『資本論』学習資料室

泉州で開催された「『資本論』を読む会」の4年余りの記録です。『資本論』の学習に役立たせてください。

『資本論』学習資料No.21(通算第71回)(1)

2020-07-10 15:15:06 | 『資本論』

『資本論』学習資料No.21(通算第71回)(1)

 

◎価値形態の論理的展開と価値形態の歴史的発展(大谷新著の紹介の続き)

  今回も前回と同様、大谷禎之介著『資本論草稿にマルクスの苦闘を読む』の「Ⅲ 探索の旅路で落ち穂を拾う」の「第11章 マルクスの価値形態論」を取り上げます。今回は「価値形態の論理的展開と価値形態の歴史的発展」という興味深い問題を論じている部分を紹介しましょう。
  『資本論』の価値形態は周知のように〈A 単純な価値形態、B 開展された価値形態、C 一般的な価値形態、D 貨幣形態〉という順序で展開されています。そこで大谷氏は〈いま挙げたA→B→C→Dという展開過程は,価値形態の歴史的発展とどのような関連をもつのであろうか。それは,歴史的発展をたんになぞるだけのものなのであろうか。それとも,歴史的発展とはまったくなんの関係ももたない論理的展開であって,歴史的発展と一致するとしても,それはまったく偶然でしかないのであろうか。〉(511-512頁)と問題を提起しています。
  そして大谷氏はこの問題を考えるために、その移行をA→B→Cの移行とC→Dの移行との二つに分けて、前者については、〈価値形態の論理的展開の順序と価値形態の歴史的発展の順序とは,基本的には一致する〉(512頁、太字は大谷氏による傍点による強調箇所、以下同じ)とし、後者については、その移行は前者とは大きく性格を異にしていること、この移行は新たな形態への発展ではないこと、だからこの移行には論理的に必然的なものはないこと、この過程は交換過程で明らかにされること、だからここでは〈それはまだその移行の原因を知らないままに,形態Cが形態Dに移行する事実を述べただけであって,われわれはいわば理論的な展開における借りをもつことになる〉(514頁)と説明しています。
  そして、では、この両者は価値形態の移行として性格が異なるのに、どうしてそれは同じ価値形態の発展のなかで論じられているのか、という問題について、次のように述べています。

  〈それでは,なぜ,このように,論理的な必然性によって展開されるA→B→Cだけでなく,その必然性がのちにはじめて明らかにされ,しかも歴史的過程に即しているC→Dの移行が,価値形態論のここのところで示されるのであろうか。それは,C→Dの移行も,それまでの論理的な移行とは性格を異にするとは言え,たしかに価値形態の移行として独自の意味をもっているというばかりでなく,なによりも,最後の貨幣形態(D)こそが価値形態の完成した形態であって,ここまで展開を進めることによってはじめて,最初に立てられた〈貨幣形態の謎〉および〈貨幣の謎〉を示す貨幣形態および貨幣に到達することになるのであり,かくしてそれらの謎が最終的に解明されることになるのだからである。〉 (514-515頁)

  ここで大谷氏が〈最初に立てられた〈貨幣形態の謎〉および〈貨幣の謎〉と述べているのは、恐らく『資本論』「第1章 商品」の「第3節 価値形態または交換価値」の前文ともいうべきところで、次のように述べていることを指しているのでしょう。

  〈諸商品は、それらの使用価値の雑多な現物形態とは著しい対照をなしている一つの共通な価値形態--貨幣形態をもっているということだけは、だれでも、ほかのことはなにも知っていなくても、よく知っていることである。しかし、いまここでなされなければならないことは、ブルジョア経済学によってただ試みられたことさえないこと、すなわち、この貨幣形態の生成を示すことであり、したがって、諸商品の価値関係に含まれている価値表現の発展をその最も単純な最も目だたない姿から光まばゆい貨幣形態に至るまで追跡することである。これによって同時に貨幣の謎も消え去るのである。〉 (全集第23a巻65頁)

    この前文は、「第1章 商品」のなかで第3節がどういう役割を持っているのかをマルクス自身が語っているという点で重要なところです。大谷氏は第3節、つまり「価値形態論」の目的は、「貨幣形態の謎」および「貨幣の謎」を解明することにあると考えているようです。この考えは、久留間鮫造氏のものであって、氏は『価値形態論と交換過程論』(岩波書店)の中で次のように述べています。

  〈「資本論」における価値形態論の目的は、商品の価格すなわち貨幣形態の謎を、そしてそれと同時にまた貨幣の謎を解くことにある。ここに貨幣形態の謎というのは、一般に商品の価値が特殊の一使用価値--金--の一定量という形態で表現されることの謎であり、貨幣の謎というのは、このばあい金の使用価値--本来価値の反対物たるもの--がそのまま一般に価値として妥当することの謎である。〉 (4頁)

    このように久留間氏も大谷氏も第3節の目的は「貨幣形態の謎」あるいは「貨幣の謎」を解くことにあるかに主張されるのですが、しかし先に紹介した第3節の前文を丁寧に読めば分かりますように、マルクス自身は〈これによって同時に貨幣の謎も消え去るのである〉と貨幣の謎が消え去ることは一つ結果であって、いわばついでにそうした問題も解決されるのだと述べているだけです。だからこの一文を持って、第3節の課題は「貨幣形態の謎」や「貨幣の謎」を解くことにあるのだという両者の主張は受け入れ難いものです。

    では第3節の本来の課題はどう考えればよいのでしょうか。それは第3節の前文の冒頭の一文を読めば分かります。

    〈商品は、使用価値または商品体の形態をとって、鉄やリンネルや小麦などとして、この世に生まれてくる。これが商品のありのままの現物形態である。だが、それらが商品であるのは、ただ、それらが二重なものであり、使用対象であると同時に価値の担い手であるからである。それゆえ、商品は、ただそれが二重形態、すなわち現物形態と価値形態とをもつかぎりでのみ、商品として現われるのであり、言いかえれぽ商品という形態をもつのである。〉 (全集第23a巻64頁)

    ここでマルクスが商品が〈商品という形態をもつ〉ということで何を言いたいのかというと商品がその姿形だけで、それが商品であると分かるようになるということです。しかし商品の直接の姿形、すなわち現物形態というのは、鉄やリンネルや小麦などの使用価値です。しかしそれらの使用価値を見ているだけでは、それが商品かどうかは分かりません。商品がその姿形ですぐに商品と分かるものというのは、私たちがいつも行くスーパーなどの陳列棚で見ているものを思い浮かべればすぐに分かります。つまり値札が付いているということです。商品はそれに値札が付いていて、初めてそれが商品であると分かるのです。例えば中古車販売店の前に並べられた中古車を見た場合を考えてみましょう。中古車を見ただけでは、それが商品なのかそれともその販売店の人の私物なのかどうは分かりません。しかし中古車のフロントガラスに「○○万円」と書かれた値札が付いていれば、すぐにそれが商品であることが分かります。だからマルクスが〈商品は、ただそれが二重形態、すなわち現物形態と価値形態とをもつかぎりでのみ、商品として現われる〉というのは、現物形態、すなわち使用価値だけではなく、価値形態、つまり値札を持っているかぎで、商品として〈現われる〉、商品であるということを自ら示すのだということです。
    つまり第3節の課題というのは、商品とはそもそも何かということを明らかにするために、どうして商品には値札が付いているのかを明らかにすることなのです。そのためには〈貨幣形態の生成を示す〉必要があり、そのために〈諸商品の価値関係に含まれている価値表現の発展をその最も単純な最も目だたない姿から光まばゆい貨幣形態に至るまで追跡〉しているのです。そしてそうすれば〈同時に貨幣の謎も消え去る〉ということです。
    だから価値形態論の展開がどうして貨幣形態まで展開されているのかという理由は、もはやまったく明らかです。それは商品にはどうして値札が付いているのかを明らかにするためには、価値関係に含まれている価値表現を貨幣形態にまでその発展をあとづけて、初めてそれが分かるからなのです。この点では、大谷氏の理解は久留間鮫造氏の理解から一歩も前に進んでいないといわざるを得ないでしょう。

    今回もやや批判めいたものになってしまいましたが、とりあえず、大谷新著の紹介はこれぐらいにして、本題に入りましょう。今回から、「第3章 貨幣または商品流通」の「第3節 貨幣」の「b 支払手段」に入ります。


◎第1パラグラフ(商品流通の発展につれて、商品の譲渡を商品価格の実現から時間的に分離するような事情が発展する。商品の変態または商品の価値形態の展開が変わるのだから、貨幣もまた別の一機能を受け取る。貨幣は支払手段になる。)

【1】〈(イ)これまでに考察した商品流通の直接的形態では、同じ大きさの価値量がいつでも二重に存在していた。(ロ)すなわち一方の極に商品があり、反対の極に貨幣があった。(ハ)したがって、商品所持者たちは、ただ、現に双方の側にある等価物の代表者として接触しただけだった。(ニ)ところが、商品流通の発展につれて、商品の譲渡を商品価格の実現から時間的に分離するような事情が発展する。(ホ)ここでは、これらの事情の最も単純なものを示唆するだけで十分である。(ヘ)一方の商品種類はその生産により長い時間を、他方の商品種類はより短い時間を必要とする。(ト)商品が違えば、それらの生産は違った季節に結びつけられている。(チ)一方の商品は、それの市場がある場所で生まれ、他方の商品は遠隔の市場に旅しなければならない。(リ)したがって、一方の商品所持者は、他方が買い手として現われる前に、売り手として現われることができる。(ヌ)同じ取引が同じ人々のあいだで絶えず繰り返される場合には、商品の販売条件は商品の生産条件に従って調整される。(ル)他方では、ある種の商品の利用、たとえば家屋の利用は、一定の期間を定めて売られる。(ヲ)その期限が過ぎてからはじめて買い手はその商品の使用価値を現実に受け取ったことになる。(ワ)それゆえ、買い手は、その代価を支払う前に、それを買うわけである。(カ)一方の商品所持者は、現に在る商品を売り、他方は、貨幣の単なる代表者として、または将来の貨幣の代表者として、買うわけである。(ヨ)売り手は債権者となり、買い手は債務者となる。(タ)ここでは、商品の変態または商品の価値形態の展開が変わるのだから、貨幣もまた別の一機能を受け取るのである。(レ)貨幣は支払手段になる(96)。〉

  (イ)(ロ)(ハ) これまでに考察した商品流通の直接的形態では、同じ大きさの価値が二重に現存していました。すなわち一方の極には商品があり、反対の極に貨幣がありました。ですから商品所持者たちは、もっぱら、双方の側に現存する等価物の代表者として接触したのでした。

  この部分はフランス語版の方が分かりやすいので、紹介しておきましょう。

 〈これまでに考察してきた商品流通の直接的形態では、同じ大きさの価値が、一方の極には商品、反対の極には貨幣というように、いつでも二重に存在していた。だから、商品所持者たちは、相互に対面しあっている諸等価物の代表者として、接触していたにすぎない。〉 (江夏・上杉訳116頁)

  さて、私たちがこれまで考察してきた単純な商品流通というのは、W-G-Wです。つまり商品と貨幣との交換(販売)と貨幣と商品との交換(購買)です。これは単純な商品流通をいわば理想化して、その限りでは一般的・抽象的に見たものなのです。それはまた同時に商品流通のより原初的なものといえるのかも知れません。〈買い手と売り手との対立には、ブルジョア的生産の敵対的性質がまだきわめて表面的かつ形式的に表現されているだけであって、この対立は、ただ諸個人が商品の所有者として互いに関係することを必要とするだけであるから、それは前ブルジョア的社会諸形態にも属しているほどである〉(全集第13巻77頁)
    つまりこれまでの商品流通では、一方の極に商品があり、反対の極には貨幣がありました。だから流通の当事者たちは、それぞれ双方の等価物(一つは商品の、他方は貨幣の)代表者として、相対したのでした。

  (ニ)(ホ) ところが、商品流通が発展するのにつれて、商品の譲渡を商品価格の実現から時間的に分離するような事情が発展してきます。ここでは、これらの事情のうちの最も単純なものを示唆するだけで十分でしょう。

    しかし単純な商品流通をより具体的にみれば、あるいはより発展したものになると、こうした流通だけではないことになります。つまり商品の所持者と貨幣の所持者が対面して互いに等価物を交換するというような商品流通とは違った流通が生じてくるのです。それはいわゆる「掛売り」と言われるものです。この場合は、商品の所持者は商品を販売してそれを譲渡しますが、しかし彼はすぐにその価格の実現形態としての貨幣を受け取らずに、一定の約定された期間のあとに受け取ることになります。つまり商品の譲渡とその価格の実現とが時間的に分離してくるのです。こうした分離が生じる事情はいろいろとありますが、ここでは最も単純なものを紹介しておきましょう。

  (ヘ)(ト)(チ)(リ)(ヌ) ある商品種類はその生産により長い時間を、ほかの商品種類はより短い時間を必要とします。さまざまの商品は、それらの生産がさまざまの違った季節に結びつけられています。一方の商品は、それの市場のあるところで誕生し、他方の商品は、遠く離れた市場にまで旅をしなければなりません。ですから、一方の商品所持者が買い手として現われる前に、他方の商品所持者が売り手として現われることができるのです。同じ取引が同じ人々のあいだでたえず繰り返される場合、商品の販売条件が商品の生産条件に従って調整されるようになります。

  私たちがこれまで考察してきた単純な流通では、商品と貨幣はただ市場に現われて互いに交換されるだけでした。だからその商品が市場に現われるまでに辿る過程であるとか、それがどのように生産されたのかなどということはまったく考える必要はありませんでした。貨幣もその貨幣の所持者がどのようにしてその貨幣を入手したのかなどということも問題になりませんでした。
    しかし商品流通がますます発展してくると、そうした商品が生産される諸条件が現実の流通のなかにも反映してくるのです。マルクスは『経済学批判・原初稿』では〈媒介された、自分のうちに曲げ戻された、それ自体すでに社会的に統制されている流通〉(草稿集③38頁)などという難しいことを言っていますが、ようするに、商品を生産し、それを市場にもたらすための諸条件が流通を規制してくるということです。
    だからある種類の商品(例えば船など)はその生産により長い時間がかかり、他の商品(上着など)はより短い時間で生産できるとか、あるいはさまざまな商品、例えば穀物であるとか、綿花などは、それが商品として市場に出回るのは違った季節と結びついています。あるいはまたリンネルや上着などはイギリスの市場に近いところで生産されますが、綿花や絹などは遠く離れたところで生産され、イギリスの市場にくるまでに長い旅をしなければなりません。
    こうしたさまざまな商品の生産の諸事情によって、一方の商品の所持者が買い手として市場に現われる前に、他方の商品所持者が売り手として現われるというようなことになり、売り手と買い手が時間的に分離してくることになるのです。
    こうした諸商品が生産される諸条件やそれらが市場に現われるまでの諸事情というのは、しかし流通当事者が同じ商品の取り引きを頻繁に繰り返すようになると、互いにそれらの諸事情を考えて商品の売買を行なうようになります。一定期日後には買い手の商品が売れて代金を支払うことが確実ならば、とりあえず買い手に必要な商品を販売して、代金は買い手の商品が売れてから支払ってもらうというような流通当事者同士の合意があれば、支払約束だけでとりあえず商品を譲渡するというような売買が生じてくるわけです。つまり自然発生的に「掛売り」や「掛買い」の慣習が生じてくるのです。交換当事者同士の合意で行なわれる限りではそれは社会的に統制された流通といえます。製糸業者が綿花を輸入商から購入する場合、製品の糸が販売して得た貨幣が手に入ることを目当てに、一定期日後に支払う約束をして、まずは綿花を購入することや、綿布製造業者も材料の糸を製品である綿布が売れて入手した貨幣で支払ことを目当てに一定期日後の支払約束で購入するというようなことが流通当事者同士の合意のもとで行なわれるようになるのです。

  (ル)(ヲ)(ワ) 他方では、ある種の商品の利用、たとえば家屋の利用は、一定の期間を決めて売られます。その期限が過ぎたのちに、はじめて買い手はその商品の使用価値を現実に受け取ったことになります。ですから買い手は、その代価を支払う前に、それを買うわけです。

    しかし商品の譲渡とその価格の実現が分離する事情というのはこうした場合だけではなく、ある特定の商品の場合は、その使用価値そのものの独特の性格からこうした分離をもたらす場合もあるのです。例えば家屋の利用というのがそれです。家屋を一カ月利用とするいう使用価値を販売する場合、一カ月が経ってはじめてその使用価値をすべて譲渡したことになります。だからその価格の実現も一カ月後に受け取ることになります。だからこの場合は買い手は、その代金を支払う前に、それを買うことになるのです。『経済学批判』の説明を紹介しておきましょう。

  〈一連の使用価値は、その性質上、商品の実際の引渡しとともにではなく、ただ一定の期間それをゆだねることによってはじめて現実に譲渡されるということになる。たとえば家屋の使用が1ヵ月だけ売られるとすると、その家屋は月のはじめにその持ち手を変えるけれども、その使用価値は1ヵ月が経過したあとではじめて引渡しずみとなる。この場合には、使用価値を事実上ゆだねることと、その現実の外化(譲渡--引用者)とは、時間的にくいちがっているから、その価格の実現も同じくその位置転換より遅れておこなわれる。〉 (全集第13巻121頁)

  ここで紹介されているケース以外にも『経済学批判』では「注文」販売の例なども紹介されていますが、それはまあいいでしょう。

  (カ)(ヨ) 一方の商品所持者は、現存する商品を売りますが、他方の商品所持者は、貨幣のたんなる代表者として、言い換えれば将来の貨幣の代表者として、買うのです。こうして売り手りが債権者となり、買い手は債務者となります。

    こうした商品の譲渡とその価格の実現が分離してくるケース、例えば掛け売買のケースというのは、商品を持っている人はその商品を売りますが、他方の買い手はしかし貨幣を譲渡するわけではなく、ただ将来、一定期日後に支払うという約束をするだけです。この場合、買い手は将来の貨幣を代表をしているわけです。その支払約束が商品の譲渡を引き出したのです。こうして商品の売り手は債権者となり、買い手は債務者となります。

  (タ)(レ) ここでは、商品の変態が、あるいは商品の価値形態の展開が、変化するので、貨幣もまた、別の一機能を受け取ります。貨幣は支払手段になります。

    このように商品の変態が、あるいは商品の価値形態の展開が、変化するので、貨幣もまた別の一機能、支払手段という機能を受け取るのです。貨幣の機能がそれ自体として発展したのではなくて、商品流通そのものが変化したために、その変化した商品流通が貨幣の機能に新しい一機能を付け加えたのです。ここでも商品流通がまずあって貨幣(とその機能)もあるという原則を確認しておく必要があります。『経済学批判』から紹介しておきましょう。

   〈貨幣が流通過程で得るさまざまな形態規定性は、商品そのものの形態転換の結晶にほかならないが、この形態転換はまたそれとして、商品所有者たちが彼らの物質代謝をおこなうさいの変化する社会関係の対象的な表現にほかならない。流通過程のなかで新しい取引関係が発生し、この変化した関係の担い手として商品所有者たちは新しい経済的性格をもつようになる。国内流通の内部では、貨幣は観念化されて、ただの紙片が金の代理者として貨幣の機能を果たすのであるが、それと同様に、この同じ過程は、貨幣または商品のたんなる代理者として流通にはいってくる買い手または売り手に、すなわち将来の貨幣または将来の商品を代理する買い手または売り手に、現実の売り手または買い手の効力をあたえる。金が貨幣として発展して獲得するすべての形態規定性は、商品の変態のうちにふくまれている諸規定の展開にほかならない。〉 (全集第13巻117-118頁)


◎原注96

【原注96】〈(96) (イ)ルターは、購買手段としての貨幣と支払手段としての貨幣とを区別している。(ロ)「汝は私に、私がここで支払うこともあそこで買うこともできないという、二重の損害を与える。」(マルティーン・ルター『牧師諸氏へ、高利に反対して、戒め』、ヴイッテンベルク、1540年。)〉

  (イ) ルターは、購買手段としての貨幣と支払手段としての貨幣とを区別しています。

    この原注は〈貨幣は支払手段になる〉という最後の一文に対するものです。つまり貨幣がそれまでの流通手段(購買手段)とは異なる別の一機能が付け加わることを述べ、ルターはこうした貨幣の機能を区別していたことを紹介するものです。

  (ロ) 「あなたは私に、ここで支払うことができず、あそこで買うことができない、という、両方の損害をもたらしている。」(マルティーン・ルター『牧師諸氏へ、高利に反対して、戒め』、ヴイッテンベルク、1540年。)

    このルターの一文は、実は『資本論』の第3部第24章「利子生み資本の形態での資本関係の外面化」のなかで、利子というものが貨幣そのものに生え出てくるかのように考える、資本関係の物神性の一つとして紹介されています。
    ルターは封建社会のキリスト教の戒律として、高利貸しには反対しているのですが、しかし実際に生じた損害に正当な賠償を求めることは認めているのです。つまり一つは貸した100グルデンが約束通りに返済されないために、その100グルデンがあれば買えたであろうものが買えず、そのためにそれで儲けられたものが儲けられなかったという損害です。もう一つは本来返されるべきときに返されなかったために支払ができず、そのために賠償を求めらるという損害です。つまり〈こちらでは支払ができず、あちらでは買うことができず、したがって両方で損をしなければならないという二重の損害〉(全集第25a巻494頁)については、それについて賠償を求めるのは正当だというのです。ところがそうするとすぐに高利貸し共が飛んできて、たちまち偽りの損失をでっち上げて、すべての100グルデンには〈自然にこのような二重の損失が生えついているかのように〉(同)主張し始めるというのです。こうした「架空の損失」こそ高利貸しの高利だというわけです。


◎第2パラグラフ(債権者と債務者、単純な商品流通と古代・中世社会)

【2】〈(イ)債権者または債務者という役割は、ここでは単純な商品流通から生ずる。(ロ)この商品流通の形態の変化が売り手と買い手とにこの新しい極印を押すのである。(ハ)だから、さしあたりは、それは、売り手や買い手という役割と同じように、一時的な、そして同じ流通当事者たちによってかわるがわる演ぜられる役割である。(ニ)とはいえ、対立は、いまではその性質上あまり気持ちのよくないものに見え、また、いっそう結晶しやすいものである(97)。(ホ)しかしまた、同じこれらの役割は商品流通にかかわりなく現われることもありうる。(ヘ)たとえば、古代世界の階級闘争は、主として債権者と債務者との闘争という形で行なわれ、そしてローマでは平民債務者の没落で終わり、この債務者は奴隷によって代わられるのである。(ト)中世には闘争は封建的債務者の没落で終わり、この債務者は彼の政治権力をその経済的基盤とともに失うのである。(チ)ともあれ、貨幣形態--債権者と債務者との関係は一つの貨幣関係の形態をもっている--は、ここでは、ただ、もっと深く根ざしている経済的生活条件の敵対関係を反映しているだけである。〉

  (イ)(ロ)(ハ) 債権者または債務者という役柄は、ここでは単純な商品流通から生じます。商品流通の形態の変化が売り手と買い手とに、この新しい極印を押すのです。ですから、さしあたりはそれは、売り手や買い手という役柄と同じく、つかのまの、また同じ流通当事者たちがかわるがわる演じる役割です。

    債権者または債務者というのは、一般にはお金の貸し手と借り手という意味で使われますが、ここでは商品流通の内部で生じてくる関係を問題にしています。つまり商品の流通の仕方がそれまでとは違って、それまでは商品の売り手と買い手という役割という役割だったのが、それとは別の役割として債権者と債務者という役割が流通当事者に押しつけられるのです。だからさしあたりは、誰もが債権者になれば債務者にもなり、同じ流通当事者がかわるがわる演じる役割ともいえるわけです。

  (ニ) とはいえ、債務者と債権者との対立は、いまではその性質上あまり気持ちのよくないものに見え、また、いっそう固着しやすいものです。

    しかし債権者と債務者の役割は、その性質上、買い手と売り手ほどには、それほど気持ちのよいものではありません。〈だがまえには、価値章標の一般的象徴性が国家の保証と強制通用力とをよびおこしたように、いまは買い手の人格的象徴性が商品所有者間の法律的強制力ある私的契約をよびおこすのである〉(全集第13巻117頁)とあるように、債務者は将来の貨幣を代表して、商品を購入するのですから、その代金の支払義務が生じるからです。それは法律的強制力にる支払義務です。だからその代金が支払えないなら貨幣を代表している購買者の身体で払ってもらうということにもなりかねません。だからまた金持ちはさらに金持ちになり、貧乏人がさらに貧乏人になるように、債務者は再び債務者に落ちるというように、ある特定の人たちに債務者という極印が固着してくることになるのです。しかしまあ一般的には、商品流通の当事者同士での債権・債務の関係というのは、互いに与え合うものですから、それほど深刻ではありません。しかし手形の不渡りを出して破産すれば、破産管財人によってすべての財産を差し押さえられ、売り払ってでも支払を強制されるという冷酷な関係でもあるわけです。

  (ホ) しかし、同じこれらの役柄が、商品流通にはかかわりなく現われることもあります。

    しかし同じ債権・債務の関係が、商品流通とはかかわりなしに現われてくることもあるのです。そしてこれの方が歴史的にはより一層深刻な結果をもたらしたのです。

  (ヘ) たとえば、古代世界の階級闘争は、主として債権者と債務者との闘争という形態をとって行なわれ、ローマでは平民債務者の没落で終わり、この債務者に代わって奴隷が登場します。

    例えば古代世界の階級闘争は主要には債権者と債務者との間の闘争という形態をとったのです。ローマでは貴族がありあまる銅を平民に貸し付けて(当時は銅が貨幣でした)、平民を債務者にし、銅の価値の騰貴によって、債務者の債務が膨らみ、その没落を促進したと言われています。『経済学批判要綱』にはジエルマン・ガルニエ『貨幣の歴史……』からの抜粋として次のようなものがあります。

  ローマ建国紀元7世紀に、クロディウス法典が銀1[1/2]スクループルムからローマ鋳貨をつくった。それは通常、1重量ポンドの銅、すなわち12オンスの重さのあるアスと交換された。こうして銀と銅との割合は192:1となり、銅が最も減価した時期よりも5倍も〔銀にとって〕弱い割合になったが、それは〔銅の〕輸出の結果であった。それでもなお銅は、ローマではギリシアおよびアジアでよりも安かった。貨幣材料の交換価値におけるこの大革命は、それが完遂されていくに従って、不幸な平民の運命を冷酷無情に悪化させていった。彼らは貸付金として減価した銅を受け取っていた。しかも彼らは、それをそのときの時価で支出あるいは充用したから、彼らの契約の文面どおり、彼らが実際に借入れた金額の5倍もの負積を抱え込むことになったのである。彼らは身代金を払って奴隷から自由の身となる手段をなにひとつもっていなかった。……平民は債務の修正、負債額の新評価、彼らの最初の債務証書の更正を要求した。債務者たちが元金の返済を要求することはなかったのだが、利子の支払そのものが耐えがたいものとなっていた。……元老院議員は、人民を最もみじめな従属状態においておくための手段を奪われることを好まなかった。ほとんどすべての土地所有の主たちは、彼らの債務者たちに枷をはめ、体刑を課すことを彼らに認めた法的権原で身をかためて、反乱を鎮圧し、最も反抗的な分子にたいして暴虐をはたらいた。どの貴族の屋敷も監獄であった。ついに人々は戦争を起こしたのであって、この戦争は、債務者には給料が手に入るようにさせるとともに、加えて差押えを停止させ、そして債権者には富と権力との新たな源泉をひらいた。これが、ピュルス王の敗北、タラントの占領、サムニウム人やルカニア人やその他の南イタリアの諸民族にたいする大勝利、等々が起きたころのローマの内部の状態であった。……〉 (草稿集②660-661頁)

    また『資本論』第3部第30章「資本主義以前」では次のような一文があります。

   〈ローマの貴族の高利がローマの平民や小農民をすっかり破滅させてしまったとき、この搾取形態は終わりを告げたのであって、そのとき純粋な奴隷経済が小農民経済にとって代わったのである。〉 (全集第25b巻768頁)

  (ト) 中世には、闘争は封建的債務者の没落で終わり、この債務者は自分の政治権力をその経済的基盤とともに失ったのです。

  また中世では、階級闘争は封建的な債務者の没落で終わり、債務者である貴族や土地所有者たちは、彼らがブルジョアになりあがるケース以外は、没落し、その政治権力を失ったのです。『資本論』には中世の高利資本について次のような記述があります。

  〈中世にはどこの国にも一般的な利子率というものはなかった。教会ははじめからいっさいの利子取引を禁止していた。法律も裁判も貸付をほとんど安全にしなかった。それだけに個々の場合の利子率は高かった。わずかな貨幣流通、たいていの支払を現金ですることの必要は、貨幣の借入れを余儀なくさせた。そして、手形取引がまだ発達していなければいないほど、ますますそうだった。利子率についても高利の概念についても大きな相違があった。カール大帝時代には、100%を取る者がいれば、それは高利とみなされた。ボーデン湖畔のリンダウでは1344年に土着の市民たちが216%を取った。チューリヒでは市会が43[1/6]%を法定利子と定めた。イタリアでは、12-14世紀には普通の率は20%を越えなかったにもかかわらず、ときには40%を支払わなければならなかった。ヴェロナは12[1/8]%を法定利子と定めた。皇帝プリードリヒ2世は10%と定めたが、これはただユダヤ人だけにたいしてのことだった。キリスト教徒については彼は言おうとしなかった。ライン沿岸のドイツではすでに13世紀には10%が普通だった。(ヒュルマン、都市制度の歴史〔『中世の都市制度』〕、第2巻、55-57ページ。)〉 (全集第25b巻771頁)

  (チ) とはいえ、貨幣形態は--そして債権者と債務者との関係は貨幣関係という形態をとるのですが--、ここではただ、もっと深く根ざしている経済的生活条件の敵対関係を反映しているだけなのです。

    しかしこうした古代や中世の債権・債務関係というのは、確かに貨幣関係をとっていますが、それはもっと深く経済的生活諸条件の敵対的関係に根ざしたものであり、その反映なのです。

   なおここに出てくる古代や中世では階級闘争が債権者と債務者との闘いだったということについて、むかし大阪市でやっていた「『資本論』学ぶ会」でも問題になり、「学ぶ会ニース」№44(2000.8.15)で次のように書きましたので、紹介しておきます。

  【ここでローマや中世の階級闘争が債権者と債務者とのあいだの闘争という形態で行われたというのですが、具体的にどうなのか、という質問です。これは実際、ローマや中世の歴史を研究しなければ分からない面もありますが、マルクス自身、別の所でそうしたものに触れていないか調べてみました。

 マルクスは『資本論』第3巻第5篇第36章「先資本制的なるもの」で「高利資本」について述べています。まず「古代ローマで、製造業がまだ古代的な平均的発展よりもはるかに低い状態にあった共和制後期いらい、商人資本、貨幣取扱資本、および高利資本が--古代形態の内部では--その最高点まで発展していた」と指摘しています。そして資本主義以前の高利資本は「第一には、浪費的豪族・本質的に土地所有者・への貨幣貸付による高利であり、第二には、自分自身の労働諸条件を所有している小生産者への貨幣貸付による高利である」と述べています。そして「ローマ貴族の高利がローマ平民--小農--をすっかり破滅させた時、この搾取形態は終わりをつげたのであって、純粋な奴隷経済が小農経済の代わりに現れた」と述べています。また別のところでは「ローマの貴族が平民を破滅させ、平民を軍務--平民が労働諸条件を再生産することを妨げた軍務--に駆り立て、かくして平民を窮乏化させた(そして再生産諸条件の窮乏化、萎縮または喪失はこの場合の支配形態である)ところの戦争、--この同じ戦争は、当時の貨幣たる分捕り品の銅をもって貴族の倉庫や地下室をいっぱいにした。貴族は平民にたいし、必要品たる穀物や馬や有角家畜を直接与える代わりに、自分自身にとっては無用なこの銅を貸付け、この状態を利用して法外な高利を搾り取り、かようにして平民を自分の債務奴隷たらしめた。カール大帝治下では、フランクの農民がやはり戦争によって破滅させられたのであって、彼らは債務者から農奴となるほかはなかった。ローマ帝国では周知のように、しばしば飢饉のために自由民が子供や自分自身を奴隷として富者に売るにいたる、ということが生じた」とあります。これで古代ローマについてはだいたい分かったのはないでしょうか?

 では中世についてはどうでしょうか? 『経済学批判1861-63年草稿』を見ると1527-8頁で、「近代社会の諸要素への中世的ブルジョア的社会の分解--世界貿易や金鉱発見によって促進された過程--の時代に生きていたルターの著書『富者と貧者ラザロについての福音書にたいする説教』から引用して、次のように解説しています。

 《ルターがここでわれわれに言っているのは、何にによって高利貸資本が成立するか、ということである。すなわち、市民(小市民および農民)、騎士、貴族、君主の破滅によって成立するということである。一方では、城外市民や農民や同職組合の剰余労働とさらに労働条件とが高利資本の手に流れてくる。……他方では、高利資本が取り上げる地代の所有者からである。つまり、浪費的で享楽的な富者から、である。高利が二つのことを引き起こすかぎりでは、すなわち、第一には一般に独立な貨幣財産を形成するということを、第二には労働条件をわがものにする、すなわち古い労働条件の所有者たちを破滅させるということを、引き起こすかぎりでは、高利は、産業資本のための諸前提の形成における強力な一手段--生産者からの生産手段の分離における強力な一能因--である。……一方では封建的な富と所有との破壊者としての高利。他方では小市民的、小農民的生産の、要するに生産者がなお彼の生産手段の所有者として現れているようなあらゆる形態の、破壊者としての高利。

  (字数制限のために全体を3分割します。)

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『資本論』学習資料No.21(通算第71回)(2)

2020-07-10 14:45:25 | 『資本論』

『資本論』学習資料No.21(通算第71回)(2)

 

◎原注97

【原注97】〈(97) (イ)18世紀のはじめのイギリス商人のあいだの債務者と債権者との関係について次のように言われている。(ロ)「このイギリスで商人のあいだで支配している残酷な精神というものは、ほかのどんな人類社会でも、世界じゅうのほかのどんな国でも、見られないほどのものである。」(『信用および破産法に関する一論』、ロンドン、1707年、2ページ。)〉

  (イ) 18世紀のはじめのイギリス商人のあいだの債務者と債権者との関係について、次のように言われています。

    この原注は本文の〈とはいえ、対立は、いまではその性質上あまり気持ちのよくないものに見え、また、いっそう結晶しやすいものである〉という部分に対するものです。だからこれは商品流通における債権・債務関係について述べているものといえます。しかしすでに18世紀のはじめにおいてイギリス商人の残酷な精神が言われいたということです。

  (ロ) 「このイギリスで商人のあいだで支配している残酷な精神というものは、ほかのどんな人類社会でも、世界じゅうのほかのどんな国でも、見られないほどのものである。」(『信用および破産法に関する一論』、ロンドン、1707年、2ページ。) 

    マルクスは『61-63草稿』ではこの抜粋の前に〈資本の残忍さ〉(草稿集⑨665頁)という表題をつけています。『経済学批判』からも紹介しておきましょう。

  〈売り手と買い手は、債権者と債務者になる。商品所有者は、まえに蓄蔵貨幣の保管者として三枚目の役を演じたのに、こんどは彼は、自分ではなくその隣人を一定の貨幣額の定在と考え、自分ではなくこの隣人を交換価値の殉教者にするので、恐ろしいものとなる。彼は信心家から債権者となり、宗教から法学に転落する。
  「証文どおりに願います!」
〔"I stay here on my bond!”〕〉 (全集第13巻119頁)

    この〈「証文どおりに願います!〉という一文はシェークスピアの『ヴェニスの商人』から採られたものです。


◎第3パラグラフ(流通過程を一般的商品として独立に閉じる支払手段、貨幣は販売の自己目的になる)

【3】〈(イ)商品流通の部面に帰ろう。(ロ)商品と貨幣という二つの等価物が売りの過程の両極に同時に現われることはなくなつた。(ハ)いまや貨幣は、第一には、売られる商品の価格決定において価値尺度として機能する。(ニ)契約によって確定されたその商品の価格は、買い手の債務、すなわち定められた期限に彼が支払わなければならない貨幣額の大きさを示す。(ホ)貨幣は、第二には、観念的な購買手段として機能する。(ヘ)それはただ買い手の貨幣約束のうちに存在するだけだとはいえ、商品の持ち手変換をひき起こす。(ト)支払期限がきたときはじめて支払手段が現実に流通にはいってくる。(チ)すなわち買い手から売り手に移る。(リ)流通手段は蓄蔵貨幣に転化した。(ヌ)というのは、流通過程が第一段階で中断したからであり、言いかえれば、商品の転化した姿が流通から引きあげられたからである。(ル)支払手段は流通にはいってくるが、しかし、それは商品がすでに流通から出て行ってからのことである。(ヲ)貨幣はもはや過程を媒介しない。(ワ)貨幣は、交換価値の絶対的定在または一般的商品として、過程を独立に閉じる。(カ)売り手が商品を貨幣に転化させたのは、貨幣によって或る欲望を満足させるためであり、貨幣蓄蔵者がそうしたのは、商品を貨幣形態で保存するためであり、債務を負った買い手がそうしたのは、支払ができるようになるためだった。(ヨ)もし彼が支払わなければ、彼の持ち物の強制売却が行なわれる。(タ)つまり、商品の価値姿態、貨幣は、いまでは、流通過程そのものの諸関係から発生する社会的必然によって、売りの自己目的になるのである。〉

  (イ)(ロ)(ハ)(ニ) 商品流通の部面に戻りましょう。商品と貨幣という二つの等価物が販売過程の両極に同時に現われることはなくなりました。いまでは貨幣は、第一に、売られる商品の価格を決めるときに価値尺度として機能します。契約によって確定されたその商品の価格は、買い手の債務を、すなわち、定められた期限に彼が支払わなければならない貨幣額を計ります。

    これはその前のパラグラフの後半で古代や中世における債権者と債務者との関係の話をしていたので、そこから本来の商品流通の関係としての債権者と債務者との関係の話に戻ろうということだと思います。
    債権者と債務者の関係では、商品と貨幣という二つの等価物が販売過程(W-G)の両極(買い手と売り手)に同時に現われることはなくなりました。以前のW-Gでは、貨幣は購買手段として、そして流通手段として機能したのでした。しかし今回の場合、貨幣はどういう役割を果すのでしょうか。
    第一に、貨幣は売られる商品の価格を決める時に価値尺度として機能します。しかしこれまでの価値尺度というのは、商品の価値をただ観念的な貨幣で表示しただけでした。しかし今回の価値尺度というのは、そうした観念的なものに留まっていません。なぜなら、この価格というのは流通当事者の合意にもとづいて値決めされた価格だからです。それは商品所持者(販売者)のただ頭のなかに思い浮かべられたものだけではないのです。それは流通当事者の契約によって決められたものなのです。
    だからその商品の価格は、買い手の債務を、つまり彼が定められた期間の後には支払わねばならない貨幣額を表しているわけです。『経済学批判』には次のような説明があります。

   〈だから、商品が現存し貨幣がただ代理されているにすぎない変化した形態のW-Gでは、貨幣はまず価値の尺度として機能する。商品の交換価値は、その尺度としての貨幣で評価される。だが価格は契約上測られた交換価値として、ただ売り手の頭のなかに実在するだけでなく、同時に買い手の義務の尺度としても実在する。〉 (全集第13巻119頁)

  (ホ)(ヘ) 貨幣は、第二に、観念的な購買手段として機能します。それは、ただ買い手の貨幣支払約束のうちに存在するだけですが、商品の持ち手変換をもたらします。

    第二に、貨幣は観念的な購買手段として機能します。貨幣は現実には存在せず、ただ購買者の支払約束として存在するだけです。しかしその購買者の支払約束が商品の譲渡を引き起こすわけですから、貨幣は観念的な(なぜなら貨幣は現実には存在せず、流通当事者の合意を中にしかないのだから)購買手段として機能したのです(現実に商品の譲渡を引き起こしたから)。同じく『経済学批判』の一文を紹介しておきます。

   〈貨幣は、第二には、観念的な購買手段として機能する。それは、買い手の貨幣支払約束のうちにしか存在しないとはいえ、商品の持ち手変換をひき起こす。〉 (全集第13巻119頁)

  (ト)(チ) 支払期限がくると、はじめて支払手段が現実に流通にはいります。すなわちそれが買い手の手から売り手の手に移ります。

  そして約束された支払期限がきますと、購買者は貨幣を支払いますが、それはすでに商品が譲渡されたあとの支払手段としてです。現実の貨幣がここではじめて購買者から販売者の手に移ります。この貨幣の性格をもう少し詳しく見て行きましょう。同じように『批判』の関連する部分を紹介しておきましょう(以下、同じ)。

  〈契約履行の期限が来れば、貨幣は流通にはいっていく。なぜならば、貨幣は位置を転換して、過去の買い手の手から過去の売り手の手に移ってゆくからである。〉

  (リ)(ヌ) さきほど見ましたように、流通手段は蓄蔵貨幣に転化したのは、流通過程が第一段階で中断したからであり、言いかえれば、商品の転化した姿が流通から引きあげられたからでした。

    支払手段とは流通のなかに出て行きますが、しかしそれは流通手段としてではありません(なぜならそれは商品の価値を一時的に代表するようなものではないからです)。また購買手段としてでもないのです(なぜならこの貨幣の支払によって商品の譲渡が生じたのではなく、譲渡はすでに以前に済んでいるからです)。それは貨幣としての貨幣という、価値の現実の姿として流通に入っていくのです。以前、貨幣としての貨幣の蓄蔵貨幣というのは、流通手段がその流通を停止し、流通から引き上げられることによって生じたのでした。支払手段も蓄蔵貨幣と同じ貨幣としての貨幣、本来の貨幣なのですが、それはまた違った形態規定を持っています。

  〈だが貨幣は、流通手段または購買手段として流通にはいるのではない。貨幣がそういうものとして機能したのは、それがそこにある以前のことであり、貨幣が現われるのは、そういうものとして機能することをやめたあとのことである。〉

  (ル)(ヲ)(ワ) これに対して、支払手段は流通にはいりますが、しかしそれは、商品がすでに流通から出て行ったのちのことです。ここでは貨幣は、もはや過程を仲立ちするのではありません。貨幣は、交換価値の絶対的存在または一般的商品として、自立的に過程を閉じるのです。

    というのは、蓄蔵貨幣は流通から引き上げられて本来の貨幣になったのに、支払手段は流通に本来の貨幣として入っていくからです。しかし支払手段としての貨幣は、流通手段のように流通過程の仲立ちをするわけではありません。むしろそれは本来の貨幣として、価値の唯一適合的な存在として、交換価値の絶対的存在あるいは一般的商品として、さらには諸商品の使用価値に対立するものとして、過程を閉じるものとして流通に入るのです。
                      
   〈それはむしろ、商品にとっての唯一の十全な等価物として、交換価値の絶対的定在として、交換過程の最後のことばとして、要するに貨幣として、しかも一般的支払手段としての一定の機能における貨幣として流通にはいるのである。支払手段としてのこの機能では、貨幣は絶対的商品として現われるが、しかし蓄蔵貨幣のように流通の外部にではなく、流通そのものの内部に現われるのである。〉

   ここで〈過程を独立に閉じる〉という部分の理解について、昔の「学ぶ会ニュース」№45(2000.8.30)では次のように論じています。参考のために紹介しておきます。

   【ところでこれは学習会では問題として出されなかったのですが、ここで「自立的に閉じる」とありますが、「自立的に閉じる」とはそもそもどういうことなのでしょうか? なぜ「自立的」なのか、それが問題です。それはその先に述べている「貨幣は、もはや、この過程を媒介するのではない」ということと関連しているように思えます。ここでは明らかに債務者から債権者に貨幣が流通していくのですが、しかしそれはいうまでもなく流通手段、つまり鋳貨としてではありません。ここでの貨幣は、「交換価値の絶対的定在または一般的商品として」とあるように、債務者が債権者に価値そのものを引き渡すための形態ですから、もともとは、本来の貨幣のみが果たすことの出来る機能なのです(しかし本来の貨幣に代わりうる銀行券等々の貨幣形態が発展すると、そうした代理物も支払手段として流通することができるようになります)。しかもすでに商品は流通してしまっているのですから、貨幣はただ一方的に債務者から債権者に渡されるだけであって、それによっては何も媒介するわけではないのです。「自立的に」というのはそうした事態を述べているのではないかと思います。つまり何の媒介もなしにという意味で「自立的」だということです。そして債権・債務が最終的に決済されるという点でこの取引(=この過程)は「閉じている」わけです。】

  (カ) 売り手が商品を貨幣に転化させたのは、貨幣によってある欲求を満すためであり、貨幣蓄蔵者がそうしたのは、商品を貨幣形態で保存するためでしたが、債務を負った買い手がそうするのは、支払ができるようになるためです。

    こうした支払手段としての貨幣は、債務者にとっては法的な支払義務として彼を縛ります。だから彼は支払手段として貨幣を入手するために販売(W-G)をしなければならなくなるのです。それまでの単純な商品流通における販売(W-G)は、商品の所持者が入手した貨幣で自分の欲求を満たす商品を購買するためでした。あるいはその次の貨幣蓄蔵者が行なった販売(W-G)は、商品を貨幣形態で保存するためでした。しかし債務者が行なう販売(W-G)は、彼の債務を支払うためです。つまり彼の法的義務を果すためなのです。それは法的に義務づけられた、強制された販売なのです。

   〈はじめ流通のなかに生産物の貨幣への転化が現われるのは、商品所有者にとっての個人的必要としてにすぎないのであって、それは彼の生産物が彼にとっては使用価値ではなく、その外化によって(譲渡によって--引用者)はじめて使用価値となるべきものであるかぎりにおいてのことである。ところが、契約期限に支払うためには、彼はあらかじめ商品を売っていなければならない。だから販売は、彼の個人的欲望とはまったく無関係に、流通過程の運動によって彼にとってひとつの社会的必然に転化される。ある商品の過去の買い手として彼は、購買手段としての貨幣ではなく、支払手段としての貨幣、交換価値の絶対的形態としての貨幣を手に入れるために、よんどころなく他の商品の売り手となるのである。完結行為としての商品の貨幣への転化、つまり自己目的としての商品の第一の変態は、貨幣蓄蔵では商品所有者の気まぐれに見えた変態は、いまや一つの経済的機能になってしまっている。支払をするための販売の動機と内容とは、流通過程そのものから発生する販売の内容である。〉 (全集第13巻120頁)

  (ヨ)(タ) もし彼が支払わなければ、彼の持ち物の強制売却が行なわれます。つまり、いまでは、流通過程そのものの諸関係から発生する社会的必然によって、貨幣という商品の価値姿態が販売の自己目的となるのです。

    だから彼が支払ができないなら、彼の持っているものが強制的に売却され、支払を強要されることになります。だから流通過程の諸関係から発生した社会的必然によって、いまではこうした法的強制力を呼び起こし、とにかく支払うための貨幣の入手のために、販売が自己目的になるのです。彼は通常の価値どおりでなくても、とにかく強制的な販売、投げ売りを余儀なくされることになります。

  〈購買手段と支払手段との区別は、商業恐慌の時期には、きわめて不愉快に目だってくる。……
  完結行為としての商品の貨幣への転化、つまり自己目的としての商品の第一の変態は、貨幣蓄蔵では商品所有者の気まぐれに見えた変態は、いまや一つの経済的機能になってしまっている。支払をするための販売の動機と内容とは、流通過程そのものから発生する販売の内容である。〉 (全集第13巻120頁)

   ついでにこの〈売りの自己目的になる〉という部分についても以前の「学ぶ会ニュース」№45(2000.8.30)から紹介しておきます。

  【ここで問題になったのは、最後の部分、「貨幣は、今や、……販売の目的そのものになる」とはどういうことか? という質問でした。これは議論のなかで解決したと思いますが、若干、補足しておきたいと思います。マルクスは『批判』で次のように述べています。

 まえには(流通手段の考察では--引用者)価値標章が貨幣を象徴的に代理したのであるが、ここでは貨幣を象徴的に代理するものは買手自身である。しかも、前には価値標章の一般的象徴性が国家の保証と通用強制とを呼び起こしたように、ここでは買手の人格的象徴性が、商品所有者間の法律的強制力を持つ私的契約を呼び起こすのである。》

 つまりこうした法的強制力をもって債務者は支払いを強制される。もし支払えなければ破産を宣告されて、彼の所有物の強制販売が行われるのです。だから債務者は破産を免れるためには、とにかく商品を捨て値ででも投げ売って支払手段を手に入れなければなりません。つまり貨幣そのものが販売の目的になるのです。

 ところで『批判』でマルクスは「ここでは貨幣を象徴的に代理するものは買手自身である」と述べています。つまり債務者自身が貨幣を象徴的に代理しているというのです。これなどは「腎臓を売ってでも金をつくれ」などと脅して取り立てたどこかの悪徳金融業者を思い出させる指摘といえないでしょうか。あの金融業者は貨幣を象徴的に代理している債務者の身体そのものを現実の貨幣に変えようとしたと言うことができます。】


◎第4パラグラフ(第一の商品変態〔W-G〕よりさきに第二の商品変態〔G-W〕を行なう)

【4】〈(イ)買い手は自分が商品を貨幣に転化させるまえに貨幣を商品に再転化させる。(ロ)すなわち、第一の商品変態よりもさきに第二の商品変態を行なう。(ハ)売り手の商品は流通するが、その価格をただ私法上の貨幣請求権に実現するだけである。(ニ)その商品は貨幣に転化するまえに使用価値に転化する。(ホ)その商品の第一の変態はあとからはじめて実行されるのである(98)。〉

  (イ)(ロ) 買い手は、自分の商品を貨幣に転化させるまえに、自分の貨幣を商品に再転化させます。言い換えれば、第一の商品変態のまえに、第二の商品変態を行ないます。

    もう一度、支払手段としての貨幣の機能について考えてみましょう。この場合、買い手は、自分の商品を販売した貨幣で購買者として市場に登場するわけではありません。彼は自分の商品を販売する以前に、貨幣を商品に転化するのです。しかし購買者の貨幣といってもそれが現実に存在するわけではありません。彼はまだ自分の商品を売っていないからです。だからそれは彼の支払の約束として存在するだけです。彼は商品流通W-G-WのうちW-Gより前にG-Wをやるのです。すなわち第一の商品変態よりもさきに第二の商品変態を行なうことになります。

  (ハ)(ニ)(ホ) 売り手の商品は流通しますが、自分の価格をただ私法上の貨幣請求権のかたちで実現するだけです。その商品は、貨幣に転化するまえに、使用価値に転化します。その商品の第一の変態はあとになってやっと実行されるのです。

    さて、売り手の側から見たらどうでしょうか。売り手の商品は流通しますが、しかしその価格の実現形態としての貨幣を彼は入手するわけではありません。彼はただ買い手の支払約束にもとづいて商品を手放したのです。買い手の支払約束は売り手にとっては貨幣請求権です。つまり彼は貨幣請求権という形で彼の商品の価格をそのかぎりで実現したのです。しかしそれは商品の価格の最終的な実現でありません。この場合、商品はその価格を実現する(貨幣に転化する)前に、その使用価値を実現します(買い手の手のなかで)。その価格が実現するのは、すなわち第一変態(W-G)は、あとになって買い手の支払約束が果されて初めて実現するのです。この部分も『批判』の関連する部分を参考のために紹介しておきましょう。

  〈この形態の販売では、商品はその位置転換をおこない、流通するが、他方、その第一の変態、その貨幣への転化は延期する。これに反して、買い手の側では、第一の変態がおこなわれないうちに第二の変態がおこなわれる。すなわち、商品が貨幣に転化されないうちに、貨幣が商品に再転化される。だからこの場合には、第一の変態が第二の変態よりもあとの時期に現われる。そしてそれとともに、第一の変態における商品の姿である貨幣は、新しい形態規定性を得る。貨幣、つまり交換価値の独立の展開は、もはや商品流通の媒介形態ではなくて、それを完結する形態である。〉 (全集第13巻120頁)

  さて、このパラグラフはフランス語版では大幅に書き換えられています。その内容は分かりやすく書かれていますので、参考のために紹介しておきましょう。

  〈農民が織工から20メートルのリンネルを2ポンド・スターリングの価格--それは小麦1クォーターの価格でもある--で買い、1ヵ月後にその支払いをする、と仮定しよう。農民は自分の小麦を貨幣に転化してしまう以前に、これをリンネルに転化している。したがって、彼は、自分の商品の第一変態以前に、それの最終変態を果たしている。次いで彼は小麦を2ポンド・スターリングで売り、この2ポンド・スターリングをきまった期日に織工に渡す。実在の貨幣はもはやここでは、彼にたいして、リンネルを小麦に置き換える仲介者の役を果たさない。このことはすでに行なわれてしまった。それどころか、貨幣は彼にとっては、それが彼の提供しなければならない絶対的な価値形態、すなわち普遍的な商品であるかぎり、取引の最後の言葉なのである。織工について言えば、彼の商品は流通してその価格を実現したが、このことはただ、民法から生ずる請求権によるものでしかない。彼の商品は貨幣に転化される以前に、他人の消費に入りこまされる。したがって、彼のリンネルの第一変態は、一時停止されたままであり、後ほど、農民の債務の支払期日にはじめて果たされるわけである(47)。〉 (江夏・上杉訳117-118頁)


◎原注98

【原注98】〈(98) (イ)第2版への注。 (ロ)私が本文でこれと反対の形態を考慮に入れなかった理由は、1859年に刊行された私の著書からとった次の引用文によって明らかになるであろう。「(ハ)逆に、過程G-Wでは、貨幣が現実の購買手段として手放されて、商品の価格が、貨幣の使用価値が実現されるまえに、または商品が引き渡されるまえに、実現されることがありうる。(ニ)これは、たとえば日常見られる前払いという形で行なわれる。(ホ)またはイギリス政府がインドで農民の阿片を買う場合の形で……。(ヘ)だが、この場合には、貨幣は、ただ、購買手段というすでに知られている形態で働くだけである。……(ト)資本は、もちろん、貨幣の形態でも前貸しされる。……(チ)しかし、この観点は単純な流通の視野にははいってこないのである。」(カール・マルクス『経済学批判』、119、120ページ。〔本全集、第13巻、117(原)ページを見よ。〕)〉

  (イ) 第2版への注。

   この原注は初版にはなく、第2版で新たに付けられたものです。これは第4パラグラフ全体に対する注というより、最後の文節〈その商品の第一の変態はあとからはじめて実行されるのである〉に対するものと考えることができます。

  (ロ) わたしが本文でこれとは反対の形態を考慮に入れなかった理由は、1859年に刊行された私の著書からの次の引用文からわかるでしょう。

  だから〈これと反対の形態〉というのは、商品の第一の変態があとからはじめて実行されることの反対ですから、商品の第一の変態、つまりW-Gが、商品の譲渡よりも先にその価値の実現が行なわれる形態ということです。そしてそれについては〈1859年に刊行された私の著書〉、すなわち『経済学批判』のなかで述べているということです。

  (ハ)(ニ) 「逆に、過程G-Wでは、貨幣が現実の購買手段として手放されて、貨幣の使用価値が実現されるまえに、または商品が引き渡されるまえに、商品の価格が実現されることがありえます。これは、たとえば日常見られる前払いという形で行なわれます。

    それは通常、「前払い」と言われているものだというのです。マルクスはここでは部分的に省略して引用していますが、以下、必要なかぎりで省略部分を補足してゆきます(なお全文は付属資料に紹介しています)。
   前払いの場合は、商品が引き渡される前に、その価格を支払うことです。確かにこの場合も商品の譲渡とその価格の実現とが時間的にずれるケースといえます。

  (ホ) あるいは、イギリス政府がインドでラヤト〔すなわち農民〕の阿片を買う場合の形で……行われます。

  『経済学批判』では次のようになっています。

  あるいはまた、イギリスの政府がインドのライヤト(*)からアヘンを買う形態やロシアに定住する外国商人がロシアの国産品を大量に買う形態でおこなわれている。

   (*) ライヤト--インドの小農で18世紀末に新地税法が実施されるまでは、村落共同体の完全な権利をもつ成員であった。1793年にいわゆるザミーンダーリー制度が実施されたベンガル、ビハール、オリッサ等の地方では、ライヤトはザミーンダールすなわち地主の小作人となった。ボンベイとマドラス管区ではライヤトは国有地を用益のために受け取って、その分与地にたいして、生産物のなかばにも及ぶ高率の地税を支払うことになった。〉 (全集第13巻118-119頁)

  (ヘ) だが、この場合には、貨幣は、ただ、購買手段というすでに知られている形態で働くだけです。……

  しかしこうした前払いの場合は、すでにわれわれが知っている購買手段として機能するだけであって、新しい別の機能を果すわけではないということです。『経済学批判』では次のようになっています。

  けれどもこういう場合には、貨幣はすでに知られている購買手段の形態で作用するだけであり、したがってなんらの新しい形態規定性をもとらない(*)。

  (*) もちろん、資本は貨幣の形態でも前貸しされるのであり、前貸しされた貨幣は前貸しされた資本であるかもしれない。だが、この視点は単純流通の視野のなかにははいらない。〉 (全集第13巻118-119頁)

  (ト)(チ) もちろん、資本もまた貨幣の形態で前貸しされる。……しかし、この観点は単純な流通の視野のなかにははいってきません。

    これについてはすでに前の文節( (ヘ))で紹介しましたように、『経済学批判』では注として付け加えられている一文です。ここでは先に紹介したあと部分を紹介しておきましょう。

  〈だからわれわれは、この場合についてはこれ以上述べないが、しかしG-WとW-Gという二つの過程がここで現われてくる転化された姿について、次の点を注意しておこう。すなわち、流通で直接に現われるような、購買と販売とのただ頭のなかで考えられた区別は、いまや現実的な区別となること、この区別は、一方の形態では商品だけが、他方の形態では貨幣だけが現存しており、しかもどちらの形態でも主導的にふるまう極だけが現存しているという点にあることである。そのうえこの二つの形態は、そのどちらにあっても一つの等価物はただ買い手と売り手との共通の意志のなかにだけ現存し、この意志は両者を拘束し、一定の法律的形態をとる、という共通点をもっている。〉 (全集第13巻119頁)

  なおここで〈一方の形態〉というのは「掛売り」のことであり、〈他方の形態〉というのは「前払い」のことです。

  (続く)【付属資料】は(3)へ

 

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『資本論』学習資料No.21(通算第71回)(3)

2020-07-10 14:18:53 | 『資本論』

『資本論』学習資料No.21(通算第71回) (3)

 

【付属資料】

 


●第1パラグラフ

《経済学批判・原初稿》

 〈支払いが相殺されるかぎりでは、貨幣は消え去りゆく形態として、交換される価値の大きさをはかる、単なる観念的な、つまり表象されているだけの尺度として現われるにすぎない。生身の貨幣が介在するのは、相対的に小さい貸借残高を清算することに限られている。一般的支払手段としての貨幣は、より高度な流通、つまり媒介された、自分のうちに曲げ戻された〔in sich zurückgebogen〕、それ自体すでに社会に統御されている流通--こうした流通においては、単純な金属流通の基礎上で、たとえば本来の貨幣蓄蔵において、貨幣だけがもっている排他的な重要性は、止揚されている--が発展してゆくのと手をたずさえて発展してゆく。〉(草稿集③38頁)

《経済学批判》

  〈貨幣が貨幣蓄蔵によって抽象的社会的富の定在として、素材的富の物質的代理者として展開されるやいなや、それは貨幣としてのこの規定性において、流通過程の内部で独自の機能をもつことになる。貨幣がたんなる流通手段として、それゆえに購買手段として流通する場合には、商品と貨幣とが同時に対立しているということ、したがって同じ大きさの価値が二重に現存していること、一方の極では売り手の手にある商品として、他方の極では買い手の手にある貨幣として現存していることが前提されている。二つの等価物が相対立する両極にこのように同時に存在することと、それらの同時的な位置転換、つまりそれらの交互的外化とは、それとしてまた、売り手と買い手とが現存する等価物の所有者としてだけ互いに関係しあうということを前提している。〉(全集第13巻117頁)
  〈国内流通の内部では、貨幣は観念化されて、ただの紙片が金の代理者として貨幣の機能を果たすのであるが、それと同様に、この同じ過程は、貨幣または商品のたんなる代理者として流通にはいってくる買い手または売り手に、すなわち将来の貨幣または将来の商品を代理する買い手または売り手に、現実の売り手または買い手の効力をあたえる。
  金が貨幣として発展して獲得するすべての形態規定性は、商品の変態のうちにふくまれている諸規定の展開にほかならない。だがこれらの諸規定は、単純な貨幣流通では、貨幣の鋳貨としての登場、つまり過程的統一としての運動W-G-Wでは、独立の姿にまで分離されなかったし、あるいはまた、たとえば商品の変態の中断のように、たんなる可能性として現われただけであった。すでに見たように、W-Gの過程では、現実的な使用価値であり観念的な交換価値である商品が、現実的な交換価値でありただ観念的な使用価値であるにすぎない貨幣と関係した。売り手は使用価値としての商品を譲渡することによって、商品自身の交換価値と貨幣の使用価値とを実現した。逆に買い手は、交換価値としての貨幣を譲渡することによって、貨幣の使用価値と商品の価格とを実現した。それに応じて商品と貨幣との位置転換がおこなわれた。この二面的な対極的対立の生きた過程は、いまやその実現にさいしてふたたび分裂する。売り手は商品を実際に譲渡するが、さしあたってはその価格をまたもやただ観念的に実現するだけである。彼は商品をその価格で売ったのであるが、その価格はこれからさきのある決められた時点にはじめて実現される。売り手は現在の商品の所有者として売るのに、買い手は将来の貨幣の代理者として買うのである。売り手の側では、商品は価格としては実際に実現されないのに、使用価値としては実際に譲渡される。買い手の側では、貨幣は交換価値としては実際に譲渡されないのに、商品の使用価値で実際に実現される。まえには価値章標が貨幣を象徴的に代理したのに、ここでは買い手自身が貨幣を象徴的に代理する。だがまえには、価値章標の一般的象徴性が国家の保証と強制通用力とをよびおこしたように、いまは買い手の人格的象徴性が商品所有者間の法律的強制力ある私的契約をよびおこすのである。〉(全集第13巻117-118頁)
 〈販売の両極が時間的に分離されているこのような掛売りが、単純な商品流通から自然発生的に生じるということは、なんら詳細な証明を必要としない。まず流通の発展にともなって同じ商品所有者たちが互いに売り手と買い手として交互に登場することがくりかえされるようになる。この反復される登場は、たんなる偶然にとどまることなく、商品がたとえば将来のある期日に引き渡されて支払われるということで、注文される。この場合には、販売は観念的に、つまりここでは法律上完了されたのであって、商品と貨幣とはその現身で現われることはない。流通手段および支払手段としての貨幣の二つの形態は、ここではまだ一致している。というのは、一方では商品と貨幣とが同時に位置を転換し、他方では貨幣は商品を買うのではなく、まえに売られた商品の価格を実現するからである。さらにまた、一連の使用価値は、その性質上、商品の実際の引渡しとともにではなく、ただ一定の期間それをゆだねることによってはじめて現実に譲渡されるということになる。たとえば家屋の使用が1ヵ月だけ売られるとすると、その家屋は月のはじめにその持ち手を変えるけれども、その使用価値は1ヵ月が経過したあとではじめて引渡しずみとなる。この場合には、使用価値を事実上ゆだねることと、その現実の外化(譲渡--引用者)とは、時間的にくいちがっているから、その価格の実現も同じくその位置転換より遅れておこなわれる。しかし最後に、いろいろな商品が生産される期間と時期には違いがあるので、ある人は売り手として登場するのに、他の人はまだ買い手として登場できないということが生じる。そして同じ商品所有者たちのあいだで売買がますます頻繁にくりかえされるほど、販売の二つの契機は、彼らの商品の生産諸条件におうじて分離してくる。こうして商品所有者たちのあいだに債権者と債務者との関係が成立する。この関係はたしかに信用制度の原生的基礎をなしているが、信用制度が存在するよりも以前に、十分に発展していることがありうる。それでも、信用制度の成熟、したがってまたブルジョア的生産一般の成熟とともに、支払手段としての貨幣の機能が、購買手段としての貨幣の機能を縮小させることによって、またそれ以上に貨幣蓄蔵の要素としてのその機能を縮小させることによって拡張されることは明らかである。たとえばイギリスでは、鋳貨としての貨幣は、ほとんどもっぱら生産者と消費者とのあいだの小売取引や小口取引の領域に封じこめられているのに、支払手段としての貨幣は、大口の商取引の領域を支配している。〉(全集第13巻120-121頁)

《初版》

  〈これまでに考察してきた商品流通の直接的形態では、同じ大きさの価値が、一方の極には商品、反対の極には貨幣というように、いつでも二重に存在していた。だから、商品所持者たちは、相互に対面しあっている諸等価物の代表者として、接触していたにすぎない。ところが、商品流通が発展するにつれて、商品の譲渡が商品価格の実現から時間的に分離されるという事情が、発展することになる。ここでは、これらの事情のうち最も単純なものを示唆するだけで充分である。一方の商品種類はその生産により長い時間を必要とし、他方の商品種類はその生産により短い時間を必要とする。商品がちがえば、それらの生産はまちまちな季節に結びつけられる。一方の商品は、それの市場所在地で生まれるが、他方の商品は、遠隔の市場に旅しなければならない。だから、一方の商品所持者は、他方の商品所持者が買い手として現われる以前に、売り手として現われることがありうる。同じ取引が同じ人々のあいだで不断に繰り返されるばあいには、商品の販売条件は、商品の生産条件に応じて規制される。一方の商品所持者は手持ちの商品を売り、他方の商品所持者は、貨幣の単なる代表者として買う、あるいは、将来の貨幣の代表者として買う。売り手が債権者になり、買い手が債務者になる。ここでは、商品の変態すなわち商品の価値形態の展開が変わるので、貨幣もまた別の一機能を受け取る。貨幣は支払手段になる(79)。〉(江夏訳130頁)

《フランス語版》

  〈これまで考察してきた商品流通の直接的形態では、同じ価値が、一方の極には商品、他方の極には貨幣というように、いつでもつねに二重に現われる。生産者=交換者たちは、すでに相互に対面しあっている等価物の代理人として関係する。ところが、流通が発展するにつれて、商品の譲渡と商品の価格の実現とを、時間の間隔をおいて分離しようとする諸事情もまた発展する。ここでは、最も単純な事例で充分である。ある種の商品はその生産により長い時間を必要とし・他種の商品はより短い時聞を必要とする。生産の季節は、種々の商品にとって同じではない。ある商品はその市場と同じ場所で発生するが、他の商品は旅をして遠隔の市場に赴かなければならない。したがって、交換者の一方は、他方の交換者がまだ買うことができないのに、売る準備のできていることがある。同じ取引が同じ人々のあいだで不断に更新されるばあいには、商品の売買条件は商品の生産条件にしたがってしだいに規制されるであろう。他方では、ある種の商品たとえば家屋の使用は、ある期間を定めて譲渡されるが、この期限満了後にはじめて、買い手は約定の使用価値を実際に受け取ったことになる。したがって、彼は支払う以前に買うのである。交換者の一方は現存する商品を売り、他方は将来の貨幣の代表者として買う。売り手は債権者になり、買い手は債務者になる。商品の変態がここでは新たな姿態をとるので、貨幣もまた新たな機能を得る。貨幣は支払手段になる。〉(江夏・上杉訳116頁)


●原注96

 《1861-1863年草稿》

  〈「もし、あなたパルツァーがミカエル祭の日までにこの100グルデンを私に返さないのに、私のほうには買いものがあって、私自身や私の子供たちのために、庭とか、畑とか、家とか、私に大きな利益や食料をもたらすであろう原因になるようなものを私は買うことができるかもしれないとすれば、私はそれを断念するよりほかはなく、あなたは、あなたの怠慢と居眠りで私に損失と妨害を加え、私がもはやそのような買いものをすることができないようにするわけである。私はあなたにそれを貸した。そのために、あなたは、私がこちらでは支払ができず、あちらでは買うことができず、したがって両方で損をしなければならないという二重の損害を私に与えている。つまり、起きた損害と逃げた利得という二重の損失というものである。」(マルティン・ルター『牧師諸氏へ、高利に反対して、戒め』、ヴィッテンベルク、1540年。)〉(草稿集⑦533頁

《初版》

  〈(79) ルターは、購買手段としての貨幣と支払手段としての貨幣とを区別している。「汝は私に、私がここでは支払うことができずあそこでは買うことができないという二重の損害を与えている。」(マルチン・ルター『高利に反対して牧師に与う、ヴイツテンベルク、154O年』。〉〉(江夏訳130頁)

《資本論第3巻》

  〈「私はあなたにそれ(100グルデン) を貸した。それによってあなたは、私がこちらでは支払ができず、あちらでは買うことができず、したがって両方で損をしなけれぽならないという二重の損害を私に与えている。つまり、起きた損害と逃げた利得という二重の損失というものである。……(以下略)…… 」(マルティーン・ルター 『牧師諸氏へ、高利に反対して』、ヴィッテンベルク、1540年。)〉(全集第25a巻494頁)

 《フランス語版》  フランス語版にはこの注はない。


●第2パラグラフ

《経済学批判》

 〈それでも、貨幣のさまざまな形態規定性をつくりだす諸商品の変態の過程は、商品所有者たちをも変態させる。つまり商品所有者たちが互いに現われあう社会的性格を変化させる。商品の変態の過程では商品の保管者は、商品が移動するたびごとに、あるいは貨幣が新しい形態をとるたびごとに、その皮膚を変える。こうして商品所有者たちは、はじめはただ商品所有者としてだけ相対していたが、ついで一方は売り手に、他方は買い手になり、それから、どちらもかわるがわる買い手と売り手になり、ついでまた貨幣蓄蔵者になり、ついには金持になった。このように商品所有者たちは、彼らが流通過程にはいったままの姿ではそこから出てこない。じっさい、貨幣が流通過程で得るさまざまな形態規定性は、商品そのものの形態転換の結晶にほかならないが、この形態転換はまたそれとして、商品所有者たちが彼らの物質代謝をおこなうさいの変化する社会関係の対象的な表現にほかならない。流通過程のなかで新しい取引関係が発生し、この変化した関係の担い手として商品所有者たちは新しい経済的性格をもつようになる。〉(全集第13巻117頁)
  〈売り手と買い手は、債権者と債務者になる。商品所有者は、まえに蓄蔵貨幣の保管者として三枚目の役を演じたのに、こんどは彼は、自分ではなくその隣人を一定の貨幣額の定在と考え、自分ではなくこの隣人を交換価値の殉教者にするので、恐ろしいものとなる。彼は信心家から債権者となり、宗教から法学に転落する。
  「証文どおりに願います!」
〔"I stay here on my bond!”〕〉(全集第13巻119頁)

《初版》

  〈債権者または債務者という役柄は、ここでは、単純な商品流通から生じている。この商品流通の形態変化が、売り手と買い手とに、この新たな刻印を押すわけである。だから、それらは、さしあたり、売り手や買い手という役割と同じように、同じ流通当事者たちによってかわるがわるに演じられる束の間の役割である。とはいえ、この対立は、いまでは、生来あまり気持ちのよくないものに見えるし、また、いっそう結晶しやすい(80)。だがまた、これらの役柄は、商品流通にかかわりなく現われることもありうる。たとえば、古代世界の階級闘争は主として、債権者と債務者のあいだの闘争という形態で進行し、ローマでは平民債務者の没落で終わり、この債務者は奴隷に置き換えられた。中世には、闘争は封建的債務者の没落で終わり、この債務者は彼の政治権力をその経済的基盤とともに失った。とはいっても、貨幣形態--ところで、債権者と債務者との関係は貨幣関係という形態をとっている--は、ここでは、もっと深く根ざしている経済的生活諸条件の敵対性を反映しているにすぎない。〉(江夏訳131頁)

《フランス語版》

  〈債権者と債務者の性格は、ここでは単純な流通から生ずる。単純な流通の形態変化が、売り手と買い手に彼らの新たな極印を押すわけだ。したがって、当初この新たな役割は、もとの役割と同じく一時的であり、同じ役者たちによって交互に演ぜられるが、もはやそれほどお人好しの外観をもたず、彼らの対立は、凝固する性質をいっそう帯びやすくなる(46)。同じ性格は、商品流通にかかわりなく現われることもある。階級闘争の運動は、古代世界では、とりわけ、債権者と債務者とのあいだでつねに更新される戦闘という形態をとり、ローマでは、奴隷によって置き換えられる平民債務者の敗北と滅亡をもって終わる。中世では、闘争は封建的債務者の滅亡をもって終わる。この債務者は、彼の支柱になっていた経済的基盤が崩れるやいなや、政治権力を失う。とはいうものの、債務者にたいする債権者のこの貨幣関係は、この両時代では、もっと深い敵対関係を表面上反映しているにすぎない。〉(江夏・上杉訳116-117頁)


●原注97

《1861-1863年草稿》

  〈{資本の残忍さ
  「ここイングランドにおいては、商業に従事する人々のあいだて、他のいかなる人々の集団においても、また世界中の他のいかなる国においてもお目にかかれないような、残忍な精神がまかり通っている。」(2ページ。)(『信用と破産法に関する一論……』、ロンドン、17O7年。債務者と債権者のところでこれを引用すること。)}〉(草稿集⑨665頁)

《初版》

  〈(80) 18世紀初めのイギリス商人のあいだの債務者と債権者との関係については、次のように言われている。「このイギリスでは、商人たちのあいだで、ほかのどんな人間社会でも世界中のほかのどんな国でも出会えないような残忍な精神が、支配している。」(『信用と破産法にかんする一論、ロンドン、17O7年』、2ページ。)〉(江夏訳131頁)

《フランス語版》

  〈(46) 18世紀初めのイギリスの債権者と債務者との関係は、次のとおりである。「ここイギリスでは、商人たちのあいだに、ほかのどんな人間社会でも世界中のほかのどんな国でもこれと同じものには出会えないような残忍な精神が、支配している」(『信用と破産法にかんする一論』、ロンドン、1707年、2ページ)。〉(江夏・上杉訳117頁)


●第3パラグラフ

《経済学批判》

  〈だから、商品が現存し貨幣がただ代理されているにすぎない変化した形態のW-Gでは、貨幣はまず価値の尺度として機能する。商品の交換価値は、その尺度としての貨幣で評価される。だが価格は契約上測られた交換価値として、ただ売り手の頭のなかに実在するだけでなく、同時に買い手の義務の尺度としても実在する。第二に、この場合貨幣は、ただ自分の将来の定在の影を投げかけているだけであるとはいえ、購買手段として機能する。すなわち、貨幣は商品をその場所から、つまり売り手の手から買い手の手へと引き出す。契約履行の期限が来れぽ、貨幣は流通にはいっていく。なぜならば、貨幣は位置を転換して、過去の買い手の手から過去の売り手の手に移ってゆくからである。だが貨幣は、流通手段または購買手段として流通にはいるのではない。貨幣がそういうものとして機能したのは、それがそこにある以前のことであり、貨幣が現われるのは、そういうものとして機能することをやめたあとのことである。それはむしろ、商品にとっての唯一の十全な等価物として、交換価値の絶対的定在として、交換過程の最後のことばとして、要するに貨幣として、しかも一般的支払手段としての一定の機能における貨幣として流通にはいるのである。支払手段としてのこの機能では、貨幣は絶対的商品として現われるが、しかし蓄蔵貨幣のように流通の外部にではなく、流通そのものの内部に現われるのである。購買手段と支払手段との区別は、商業恐慌の時期には、きわめて不愉快に目だってくる。〉(全集第13巻119-120頁)
  〈はじめ流通のなかに生産物の貨幣への転化が現われるのは、商品所有者にとっての個人的必要としてにすぎないのであって、それは彼の生産物が彼にとっては使用価値ではなく、その外化によって(譲渡によって--引用者)はじめて使用価値となるべきものであるかぎりにおいてのことである。ところが、契約期限に支払うためには、彼はあらかじめ商品を売っていなければならない。だから販売は、彼の個人的欲望とはまったく無関係に、流通過程の運動によって彼にとってひとつの社会的必然に転化される。ある商品の過去の買い手として彼は、購買手段としての貨幣ではなく、支払手段としての貨幣、交換価値の絶対的形態としての貨幣を手に入れるために、よんどころなく他の商品の売り手となるのである。完結行為としての商品の貨幣への転化、つまり自己目的としての商品の第一の変態は、貨幣蓄蔵では商品所有者の気まぐれに見えた変態は、いまや一つの経済的機能になってしまっている。支払をするための販売の動機と内容とは、流通過程そのものから発生する販売の内容である。〉(全集第13巻120頁)

《初版》

  〈商品流通の部面に立ち戻ろう。商品と貨幣という二つの等価物が、販売過程の両極に同時に現われなくなった。いまや貨幣は、第一には、売られる商品の価格決定における価値尺度として機能する。契約で確定されたその商品の価格が、買い手の債務を、すなわち、買い手が特定期日に借りている貨幣額を、測ることになる。貨幣は、第二には、観念的な購買手段として機能する。それは、買い手の貨幣支払約束のうちにしか存在しないとはいえ、商品の持ち手変換をひき起こす。満期の支払期限に初めて、支払手段が現実に流通のなかにはいってくる、すなわち、買い手の手から売り手の手に移る。流通手段が蓄蔵貨幣に転化したのだ。なぜならば、流通過程が第一段階で中断したからである、すなわち、商品の転化された姿態が、流通から引き上げられたからである。支払手段は流通のなかにはいってくるが、このことは、商品がすでに流通から出て行ったあとのことである。貨幣はもはや流通過程を媒介しない。貨幣は、交換価値の絶対的存在あるいは一般的商品として、一本立ちで流通過程を閉じる。売り手が商品を貨幣に転化させたのは、貨幣によってある必要をみたすためであり、貨幣蓄蔵者がそうしたのは、商品を貨幣形態で保存するためであり、債務を負った買い手がそうしたのは、支払いができるようになるためであった。彼が支払いをしなければ、彼の持ち物は強制的に売却される。だから、商品の価値姿態である貨幣が、いまでは、流通過程そのものの諸関係から発生する社会的必然によって、販売の自己目的になる。〉(江夏訳131-32頁)

《フランス語版》  フランス語版では、二つのパラグラフに分けられている。

  〈商品流通に立ち戻ろう。商品と貨幣という等価物が販売の両極に同時に出現しなくなった。いまや貨幣が、第一に、売られる商品の価格決定にあたって価値尺度として機能する。契約によってきめられたこの価格は、買い手の債務を、すなわち、買い手が一定期間借りている貨幣額を、測るわけである。
  次いで貨幣は、観念的な購買手段として機能する。貨幣は、買い手の約束のうちにしか存在しないが、それでもなお商品の移動をもたらす。支払期日にはじめて、貨幣は支払手段として流通に入る。すなわち、買い手の手から売り手の手に移る。流通運動がその前半で止められたために、流通手段が蓄蔵貨幣に転化した。支払手段は流通に入るが、それは商品が流通から脱出した後のことであるにすぎない。売り手は自分の必要をみたすために、貨幣蓄蔵者は商品を一般的等価形態のもとで保蔵するために、最後に、買い手=債務者は支払いをなしうるために、商品を貨幣に転化した。彼が支払わなければ、彼の財産の強制売却が行なわれる。商品がその価値姿態である貨幣に変換することは、このようにして、生産者=交換者の個人的な必要や空想にかかわりなく彼に課せられる社会的必然になる。〉(江夏・上杉訳117頁)


●第4パラグラフ

《経済学批判》

  〈この形態の販売では、商品はその位置転換をおこない、流通するが、他方、その第一の変態、その貨幣への転化は延期する。これに反して、買い手の側では、第一の変態がおこなわれないうちに第二の変態がおこなわれる。すなわち、商品が貨幣に転化されないうちに、貨幣が商品に再転化される。だからこの場合には、第一の変態が第二の変態よりもあとの時期に現われる。そしてそれとともに、第一の変態における商品の姿である貨幣は、新しい形態規定性を得る。貨幣、つまり交換価値の独立の展開は、もはや商品流通の媒介形態ではなくて、それを完結する形態である。〉(120頁)

《初版》

  〈買い手は、自分が商品を貨幣に転化させる以前に、貨幣を商品に再転化させている。すなわち、第一の商品変態よりも以前に第二の商品変態を行なう。売り手の商品は、流通するが、それの価格を私法上の貨幣請求権のうちにのみ実現している。その商品は、貨幣に転化する以前に使用価値に転化している。その商品の第一変態は、あとになって初めて行なわれるのである。〉(江夏訳132頁)

《フランス語版》  フランス語版ではこのパラグラフは大幅に書き換えられている。

  〈農が織工から20メートルのリンネルを2ポンド・スターリングの価格--それは小麦1クォーターの価格でもある--で買い、1ヵ月後にその支払いをする、と仮定しよう。農民は自分の小麦を貨幣に転化してしまう以前に、これをリンネルに転化している。したがって、彼は、自分の商品の第一変態以前に、それの最終変態を果たしている。次いで彼は小麦を2ポンド・スターリングで売り、この2ポンド・スターリングをきまった期日に織工に渡す。実在の貨幣はもはやここでは、彼にたいして、リンネルを小麦に置き換える仲介者の役を果たさない。このことはすでに行なわれてしまった。それどころか、貨幣は彼にとっては、それが彼の提供しなければならない絶対的な価値形態、すなわち普遍的な商品であるかぎり、取引の最後の言葉なのである。織工について言えば、彼の商品は流通してその価格を実現したが、このことはただ、民法から生ずる請求権によるものでしかない。彼の商品は貨幣に転化される以前に、他人の消費に入りこまされる。したがって、彼のリンネルの第一変態は、一時停止されたままであり、後ほど、農民の債務の支払期日にはじめて果たされるわけである(47)。〉(江夏・上杉訳117-118頁)


●原注98

《経済学批判》

  〈これと反対にG-Wの過程では、貨幣の使用価値が実現されるまえに、つまり商品が譲渡されるまえに、貨幣が現実的購買手段として外化され(譲渡され--引用者)、こうして商品の価格が実現されることがありうる。これは、たとえば前払いという日常的形態でおこなわれている。あるいはまた、イギリスの政府がインドのライヤト(*)からアヘンを買う形態やロシアに定住する外国商人がロシアの国産品を大量に買う形態でおこなわれている。けれどもこういう場合には、貨幣はすでに知られている購買手段の形態で作用するだけであり、したがってなんらの新しい形態規定性をもとらない(*)。だからわれわれは、この場合についてはこれ以上述べないが、しかしG-WとW-Gという二つの過程がここで現われてくる転化された姿について、次の点を注意しておこう。すなわち、流通で直接に現われるような、購買と販売とのただ頭のなかで考えられた区別は、いまや現実的な区別となること、この区別は、一方の形態では商品だけが、他方の形態では貨幣だけが現存しており、しかもどちらの形態でも主導的にふるまう極だけが現存しているという点にあることである。そのうえこの二つの形態は、そのどちらにあっても一つの等価物はただ買い手と売り手との共通の意志のなかにだけ現存し、この意志は両者を拘束し、一定の法律的形態をとる、という共通点をもっている。

  (*) もちろん、資本は貨幣の形態でも前貸しされるのであり、前貸しされた貨幣は前貸しされた資本であるかもしれない。だが、この視点は単純流通の視野のなかにははいらない。
  (*) ライヤト--インドの小農で18世紀末に新地税法が実施されるまでは、村落共同体の完全な権利をもつ成員であった。1793年にいわゆるザミーンダーリー制度が実施されたベンガル、ビハール、オリッサ等の地方では、ライヤトはザミーンダールすなわち地主の小作人となった。ボンベイとマドラス管区ではライヤトは国有地を用益のために受け取って、その分与地にたいして、生産物のなかばにも及ぶ高率の地税を支払うことになった。〉(全集第13巻118-119頁)

《初版》 初版にはこの注はない。

《フランス語版》

  〈(47) 私の以前の著書である『経済学批判』、1859年、からの次の引用文は、なぜ私が本文で反対の形態を述べなかったか、その理由を示すものである。「逆に、A-Mという過程では、貨幣が購買手段として手放され、このようにして商品の価格が、貨幣の使用価値が実現される前に、あるいは、商品が譲渡される前に、実現されることがありうる。このことは、たとえぱ前払いの形態で毎日行なわれているし、このようにしてイギリス政府はインドで農夫から阿片を買っているのである。ところが、このばあい、貨幣はつねに購買手段として作用し、どんな新たな特殊形態をも得るわけではない。……もちろん、資本も貨幣形態で前貸しされるが、単純な流通の地平線上にはまだ現われてこない」(同上、119一120ページ)。〉(江夏・上杉訳118頁)

 

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