私のバイブル?
何か書きたくなったらその真髄をこの本に求める。
その中に、心に響く文を見つけた、
「 人解読有字書、不解読無字書。
知弾有絃琴、不知弾無絃琴。
以迹用、不以神用、何以得琴書之趣。」
(意)
世人は文字を用いた書物を読むことだけを知って、文字では書きあらわせない書物を読むことを知らない。
また、有絃の琴を弾くことだけを知って、無絃の琴を弾くことを知らない。
(これは文字や絃の形にとらわれるだけで、それらによって表現される心理や音律を理解する精神を所持していないからである)
形だけにとらわれて、この精神を用いようとしないで、どうして琴書の趣を会得することができようか。
目に見えるものにとらわれてはいないかと自分に問うてみた。
先日、日曜美術館で見た銅板画家「南佳子」の絵。
絵の奥に・・・・。