『資本論』学習資料No.21(通算第71回)(1)
◎価値形態の論理的展開と価値形態の歴史的発展(大谷新著の紹介の続き)
今回も前回と同様、大谷禎之介著『資本論草稿にマルクスの苦闘を読む』の「Ⅲ 探索の旅路で落ち穂を拾う」の「第11章 マルクスの価値形態論」を取り上げます。今回は「価値形態の論理的展開と価値形態の歴史的発展」という興味深い問題を論じている部分を紹介しましょう。
『資本論』の価値形態は周知のように〈A 単純な価値形態、B 開展された価値形態、C 一般的な価値形態、D 貨幣形態〉という順序で展開されています。そこで大谷氏は〈いま挙げたA→B→C→Dという展開過程は,価値形態の歴史的発展とどのような関連をもつのであろうか。それは,歴史的発展をたんになぞるだけのものなのであろうか。それとも,歴史的発展とはまったくなんの関係ももたない論理的展開であって,歴史的発展と一致するとしても,それはまったく偶然でしかないのであろうか。〉(511-512頁)と問題を提起しています。
そして大谷氏はこの問題を考えるために、その移行をA→B→Cの移行とC→Dの移行との二つに分けて、前者については、〈価値形態の論理的展開の順序と価値形態の歴史的発展の順序とは,基本的には一致する〉(512頁、太字は大谷氏による傍点による強調箇所、以下同じ)とし、後者については、その移行は前者とは大きく性格を異にしていること、この移行は新たな形態への発展ではないこと、だからこの移行には論理的に必然的なものはないこと、この過程は交換過程で明らかにされること、だからここでは〈それはまだその移行の原因を知らないままに,形態Cが形態Dに移行する事実を述べただけであって,われわれはいわば理論的な展開における借りをもつことになる〉(514頁)と説明しています。
そして、では、この両者は価値形態の移行として性格が異なるのに、どうしてそれは同じ価値形態の発展のなかで論じられているのか、という問題について、次のように述べています。
〈それでは,なぜ,このように,論理的な必然性によって展開されるA→B→Cだけでなく,その必然性がのちにはじめて明らかにされ,しかも歴史的過程に即しているC→Dの移行が,価値形態論のここのところで示されるのであろうか。それは,C→Dの移行も,それまでの論理的な移行とは性格を異にするとは言え,たしかに価値形態の移行として独自の意味をもっているというばかりでなく,なによりも,最後の貨幣形態(D)こそが価値形態の完成した形態であって,ここまで展開を進めることによってはじめて,最初に立てられた〈貨幣形態の謎〉および〈貨幣の謎〉を示す貨幣形態および貨幣に到達することになるのであり,かくしてそれらの謎が最終的に解明されることになるのだからである。〉 (514-515頁)
ここで大谷氏が〈最初に立てられた〈貨幣形態の謎〉および〈貨幣の謎〉〉と述べているのは、恐らく『資本論』「第1章 商品」の「第3節 価値形態または交換価値」の前文ともいうべきところで、次のように述べていることを指しているのでしょう。
〈諸商品は、それらの使用価値の雑多な現物形態とは著しい対照をなしている一つの共通な価値形態--貨幣形態をもっているということだけは、だれでも、ほかのことはなにも知っていなくても、よく知っていることである。しかし、いまここでなされなければならないことは、ブルジョア経済学によってただ試みられたことさえないこと、すなわち、この貨幣形態の生成を示すことであり、したがって、諸商品の価値関係に含まれている価値表現の発展をその最も単純な最も目だたない姿から光まばゆい貨幣形態に至るまで追跡することである。これによって同時に貨幣の謎も消え去るのである。〉 (全集第23a巻65頁)
この前文は、「第1章 商品」のなかで第3節がどういう役割を持っているのかをマルクス自身が語っているという点で重要なところです。大谷氏は第3節、つまり「価値形態論」の目的は、「貨幣形態の謎」および「貨幣の謎」を解明することにあると考えているようです。この考えは、久留間鮫造氏のものであって、氏は『価値形態論と交換過程論』(岩波書店)の中で次のように述べています。
〈「資本論」における価値形態論の目的は、商品の価格すなわち貨幣形態の謎を、そしてそれと同時にまた貨幣の謎を解くことにある。ここに貨幣形態の謎というのは、一般に商品の価値が特殊の一使用価値--金--の一定量という形態で表現されることの謎であり、貨幣の謎というのは、このばあい金の使用価値--本来価値の反対物たるもの--がそのまま一般に価値として妥当することの謎である。〉 (4頁)
このように久留間氏も大谷氏も第3節の目的は「貨幣形態の謎」あるいは「貨幣の謎」を解くことにあるかに主張されるのですが、しかし先に紹介した第3節の前文を丁寧に読めば分かりますように、マルクス自身は〈これによって同時に貨幣の謎も消え去るのである〉と貨幣の謎が消え去ることは一つ結果であって、いわばついでにそうした問題も解決されるのだと述べているだけです。だからこの一文を持って、第3節の課題は「貨幣形態の謎」や「貨幣の謎」を解くことにあるのだという両者の主張は受け入れ難いものです。
では第3節の本来の課題はどう考えればよいのでしょうか。それは第3節の前文の冒頭の一文を読めば分かります。
〈商品は、使用価値または商品体の形態をとって、鉄やリンネルや小麦などとして、この世に生まれてくる。これが商品のありのままの現物形態である。だが、それらが商品であるのは、ただ、それらが二重なものであり、使用対象であると同時に価値の担い手であるからである。それゆえ、商品は、ただそれが二重形態、すなわち現物形態と価値形態とをもつかぎりでのみ、商品として現われるのであり、言いかえれぽ商品という形態をもつのである。〉 (全集第23a巻64頁)
ここでマルクスが商品が〈商品という形態をもつ〉ということで何を言いたいのかというと商品がその姿形だけで、それが商品であると分かるようになるということです。しかし商品の直接の姿形、すなわち現物形態というのは、鉄やリンネルや小麦などの使用価値です。しかしそれらの使用価値を見ているだけでは、それが商品かどうかは分かりません。商品がその姿形ですぐに商品と分かるものというのは、私たちがいつも行くスーパーなどの陳列棚で見ているものを思い浮かべればすぐに分かります。つまり値札が付いているということです。商品はそれに値札が付いていて、初めてそれが商品であると分かるのです。例えば中古車販売店の前に並べられた中古車を見た場合を考えてみましょう。中古車を見ただけでは、それが商品なのかそれともその販売店の人の私物なのかどうは分かりません。しかし中古車のフロントガラスに「○○万円」と書かれた値札が付いていれば、すぐにそれが商品であることが分かります。だからマルクスが〈商品は、ただそれが二重形態、すなわち現物形態と価値形態とをもつかぎりでのみ、商品として現われる〉というのは、現物形態、すなわち使用価値だけではなく、価値形態、つまり値札を持っているかぎで、商品として〈現われる〉、商品であるということを自ら示すのだということです。
つまり第3節の課題というのは、商品とはそもそも何かということを明らかにするために、どうして商品には値札が付いているのかを明らかにすることなのです。そのためには〈貨幣形態の生成を示す〉必要があり、そのために〈諸商品の価値関係に含まれている価値表現の発展をその最も単純な最も目だたない姿から光まばゆい貨幣形態に至るまで追跡〉しているのです。そしてそうすれば〈同時に貨幣の謎も消え去る〉ということです。
だから価値形態論の展開がどうして貨幣形態まで展開されているのかという理由は、もはやまったく明らかです。それは商品にはどうして値札が付いているのかを明らかにするためには、価値関係に含まれている価値表現を貨幣形態にまでその発展をあとづけて、初めてそれが分かるからなのです。この点では、大谷氏の理解は久留間鮫造氏の理解から一歩も前に進んでいないといわざるを得ないでしょう。
今回もやや批判めいたものになってしまいましたが、とりあえず、大谷新著の紹介はこれぐらいにして、本題に入りましょう。今回から、「第3章 貨幣または商品流通」の「第3節 貨幣」の「b 支払手段」に入ります。
◎第1パラグラフ(商品流通の発展につれて、商品の譲渡を商品価格の実現から時間的に分離するような事情が発展する。商品の変態または商品の価値形態の展開が変わるのだから、貨幣もまた別の一機能を受け取る。貨幣は支払手段になる。)
【1】〈(イ)これまでに考察した商品流通の直接的形態では、同じ大きさの価値量がいつでも二重に存在していた。(ロ)すなわち一方の極に商品があり、反対の極に貨幣があった。(ハ)したがって、商品所持者たちは、ただ、現に双方の側にある等価物の代表者として接触しただけだった。(ニ)ところが、商品流通の発展につれて、商品の譲渡を商品価格の実現から時間的に分離するような事情が発展する。(ホ)ここでは、これらの事情の最も単純なものを示唆するだけで十分である。(ヘ)一方の商品種類はその生産により長い時間を、他方の商品種類はより短い時間を必要とする。(ト)商品が違えば、それらの生産は違った季節に結びつけられている。(チ)一方の商品は、それの市場がある場所で生まれ、他方の商品は遠隔の市場に旅しなければならない。(リ)したがって、一方の商品所持者は、他方が買い手として現われる前に、売り手として現われることができる。(ヌ)同じ取引が同じ人々のあいだで絶えず繰り返される場合には、商品の販売条件は商品の生産条件に従って調整される。(ル)他方では、ある種の商品の利用、たとえば家屋の利用は、一定の期間を定めて売られる。(ヲ)その期限が過ぎてからはじめて買い手はその商品の使用価値を現実に受け取ったことになる。(ワ)それゆえ、買い手は、その代価を支払う前に、それを買うわけである。(カ)一方の商品所持者は、現に在る商品を売り、他方は、貨幣の単なる代表者として、または将来の貨幣の代表者として、買うわけである。(ヨ)売り手は債権者となり、買い手は債務者となる。(タ)ここでは、商品の変態または商品の価値形態の展開が変わるのだから、貨幣もまた別の一機能を受け取るのである。(レ)貨幣は支払手段になる(96)。〉
(イ)(ロ)(ハ) これまでに考察した商品流通の直接的形態では、同じ大きさの価値が二重に現存していました。すなわち一方の極には商品があり、反対の極に貨幣がありました。ですから商品所持者たちは、もっぱら、双方の側に現存する等価物の代表者として接触したのでした。
この部分はフランス語版の方が分かりやすいので、紹介しておきましょう。
〈これまでに考察してきた商品流通の直接的形態では、同じ大きさの価値が、一方の極には商品、反対の極には貨幣というように、いつでも二重に存在していた。だから、商品所持者たちは、相互に対面しあっている諸等価物の代表者として、接触していたにすぎない。〉 (江夏・上杉訳116頁)
さて、私たちがこれまで考察してきた単純な商品流通というのは、W-G-Wです。つまり商品と貨幣との交換(販売)と貨幣と商品との交換(購買)です。これは単純な商品流通をいわば理想化して、その限りでは一般的・抽象的に見たものなのです。それはまた同時に商品流通のより原初的なものといえるのかも知れません。〈買い手と売り手との対立には、ブルジョア的生産の敵対的性質がまだきわめて表面的かつ形式的に表現されているだけであって、この対立は、ただ諸個人が商品の所有者として互いに関係することを必要とするだけであるから、それは前ブルジョア的社会諸形態にも属しているほどである。〉(全集第13巻77頁)
つまりこれまでの商品流通では、一方の極に商品があり、反対の極には貨幣がありました。だから流通の当事者たちは、それぞれ双方の等価物(一つは商品の、他方は貨幣の)代表者として、相対したのでした。
(ニ)(ホ) ところが、商品流通が発展するのにつれて、商品の譲渡を商品価格の実現から時間的に分離するような事情が発展してきます。ここでは、これらの事情のうちの最も単純なものを示唆するだけで十分でしょう。
しかし単純な商品流通をより具体的にみれば、あるいはより発展したものになると、こうした流通だけではないことになります。つまり商品の所持者と貨幣の所持者が対面して互いに等価物を交換するというような商品流通とは違った流通が生じてくるのです。それはいわゆる「掛売り」と言われるものです。この場合は、商品の所持者は商品を販売してそれを譲渡しますが、しかし彼はすぐにその価格の実現形態としての貨幣を受け取らずに、一定の約定された期間のあとに受け取ることになります。つまり商品の譲渡とその価格の実現とが時間的に分離してくるのです。こうした分離が生じる事情はいろいろとありますが、ここでは最も単純なものを紹介しておきましょう。
(ヘ)(ト)(チ)(リ)(ヌ) ある商品種類はその生産により長い時間を、ほかの商品種類はより短い時間を必要とします。さまざまの商品は、それらの生産がさまざまの違った季節に結びつけられています。一方の商品は、それの市場のあるところで誕生し、他方の商品は、遠く離れた市場にまで旅をしなければなりません。ですから、一方の商品所持者が買い手として現われる前に、他方の商品所持者が売り手として現われることができるのです。同じ取引が同じ人々のあいだでたえず繰り返される場合、商品の販売条件が商品の生産条件に従って調整されるようになります。
私たちがこれまで考察してきた単純な流通では、商品と貨幣はただ市場に現われて互いに交換されるだけでした。だからその商品が市場に現われるまでに辿る過程であるとか、それがどのように生産されたのかなどということはまったく考える必要はありませんでした。貨幣もその貨幣の所持者がどのようにしてその貨幣を入手したのかなどということも問題になりませんでした。
しかし商品流通がますます発展してくると、そうした商品が生産される諸条件が現実の流通のなかにも反映してくるのです。マルクスは『経済学批判・原初稿』では〈媒介された、自分のうちに曲げ戻された、それ自体すでに社会的に統制されている流通〉(草稿集③38頁)などという難しいことを言っていますが、ようするに、商品を生産し、それを市場にもたらすための諸条件が流通を規制してくるということです。
だからある種類の商品(例えば船など)はその生産により長い時間がかかり、他の商品(上着など)はより短い時間で生産できるとか、あるいはさまざまな商品、例えば穀物であるとか、綿花などは、それが商品として市場に出回るのは違った季節と結びついています。あるいはまたリンネルや上着などはイギリスの市場に近いところで生産されますが、綿花や絹などは遠く離れたところで生産され、イギリスの市場にくるまでに長い旅をしなければなりません。
こうしたさまざまな商品の生産の諸事情によって、一方の商品の所持者が買い手として市場に現われる前に、他方の商品所持者が売り手として現われるというようなことになり、売り手と買い手が時間的に分離してくることになるのです。
こうした諸商品が生産される諸条件やそれらが市場に現われるまでの諸事情というのは、しかし流通当事者が同じ商品の取り引きを頻繁に繰り返すようになると、互いにそれらの諸事情を考えて商品の売買を行なうようになります。一定期日後には買い手の商品が売れて代金を支払うことが確実ならば、とりあえず買い手に必要な商品を販売して、代金は買い手の商品が売れてから支払ってもらうというような流通当事者同士の合意があれば、支払約束だけでとりあえず商品を譲渡するというような売買が生じてくるわけです。つまり自然発生的に「掛売り」や「掛買い」の慣習が生じてくるのです。交換当事者同士の合意で行なわれる限りではそれは社会的に統制された流通といえます。製糸業者が綿花を輸入商から購入する場合、製品の糸が販売して得た貨幣が手に入ることを目当てに、一定期日後に支払う約束をして、まずは綿花を購入することや、綿布製造業者も材料の糸を製品である綿布が売れて入手した貨幣で支払ことを目当てに一定期日後の支払約束で購入するというようなことが流通当事者同士の合意のもとで行なわれるようになるのです。
(ル)(ヲ)(ワ) 他方では、ある種の商品の利用、たとえば家屋の利用は、一定の期間を決めて売られます。その期限が過ぎたのちに、はじめて買い手はその商品の使用価値を現実に受け取ったことになります。ですから買い手は、その代価を支払う前に、それを買うわけです。
しかし商品の譲渡とその価格の実現が分離する事情というのはこうした場合だけではなく、ある特定の商品の場合は、その使用価値そのものの独特の性格からこうした分離をもたらす場合もあるのです。例えば家屋の利用というのがそれです。家屋を一カ月利用とするいう使用価値を販売する場合、一カ月が経ってはじめてその使用価値をすべて譲渡したことになります。だからその価格の実現も一カ月後に受け取ることになります。だからこの場合は買い手は、その代金を支払う前に、それを買うことになるのです。『経済学批判』の説明を紹介しておきましょう。
〈一連の使用価値は、その性質上、商品の実際の引渡しとともにではなく、ただ一定の期間それをゆだねることによってはじめて現実に譲渡されるということになる。たとえば家屋の使用が1ヵ月だけ売られるとすると、その家屋は月のはじめにその持ち手を変えるけれども、その使用価値は1ヵ月が経過したあとではじめて引渡しずみとなる。この場合には、使用価値を事実上ゆだねることと、その現実の外化(譲渡--引用者)とは、時間的にくいちがっているから、その価格の実現も同じくその位置転換より遅れておこなわれる。〉 (全集第13巻121頁)
ここで紹介されているケース以外にも『経済学批判』では「注文」販売の例なども紹介されていますが、それはまあいいでしょう。
(カ)(ヨ) 一方の商品所持者は、現存する商品を売りますが、他方の商品所持者は、貨幣のたんなる代表者として、言い換えれば将来の貨幣の代表者として、買うのです。こうして売り手りが債権者となり、買い手は債務者となります。
こうした商品の譲渡とその価格の実現が分離してくるケース、例えば掛け売買のケースというのは、商品を持っている人はその商品を売りますが、他方の買い手はしかし貨幣を譲渡するわけではなく、ただ将来、一定期日後に支払うという約束をするだけです。この場合、買い手は将来の貨幣を代表をしているわけです。その支払約束が商品の譲渡を引き出したのです。こうして商品の売り手は債権者となり、買い手は債務者となります。
(タ)(レ) ここでは、商品の変態が、あるいは商品の価値形態の展開が、変化するので、貨幣もまた、別の一機能を受け取ります。貨幣は支払手段になります。
このように商品の変態が、あるいは商品の価値形態の展開が、変化するので、貨幣もまた別の一機能、支払手段という機能を受け取るのです。貨幣の機能がそれ自体として発展したのではなくて、商品流通そのものが変化したために、その変化した商品流通が貨幣の機能に新しい一機能を付け加えたのです。ここでも商品流通がまずあって貨幣(とその機能)もあるという原則を確認しておく必要があります。『経済学批判』から紹介しておきましょう。
〈貨幣が流通過程で得るさまざまな形態規定性は、商品そのものの形態転換の結晶にほかならないが、この形態転換はまたそれとして、商品所有者たちが彼らの物質代謝をおこなうさいの変化する社会関係の対象的な表現にほかならない。流通過程のなかで新しい取引関係が発生し、この変化した関係の担い手として商品所有者たちは新しい経済的性格をもつようになる。国内流通の内部では、貨幣は観念化されて、ただの紙片が金の代理者として貨幣の機能を果たすのであるが、それと同様に、この同じ過程は、貨幣または商品のたんなる代理者として流通にはいってくる買い手または売り手に、すなわち将来の貨幣または将来の商品を代理する買い手または売り手に、現実の売り手または買い手の効力をあたえる。金が貨幣として発展して獲得するすべての形態規定性は、商品の変態のうちにふくまれている諸規定の展開にほかならない。〉 (全集第13巻117-118頁)
◎原注96
【原注96】〈(96) (イ)ルターは、購買手段としての貨幣と支払手段としての貨幣とを区別している。(ロ)「汝は私に、私がここで支払うこともあそこで買うこともできないという、二重の損害を与える。」(マルティーン・ルター『牧師諸氏へ、高利に反対して、戒め』、ヴイッテンベルク、1540年。)〉
(イ) ルターは、購買手段としての貨幣と支払手段としての貨幣とを区別しています。
この原注は〈貨幣は支払手段になる。〉という最後の一文に対するものです。つまり貨幣がそれまでの流通手段(購買手段)とは異なる別の一機能が付け加わることを述べ、ルターはこうした貨幣の機能を区別していたことを紹介するものです。
(ロ) 「あなたは私に、ここで支払うことができず、あそこで買うことができない、という、両方の損害をもたらしている。」(マルティーン・ルター『牧師諸氏へ、高利に反対して、戒め』、ヴイッテンベルク、1540年。)
このルターの一文は、実は『資本論』の第3部第24章「利子生み資本の形態での資本関係の外面化」のなかで、利子というものが貨幣そのものに生え出てくるかのように考える、資本関係の物神性の一つとして紹介されています。
ルターは封建社会のキリスト教の戒律として、高利貸しには反対しているのですが、しかし実際に生じた損害に正当な賠償を求めることは認めているのです。つまり一つは貸した100グルデンが約束通りに返済されないために、その100グルデンがあれば買えたであろうものが買えず、そのためにそれで儲けられたものが儲けられなかったという損害です。もう一つは本来返されるべきときに返されなかったために支払ができず、そのために賠償を求めらるという損害です。つまり〈こちらでは支払ができず、あちらでは買うことができず、したがって両方で損をしなければならないという二重の損害〉(全集第25a巻494頁)については、それについて賠償を求めるのは正当だというのです。ところがそうするとすぐに高利貸し共が飛んできて、たちまち偽りの損失をでっち上げて、すべての100グルデンには〈自然にこのような二重の損失が生えついているかのように〉(同)主張し始めるというのです。こうした「架空の損失」こそ高利貸しの高利だというわけです。
◎第2パラグラフ(債権者と債務者、単純な商品流通と古代・中世社会)
【2】〈(イ)債権者または債務者という役割は、ここでは単純な商品流通から生ずる。(ロ)この商品流通の形態の変化が売り手と買い手とにこの新しい極印を押すのである。(ハ)だから、さしあたりは、それは、売り手や買い手という役割と同じように、一時的な、そして同じ流通当事者たちによってかわるがわる演ぜられる役割である。(ニ)とはいえ、対立は、いまではその性質上あまり気持ちのよくないものに見え、また、いっそう結晶しやすいものである(97)。(ホ)しかしまた、同じこれらの役割は商品流通にかかわりなく現われることもありうる。(ヘ)たとえば、古代世界の階級闘争は、主として債権者と債務者との闘争という形で行なわれ、そしてローマでは平民債務者の没落で終わり、この債務者は奴隷によって代わられるのである。(ト)中世には闘争は封建的債務者の没落で終わり、この債務者は彼の政治権力をその経済的基盤とともに失うのである。(チ)ともあれ、貨幣形態--債権者と債務者との関係は一つの貨幣関係の形態をもっている--は、ここでは、ただ、もっと深く根ざしている経済的生活条件の敵対関係を反映しているだけである。〉
(イ)(ロ)(ハ) 債権者または債務者という役柄は、ここでは単純な商品流通から生じます。商品流通の形態の変化が売り手と買い手とに、この新しい極印を押すのです。ですから、さしあたりはそれは、売り手や買い手という役柄と同じく、つかのまの、また同じ流通当事者たちがかわるがわる演じる役割です。
債権者または債務者というのは、一般にはお金の貸し手と借り手という意味で使われますが、ここでは商品流通の内部で生じてくる関係を問題にしています。つまり商品の流通の仕方がそれまでとは違って、それまでは商品の売り手と買い手という役割という役割だったのが、それとは別の役割として債権者と債務者という役割が流通当事者に押しつけられるのです。だからさしあたりは、誰もが債権者になれば債務者にもなり、同じ流通当事者がかわるがわる演じる役割ともいえるわけです。
(ニ) とはいえ、債務者と債権者との対立は、いまではその性質上あまり気持ちのよくないものに見え、また、いっそう固着しやすいものです。
しかし債権者と債務者の役割は、その性質上、買い手と売り手ほどには、それほど気持ちのよいものではありません。〈だがまえには、価値章標の一般的象徴性が国家の保証と強制通用力とをよびおこしたように、いまは買い手の人格的象徴性が商品所有者間の法律的強制力ある私的契約をよびおこすのである。〉(全集第13巻117頁)とあるように、債務者は将来の貨幣を代表して、商品を購入するのですから、その代金の支払義務が生じるからです。それは法律的強制力にる支払義務です。だからその代金が支払えないなら貨幣を代表している購買者の身体で払ってもらうということにもなりかねません。だからまた金持ちはさらに金持ちになり、貧乏人がさらに貧乏人になるように、債務者は再び債務者に落ちるというように、ある特定の人たちに債務者という極印が固着してくることになるのです。しかしまあ一般的には、商品流通の当事者同士での債権・債務の関係というのは、互いに与え合うものですから、それほど深刻ではありません。しかし手形の不渡りを出して破産すれば、破産管財人によってすべての財産を差し押さえられ、売り払ってでも支払を強制されるという冷酷な関係でもあるわけです。
(ホ) しかし、同じこれらの役柄が、商品流通にはかかわりなく現われることもあります。
しかし同じ債権・債務の関係が、商品流通とはかかわりなしに現われてくることもあるのです。そしてこれの方が歴史的にはより一層深刻な結果をもたらしたのです。
(ヘ) たとえば、古代世界の階級闘争は、主として債権者と債務者との闘争という形態をとって行なわれ、ローマでは平民債務者の没落で終わり、この債務者に代わって奴隷が登場します。
例えば古代世界の階級闘争は主要には債権者と債務者との間の闘争という形態をとったのです。ローマでは貴族がありあまる銅を平民に貸し付けて(当時は銅が貨幣でした)、平民を債務者にし、銅の価値の騰貴によって、債務者の債務が膨らみ、その没落を促進したと言われています。『経済学批判要綱』にはジエルマン・ガルニエ『貨幣の歴史……』からの抜粋として次のようなものがあります。
〈ローマ建国紀元7世紀に、クロディウス法典が銀1[1/2]スクループルムからローマ鋳貨をつくった。それは通常、1重量ポンドの銅、すなわち12オンスの重さのあるアスと交換された。こうして銀と銅との割合は192:1となり、銅が最も減価した時期よりも5倍も〔銀にとって〕弱い割合になったが、それは〔銅の〕輸出の結果であった。それでもなお銅は、ローマではギリシアおよびアジアでよりも安かった。貨幣材料の交換価値におけるこの大革命は、それが完遂されていくに従って、不幸な平民の運命を冷酷無情に悪化させていった。彼らは貸付金として減価した銅を受け取っていた。しかも彼らは、それをそのときの時価で支出あるいは充用したから、彼らの契約の文面どおり、彼らが実際に借入れた金額の5倍もの負積を抱え込むことになったのである。彼らは身代金を払って奴隷から自由の身となる手段をなにひとつもっていなかった。……平民は債務の修正、負債額の新評価、彼らの最初の債務証書の更正を要求した。債務者たちが元金の返済を要求することはなかったのだが、利子の支払そのものが耐えがたいものとなっていた。……元老院議員は、人民を最もみじめな従属状態においておくための手段を奪われることを好まなかった。ほとんどすべての土地所有の主たちは、彼らの債務者たちに枷をはめ、体刑を課すことを彼らに認めた法的権原で身をかためて、反乱を鎮圧し、最も反抗的な分子にたいして暴虐をはたらいた。どの貴族の屋敷も監獄であった。ついに人々は戦争を起こしたのであって、この戦争は、債務者には給料が手に入るようにさせるとともに、加えて差押えを停止させ、そして債権者には富と権力との新たな源泉をひらいた。これが、ピュルス王の敗北、タラントの占領、サムニウム人やルカニア人やその他の南イタリアの諸民族にたいする大勝利、等々が起きたころのローマの内部の状態であった。……〉 (草稿集②660-661頁)
また『資本論』第3部第30章「資本主義以前」では次のような一文があります。
〈ローマの貴族の高利がローマの平民や小農民をすっかり破滅させてしまったとき、この搾取形態は終わりを告げたのであって、そのとき純粋な奴隷経済が小農民経済にとって代わったのである。〉 (全集第25b巻768頁)
(ト) 中世には、闘争は封建的債務者の没落で終わり、この債務者は自分の政治権力をその経済的基盤とともに失ったのです。
また中世では、階級闘争は封建的な債務者の没落で終わり、債務者である貴族や土地所有者たちは、彼らがブルジョアになりあがるケース以外は、没落し、その政治権力を失ったのです。『資本論』には中世の高利資本について次のような記述があります。
〈中世にはどこの国にも一般的な利子率というものはなかった。教会ははじめからいっさいの利子取引を禁止していた。法律も裁判も貸付をほとんど安全にしなかった。それだけに個々の場合の利子率は高かった。わずかな貨幣流通、たいていの支払を現金ですることの必要は、貨幣の借入れを余儀なくさせた。そして、手形取引がまだ発達していなければいないほど、ますますそうだった。利子率についても高利の概念についても大きな相違があった。カール大帝時代には、100%を取る者がいれば、それは高利とみなされた。ボーデン湖畔のリンダウでは1344年に土着の市民たちが216%を取った。チューリヒでは市会が43[1/6]%を法定利子と定めた。イタリアでは、12-14世紀には普通の率は20%を越えなかったにもかかわらず、ときには40%を支払わなければならなかった。ヴェロナは12[1/8]%を法定利子と定めた。皇帝プリードリヒ2世は10%と定めたが、これはただユダヤ人だけにたいしてのことだった。キリスト教徒については彼は言おうとしなかった。ライン沿岸のドイツではすでに13世紀には10%が普通だった。(ヒュルマン、都市制度の歴史〔『中世の都市制度』〕、第2巻、55-57ページ。)〉 (全集第25b巻771頁)
(チ) とはいえ、貨幣形態は--そして債権者と債務者との関係は貨幣関係という形態をとるのですが--、ここではただ、もっと深く根ざしている経済的生活条件の敵対関係を反映しているだけなのです。
しかしこうした古代や中世の債権・債務関係というのは、確かに貨幣関係をとっていますが、それはもっと深く経済的生活諸条件の敵対的関係に根ざしたものであり、その反映なのです。
なおここに出てくる古代や中世では階級闘争が債権者と債務者との闘いだったということについて、むかし大阪市でやっていた「『資本論』学ぶ会」でも問題になり、「学ぶ会ニース」№44(2000.8.15)で次のように書きましたので、紹介しておきます。
【ここでローマや中世の階級闘争が債権者と債務者とのあいだの闘争という形態で行われたというのですが、具体的にどうなのか、という質問です。これは実際、ローマや中世の歴史を研究しなければ分からない面もありますが、マルクス自身、別の所でそうしたものに触れていないか調べてみました。
マルクスは『資本論』第3巻第5篇第36章「先資本制的なるもの」で「高利資本」について述べています。まず「古代ローマで、製造業がまだ古代的な平均的発展よりもはるかに低い状態にあった共和制後期いらい、商人資本、貨幣取扱資本、および高利資本が--古代形態の内部では--その最高点まで発展していた」と指摘しています。そして資本主義以前の高利資本は「第一には、浪費的豪族・本質的に土地所有者・への貨幣貸付による高利であり、第二には、自分自身の労働諸条件を所有している小生産者への貨幣貸付による高利である」と述べています。そして「ローマ貴族の高利がローマ平民--小農--をすっかり破滅させた時、この搾取形態は終わりをつげたのであって、純粋な奴隷経済が小農経済の代わりに現れた」と述べています。また別のところでは「ローマの貴族が平民を破滅させ、平民を軍務--平民が労働諸条件を再生産することを妨げた軍務--に駆り立て、かくして平民を窮乏化させた(そして再生産諸条件の窮乏化、萎縮または喪失はこの場合の支配形態である)ところの戦争、--この同じ戦争は、当時の貨幣たる分捕り品の銅をもって貴族の倉庫や地下室をいっぱいにした。貴族は平民にたいし、必要品たる穀物や馬や有角家畜を直接与える代わりに、自分自身にとっては無用なこの銅を貸付け、この状態を利用して法外な高利を搾り取り、かようにして平民を自分の債務奴隷たらしめた。カール大帝治下では、フランクの農民がやはり戦争によって破滅させられたのであって、彼らは債務者から農奴となるほかはなかった。ローマ帝国では周知のように、しばしば飢饉のために自由民が子供や自分自身を奴隷として富者に売るにいたる、ということが生じた」とあります。これで古代ローマについてはだいたい分かったのはないでしょうか?
では中世についてはどうでしょうか? 『経済学批判1861-63年草稿』を見ると1527-8頁で、「近代社会の諸要素への中世的ブルジョア的社会の分解--世界貿易や金鉱発見によって促進された過程--の時代に生きていた」ルターの著書『富者と貧者ラザロについての福音書にたいする説教』から引用して、次のように解説しています。
《ルターがここでわれわれに言っているのは、何にによって高利貸資本が成立するか、ということである。すなわち、市民(小市民および農民)、騎士、貴族、君主の破滅によって成立するということである。一方では、城外市民や農民や同職組合の剰余労働とさらに労働条件とが高利資本の手に流れてくる。……他方では、高利資本が取り上げる地代の所有者からである。つまり、浪費的で享楽的な富者から、である。高利が二つのことを引き起こすかぎりでは、すなわち、第一には一般に独立な貨幣財産を形成するということを、第二には労働条件をわがものにする、すなわち古い労働条件の所有者たちを破滅させるということを、引き起こすかぎりでは、高利は、産業資本のための諸前提の形成における強力な一手段--生産者からの生産手段の分離における強力な一能因--である。……一方では封建的な富と所有との破壊者としての高利。他方では小市民的、小農民的生産の、要するに生産者がなお彼の生産手段の所有者として現れているようなあらゆる形態の、破壊者としての高利。》】
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