Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

牡 丹

2017年05月26日 22時03分32秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 牡丹はボタン科の落葉低木の花。花王、花神、富貴花などともよばれる。俳句では「ぼうたん」と詠むこともある。初夏に20センチほどもある豪華な花をつける。色は白、紅、真紅、黄などさまざま。
 中国では牡丹は「花の王」、芍薬は「花の宰相」と呼ばれるそうだ。芍薬も夏の季語。ともに根は鎮痛・鎮静に効くとされる。
 「寒牡丹」というと冬の季語になる。寒牡丹は鑑賞用に冬の厳しい時節に咲くように栽培されたもの。初夏に咲く蕾を摘み取って冬咲きにする。こちらは雪の中でわらの囲いの中に咲かせて鑑賞する。

 私は花が豪華すぎて、牡丹も芍薬も敬遠気味である。どちらかというと私は隠れるように咲く花が第一の好みである。そうはいってもときどきはこのような大柄の花に惹かれる気分のときもある。けっこういい加減といえばいい加減。

★火の奥に牡丹崩るるさまを見つ     加藤楸邨
★ぼうたんの百のゆるるは湯のやうに   森 澄雄
★芍薬のつんと咲きけり禅宗寺      小林一茶


 第1句目は「火の記憶」でも取り上げた。1945年5月23日の夜、空襲で家を焼かれたときに句。痛切な気持ちが牡丹の崩れるさまを呼び込んだ。牡丹はこのように激しい感情に似合うのだろうか。
 一方で第2句のように、ゆったりとしたさまにも融け合う。


モーツアルト「ホルン協奏曲全4曲」

2017年05月26日 21時18分55秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 ホルンはペーター・ダム、ネヴィルマリナー指揮のアカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ。録音は1988年。

 何回か取り上げている私の好きな曲である。モーツアルトの友人であるホルンの名手であったロイトゲープことヨーゼフ・ライトゲープ(1732-1811)のために作曲されたと考えられている。もともとはバルブのないナチュラルホルンのための曲である。現在はバルブホルンで演奏されることが多い。ナチュラルホルンでの録音もあるようだ。できればナチュラルホルンで聴いてみたいとおもっている。いつか購入したいもののひとつである。

 本日はこの曲を聴きながら、読書タイム。明日は午前中から昼にかけて取材。夕方から団地の管理組合の打合せ。
 明日は本日とは違って晴れ、そして気温もまた28℃に上がるらしい。今日は長袖で過ごしたが、明日はまた半袖、半ズボンに戻すことになりそうである。

横浜は濃霧注意報

2017年05月26日 18時11分16秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 午後からはときどき日も射して、雨はあがっている。ただし現在は風がまったく吹かず、濃霧注意報が発令されている。夕方以降は雲に切れ目はなく、蒸し暑くなってきた。梅雨どきの天気のような気がする。

 「地球の歴史(下)」は半分ほど読了。残りは第11章「日本列島の誕生と進化」、第12章「人類の誕生と歴史時代の環境変動」となった。
 いくつかの疑問点や触れていない点などについては読み終わるまでに整理しておきたい。この下巻は中学生の頃に習った生物学の基礎などに触れてあり、たじろぎつつ読み進めている。中学生の頃から理科でも生物学関係はどうも苦手意識が先に立ち、なかなか頭に入らなかったもどかしさが今でも澱のように頭の片隅にある。シダの胞子、被子植物、裸子植物‥思い出したくなかった用語にたじろいでしまった。
 もうひとつたじろいだ点が、地磁気の逆転現象のこと。結局のところこの地磁気の逆転現象は何回か説明を聴いたことはあるが、私の理解の範囲を超えている。むろん他にも分からないことばかりであるが‥。

 そして先日、本を持たずに出かけて書店で急遽購入した「等伯(上)」(文春文庫、安部龍太郎)は読み終わったが、そのまま。下巻は購入しないことにした。残念ながら私の期待とは違っていた。展覧会の図録をめくる楽しみには比べようもなかった。



我が家のセキセイインコの習性

2017年05月26日 10時53分15秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 横浜では朝から雨、本降りである。最大で時間雨量20ミリくらいの雨が止むことなく続いている。風はなく、寒さもあまり感じないので、セキセイインコはベランダに出している。

 セキセイインコの時間感覚が面白い。我が家で飼っているメスのセキセイインコはしゃべることも芸も何もしない。昔は飛び回って何でもガリガリ噛み続けていた。特に木や素焼きのざらざらした陶器が好みであった。
 またトイレットペーパーの芯が気に入っていた。見つけると芯の中に入り込んでじっとしている時間も長かった。蛇口から細く出ている水が好みで、手に乗せて台所につれて行くと、頭から水をかぶって羽根をばたつかせて水浴びのようにしていた。これは長時間くりかえしていた。かなりのお気に入りの行動であった。

 長さ3センチに満たない陶器のアヒルに敵愾心があって、見つけると棚の上から下に引きづり落としていた。
 最近は籠から出ることをしなくなった。朝、水を取り替えるときには、私や妻が手に水をつけてはじいてやると満足そうにしている。台所の蛇口まで行くことはしなくなったが、水をかけられるのは好きらしい。

 このセキセイインコの面白い習性はまだある。
 まず、私たち二人ともいないと餌をついばむことをあまりしない。どちらかが帰ってきて姿を見せると、一目散に餌箱に行って餌をついばみ始める。3日旅行で二人とも出かけたことがある。餌を4日分ほど入れてきたが、帰ってきた時に見るとあまり餌を食べていなかった。二人の姿を見て、それこそガツガツと食べ始めた。
 そして21時半を過ぎると、羽をばたつかせ、ギギギギッとだみ声でひとしきり暴れる。それでも無視をすると、幾度も繰り返す。眠くなった子どものグズリのようだ。掃除機で周りにとんだ餌の殻を掃除して、籠に風呂敷を掛けるとおとなしくなる。最近はだんだん早くなって昨晩は20時前にグズリ始めた。私ども夫婦よりもずっと健康的な睡眠をとっている。
 朝は7時半をすぎないと飼い主は起きないのだが、風呂敷をはずした直後はボーッとしている。私が8時に起きて傍を通るとやはりギギギギッと騒ぐ。これは「早くベランダに籠を出せ」というサインのようだ。不思議なことであるが、嵐のような天気だとおとなしくしている。風が弱い日は本日のように雨が降っていてもベランダがいいようだ。ベランダに面した窓ガラスを通して外の様子が想像できるらしい。
 ベランダに籠を出すとスズメ、ウグイスなどの小さな鳥の囀りに合わせてヒヨヒヨと柔らかい声で啼いている。