Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

港の見える丘公園のバラが見頃

2017年05月20日 21時31分54秒 | 山行・旅行・散策


 本日の講演会場であった県立神奈川近代美術館の横にある港の見える丘公園のローズガーデンのバラが満開、見ごろとなっていた。
 公園内全体が大勢の見物脚で、ごった返していた。帰りにじっくり見て回ろうと思ったもののあまりの人の多さにたじろいで、写真を一枚だけ撮影して退散。
 時間があれば、外国人墓地を見て回りたかったが、こちらはまた後日にしようと思っている。

本日の講座「正岡子規-文学という夢」

2017年05月20日 18時15分08秒 | 読書


 本日の講座は県立神奈川近代文学館の「生誕100年正岡子規展-病牀六尺の宇宙」の関連講座「正岡子規-文学の夢」と題した歌人の三枝昴之氏の講演。
 前回は俳句の立場から復本一郎氏の講演であったが、本日は歌人の立場から正岡子規を論じた。
 私は俳句の視点から正岡子規を見ていた。短歌についての正岡子規の文章と作品は岩波文庫に所収されているものは目をとおしたことはある。しかしもうずいぶん昔のことである。あらためて正岡子規についての歌人の立場からの評価を聴くことが出来た。
 子規が最後の場面で、写生を放棄して生の愛惜をうたった「しひて筆を執りて」八首から三首を鑑賞した。

★佐保姫のわかれかなしも来ん春にふたたび逢はんわれならなくに
★いちはつの花さきいでゝ我目には今年ばかりの春行かんとす
★いたつきの癒ゆる日知らにさ庭べに秋草花の種を蒔かしむ



60歳以降の働き方

2017年05月20日 10時24分35秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 30代や40代の頃は担当の仕事が変わっても、業務のやり方が変わっても、人の応援を頼まれてもそれをこなすことに特に大きな精神的エネルギーを費やすことはなかった。肉体的には初期段階は厳しいこともあったが、体力に物を言わせて乗り切れた。電算化などにも抵抗なく対応できた。新規業務があるとそれをこなすのが大概の場合私の担当になった。それを職場の状況に合わせて、落ち着いてから2~3年後に次の人に引き継ぐことが多かった。いくつかのかなり困難な業務は5年以上は担当したと思う。ある面倒な新規業務は5年して他の担当者に引き継いだ時は、ほとんどその業務が収束に近くなっており、業務量としては当初の4分の1以下になっていた。新しいものを開拓することはそれなりに楽しくもあった。
 しかし50歳も過ぎると、なかなか新規業務に挑む意欲・エネルギーは湧いて来ない。これはあまり無理をしてしまうと、精神的にもつらくなる。ストレスが貯まるものである。若い時には考えられないようなところで躓いてしまう。
 今は定年制の延長や、70歳まで働けるようにするという流れになっているが、50歳から60歳を境に新しいこと、新しい職場への挑戦というのはなかなか困難をともなう。
 これまでと同じような業務、同じ職場で働き続けられるに越したことはない。まして65歳を過ぎてポンと新しい仕事・職場に就くことは大きなストレスを抱え込むようなものである。

 多くの現役のかたは60歳をひとつの人生の節目として振る舞ってきた。「60歳になったらこうしたい」「こんな仕事をしたい」「勉強をしたい」いろいろあると思われる。それが外圧というか、年金支給開始が遅くなったり、働き続けるには職場や業務を大幅に変えなくてはいけないということになると、頭と体が順応するのがなかなか難しいのではないか。
 退職者会の役員をしていると、60歳になって新しい職場に配置換えされたが、仕事がうまくこなせない、人間関係が難しい、ということで配置後1か月もしないうちから「これからどうしようか」という相談を寄せられることが多々ある。
 退職者会は当局との交渉権はないので、解決策を講ずるのは難しい。現役の組合への相談の橋渡し役をするしかない。現役の役員も60歳の人間の立場に立って、親身に対応するのはなかなか難しい。また制度が出来上がっているので、当局に制度の運用で応用力を発揮させるのは困難をともなう。国の制度を大きく逸脱できない上に、制度改善の方策に当局が本腰をいれるまでのエネルギーは困難を極める。当局も60歳という人生の節目の人について思いが至らない若い人間が担当している。そういった意味では当局もまた人材難である。人事担当、労務担当というのは各年代や各職種に充分目配りが出来、人の意見を充分聞き、応用力を発揮できなければ良い制度とはならない。自治体なりの応用の幅がどんどん狭くなってしまっているのが、人事制度の現在の基本的な問題点である。
 私は60歳で仕事を退いてしまっているので、メンタル面での解決策を講ずる自信もない。それでも経験を生かしてできる限りのアドバイスはしているが、限界がある。
 多くの組合員は、働き続けるか、辞めてしまうか、60歳ともなると自分自身で結論を出している。そして現役時代から私が仲良くしてもらってよく知っているかたばかりである。それは尊重しないとまずい。無理に働き在籍させれば、精神的に追い詰められたり、体調を崩してしまう。
 退職者会としては、個人を大切にするのが、役目である。しかしその人が辞めてしまえば、その職場の人はその人の仕事をみんなで分担するしかない。現役の労働組合はそこに力点を置いて考える。そういった残された職場の後輩の苦労にも思いをはせながら悩む日々である。