Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

ヤモリ(守宮)の記憶

2017年05月22日 23時14分17秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 本日横浜駅の有隣堂で「世界」(岩波書店)6月号を購入した。何年ぶりの購入だろうか。たしか1990年頃まではときどき購入していた。一年に3~4冊、しかも全編をくまなく読んだことはない。だいたい2編くらいの論文を読んで、あとは岩波文庫と岩波新書の出版予定を見て、あとは新聞の間に挟んでチリ紙交換としていた。
 今回もそのようなことになりそうだが、2編ほどが目についたので購入してみた。明日読んでみようかと思っているが‥。
 一応今読みかけの文庫本と2冊を携えて出かけることにした。

 加藤楸邨句集から

★守宮(やもり)出て全身をもて考へる      望岳 1989年
★守宮出て真青な夜が玻璃に満つ 怒涛 1979年
 パキスタンにて病臥入院 三句
★守宮消ゆ搏(う)つもののなきいなびかり    吹越・絹の道(二) 1974年
★熱の中守宮と息を合はせをり 同上


 加藤楸邨句集(岩波文庫)の初句索引から守宮(やもり)で引いてみた。この内、第1句、第4句が私が守宮を見た感覚と近い。特に私の体験と寄り添っている。守宮のお腹の動きと、私の呼吸が共鳴する。
 今から何年前であろうか。娘がまだ小さかった。鉄筋コンクリート製のわが団地にヤモリが出てきた。私の部屋の本箱の棚を小さなヤモリが歩いていた。生まれたばかりの小さなヤモリだった。そっとつまんでベランダの外に出してやろうと思ったが、吸盤が本箱に吸い付いて離れない。力任せに引っ張るとヤモリの四肢がちぎれてしまいそうなので、5分以上時間をかけてそっと離した。小さい頃木造の家の北側の壁に貼り付いていたヤモリをすぐに思い出した。しかしヤモリの皮膚の感じがこんなにいとおしいと感じたことはなかった。
 それから十数年、50歳の頃、高熱で入院する直前、熱にうなされているときにふとこのヤモリのことが頭に浮かんだ。片頭痛と高熱にうなされ、目をつぶって頭を抱えているときに、何の脈絡もなく、このヤモリの冷たい皮膚の感触がとても懐かしく思い出された。幻のようにヤモリの形が現われては消えているうちに、救急車で病院に運び込まれた。

久しぶりにショパン

2017年05月22日 20時05分40秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 NHKFM放送で、シャルル・リシャール・アムランの演奏による、ショパンの「ノクターン作品62第1」、「バラード第3番作品47」、「幻想ポロネーズ」、「ロンド作品16」「4つのマズルカ作品33」、「ピアノ・ソナタ第3番作品58」「ポロネーズ“英雄”」、そしてユネスコのの「組曲第2番作品10から第3曲“パヴァーヌ”」を聴いた。昨年5月23日)に東京オペラシティ・コンサートホールで収録したもの。
 久しぶりのショパンである。心して聴こうと思っている。

 昨日は天気が良かったがウォーキングが出来なかったので、本日は所用を済ませながら、図書館まで往復、足を伸ばして横浜駅まで歩いた。気温は30℃近かったようだが、風は乾燥して気持ちよい汗をかくことが出来た。
 坐骨神経痛の痛みは再発しない。嬉しいものである。


「ミュシャ展」から 5

2017年05月22日 11時08分05秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 第17番目の作品は、「聖アトス山-正教会のヴァティカン」(1926年)。15番目の作品「イヴァンチツェの兄弟団学校-クラリツェ聖書の印刷」(1914年)と同じく、左下に盲目の老人と支える若者が描かれている。前作の若者がミュシャの若い頃の象徴とすると、今回もミュシャ自身を描いたと想像される。
 アトス山域は現在はコンスタンティノープル総主教庁系の修道院がいくつもあり、ギリシャ国内で「自治修道士共和国」として大幅な自治権を保持している。
 右下から巡礼の集団が画面中央に進み、左下の盲目の老人と若者が先導役のようにも見える。中欧上部にマリア信仰の象徴として聖母マリアが描かれているいる。アトス山域で聖母マリアが亡くなったという伝説に基づいている。
 絵画の構図上通常は左上から右下に射す光線が作品の安定性におおきく寄与すると聞いたことがある。フェルメールなどの作品などに現われている。対称的に右上から左下に射す光線は不安定・動的な印象を与えるらしい。カラヴァッジョの「聖マタイの召命」など。それを意識したかどうかはわからないが、スラヴの民衆の歴史上の苦難と苦悩を表しているのかもしれない。
 不思議なことに光の当たっている先は、盲目の老人と若者の背後にある。何を照らしているのか描かれていない。これは何を象徴しているのであろうか。巡礼者が床に接吻している姿からは、窓枠の影が描かれている光が当たっている床は、スラヴの大地の象徴であろうか。是非教えてもらいたいものである。
 そして若者のこちらを見る眼は安易ともいえる希望の光はない。何処までも懐疑的な眼であると思われる。この懐疑的で、決して安易に希望を語ることのない暗い眼に私はとても惹かれる。