書とお寺が大好きな春逕の「日々是好日」

日々思うこと、感じた事をつづります。

巫祝王(ふしゅくおう)

2009-12-07 23:48:21 | 思う事
漢字の構造は、その文字体系の成立した時代、今から三千数百年以前の当時の生活と思惟の仕方をそのままに反映している。

文字形成期における文字資料は、最古である殷王朝の甲骨文(牛骨に刻まれた文字・亀の甲羅の平面のところに刻まれた文字)だといわれている。
次には青銅器に鋳込まれた金文がある。

殷の王朝は、王が巫祝王(ふしゅくおう)として、みずから祭祀や占卜を主宰する神聖王朝であった。 上帝の嫡子たる王のみが、帝を 祀ることができた。 上帝の子孫である王が地上を治めることによって、上下のあらゆる秩序が成り立つ。 自然の現象は帝の支配に属した。 ...

先日行った、鹿央町の味噌・醤油蔵の「卑弥呼」というお店の二階に骨董のギャラリーがあって、そこにあった青銅器のレプリカには、灰?が入っていた。
古代の青銅器は神事に使われていたもので、その中に文字が鋳込まれている神聖なものであったはずなのに・・・。
時代変われば・・・。

そしてもしかして、日本でいうなら「卑弥呼」って巫祝王???
久保田さんならご存知でしょうか???

書は面白い、文字も面白い、文字の変遷にはその時代の人の生活が見えてくる。
更には次々に疑問がわいてくる。


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4 コメント

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卑弥呼 (久保田)
2009-12-08 06:08:38
そうですね。
ただ違うところは、中国の王は男性でしたから多くの女性をはべらしました。卑弥呼は女性でしたから側に近づくことができるのは男性一人でした。
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気になる!気になる! (久保田さんへ)
2009-12-09 23:18:03
卑弥呼の側にいたただ一人の男性って???
どんな人だったのでしょうか?
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ただ一人の男性 (久保田)
2009-12-11 10:27:58
ちなみに、、、、殷の次の王朝、周(BC1000~BC221)ではこんなにも多くの妾を制度として抱えていたのですよ。(うらやま、、、おっと。)
「三夫人・九嬪・二十七世婦・八十一女御の120人制度(皇后を入れて121人)」
http://pingshan.parfait.ne.jp/honglou/china2.html

それに対して卑弥呼ですが、魏志倭人伝に「ただ男子一人あり、飲食を給し、辞を伝え居所に出入りす。」(岩波文庫)とあるだけなのです。
原文は井上さんのHP、上から4枚目左側:http://www.inoues.net/gisiwajinden.html

これだけですので、気になりますよね。
そこで研究者がいろんなことを想像しているのです。

ここのところは邪馬台国大研究の井上さんに薀蓄を傾けてもらいましょう。
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そうですね。 (久保田さんへ)
2009-12-11 23:29:37
東京で新年会が出来たらいいですね。
いろいろとお話伺えそうで・・・。
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