Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「死んだ男の残したものは」

2017年05月30日 22時16分35秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 先ほどたまたまNHKFMを賭けたら、ベストオブクラシックの時間ということで、「藤木大地 カウンターテナー・リサイタル」を放送していた。そしてちょうど、「死んだ男の残したものは」(谷川俊太郎作詞・武満徹作曲)が流れてきた。
 このブログでは過去に2度ほど取り上げたと思うが、もう一度取り上げる。

1.
死んだ男の残したものは
ひとりの妻とひとりの子ども
他には何も残さなかった
墓石ひとつ残さなかった
2.
死んだ女の残したものは
しおれた花とひとりの子ども
他には何も残さなかった
着もの一枚残さなかった
3.
死んだ子どもの残したものは
ねじれた脚と乾いた涙
他には何も残さなかった
思い出ひとつ残さなかった
4.
死んだ兵士の残したものは
こわれた銃とゆがんだ地球
他には何も残せなかった
平和ひとつ残せなかった
5.
死んだかれらの残したものは
生きてるわたし生きてるあなた
他には誰も残っていない
他には誰も残っていない
6.
死んだ歴史の残したものは
輝く今日とまた来るあした
他には何も残っていない
他には何も残っていない


 藤木大地はかなり思い入れたっぷりに唄っていた。カウンターテナーという声の質にこの詩が合うのかな、と一瞬思ったが、まったく余計な思いであり、演奏者に失礼であった。いい演奏に思えた。
 今年1月21日の東京文化会館小ホールでのリサイタルでの収録であった。

 この歌は、ベトナム戦争のさなかの1965年、「ベトナムの平和を願う市民の集会」で友竹正則によって披露された。

「図書6月号」から -2-

2017年05月30日 20時37分03秒 | 読書
★千の風とイランカラプテ     新井 満
「イランカラプテとは、アイヌ語で“こんにちは、よく来たね”を意味するのだという。「と同時に、その奥にもう一つの意味がかくれていてね‥‥‥。あなたの心の片隅にそっとふれさせてください‥‥‥」
 これを知ったうえで次の死を読むとなかなか‥である。
  イランカラプテ
        ~君に逢えてよかった~
  遠い町から はるばると
  よく来てくれたね 旅人よ
  ここは 森と湖の大地
  鳥は歌い 風は大空を吹きわたる
  イランカラプテ イランカラプテ
 君に逢えてよかった
  今日はいい日だ

作詞「秋辺デポと新井満の合作

★詩人清白の流離と純化-生誕百四十年と新出日記      伊良子序
「こうした動きを見て、改めて思う。厳しい流離の代償として祖父・清白は、永遠に保たれる純度を得た‥。再び起こった再評価の波に磨かれ、純度を増している祖父のイメージ。‥」

★恐竜の絶滅は哺乳類に影響したか-古生物学vs分子系統学     冨田幸光
「化石記録を見る限りは、恐竜が絶滅した結果、そのニッチを埋めるかのように冠有胎盤類が急速に適応放散したように見え、古生物学では長い間そのように考えられてきた‥。(分子系統学によると現在)目のレベルでの分岐の多くが9000-7500万年前くらいにおこっているという。‥これが正しいとなると、恐竜全盛の時代にすでに(分岐が)怒っており、6600万年前にあった恐竜の絶滅はそれに対して何も影響を与えなかったことになる‥。」
「古生物学と分子系統学の見解をおさめようと、共同研究が行ない、‥真の奇蹄類や偶蹄類(齧歯類、翼手類も同様に)が出現したのはK/Pg境界の約1000万年後である。(このように)化石記録に基づく場合と分子系統学に基づく場合の間に存在した大きなギャップが、ここに来てようやく埋まりつつある‥」


★どこまでも、無名の青年のように新しく     杉田俊介
「「機動戦士ガンダムの」康彦良和は近年、全共闘の仲間たちに声をかけ、聴き取り調査を行っているそうだ。その中には安彦と共に逮捕・起訴され、のちに連合赤軍事件に関与して獄中に行った人々もいる。そうした不穏な因まぐささは、運動の渦中にすらもどこかほのぼのとした滑稽さ、ポカンとするような空白の場があったことも、実は矛盾しないのではないか。‥失敗や遁走やおっちょこちょいなミスなどは、歴史の渦中を生きる人間には避け難いものであるばかりか、かえってそれらこそが、人間の歴史をかろうじて善良にしてきたのではないか。「永続的なゲリラ戦」という左派的なイメージとも少し違う。気弱でおっちょこちょいな、けれども淡々と自分の最善の仕事をやり続ける、平和好きのアジア主義者‥。‥歴史を生きるとは「分かりあえない他者」に向き合うことだと安彦は何度も繰り返してきた。安彦良和の仕事はね今こそ新しく、無名の青年のようにみずみずしい。」

★輪郭を捉える・戦で描く 心理学者の美術館散歩      三浦佳世
「子どもの頃、‥ぬかるんだ道に線画を描く少年を見かけた。‥無心で線を引いている「彼」は、声をかけづらい雰囲気を放っていたが、寂しそうににも見えなかった。‥彼自身の内側に降りていて、誰も邪魔にすることは出来ない印象を放っていた。同時に、意識のかなたで線を引く行為には描く者の心が現われてねだれもそれを勝手に見てはならぬとも感じさせた。簡単に立ち入ってはいけない他人の世界があることを知った日でもあった。」
「ものわつくり出すという行為は言ってみれば極端に個人的なものであり、自分だけの世界をそこに求めるなら、ある部分で社会的状況をかなり断ち切り、自分の内側に深く降りていかねばならない」(大竹伸朗、「既にそこにあるもの」新潮社)

 この連載は今回で終了とのこと。今から思うとコピーを取っておけばよかった。単行本になることを祈っている。しかしなったとしても高価と思われる。私は雑誌は目をとおすとすぐに新聞紙の間に挟んで廃棄してしまう。とても勉強になった連載であったので、とも残念である。

★大きな字でかくこと     加藤典洋
「(「1968」(小熊英二)によると)船曳健夫くんは、全共闘というのは自由参加の組織体だが、このままいけば「テロ」のセンターになるか「政党」になるしかないと考えた。そこてある日、「クラスのストライキ委員会の解散宣言を出し」、「独りで「戦線離脱宣言を出し」、「一人で「戦線離脱宣言」というのを百部刷って駒場の正門で配」った。‥私(加藤典洋)といえば、誰かが無期限ストの終結宣言をやるのを待っていた。それがないのでなかなか、いつまでも大学に足を向けられなかった。永続戦争下の、日本国民みたいに。はじめたものは、自ら終えること。終りは、明るければ明るいほどよい。船曳くんの教えである。」

★死にたいものをして死なしめよ     プレディみかこ
「生きたい者は生きろ、而して死にたい者をして死なしめよ」(山田昭次「金子文子 自己・天皇制国家・朝鮮人」)」
「人間のまったき独立とは命がけで求めるものなのだ。十六歳の文子はそのことを漆黒の瞳でしんしんと読み取っていた。」


★夜明けの囁き      高橋三千綱
 まぁ、私がガンになっても、不治の病になっても、このような入院患者にはならないようにしたいものである。作品や考え方に対する評価と、日常生活や死に向かう生き様に対する評価とはまた、違いがある。違いがあってほしいと思う。


「図書6月号」から

2017年05月30日 09時41分16秒 | 読書
 昨日の夕方に「図書6月号」(岩波書店)が届いた。



 昨晩目をとおしたのは、
★ピアノ調律師の夢      司  修
 司修氏の今回の表紙絵「ピアノ調律師の夢」とそれに付随する文章はとても印象に残った。
「1943(昭和18)年に描かれた井上長三郎(当時37歳)の「トリオ」という絵は、どんよりした憂鬱な空の下の、荒れ果てた広大な砂漠で、グラントピアノを弾く青いロングドレスのピアニストと、ヴァイオリニストが、岩山の下に小さく描かれています。もう一人のチェロ奏者はピアノから遠くはなれていて、とてもトリオを組んでいるとは思えない位置に描かれているので、不安をかき立てられます。‥昭和18年(5.31)といえば、アッツ島玉砕のニュースが‥報じられていました。殺伐とした風景、私はそれが、戦争で疲弊した庶民の姿と感じられるのです。‥(今回の「ピアノ調律師の夢」は)、「トリオ」という絵が、形を変えて私の夢に出てきます。砂漠の下は空襲で燃えている火炎地獄です。砂漠のグランドピアノは熔けてしまいそうですが、鳥人間であるピアノ調律師が現われて、何としても音を出そうとするのです。」
 戦争中の画家井上長三郎の作品のように、司修氏は現在の政治状況に極めて危機感を強くしておられるのであろう。井上長三郎の作品も見てみたいものである。
★旅番組での発見       伊藤成人
「旅番組でのもうひとつの発見は、日本の土地の奥深さ。どこへ行っても神社があり鎮守の森があります。その多くがいつからあるのか記録がないほど古い。‥故郷や郷土への愛は誰もが抱く自然な感情で、‥この列島に住む者の普遍的な文化。国を愛せ、と誰かに言われる所以もなければ、命令されることでもない。」

 本日病院の待ち時間の間に残りを読むつもりでいる。