
第17番目の作品は、「聖アトス山-正教会のヴァティカン」(1926年)。15番目の作品「イヴァンチツェの兄弟団学校-クラリツェ聖書の印刷」(1914年)と同じく、左下に盲目の老人と支える若者が描かれている。前作の若者がミュシャの若い頃の象徴とすると、今回もミュシャ自身を描いたと想像される。
アトス山域は現在はコンスタンティノープル総主教庁系の修道院がいくつもあり、ギリシャ国内で「自治修道士共和国」として大幅な自治権を保持している。
右下から巡礼の集団が画面中央に進み、左下の盲目の老人と若者が先導役のようにも見える。中欧上部にマリア信仰の象徴として聖母マリアが描かれているいる。アトス山域で聖母マリアが亡くなったという伝説に基づいている。
絵画の構図上通常は左上から右下に射す光線が作品の安定性におおきく寄与すると聞いたことがある。フェルメールなどの作品などに現われている。対称的に右上から左下に射す光線は不安定・動的な印象を与えるらしい。カラヴァッジョの「聖マタイの召命」など。それを意識したかどうかはわからないが、スラヴの民衆の歴史上の苦難と苦悩を表しているのかもしれない。
不思議なことに光の当たっている先は、盲目の老人と若者の背後にある。何を照らしているのか描かれていない。これは何を象徴しているのであろうか。巡礼者が床に接吻している姿からは、窓枠の影が描かれている光が当たっている床は、スラヴの大地の象徴であろうか。是非教えてもらいたいものである。
そして若者のこちらを見る眼は安易ともいえる希望の光はない。何処までも懐疑的な眼であると思われる。この懐疑的で、決して安易に希望を語ることのない暗い眼に私はとても惹かれる。