『資本論』学習資料室

泉州で開催された「『資本論』を読む会」の4年余りの記録です。『資本論』の学習に役立たせてください。

『資本論』学習資料No.20(通算第70回)(1)

2020-03-22 22:00:08 | 『資本論』

『資本論』学習資料No.20(通算第70回)(1)

 

◎「価値物」と「価値体」(大谷新著の紹介の続き)

 今回も前回と同様、大谷禎之介著『資本論草稿にマルクスの苦闘を読む』の「Ⅲ 探索の旅路で落ち穂を拾う」の「第11章 マルクスの価値形態論」を取り上げます。今回は「価値表現の回り道」という問題を取り上げているところなのですが、この問題に関する大谷氏の主張については、私は何度かその問題点を指摘してきましたが、その繰り返しになるかも知れませんが、やはりその問題点を指摘することにします。
   まず、大谷氏は価値表現のメカニズムについて次のように説明しています。(なお「価値表現」について少し説明しておきますと、ここで大谷氏が問題にしているのは、20エレのリンネル=1着の上着 という等式で表される「単純な価値形態」において、如何にしてリンネルの価値が上着で表現されているのかという問題です)。

 〈この連関(つまり 20エレのリンネル=1着の上着 という関連--引用者)のなかでは,第1に,上着はボタンのついたその物的な姿のままで価値の存在形態の意味をもっている。あるいはむしろ,そのモダンなデザインにもかかわらず,上着はこの関係のなかでは,ある量の価値をもっているもの,すなわち〈価値物〉という意味しかもっていない。というのは,上着がリンネルと等しいのは,そういうものとしてでしかないのだからである。このように,その身体そのものが或る量の価値という意味しかもっていない商品を〈価値体〉と呼ぶ。つまり,リンネルー=上着という価値表現によって,一[= ]→上着という形態を受け取った上着が,価値体となっているのである。他方で第2に,リンネルは,このような価値体としての上着と等しいということによって,自分が価値であることを表現している。こうして,リンネルの価値が,その使用価値--これはリンネルの身体そのもの,その現物形態に現われている--から区別されて表現されている。〉(491頁) (ここには大谷氏独特の表現方法が使われていますが、それを説明すると煩雑になりますので、やめておきます。)

 さて、ここにはやはり私には納得のゆかない記述があるように思えます。それを箇条書きで書いてみましょう。

  (1)まず〈上着はボタンのついたその物的な姿のままで価値の存在形態の意味をもっている〉と述べていますが、〈意味をもっているという表現が曖昧です。上着はそのボタンをつけた物的姿のままで価値そのもの、リンネルの価値が具体的な姿をとって現われているものとして認められている(あるいは通用する)とすべきだと思います。だからまた……

  (2)〈あるいはむしろ,そのモダンなデザインにもかかわらず,上着はこの関係のなかでは,ある量の価値をもっているもの,すなわち〈価値物〉という意味しかもっていない〉というものやや不可解です。もし上着がその物的な姿のままに価値そのものを意味し、価値が具体的な姿をとって現われているものとして認められるのであれば、そのモダンなデザインのままに、価値そのものとして認められるということであり、決して単に〈ある量の価値をもっているもの〉、つまり単に上着も価値を持っているというようなことでは決してないのです。確かに上着もリンネルと等量の価値を持っていることは前提されていますが、しかしここではそんなことが問題になっているのではありません。ここで問題になっているのは、モダンであろうがなかろうが上着はそのデザインのままに、その姿のままに価値であり、リンネルの価値が具体的な姿をとって現われているものになっているのです。そしてそれこそ「価値物」の意味です。
   大谷氏はあいからず「価値物」を「価値をもっているもの」という説明で満足しているようですが、これではリンネルの価値が表現されているとはいえないということが分かっていないように思えます。「少女はリンゴをもっている」といえば、確かに「リンゴ」も「もっている」ことも見えますし、分かります。しかし「少女はすぐれた能力をもっている」という場合、その「能力」そのものは目に見えないし、だから「もっている」というだけでは、その能力は目に見えないのです。価値も同じなのです。上着は「価値を持っているもの」だと言われても、それだけでは価値は目に見えるものとして現われているとはいえないのです。

  (3)上記の問題点から必然的に出てくることですが、大谷氏は「価値物」と「価値体」との区別と関連が分かっていないということです。
    ここで問題になっているのは、二商品の価値関係のなかに価値の表現を見ているのですが、それを本質が現象する過程としてマルクスは論じているのです。価値という“まぼろしのような対象性”が、すなわち本質が(ヘーゲルは本質とは無から無に推移する世界だと説明しています。つまりそれはわれわれが目にする直接的な「有の世界」ではなくて、その背後に隠れた「無の世界」なのです)、如何にして具体的な物的姿をとって現象するのかということです。この点で、マルクスはヘーゲルの論理学に忠実に問題を論じようとしているように思えます。ヘーゲルの論理学の本質論をみれば、本質はまず直接的には現存在として、すなわち「物」として現われます。物は本質の直接体であり、本質が最初に現われるものです。しかしヘーゲルは物そのものはまだ本質との関係については反省されたものとしてあるわけではなく、本質との反省関係を まって、つまり物として現われているものが、どういう本質から出たものかをその内在的な関連を掴み直して、初めてその物はある特定の本質が現われたものであることが分かるのであり、そうして初めてその物は「現象」として捉えられるのだというのがヘーゲルの説明なのです。
    だから価値という本質が二商品の反省関係のなかで直接的なものとして現われた「物」が、すなわち「価値物」(現存在)であり、その価値物をさらにその本質から(価値を形成する労働の二重性にまで遡って)捉え返すことによって、それを価値の現象形態として、すなわち「価値体」として捉えることができるのです。だから「価値物」というのは価値の直接的な顕現形態であるのに対して、「価値体」は価値の反省された顕現形態、すなわち現象形態なのです。この違いが大谷氏には捉えきれていないのです。

  (4)〈リンネルの価値が,その使用価値--これはリンネルの身体そのもの,その現物形態に現われている--から区別されて表現されている〉と説明していますが、やや説明不足です。リンネルの価値が自身の使用価値と区別されて表現されているといいますが、それはリンネルの使用価値と区別された上着の使用価値という姿としてリンネル価値が現われているからなのです。そこらあたりが今一つ説明不足のような気がしました。ただ次のように大谷氏が述べていることは問題が正しく捉えられていることを示しているのではありますが……。

 〈このようにして,感覚的につかむことができないリンネルの価値が,感覚的につかむことができる上着の使用価値によって表現されているのであり,リンネルの価値が上着の使用価値という形態で現われている。ここでは,上着はリンネルの価値の現象形態となっているのである。〉 (491頁)

 そして大谷氏は価値表現のメカニズムで肝心なこととして次のように述べています。

  〈以上の価値表現のメカニズムで最も肝心なところは,リンネルが自分の価値を自分だけで直接に表現することができないので,ひとまず他商品上着を自分に等置し,それを価値体にしたうえで,この価値体で自分の価値を表現する,という回り道をしていることである。これを〈価値表現の回り道〉という。価値表現のメカニズムの肝要は,まさにこの〈回り道〉にある。〉 (491頁、太字は大谷氏による強調)

   これは久留間鮫造氏が「回り道」をあまりにも強調したことから、それを受け継いだ大谷氏によって繰り返されているわけですが、若干、疑問を持ちました。リンネルが上着を〈価値体にしたうえで,この価値体で自分の価値を表現する,という回り道〉というのですが、そもそも上着が価値体になるというのは、それはリンネルの価値の現象形態になるということです。つまりそれはリンネルの価値が具体的な姿をとって直接的なものとして現われているものなのです。ということはすでにその時点でリンネルの価値は表現されているということです。だから上着を〈価値体にしたうえで,この価値体で自分の価値を表現する〉というのは同義反復でしかないのです。確かにリンネルは自分の即時体〔an sich〕である自身の内在的な価値を上着として対自化〔für sich〕して、それによって自分自身を(即且つ対自〔an und für  sich〕として)その直接体である使用価値と内在的な価値との統一物として、自分自身を現すというのならわからないことはありません。しかしこれはさらなる反省関係を前提しています(これは商品を商品として自立的なものとして、それ自体として示すことです。すなわちこれは値札を付けた商品のことであり、そうなればそれは他の助けもなしに商品としてそれ自体として存在しています)。だから回り道というのはあくまでもリンネルに内在する価値を表現するには、それ自身の直接体であるリンネルの使用価値によっては不可能なので、他の商品、つまり上着の直接体であるその使用価値によって相対的に表現するしかないという意味と同義と理解すべきです。それ以上の意味を「回り道」に付加しようとするのは何らかの間違いに転じかねないと思います。
    これは大谷氏においては無自覚なのですが、「表す」、「表現」というのは内在的で目に見えないものが何らかの直接的なものとして現われてくるということです。われわれの目や耳や触感などの五感で認識できるような存在になるということです。「喜びを表す」という場合、「喜び」という目に見えない内心を直接体である顔の表情や身体あるいは言語によって示すことです。直接的なものというのは「有の世界」です。それに対して価値は「本質の世界」のものです。本質的なものはまさに"まぼろしの様な対象性"であり、われわれの五感では捉えきれないものです。しかし本質は有を通じて自身を現すのであり、有として現われない本質などありません。これは何度も使った例ですが、重力の法則は目に見えませんが、石ころを放り投げれば、放物線を描くことで自身を現してきます。しかし石ころを投げれば弧を描いて落ちることは、誰でも知っています。しかしそれがなぜそうなるのかは石ころを見ているだけでは分かりません(つまりそれはまだ直接的なものに留まっており、確かにそれは有として現われた本質なのですが、まだ本質との関係が分からないものなのです。それが「価値物」です)。しかし重力の法則という本質の世界との関連においてその石ころの運動を見ると、その弧は放物線であり、それがそのような独特の曲線を描くのは重力の法則が自らを現しているからだと理解できるのです。そうして初めてその石ころの運動を重力の法則の現象形態として捉えることができるのです(すなわち「価値体」です)。大谷氏は価値「表現」というタームを使っていながら、この「表現」ということの意味を深くは考えていないように思えます。ついでに付け加えておきますと、価値「形態」という場合は“まぼろしのような対象性”でしかない価値が何らかの形あるものとして現われているということです。そのことによって価値が「表現」される、つまり私たちの目にみえるものになるわけです。「○○円」と書かれた値札を見るということは、その値札の付いた商品の価値を私たちは貨幣の媒介を経て見ていることになります。
 大谷氏の説明はまだまだ続くのですが、あまりにも長くなりすぎますので、割愛します。いずれにせよ、大谷氏の説明は勉強になりますし、一読の価値があることは強調しておきたいと思います。

 さて、今回もやや大谷氏の新著の紹介が長くなりすぎましたが、それでは前回の続きに入りましょう。
 今回は第5パラグラフからですが、この第5パラグラフは初版ではコロンブスの引用も含めて、第4パラグラフのなかに含まれており、全集版ではそれぞれ違った三つのパラグラフに分けています(第4パラグラフ、引用文、第5パラグラフ)が、しかしその注のつけかたから考えますと(すべての注が第5パラグラフのあとにつけられている)、どうやら初版と同じようにこの三つのパラグラフは一つのパラグラフと考えているふしがあります。フランス語版は、コロンブスの引用は第4パラグラフに入っています。だから第4パラグラフの注はそのあとにあり、第5パラグラフは二つのパラグラフに分けられ、注もそれぞれのパラグラフのあとに付いています。恐らくのマルクスの最終的な構想としてはこのフランス語版が近いのではないでしょうか。


◎第5パラグラフ(流通は、大きな社会的な坩堝(ルツボ)となり、いっさいのものがそこに投げこまれてはまた貨幣結晶となって出てくる)

【5】〈(イ)貨幣を見てもなにがそれに転化したのかはわからないのだから、あらゆるものが、商品であろうとなかろうと、貨幣に転化する。(ロ)すべてのものが売れるものとなり、買えるものとなる。(ハ)流通は、大きな社会的な坩堝(ルツボ)となり、いっさいのものがそこに投げこまれてはまた貨幣結晶となって出てくる。(ニ)この錬金術には聖骨でさえ抵抗できないのだから、もっとこわれやすい、人々の取引外にある聖物〔res sacrosanctac,extra commercium hominum〕にいたっては、なおさらである(90)。(ホ)貨幣では商品のいっさいの質的な相違が消え去っているように、貨幣そのものもまた徹底的な平等派としていっさいの相違を消し去るのである(91)。(ヘ)しかし、貨幣はそれ自身商品であり、だれの私有物にでもなれる外的な物である。(ト)こうして、社会的な力が個人の個人的な力になるのである。(チ)それだからこそ、古代社会は貨幣をその経済的および道徳的秩序の破壊者として非難するのである(92)。(リ)すでにその幼年期にプルトンの髪をつかんで地中から引きずりだした近代社会は(93)、黄金の聖杯をその固有の生活原理の光り輝く化身としてたたえるのである。〉

  (イ)(ロ)(ハ) 貨幣からは、なにがそれに転化したのかを見てとることはできないのですから、商品であろうとなかろうと、あらゆるものが貨幣に転化します。すべてのものが売れるものとなり、買えるものとなります。流通は、大きな社会的な坩堝(ルツボ)となり、いっさいのものがそこに投げこまれては、また貨幣結晶となって出てきます。

   すでに私たちは価値尺度のところで、価格形態には一つの質的な矛盾があることを学びました。つまりそれ自体としては商品でないようなもろもろの物、例えば良心、名誉などが、その所有者によっカネで売られるということを知りました。だから商品であろうが、なかろうが、あらゆるものが貨幣に転化するわけです。すべてのものが売れるものになり、買えるものになるのです。そしてそれを媒介するのが流通であり、だからそれは社会的な坩堝になるというわけです。あらゆるものがそこに投げ込まれて貨幣として出てくるわけです。

  (ニ) この錬金術には聖骨でさえ抵抗できないのですから、それよりももっとはるかにこわれやすい、「人間の取引の外にある聖なるもの」〔res sacrosanctac,extra commercium hominum〕(フェニキアの乙女たち)にいたっては、なおさらのことです。

   この貨幣を得ようとする欲求には誰もあらがうことができません。聖人をきどる坊主どもが、聖なる遺物でさえもたたき売ってでも手に入れようとしたわけですから、フェニキアの乙女たちが、自分の身体を売って、それを手に入れたからといって、誰もそれをとがめることはできないでしょう。

  (ホ) 貨幣では商品のいっさいの質的な相違が消え去られているように、貨幣はまた貨幣で、徹底的な水平派として、いっさいの区別を消し去ります。

   糞尿を売って手に入れた貨幣でも何の匂いもしないように、貨幣においてはそれがいかなる商品の転化したものかの痕跡は消え去っています。貨幣はその意味では徹底的な水平派(平等派)なのです。

  (ヘ)(ト) けれども貨幣は、それ自身が商品であり、だれの私有財産にもなることができる外的な物です。こうして、この社会的な力が、私的な人格をもつ私的な力になるのです。

   しかも貨幣は、また一つの商品であって一つの物に過ぎず、誰でもそれを持つことができます。そしてそれを誰が持とうが同じ貨幣としての力をその所持者に与えます。つまり貨幣のもつ社会的な力が、私的な人格のもつ私的な力になるのです。
  『経済学批判・原初稿』には次のような一文があります。

  〈貨幣とは「特定の人格にはかかわらない〔unpersönlich〕所有物である。貨幣というかたちで私は、一般的な社会的力(マハト)を、一般的な社会的連関を、社会的実体を、ポケットに入れて持ち運ぶことができる。貨幣は社会的力(マハト)を物として私的人格の手中に委ねるから、私的人格は、この社会的力(マハト)を私的人格として行使するのである。社会的連関そのものが、社会的素材変換そのものが、貨幣という姿で、まったく外在的なものとして現象する。この外在的なものは、それの占有者に個人的な関連をもつことがないから、それの占有者が行使する力(マハト)をもまた、まったく偶然的なもの、その人にとって外在的なものとして現象させるのである。〉 (草稿集③37頁)

  (チ) それだからこそ、古代社会は貨幣を、その経済的および道徳的秩序の破壊者として非難するのです。

   こうした貨幣の魔力から、古代社会では貨幣を経済や道徳の破壊者として非難したのです。注92にはソフォクレスの『アンティゴネ』の一文が紹介されています。
  また『経済学批判要綱』には次のような一文もあります。

   〈ローマ人やギリシア人などのあいだでは、貨幣は尺度および流通手段としてのその最初の両規定において、はじめてさまたげもなく現われているが、この両規定においては、それほどの発展はなかった。しかし、彼らの商業などが発展するか、またはローマ人のばあいのように、略奪によって貨幣が大量に供給されるかするようになると、--要するに、彼らの経済的発展がある一定の段階に達すると、突然に、貨幣は必然的にその第三規定において現われる。そして貨幣がこの規定において成熟すればするほど、貨幣は彼らの共同団体を没落させるものとして現われるのである。……個々の個人は、今日でもなお、偶然的に貨幣を手に入れることがあるのであって、そのために貨幣を占有することが、古代人の諸共同団体に貨幣が解体的な作用をおよぼしたのと同様に、個人にたいしても解体的な作用をおよぼすことがままあるのである。……古典古代的な意味あいにおける貨幣占有者は、彼が心ならずも奉仕するところの産業的過程によって解体される。この解体は、ただ彼の人格だけにかかわることである。……貨幣それ自体が共同制度〔Gemeindewesen〕となっていないところでは、貨幣は共同団体〔Gemeindewesen〕を解体しないではおかない。〉 (草稿集①245-246頁)

  (リ) すでにその幼年期に、すべての富を生む地下の神であるプルートーンの髪をつかんで大地の奥底から引きずりだした近代社会は、黄金の聖杯を高くあげて、自分の特異きわまる生活原理の輝ける化身、すなわち貨幣を喜び迎えるのです。

   資本主義の幼年期というのは、重金主義の時代であり、金を求めて世界中を駆けめぐった大航海時代でもありました。黄金こそが富の物質的代表であり、地球のすみずみまで地中を掘り起こして、黄金を求めることがすべての出発点だったのです。『経済学批判要綱』には次のような一文があります。

   〈個体化した交換価値としての貨幣、またそれとともに受肉した富としての貨幣は、錬金術で探し求められてきた。貨幣は重金主義〔Monetaraystem〕においてはこうした規定でたち現われる。近代的な産業社会の発展する前期待代は、諸個人ならびに諸国家の一般的な金銭欲をもって開始される。富の諸源泉の現実的発展は、富の代表物を手に入れるための手段として、いわば彼らの背後で進行していく。スペインのばあいのように、貨幣が流通から生じるのではなくて、生身のまま発見されるところでは、国民は貧乏になるが、他方、貨幣をスペイン人から買いとるために、労働しなければならない諸国民は、富の源泉を発展させ、現実的にもまた富裕になっている。それゆえ、新大陸や新しい国々における金の探索と発見は、革命〔Revolution〕の歴史においてきわめて大きな役割を演ずる。なぜなら、これらの土地では植民は、出たとこ勝負で行なわれ、促成栽培的に進行するからである。ところかまわず行なわれる金探しは、国土の発見や新しい国家形成にみちびく。それは、まずもって、流通のなかにはいりこみ、新たな需要を〔つくりだし〕、そして遠隔の大陸を交換と物質代謝の過程に引きいれるような諸商品を増大させる結果にみちびくのである。したがってまた、こうした面からすれば、富の一般的代表物としての、個体化された交換価値としての貨幣は、富を普遍性〔Universalität〕にまで拡大するための手段であるとともに、交換の範域を全地球上におよぼすための手段でもあるという、二重の手段であった。つまり素材面と空間面との両面からみて、交換価値の現実的な一般性〔Allgemeinheit〕をはじめてつくりだすための手段であった。しかし貨幣の本性について幻想をいだくからこそ、すなわち貨幣の諸規定の一つをその抽象の状態で固執して、そのなかに含まれている諸矛盾を見過ごしてしまうからこそ、諸個人の背後でいつのまにか、貨幣にこうした本当に魔術的な意義があたえられることになるのだということが、ここで展開されている貨幣の規定のなかに含まれているのである。このような、自分自身矛盾する、したがってまた幻想的な規定をつうじて、つまり、このような貨幣の抽象態をつうじて、貨幣は、実際に、社会的生産諸力の現実的発展における、きわめて巨大な用具となるのである。〉 (草稿集①248頁)


◎原注88

【原注88】〈(88)「貨幣は一つの質物である。」(ジョン・ベラーズ『貧民、製造工業、商業、植民および非行に関する論考』、ロンドン1699年、13ページ。)〉

  これは前回(№19)解説した第4パラグラフの〈商品生産がさらに発展するにつれて、どの商品生産者も、諸物の神経(*)〔nervus rerum〕、「社会的な質物」を確保しておかなければならなくなる。〉という部分につけられた注です。つまり貨幣を「社会的な質物」と述べている一例としてジョン・ベラーズの著書が紹介されているわけです。ジョン・ベラーズは、以下に紹介する『資本論辞典』の解説によると、貨幣は真の富とはいえないという主張のなかでこうしたことを述べているようです。マルクスはジョン・ベラーズを〈経済学史上の真の奇才〉(全集第23巻a626頁)と述べ、その著書からの抜粋を『資本論』のいくつかの注の中で紹介しています。その人物と主張について、『資本論辞典』の説明を紹介しておきましょう。

  〈ベラーズJohn Bellers (c.I654-1725)イギリスのクウェイカー派(フレンド派)の博愛主義者・織物商人,その一生を,貧民のための授産所の経営,教育制度の改善,慈善病院の役立などの社会事業や,監獄の改革,死刑の廃止にささげた.主著としては,つぎのものがあげられる.《Proposals for Raising a College of Industry of a11 useful Trades and Husbandry, with Profit for the Rich,a Plentiful Living for the Poor,and a Good Education for Youth》(1695);《Essays about the Poor,Manufactures,Trade,Plantations.and Immorality,and of the Excellency and Divinity of Inward Light》(1699)・前者の著作は,多数の業種にたずさわる労働者およびその家族を産業専門学校と称する施設に収容して,彼らに適当な教育と生活環境をあたえることを主張したものである.その経営は,富裕なひとびとの基金によっておこなわれるが,その企業の利益は,これをもっぱら労働者たちの生活向上のためにあてられるべきだと訴えている.マルクスは,彼を‘経済学史上の非凡なる人物'と呼んで,この容の内容のいくつかをきわめて高く評価している.例えばベラーズは,貨幣は商品にたいする社会的な担保物(pledge)をあらわすにすぎない(Kl-136),したがって貨幣は富それ自体とはいえない,むしろ真の富は土地や労働であると述べ(KI-l44),貨幣の蓄蔵形態は‘死んだ資本'というべく,外国貿易に使用されるばあいのほかは,国になんらの利益をももたらさない(KI-152)き記している.またベラーズは,協業は個別的生産力をますばかりでなく,集団力としてのひとつの生産力の創造であるとして,協業の利益を示唆したり<K1-341),機械と労働者との闘争に言及して労働日の規制を主張したり<KI-341), 社会の両極に持てるものの富裕化と持たざるものの貧困化をつくりだす資本主義社会の教育と分業との組織を廃除せよと訴えたり(KI-514),労働者の労働こそ富めるひとびとの富裕化の源泉だととなえたりしている(KI-645)・17  世紀の末に,すでに,マユュファクチァ時代の資本主義的生産の諸矛盾について,これだけの洞察をなしている点で,イーデンもまた.ベラーズをその著作でしばしば引用している.〉(549-550頁)


◎原注89

【原注89】〈(89)(イ)すなわち、範疇的な意味での買いは、すでに金銀を、商品の転化した姿として、または売りの産物として、前提するからである。〉

   これも前回解説した第4パラグラフの〈しかし、貴金属はその生産源では直接に他の諸商品と交換される。ここでは、売り(商品所持者の側での)が、買い(金銀所持者の側での)なしに行なわれる。〉という部分につけられた注です。つまり貴金属の生産源での金銀生産者が自身の生産物である金銀と他の諸商品と交換する行為は、範疇的な意味での購買ではない理由として、マルクス自身の説明が加えられているわけです。つまり範疇的な意味での購買というのは、購買において支出される貨幣(金銀)は、それ以前に何らかの商品を販売した入手した貨幣(金銀)でなければならないということです。すでに私たちはそのことをW-G-Wという商品変態の考察において確認しました。購買G-Wには販売W-Gが前提されるということをです。『経済学批判』には次のような説明がありました。

  〈もしわれわれがW-GのGをすでに完了した他の一商品の変態として考察しないとすれば、われわれは交換行為を流通過程から外へ取り出すことになる。だが、流通過程の外では、形態W-Gは消滅して、二つの異なるW、たとえば鉄と金とが対立するだけであり、それらの交換は、流通の特殊な行為ではなく、直接的交換取引〔物々交換〕の特殊な行為である。金は、他のすべての商品と同様に、その原産地では商品である。〉 (全集第13巻72-73頁)

  つまり原産地の金銀はいまだ貨幣ではなく、一つの商品なのです。商品としての金銀が、他の諸商品と直接的に交換(物々交換)されるだけなのです。しかし金銀と交換する他の諸商品の所持者の側からみれば、交換して入手した金銀は貨幣なのです。だからその諸商品の所持者からみれば、その行為は販売になるのです。


◎原注90

【原注90】〈(90)(イ)最もキリスト教的なフランス王アンリ3世は、修道院などから聖遺物を盗んできてそれを貨幣に換えている。(ロ)フォーキス人〔ギリシア中部の住民〕によるデルフォイ神殿の財産の略奪がギリシアの歴史でどんな役割を演じているかは、人の知るところである。(ハ)周知のように、古代人のあいだでは、商品の神には神殿が住居として役だった。(ニ)神殿は「神聖な両替台」だった。(ホ)特にきわだって商業民族だったフェニキア人には、貨幣は、あらゆる物の離脱した姿として認められた。(ヘ)だから、愛の女神の祭の日に他国人に身をまかせた乙女たちが、報酬として受けた貨幣を女神にささげたのは、当然のことだったのである。〉

  これは第5パラグラフの〈この錬金術には聖骨でさえ抵抗できないのだから、もっとこわれやすい、人々の取引外にある聖物〔res sacrosanctac,extra commercium hominum〕にいたっては、なおさらである〉という一文につけられた注ですが、マルクス自身の文章として書かれていますので、文節ごとにその内容を考えてみましょう。

  (イ) フランスで最もキリスト教的な王であるアンリ3世は、修道院などから聖遺物を盗んできて、それを銀化、すなわち貨幣に換えています。

  〈最もキリスト教的なフランス王〉という部分に新日本新書版では〈「もっともキリスト教的な王」はフランス国王の公式称号」〉(225頁)という訳者注が付いています。アンリ3世が聖物を盗んだという事実を紹介する文献は確認できませんでしたが、『経済学批判要綱』にあるヒュルマンの『中世の都市制度』(ボン、1827年、第2部)からの抜粋ノートには、次のような一文があります。

 〈バーゼルその他の何人かの司教は司教の指輪、絹の法衣、教会のあらゆる調度品を、取るに足らぬ値でユダヤ人に質入れし、利子を支払った。しかし司教、僧院長、僧侶も、教会の調度品をフィレンツエやシエナやその他の都市からくるトスカナの貨幣取扱業者に質入れし、その利益の分け前にあずかることによって、彼ら自身が教会の調度品で暴利をむさぼった」、云々。〉 (草稿集②725頁)

 また同じマルクスのノートですが、マオリ・オジエ『公信用ならびに古代より現代にいたるその歴史について』、パリ、1842年からの抜粋には、次のようなものがあります。

  〈15世紀初頭のフランスでは、聖別された教会器物(祭壇の聖杯)等々さえもがユダヤ人のもとに質入れされた。〉 (草稿集②778頁)。

  (ロ) フォーキス人〔ギリシア中部の住民〕によるデルフォイ神殿の聖物の略奪がギリシアの歴史でどんな役割を演じているか、よく知られていることです。

  〈フォーキス人〔ギリシア中部の住民〕によるデルフォイ神殿の財産の略奪〉には同じように新日本新書版には〈前457年、フォキス人はアテネと同盟してデルフォイを占領した〉(225頁)という訳者注があります。〈ギリシアの歴史でどんな役割を演じているか〉というのは、いわゆる第3神聖戦争の原因になったということのようです。次のような指摘があります。

  〈聖地デルフォイを管轄する隣保同盟評議会は、(紀元前)357年秋の会期において、涜神行為の科で、スパルタとフォキスに罰金刑の判決を下した。しかし両国はこれに従わず、逆にフォキスは将軍フイロメーロスの指導下に、(同)356年夏、デルフォイを軍事占領するという挙に出た。これに対してテーベとテッサリアを中心とする隣保同盟評議会は、フォキスに対する神聖戦争を布告する。こうしてギリシア本土の主要なポリスの大半を巻き込んだ、10年におよぶ第三次神聖戦争が始まったのである。〉(森谷公俊「第3次神聖戦争の勃発とテッサリア連邦」(『史学雑誌』104(6)34(1094)頁)

  (ハ)(ニ) 周知のように、古代人のもとでは、神殿が商品の住むところとして役だちました。神殿は「神聖な銀行」だったのです。

  〈神殿は「神聖な両替台」だった〉という部分は新日本新書版では〈神殿は「神聖な銀行」であった〉となっており(223頁)、そこには〈古代銀行は前8世紀のホメロスのときにすでに存在し、農工産物の質入れ、貸付け、鋳貨流通にともない、前6世紀には神殿銀行が私人の銀行とともに発生した〉という訳者注があります。

  (ホ)(ヘ) 「とりわけすぐれた」商業民族だったフェニキア人には、貨幣は、あらゆる物の脱皮した姿だと見なされていました。ですから、愛の女神たちの祭の日に他国人に身をまかせた乙女たちが、報酬として受けた貨幣片を女神にささげたのは、当然のことだったのです。

  もともと注90が付けられている〈この錬金術には聖骨でさえ抵抗できないのだから、もっとこわれやすい、人々の取引外にある聖物〔res sacrosanctac,extra commercium hominum〕にいたっては、なおさらである〉という一文のなかの〈人々の取引外にある聖物〉の部分には、新日本新書版には〔フェニキアの乙女のこと〕という訳者の説明がついていました。だからその部分の解説では〈この貨幣を得ようとする欲求には誰もあらがうことができません。聖人をきどる坊主どもが、聖なる遺物でさえもたたき売ってでも手に入れようとしたわけですから、フェニキアの乙女たちが、自分の身体を売って、それを手に入れたからといって、誰もそれをとがめることはできないでしょう〉と説明したのでした。エンゲルスは『家族、私有財産および国家の起源』のなかで、集団婚の痕跡の一つとして〈たとえばアルタテの祭りのときに神殿でおこなわれるフェニキアの乙女たちの肉体提供がそれである〉(全集第21巻55頁)と述べています。


◎原注91

【原注91】〈(91)「黄金? 黄色い、ギラギラする、貴重な黄金じゃないか? こいつがこれっくらいありゃ、黒も白に、醜も美に、邪も正に、賎も貴に、老も若に、怯も勇に変えることができる。……神たち! なんとどうです? これがこれっくらいありゃ、神官どもだろうが、おそば仕えの御家来だろうが、みんなよそへ引っばってゆかれてしまいますぞ。まだ大丈夫という病人の頭の下から枕をひっこぬいてゆきますぞ。この黄色い奴めは、信仰を編みあげもすりゃ、ひきちぎりもする。いまわしい奴をありがたい男にもする。白癩病みをも拝ませる。盗賊にも地位や爵や膝や名誉を元老なみに与える。古後家を再縁させるのもこいつだ。……やい、うぬ、罰あたりの土くれめ、……淫売め。」(シェークスピア『アゼンスのタイモン』。〔中央公論社、坪内訳、130-133ページ。〕)〉

   この注は本文の〈貨幣では商品のいっさいの質的な相違が消え去っているように、貨幣そのものもまた徹底的な平等派としていっさいの相違を消し去るのである〉に付けられています。確かにシェークスピアの引用文は、黒と白、醜と美、邪と正、賤と貴、老と若、怯と勇を対比させ、前者を後者に変えることができると述べています。その意味では〈貨幣では商品のいっさいの質的な相違が消え去っている〉といえなくもありません。〈徹底的な平等派としていっさいの相違を消し去る〉からそうした相違を無くすともいえるからです。
   しかしシャークスピアの一文でいわんとしているのは、“黄金の魔力”というようなもののように思えます。本文に関連した付属資料で紹介している『経済学批判・原初稿』には〈貨幣というかたちで私は、一般的な社会的力(マハト)を、一般的な社会的連関を、社会的実体を、ポケットに入れて持ち運ぶことができる。貨幣は社会的力(マハト)を物として私的人格の手中に委ねるから、私的人格は、この社会的力(マハト)を私的人格として行使するのである〉(草稿集③37頁)とあります。だから貨幣(黄金)を持っていれば、その社会的力はその私人の私的な力になり、それを持つ人は〈〉を〈〉と強引に言い換え、言い含める力を持っており、〈いまわしい奴〉でも貨幣(黄金)さえ持っていれば、誰もが〈ありがたい男〉として持ち上げるのであり、〈古後家〉でも金を持ってさえいれば〈再縁させる〉ことができる等々、といえるのではないでしょうか。
   その意味ではこの注は果たして適切なものといえるかどうかということについては若干の疑問符が付くように思えます。
   ただ少し調べてみますと、マルクスは『経済学批判・原初稿』にも、同じシェークスピアからの抜粋があり(やはり文言にば若干違うところもありますが)、〈黄金? 黄色い、ギラギラする、貴重な黄金じゃないか? こいつがこれっくらいありゃ、黒も白に、醜も美に、邪も正に、賎も貴に、老も若に、怯も勇に変えることができる〉という部分に、マルクス自身が〈すべてのものと取り換えられ、またすべてのものがそれと取り換えられるものが、墜落と売淫の一般的手段とみなされている〉と書いています(草稿集③84頁)。また『ライプツィヒ宗教会議、Ⅲ、聖マックス』のなかで、同じシャークスピアの一文を引用していますが(文面そのものはかなり違うところもありすが)、それは次のような文脈の中においてです。

  〈所有の最も一般的な形態である貨幣が、どんなに人格的固有性とかかわるところが少ないか、どんなにこれと真正面から対立しているかは、理論化するわれらの小市民〔シュティルナー〕よりも、シェークスピアのほうがすでによりよく知っていた、
「こいつがそれだけあれば、
黒を白に、醜を美にし、
悪を善に、老いを若くし、
卑怯を勇敢に、卑賎を高貴にする、
いやこの黄金色の.奴隷--
こいつは癩(ライ)病を好きにさせ--
             --こいつは
年とりすぎた寡婦(ヤモメ)に求婚者をつれてくる。
傷で毒の膿(ウミ)をたらしながら病院から、
胸くそ悪いと追い出された女を、
香(カオリ)さわやかに青春に若がえらすこいつ--
            眼にみえる神だ、
おまえはできぬ事どうしを親密に結ばせ、
接吻するように強いる!」〉 (全集第2巻230頁)

   つまりこの場合も〈所有の最も一般的な形態である貨幣が、どんなに人格的固有性とかかわるところが少ないか、どんなにこれと真正面から対立しているか〉を示す一例として、つまり〈貨幣そのものもまた徹底的な平等派としていっさいの相違を消し去る〉(今回の本文)ことの一例として、シェークスピアの一文を紹介しているのです。その意味ではマルクスのスタンスは変わっていないといえるのかも知れません。
 しかし『1844年の経済学・哲学手稿』にも同じシェークスピアの抜粋がありますが(表現はやはり若干違うところがあり、もっと長く抜粋もされています)、そこでは〈シェークスピアは金(カネ)の本質を的確に描いている〉として次のように述べています。

  〈シェイクスピアは金おいてとくに二つの属性があることを取り出している。
  (1)それは目に見える神であり、あらゆる人間的および自然的諸属性の、それらの反対物への転化であり、諸事物の普遍的な混同と転倒であり、それらもろもろの不可能事を睦(ムツ)み合わせる。
  (2)それは人間たちと諸国民との普遍的娼婦、普遍的取持役である。
  あらゆる人間的および自然的性質を転倒し混同し、もろもろの不可能事を睦み合わせるという金の神通力は、金の本質がじつは疎外されたところの、手放し〔外在化し〕、譲渡される人間の類的本質にほかならなぬところにある。それは外在化された人類の能力である。
  私が人間としてできないこと、したがって私のあらゆる個人的本質力にとってできないこと、それが私にはのおかげでできる。したがって金はこれらの本質力のどれをでもそれの本来の力とはちがったもの、換言すればその反対物たしらしめる。〉 (全集第40巻487頁)

  この初期のころのマルクスの指摘こそ、まさにシェークスピアの先の一文を的確に評価しているように私には思えるのですが、どうでしょうか。

   なおこれはついでに指摘しておくのですが、全集版の〈盗賊にも地位や爵や膝や名誉を元老なみに与える〉という部分は、新日本新書版では〈盗賊を立身させて、元老院議員なみの爵位や権威や栄誉を与えるやつなのだ〉(224頁)となっています。全集版の〈膝や〉というのはいま一つ意味不明なのですが、新日本新書版だと意味がわかります。


◎原注92

【原注92】〈(92)「まったく、世のきまりとなったものにも、黄金ほど人間にとって禍いなしろものはない。国は攻め取られ、男どもは家から追い立てられる。また往々にしてまともな心を迷わせ、恥ずべき所行へと向かわせる。それは人々に好智にたけた厚かましさを、いかな悪業にも恥じない不敬な業(ワザ)を教えこむのだ。」(ソフォクレス『アンティゴネ』。〔筑摩書房『世界文学大系』版、第2巻、呉訳、86ページ。〕)〉

  これは本文の〈それだからこそ、古代社会は貨幣をその経済的および道徳的秩序の破壊者として非難するのである〉という部分につけられた原注です。これはそうした貨幣を経済的なあるいは道徳的な破壊者として告発したソフォクレスの一文を引用しているものです。ソフォクレスについては『世界大百科事典』から紹介しておきましょう。

 〈古代ギリシア三大悲劇詩人の一人。詩人として,また一市民として輝かしい業績を残した彼の90年に及ぶ生涯は,前5世紀というアテナイの最盛期のほぼ全体と一致し,それ自体ギリシア古典文化の典型であり,また象徴と称することができよう。……(中略)……ソフォクレスは人知でははかりがたい神々の道,過酷な運命を凝視しつつ,それに対峙する人間の悲壮美を追求し,彫琢された文体によってそれを形象化することに成功した詩人であった。その意味でソフォクレスの描いた悲劇の担い手たる主人公たちは,ホメロスの英雄像のアテナイの新しい土壌における再生であったといえよう。現存作品中,《オイディプス王》に先立つ3編では主人公たち(アイアス,アンティゴネ,デイアネイラ)がみな劇半ばで自害して,そのために劇構成が2分されてしまうという共通の特徴をもつ。彼らの自殺はいっさいの妥協を排するソフォクレスの英雄たちの本性からして必然の結果であった。しかし古来最高傑作の誉れ高い《オイディプス王》以降の現存作品の主人公たち(オイディプス,エレクトラ,フィロクテテス)は,やはり自殺しても不思議ではない状況に置かれながらも,最後まで苦難に耐え通す人間として描かれ,それとともに作品構成もいわゆる〈二つ折れ〉構造を脱している。前3編の主人公たちに見る自殺という共通項自体は偶然の一致とも考えられようが,しかし全体として見れば,《オイディプス王》を軸に,ソフォクレスの英雄像の気性に,あるいは神々の世界と人間の世界のかかわりに,本質は変わらずとも,その現れ方に微妙な展開が見られるとの印象は否定しがたい。しかもこの変化は,ソフォクレスが悲劇詩人として活躍した前5世紀後半の時代の趨勢が明から暗に推移していったのと,まさに逆説的な関係に立つのである。つまり前3編が上演されたのは楽観的な啓蒙主義的思潮が謳歌された明るいペリクレス時代であった。この時代に血のきずなと国家の掟の相克を描いて体制批判ともとれる《アンティゴネ》が制作された意味は大きい。……以下略〉


◎原注93

【原注93】〈(93)「貧欲はプルトンそのものを地の中から引きだそうとする。」(アテナイナス『学者の饗宴』。〔シュヴァイクホイザー編、1802年、第2巻、第1部、第6篇、第23節、397ページ。〕)〉

  これは〈すでにその幼年期にプルトンの髪をつかんで地中から引きずりだした近代社会は〉という本文につけられた注です。「プルトン」について、『世界大百科事典』には、その別名の「ハデス」の名前で、次のような説明があります。

  〈ハデス  ギリシア神話で,地下の冥府の王。その名は〈見えざる者〉の意。地中に埋蔵される金銀などの富の所有者としてプルトン Ploutôn(〈富者〉)とも呼ばれたところから,ローマ神話ではプルト Pluto,またはそのラテン訳のディス Dis が彼の呼称となっている。ティタン神族のクロノスの子として生まれ,兄弟のゼウス,ポセイドンと力を合わせて,当時,世界の覇者であった父神とティタン神族を10年にわたる戦いで征服し,ゼウスが天,ポセイドンが海の王となったとき,ハデスは冥界の支配権を得た。のち,みずからの姉妹にあたる女神デメテルの娘ペルセフォネを地上からさらって后とした。
 古代ギリシア人の考えによれば,死者の亡霊はまずヘルメスによって冥界の入口にまで導かれ,ついで生者と死者の国の境の川ステュクスまたはアケロンを渡し守の老人カロンに渡されたあと,三つ頭の猛犬ケルベロスの番するハデスの館で,ミノス,ラダマンテュス,アイアコスの3判官に生前の所業について裁きを受ける。その結果,多くの亡霊はアスフォデロス(不鰻花)の咲きみだれる野にさまようことになるが,神々の恩寵めでたき英雄や正義の人士はエリュシオンの野(古い伝承では,はるか西方の地の果て,のちに冥界の一部と考えられた)に送られて至福の生を営む一方,シシュフォスやタンタロスのごとき極悪人はタルタロスなる奈落へ押しこめられ,そこで永遠の責め苦にあうものと想像された。(水谷 智洋)〉


  (今回も字数がブログの制限をオーバーしましたので、全体を3分割してアップします。)

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『資本論』学習資料No.20(通算第70回)(2)

2020-03-22 21:20:09 | 『資本論』

『資本論』学習資料No.20(通算第70回)(2)

 

 

◎第6パラグラフ(貨幣の量的な制限と質的な無制限との矛盾)

【6】〈(イ)使用価値としての商品は、ある特殊な欲望を満足させ、素材的な富の一つの特殊な要素をなしている。(ロ)ところが、商品の価値は、素材的な富のすべての要素にたいするその商品の引力の程度を表わし、したがってその商品の所有者の社会的富の大きさを表わしている。(ハ)未開の単純な商品所持者にとっては、また西ヨーロッパの農民にとってさえも、価値は価値形態から不可分なものであり、したがって金銀蓄蔵の増加は価値の増加である。(ニ)もちろん、貨幣の価値は変動する。(ホ)それ自身の価値変動の結果であるにせよ、諸商品の価値変動の結果であるにせよ。(ヘ)しかし、このことは、一方では、相変わらず200オンスの金は100オンスよりも、300オンスは200オンスよりも大きな価値を含んでいるということを妨げるものではなく、他方では、この物の金属的現物形態がすべての商品の一般的等価形態であり、いっさいの人間労働の直接に社会的な化身であるということを妨げるものではない。(ト)貨幣蓄蔵の衝動はその本性上無際限である。(チ)質的には、またその形態から見れば、貨幣は無制限である。(リ)すなわち、素材的な富の一般的な代表者である。(ヌ)貨幣はどんな商品にも直接に転換されうるからである。(ル)しかし、同時に、どの現実の貨幣額も、量的に制限されており、したがってまた、ただ効力を制限された購買手段でしかない。(ヲ)このような、貨幣の量的な制限と質的な無制限との矛盾は、貨幣蓄蔵者を絶えず蓄積のシシュフォス労働へと追い返す。(ワ)彼は、いくら新たな征服によって国土を広げても国境をなくすことのできない世界征服者のようなものである。〉

  (イ)(ロ) 使用価値としての商品は、なんらかの特殊な欲望を満たし、素材的な富のなんらかの特殊な要素をなしています。これに対して、商品の価値は、素材的な富のいっさいの要素にたいするその商品の引力の程度を計り、したがってその商品の所有者の社会的富の大きさを計ります。

  商品というのは使用価値と価値という対立物の統一したものです。商品の使用価値は、他の第三者のその使用価値に固有の欲望を満たす素材的な富の一つの要素をなしています。商品の価値は、商品の所持者にとって必要な他の諸商品との交換の可能性を示しています。例えば上等のウールの上着の使用価値とは、それを着て身体を温めるだけでなく、社会的地位も着飾りたいという欲望を満たします。他方、上着の価値は、それと交換可能なさまざまな諸商品、リンネル、茶、鉄等々として、つまり上着がどれだけの諸商品と交換可能かを示しています。だから上着の所持者にとっては上着の価値は、彼が欲する社会的な富の大きさを示しているのです。

  (ハ) 未開の単純な商品所持者にとっては、また西ヨーロッパの農民にとってさえも、価値は価値形態から切り離すことができないので、金銀蓄蔵貨幣の増加はそのまま価値の増加なのです。

  商品交換が未発展な社会、例えば未開社会の商品の所持者や、あるいは西ヨーロッパの農民にとってさえも、彼らの商品の価値というのは、それが他のどのような商品を引きつけうるのかということから、すなわちその商品の価値形態(交換価値)と不可分なのです。例えば彼らの持つ一袋のトウモロコシやジャガイモが、どれだけの斧や布と交換可能か、ということによって、彼らの商品の価値を計るのです。だから金銀はあらゆるものを引きつけうるものですから、まさに物質的富の代表者であり、だから金銀の増加はそのまま彼らにとっては価値の増加なのです。

  (ニ) もちろん、貨幣の相対的な価値は、貨幣自身の価値変動の結果であるにせよ、諸商品の価値変動の結果であるにせよ、変動します。

  もちろん、貨幣も一つの商品ですから、その相対的な価値(つまり他の諸商品で表された価値)は変化します。その貨幣自身の価値の変動によっても、あるいはその貨幣が引きつける諸商品の価値の変化によっても。
  この一文の理解については、20年ほど前に大阪市内で開催していた『資本論』学ぶ会のニュースで説明したものが参考になります。紹介しておきます。

  〈問題になったのは下線の部分(上記の部分--引用者)です。報告者は「貨幣の価値が①貨幣自身の価値変動の結果、変動するというのは分かるが、貨幣の価値が②諸商品の価値変動の結果、変動するというのはどういうことかよく分からない」と疑問を呈したのです。
 なるほど貨幣である金の価値は、それに対象化されている社会的に必要な労働時間ですから、それが変動すれば、変動するというのは分かるが、しかし諸商品の価値の変動がなぜ貨幣の価値の変動になるのか分からないというのは当然のように思えます。
 しかしよくよく考えてみると、①の場合も「貨幣の価値は、貨幣自身の価値変動の結果、変動する」ということになりますが、これは全くのトートロジー(同義反復)ではないでしょうか? 「価値は価値の変動によって変動する」といってみても何も言ったことになりません。いったい、マルクスは何を言わんとしているのでしょうか?
 この場合同義反復を避けようとするなら、「貨幣の価値」の「価値」と「貨幣自身の価値変動」という場合の「価値」は同じものであってはならないのです。そこでその理解を助けてくれるのが、その前後の文章です。
 「貨幣の価値」と言う場合の「価値」は、明らかにその直前にある「金銀財宝の増加が価値の増加である」と言う場合の「価値」と同じ意味に使われています。そしてそれは「価値は価値形態とは不可分のもの」と逆上ることが出来ます。つまりここでマルクスが述べている「価値」とは、「価値形態と不可分」な「価値」なのです。
 それでは「価値形態と不可分」な「価値」とはどういう意味でしょうか? それはその前にマルクスの述べていることがヒントになります。つまり「商品の価値は、素材的富のあらゆる要素に対してその商品がもつ引力の程度をはかる尺度となり、したがって、その商品の所有者がもつ社会的富の尺度となる」ということです。「価値形態」というのは価値の現象形態であり、要するに「交換価値」のことです。「20エレのリンネルは上着1着に値する」という場合の「20エレのリンネル」の「交換価値」とはすなわち「上着1着」ということです。つまり「20エレのリンネル」は「上着1着」を引きつける力をもっているわけですが、それがすなわち「20エレのリンネル」のこの場合の「価値」だということです。だから「20エレのリンネル」の「価値」は「上着1着」と不可分な形でとらえられているわけです。
 だから先の「貨幣の価値」といった場合の「価値」とは、その「貨幣」が引きつけ得る「素材的富」と不可分だということになります。そしてそれが「変動する」のです。すなわち①貨幣自身の[価値]変動によって。この場合の[価値]はもちろん貨幣である金に対象化されている社会的に必要な労働時間を意味します。つまり貨幣が引きつける素材的富は貨幣自身の[価値]が変動すれば、他の諸商品の[価値]が変わらなければ、当然、変動します。貨幣の[価値」が二倍になれば、いままで上着1着を引きつけていたのが、上着2着を引きつけるようになるということです。だからまた当然②諸商品の[価値]の変動によっても、貨幣が引きつける素材的富、すなわちこの場合の「貨幣の価値」が変化することはいうまでもありません。上着の[価値]が二倍になれば、それまで上着1着を引きつけ得た貨幣はもはや上着1着を引きつけ得ないからです。
 しかし貨幣が引きつける素材的富の「量」が変わったからと言って、200オンスが100オンスより多くの素材的富を引きつけうることには変わりなく、また「金属的現物形態が依然としてすべての商品の一般的等価形態であり、すべての人間労働の直接に社会的な化身である」こと、すなわち他のすべての諸商品と直接に交換可能な性質を持っていること、つまり素材的富を引きつけるという性格そのものには何の変わりもない。だから「蓄蔵貨幣形成の衝動はその本性上、限度を知らない」云々と続くのではないでしょうか。〉(『資本論』学ぶ会ニュース№44(2000.8.15))

  (ホ)(ヘ) しかしこのことは、一方では、相変わらず200オンスの金は100オンスよりも、300オンスは200オンスよりも大きな価値を含んでいる、ということを妨げませんし、他方では、金というこの物の金属としての現物形態がすべての商品の一般的等価形態であり、いっさいの人間労働の直接に社会的な化身である、ということを妨げはしないのです。

  貨幣の相対的な価値が変化するものだとしても、しかしこのことは、200オンスの金は、100オンスの金よりも、あるいは300オンスは200オンスよりも大きな価値を含んでいることには変わりありませんし、金という物質がすべての商品の一般的な等価形態であり、人間労働の直接的な社会的化身であるということには違いはないのです。いずれにせよ貨幣としての金を持っているということは、一般的な富の物質的代表物を持っていることになるのです。

  (ト)(チ)(リ)(ヌ) 蓄蔵貨幣形成の衝動には、その本性上、限度がありません。貨幣は、質的には、すなわちその形態から見れば、無制限です。すなわち、どんな商品にも直接に転換されることができるのですから、それは素材的な富の一般的な代表者です。

  だからこうしたことから貨幣を蓄蔵しようという衝動が生じます。そして蓄蔵貨幣を形成する衝動には、その本性上、限度というものがありません。ある特定の使用価値、例えば靴なら、一足あれば十分だと考える人もいるでしょう。つまり使用価値にはそれに固有の限度というものがあるのです。どんなに食欲旺盛な人でも米の一升も一辺には食べられません。しかし貨幣ならどんなにそれが積み上がろうがそれには限度というものはありません。だから貨幣は質的には無制限なのです。それは必要ならどんな商品とも直ちに交換可能なのですから、それは素材的な富の一般的代表者なのです。あらゆるものと交換できるということから、それを積み上げることで、何か物質的な富を腹一杯食べたような気になって(その可能性だけで)満足するわけです。

  (ル) しかし同時に、どんな現実の貨幣額にも量的な制限があり、したがってまたそれは、効力に制限をもった購買手段にすぎません。

  しかし他方で、現実の貨幣には量的な制限があります。つまり質的には無制限であるが故に、それを蓄蔵しようとしてもかならずそこには量的に制限があるのです。100万円貯めたとしても、次は1000万円貯めたいと思い、さらには1億円、10億、……と限りがないのです。だから貨幣は、どんな商品とも直ちに交換可能だからといっても量的に制限されているということは、やはりその交換可能性にも限りがあるということなのです。

  (ヲ)(ワ) このような、貨幣の量的な制限と質的な無制限との矛盾は、貨幣蓄蔵者をたえず蓄積のシシュフォス労働へと追い返します。彼は、新しい国を征服するたびに新しい国家にぶつかる世界征服者のようなものです。

  このように、貨幣には、無制限にその蓄蔵を求めようとする傾向と、しかし実際にはその蓄蔵はには常に一定の量的制限があるという現実は、一つの矛盾となって、貨幣蓄蔵者を蓄積のためのあくなき求道者にするのです。彼はどんなに貨幣を貯め込んでも、それで満足することはありません。なぜなら、それは質的には無制限なのですから。まだまだその先があるからです。それはあたしい国を征服するたびに、次の征服すべき新しい国家にぶつかる世界征服者のようなものでしょう。

  ここらあたりを説明している大谷氏の一文を紹介しておきましょう。

  〈本来の貨幣は素材的富の一般的代表者であって,どんな商品にも直接に転換できるのだから,質的には,あるいはそれの形態から見れば,無制限なものである。すなわち,商品世界に登場するどんな商品とでも直接に交換可能なのである。けれども,現実に存在する貨幣は,つねに或る量の貨幣である。だから,どんな大きさの貨幣額もつねに量的に制限されているものであり,したがってそれが転化しうる商品の量も制限されている。そればかりではなく,さらにこの量的な制限は,購買しうる商品の質をも制限する。たとえば,1万円も1千万円もともに質的には無制限なものであるが,1万円では自動車は買えないのである。このような,貨幣の量的な制限と質的な無制限とのあいだの矛盾は,貨幣蓄蔵者に,どこまでも限りなく貨幣を蓄蔵しようとする衝動を与える。百万円を蓄蔵すれば,これの量的制限を突破しようとして1千万円をめざす。1千万円が溜まれば,こんどは1億円を目標にする。シーシュフォスが岩を転がし上げる仕事を永遠に繰り返さなければならないように,この仕事には限りがない。このようにして限りなく行なわれる貨幣蓄蔵では,自立化した価値である貨幣そのものの増加が目的となるのである。〉 (「貨幣の機能II」197-198頁)

 また大谷氏は上記の一文に注1)を付けて次のように述べています。長くなりますが、一つの資料として紹介しておきましょう。

  〈1)貨幣の量的な制限と質的な無制限とのあいだの矛盾は,貨幣蓄蔵者の場合には,彼を,ただひたすら流通から貨幣を引き揚げて貯め込む,限りのない作業に駆り立てることになる。
  「わが貨幣蓄蔵者は,交換価値の殉教者として,金属柱の頂きにすわった聖なる苦行者として現われる。彼にとってはただ社会的形態にある富だけが問題であり,それゆえにまた彼はそれを埋蔵して社会から隠す。彼は,いつでも流通可能な形態にある商品を欲し,それゆえにまた彼は商品を流通から引き揚げる。彼は交換価値に熱をあげ,それゆえにまた彼は交換を行なわない。富の流動的形態と富の化石とが,生命の仙薬と賢者の石とが,錬金術のように気違いじみて入り乱れて現われる。彼はその頭のなかで描いた果てしのない享楽欲のあまり,すべての享楽を断念する。彼はすべての社会的欲求を満たそうと欲するがゆえに,自然的な必要さえほとんど満たさない。彼は富をその金属的現身でしっかりと握りながら,富を蒸発させてたんなる幻影にしてしまう。」(MEGA,II/2,S.196.)
  しかし,同じ矛盾が,資本主義的生産における資本家の場合には,彼を,貨幣をたえず資本として流通に投じることによって価値を増殖させる,限りのない作業に駆り立てる。
  「……資本としての貨幣の流通は自己目的である。というのは,価値の増殖は,ただこのたえず更新される運動のなかだけに存在するのだからである。それだから,資本の運動には限度がない。
  この運動の意織ある担い手として,貨幣所持者は資本家になる。彼の人格,またはむしろ彼のふところは,貨幣の出発点であり帰着点である。この流通の客観的内容--価値の増殖--が彼の主観的目的なのであって,ただ抽象的富をますます多く取得することが彼の諸操作の唯一の起動的動機であるかぎりでのみ,彼は資本家として,または人格化された,意志と意識とを与えられた資本として,機能するのである。だから,使用価値はけっして資本家の直接的目的として取り扱われるべきものではない。個々の利得もまたそうではなく,ただ利得することの無休の運動だけがそうである。その絶対的な致富衝動,この熱情的な交換価値追求は,資本家にも貨幣蓄蔵者にも共通である。しかし,貨幣蓄蔵者は気の違った資本家でしかないのに,資本家は合理的な貨幣蓄蔵者である。交換価値の無休の増殖,これを貨幣蓄蔵者は,貨幣を流通から救い出そうとすることによって追求するのであるが,もっとりこうな資本家は,貨幣をたえず新たに流通にゆだねることによってそれを成し遂げるのである。」(MEGA,II/6,S.170-171.強調は初版でのもの。)
  このように,貨幣の量的な制限と質的な無制限とのあいだの矛盾から生じる「絶対的な致富衝動」に駆り立てられて,価値の限りのない増加に努めないではいない点では,貨幣蓄蔵者と資本家とは共通なのであり,本来の貨幣蓄蔵における貨幣蓄蔵者のなかに資本家の原型を見ることができるのである。〉 (同上206-207頁、太字は傍点)


◎第7パラグラフ(貨幣蓄蔵者は黄金呪物のために自分の肉体の欲望を犠牲にする)

【7】〈(イ)金を、貨幣として、したがって貨幣蓄蔵の要素として、固持するためには、流通することを、または購買手段として享楽手段になってしまうことを、妨げなければならない。(ロ)それだから、貨幣蓄蔵者は黄金呪物のために自分の肉体の欲望を犠牲にするのである。(ハ)彼は禁欲の福音を真剣に考える。(ニ)他方では、彼が貨幣として流通から引きあげることができるものは、ただ、彼が商品として流通に投ずるものだけである。(ホ)彼は、より多く生産すればするほど、より多く売ることができる。(ヘ)それだから、勤勉と節約と貧欲とが彼の主徳をなすのであり、たくさん売って少なく買うことが彼の経済学の全体をなすのである(94)。〉

  (イ) 金を、貨幣として、だからまた蓄蔵貨幣形成者の要素としてにぎって離さないためには、それが流通することを、または購買手段として嗜好品に消えてしまうことを、妨げなければなりません。

   もともと貨幣が第三規定の貨幣になったのは、流通手段の否定としてでした。すなわちW-G-Wの商品の変態を第一の変態W-Gだけで止めて、そのGを流通から引き上げることによってです。〈貨幣はつねに使用価値に実現されて、はかない享楽のうちに解消することによって、流通過程そのもののなかでたえず流通手段として消え去ってゆく。それゆえ、貨幣が購買手段としての機能を果たすのを妨げることによって、すべてを呑み込む流通の流れから貨幣を引き離さなければならず、言いかえれば、商品をその第一の変態に固着させなければならない〉(全集第13巻107頁)。つまりGがG-Wとして、すなわち購買手段として諸商品の購入に支出されることを妨げることによって、その不滅の形態を得ることができるようになるのです。〈金銀としては富が不滅であるのは、交換価値が消滅することのない金属のうちに存在するからであり、またとくに金銀は流通手段として商品のただ瞬時的な貨幣形態となることを妨げられるからである。こうしてつかのまの内容が不滅の形態の犠牲に供される。〉(全集第13巻108頁)。

  (ロ)(ハ) だからこそ、貨幣蓄蔵者は黄金物神のために自分の肉体的欲求を犠牲にするのです。彼は禁欲の福音をまじめに実行します。

   だから、貨幣蓄蔵者は金銀を貯め込むために、貨幣への欲求のために自分自身の肉体的な欲求を犠牲にしなければなりません。〈だから一般的形態での富の取得は、素材的現実性での富の放棄を条件としている。したがって貨幣蓄蔵の生きた衝動は吝嗇であり、吝薔の欲求するものは、使用価値としての商品ではなくて、商品としての交換価値である〉(全集第13巻108頁)。彼は世俗の欲求を禁じ、黄金の神にひれ伏すのです。〈貨幣蓄蔵者は、紙魚(シミ)にも錆(サビ)にもおかされず、まったく来世的でもあり現世的でもある永遠の財宝〔Schtz 「蓄蔵貨幣」と同じ原語〕を追いもとめるために、世俗的でつかのまのはかない享楽を軽んじる〉(同)のです。
  しかしシュトルヒは〈「諸国民は、彼らの節約または耐乏によって、すなわち、すすんで自らに貧困を強いることによって富を成すのだ、という命題には、明らかな矛盾がないだろうか。」〉(草稿集②747ページ)と疑っています。

  (ニ)(ホ) 他方では、彼が貨幣として流通から引きあげることができるものは、ただ、彼が商品として流通に投げいれるものだけです。より多く生産すればするほど、彼はより多く売ることができます。

   貨幣を蓄蔵するためには、それを入手しなければなりませんが、しかしそのためには、かは何らかの商品を流通に投じなければなりません。〈商品所有者は彼が商品として流通に投じたものをしか、貨幣としてそこからとりもどすことができない。だからたえず売ること、商品をつぎつぎと流通に投じることは、商品流通の立場から見た貨幣蓄蔵の第一の条件である〉(全集第13巻107頁)。だから彼はより多くを生産し、より多く売りながら、しかしより少なく買うようにしなければならないのです。

  (ヘ) それだから、勤勉と節約と吝嗇とが彼の枢要な徳目となり、たくさん売って少ししか買わないことが、彼の経済学の全部となるのです。

  こうして貨幣蓄蔵者は、勤勉と節約と吝嗇が彼のもっとも重要な徳目となるのです。たくさん売って、少ししか買わない、これが彼の経済学のすべてとなります。〈いまは貨幣蓄蔵者となった商品所有者は、すでに大カトーが「家長は売りたがるべきで、買いたがってはならない」〔patrem familias vendacem,non emacem esse〕と教えたように、できるだけ多く売り、できるだけ少なく買わなければならない。勤勉が貨幣蓄蔵の積極的な条件であるように、節倹はその消極的条件である。商品の等価物が特殊な商品または使用価値のかたちで流通から引き揚げられることが少なければ少ないほど、それは貨幣または交換価値のかたちで流通からますます多く引き揚げられる。だから一般的形態での富の取得は、素材的現実性での富の放棄を条件としている。したがって貨幣蓄蔵の生きた衝動は吝嗇であり、吝嗇の欲求するものは、使用価値としての商品ではなくて、商品としての交換価値である。余剰をその一般的形態でわがものにするためには、特殊な欲望はぜいたくなもの、余分なものとして取り扱われなければならない〉(全集第13巻107-108頁)

  大谷氏も次のように述べています。

  〈貨幣が富の一般的代表者であるのは,流通との関連においてでしかないのに,蓄蔵貨幣を増大させるには,その貨幣が流通すること,つまりふたたび購買手段として流通にはいることを阻止しなければならない。だから貨幣蓄蔵者は,商品をできるだけたくさん生産して,できるだけたくさん売らなければならない。そこで,できるだけ多く売ってできるだけ買わないこと、勤勉と節倹,そして吝薔(リンショク)が貨幣蓄蔵者のモットーとなる。〉 (「貨幣の機能(Ⅱ)」198頁)


◎原注94

【原注94】〈(94)「それぞれの商品の売り手の数をできるだけふやし、買い手の数をできるだけ減らすことは、経済学のあらゆる方策の回転軸である。」(ヴェリ『経済学に関する考察』、52、53ページ。)〉

  これは〈それだから、勤勉と節約と貧欲とが彼の主徳をなすのであり、たくさん売って少なく買うことが彼の経済学の全体をなすのである〉という本文につけられた注です。ヴェリについては、全集版の人名索引には〈イタリアの経済学者,重農学派の学説を批判した最初のひとり〉とあるだけですが、『資本論』のなかでは幾つかの注のなかで取り扱われており、『剰余価値学説史』のなかでは〈[9]重農学派の迷信への反対〉という小項目のなかでその主張が紹介されています(全集第26巻第1分冊46-47頁)。ここでは『資本論辞典』の説明の概要を紹介しておきましょう。

  〈ヴェルリ Pietro Verri (1728-1797) イタリアの経済学者・政治家.経済学では重農主義の影響をうけて,自由放任政策を主張し.恣意的課税や経済活動にたいする国家干渉に反対したが,また重農主義の土地単一税には反対であった.マルクスは彼の主著《Mditazioni sulla Economia politica》(1771)を主として《剰余価値学説史》第1部第2章でとりあげ,ヴェルリを農業のみを生産的とする重農主義者の迷信にたいする初期の批判者として説明している.(以下略)〉(477頁)


◎第8パラグラフ(蓄蔵貨幣の審美的形態)

【8】〈(イ)蓄蔵貨幣の直接的な形態と並んで、その美的な形態、金銀商品の所有がある。(ロ)それは、ブルジョア社会の富とともに増大する。(ハ)「金持ちになろう。さもなければ、金持ちらしくみせかけよう。」〔"Soyons riches ou paraissons riches"〕(ディドロ。)(ニ)こうして、一方では、金銀の絶えず拡大される市場が、金銀の貨幣機能にはかかわりなく形成され、他方では、貨幣の潜在的な供給源が形成されて、それが、ことに社会的な荒天期には、流出するのである。〉

  (イ) 蓄蔵貨幣の直接的な形態と並んで、その審美的な形態、すなわち金銀商品をもつことが行われます。

  蓄蔵貨幣というのは、流通手段をその第一の形態転換において否定し、流通から引き上げられて、第三の規定の貨幣になったものですが、それと並んで、直接には蓄蔵貨幣としてではなく、ただ金銀のその金属としての美しさから、それを装飾品等の形態で所有するということが生じます。

  (ロ)(ハ) それは、ブルジョア社会の富が増大すのにつれて増大します。「金持ちになろう。さもなければ、金持ちらしくみせかけよう。」〔"Soyons riches ou paraissons riches"〕(ディドロ。)

  そしてそれはブルジョア社会の富が増すにつれて大きくなります。金持ちは金銀で身の回りを飾り立てるようになるのです。
  このディドロはの一文については、新日本新書版には訳者注があり、〔『サロン。1767年。ペルシア人流の奢侈への風刺』。アセザト編『全集』、1876年、第11巻、91ページ。〕と書かれています。全集版の人名索引には〈ディドロ,ドニ Diderot,Denis(1713-1784)フランスの哲学者,機械的唯物論の代表者,無神論者.フランスの革命的ブルジョアジーのイデオローク,啓蒙主義者,百科全書派の頭領〉とあります。エンゲルスは『空想から科学への社会主義の発展』のなかで、哲学のそとでの〈弁証法の傑作〉として、ルソーの『人間不平等起源論』ととにもディドロの『ラモーの甥』を紹介していることは周知のことです(全集第19巻199頁)。

  (ニ) そこで、一部は、金銀の貨幣機能からは独立に、金銀を取引する市場が形成されてたえず拡大し、一部は、貨幣の潜在的な供給源が形成されることになります。そしてこの源泉は、ことに社会的な荒天期に、湧きだすのです。

  こういうわけで、貨幣としての金銀とは別に、金銀を取引する市場が形成されてたえず拡大しています。そうしたなかで、ゆくゆくは必要なときには貨幣になりうる金銀の供給源が形成されることになるのです。そしてこの源泉は、社会的な荒天期、恐慌時に、貨幣の供給源になるのです。
  『経済学批判』には次のように書かれています。

 〈金銀製の商品は、それらの美的な性質をまったく度外視しても、それらを構成する材料が貨幣の材料であるかぎり、金貨幣や金地金が金製品に転形できるのと同じように、貨幣に転形することができる。金銀は抽象的富の材料であるから、富の最大の誇示は金銀を具体的な使用価値として利用することにある。そして商品所有者は生産の一定の段階で彼の蓄蔵貨幣を隠すにしても、この蓄蔵貨幣は、安全にやれるところではどこでも、彼を駆りたてて、他の商品所有者にたいして金持〔rico bombre〕として現われさせるのである。彼は、自分とその家を金ぴかにする。アジアでは、とくにインドでは、貨幣蓄蔵はブルジョア経済におけるがごとくに、総生産の機構の従属的な一機能として現われないで、この形態での富が究極の目的としてしっかりとにぎられているが、ここでは金銀製品はもともとからただ蓄蔵貨幣の美的形態であるにすぎない。中世のイングランドでは、金銀製品は粗放な労働の追加によってその価値をごくわずかしか増加しなかったから、法律上は蓄蔵貨幣のたんなる形態とみなされた。金銀製品の目的は、ふたたび流通に投じられるということであって、だからその品位は鋳貨そのものの品位とまったく同様に規定されていたのである。富の増加につれて奢侈品としての金銀の使用が増加するということは、ごく単純なことであるから、それは古代人にはまったく明らかなことであった。〉 (全集第13巻113-114頁)

  大谷氏の説明を紹介しておきましょう。

  〈しかしまた,蓄蔵貨幣の形成は,金銀貨または金銀の地金のような直接的な形態で行なわれるだけではなく,さまざまの審美的な〔asthetisch〕製品の形態でも行なわれる。資本家その他の富を蓄えることができる人びとは,安全に行うことができるかぎり,自己の富をこの形態での蓄蔵貨幣によって見せびらかすようになる。金銀製品のための金銀の市場が,金銀が果たす貨幣としてのさまざまの機能にはかかわりなく,拡大していく。こうして,資本家たち等々の手中に金銀製品の形態での蓄蔵貨幣が形成されるのであって,これが金銀貨幣の潜在的な供給源となり,社会的な動乱の時期などには,金銀製品が貨幣に転化されて国内流通にはいり,また海外に向かって流出するのである。このような審美的製品の形態での蓄蔵貨幣でも,それが蓄蔵貨幣であるのは,それが貨幣としての貨幣であり,一般的富の素材的代表者だからである。〉 (「貨幣の機能Ⅱ」199頁)

   ところで学習会では、どうしてここで突然、蓄蔵貨幣の審美的な形態が問題になっているのか、という疑問が出されたのですが、十分な解明がなされないままになっていました。
   これは考えてみるに、次の第9パラグラフで、マルクスは蓄蔵貨幣の貯水池としての役割を論じていますが、ここで(第9パラグラフで)論じられている蓄蔵貨幣は、その直接的な形態としてのそれであり、そうしたものは、資本主義が発展している社会においては、銀行や資本家たちに所蔵されていて、流通の必要に応じて流通過程で出てくるものなのです。しかし金銀の審美的形態としての金銀製品としての退蔵も、資本主義のある時期(動乱・恐慌等の時期)には、貨幣としての機能において流通過程に現われてくるということだと思います。その限りでは金銀の審美的形態も、貯水池の役割を果たしているといえるでしょう。だから本来的な蓄蔵貨幣貯水池の機能を論じるまえに、その特殊的な形態をまず論じているといえるのではないでしょうか。


◎第9パラグラフ(蓄蔵貨幣の第一の機能--流通する貨幣の貯水池)

【9】〈(イ)貨幣蓄蔵は金属流通の経済ではいろいろな機能を果たす。(ロ)まず第一の機能は、金銀鋳貨の流通条件から生ずる。(ハ)すでに見たように、商品流通が規模や価格や速度において絶えず変動するのにつれて、貨幣の流通量も休みなく満ち干きする。(ニ)だから、貨幣流通量は、収縮し膨張することができなければならない。(ホ)あるときは貨幣が鋳貨として引き寄せられ、あるときは鋳貨が貨幣としてはじき出されなければならない。(ヘ)現実に流通する貨幣量がいつでも流通部面の飽和度に適合しているようにするためには、一国にある金銀量は、現に鋳貨機能を果たしている金銀量よりも大きくなければならない。(ト)この条件は、貨幣の蓄蔵貨幣形態によって満たされる。(チ)蓄蔵貨幣貯水池は流通する貨幣の流出流入の水路として同時に役だつのであり、したがって、流通する貨幣がその流通水路からあふれることはないのである(95)。〉

  (イ) 蓄蔵貨幣の形成は、金属流通の経済ではさまざまの機能を果たします。

  蓄蔵貨幣について、最初のところ(№19)で久留間鮫造氏の次のような指摘を紹介しました。

  〈しかし、蓄蔵貨幣を貨幣の機能だと考えるのはまちがっていると思う。蓄蔵貨幣は、貨幣が置かれている一つの状態、あるいは貨幣の一つの形態規定ではあるが、それ自身が貨幣の一つの独自の機能なのではない。〉  (レキシコンの栞№12 4頁)

   ただ同時に、久留間氏は貨幣は蓄蔵されることによってさまざまな機能を果たすことができるとも述べているとして、同じ栞から抜粋・紹介しました。今回、問題になっているのは、久留間氏が述べている蓄蔵貨幣の諸機能の最初のものなのです。

  (ロ)(ハ)(ニ) 最も手近な機能は、金銀鋳貨の流通条件から生まれます。すでに見ましたように、商品流通が規模や価格や速度において絶えず変動するのにつれて、貨幣の流通量も休みなく満ち干きします。ですから、貨幣の通流量は、収縮したり膨張したりすることができなければなりません。

   その最初の機能は、金銀鋳貨の流通する条件から生まれてきます。すでに私たちは貨幣の流通量を検討したときに、商品流通の規模や諸商品の価格総額が変動するのにつれて、貨幣の流通量も変動する必要があることを学びました。まず商品の流通があって貨幣の流通があるということも。だから貨幣の流通量は、現実の商品市場の変化に応じて変化しなければなりません。つまりそれに応じて収縮したり、膨張したりしなければならないのです。

   ところでここでは〈まず第一の機能は〉と述べられていますが、第一があるなら、第二や第三もあると思えますが、それについては触れていません。そこらあたりも先に紹介した『資本論』学ぶ会ニュースで論じていますので、それを紹介しておきましょう。

  〈マルクスは蓄蔵貨幣の第9パラグラフ(最後のパラグラフ)で、「蓄蔵貨幣の形成は、金属流通の経済では、さまざまな機能を果たす。その第一の機能は」と述べて、蓄蔵貨幣が流通する鋳貨としての貨幣の貯水池の役割を果たすことを述べています。ところが、それ以外の「機能」については全く述べていません。つまり「さまざまな機能を果たす」と言い、「第一の機能は」と言いながら、「第二の機能」についても、それ以外の「機能」についても触れていないのです。だから「蓄蔵貨幣のそれ以外の機能」とは何なのか、という質問が当然ながら出されました。しかしそれを知るためには、結局、『資本論』を先に読み進めるしかありません。というのは「蓄蔵貨幣の他の諸機能」については、そのあとで出て来るからです。少し先回りになりますが、紹介しておきましょう。

 まず「b支払手段」のところでは、最後のパラグラフに次のような一文があります。

 《支払手段としての貨幣の発展は、負債額の支払い期限のための貨幣蓄積を必要とさせる。自立した致富形態としての貨幣蓄蔵がブルジョア社会の進展と共に消失するのに対して、支払手段の準備金の形態を取る貨幣蓄蔵はブルジョア社会の進展と共に逆に増大する。》

 次に、「c世界貨幣」のところでも次のようなパラグラフが目につきます。

 《どの国も、その国内流通のために準備金を必要とするように、世界市場流通のためにも準備金を必要とする。したがって、蓄蔵貨幣の諸機能は、一部は国内の流通手段および支払手段としての貨幣の機能から生じ、一部は世界貨幣としての貨幣の機能から生じる。》

 このようにマルクスは引き続く『資本論』のテキストで蓄蔵貨幣の機能について述べているのです。だからわれわれが見たところでは「さまざまな機能を果たす」といい、「第一の機能は」と述べていたわけです。

 ところで、これについて、これまでにも紹介してきた大谷禎之介氏の「貨幣の機能(Ⅱ)」の説明も見ておきましょう。大谷氏は[蓄蔵貨幣が果たす諸機能]として次のように述べています。

 〈個々の貨幣蓄蔵者にとっては、蓄蔵貨幣は《価値の保蔵手段》という《機能》を果たすことができる。またその保蔵が、将来の支払のための準備として行われることもあるのであって、この場合には、蓄蔵貨幣が支払手段の準備金として機能することになる。さらに、社会全体における蓄蔵貨幣の総体が、流通する貨幣の量の増減を調節する貯水池、《蓄蔵貨幣貯水池》として機能する〉。

 そして〈支払手段の準備金として機能することなる〉に注をつけて、「金属貨幣が流通しているもとでの蓄蔵貨幣の形成に多様なものがあることについては、【補論3】『蓄蔵貨幣の諸形態について』を見られたい」とあります。そこを見るとマルクスの草稿などから6つの長短さまざまな引用をして、氏の分析を加えていますが、当面のわれわれにはあまりにも難しすぎるように思えるので、ここでは大谷氏がマルクスの『経済学批判1861-63年草稿』から引用している一文を紹介するだけにしましょう(これはかなり長い引用なのでさらにその一部分しか紹介できませんが)。

 《蓄蔵貨幣の第1の形態、すなわち蓄蔵貨幣の第1の機能は、鋳貨の準備ファンドとして役立つという機能であった。……蓄蔵貨幣としての第2の機能は、諸支払のための準備ファンドを、すなわち貨幣が支払手段として流れ出るもととなるファンドを形成する、ということであった。……蓄蔵貨幣の第3の機能は、世界貨幣の準備ファンド、すなわち対外市場での購買手段または支払手段のファンドである、ということであった……最後に。蓄蔵貨幣は、それが鋳貨、支払手段、および、世界貨幣の準備ファンドとして機能しない限りは、それ自体としての蓄蔵貨幣であったのであって、商品がそれの第一の変態で凝固し自立化し保存されたものであった。》

 ここでマルクスが「第一の機能」として語っている「鋳貨としての準備ファンド」は『資本論』の今われわれが問題にしているところの蓄蔵貨幣の「第一の機能」と異なることは明らかです。なぜならここでマルクスが「鋳貨としての準備ファンド」と述べているのは、前回の「ニュース」で取り上げた「鋳貨準備金」のことだからです。

 このようにマルクスは蓄蔵貨幣の諸形態や諸機能についてさまざまなところで若干違ったニュアンスで語っています。しかしその詳細な分析は煩雑にすぎるのでここではやめておきます。要するに蓄蔵貨幣の形態にはいろいろなものがあるし、今後『資本論』を読み進めて行けば--例えば第二巻などでも--それの発展した形態が出て来るということを頭に入れておいて下さい。〉(№44)

  (ホ) あるときは貨幣が鋳貨として引き寄せられ、あるときは鋳貨が貨幣としてはじき出されなければなりません。

   つまりあるときは蓄蔵貨幣は、鋳貨になって流通に出て行く必要がありますが、また別のときにはそれは流通からはじき出されて、蓄蔵貨幣として滞留することになるわけです。

  (ヘ)(ト) 現実に通流する貨幣量がいつでも流通部面の飽和度に適合しているようにするためには、一国にある金銀量は、現に鋳貨機能を果たしている金銀量よりも大きくなければなりません。この条件を満たすのが、貨幣の蓄蔵貨幣形態なのです。

   だからある一国にある金銀の量は、常に、実際に流通手段として機能しているもの、つまり鋳貨機能を果たしている金銀の量よりも大きくなければなりません。そしてこの条件をなしているのが、貨幣の蓄蔵貨幣の形態にあるものなのです。そのことによって、現実に流通する貨幣量は常に流通部面が必要とするものを供給し、それに適合するようになるのです。

  (チ) 蓄蔵貨幣貯水池は、流通する貨幣の流出の水路として、また同時に流入の水路とて役だっており、したがって、流通する貨幣がその流通水路からあふれることはないのです。

   だから蓄蔵貨幣の最初の機能は、こうした流通貨幣が流通に必要な量に適切に保つように働くものであり、そのための貯水池の役割をはしていることなのです。蓄蔵貨幣は流通貨幣の貯水池として、必要なときには流通に貨幣を供給し、不要になれば流通から貨幣を吸収する役割を果たしています。だから貨幣はその流通のなかで適切に保たれていると言えるでしょう。

  『経済学批判』では次のように説明されています。

   〈すでに見たように、貨幣流通はただ商品の変態の現象、言いかえれば、社会的な物質代謝をおこなうさいの形態転換の現象にすぎない。だから一方では流通する諸商品の価格総額の変動、つまりそれらの同時的な変態の範囲いかんにつれて、他方ではそれら諸商品の形態転換のその時々の速度におうじて、流通する金の総量はたえず膨張したり収縮したりしなければならない。これは一国にある貨幣の総量の流通内にある貨幣の量にたいする比率が、たえず変動するという条件のもとではじめて可能なのである。この条件は貨幣蓄蔵によって満たされる。価格が下落したり、または流通速度が増加したりすれば、蓄蔵貨幣の貯水池は、流通から分離された貨幣部分を吸収する。価格が騰貴したり、または流通速度が減少したりすれば、蓄蔵貨幣〔の貯(水池〕が開かれて、一部分は流通に還流する。流通している貨幣の蓄蔵貨幣への凝固と蓄蔵貨幣の流通への流出とは、たえず交替する振動運動であって、そこでどちらの方向が強いかは、もっぱら商品流通の変動によって規定されている。こうして蓄蔵貨幣は流通する貨幣の流入と排出との水路として現われ、その結果、流通そのものの直接の必要によって決められた量の貨幣だけが、つねに鋳貨として流通する。総流通の範囲が突然ひろがり、販売と購買との流動的統一が優勢となり、しかもそのために実現されるべき価格の総額が貨幣流通の速度よりも急速に増加するならば、蓄蔵貨幣は見るまに枯渇する。総運動が異常に停滞し、または販売と購買との分離が固定すると、たちまち流通手段はいちじるしい割合で貨幣に凝固して、蓄蔵貨幣の貯水池はその平均水準をはるかに越えて満ちあふれる。純粋な金属流通がおこなわれている国々、または未発展の生産段階にある国々では、蓄蔵貨幣は限りなく分裂して、その国の全表面に分散しているが、ブルジョア的に発達した国々では、それは銀行という貯水池に集中される。蓄蔵貨幣を鋳貨準備と混同してはならない。鋳貨準備はそれ自体、いつも流通内にある貨幣総量の一構成部分をなしているのにたいして、蓄蔵貨幣と流通手段との活動的関係は、その貨幣総量の増減を前提するのである。すでに見たように、金銀製品は、貴金属の排水路をなすと同時に、その潜在的な供給源をもなしている。普通のときには、その第一の機能だけが金属流通の経済にとって重要である。〉 (全集第13巻115-116頁)

  先に紹介したレキシコンの栞のなかで、久留間氏は、次のように説明しています。

  〈ところで、資本主義的生産関係が発展して信用制度ができあがると、諸個人の手に分散して蓄蔵されていた貨幣は銀行に集中することになる。そしてこれが、貨幣の流通必要量の変動に応じて干満する貯水池として機能することになる。「貨幣蓄蔵」の所でマルクスが蓄蔵貨幣の貯水池機能について語っているのは、このような現実の事態を念頭におきながら、信用制度という発展した生産関係を捨象して--いま少し具体的にいえば、信用制度が発達するとそれまでは分散して存在していた蓄蔵貨幣が銀行に集中することになり、それによってはじめて蓄蔵貨幣の貯水池機能が完全に行なわれることになるのだけれども、そういう関係はしばらく問題外にして--たんに蓄蔵貨幣そのものの機能として、とりあえずそれの貯水池機能を問題にしているのだ、というふうに、ぼくは理解しているのです。
なお、念のためにつけ加えておきますが、資本主義的生産以前の時代でも、将来起こりるべき何らかの必要に備えてというのではなく、貨幣をただ蓄蔵するために蓄蔵するということは、マルクスも言っているように自己矛盾であって、きわめて異例なこととしか考えられない。彼は必ず、彼の貨幣を利殖を目的に貸し出す高利貸になるでしょう。そしてそうなった時にはじめて、彼が蓄蔵した貨幣は経済的に重要な役割を演じることになるのです。「すでに見たように、貨幣が現われれば必然的に貨幣蓄蔵も現われる。とはいえ、職業的な貨幣蓄蔵者は、高利貸に転化するときにはじめて重要になるのである。」(『資本論』第3巻、607ページ。) (〔269〕〉 (レキシコンの栞№12 10-11頁)

  最後に、大谷氏は「貨幣の機能Ⅱ」(231頁)で蓄蔵貨幣貯水池の役割を示す次のような図を紹介しています。
                

◎原注95

【原注95】〈(95)(イ)「一国の商業をやってゆくためには一定額の金属貨幣が必要であるが、この額は変動し、事情の必要に応じて、あるときはより多く、あるときはより少なくなる。……このような貨幣の干満運動は、政治家の助力なしに、ひとりでに調節される。……つるべはかわるがわる働く。貨幣が欠乏すれば地金が鋳造される。地金が欠乏すれば貨幣が鋳つぶされる。」 (サー・D・ノース『交易論』、〔あと書き〕3ぺージ。〔久保訳『バーボン=ノース交易論』116ぺージ。〕)(ロ)長く東インド会社の職員をやっていたジョン・ステユアート・ミルは、インドでは相変わらず銀の装飾品が直接に蓄蔵貨幣として機能していることを確認している。(ハ)「銀の装飾品は、利子率が高ければ持ちだされて鋳造され、利子率が低くなればまた帰って行く。」(J・S・ミルの証言、所収、『銀行法に関する報告』、1857年、第2084、2101号。)(ニ)インドにおける金銀の輸出入に関する1864年の議会文書によれば、1863年には金銀の輸入は輸出を19,367,764ポンド・スターリング超過した。(ホ)1864年までの最近の8年間には、貴金属の輸出にたいする輸入の超過は、109,652,917ポンド・スターリングだった。(ヘ)今世紀中には2億ポンド・スターリングよりもずっと多くがインドで鋳造された。〉

  (イ) 「一国の商業をやってゆくためには一定額の金属貨幣が必要であるが、この額は変動し、事情の必要に応じて、あるときはより多く、あるときはより少なくなる。……このような貨幣の干満運動は、政治家の助力なしに、ひとりでに調節される。……つるぺはかわるがわる働く。貨幣が欠乏すれば地金が鋳造される。地金が欠乏すれば貨幣が鋳つぶされる。」 (サー・D・ノース『交易論』、〔あと書き〕3ぺージ。〔久保訳『バーボン=ノース交易論』116ぺージ。〕)
  
  この注は〈蓄蔵貨幣貯水池は流通する貨幣の流出流入の水路として同時に役だつのであり、したがって、流通する貨幣がその流通水路からあふれることはないのである〉という本文につけられたものです。最初はノースの『交易論』からの抜粋だけです。マルクスは注77(全集第23巻a158-159頁)や注81(同164頁)でも、ノースの『交易論』から長く引用していますが、『反デューリング論』のために書いた「批判的歴史」のなかでノースをペティの後継者として位置づけ、〈ノースの著作は、……対外貿易の国内交易との双方にかんして、なにものにもはばからない首尾一貫性をもって書かれた自由商業学説の古典的な論述であって、1691年にあっては、確かに「とほうもないもの」であった〉(全集第20巻245頁)と述べています。
  また『剰余価値学説史』では、「ノース」という一項目があり(これは編集者がつけたのですが)、次のような叙述も見られます。

  流通しうる貨幣量は、商品交換によって規定されている。
  「かりにそれほど多くの貨幣が外国からもたらされず、あるいはそれほど多くの貨幣が国内で鋳造されないとしても、その国の商業が必要とする以上のものがあれば、それはすべて、地金にすぎず、地金として取り扱われるであろう。そして、鋳貨は、古物の加工金銀製品と同じように、単にその内在的価値〔intrinsick〕で売れるにとどまるであろう。」(17-18ページ)。〉 (全集第26巻第1分冊470頁)。

  (ロ) 長いこと東インド会社の職員をやっていたジョン・ステユアート・ミルは、インドでは依然として銀の装飾品が直接に蓄蔵貨幣として機能していることを確認しています。

  Js・ミルについては、注78の解説でマルクスが高く評価していることを『経済学批判』から紹介しました(№16)。ミルはほぼマルクスと同時代のイギリスの経済学者で、1823年に父親(ジェイムズ・ミルでやはり経済学者)の斡旋で父の勤務先の東インド会社に就職、1858年に同会社が解散するまでその職にあったということです。余暇を用いてよく読書し、マルクス・エンゲルスが『共産党宣言』を出版した1848年に『経済学原理』を刊行したということです。

  (ハ) 「銀の装飾品は、利子率が高ければ持ちだされて鋳造され、利子率が低くなればまた帰って行きます。」(J・S・ミルの証言、所収、『銀行法に関する報告』、1857年、第2084、2101号。)

  これは引用文だけですが、インドでは、銀の装飾品が利子率が高いと鋳造されたり、それが低くなると、またもとの銀装飾品になったりした様子を指摘しています。これは利子率が高いときには、銀は貨幣として貸し出されて運用するために貨幣として鋳造され、低いともとの装飾品になったということのようです。

  (ニ)(ホ)(ヘ) インドにおける金銀の輸出入に関する1864年の議会文書によれば、1863年には金銀の輸入は輸出を19,367,764ポンド・スターリング超過しました。1864年までの最近の8年間には、貴金属の輸出にたいする輸入の超過は、109,652,917ポンド・スターリングでした。今世紀中には2億ポンド・スターリングよりもずっと多くがインドで鋳造されました。

  これはインドではどれほど多くの金銀が輸入され、鋳造されたかを具体的な数値で示しています。「a 貨幣蓄蔵」の第3パラグラフでもヴァンダリントの指摘として、インドではどれほど多くの貨幣の埋蔵が行われているかが論じられていました。そこでは〈1856-1866年に、つまり10年間に、イギリスはインドとシナに(シナに輸出された金属は大部分再びインドに向かって流れる) 1億2000万ポンド・スターリングの銀を輸出したが、この銀は以前にナーストラリアの金と交換して得られたものだった〉との指摘がありました。
   ここでは貴金属の輸入超過額が1863年1年間には2千万ポンド弱、1864年までの8年間では約1億1千万ポンドという具体的数値が紹介され、今世紀中、ということは1800年から1864年の64年間に、2億ポンドよりずっと多くが鋳造されたという事実が指摘されています。因みにマルクスが抜粋している『エコノミスト』の記事によるとイギリスでは〈1857年に4,859,000ポンド・スターリングの価値ある金を鋳造……この年の銀貨の鋳造は、373,000ポンド・スターリング……1857年12月31日までの10年間に鋳造された鋳貨の総額は、金が55,239,000ポンド・スターリング、銀が2,434,000ポンド・スターリングであった〉(草稿集②757頁)とあります。イギリスでは鋳貨以外に銀行券の流通がありますから、単純な比較は出来ませんが、それにしてもインドの鋳造額の大きさが伺えます。ただこの注は、最初に述べましたように、蓄蔵貨幣貯水池が流通する貨幣の流出や流入の水路として役立ち、だから流通貨幣が流通水路から溢れることはないのだという本文に対するものです。ノースからの引用はまさにそうしたものに相応しい内容でした。しかしミルの場合は、インドでの話であり、利子率の変動に連れて、鋳造が増減するというものでした。ということは〈今世紀中には2億ポンド・スターリングよりもずっと多くがインドで鋳造された〉ということも、実際には、2億ポンド・スターリングの鋳貨が流通しているということではなく、2億ポンドが鋳造されたが、そのある部分は再び地金に戻ったということなのかも知れません。

(【付属資料】は(3)に掲載します。)

 

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『資本論』学習資料No.20(通算第70回)(3)

2020-03-22 20:54:43 | 『資本論』

『資本論』学習資料No.20(通算第70回) (3)

 

【付属資料】


●第5パラグラフ

《経済学批判要綱》

  〈それゆえ貨幣は、手につかめる個別化された対象としては、偶然的に探し求め、見つけだし、盗み、発見することができるものであり、しかも一般的富は、手につかめるかたちで個々の個人の占有〔Besitz〕のもとにおくことができる。貨幣はたんなる流通手段としては、僕(シモベ)の姿〔Knechtsgestalt〕をもって現われたものだが、この僕の姿から、突然に、貨幣は、諸商品の世界の支配者および神〔Herrscher und Gott〕になる。貨幣は諸商品の天国的存在を表わしており、これにたいして諸商品は貨幣の現世的存在を表わしている。自然的富のどんな形態でも、富が交換価値によってとってかわられる以前には、それは、対象にたいする個人の一つの本質的な関連を想定しているのであって、その結果、個人は、彼の一つの側面にかんして、自身が物象というかたちで対象化されており、そして、個人による物象の占有は、同時に、彼の個体性の一つの規定された発展として現われるのである。つまり羊での富は、牧人としての個人の発展であり、穀物での富は、耕人としての個人の発展である、等々、これとは反対に貨幣は、一般的富の個体として、それ自身流通に由来して、ただ一般的なものだけを代表するにすぎぬものとして、ただ社会的結果にすぎないものとして、その占有者にたいする個人的関連をまったく想定していないのである。つまり貨幣を占有することは、貨幣の占有者の個体性の本質的諸側面のなんらかのものの発展ではなく、それは、むしろ、もろもろの没個体性〔Individualitätslose〕の占有なのである。なぜなら、この社会的〔関係〕が、同時に、一つの感性的、外的な対象としても存在しており、この対象を機械的にわがものとすることもできれば、同じくまた機械的にそれを喪失することもありうるからである。したがって貨幣の個人にたいする関連は、純粋に偶然的な関連として現われる。ところが、個人の個体性とはまったく関連していない物象にたいするこの関連こそが、同時に、この物象という性格によって、社会にたいする、つまり享楽、労働などの全世界にたいする一般的支配をその個人にあたえるのである。ちょうどそれは、たとえば一つの石を発見しさえすれば、私の個体性とはまったくかかわりなく、あらゆる科学の知識が私にあたえられることになったかのように思えるばあいと、同じことになる。貨幣の占有が、富(社会的富)にたいする関係において、私をはいりこませる関係は、賢者の石が、科学にかんして、私をはいりこませる関係と、まったく同一なのである。〉(草稿集①242-243頁)
   〈それゆえ、貨幣は致富欲〔Bereichetungssucht〕の一つの対象〔ein Gegenstand〕であるばかりでなく、致富欲のほかならぬその対象〔der Gegenstand〕なのである。致富欲は本質的にのろうべき黄金渇望〔auri sacrafames〕である。そのものとしての、衝動の特殊的形態としての致富欲、すなわち特殊的な富にたいする欲癖、したがってたとえば衣服、武器、装飾品、女、酒などにたいする欲癖、とは区別されたものとしての致富欲は、一般的富、そのものとしての富が一つの特殊的な物の姿をとって個体化されるようになったときに、はじめて可能となる。すなわち貨幣がその第三規定において措定されるようになったときに、はじめて可能となる。したがって貨幣は致富欲の対象であるばかりでなく、同時に致富欲の源泉でもある。所有欲〔Habsucht〕は貨幣がなくとも可能である。致富欲は、それ自身一定の社会的発展の産物であり、歴史的なものと対立した自然的〔なもの〕ではない。以上のことから、いっさいの悪の源泉は貨幣であるとする古典古代人〔Alten〕の悲嘆が生じたのである。一般的形態での享楽欲と吝嗇とが、金銭欲〔Geldgier〕の二つの特殊的な形態である。抽象的な享楽欲は、いっさいの享楽の可能性を含んでいるはずの一つの対象を想定している。この抽象的な享楽欲を現実化するのは、富の物質的代表物であるという規定での貨幣である。また貨幣は、富の特殊的な諸実体としての諸商品に対立するところの、富の一般的形態にほかならないという点では、吝嗇を現実化する。貨幣そのものを保持するために、金銭欲そのものの欲求を満たすために、吝嗇は、特殊的な諸欲求の諸対象にたいするいっさいの関連を犠牲にし、それを断念しなければならない。金銭欲ないし致富欲は、必然的に、古代の諸共同団体〔Gemeinweesen〕の没落である。それゆえ、それは、共同団体にたいする対立物である。貨幣それ自体が共同制度〔Gemeinweesen〕なのであって、自分のうえに他のものが位することを許すことができない。しかし、このことは、諸交換価値の完全な発展を想定し、したがってそれに照応する社会の有機的組織〔Organisation der Gesellschaft〕の完全な発展を想定している。古代人のばあいには、交換価値が諸物象を結びつける紐帯〔nexus reum〕ではなかった。だから交換価値は、商業民族〔Handelsvölker〕のもとでのみ現われるにすぎないが、しかし彼らは、仲介貿易〔carrying tradem〕だけを営んでいて、みずから生産を行なうことはなかった。少なくもフェユキア人やカルタゴ人などの時代では、そのこと〔交換価値の出現〕は副次的な事柄であった。彼らは、ポーランドのユダヤ人や中世におけるユダヤ人と同様に、古代世界のすき間をぬって生活することができたにすぎない。というよりもむしろ、この古代世界そのものが、そのような商業諸民族の前提であった。彼らは、古典古代の諸共同団体と本気で衝突するようになると、やはりそのたびごとに滅んでいくのである。ローマ人やギリシア人などのあいだでは、貨幣は尺度および流通手段としてのその最初の両規定において、はじめてさまたげもなく現われているが、この両規定においては、それほどの発展はなかった。しかし、彼らの商業などが発展するか、またはローマ人のばあいのように、略奪によって貨幣が大量に供給されるかするようになると、--要するに、彼らの経済的発展がある一定の段階に達すると、突然に、貨幣は必然的にその第三規定において現われる。そして貨幣がこの規定において成熟すればするほど、貨幣は彼らの共同団体を没蕗させるものとして現われるのである。〉(草稿集①243-245頁)
   〈貨幣は一般的等価物一般的購買力〔die general power of purchasing〕であるから、あらゆるものが、買うことのできるものであり、あらゆるものが、貨幣に転化できるものである。しかしどんなものであれ、それが貨幣に転化できるのは、ただそれが譲渡される〔alienirt〕ことによって、所持者が自分のものを手放す〔entäußern〕ことによってのみである。だからあらゆるものが、譲渡されうるもの〔alienable〕、言い換えれば個人にとって無関心なもの、個人にとって外的なものである。したがって、もろもろのいわゆる譲渡不能な永遠の所有物〔Besitzthümer〕とそれらに対応する不動の固定した所有諸関係とは、貨幣の前に倒壊する。さらに貨幣そのものは、もっぱら流通のなかにあって、繰り返しもろもろの享楽等々と--最終的にはすべてもろもろの純粋に個人的な享楽に解消されうる諸価値と--交換されるのだから、どんなものでもそれが価値をもつものであるのは、それが個人にとってそうであるかぎりででしかない。諸物の自立的な価値は--この価値の眼目が諸物のたんなる対他的存在、つまり諸物の相対性、交換可能性にあるというのでないかぎり--解体され、それと同時に、いっさいの物および関係のもつ絶対的価値は解体される。すべてが利己的享楽のために犠牲にされる。というのも、あらゆるものが貨幣と引き換えに譲渡されうる〔alienirbar〕ように、またあらゆるものが貨幣によって入手することもできるからである。「現金」と引き換えにあらゆるものをもつことができるが、この「現金」そのものは、個人にたいして外的に存在するものとして、詐欺や暴力などによってつかみうるものなのである。だから、すぺてのものがすべての人によって取得されうるものであるが、個人がなにを取得できるかできないかは、偶然にかかっている。というのも、それは、その個人がもっている貨幣にかかっているのだからである。このことによって個人は、即自的には、あらゆるものの主人として措定されているのである。絶対的価値なるものがないのは、貨幣にとっては、価値そのものが相対的だからである。譲渡不能なものがなにひとつないのは、貨幣と引き換えに、あらゆるものが譲渡されうるからである。崇高なもの、神聖なもの、等々がないのは、貨幣によってあらゆるものが取得できるからである。「いかなる人の所有物」でもありえず、「評価を受けることもできなければ、質入れされたり譲渡されたりもできず」、「人間たちの取引」から除外されている、「神聖」かつ「宗教的な諸物」、--このようなものが、貨幣を前にしては存在しないのは、万人が神の前に平等であるのと同様である。中世のローマ教会は、高潔にもそれ自身が貨幣の最大の布教者〔Hauptpropagandist〕だったのだから。〉(草稿集②726-727頁)

《経済学批判・原初稿》

  〈貨幣とは「特定の人格にはかかわらない〔unpersönlich〕所有物である。貨幣というかたちで私は、一般的な社会的力(マハト)を、一般的な社会的連関を、社会的実体を、ポケットに入れて持ち運ぶことができる。貨幣は社会的力(マハト)を物として私的人格の手中に委ねるから、私的人格は、この社会的力(マハト)を私的人格として行使するのである。社会的連関そのものが、社会的素材変換そのものが、貨幣という姿で、まったく外在的なものとして現象する。この外在的なものは、それの占有者に個人的な関連をもつことがないから、それの占有者が行使する力(マハト)をもまた、まったく偶然的なもの、その人にとって外在的なものとして現象させるのである。〉(草稿集③37頁)

《初版》  第4パラグラフに関連して紹介。

《フランス語版》 フランス語版はこのパラグラフは二つに分けられ、間に注が挟まっている。

  〈貨幣の姿態は、なにが貨幣に転化されているかを少しも明かしてくれないから、商品であろうとなかろうと、なんでも貨幣に転化される。金銭で買えないもの、売買されないものは一つもない! 流通は、あらゆるものがそこに飛びこみ貨幣結晶に転化してそこから出てくる、大きな社会的なレトルトになる。なにものもこの錬金術には耐えられないのであって、聖者の骨さえそうなのだから、もっときゃしゃな聖の聖なる物、人間の取引の外にある聖の聖なる物にいたっては、なおさらそうである(40)。商品のあいだのどんな質的差異も、貨幣のなかでは消えるのと同じように、急進的な平等主義者である貨幣は、いっさいの差異を抹消する(41)。だが、貨幣はそれ自体商品、すなわちどんな人の手中にも落ちることができる物である。社会的な力はこのようにして私人の私的な力になる。したがって、古代社会は貨幣を、この社会の経済組織と民衆的な風俗との最も能動的な転覆因子、破壊物として、非難する(42)。〉(江夏・上杉訳112頁)
  〈まだやっと生まれたばかりのときに、すでにプルトンの神〔ギリシア神話の富の神〕の髪をつかんで大地の胎内から引きずり出す近代社会(43)は、その聖盃である金のなかに、自己の生活原理そのもののまばゆい化身を見て、これに敬意を表わすのである。〉(江夏・上杉訳113頁)


●原注88

《初版》

  〈(71)「貨幣は質ぐさである。」(ジョン・べラーズ『貧民、製造業、商業、植民および非行にかんする論集、ロンドン、1699年』、13ページ。」〉(江夏訳126頁)

《フランス語版》

  〈(38) 「貨幣は質ぐさである」(ジョン・ベラーズ『貧民、製造業、商業、植民、および非行にかんする論集』、ロンドン、1699年、13ページ)。〉(江夏・上杉訳112頁)


●原注89

《経済学批判》

  〈もしわれわれがW-GのGをすでに完了した他の一商品の変態として考察しないとすれば、われわれは交換行為を流通過程から外へ取り出すことになる。だが、流通過程の外では、形態W-Gは消滅して、二つの異なるW、たとえば鉄と金とが対立するだけであり、それらの交換は、流通の特殊な行為ではなく、直接的交換取引〔物々交換〕の特殊な行為である。金は、他のすべての商品と同様に、その原産地では商品である。金の相対的価値と鉄やその他すべての商品の相対的価値とは、そこでは、それらが互いに交換される量であらわされる。しかし流通過程では、この操作は前提されており、商品価格のうちに金自身の価値はすでにあたえられている。だから、流通過程の内部で金と商品とは直接的交換取引の関係にはいり、したがってそれらの相対的価値は、単純な商品としてのそれらの交換によって確かめられる、という考えほどまちがったものはない。流通過程で金がたんなる商品として諸商品と交換されるように見えるとしても、この外観はたんに、価格で一定量の商品がすでに一定量の金と等置されているということ、すなわち一定量の商品がすでに貨幣としての、一般的等価物としての金に関係しており、それだからこそ直接に金と交換できるということから生じるのである。一商品の価格が金で実現されるかぎりでは、その商品は、商品としての金、労働時間の特殊な物質化したものとしての金と交換される。だが、金が、金で実現される商品の価格であるかぎりでは、その商品は、商品としての金ではなく、貨幣としての金、すなわち労働時間の一般的な物質化したものとしての金と交換される。しかし、二つの関係のどちらでも、流通過程の内部で商品と交換される金の量が交換によって規定されるのではなく、交換が商品の価格、すなわち金で評価されたその交換価値によって規定されるのである。〉(全集第13巻72-73頁)

《初版》

  〈(72)なぜならば、範疇的な意味での購買は、金銀を、商品の転化された姿態として、あるいは販売の産物として、すでに前提しているからである。〉(江夏訳126頁)

《フランス語版》

  〈(39) 購買は範疇的な意味では、交換者の手中にある金または銀が、彼の生産行為から直接に生ずるのでなく、彼の商品の販売から生ずる、と実際に前提している。〉(江夏・上杉訳112頁)


●原注90

《経済学批判》

  〈貨幣は致富欲の一つの対象であるばかりではなく、それはその対象そのものである。致富欲は本質的には金にたいする呪われた渇望〔auri sacra fames〕である。衣服、装飾品、家畜などのような特殊な自然的富または使用価値にたいする欲求とは区別された致富欲は、一般的な富がそのものとしてある特殊な物に個体化されており、したがって個別の商品としてしっかりとにぎりうるときに、はじめて可能である。だから貨幣は、致富欲の対象として現われるのと同じ程度に、その源泉としても現われる。じっさい、その根底にあるものは、交換価値そのものが、それとともにその増加が目的となるということである。吝嗇は、貨幣が流通手段になることを許さないことによって蓄蔵貨幣をしっかりとにぎるが、しかし黄金欲は、貨幣の貨幣魂、そのたえず流通にむかおうとする張りつめた状態をもちつづける。〉(全集第13巻111-112頁)

《初版》

  〈(73)いたってキリスト教的なフランス国王のアンリ3世は、修道院などからそこの聖遺物を略奪してこれを金銭に代えた。フォーキス人の手によるデルポイ神殿の財宝の略奪がギリシアの歴史上どんな役割を演じたかは、人の知るところである。周知のように、神殿は、古代人のあいだでは、商品の神には住み家として役立っていた。「神殿は神聖な銀行」であった。特にきわだって商業民族であったフェエキア人にとっては、貨幣は、あらゆる物の脱ぎ捨てられた姿態として認められていた。だから、愛の女神の祭日に他国人に身をゆだねた乙女たちが、報酬として受け取った貨幣片を女神に供えたのは、道理にかなったことであった。〉(江夏訳126-127頁)

《フランス語版》

  〈(40)きわめてキリスト教的なフランス国王であるアンリ3世は、修道院や僧院などからその聖遺物を掠奪して、これを貨幣に換えた。フォーキス人によるデルフォイ神殿の財宝の掠奪が、ギリシアの歴史上どんな役割を演じたかは、周知のとおりである。神殿は古代人のあいだでは、商品の神に住居として役立った。それは「神聖な銀行」であった。すぐれて商業民族であるフェニキア人にとっては、貨幣はすべての物の変貌した姿であった。だから、女神アスタルテの祭礼にあたり、貨幣と引き換えにその身を他国人にゆだねた乙女たちが、女神の祭壇に捧げられた純潔の象徴として受け取った貨幣片を、女神に捧げるが、このことは物の道理にかなっていたのである。〉(江夏・上杉訳112-113頁)


●原注91

《1844年の経済学・哲学手稿》

  〈シェークスピアは『アテナイのティモン』のなかでこう言っている。
  「金(カネ)か? 結構な、ぴかぴかの黄金か? いや神々さまだ!
  わしはだてにお祈りするわけじゃない。
  これだけそいつがあれぽ黒も白、醜も美、
  不良も良、老も若、懦も勇、賎も貴だ。
  そいつは……祭司を祭壇から誘うし、
  なおりかけの病人から寝枕をひっこ抜く。
  そうだ、この黄金(コガネ)色の奴隷めは神聖な絆(キズナ)を
  解(ホド)いたり結んだり、呪(ノロ)われた者の呪(ノロ)いを払ったりする。
  そいつ奴(メ)のおかげで癩病もかわいくなり、盗人(ヌスット)は崇められて、
  元老院での地位と威光と権勢を手に入れる。そいつ奴(メ)は
  くたびれた年増やもめに求婚者を連れてくる。
  養老院から毒々しい傷の膿(ウミ)で、
  反吐(ヘド)はくように放り出された女を、こいつは
  芳(カン)ばしく五月(サツキ)の若さへよみがえらせる。
  いまいましい金属め、
  きさまは人々を誑(タブ)らかす
  人類共同の娼婦だ。」
そしてもっと後のほうでは、
  「こやつ、かわいい王様殺(メ)し奴、息子と父の高価な
  縁切り! ヒュメナイオス〔婚礼の神〕の
  至純の臥所(フシド)の絢欄(ケンラン)たる冒瀆者! 勇ましいマルス〔軍神〕!
  この永久(トワ)に栄えるいとしの求婚者、
  その金色(コンジキ)の輝きはディアナ〔貞操の女神〕の浄(キヨ)い膝の聖なる雪も溶かす!
  目に見える神、お前は不可能事どもを密に睦(ムツ)ませ、否応なしに口づけさせる!
  お前はどんな言語(コトバ)ででも、どんな目的のためにでも、語る!
  おおこやつ、人々の心の試金石奴(メ)!
  お前の奴隷である人間が背(ソム)くことを思ってみるがよい!
  お前の力で彼らすべてを掻き乱して滅ぼしてしまえ!
  そうすりゃ、この世の支配は獣(ケダモノ)どものものだ!」
  シエークスピアは金(カネ)の本質を的確に描いている。彼を理解するために、まずあのゲーテの箇所の解釈から始めよう(シェークスピアの引用の前にゲーテの『ファウスト』から引用文がある--引用者)。
  金によって私のためにあるもの、私が代価を支払いうるもの、換言すれば金が購(アガナ)いうるもの、……金そのものの持主である私とはそれなのである。金の力の大きさが私の力の大きさである。金のもつ性質は私--金の持主--のもつ性質であり本質力である。したがって私が何であり、何ができるかはけっして私の個人性によってきまっているのではない。私は醜いが、しかし私は絶世の女を購(アガナ)うことができる。だから私は醜くないのである。というのは、醜さの効果、人の顔をそむけさせる力は金によってなくされているのだからである。私は--私の個人としてのあり方からすれば、--びっこであるが、しかし金は私に24本の足をもたせてくれる。だから私はびっこではない。私は性(タチ)の悪い、不誠実な、非良心的な、才気のない人間であるが、しかし金は尊ばれており、したがってその持主もそうなのである。金は最高によいものであり、したがってその持主もよい人間であり、のみならず金は私に、不誠実であるという厄介なあり方をしなくてもすむようにしてくれる。だから私は誠実だと頭ごなしに推定される。私には才気はないが、しかし金は一切万物の現実的な才気である。どうしてその持主が才気のないはずがあろうか? それにまた金の持主は才気に富む人々を自分のために購うことができるのであって、才気に富む人々を自由に使う力をもつ人間は、才気に富む人よりももっと才気に富む人間ではないか? 人の心が渇望するどんなことでも金のおかげでできる私、その私はあらゆる人間的能力を所有するではないか? したがって私の金は私の無能をことごとくその反対繍物に変えるではないか?
  は私を人間的な生活へ結びつけ、私に社会を結びつけ、私を自然と人間たちに結びつける絆(キズナ)であるならば、それはあらゆるのなかの絆ではないか? それはあらゆる絆を解いたり結んだりできないだろうか? だからそれはまた普遍的な分離剤なのではなかろうか? それは真の分離貨幣〔補助貨幣〕であるとともにまた真の接合剤でもあり、社会の〔……〕化学的力なのである。
  シェークスピアは金においてとくに二つの属性を取り出している。
  (1)それは目にみえる神であり、あらゆる人間的および自然的諸属性の、それらの反対物への転化であり、諸事物の普遍的な混同と転倒であり、それはもろもろの不可能事を睦(ムツ)み合わせる。
  (2)それは人間たちと諸国民との普遍的娼婦、普遍的取持役である。
  あらゆる人間的および自然的性質を転倒し混同し、もろもろの不可能事を睦み合わせるという金の神通力は、金の本質がじつは疎外されたところの、手放し〔外在化し〕、譲渡される人聞の類的本質にほかならぬところにある。それは外在化された人類の能力である。
  私が人間としてできないこと、したがって私のあらゆる個人的本質力にとってできないこと、それが私にはのおかげでできる。したがって金はこれらの本質力のどれをでもそれの本来の力とはちがったもの、換言すればそれの反対物たらしめる。……(中略)…… かくて金(カネ)は個人にたいしても、また社会的等々のもろもろの絆--これらの絆はそれら自体として本質であることを要求しているのであるが、--にたいしても、こうした転倒を起こさせる力としてあらわれる。それは誠実を不誠実に、愛を憎しみに、憎しみを愛に、徳を悪徳に、悪徳を徳に、奴隷を主(アルジ)に、主を奴隷に、愚鈍を分別に、分洌を愚鈍に変える。……(以下、長くなりすぎますのでカットします。)〉(全集第40巻485-488頁)

ライプツィヒ宗教会議、Ⅲ、聖マックス》

  〈所有の最も一般的な形態である貨幣が、どんなに人格的固有性とかかわるところが少ないか、どんなにこれと真正面から対立しているかは、理論化するわれらの小市民〔シュティルナー〕よりも、シェークスピアのほうがすでによりよく知っていた、
「こいつがそれだけあれば、
黒を白に、醜を美にし、
悪を善に、老いを若くし、
卑怯を勇敢に、卑賎を高貴にする、
いやこの黄金色の.奴隷--
こいつは癩(ライ)病を好きにさせ--
             --こいつは
年とりすぎた寡婦(ヤモメ)に求婚者をつれてくる。
傷で毒の膿(ウミ)をたらしながら病院から、
胸くそ悪いと追い出された女を、
香(カオリ)さわやかに青春に若がえらすこいつ--
            眼にみえる神だ、
おまえはできぬ事どうしを親密に結ばせ、
接吻するように強いる!」*
 *〔手稿では抹消されているところ〕現実的な私的所有はまさになによりも最も一般的なものであり、個性とは全然なんのかかわりもないもの、いなこれをまともに突き倒すものである。私が私的所有者と見なされるかぎり、私は個人とは見なされない--この命題は、金銭結婚が日常に証明しているところだ。〉(全集第2巻230頁)

《経済学批判・原初稿》(マルクスはシェイクスアからの引用の横に縦線を引いて、メモ書きを添えている。それをそのままではブログでは再現できないので、横線を引いて、メモ書きを下に書くことにした。)
  
〈黄金? 黄色い、ギラギラする、貴重な黄金(キン)じゃないか?……
こいつがこれつくらいありや、黒も白に、醜も美に、
邪も正に、賎も貴に、老も若に、怯も勇に変えることができる。
------------------------------
  すべてのものと取り換えられ、またすべてのものがそれと取り換えられるものが、墜落と売淫の一般的手段とみなされている。
------------------------------
え! 神様! なんと、どうです?
はて、神様、どうです? これがこれつくらいありや、
神官どもだろうが、おそば仕えの御家来だろうが、みんなよそへ引っぱってゆかれてしまいますぞ。
まだ大丈夫という病人の頭の下から枕をひっこぬいてゆきますぞ。
------------------------------
  (アリストパーネスのプルートスにも同様のくだりがある。)
------------------------------
この黄色い奴めは、信仰を編み上げもすりゃ、引きちぎりもする。
いまわしい奴をありがたい男にもする。
白綴病みをも拝ませる。
盗賊(ドロボウ)にも地位や爵位や権威や名誉を元老なみに与える。
古後家を再縁させるのもこいつだ。
癩病院の患者だって嘔吐を催しそうな女でも、
この香油を身に塗(ナス)りゃあ四月の花のようになる。
やい、うぬ、罰当りの土塊(ツチクレ)め、どの人聞をもかどわかす
下劣な淫売め〔、諸国の無頼漢どものけんか種をまく淫売め、正当な持前通りの事をしろ〕。」〈シェイクスピア『アテナイのタイモン』〔坪内遁逢訳『アセンズのタイモン』、中央公論社、13O-132ページ〕)
------------------------------
 「彼らは心を一つにしている。そして自分たちの力と権威とを獣に与える〔第17章13節〕。そしてこの刻印、つまりその獣の名、またはその名の数字のない者はみな、物を買うことも売ることもできないようにした。」(黙示録) 〉(草稿集③84-85頁)

《初版》

  〈(74)「金? 黄色い、ぎらぎらする、貴重な黄金じゃないか? こいつがこれくらいありゃ、思も白に、醜も美に、邪も正に、賎も貴に、老も若に、怯も勇に変えることができる。……神様たち、なんと、どうです? これがこれっくらいありゃ、神官どもだろうが、おそば仕えの御家来だろうが、みんなよそへ引っぱってゆかれてしまいますぞ。まだ大丈夫という病人の頭の下から枕を引っこぬいてゆきますぞ。この黄色い奴めは、信仰を編みあげもすりゃ引きちぎりもする。いまわしい奴をありがたい男にもする。白癩病みをも拝ませる。盗賊にも地位や爵や膝や名誉を元老なみに与える。古後家を再縁させるのもこいつだ。……やい、うぬ、罰あたりの土くれめ、……淫売め。」ハシェイクスピア『アゼンズのタイモン』〔中央公論社、坪内逍遥訳『新修シェークスピア会集』、第33巻、130-132ページより引用。〕〉(江夏訳127頁)

《フランス語版》

  〈(41)「黄金? 黄色い、ぎらぎらする、貴重な黄金じゃないか? こいつがこれっくらいありゃ、黒も白に、醜も美に、邪も正に、賎も貴に、老も若に、怯も勇に変えることができる。……神様たち、なんと、どうです? これがこれっくらいありゃ、神官どもだろうが、おそば仕えの御家来だろうが、みんなよそへ引っばってゆかれてしまいますぞ。この黄色い奴めは、信仰を編みあげもすりゃ引きちぎりもする。いまわしい奴をありがたい男にもする。白癩病みをも拝ませる。盗賊にも地位や爵や膝や名誉を元老なみに与える。古後家を再縁させるのもこいつだ。……やい、うぬ、罰あたりの土くれめ、……淫売め」(シェイクスピア『アゼンズのタイモン』)〔中央公論社、坪内逍遥訳『新修シェークスピア全集』第33巻、130-132ページより引用〕。〉(江夏・上杉訳113頁)


●原注92

《経済学批判・原初稿》

 〈「まったく、世のならわしとなっているもののうちでも、
  金銭ほど人間どもに禍いをもたらすものはない。
  これのために都市さえも略奪の対象とされ、男たちが家々から追いたてられる。
  これの教えが[人びとの]まともな心を迷わせ、変えさせて、
  恥ずべき[所行へと向かわせるのだ。]
  これが人間たちに〔邪悪の道をさし示し】、
  ありとあらゆる不敬なにいざなうのだ。」
  (ソホクレス『アンティゴネー』)〉(草稿集③82-83頁)

《初版》

  〈(75)「まったく、人の世の習いにも、金銭ほど人に禍いをなす代物はない、此奴(コイツ)のために町は亡ぼされ、民は家から追い立てられる。この代物が人間のまともな心を迷いに導き、引き替えて、恥ずべき所業に向かわせてから、人々に邪悪の道を踏みならわせては、見境なしに不敬の業(ワザ)へ誘い込むのだ。」(ソポクレース『アンティゴネー』)〔岩波文庫版、ソポクレース『アンティゴネー』、呉茂一訳、25、26ページより引用。〕〉(江夏訳127頁)

《フランス語版》

  〈(42) 「まったく、人の世の習いにも、金銭ほど人に禍いをなす代物はない、此奴(コイツ)のために町は亡され、民は家から追い立てられる。この代物が人間のまともな心を迷いに導き、引き替えて、恥ずべき所業に向かわせてから、人々に邪悪の道を踏みならわせては、見境なしに不敬の業(ワザ)へ誘い込むのだ」(ソフォクレース『アンティゴネー』) 〔岩波文庫、ソボクレース『アンティゴネー』、呉茂一訳、25、26ページより引用〕。〉(江夏・上杉訳113頁)


●原注93

《経済学批判・原初稿》

  〈デメトリウス・バレレウスは、鉱山から金を採掘することについてこう述べている。
  「〔それは〕欲深さの余り、大地の奥深く秘められたところからプルートーン〔地下の冥界の神〕その人を地上に引きずり出そうとする〔ことである〕。」(アテナイオス『食通談義』第6巻第23章第223節。〉(草稿集③82-83頁)

《初版》

  〈(76)「貪欲は、プルートーン自身を大地の奥底から引き出そうと願っている。」(アテナイオス『学者の饗宴』。)〉(江夏訳127頁)

《フランス語版》

  〈(43)「貧欲はプルトンそのものを地中から引き出そうとする」(アテナイオス『学者の饗宴』)。〉(江夏・上杉訳113頁)


●第6パラグラフ

《経済学批判》

  〈貨幣、すなわち独立した交換価値は、その質からすれば抽象的富の定在であるが、他方ではあたえられたそれぞれの貨幣額は量的に限られた価値の大きさである。交換価値の量的限界はその質的一般性と矛盾し、貨幣蓄蔵者は、この限界を、実際には同時に質的な制限に転化する制限として、言いかえると、蓄蔵貨幣を素材的富のたんなる制限された代理者にしてしまう制限として感じる。すでに見たように、貨幣は一般的等価物としては、貨幣そのものが一方の辺をなし、商品の無限の系列が他方の辺をなす等式で直接にあらわされる。貨幣がどの程度まで近似的にこういう無限の系列として実現されるか、すなわち交換価値としてのその概念にどの程度まで近似的に照応するかは、交換価値の大きさにかかっている。交換価値の交換価値としての、自動体としての運動は、一般的にはただその量的限界を乗り越えようとする運動でありうるだけである。しかし蓄蔵貨幣のある量的制限が乗り越えられると、いまいちど揚棄されなければならない新しい制限がつくりだされる。制限として現われるものは、蓄蔵貨幣のある一定の限界ではなくて、そのあらゆる限界である。このように貨幣蓄蔵はそれ自身のうちになんらの内在的限界も、基準ももつものではなく、その一回ごとの結果のうちにその開始の動機を見いだす無限の過程である。蓄蔵貨幣は保蔵されるからこそはじめて増加するのであるが、それはまた増加するからこそはじめて保蔵されるのである。〉(全集第13巻113頁)

《初版》

  〈使用価値としての商品は、一つの特殊な必要をみたし、素材的な富の一つの特殊な要素を成している。ところが、商品の価値は、素材的な富のあらゆる要素にたいするその商品の引力の程度を測り、したがって、その商品の所持者の社会的な富裕さを測る。野蛮で単純な商品所持者にとっては、また西ヨーロッパの農民にとってさえも、価値は価値形態から分離できないものであり、したがって、金銀蓄蔵の増加は価値の増加である。もちろん、貨幣の価値は、それ自身の価値変動の結果であろうと誇商品の価値変動の結果であろうと、どちらにしろ変動する。だが、このことは、一方では、200オンスの金が100オンスの金よりも、300オンスの金が200オンスの金よりも--以下同じ--、相変わらず多くの価値を含んでいる、ということを妨げるものではないし、さらに他方では、この物の金属としての現物形態が、すべての商品の一般的な等価形態、すなわち、すべての人間労働の直接的に社会的な化身である、ということを妨げるものでもない。貨幣蓄蔵の衝動は生来際限がない。質的には、あるいは貨幣という形態から見れば、貨幣は、無制限である、すなわち、素材的な富の一般的な代表者である。というのは、貨幣は、どんな商品にも直接的に転換されうるからである。だが、同時に、実在の貨幣額はどれも、量的に制限されており、したがってまた、効力を制限された購買手段でしかない。貨幣の量的な制限と質的な無制限とのあいだのこういった矛盾は、貨幣蓄蔵者をつねに、蓄積というシシュフォスの労働〔苦労ばかりで働きがいのない、繰り返し行なわれる労働〕へと追い返す。彼は、新しい国をいくら征服してもそのたびに新しい国境に出会うよりほかない世界征服者のようなものである。〉(江夏訳127-128頁)

《フランス語版》

  〈商品は、使用価値としては、ある特殊な必要をみたし、素材的富の特殊な一要素をなしている。ところが、商品の価値は、この富のすべての要素にたいして、その商品がもっている引力の度合を測り、したがって、その商品を所有する者の社会的富を測る。多かれ少なかれ未開の交換者、それどころか西ヨーロッパの農民でさえ、価値を価値形態から分離することを全く知らない。彼にとっては、金銀の貯蔵の増加は価値の増加を意味している。確かに貴金属の価値は、それ自身の価値または諸商品の価値に生じた変動の結果として変動する。だが、そうだからといって、一方では、200オンスの金が相変わらず100オンスの金よりも多くの価値を含み、300オンスが200オンスよりも多くの価値を含んでいる等々のことに変わりはないし、他方では、貨幣の金属形態が依然としてすべての商品の一般的な等価形態であり、すぺての人間労働の社会的化身であることに変わりはない。貨幣蓄蔵の衝動はその本性上、きまりもなければ限度もない。貨幣は、これを質あるいは形態の観点から見れば、素材的富の普遍的な代理人としては無制限である。というのは、貨幣はどの商品種類にも直接に転化できるからである。だが、現実の貨幣額はどれも量の上で限度をもち、したがって、制限された購買力しかもたない。つねに限定された貨幣の量と、無限な力という貨幣の質とのこの矛盾は、貨幣蓄蔵者をシシュフォスの労働〔苦労で働きがいのない、くりかえし行なわれる労働のこと〕に絶えず連れ戻す。彼も、新たな征服を行なうたびにただ新しい国境にのみ連れて行かれる征服者と同じである。〉(江夏・上杉訳113-114頁)


●第7パラグラフ

《経済学批判》

  〈商品所有者は彼が商品として流通に投じたものをしか、貨幣としてそこからとりもどすことができない。だからたえず売ること、商品をつぎつぎと流通に投じることは、商品流通の立場から見た貨幣蓄蔵の第一の条件である。他方、貨幣はつねに使用価値に実現されて、はかない享楽のうちに解消することによって、流通過程そのもののなかでたえず流通手段として消え去ってゆく。それゆえ、貨幣が購買手段としての機能を果たすのを妨げることによって、すべてを呑み込む流通の流れから貨幣を引き離さなければならず、言いかえれば、商品をその第一の変態に固着させなければならない。いまは貨幣蓄蔵者となった商品所有者は、すでに大カトーが「家長は売りたがるべきで、買いたがってはならない」〔patrem familias vendacem,non emacem esse〕と教えたように、できるだけ多く売り、できるだけ少なく買わなければならない。勤勉が貨幣蓄蔵の積極的な条件であるように、節倹はその消極的条件である。商品の等価物が特殊な商品または使用価値のかたちで流通から引き揚げられることが少なければ少ないほど、それは貨幣または交換価値のかたちで流通からますます多く引き揚げられる。だから一般的形態での富の取得は、素材的現実性での富の放棄を条件としている。したがって貨幣蓄蔵の生きた衝動は吝嗇であり、吝嗇の欲求するものは、使用価値としての商品ではなくて、商品としての交換価値である。余剰をその一般的形態でわがものにするためには、特殊な欲望はぜいたくなもの、余分なものとして取り扱われなければならない。〉(全集第13巻107-108頁)
 〈わが貨幣蓄蔵者は、交換価値の殉教者として、金属柱の頂きにすわった聖なる苦行者として現われる。彼にとってはただ社会的形態にある富だけが問題であり、それゆえに彼はそれを埋蔵して社会から隠す。彼はいつも流通可能な形態にある商品を欲し、それゆえに彼は商品を流通から引き揚げる。彼は交換価値に熱をあげ、それゆえに彼は交換をおこなわない。富の流動的形態とその化石とが、生命の仙薬と賢者の石とが錬金術のように気違いじみて入りみだれて現われる。彼はその頭のなかで描いたはてしのない享楽欲のあまり、すべての享楽を断念する。彼はすべての社会的欲望を満たそうと欲するがゆえに、自然的な必要さえほとんど満たさない。彼は富をその金属の現身でしっかりとにぎりながら、富を蒸発させてたんなる幻影にしてしまう。〉(全集第13巻113頁)

《初版》

  〈金を貨幣として、したがって貨幣蓄蔵の要素として、固持するためには、金が流通すること、または、金が購買手段として享楽手段になってしまうこと、を阻止しなければならない。だから、貨幣蓄蔵者は、金という物神に自分の肉欲を犠牲に供する。彼は禁欲の福音を真(マ)にうける。他方、彼が貨幣として流通から引き上げうるものは、彼が商品として流通に投ずるだけのものである。彼は、多く生産すればするほどますます多く売ることができる。だから、勤勉と節約と貪欲とが、彼の基本道徳を成しており、たくさん売って少なく買うことが、彼の経済学の全体を成しているのである(77)。〉(江夏訳128頁)

《フランス語版》

  〈貴金属を貨幣として、したがって貨幣蓄蔵の要素として、保持しておくためには、この貴金属が流通することを、すなわち、購買手段として消費手段に解消することを、阻止しなければならない。したがって、貨幣蓄蔵者はこの物神にたいして自分の肉体のいっさいの衝動を犠牲にする。彼ほどに、禁欲の福音書を真にうける者はない。他方、彼が貨幣として流通からはぎとることができるのは、彼が商品として流通に与えるものだけである。彼は生産すればするほど、いっそう多く販売することができる。勤勉、節約、吝嗇が彼の基本的な徳性であり、数多く売り数少なく買うことが、彼の経済学の全部である(44)。〉(江夏・上杉訳114頁)


●原注94

《初版》

  〈(77)「それぞれの商品の売り手の数をできるだけふやし、買い手の数をできるだけ減らすこと、これこそが、経済学のあらゆる働きが回転する蝶番である。」(ヴェリ、前掲書、52ページ。〉〉(江夏訳128頁)

《フランス語版》

  〈(4) 「それぞれの商品の売り手の数をできるだけ殖やし、買い手の数をできるだけ減らすことが、経済学の方策の要約である」(ヴェリ、前掲書、52ページ)。〉(江夏・上杉訳114頁)


●第8パラグラフ

《経済学批判》

  〈金銀製の商品は、それらの美的な性質をまったく度外視しても、それらを構成する材料が貨幣の材料であるかぎり、金貨幣や金地金が金製品に転形できるのと同じように、貨幣に転形することができる。金銀は抽象的富の材料であるから、富の最大の誇示は金銀を具体的な使用価値として利用することにある。そして商品所有者は生産の一定の段階で彼の蓄蔵貨幣を隠すにしても、この蓄蔵貨幣は、安全にやれるところではどこでも、彼を駆りたてて、他の商品所有者にたいして金持〔rico bombre〕として現われさせるのである。彼は、自分とその家を金ぴかにする。アジアでは、とくにインドでは、貨幣蓄蔵はブルジョア経済におけるがごとくに、総生産の機構の従属的な一機能として現われないで、この形態での富が究極の目的としてしっかりとにぎられているが、ここでは金銀製品はもともとからただ蓄蔵貨幣の美的形態であるにすぎない。中世のイングランドでは、金銀製品は粗放な労働の追加によってその価値をごくわずかしか増加しなかったから、法律上は蓄蔵貨幣のたんなる形態とみなされた。金銀製品の目的は、ふたたび流通に投じられるということであって、だからその品位は鋳貨そのものの品位とまったく同様に規定されていたのである。富の増加につれて奢侈品としての金銀の使用が増加するということは、ごく単純なことであるから、それは古代人にはまったく明らかなことであった。〉(全集第13巻113-114頁)

《初版》

  〈貨幣蓄蔵の直接的な形態と並んで、それの審美的な形態、金銀製品の所有が、行なわれる。それは、市民社会の富とともに増大する。「金持ちになろう。そうでなければ金持ちに見せかけよう。」(ディドロ。) こうして、一方では、金銀にたいする・絶えず拡大される市場が、金銀の貨幣機能にかかわりなく形成され、他方では、特に社会的な疾風時代に流出するような、貨幣の潜在的な供給源が、形成される。〉(江夏訳129頁)

《フランス語版》

  〈蓄蔵貨幣は、たんに自然のままの形態をもつだけでなく、審美納な形態ももっている。社会的富の増加につれて発展するものは、金銀細工品の蒐集である。「金持になろう、そうでなければ金持に見せかけよう」(ディドロ)。こうして、一方では、貴金属にたいしますます拡大する市場が形成され、他方では、社会的危機の時期には引き出しの源泉になるような潜在的な供給源が形成される。〉(江夏・上杉訳頁)


●第9パラグラフ

《経済学批判・原初稿》

 〈さらに、貨幣蓄蔵、すなわち貨幣の流通からの引き揚げと、その一定の地点での集積〔Sammlung〕には、多様な種類があることは、明らかである。購買と販売との分離という単なる事実から、すなわち単純流通の直接的機構そのものから生ずる一時的な貯蔵〔Aufhäufung〕、支払手段としての貨幣の機能から生ずる貨幣の貯蔵、最後に貨幣を抽象的富として固持し保存しようとする本来の貨幣蓄蔵、あるいはまた現存している富のうち直接的必要を越える余剰としてあるにすぎない貨幣蓄蔵、そして将来のための保証または意図せざる流通の停滞によって生ずる困難に対する保証としての貨幣蓄蔵。後者の諸形態においては、交換価値の自立化、交換価値の適合的な定在は、ただその--金としての--直接に物的な形態においてのみあるものとみなされているが、こうした諸形態はブルジョア社会においてはしだいに消えうせてゆく。これに対して、流通の機構それ自体から生じ、流通の機構がその諸機能をはたLてゆくための諸条件をなすところの他の貨幣蓄蔵の諸形態は、拡大発展してゆく。もっともその形態はさまざまであるが、それらは銀行制度〔das Bankwesen〕のところで考察すべきである。だが単純な金属流通の基礎上でわかることは、貨幣が機能するさいの諸規定が異なるのに応じて、あるいは社会的素材変換である流通の過程によって、遊休する蓄蔵貨幣として沈澱する現物の金銀の形態も異なってくること、このような蓄蔵貨幣として存在する貨幣部分の構成要素はたえず交替しており、社会の表面では、あれやこれやの機能をはたす貨幣部分のあいだの交替がたえず行なわれており、ある部分は蓄蔵貨幣から流通--国内的または国際的な--へ移行してゆき、ある部分は流通から蓄蔵貨幣貯水池〔Schatzreservoirs〕のなかへ吸収されてゆき、ある部分は奢侈品に転換されてゆくわけであるが、にもかかわらず流通手段としての貨幣の機能は、これらの沈澱物によって少しも制限されてはいないことである。貨幣の出入はかわるがわるこれらのさまざまな貯水池を空にしたり、満たしたりするが、同じことが国内流通においては総価格が上昇したり、低務したりすることによってもなされる。しかし流通そのもののために必要とされる貨幣量が金銀が過剰であるためにその限度〔Maaß〕を越えて増大するわけでもないし、またその限度以下に低落するわけでもない。流通手段として不必要なものは、蓄蔵貨幣として〔流通から〕吐き出されるが、それが流通に必要となると、蓄蔵貨幣は流通に吸収されるわけである。だから金属鋳貨だけを通貨として流通させている諸民族にあっては、個人から国庫を預かる国家に至るまで、さまざまな形態で貨幣蓄蔵が行なわれているわけである。だから金属鋳貨だけを通貨として流通させている諸民族にあっては、個人から国庫を預かる国家に至るまで、さまざまな形態で貨幣蓄蔵が行なわれているわけである。……したがって単純な金属流通および地金貨幣に立脚した一般的商業の土台の上では、一国にある金銀の量は、鋳貨として流通している金銀の量よりもいつも大きくなければならないし、また大きくなるであろう。もっとも、貨幣のうち貨幣として機能する部分と鋳貨として機能する部分との比率は、量的には変動するであろうし、また同一の貨幣片が交互にある機能をはたしたり別の機能をはたしたりすることはできるのだが。これは、国内流通のために用いられる部分と国際流通のために用いられる部分とが量的には交替し合い、また質的にはたがいに代理し合うのと、まったく同じことである。しかし金銀の量は、恒常的な貯水池であり、排水講であるとともに、給水溶でもある。〔排水と給水という〕二つの流通の流れといっても、この貯水池が給水溝であるのは、もちろん、それが排水溝であるからである。〉(草稿集③60-62頁)

《経済学批判》

  〈すでに見たように、貨幣流通はただ商品の変態の現象、言いかえれば、社会的な物質代謝をおこなうさいの形態転換の現象にすぎない。だから一方では流通する諸商品の価格総額の変動、つまりそれらの同時的な変態の範囲いかんにつれて、他方ではそれら諸商品の形態転換のその時々の速度におうじて、流通する金の総量はたえず膨張したり収縮したりしなければならない。これは一国にある貨幣の総量の流通内にある貨幣の量にたいする比率が、たえず変動するという条件のもとではじめて可能なのである。この条件は貨幣蓄蔵によって満たされる。価格が下落したり、または流通速度が増加したりすれば、蓄蔵貨幣の貯水池は、流通から分離された貨幣部分を吸収する。価格が騰貴したり、または流通速度が減少したりすれば、蓄蔵貨幣〔の貯(水池〕が開かれて、一部分は流通に還流する。流通している貨幣の蓄蔵貨幣への凝固と蓄蔵貨幣の流通への流出とは、たえず交替する振動運動であって、そこでどちらの方向が強いかは、もっぱら商品流通の変動によって規定されている。こうして蓄蔵貨幣は流通する貨幣の流入と排出との水路として現われ、その結果、流通そのものの直接の必要によって決められた量の貨幣だけが、つねに鋳貨として流通する。総流通の範囲が突然ひろがり、販売と購買との流動的統一が優勢となり、しかもそのために実現されるべき価格の総額が貨幣流通の速度よりも急速に増加するならば、蓄蔵貨幣は見るまに枯渇する。総運動が異常に停滞し、または販売と購買との分離が固定すると、たちまち流通手段はいちじるしい割合で貨幣に凝固して、蓄蔵貨幣の貯水池はその平均水準をはるかに越えて満ちあふれる。純粋な金属流通がおこなわれている国々、または未発展の生産段階にある国々では、蓄蔵貨幣は限りなく分裂して、その国の全表面に分散しているが、ブルジョア的に発達した国々では、それは銀行という貯水池に集中される。蓄蔵貨幣を鋳貨準備と混同してはならない。鋳貨準備はそれ自体、いつも流通内にある貨幣総量の一構成部分をなしているのにたいして、蓄蔵貨幣と流通手段との活動的関係は、その貨幣総量の増減を前提するのである。すでに見たように、金銀製品は、貴金属の排水路をなすと同時に、その潜在的な供給源をもなしている。普通のときには、その第一の機能だけが金属流通の経済にとって重要である。〉(全集第13巻115-116頁)

《初版》

  〈貨幣蓄蔵は、金属流通の節約ではいろいろな機能を果たす。第一の機能は、金銀鋳貨の流通条件から生ずる。すでに見たように、商品流通が規模や価絡や速度の点で絶えず変動するにつれて、貨幣の流通量は休みなく満ちたり干いたりする。だから、この量は、収縮したり膨張したりすることができなければならない。あるときは貨幣が鋳貨として牽引されなければならず、あるときは鋳貨が貨幣として斥撥されなければならない。現実に流通しつつある貨幣量が流通部面の飽和度に絶えず照応しているためには、一国内にある金または銀の量は、鋳貨機能を果たしつつある金または銀の量よりも大でなければならない。この条件は、貨幣が蓄蔵貨幣形態をとっていることによって、みたされる。蓄蔵貨幣という貯水池は、流通しつつある貨幣の流出および流入の水路として、同時に役立っており、したがって、流通しつつある貨幣が、それの流通水路からあふれ出るようなことはない(70)。〉(江夏訳129頁)

《フランス語版》  フランス語版ではこの最後のパラグラフは二つに分けられている。

  〈蓄蔵貨幣は、金属流通の経済のなかでさまざまな機能を果たす。第一の機能は、鋳貨の流通を支配する諸条件から発生する。商品流通がその規模、価格、速度の点からみて不断の変動をこうむるにつれて、鋳貨の流通量がどのように上昇または低落するかは、すでに見たとおりである。したがって,この量は収縮したり膨張したりすることができなければならない。
   貨幣の一部は、あるときは流通から出てゆかねばならず、あるときは流通に戻ってこなければならない。流通貨幣量がいつでも流通部面の飽和度に照応しているためには、現実に流通する金または銀の量は、一国内に存在する貴金属の一部だけを形成しているはずである。この条件は貨幣の蓄蔵形態によってみたされる。蓄蔵貨幣の貯水地は、流通の運河がけっして氾濫しないように、同時に排水と灌漑との運河として役立つのである(45)。〉(江夏・上杉訳115頁)


●原注95

《初版》

  〈(78)「一国の取引を営むためには、一定額の特殊な貨幣〔鋳貨〕を必要とするが、この額は変動するものであって、事情の必要に応じてあるときはより多くなりあるときはより少なくなる。……こういった貨幣〔鋳貨〕の干満は、政治家の助力をまたずに自力で調節される。……つるベがかわるがわる作用する。すなわち、貨幣〔鋳貨〕が稀少であれば地金が鋳造され、地金が稀少であれば貨幣〔鋳貨〕が溶解される。」(サー・D・ノース、前掲書、22ページ。)長い間東インド会社の職員であったジョン・ステュアート・ミルは、インドでは銀の装飾品が相変わらず直接に蓄蔵貨幣として機能していることを、確証している。「銀の装飾品は、利子率が高いともち出されて鋳造され、利子率が下がると再び元に戻る。」(J・St・ミルの証言、銀行法にかんする報告、1857年、第2084号。)インドにおける金銀の輸出入にかんする1864年の議会文書によると、1863年には、金銀の輸入が輸出を1936万7764ポンド・スターリングだけ超過した。1864年までの最近8年間には、貴金属の輸出にたいする輸入の超過は1億965万2917ポンド・スターリングに達した。今世紀中には、2億ポンド・スターリングをはるかに越える額がインドで鋳造された。〉(江夏訳129-130頁)

《フランス語版》

  〈(45)「一国の商業をやってゆくためには一定額の貨幣を必要とするが、この額は変動するものであって、あるときは多くあるときは少ない。……この貨幣の干満は、政策の手助けなしに自力で釣合がとれている。……ピストンがかわるがわる作用する。貨幣が稀少であれば地金が鋳造され、地金が稀少であれば貨幣が熔解される」(サー・D・ノース、前掲書、あとがき、3ページ)。長期間東インド会社の役人であったジョン・ステユアート・ミルは、銀製の装飾品や宝石がインドではいまなお蓄蔵貨幣として用いられている事実を、確認している。「利子率が高くなると銀の装飾品を持ち出して鋳造し、利子率が低くなるとその所有者に戻ってくる」(J・S・ミルの証言、『銀行法にかんする報告』、1857年、2084号および2101号)。インドにおける金銀の輸出入にかんする1864年のある議会文書によれぱ、1863年の輸入は、1936万7764ポンド・スターリングだけ輸出を超過した。1864年以前の8年間には、貴金属の輸出にたいする輸入超過は1億965万2917ポンド・スターリングに達した。今世紀中に、インドでは2億ポンド・スターリング以上が鋳造された。〉(江夏・上杉訳115頁)

 

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