態から区別された、したがって単に観念的な、または想像されただけの形態である。鉄、リンネル、小麦などの価値は、目には見えないけれども、これらの物そのもののうちに存在する。これらの価値は、それらの物の金との同等性によって、それらの物のいわば頭の中にだけ現れる金との関係によって、想像される。〉

 なぜ価格形態では観念的な、想像されただけの形態をとるのかについては、『経済学批判』では、次のように書かれています。

 〈商品はそのものとして交換価値(価値--引用者)であり、それはひとつの価格をもっている。交換価値(価値--同)と価格とのこの区別には、商品にふくまれている特殊な個人的労働は、外化の過程によってはじめて(草稿集③ではこの部分は「譲渡の過程を通じてはじめて」となっている--同)、その反対物として、個性のない、抽象的一般的な、そしてこの形態でだけ社会的な労働として、すなわち貨幣として表示されなければならない、ということが現われている。個人的労働がこの表示をなしうるかどうかは、偶然のことのように見える。だから商品の交換価値(価値--同)は価格においてただ観念的に商品とは別の存在を受け取るだけであり、商品にふくまれている労働の二重の定在は、ただ異なった表現様式として存在するだけであるけれども、したがって他方、一般的労働時間の物質化したものである金は、ただ表象された価値尺度としてだけ現実の商品に対立しているのであるけれども、価格としての交換価値の定在、すなわち価値尺度としての金の定在のうちには、商品が響きを発する金(③では「じゃらじゃらと音を立てる金」となっている--同)と引き換えに外化する(③「譲渡されなければならない」--同)必然性とその譲渡されない可能性とが、要するに生産物が商品であるということから生じる全矛盾、言いかえれぽ、私的個人の特殊的労働が社会的効果をもつためにはその直接の対立物として、抽象的一般的労働としてあらわされなければならないということから生じる全矛盾が、潜在的にふくまれている。……目に見えない価値尺度のうちに、硬貨が待ち伏せしているのである。〉(全集第13巻52-53頁)

 要するに、これは誰でも知っているありふれたことですが、商品の価格形態というのは、それが貨幣になるべきこと(売られるべきこと)を表していますが、しかしそれが必ずしも貨幣に転化できる(売れる)とは限りません。商品がその価格通りに売れるかどうかは偶然のことのように見えるわけです。だから価格形態ではそれは依然としてただ潜在的に(可能性として)あるわけですから、それはまだ観念的なものであり、想像されたものだということです。しかしマルクスは同時に商品の価格は観念的な想像されたものですが、しかしその商品の価値を尺度して価格として表示する金の存在は現実的であると指摘しています。
 ところが今の時代においては、この「じゃらじゃらと音を立てる金」そのものが流通から姿を消してしまって、流通に存在し通貨として機能しているのはそれ自体にはほとんど価値のない「ぺらぺらの」紙でできた銀行券や「さして値打ちのない」硬貨だけなので、果たして現代の通貨には価値尺度の機能があるのか否かということが問題になっていることは前回も紹介しました。そこでも述べましたが、「じゃらじゃらと音を立てる」どうかはともかく現実の金(地金)そのものは現在でも市場で売買されており、金地金は主要国の中央銀行には保管されています。つまり商品市場には貨幣としての金は依然として存在しているのです。ただ外観上は金も一つの商品として売買されているだけに見えるから、貨幣としての金は存在しないかに見えているだけなのです。しかし売買されている金は、決して他の一般の商品と同じではありません。他の諸商品は個人的にか、あるいは生産的にか消費することを目的に売買されています。しかし金の場合は、確かに工業材料としてのそれは他の商品と同じように生産的な消費を目的にしたものですが、それ以外のものは決して消費を目的にしたものではありません。それはまさに絶対的な価値の化身として、すなわち価値の塊として扱われているのです。だからそれは単なる商品の売買ではなく、流通貨幣を蓄蔵貨幣に転化しているだけなのです。しかし市場で売買されている金のかなりの部分がそうしたものだと理解しても、果たして、それが現実に流通している銀行券や硬貨と如何なる関連にあるのかが問題になります。しかし、それについては後にまた問題になると思いますので、その時に説明することにしましょう。

 (ニ) しかしさまざまな商品の価値はさまざまな金の量として表されるので、それらがどれだけの金量かを一目でわかるように、ある固定された量の金を度量単位として、それに関連させて、それぞれの商品の価値を表す金量を測る必要が技術的に生じてきます。

 そもそも量というのは、見ればそれがどれだけのものか分かるものもあり、自分で手に持てばその重さで分かるものもありますが(しかし内包量のようにそれだけでは分からない量もあります)、しかしそれがどれだけの量かといわれとそれを表現することはできません。長さだと二つのものを並べてどちらが長いか短いかという比較はできますが、また二つのリンゴを両手に持ってだいたいどちらが重いか軽いかをいうことはできますが、ではどれだけの長さか、どれだけの重さか、と聞かれると答えようがないことになります。だからどれだけの量かを表現するためには、一定の量を基準として、その何倍か、あるい何分の一かという形で数で表現する必要が生じてくるわけです。金による価値の表現においては、表象された金量を表現するために、そうした作業が技術的に必要になるということです。しかしここで注意が必要なのは、それはあくまでも金の量を表現することであって、商品の価値の量を表すことではないということです。

 (ホ) またこの度量単位そのものは、さらに細かく割り切れる分量に分割されることによって、度量基準に発展させられます。

 例えば長さの度量基準は、白金とイリジウムの合金製の「メートル原器」というものがあり(これが度量単位です)、その長さをもとに、それがさらに細分されてセンチメートルやミリメートル、さらには拡大されてキロメートル等々があるわけです(もっともこの「メートル原器」は後に「86Krランプのだいだい色スペクトル線の真空波長」にとって替わられ、さらに1983年には「光の速さと走行時間に基づく新しいメートルの定義が採択され」たのだそうです。)また重量の単位であるキログラム原器もやはり白金とイリジウムの合金で出来ていますが、これも現在ではアボガドロ定数を使ったものに取って代わられようとしているのだそうです。

 (ヘ)(ト) 金、銀、銅は、もともと貨幣になる前に、すでに金属として、その重さによる度量基準を持っています。つまりそれらの大きさはその重さによって測られていました。だからその重量基準が、そのまま貨幣の度量基準になり、例えば1ポンドが度量単位として役立って、それが分割されて、オンスなどになり、さらには合算されてツェントナーなどになったのです。だから、すべての金属貨幣の流通では、重量の度量基準が、そのまま貨幣の度量基準やあるいは価格の度量基準の最初の呼称になっているのです。

 日本の江戸時代の貨幣の単位である「両」も重量単位でした(1両=37g)、それが貨幣単位なったのだそうです(1両=4分=16朱等)。現在の貨幣単位である「円」も江戸時代の「両」を俗に言い換えたものだったとの指摘もあります。
 ここでは〈貨幣の度量基準〉と〈価格の度量基準〉という二つの用語が出てきます。この二つはよく似ていますし、マルクスも〈または〉という形で言い換えているようにも見えます。では両者はまったく同じものと考えてよいのでしょうか。〈貨幣の度量基準〉というのは、文字通り実在の貨幣としての金を量的に表現するための度量基準です。しかし〈価格の度量基準〉というのは、商品の価値を価格として表すために表象された(想像された)貨幣としての金を量的に表現する度量基準なのです。もちろん、表象された金といっても、それは現実にある金を表象するのですから、両者が同じものだといえるかもしれません。

◎注54

【注54】〈(54) 第2版への注。イギリスにおける貨幣の度量基準の単位である一オンスの金が可除部分に分割されていないという奇妙な事情は、次のように説明される。「わが国の鋳貨制度はもともと銀だけの使用に適応させられていた。だから、一オンスの銀は一定の適当な個数の鋳貨につねに分割されうるのである。ところが、金は、銀だけに適応させられていた鋳貨制度に、もっと後の時期になってから導入されたので、一オンスの金は、割り切れる個数の鋳貨に鋳造されえないのである」(マクラレン『通貨史』、ロンドン、一八五八年、一六ページ)。〉

 イギリスの貨幣の単位であるポンドはもともとは銀が貨幣として通用していたときの銀の重要基準にもとづいた度量単位だったということは良く知られていることです。だから金本位制はあとから銀の本位制に適応されるような形で導入されたために、銀の場合は1オンスの銀を適当な個数に分割して鋳貨として鋳造することが可能でしたが、しかし同じ貨幣単位としての1オンスの金の場合は重量としては小さすぎて、それを分割して鋳貨として鋳造することが技術的にできかったということです。


◎第8パラグラフ(価値の尺度と価格の度量基準)

【8】〈(イ)貨幣は、価値の尺度として、また価格の度量基準として、二つのまったく異なる機能を果たす。(ロ)貨幣が価値の尺度であるのは、人間労働の社会的化身としてであり、価格の度量基準であるのは、確定された金属重量としてである。(ハ)貨幣は、価値尺度としては、多種多様な商品の価値を価格に、すなわち想像された金量に転化することに役立ち、価格の度量基準としては、この金量を測る。(ニ)価値の尺度によっては、諸商品が諸価値として測られ、これに対して、価格の度量基準は、金の諸分量をある金量によって測るのであって、ある金量の価値を別の金量の重量で測るのではない。(ホ)価格の度量基準のためには、一定の金重量が度量単位として固定されなければならない。(ヘ)この場合、およそ同名の大きさの度量規定を行う他のどんな場合でもそうであるように、度量比率の不変性が決定的となる。(ト)だから、価格の度量基準は、同一量の金が度量単位として変わることなく役だてば役立つほど、それだけよくその機能を果たす。(チ)ところが、金が価値の尺度として役立つのは、金そのものが労働生産物であり、したがって可能性から見て一つの可変的な価値であるからにほかならない(55)。〉

 (イ) 貨幣は、価値の尺度として、または価格の度量基準として、二つのまったく異なる機能を果します。

 貨幣としての金が、価値の尺度として果す機能と、価格の度量基準として果す機能とは、まったく異なるものだということがまず語られています。それがどう違うのかは、次ぎに述べられています。

  (ロ) 貨幣が価値の尺度であるのは、人間労働の社会的化身としてであり、価格の度量基準であるのは、確定された金属重量としてです。

 貨幣としての金が、価値の尺度としての機能を果すということは、商品に対象化された抽象的な人間労働、つまり価値という純粋に社会的なもを、金という物的なものの一定量として表現するということです。つまり金という自然物(その使用価値)そのものが、その姿のままで価値というまったく社会的なものとして認められているわけです。〈人間労働の社会的化身〉というのはそういう意味だと思います。
 他方、貨幣が価格の度量基準であるということは、貨幣(金)がある決まった金属重量物であるということだけが問題なのです。つまりその金属の重量基準に基づいて価格として表象された貨幣(金)の分量が計られるということです。

  (ハ)(ニ) 貨幣は、価値尺度としては、多種多様な商品の価値を価格に、すなわち想像された金量に転化することに役立ちます。価格の度量基準としては、その想像された金量を測るわけです。だから価値の尺度としては、さまざまな商品の価値が計られるのです。それに対して、価格の度量基準というのは、金の分量をある決められた金量を単位にして測るのです。だから価格の度量基準というのは、ある金量の価値を別の金量の重量ではかるのではありません。

 大谷氏は「貨幣機能」において、次のような例を紹介しています。参考のために紹介しておきましょう。

 〈曲線上の2点間の長さを測定しようとするときには、まず、自由に曲げることのできるもの,たとえば紐をその2点間の曲線にあてがい,そののちにそれを延ばして物差しで測ればよい。この場合,その紐は,曲線を直線に転形するという,いわば質の転換をもたらす役割をはたし,物差しは,そのようにして直線に転換された或る長さを単位となる長さの直線で測るという量的計量を行なっている。比喩的に言えば,価値尺度としての金の機能はこの紐が果たす役割であり,価格の度量標準としての金の機能はこの物差しが果たす役割である。言うまでもなく,曲線を直線に転換するのは,物のまったく物理的なある属性を他の属性に転換することであるのにたいして,価値尺度としての金は,物のまったく社会的な属性を自然物の量に転換するのであり,ここに価値尺度の質があるのである〉(『経済志林』61巻4号1994年、251頁)

  (ホ)(ヘ)(ト) 価格の度量基準のためには、一定の金重量が度量単位として固定されなければなりません。この場合、どんなものの量についても、その度量規定を行おうとすれば、度量比率が変わらないことが必要です。だから、価格の度量基準の場合も、同一量の金が度量単位として変わることなく役だてば役立つほど、それだけよくその機能を果たすのです。

 これは重量の度量単位であるキログラム原器が時と場所によってコロコロと変われば、日本とアメリカで同じ1キロと言っても、実際は重さが異なることになり、昔は1キロはこれこれだったが、今は違うなどというのでは、実用には耐えません。だから度量単位は固定されていなければ駄目だということはよく分かります。また1キロの1000分の1が1グラムだというのも、昔はそうだったが、今は100分の1を1グラムとするとしたのでは、どうしようもないことも明瞭です。価格の度量基準としての表象された金量を測る場合も同じだということです。

  (チ) ところが、金が価値の尺度として役立つことができるのは、金そのものが他の労働生産物と同じように価値を持った一つの商品だからです。そうでなければ、われわれが第1章で見たように、諸商品は、金を自己の価値に等しいものとして等置し、それによって自己の価値を共同で表すことはありえないのです。そして商品であるなら、その価値はその生産に社会的に必要な労働が対象化したものであり、その量は生産力が変われば必要労働時間も変わり、変化します。だから金は、可能性から見て、絶えず可変的な価値であるからこそ、他の商品に対する価値の尺度たりうるのです。

 『経済学批判』には次の一文があります。

 〈金は、なるべく可変的な価値でなければならない。なぜならば、金は労働時間の物質化したものとしてだけ、他の諸商品の等価物となることができるが、しかし同一の労働時間は、現実的労働の生産力の変動につれて、同一の使用価値の等しくない分量に実現されるからである。各商品の交換価値(価値--引用者)を他の一商品の使用価値であらわす場合と同様に、すべての商品を金で評価する場合にも、金はあるあたえられた瞬間にあるあたえられた量の労働時間をあらわす、ということが前提されているだけである。〉(50頁)

◎注55

【注55】〈(55) 第2版への注。イギリスの諸著では、価値の尺度(measure of value)と価格の度量基準(standard of value)とをめぐる混乱が話にならないほどひどい。それらの機能が、したがってまた呼称が、たえず混同されている。〉

 『経済学批判』の「B 貨幣の度量単位にかんする諸理論」(全集版59頁以下参照)では、さまざまな混乱が批判的に紹介されていますが、〈イギリス哲学における神秘的観念論の代表者であるバークリ主教が、貨幣の観念的度量単位説に、実際家の「大蔵大臣」がゆるがせにした理論的言い回しをあたえたのは、当然のことであった〉としてバークリーの主張を紹介したあと次のように批判しています。

 〈ここには、一方では価値の尺度と価格の度量標準との混同がみられ、他方では尺度としての金または銀と流通手段としての金または銀との混同がみられる。貴金属は流通行為では表章によって置き換えられうるという理由で、バークリは、これらの表章はそのものとしては無を、すなわち抽象的価値概念をあらわす、と結論したのである。〉(62頁)

 (とりあえず、ここらあたりで一回分として区切りをつけます。以下、続きます。)

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【付属資料】

●第7パラグラフ

《批判》

 〈金が価値の尺度となり、交換価値が価格となっていった過程を前提すれば、すべての商品は、その価格においては、さまざまな大きさのただ表象された金量であるにすぎない。金という同一物のこのようなさまざまな量として、すべての商品は、互いに等置され、比較され、測られるのであって、そこで諸商品を度量単位としての一定量の金に関係させる必然性が技術的に発展し、この度量単位は可除部分に細分され、この可除部分がさらにその可除部分に細分されることによって、度量標準にまで発展させられる。しかし金量そのものは、重量にょって測られる。だから度量標準は、金属の一般的な重量尺度のうちに、すでにできあがって存在しており、それゆえにこの重量尺度は、すべての金属流通のもとで、はじめはまた価格の度量標準としても役だつのである。諸商品が、もはや労働時間によって測られるべき交換価値としてではなく、金で測られた同じ名称の大きさとして互いに関係しあうことによって、金は価値の尺度から価格の度量標準に転化する。こうしてさまざまな金量としての商品価格相互の比較は、ある一つの想定された金量に記入されてこの金量を可除部分に分かれた度量標準としてあらわすところのいろいろな記号に結晶するのである。〉(全集13巻53頁)

《初版》

 〈価格がきまっている譜商品はすべて、a量の商品A=x量の金、b量の商品B=z量の金、c量の商品C=y量の金、等々 という形態で表わされているのであって、そこでは、a、b、cは、商品種類A、B、Cの一定量を表わし、x、z、yは、金の一定量を表わしている。だから、諸商品価値は、いろいろな量の想像された金量に、つまり、諸商品体が種々雑多であるにもかかわらず同名の量であるいろいろな金量に、転化されている。いろいろな金量は、同名の量であるために、それらが自分たちの尺度単位としてのある固定量の金に関係させられることによって、互いに比較されるし測られもする。この尺度単位そのものは、さらに可除部分に分割されることによって、尺度標準にまで発展する。金や銀や銅は、それらが貨幣になる以前に、このような尺度標準をそれらの金属重量のうちにすでにもっていた。だから、金や銀や銅の現存の金属重量標準が、もともと、それらの貨幣機能においてもつねに役立っている。〉(85-6頁)

《補足と改訂》

 〈[4 0 ] 1 1) p. 5 8)商品種類A、B、Cの一定量a,b 、cが、金の一定量X,Z 、yを表象する...
1 2 )同名の大きさ、あるいは同じ物つまり金の異なった量として、それらは相互に比較され、測られ合う。そこで、それらを度量単位としての一定の固定した金量に関連づける必要が技術的に生じてくる。この度量単位そのものは、さらに司除部分に分割されることによって度量基準に発展させられる。金、銀、銅はそれらが貨幣になるまえに、すでに金属重量としてこのような度量基準をもっているので、たとえば一ポンドが度量単位として役立ち、そこから一方では再分割されてオンスなどになり、他方では合算されてツェントナーなどになる。(注、金のオンスの分割について。(13)p.4 7、『批判』注1)だから、すべての金属流通では、重量の度量単位がまた貨幣の度量基準の最初の呼称をなしている。〉(前掲39頁)

《フランス語版》

 〈価格のきまった商品はすべて、a量の商品A=x量の金、b量の商品B=z量の金、c量の商品C=y量の金、等々の形態で現われるが、このばあいにa、b、cは、商品種類A、B、Cの一定量であり、x、z、yも同様に金の一定量である。これらの商品は同じ名称の大きさとして、すなわち、金という同じ物のちがった量として、相互に比較され測定される。このようにして、尺度単位として固定され規定された金の分量に商品を関係づける技術的必然性が、発展するのである。次いでこの尺度単位自体が発展し、可除部分に分割されることによって尺度標準になる。金や銀や銅は、貨幣になる以前に、その重量尺度のうちにすでにこの種の尺度標準をもっているから、たとえばポンドが尺度単位として役立ち、次いでこの単位が、オンス等に再分割され、合算されてキンタール等々になる(5)。したがって、どの金属流通にあっても、重量尺度標準のすでに先行している名称が、貨幣尺度標準の最初の名称をなすわけである。〉(74-5頁)

●注54

《批判》

 〈貨幣の度量単位としてのイギリスにおける一オンスの金が諸可除部分に分割されていないという奇異な事態は、次のように説明される。「わが国の鋳貨制度は、元来は銀だけの使用に適合したものだった。それゆえ、一オンスの銀は、いつでも、ある適当な個数の鋳貨に分割することができる。ところが、金は、のちの時代になってから、銀だけに適合していた鋳貨制度のなかにもちこまれたので、一オンスの金は、割りきれる個数に鋳造することはできないのである。」(マクラレン『通貨史』、一六ぺージ、ロンドン、一八五八年)〉(全集13巻54頁)

《フランス語版》

 〈(5)イギリスの貨幣尺度の単位である金一オンスが、可除部分に再分割されていないという奇妙な事実は、次のように説明される。「わが国の鋳貨は初めはもっぱら銀に適用されていたのであって、このため一オンスの銀はつねに多数の可除的な小片に分割することができる。ところが、金はこれより後の時代になってやっと、もっぱら銀に適用されていた鋳貨制度のなかに導入されたのであるから、金一オンスは多数の可除的な小片に鋳造することができないわけである」(マクラレン『通貨史』、ロンドン、1858年、16ページ)。〉(75頁)

●第8パラグラフ

《経済学批判》

 〈価値の尺度としての金と、価格の度量標準としての金とは、まったく違った形態規定性をもつのであって、その一方と他方との混同は、はなはだばかげた諸理論を生みだしてきた。金は、対象化された労働時間としては価値の尺度であり、一定の金属重量としては価格の度量標準である。金が価値の尺度となるのは、交換価値としての金が交換価値としての諸商品に関係させられているからであり、価格の度量標準においては、一定量の金が他のいろいろな量の金にたいして単位として役だつ。金が価値尺度であるのは、金の価値が可変的であるからであり、価格の度量標準であるのは、それが不変の重量単位として固定されるからである。この場合には、同名の大きさのすべての度量規定の場合と同じように、度量比率が固定し、確然としていることが決定的となる。〉(53頁)
 〈金は、なるべく可変的な価値でなければならない。なぜならば、金は労働時間の物質化したものとしてだけ、他の諸商品の等価物となることができるが、しかし同一の労働時間は、現実的労働の生産力の変動につれて、同一の使用価値の等しくない分量に実現されるからである。各商品の交換価値を他の一商品の使用価値であらわす場合と同様に、すべての商品を金で評価する場合にも、金はあるあたえられた瞬間にあるあたえられた量の労働時間をあらわす、ということが前提されているだけである。〉(50頁)

《初版》

 〈諸商品は、自分たちの価値を全面的に金で表現することによって、金を価値の尺度に転化させる。こうして、諸商品の価値量は、価格すなわち想像された金量、という形態を受け取る。価値の価格へのこの転化が、ひとたび実現すると、価値の尺度価格の尺度標準にまでさらに規定してゆくことが、技術的に必要になる。双方の機能は全くちがっている。価格の尺度標準としては、一定量の金は固定されることができるし、また固定されなければならないが、このことはちょうど、ほかの同名の諸量についての尺度標準のばあいと同じである。金の価値変動は、金のいろいろな重量部分相互間の比価を変えはしないし、また、これらの部分の法的に固定された洗礼名は、これらの部分の重量を変えもしない。価格の尺度標準は、いろいろな金量をある固定された金量で測るにすぎないのであって、ある金量の価値を別の金量の重量によって測るわけではない。〉(87頁)

《補足と改訂》

 〈1 4) p. 5 9 )貨幣は、価値の尺度として、また価格の度量基準として、二つのまったく異なる機能を果たす。貨幣が価値の尺度であるのは、人間的労働の社会的化身としてであり、価格の度量単位であるのは、確定された金属重量としてである。貨幣は価値尺度としては、多種多様な商品の価値を価格に、すなわち表象された金分量に転化することに役立ち、価格の度量基準としては、この金分量をはかる。価値の尺度によっては、諸商品が諸価値としてはかられ、これにたいして、価格の度量基準は、金の諸分量をある金分量によってはかるのであって、ある金分量の価値を別の金分量の重量ではかるのではない。価格の度量基準のためには、一定の金重量が度量単位として固定されなければならない。この場合、およそ同名の大きさの度量規定を行なう他のどんな場合でもそうであるように、度量比率の不変性が決定的となる。だから価格の度量基準は、同一分量の金が度量単位およびその再分割が変わらなければ変わらないほど、それだけよくその機能を果たす。ところが、金が価値の尺度として役立つのは、金そのものが労働生産物であり、したがって可能性から見て一つの可変的な価値であるからにほかならない。価値の基準<Standard of value>という言葉はときによって異なった意味で錯綜して使われている。〉(39-40頁)

《フランス語版》

 〈価値尺度として、また価格の尺度標準として、金は二つの全くちがった機能を果たす。金は、一般的等価物としては価値尺度であり、固定した金属重量としては価格の尺度標準である。それは価値尺度としては、商品の価値を、想像された金量である価格に転化するのに役立つ。それは価格の尺度標準としては、これらの任意の金量を、固定的であって可除部分に再分割されている金の分量でもって、測定する。価値尺度のうちに、商品は自分自身の価値を表示する。価格の尺度標準はこれに反して、金のいくばくかの分量を金のある分量で測るにすぎず、金のある分量の価値を金の他の分量の重量で測るわけではない。価格の尺度標準にとっては、金の一定の重量が尺度単位として固定される必要がある。同じ名称の大きさのあいだで尺度をきめるというあらゆるばあいのように、ここでも尺度単位を固定することが絶対的な必要事である。したがって、尺度単位とその下位区分が変化をこうむることが少なけれぽ少ないほど、価格の尺度標準はその機能をますますうまく果たすのである。他方、金が価値尺度として役立つことができるのは、金自体が労働生産物、すなわち可変的な価値であるからにほかならない。〉(75頁)

 

●注55

《経済学批判》

 〈イギリス哲学における神秘的観念論の代表者であるバークリ主教が、貨幣の観念的度量単位説に、実際家の「大蔵大臣」がゆるがせにした理論的言い回しをあたえたのは、当然のことであった。彼はこう問う。
 「リーヴル、ポンド、クラウン等々の名称は、たんなる比率の名称」(つまり抽象的価値そのものの比率)「とみなすべぎではないか? 金、銀、または舐幣は、それ」(価値比率) 「を計算し、記録し、管理するためのたんなる切符か合い札以上のものだろうか? 他人の勤労」(社会的労働)「を支配する力が富ではないのか? そして貨幣は実際上、こういう力を移転しまたは記録するための合い札か章標以外のものであろうか? またこれらの合い札がどんな材料でできているかということが、非常に重要なことであろうか?」
 ここには、一方では価値の尺度と価格の度量標準との混同がみられ、他方では尺度としての金または銀と流通手段としての金または銀との混同がみられる。貴金属は流通行為では表章によって置き換えられうるという理由で、バーすクリは、これらの表章はそのものとしては無を、すなわち抽象的価値概念をあらわす、と結論したのである。〉(61-62頁)

《補足と改訂》

〈価値の基準<Standard of value>という言葉はときによって異なった意味で錯綜して使われている。〉(40頁)

 

 

 

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