『資本論』学習資料No.20(通算第70回)(1)
◎「価値物」と「価値体」(大谷新著の紹介の続き)
今回も前回と同様、大谷禎之介著『資本論草稿にマルクスの苦闘を読む』の「Ⅲ 探索の旅路で落ち穂を拾う」の「第11章 マルクスの価値形態論」を取り上げます。今回は「価値表現の回り道」という問題を取り上げているところなのですが、この問題に関する大谷氏の主張については、私は何度かその問題点を指摘してきましたが、その繰り返しになるかも知れませんが、やはりその問題点を指摘することにします。
まず、大谷氏は価値表現のメカニズムについて次のように説明しています。(なお「価値表現」について少し説明しておきますと、ここで大谷氏が問題にしているのは、20エレのリンネル=1着の上着 という等式で表される「単純な価値形態」において、如何にしてリンネルの価値が上着で表現されているのかという問題です)。
〈この連関(つまり 20エレのリンネル=1着の上着 という関連--引用者)のなかでは,第1に,上着はボタンのついたその物的な姿のままで価値の存在形態の意味をもっている。あるいはむしろ,そのモダンなデザインにもかかわらず,上着はこの関係のなかでは,ある量の価値をもっているもの,すなわち〈価値物〉という意味しかもっていない。というのは,上着がリンネルと等しいのは,そういうものとしてでしかないのだからである。このように,その身体そのものが或る量の価値という意味しかもっていない商品を〈価値体〉と呼ぶ。つまり,リンネルー=上着という価値表現によって,一[= ]→上着という形態を受け取った上着が,価値体となっているのである。他方で第2に,リンネルは,このような価値体としての上着と等しいということによって,自分が価値であることを表現している。こうして,リンネルの価値が,その使用価値--これはリンネルの身体そのもの,その現物形態に現われている--から区別されて表現されている。〉(491頁) (ここには大谷氏独特の表現方法が使われていますが、それを説明すると煩雑になりますので、やめておきます。)
さて、ここにはやはり私には納得のゆかない記述があるように思えます。それを箇条書きで書いてみましょう。
(1)まず〈上着はボタンのついたその物的な姿のままで価値の存在形態の意味をもっている〉と述べていますが、〈意味をもっている〉という表現が曖昧です。上着はそのボタンをつけた物的姿のままで価値そのもの、リンネルの価値が具体的な姿をとって現われているものとして認められている(あるいは通用する)とすべきだと思います。だからまた……
(2)〈あるいはむしろ,そのモダンなデザインにもかかわらず,上着はこの関係のなかでは,ある量の価値をもっているもの,すなわち〈価値物〉という意味しかもっていない〉というものやや不可解です。もし上着がその物的な姿のままに価値そのものを意味し、価値が具体的な姿をとって現われているものとして認められるのであれば、そのモダンなデザインのままに、価値そのものとして認められるということであり、決して単に〈ある量の価値をもっているもの〉、つまり単に上着も価値を持っているというようなことでは決してないのです。確かに上着もリンネルと等量の価値を持っていることは前提されていますが、しかしここではそんなことが問題になっているのではありません。ここで問題になっているのは、モダンであろうがなかろうが上着はそのデザインのままに、その姿のままに価値であり、リンネルの価値が具体的な姿をとって現われているものになっているのです。そしてそれこそ「価値物」の意味です。
大谷氏はあいからず「価値物」を「価値をもっているもの」という説明で満足しているようですが、これではリンネルの価値が表現されているとはいえないということが分かっていないように思えます。「少女はリンゴをもっている」といえば、確かに「リンゴ」も「もっている」ことも見えますし、分かります。しかし「少女はすぐれた能力をもっている」という場合、その「能力」そのものは目に見えないし、だから「もっている」というだけでは、その能力は目に見えないのです。価値も同じなのです。上着は「価値を持っているもの」だと言われても、それだけでは価値は目に見えるものとして現われているとはいえないのです。
(3)上記の問題点から必然的に出てくることですが、大谷氏は「価値物」と「価値体」との区別と関連が分かっていないということです。
ここで問題になっているのは、二商品の価値関係のなかに価値の表現を見ているのですが、それを本質が現象する過程としてマルクスは論じているのです。価値という“まぼろしのような対象性”が、すなわち本質が(ヘーゲルは本質とは無から無に推移する世界だと説明しています。つまりそれはわれわれが目にする直接的な「有の世界」ではなくて、その背後に隠れた「無の世界」なのです)、如何にして具体的な物的姿をとって現象するのかということです。この点で、マルクスはヘーゲルの論理学に忠実に問題を論じようとしているように思えます。ヘーゲルの論理学の本質論をみれば、本質はまず直接的には現存在として、すなわち「物」として現われます。物は本質の直接体であり、本質が最初に現われるものです。しかしヘーゲルは物そのものはまだ本質との関係については反省されたものとしてあるわけではなく、本質との反省関係を まって、つまり物として現われているものが、どういう本質から出たものかをその内在的な関連を掴み直して、初めてその物はある特定の本質が現われたものであることが分かるのであり、そうして初めてその物は「現象」として捉えられるのだというのがヘーゲルの説明なのです。
だから価値という本質が二商品の反省関係のなかで直接的なものとして現われた「物」が、すなわち「価値物」(現存在)であり、その価値物をさらにその本質から(価値を形成する労働の二重性にまで遡って)捉え返すことによって、それを価値の現象形態として、すなわち「価値体」として捉えることができるのです。だから「価値物」というのは価値の直接的な顕現形態であるのに対して、「価値体」は価値の反省された顕現形態、すなわち現象形態なのです。この違いが大谷氏には捉えきれていないのです。
(4)〈リンネルの価値が,その使用価値--これはリンネルの身体そのもの,その現物形態に現われている--から区別されて表現されている〉と説明していますが、やや説明不足です。リンネルの価値が自身の使用価値と区別されて表現されているといいますが、それはリンネルの使用価値と区別された上着の使用価値という姿としてリンネル価値が現われているからなのです。そこらあたりが今一つ説明不足のような気がしました。ただ次のように大谷氏が述べていることは問題が正しく捉えられていることを示しているのではありますが……。
〈このようにして,感覚的につかむことができないリンネルの価値が,感覚的につかむことができる上着の使用価値によって表現されているのであり,リンネルの価値が上着の使用価値という形態で現われている。ここでは,上着はリンネルの価値の現象形態となっているのである。〉 (491頁)
そして大谷氏は価値表現のメカニズムで肝心なこととして次のように述べています。
〈以上の価値表現のメカニズムで最も肝心なところは,リンネルが自分の価値を自分だけで直接に表現することができないので,ひとまず他商品上着を自分に等置し,それを価値体にしたうえで,この価値体で自分の価値を表現する,という回り道をしていることである。これを〈価値表現の回り道〉という。価値表現のメカニズムの肝要は,まさにこの〈回り道〉にある。〉 (491頁、太字は大谷氏による強調)
これは久留間鮫造氏が「回り道」をあまりにも強調したことから、それを受け継いだ大谷氏によって繰り返されているわけですが、若干、疑問を持ちました。リンネルが上着を〈価値体にしたうえで,この価値体で自分の価値を表現する,という回り道〉というのですが、そもそも上着が価値体になるというのは、それはリンネルの価値の現象形態になるということです。つまりそれはリンネルの価値が具体的な姿をとって直接的なものとして現われているものなのです。ということはすでにその時点でリンネルの価値は表現されているということです。だから上着を〈価値体にしたうえで,この価値体で自分の価値を表現する〉というのは同義反復でしかないのです。確かにリンネルは自分の即時体〔an sich〕である自身の内在的な価値を上着として対自化〔für sich〕して、それによって自分自身を(即且つ対自〔an und für sich〕として)その直接体である使用価値と内在的な価値との統一物として、自分自身を現すというのならわからないことはありません。しかしこれはさらなる反省関係を前提しています(これは商品を商品として自立的なものとして、それ自体として示すことです。すなわちこれは値札を付けた商品のことであり、そうなればそれは他の助けもなしに商品としてそれ自体として存在しています)。だから回り道というのはあくまでもリンネルに内在する価値を表現するには、それ自身の直接体であるリンネルの使用価値によっては不可能なので、他の商品、つまり上着の直接体であるその使用価値によって相対的に表現するしかないという意味と同義と理解すべきです。それ以上の意味を「回り道」に付加しようとするのは何らかの間違いに転じかねないと思います。
これは大谷氏においては無自覚なのですが、「表す」、「表現」というのは内在的で目に見えないものが何らかの直接的なものとして現われてくるということです。われわれの目や耳や触感などの五感で認識できるような存在になるということです。「喜びを表す」という場合、「喜び」という目に見えない内心を直接体である顔の表情や身体あるいは言語によって示すことです。直接的なものというのは「有の世界」です。それに対して価値は「本質の世界」のものです。本質的なものはまさに"まぼろしの様な対象性"であり、われわれの五感では捉えきれないものです。しかし本質は有を通じて自身を現すのであり、有として現われない本質などありません。これは何度も使った例ですが、重力の法則は目に見えませんが、石ころを放り投げれば、放物線を描くことで自身を現してきます。しかし石ころを投げれば弧を描いて落ちることは、誰でも知っています。しかしそれがなぜそうなるのかは石ころを見ているだけでは分かりません(つまりそれはまだ直接的なものに留まっており、確かにそれは有として現われた本質なのですが、まだ本質との関係が分からないものなのです。それが「価値物」です)。しかし重力の法則という本質の世界との関連においてその石ころの運動を見ると、その弧は放物線であり、それがそのような独特の曲線を描くのは重力の法則が自らを現しているからだと理解できるのです。そうして初めてその石ころの運動を重力の法則の現象形態として捉えることができるのです(すなわち「価値体」です)。大谷氏は価値「表現」というタームを使っていながら、この「表現」ということの意味を深くは考えていないように思えます。ついでに付け加えておきますと、価値「形態」という場合は“まぼろしのような対象性”でしかない価値が何らかの形あるものとして現われているということです。そのことによって価値が「表現」される、つまり私たちの目にみえるものになるわけです。「○○円」と書かれた値札を見るということは、その値札の付いた商品の価値を私たちは貨幣の媒介を経て見ていることになります。
大谷氏の説明はまだまだ続くのですが、あまりにも長くなりすぎますので、割愛します。いずれにせよ、大谷氏の説明は勉強になりますし、一読の価値があることは強調しておきたいと思います。
さて、今回もやや大谷氏の新著の紹介が長くなりすぎましたが、それでは前回の続きに入りましょう。
今回は第5パラグラフからですが、この第5パラグラフは初版ではコロンブスの引用も含めて、第4パラグラフのなかに含まれており、全集版ではそれぞれ違った三つのパラグラフに分けています(第4パラグラフ、引用文、第5パラグラフ)が、しかしその注のつけかたから考えますと(すべての注が第5パラグラフのあとにつけられている)、どうやら初版と同じようにこの三つのパラグラフは一つのパラグラフと考えているふしがあります。フランス語版は、コロンブスの引用は第4パラグラフに入っています。だから第4パラグラフの注はそのあとにあり、第5パラグラフは二つのパラグラフに分けられ、注もそれぞれのパラグラフのあとに付いています。恐らくのマルクスの最終的な構想としてはこのフランス語版が近いのではないでしょうか。
◎第5パラグラフ(流通は、大きな社会的な坩堝(ルツボ)となり、いっさいのものがそこに投げこまれてはまた貨幣結晶となって出てくる)
【5】〈(イ)貨幣を見てもなにがそれに転化したのかはわからないのだから、あらゆるものが、商品であろうとなかろうと、貨幣に転化する。(ロ)すべてのものが売れるものとなり、買えるものとなる。(ハ)流通は、大きな社会的な坩堝(ルツボ)となり、いっさいのものがそこに投げこまれてはまた貨幣結晶となって出てくる。(ニ)この錬金術には聖骨でさえ抵抗できないのだから、もっとこわれやすい、人々の取引外にある聖物〔res sacrosanctac,extra commercium hominum〕にいたっては、なおさらである(90)。(ホ)貨幣では商品のいっさいの質的な相違が消え去っているように、貨幣そのものもまた徹底的な平等派としていっさいの相違を消し去るのである(91)。(ヘ)しかし、貨幣はそれ自身商品であり、だれの私有物にでもなれる外的な物である。(ト)こうして、社会的な力が個人の個人的な力になるのである。(チ)それだからこそ、古代社会は貨幣をその経済的および道徳的秩序の破壊者として非難するのである(92)。(リ)すでにその幼年期にプルトンの髪をつかんで地中から引きずりだした近代社会は(93)、黄金の聖杯をその固有の生活原理の光り輝く化身としてたたえるのである。〉
(イ)(ロ)(ハ) 貨幣からは、なにがそれに転化したのかを見てとることはできないのですから、商品であろうとなかろうと、あらゆるものが貨幣に転化します。すべてのものが売れるものとなり、買えるものとなります。流通は、大きな社会的な坩堝(ルツボ)となり、いっさいのものがそこに投げこまれては、また貨幣結晶となって出てきます。
すでに私たちは価値尺度のところで、価格形態には一つの質的な矛盾があることを学びました。つまりそれ自体としては商品でないようなもろもろの物、例えば良心、名誉などが、その所有者によっカネで売られるということを知りました。だから商品であろうが、なかろうが、あらゆるものが貨幣に転化するわけです。すべてのものが売れるものになり、買えるものになるのです。そしてそれを媒介するのが流通であり、だからそれは社会的な坩堝になるというわけです。あらゆるものがそこに投げ込まれて貨幣として出てくるわけです。
(ニ) この錬金術には聖骨でさえ抵抗できないのですから、それよりももっとはるかにこわれやすい、「人間の取引の外にある聖なるもの」〔res sacrosanctac,extra commercium hominum〕(フェニキアの乙女たち)にいたっては、なおさらのことです。
この貨幣を得ようとする欲求には誰もあらがうことができません。聖人をきどる坊主どもが、聖なる遺物でさえもたたき売ってでも手に入れようとしたわけですから、フェニキアの乙女たちが、自分の身体を売って、それを手に入れたからといって、誰もそれをとがめることはできないでしょう。
(ホ) 貨幣では商品のいっさいの質的な相違が消え去られているように、貨幣はまた貨幣で、徹底的な水平派として、いっさいの区別を消し去ります。
糞尿を売って手に入れた貨幣でも何の匂いもしないように、貨幣においてはそれがいかなる商品の転化したものかの痕跡は消え去っています。貨幣はその意味では徹底的な水平派(平等派)なのです。
(ヘ)(ト) けれども貨幣は、それ自身が商品であり、だれの私有財産にもなることができる外的な物です。こうして、この社会的な力が、私的な人格をもつ私的な力になるのです。
しかも貨幣は、また一つの商品であって一つの物に過ぎず、誰でもそれを持つことができます。そしてそれを誰が持とうが同じ貨幣としての力をその所持者に与えます。つまり貨幣のもつ社会的な力が、私的な人格のもつ私的な力になるのです。
『経済学批判・原初稿』には次のような一文があります。
〈貨幣とは「特定の人格にはかかわらない〔unpersönlich〕所有物である。貨幣というかたちで私は、一般的な社会的力(マハト)を、一般的な社会的連関を、社会的実体を、ポケットに入れて持ち運ぶことができる。貨幣は社会的力(マハト)を物として私的人格の手中に委ねるから、私的人格は、この社会的力(マハト)を私的人格として行使するのである。社会的連関そのものが、社会的素材変換そのものが、貨幣という姿で、まったく外在的なものとして現象する。この外在的なものは、それの占有者に個人的な関連をもつことがないから、それの占有者が行使する力(マハト)をもまた、まったく偶然的なもの、その人にとって外在的なものとして現象させるのである。〉 (草稿集③37頁)
(チ) それだからこそ、古代社会は貨幣を、その経済的および道徳的秩序の破壊者として非難するのです。
こうした貨幣の魔力から、古代社会では貨幣を経済や道徳の破壊者として非難したのです。注92にはソフォクレスの『アンティゴネ』の一文が紹介されています。
また『経済学批判要綱』には次のような一文もあります。
〈ローマ人やギリシア人などのあいだでは、貨幣は尺度および流通手段としてのその最初の両規定において、はじめてさまたげもなく現われているが、この両規定においては、それほどの発展はなかった。しかし、彼らの商業などが発展するか、またはローマ人のばあいのように、略奪によって貨幣が大量に供給されるかするようになると、--要するに、彼らの経済的発展がある一定の段階に達すると、突然に、貨幣は必然的にその第三規定において現われる。そして貨幣がこの規定において成熟すればするほど、貨幣は彼らの共同団体を没落させるものとして現われるのである。……個々の個人は、今日でもなお、偶然的に貨幣を手に入れることがあるのであって、そのために貨幣を占有することが、古代人の諸共同団体に貨幣が解体的な作用をおよぼしたのと同様に、個人にたいしても解体的な作用をおよぼすことがままあるのである。……古典古代的な意味あいにおける貨幣占有者は、彼が心ならずも奉仕するところの産業的過程によって解体される。この解体は、ただ彼の人格だけにかかわることである。……貨幣それ自体が共同制度〔Gemeindewesen〕となっていないところでは、貨幣は共同団体〔Gemeindewesen〕を解体しないではおかない。〉 (草稿集①245-246頁)
(リ) すでにその幼年期に、すべての富を生む地下の神であるプルートーンの髪をつかんで大地の奥底から引きずりだした近代社会は、黄金の聖杯を高くあげて、自分の特異きわまる生活原理の輝ける化身、すなわち貨幣を喜び迎えるのです。
資本主義の幼年期というのは、重金主義の時代であり、金を求めて世界中を駆けめぐった大航海時代でもありました。黄金こそが富の物質的代表であり、地球のすみずみまで地中を掘り起こして、黄金を求めることがすべての出発点だったのです。『経済学批判要綱』には次のような一文があります。
〈個体化した交換価値としての貨幣、またそれとともに受肉した富としての貨幣は、錬金術で探し求められてきた。貨幣は重金主義〔Monetaraystem〕においてはこうした規定でたち現われる。近代的な産業社会の発展する前期待代は、諸個人ならびに諸国家の一般的な金銭欲をもって開始される。富の諸源泉の現実的発展は、富の代表物を手に入れるための手段として、いわば彼らの背後で進行していく。スペインのばあいのように、貨幣が流通から生じるのではなくて、生身のまま発見されるところでは、国民は貧乏になるが、他方、貨幣をスペイン人から買いとるために、労働しなければならない諸国民は、富の源泉を発展させ、現実的にもまた富裕になっている。それゆえ、新大陸や新しい国々における金の探索と発見は、革命〔Revolution〕の歴史においてきわめて大きな役割を演ずる。なぜなら、これらの土地では植民は、出たとこ勝負で行なわれ、促成栽培的に進行するからである。ところかまわず行なわれる金探しは、国土の発見や新しい国家形成にみちびく。それは、まずもって、流通のなかにはいりこみ、新たな需要を〔つくりだし〕、そして遠隔の大陸を交換と物質代謝の過程に引きいれるような諸商品を増大させる結果にみちびくのである。したがってまた、こうした面からすれば、富の一般的代表物としての、個体化された交換価値としての貨幣は、富を普遍性〔Universalität〕にまで拡大するための手段であるとともに、交換の範域を全地球上におよぼすための手段でもあるという、二重の手段であった。つまり素材面と空間面との両面からみて、交換価値の現実的な一般性〔Allgemeinheit〕をはじめてつくりだすための手段であった。しかし貨幣の本性について幻想をいだくからこそ、すなわち貨幣の諸規定の一つをその抽象の状態で固執して、そのなかに含まれている諸矛盾を見過ごしてしまうからこそ、諸個人の背後でいつのまにか、貨幣にこうした本当に魔術的な意義があたえられることになるのだということが、ここで展開されている貨幣の規定のなかに含まれているのである。このような、自分自身矛盾する、したがってまた幻想的な規定をつうじて、つまり、このような貨幣の抽象態をつうじて、貨幣は、実際に、社会的生産諸力の現実的発展における、きわめて巨大な用具となるのである。〉 (草稿集①248頁)
◎原注88
【原注88】〈(88)「貨幣は一つの質物である。」(ジョン・ベラーズ『貧民、製造工業、商業、植民および非行に関する論考』、ロンドン1699年、13ページ。)〉
これは前回(№19)解説した第4パラグラフの〈商品生産がさらに発展するにつれて、どの商品生産者も、諸物の神経(*)〔nervus rerum〕、「社会的な質物」を確保しておかなければならなくなる。〉という部分につけられた注です。つまり貨幣を「社会的な質物」と述べている一例としてジョン・ベラーズの著書が紹介されているわけです。ジョン・ベラーズは、以下に紹介する『資本論辞典』の解説によると、貨幣は真の富とはいえないという主張のなかでこうしたことを述べているようです。マルクスはジョン・ベラーズを〈経済学史上の真の奇才〉(全集第23巻a626頁)と述べ、その著書からの抜粋を『資本論』のいくつかの注の中で紹介しています。その人物と主張について、『資本論辞典』の説明を紹介しておきましょう。
〈ベラーズJohn Bellers (c.I654-1725)イギリスのクウェイカー派(フレンド派)の博愛主義者・織物商人,その一生を,貧民のための授産所の経営,教育制度の改善,慈善病院の役立などの社会事業や,監獄の改革,死刑の廃止にささげた.主著としては,つぎのものがあげられる.《Proposals for Raising a College of Industry of a11 useful Trades and Husbandry, with Profit for the Rich,a Plentiful Living for the Poor,and a Good Education for Youth》(1695);《Essays about the Poor,Manufactures,Trade,Plantations.and Immorality,and of the Excellency and Divinity of Inward Light》(1699)・前者の著作は,多数の業種にたずさわる労働者およびその家族を産業専門学校と称する施設に収容して,彼らに適当な教育と生活環境をあたえることを主張したものである.その経営は,富裕なひとびとの基金によっておこなわれるが,その企業の利益は,これをもっぱら労働者たちの生活向上のためにあてられるべきだと訴えている.マルクスは,彼を‘経済学史上の非凡なる人物'と呼んで,この容の内容のいくつかをきわめて高く評価している.例えばベラーズは,貨幣は商品にたいする社会的な担保物(pledge)をあらわすにすぎない(Kl-136),したがって貨幣は富それ自体とはいえない,むしろ真の富は土地や労働であると述べ(KI-l44),貨幣の蓄蔵形態は‘死んだ資本'というべく,外国貿易に使用されるばあいのほかは,国になんらの利益をももたらさない(KI-152)き記している.またベラーズは,協業は個別的生産力をますばかりでなく,集団力としてのひとつの生産力の創造であるとして,協業の利益を示唆したり<K1-341),機械と労働者との闘争に言及して労働日の規制を主張したり<KI-341), 社会の両極に持てるものの富裕化と持たざるものの貧困化をつくりだす資本主義社会の教育と分業との組織を廃除せよと訴えたり(KI-514),労働者の労働こそ富めるひとびとの富裕化の源泉だととなえたりしている(KI-645)・17 世紀の末に,すでに,マユュファクチァ時代の資本主義的生産の諸矛盾について,これだけの洞察をなしている点で,イーデンもまた.ベラーズをその著作でしばしば引用している.〉(549-550頁)
◎原注89
【原注89】〈(89)(イ)すなわち、範疇的な意味での買いは、すでに金銀を、商品の転化した姿として、または売りの産物として、前提するからである。〉
これも前回解説した第4パラグラフの〈しかし、貴金属はその生産源では直接に他の諸商品と交換される。ここでは、売り(商品所持者の側での)が、買い(金銀所持者の側での)なしに行なわれる。〉という部分につけられた注です。つまり貴金属の生産源での金銀生産者が自身の生産物である金銀と他の諸商品と交換する行為は、範疇的な意味での購買ではない理由として、マルクス自身の説明が加えられているわけです。つまり範疇的な意味での購買というのは、購買において支出される貨幣(金銀)は、それ以前に何らかの商品を販売した入手した貨幣(金銀)でなければならないということです。すでに私たちはそのことをW-G-Wという商品変態の考察において確認しました。購買G-Wには販売W-Gが前提されるということをです。『経済学批判』には次のような説明がありました。
〈もしわれわれがW-GのGをすでに完了した他の一商品の変態として考察しないとすれば、われわれは交換行為を流通過程から外へ取り出すことになる。だが、流通過程の外では、形態W-Gは消滅して、二つの異なるW、たとえば鉄と金とが対立するだけであり、それらの交換は、流通の特殊な行為ではなく、直接的交換取引〔物々交換〕の特殊な行為である。金は、他のすべての商品と同様に、その原産地では商品である。〉 (全集第13巻72-73頁)
つまり原産地の金銀はいまだ貨幣ではなく、一つの商品なのです。商品としての金銀が、他の諸商品と直接的に交換(物々交換)されるだけなのです。しかし金銀と交換する他の諸商品の所持者の側からみれば、交換して入手した金銀は貨幣なのです。だからその諸商品の所持者からみれば、その行為は販売になるのです。
◎原注90
【原注90】〈(90)(イ)最もキリスト教的なフランス王アンリ3世は、修道院などから聖遺物を盗んできてそれを貨幣に換えている。(ロ)フォーキス人〔ギリシア中部の住民〕によるデルフォイ神殿の財産の略奪がギリシアの歴史でどんな役割を演じているかは、人の知るところである。(ハ)周知のように、古代人のあいだでは、商品の神には神殿が住居として役だった。(ニ)神殿は「神聖な両替台」だった。(ホ)特にきわだって商業民族だったフェニキア人には、貨幣は、あらゆる物の離脱した姿として認められた。(ヘ)だから、愛の女神の祭の日に他国人に身をまかせた乙女たちが、報酬として受けた貨幣を女神にささげたのは、当然のことだったのである。〉
これは第5パラグラフの〈この錬金術には聖骨でさえ抵抗できないのだから、もっとこわれやすい、人々の取引外にある聖物〔res sacrosanctac,extra commercium hominum〕にいたっては、なおさらである。〉という一文につけられた注ですが、マルクス自身の文章として書かれていますので、文節ごとにその内容を考えてみましょう。
(イ) フランスで最もキリスト教的な王であるアンリ3世は、修道院などから聖遺物を盗んできて、それを銀化、すなわち貨幣に換えています。
〈最もキリスト教的なフランス王〉という部分に新日本新書版では〈「もっともキリスト教的な王」はフランス国王の公式称号」〉(225頁)という訳者注が付いています。アンリ3世が聖物を盗んだという事実を紹介する文献は確認できませんでしたが、『経済学批判要綱』にあるヒュルマンの『中世の都市制度』(ボン、1827年、第2部)からの抜粋ノートには、次のような一文があります。
〈バーゼルその他の何人かの司教は司教の指輪、絹の法衣、教会のあらゆる調度品を、取るに足らぬ値でユダヤ人に質入れし、利子を支払った。しかし司教、僧院長、僧侶も、教会の調度品をフィレンツエやシエナやその他の都市からくるトスカナの貨幣取扱業者に質入れし、その利益の分け前にあずかることによって、彼ら自身が教会の調度品で暴利をむさぼった」、云々。〉 (草稿集②725頁)
また同じマルクスのノートですが、マオリ・オジエ『公信用ならびに古代より現代にいたるその歴史について』、パリ、1842年からの抜粋には、次のようなものがあります。
〈15世紀初頭のフランスでは、聖別された教会器物(祭壇の聖杯)等々さえもがユダヤ人のもとに質入れされた。〉 (草稿集②778頁)。
(ロ) フォーキス人〔ギリシア中部の住民〕によるデルフォイ神殿の聖物の略奪がギリシアの歴史でどんな役割を演じているか、よく知られていることです。
〈フォーキス人〔ギリシア中部の住民〕によるデルフォイ神殿の財産の略奪〉には同じように新日本新書版には〈前457年、フォキス人はアテネと同盟してデルフォイを占領した〉(225頁)という訳者注があります。〈ギリシアの歴史でどんな役割を演じているか〉というのは、いわゆる第3神聖戦争の原因になったということのようです。次のような指摘があります。
〈聖地デルフォイを管轄する隣保同盟評議会は、(紀元前)357年秋の会期において、涜神行為の科で、スパルタとフォキスに罰金刑の判決を下した。しかし両国はこれに従わず、逆にフォキスは将軍フイロメーロスの指導下に、(同)356年夏、デルフォイを軍事占領するという挙に出た。これに対してテーベとテッサリアを中心とする隣保同盟評議会は、フォキスに対する神聖戦争を布告する。こうしてギリシア本土の主要なポリスの大半を巻き込んだ、10年におよぶ第三次神聖戦争が始まったのである。〉(森谷公俊「第3次神聖戦争の勃発とテッサリア連邦」(『史学雑誌』104(6)34(1094)頁)
(ハ)(ニ) 周知のように、古代人のもとでは、神殿が商品の住むところとして役だちました。神殿は「神聖な銀行」だったのです。
〈神殿は「神聖な両替台」だった。〉という部分は新日本新書版では〈神殿は「神聖な銀行」であった。〉となっており(223頁)、そこには〈古代銀行は前8世紀のホメロスのときにすでに存在し、農工産物の質入れ、貸付け、鋳貨流通にともない、前6世紀には神殿銀行が私人の銀行とともに発生した〉という訳者注があります。
(ホ)(ヘ) 「とりわけすぐれた」商業民族だったフェニキア人には、貨幣は、あらゆる物の脱皮した姿だと見なされていました。ですから、愛の女神たちの祭の日に他国人に身をまかせた乙女たちが、報酬として受けた貨幣片を女神にささげたのは、当然のことだったのです。
もともと注90が付けられている〈この錬金術には聖骨でさえ抵抗できないのだから、もっとこわれやすい、人々の取引外にある聖物〔res sacrosanctac,extra commercium hominum〕にいたっては、なおさらである〉という一文のなかの〈人々の取引外にある聖物〉の部分には、新日本新書版には〔フェニキアの乙女のこと〕という訳者の説明がついていました。だからその部分の解説では〈この貨幣を得ようとする欲求には誰もあらがうことができません。聖人をきどる坊主どもが、聖なる遺物でさえもたたき売ってでも手に入れようとしたわけですから、フェニキアの乙女たちが、自分の身体を売って、それを手に入れたからといって、誰もそれをとがめることはできないでしょう〉と説明したのでした。エンゲルスは『家族、私有財産および国家の起源』のなかで、集団婚の痕跡の一つとして〈たとえばアルタテの祭りのときに神殿でおこなわれるフェニキアの乙女たちの肉体提供がそれである。〉(全集第21巻55頁)と述べています。
◎原注91
【原注91】〈(91)「黄金? 黄色い、ギラギラする、貴重な黄金じゃないか? こいつがこれっくらいありゃ、黒も白に、醜も美に、邪も正に、賎も貴に、老も若に、怯も勇に変えることができる。……神たち! なんとどうです? これがこれっくらいありゃ、神官どもだろうが、おそば仕えの御家来だろうが、みんなよそへ引っばってゆかれてしまいますぞ。まだ大丈夫という病人の頭の下から枕をひっこぬいてゆきますぞ。この黄色い奴めは、信仰を編みあげもすりゃ、ひきちぎりもする。いまわしい奴をありがたい男にもする。白癩病みをも拝ませる。盗賊にも地位や爵や膝や名誉を元老なみに与える。古後家を再縁させるのもこいつだ。……やい、うぬ、罰あたりの土くれめ、……淫売め。」(シェークスピア『アゼンスのタイモン』。〔中央公論社、坪内訳、130-133ページ。〕)〉
この注は本文の〈貨幣では商品のいっさいの質的な相違が消え去っているように、貨幣そのものもまた徹底的な平等派としていっさいの相違を消し去るのである〉に付けられています。確かにシェークスピアの引用文は、黒と白、醜と美、邪と正、賤と貴、老と若、怯と勇を対比させ、前者を後者に変えることができると述べています。その意味では〈貨幣では商品のいっさいの質的な相違が消え去っている〉といえなくもありません。〈徹底的な平等派としていっさいの相違を消し去る〉からそうした相違を無くすともいえるからです。
しかしシャークスピアの一文でいわんとしているのは、“黄金の魔力”というようなもののように思えます。本文に関連した付属資料で紹介している『経済学批判・原初稿』には〈貨幣というかたちで私は、一般的な社会的力(マハト)を、一般的な社会的連関を、社会的実体を、ポケットに入れて持ち運ぶことができる。貨幣は社会的力(マハト)を物として私的人格の手中に委ねるから、私的人格は、この社会的力(マハト)を私的人格として行使するのである。〉(草稿集③37頁)とあります。だから貨幣(黄金)を持っていれば、その社会的力はその私人の私的な力になり、それを持つ人は〈黒〉を〈白〉と強引に言い換え、言い含める力を持っており、〈いまわしい奴〉でも貨幣(黄金)さえ持っていれば、誰もが〈ありがたい男〉として持ち上げるのであり、〈古後家〉でも金を持ってさえいれば〈再縁させる〉ことができる等々、といえるのではないでしょうか。
その意味ではこの注は果たして適切なものといえるかどうかということについては若干の疑問符が付くように思えます。
ただ少し調べてみますと、マルクスは『経済学批判・原初稿』にも、同じシェークスピアからの抜粋があり(やはり文言にば若干違うところもありますが)、〈黄金? 黄色い、ギラギラする、貴重な黄金じゃないか? こいつがこれっくらいありゃ、黒も白に、醜も美に、邪も正に、賎も貴に、老も若に、怯も勇に変えることができる。〉という部分に、マルクス自身が〈すべてのものと取り換えられ、またすべてのものがそれと取り換えられるものが、墜落と売淫の一般的手段とみなされている。〉と書いています(草稿集③84頁)。また『ライプツィヒ宗教会議、Ⅲ、聖マックス』のなかで、同じシャークスピアの一文を引用していますが(文面そのものはかなり違うところもありすが)、それは次のような文脈の中においてです。
〈所有の最も一般的な形態である貨幣が、どんなに人格的固有性とかかわるところが少ないか、どんなにこれと真正面から対立しているかは、理論化するわれらの小市民〔シュティルナー〕よりも、シェークスピアのほうがすでによりよく知っていた、
「こいつがそれだけあれば、
黒を白に、醜を美にし、
悪を善に、老いを若くし、
卑怯を勇敢に、卑賎を高貴にする、
いやこの黄金色の.奴隷--
こいつは癩(ライ)病を好きにさせ--
--こいつは
年とりすぎた寡婦(ヤモメ)に求婚者をつれてくる。
傷で毒の膿(ウミ)をたらしながら病院から、
胸くそ悪いと追い出された女を、
香(カオリ)さわやかに青春に若がえらすこいつ--
眼にみえる神だ、
おまえはできぬ事どうしを親密に結ばせ、
接吻するように強いる!」〉 (全集第2巻230頁)
つまりこの場合も〈所有の最も一般的な形態である貨幣が、どんなに人格的固有性とかかわるところが少ないか、どんなにこれと真正面から対立しているか〉を示す一例として、つまり〈貨幣そのものもまた徹底的な平等派としていっさいの相違を消し去る〉(今回の本文)ことの一例として、シェークスピアの一文を紹介しているのです。その意味ではマルクスのスタンスは変わっていないといえるのかも知れません。
しかし『1844年の経済学・哲学手稿』にも同じシェークスピアの抜粋がありますが(表現はやはり若干違うところがあり、もっと長く抜粋もされています)、そこでは〈シェークスピアは金(カネ)の本質を的確に描いている〉として次のように述べています。
〈シェイクスピアは金おいてとくに二つの属性があることを取り出している。
(1)それは目に見える神であり、あらゆる人間的および自然的諸属性の、それらの反対物への転化であり、諸事物の普遍的な混同と転倒であり、それらもろもろの不可能事を睦(ムツ)み合わせる。
(2)それは人間たちと諸国民との普遍的娼婦、普遍的取持役である。
あらゆる人間的および自然的性質を転倒し混同し、もろもろの不可能事を睦み合わせるという金の神通力は、金の本質がじつは疎外されたところの、手放し〔外在化し〕、譲渡される人間の類的本質にほかならなぬところにある。それは外在化された人類の能力である。
私が人間としてできないこと、したがって私のあらゆる個人的本質力にとってできないこと、それが私には金のおかげでできる。したがって金はこれらの本質力のどれをでもそれの本来の力とはちがったもの、換言すればその反対物たしらしめる。〉 (全集第40巻487頁)
この初期のころのマルクスの指摘こそ、まさにシェークスピアの先の一文を的確に評価しているように私には思えるのですが、どうでしょうか。
なおこれはついでに指摘しておくのですが、全集版の〈盗賊にも地位や爵や膝や名誉を元老なみに与える。〉という部分は、新日本新書版では〈盗賊を立身させて、元老院議員なみの爵位や権威や栄誉を与えるやつなのだ。〉(224頁)となっています。全集版の〈膝や〉というのはいま一つ意味不明なのですが、新日本新書版だと意味がわかります。
◎原注92
【原注92】〈(92)「まったく、世のきまりとなったものにも、黄金ほど人間にとって禍いなしろものはない。国は攻め取られ、男どもは家から追い立てられる。また往々にしてまともな心を迷わせ、恥ずべき所行へと向かわせる。それは人々に好智にたけた厚かましさを、いかな悪業にも恥じない不敬な業(ワザ)を教えこむのだ。」(ソフォクレス『アンティゴネ』。〔筑摩書房『世界文学大系』版、第2巻、呉訳、86ページ。〕)〉
これは本文の〈それだからこそ、古代社会は貨幣をその経済的および道徳的秩序の破壊者として非難するのである。〉という部分につけられた原注です。これはそうした貨幣を経済的なあるいは道徳的な破壊者として告発したソフォクレスの一文を引用しているものです。ソフォクレスについては『世界大百科事典』から紹介しておきましょう。
〈古代ギリシア三大悲劇詩人の一人。詩人として,また一市民として輝かしい業績を残した彼の90年に及ぶ生涯は,前5世紀というアテナイの最盛期のほぼ全体と一致し,それ自体ギリシア古典文化の典型であり,また象徴と称することができよう。……(中略)……ソフォクレスは人知でははかりがたい神々の道,過酷な運命を凝視しつつ,それに対峙する人間の悲壮美を追求し,彫琢された文体によってそれを形象化することに成功した詩人であった。その意味でソフォクレスの描いた悲劇の担い手たる主人公たちは,ホメロスの英雄像のアテナイの新しい土壌における再生であったといえよう。現存作品中,《オイディプス王》に先立つ3編では主人公たち(アイアス,アンティゴネ,デイアネイラ)がみな劇半ばで自害して,そのために劇構成が2分されてしまうという共通の特徴をもつ。彼らの自殺はいっさいの妥協を排するソフォクレスの英雄たちの本性からして必然の結果であった。しかし古来最高傑作の誉れ高い《オイディプス王》以降の現存作品の主人公たち(オイディプス,エレクトラ,フィロクテテス)は,やはり自殺しても不思議ではない状況に置かれながらも,最後まで苦難に耐え通す人間として描かれ,それとともに作品構成もいわゆる〈二つ折れ〉構造を脱している。前3編の主人公たちに見る自殺という共通項自体は偶然の一致とも考えられようが,しかし全体として見れば,《オイディプス王》を軸に,ソフォクレスの英雄像の気性に,あるいは神々の世界と人間の世界のかかわりに,本質は変わらずとも,その現れ方に微妙な展開が見られるとの印象は否定しがたい。しかもこの変化は,ソフォクレスが悲劇詩人として活躍した前5世紀後半の時代の趨勢が明から暗に推移していったのと,まさに逆説的な関係に立つのである。つまり前3編が上演されたのは楽観的な啓蒙主義的思潮が謳歌された明るいペリクレス時代であった。この時代に血のきずなと国家の掟の相克を描いて体制批判ともとれる《アンティゴネ》が制作された意味は大きい。……以下略〉
◎原注93
【原注93】〈(93)「貧欲はプルトンそのものを地の中から引きだそうとする。」(アテナイナス『学者の饗宴』。〔シュヴァイクホイザー編、1802年、第2巻、第1部、第6篇、第23節、397ページ。〕)〉
これは〈すでにその幼年期にプルトンの髪をつかんで地中から引きずりだした近代社会は〉という本文につけられた注です。「プルトン」について、『世界大百科事典』には、その別名の「ハデス」の名前で、次のような説明があります。
〈ハデス ギリシア神話で,地下の冥府の王。その名は〈見えざる者〉の意。地中に埋蔵される金銀などの富の所有者としてプルトン Ploutôn(〈富者〉)とも呼ばれたところから,ローマ神話ではプルト Pluto,またはそのラテン訳のディス Dis が彼の呼称となっている。ティタン神族のクロノスの子として生まれ,兄弟のゼウス,ポセイドンと力を合わせて,当時,世界の覇者であった父神とティタン神族を10年にわたる戦いで征服し,ゼウスが天,ポセイドンが海の王となったとき,ハデスは冥界の支配権を得た。のち,みずからの姉妹にあたる女神デメテルの娘ペルセフォネを地上からさらって后とした。
古代ギリシア人の考えによれば,死者の亡霊はまずヘルメスによって冥界の入口にまで導かれ,ついで生者と死者の国の境の川ステュクスまたはアケロンを渡し守の老人カロンに渡されたあと,三つ頭の猛犬ケルベロスの番するハデスの館で,ミノス,ラダマンテュス,アイアコスの3判官に生前の所業について裁きを受ける。その結果,多くの亡霊はアスフォデロス(不鰻花)の咲きみだれる野にさまようことになるが,神々の恩寵めでたき英雄や正義の人士はエリュシオンの野(古い伝承では,はるか西方の地の果て,のちに冥界の一部と考えられた)に送られて至福の生を営む一方,シシュフォスやタンタロスのごとき極悪人はタルタロスなる奈落へ押しこめられ,そこで永遠の責め苦にあうものと想像された。(水谷 智洋)〉
(今回も字数がブログの制限をオーバーしましたので、全体を3分割してアップします。)