蛇口が取れた

4年半の杭州生活を終え、ついに帰国。現在、中国人化後遺症に悩まされ、好評リハビリ中。

教えたがり屋の街

2009-07-27 15:30:54 | 中国・その他地域
3日目は泰安から移動。
朝にバスで曲阜へ向かう。
泰安から約1時間半で曲阜に到着。

曲阜に到着するやいなや、
3輪車屋が声をかけてきたが、
目的地は目と鼻の先なので無視。

曲阜とは言わずと知れた学問の神様「孔子」の生まれ故郷。
現在まで累々と孔子一族の血筋は受け継がれているほど。
当然、今回の曲阜入りの目的は、この孔子ゆかりの地の見学。

まずは孔廟
全国各地に孔子廟はあるが、
まあ、ここがいわば総本山みたいなもの。

もともとは孔子が死んだ翌年に、
魯国王が孔子を祀るために建てたものだが、
明清時代に大幅に造築され、現在の形になったという。
(ちなみに、車のナンバープレートで山東省を表す文字は「魯」)

ここも前日の岱廟同様に見所満載。
全ての門に意味や由来があるし、
石碑も相変わらずたくさん立っている。
十三碑亭なんてのがあったりするくらい。
一番古いのが唐代のもの。

そして、
やはり岱廟同様に特筆しておかなくてはいけないのが、
本殿である大成殿という建築物。
なぜならば、ここが古代三大宮殿の一つだから。
おっと、なんと図らずも三つ目も見事にクリアー!

孔廟に続いて隣接する孔府を見学。
ここは孔子の子孫達が代々暮らしてきた場所。

孔府は南北で大きく機能が二つに分かれている。
南側はいわゆる公用の場所。
官吏登用試験が行われたり、勅命を受けたりという場所がある。

そして、内宅門という門を境に、
北側は一族の居住空間となっている。
現在は北側も見学できるが、
かつては当然ながら部外者は立ち入り禁止の場所であった。
この中で婚礼を行ったりもしたようである。

ここで昼近くなったので、適当に昼食。

昼食後、孔府の向かいにある顔廟(顔回を祀る)見学しようとするが、
ここは現在残念ながら、修繕のため閉鎖中。
仕方なく、三輪車にのり、孔林へ向かう。
途中、三輪車乗りのおじちゃんが、
この顔廟は今は修繕中だから見られないよとか、
この城壁は元代のものだよ、とか教えてくれる。

さて、孔林とは何か。
それは孔子一族の歴代の墓所。
歴代なもんでそりゃあ広大な場所。
中にはトラムが走っているくらいだ。

もちろん、孔子のお墓もある(写真)。
その隣には、孔子の息子の墓があった。
それ以外にも明墓群などがあったり、まあ墓だらけ。
当たり前だけど。
お墓マニアには、もしかしたらたまらない場所なのか?

とまあ、こんな感じで孔子ばかりの曲阜見学は終了。

それにしても、ここでは必ず「ガイド必要?」って聞かれる。
チケットを購入した時はもちろんのこと、
昼食を食べていた料理屋でも言われたし、
なんと水を買っただけの場所でも聞かれた。

なんなんだ。
一体ここにはどれだけガイドがいるんだ?
そんなにみんな教えたがり屋さんなのか?

さすが、孔子の生まれ故郷。

暗くて見えにくいですが(追加版)

2009-07-22 11:08:33 | 杭州・杭州周辺
皆既日食です。
今は時間がないので、とりあえず写真だけ。
詳細は後日。

*******************
後日(24日です)
というわけで、詳細を。

当日は朝から雲が厚かった。
前日までは超快晴で、気温も高かったのだが、
なぜか、当日になると雲行きは怪しくなった。

内心、これは無理か?と思った。
折角、楽しみにしていたのに、
折角、日食専用眼鏡を購入していたのに、
折角、張り切って早起きをしていたのに。

仕方なく部屋の掃除を簡単にして、
それから、銀行に行って用事を済ませていた。

しかし、銀行にいると、
行員たちが騒ぎ始めた。
交代交代で眼鏡を持って外に出て行った。

「太陽が出てきたの?」と聞くと、
店員たちは「そうだ、おまえも見てみろ」と答えた。

手続きが終わり、
急いで外に出た。
鞄から眼鏡を出し、
空を眺めてみた。

本当に日食が始まっていた。
行員たちが言っていたように、
半月のようになっていた。

もう落ち着いていられない。
全食まで残り15分程度となっていた。
急いで、自宅付近まで戻っていった。
時折、立ち止まり眼鏡をかけ食分を確認しながら。

眼鏡をかけていると、
多くの中国人が質問してきた。
その眼鏡どこで買ったんだ、と。
すでに日食が始まっているのに、何て呑気な人たちなんだ。

徐々に太陽が欠けていって行った。
そして、徐々にあたりが暗くなっていった。

そしてついに!
太陽が完全に隠れた。
と同時に、あたりは完全に暗くなった。
まさに夜そのもの。

周りから歓声が上がった。
ボクも思わず声をあげた。
向こうでは花火が打ち上げられた。

約5分間の天体ショー。
なんだか見とれてしまう。
よくわからないがうっとりしてしまう。

そして、再び太陽が現れる瞬間。
いわゆる「ダイヤモンドリング」が現れた。
本当に本当に美しい瞬間だった。
(デジカメの動画で撮ったんだけど、
容量が大きいらしく、ここで紹介できないのがホントに残念)

聞くところによると、
上海では雨が降っていて、
それどころか杭州市内から十数キロ離れた場所でも雨だったらしい。

ホントにラッキーだった。
ホントについていた。
神様、どうもありがとう!

何だかとっても得をした気分だ。

天命を信じる力

2009-07-21 10:53:03 | 中国・その他地域
さて、中天門で少々休憩を取り、再び出発。
実はここから頂上付近の南天門までロープウェイが出ている。
これに乗ればわずか10分程度でそこまで辿り着ける。

しかし、そんなのはプライドが許さない。
そんなのは、邪道だ!
そんなのは、弱虫だ!
そんなのは、恥辱だ!

というわけのわからない頑張りに支えられ、
頂上を目指し再び階段を上り始めた。
しかし、予想通り、早くも後悔し始めた。
だって、階段がさっきよりも急なんだもん。

登れども登れども頂上には届かない。
途中、頂上が見えるポイントに着いたが、
その手前には長い長い階段が見える。
しかも、かなりの急勾配の階段が。

気持ちが萎え、
心が折れそうになるが、
しかしそんなものは役に立たない。
引き返すわけにも行かず、
助けてくれる人がいるわけでもない。

泣きそうになりながら、ようやく南天門に到着。
時間はすでに12時となっていた。

そこで昼食を取り、頂上を目指す。
とはいえ、ここまで来てしまえばあとはわずか。
天街というところを通り過ぎ、
途中、碧霞祠という道観や、
唐の玄宗が封禅を行った時に刻まれたという唐摩崖紀泰山銘之碑)を眺めながら、
ついに頂上である玉皇頂に到達!!

玉皇頂は標高1545メートル。
高くはないが、
しかし石段ばかりだったためかなり疲れていて充実感もある。
ここには玉皇殿があり、玉皇大帝が祀られている。
折角なのでちゃんとお参りしてきました。

それにしてもここからの眺めはすばらしい。
少し霧がかかってきて、それがまた味がある。
山頂は気温も下がり、Tシャツでは寒いくらい。

それにしても古人はここまで登って天に誓ったわけだ。
「天命」ということを信じていなければ、ここまでは来ない。
やはり中国では天と人間との関係は非常に濃密でリアルなんだな、
とつくづく身を以て感じてしまった。
日本の天って・・・・って考えさせられたね。

そんなことを考えながら
しばらく景色を眺め、
空気を味わってから下山。

もちろん、帰りはロープウェイを使いましたよ。
なにせ、我が輩の辞書には「プライド」という言葉はないのでね。

後悔はまじで役に立たず

2009-07-20 14:30:50 | 中国・その他地域
旅行二日目。
予定通り、泰山登山。

朝8時15分にホテルを出発。
ホテルは岱廟のやや南方にあるため、
泰山の入り口に辿り着く前に岱廟の横を通り過ぎなくてはならない。
そしてそこまで微妙に坂道が続く。

岱廟を通り過ぎ、岱宗坊に到着。
これが泰山の入り口となる。
とはいえ、ただ単に道路の真ん中に門が建っているだけだが。

さらに坂道をぐいぐいと上っていき、紅門に到着。
どうやら現在はここが正式な入り口とみなされているのかもしれない。
バスなどもこの門の前までは入ってこれる。
もちろん、これから先は誰も彼もが徒歩登山となる。

にしても、なんだい。
いくら天気がよかったからって、サンダルってのは。
中国人、泰山をなめてはいないかい?
っていうぐらい、サンダル履きの人々がたくさんいた。
まあ、いずれにせよ、君たちはあとで痛い目に遇うのだからな、ふふふふふ。

なにせ、泰山は当たり前だが山である。
全長約10㎞近くにも及ぶ石の階段が続く山である。
ただただ、延々とゴールへ向かって階段が続く。
しかも、その階段はとてもとても急なのである。

山道の途中には、いくつも売店があり、
飲料水などには困らないようになっている。
お腹が空いたら、ちょっとしたものも食べられる。

初めのうちはみんな楽しそうに歩いている。
大声で話し、笑いながら歩いている。
しかし、そんなのも初めのうちだけ。
徐々にみな、肩で息をして杖をつきながらやっとこ登っていくようになる。

壹天閣というところにつくころには、
みなへとへとで、そこら中に座り込んでいる。
しかし、ここはまだ山の半分にも到着していない。

それでも上を目指すしかない。
この頃には多くの人が後悔し始めているはず。
途中で、おじさんが大きな声で「後悔!!」と叫んでいた。
近くにいたボクも心の中で快哉を叫んでいた。
ああ、その気持ち、本当によくわかるよ。

しかし凄い人もいた者である。
上から降りてくるおじちゃんがいる。
肩に天秤をぶら下げ、両方に大きな大きな荷物をぶらさげて。
この荷物は登山客が出したゴミ類なのだが、
おじちゃん、涼しい顔で降りてくる。
もうみんな尊敬の眼差しで彼を眺めていた。

そしてようやく中間地点である中天門に到着。
その時、時間は10時半近くになっていた。
ホテルを出発して、約2時間。
まだまだ先は長いのであった・・・・・・。

旅に出てみた

2009-07-19 10:58:34 | 中国・その他地域
同僚達と海には行ったものの、
何か物足りなく旅に出てみた。
目的は文化と歴史を堪能すること。

というわけで、今回は山東省へGO!

午前中に杭州から済南へ飛行機で向かう。
飛行機の出発は30分遅れたため、
済南空港から泰安へ行くバスは5分前に出発してしまっていた。

そう、第一の目的地は泰安市。
泰安市には、かの有名な泰山がある。
今回の最大の目的はこの泰山登山だ。

さて、「時は金なり」。
リムジンもあるが、乗り継ぎを考えタクシーで。
まずは市内のバスターミナルに行き、
そこで泰安行きのバスに乗り換える。

泰安行きは頻繁に出ており、あまり待たずに出発した。
バスに揺られること、約1時間半。
泰安バスターミナルに到着。

すぐにホテルへ向かい、チェックイン。
ホテルはあまり外国人が来ないのか、
すごく丁寧なゆっくりとした中国語で話してくれた。
こんな親切な中国人、あまり見たことがない。
う~ん、これが田舎の素朴な良さなのか。

荷物をほどいて、すぐに散策へ。
もちろん、目的地は決まっている。
翌日の泰山登山の前に行くべきところ。
それは、岱廟

ここは中国にとって最も重要な場所の一つ。
秦の始皇帝以来、数多くの皇帝達が封禅の儀式を行った場所。
つまり、ここで封禅の儀式を行わなければ正式な皇帝とは認められないのだ。

現在の岱廟は北宋代に拡張された敷地が基本。
泰山の入り口ともなっている正陽門を抜けると、
まずは左右に大きな亀趺碑(きふひ)が立っている。
まあ、おっきな石の亀が石碑を背中にしょっている形をしているあれ。
中国に来たことのある人ならば、「ああ」ってわかるはず。

一つが大宋東岳天斉仁聖帝碑(北宋:1013年)で、
もう一つが宣和重修泰岳廟記碑(北宋:1124)。
とにかく二つともでかい。

碑はこの二つ以外もたくさんあり、
そこらじゅうに碑がバンバン立っている。
一つ一つ紹介する気はさらさらないぐらい。

その他にも見所はたくさんある。
それぞれある門も有名だし、
樹齢がめっちゃ長い樹だってある。
(その内の一つは木連理だった)

その中でも特に紹介すべきなのは、
やはり天貺殿という建築物。
ここは皇帝達が泰山の神を祀った場所で、北宋(1009年)創建とのこと。

ガイドブックによると、中国三大宮殿の一つだという。
ボクは北京の紫禁城に続き、2箇所目をクリアーってことになる。
残るはあと一つ、がんばるぞー!!

そして、この建物の中には壁画(啓蹕回鑾図:けいひつかいらんず)がある。
これも宋代のもので泰山神が巡視に出かける様子が描かれている。
中にはいるのに、靴の上にかぶせるビニール袋を1元で買わなくてはならないのがチョロいが。

まあ、そんなこんなでとにかくでかい。
そして、見所が満載過ぎる。
疲れ切っていて適当に流したところもあるぐらいだ。
これでは、翌日の泰山巡りが少々不安かも。

さて、翌日の泰山巡りは次回!

ネバーランド

2009-07-15 00:07:38 | 杭州・杭州周辺
時計が壊れた。
短針が力尽きた。
重力に敗れ去った。

長針は生きているので、
長針だけが一人旅を続けている。

しかし、常に時間は6時台。
6時00分からはじまり、
6時15分、30分、59分と進み、
再び6時00分が訪れる。

一生成長しない場所。
一生子供のまま過ごせる場所。
一生が1時間で終わる場所。

まさにネバーランド。
ピーターパンの住む世界。

だけど、人は誰でも年を取る。
一生子供のような心を持った人が、
つい最近他界した。
とても悲しい出来事だった。

ボクが初めて買った洋楽アルバムが彼のものだった。
アメリカのユタ州に行った時、
キャンプファイヤーの出し物として、
日本人の仲間達で当時流行っていたスリラーをやったこともある。
東京ドームのコンサートにも行った。
TDLのキャプテンEOだって何回も見た。

そんな彼が突然他界した。
最近、毎日彼の曲を聴いている。
彼の曲はとても美しい。
彼の声はとても優しい。

彼は結局大人にならなかった。
大人になりたくなかったのかもしれない。

だけど、ボク等は嫌でも年を取る。
毎年律儀に一つずつ年を重ねていく。

かつて「つまらない大人にはなりたくない」と歌った人がいる。
「面白味のない大人」になんかにはなりたくない、という意味なのか、
つまらないから「大人」なんかにはなりたくない、という意味なのか。

果たしてボクはどんな大人になったのだろうか?
きちんとボクは大人になれているのだろうか?

とにかく、ボクは時計の針を進めなくてはならない。


*彼が多大な影響を受けたであろう『ウエストサイドストーリー』を久しぶりに見た。
 もう十回以上は見ているはずなのに、また最後で泣いてしまった。
 名作はいつまでたっても名作だ。
 彼の曲もきっと後々まで生き続けていくことだろう。

行かず嫌い

2009-07-14 00:58:39 | 杭州・杭州周辺
公安にビザを取りに行くついでに、呉山を探索してみた。
呉山近辺には、呉山広場河坊街柳浪聞鶯など観光地が多く、
また、呉山の中腹には杭州歴史博物館もある杭州でも有名な場所。

その頂上付近に城隍閣という建物がある。
遠くからでもよく見える建物で、
夜になるとライトアップされているので、
杭州に遊びに来た人なら一度は見たことがあるかもしれない。

しかしボクはまだ行っていなかった。
なんとなく、行く気が起こらなかった。
今日ようやくついでに足を延ばしてみた。

城隍閣の入場料は30元。
ただし公園カードがあれば10元で入れる。
財布の中に常に公園カードを携帯していたボクはちゃっかり10元で入場。

建物自体はそれほど大したことはない。
ただし、この建物からの景色は絶景。
西湖を一望に眺めることができる。

西湖南の雷峰塔からも望めるが、
あそこは入場料が高く、人も多い。
しかし、ここは安くて落ち着ける。
ボクはこちらのが断然いいと思う。

さらに、城隍閣を後にして帰ろうと思ったが、
山をなめてはいけなかった。
山の中には城隍閣以外の見所もたくさん点在していた。

ここで特に気に入ったのが、溌水観音
岩に細い線で刻まれた観音像(写真)。
なかなかきれいな観音像である。

なぜそんな名前かというと、
像の刻まれている岩は苔などに覆われていた。
しかし、ある時水によって苔が洗い流されると、
なかから観音像が現れてきた、
という話があるため。
一つ物語ができそうな話ではないか。

一通り山の中をうろうろしたし、
お腹も空いてきたので帰ることにしたが、
行きと同じ道じゃ面白くないから、
別の道から下山していくか、と思い、
なんだかやや寂しげな所を抜けて下山した。

一体ここはどこじゃ?
と思いながらも、
大きな道がありそうな方へ向かっていくと、
だだっ広い公園を見つけた。

ついでだから公園を抜けていこうと思って、
ふとプレートを見ると、「太廟」と書いてあるではないか。
ああ、ここが南宋太廟の遺跡が見つかった公園か、
いずれは行こうと思っていたが、ここもまた行かず嫌いの場所だった。

実際は礎石が一つ残されているだけで、
太廟遺跡の面影は一つも残されていない。
単なる、本当に単なる公園である。
だけど、場所を確認できたのは収穫だった。

その後、鼓楼(朝天門)を抜けて、
河坊街を通り過ぎ、食事をして帰宅。

まだまだ杭州でも見ていないところがいっぱいあるねえ。

どうでもいい情報を一つ

2009-07-13 01:44:44 | 杭州・杭州周辺
7月22日は皆既日食です。
日本でも「世紀の天文ショー」とかいいながら、
きっと話題になっていることでしょう。
しかしトカラ列島とかに行かないと見られないということで悔しい思いをしている方もいるはずです。

そんな方に朗報が。
ここ杭州は皆既日食が見られます。
午前8時21分にはじまり、
全食がはじまるのが9時33分。
全食が終わるのが9時39分。
日食自体が終わるのが10時58分。
とのことです。

自宅で日食が楽しめるわけです。
みなさん、朗報ですね。

海鮮料理は飲み物です

2009-07-11 12:29:38 | 中国・その他地域
んなわけねえだろ。
(ただし、ウガンダが言う「カレーは飲み物」だけは納得)

さて2日目。
夜更かししてたにも関わらず、早起き。
その理由は、今回の旅行の最大の目的地へ向かうため。

バスに揺られること2時間。
バスは船着き場に到着。
そう、今回は船に乗り島に渡ったのであった。

南麂列島
緯度はほぼ沖縄本島と同じ。
東南に下ると台湾にたどり着く位置。
そこが、今回の目的地。

温州市の南に位置する平陽県から船に乗り、
船に文字通り揺られること1時間半で島に到着。
上陸してまず感じたことは、
この島は、どういうわけか磯の匂いがしないこと。
理由はよくわからないけど、海の匂いがしない。

上陸した島は列島の中では大きい方だが、
それでも、大して大きい島ではない。
稼ぎ時が7月と8月だけというのだから大変だ。

もの凄いスピードで走るマイクロバスに乗り宿へ。
普通なら山道はクネクネしていて気持ち悪くなる時があるのだが、
そんなことを感じさせないぐらいすんごいスピードで走る。

宿について食事をしてちょっと休んでからビーチへ。
ボクは水着の用意をしていなかったのだが、
宿で売っていたので出発直前に購入した。
20元(300円くらい)のどうでもいいデザイン。
もちろん、泳ぎ終わった後速攻でゴミ箱にポイ。
物を大切にしない反環境保護派の典型的な人物。

ビーチはそれほど広くはないが、
人間もそれほど多くないので、気にならない。
水は波が少々荒いせいか、濁っていてよく見えない。

いやあ、久しぶりに泳いだよ。
しかも、海でなんて。
海の水ってやっぱりしょっぱいね。

ところで、中国人って泳げない人が多い。
今回行った同僚の中でも何人かはカナヅチだった。
海を見るのも初めて、っていう同僚もいた。

周りが海に囲まれていて、
なおかつ小学生の時から授業でプールで泳いでいた日本人にとっては不思議かもしれない。
だけど、大陸人にとってはむしろこれが普通なんだよね。
「島国日本」っていうのを、こういうところからも感じ取れる。

夜は食事の後、島内散策へ。
ビーチまで歩いていき、しばらく海を眺めていた。
ちょうどこの日は満月で、とても美しい夜だった。
ただ、ビーチでは野外カラオケバーが出現していたけど。

その後、数人の同僚とビーチ近くの店で海鮮料理を食べまくり。
出発時に添乗員が「ビールと海鮮料理は合わないから飲まないで!」
っていうわけの分からないことを言っていたが、
そんなことはシカトして、ビールを飲みながら食べまくり。
とっても下らない話をしながら飲みまくりの食べまくり。

いやあ、おいしかった。
身のつまったカニは25元だし、
カキなんて一皿わずか10元なんだよ。
調子に乗って3皿も頼んでしまった。

とても楽しく気持ちのいい夜だった。

翌日は島内の公園を見学してから、帰宅した。
もちろん、1時間半の船+6時間のバスに揺られて。


*写真は公園にあった岩。パンダに見えるでしょ。

温州にガンジス川を見た

2009-07-10 23:29:02 | 中国・その他地域
職場の慰安旅行に行った。
もちろん、こちらにそんな概念はないので、
まあ、職場のみんなで職場のお金で旅行に行ったということになる。

場所は温州
杭州と同じ浙江省にある。
しかし、杭州からは車で6時間もかかる。
それでも浙江省は中国の中では小さい省なのだから、凄い。

早朝6時半に市内を出発。
途中二回の休憩を挟み、
さらに有名な雁蕩山の横を走り抜け、
昼食時にようやく目的地に到着。

まずは食事を済ませ、ホテルにチェックイン。
しばらく休んでから、観光開始。

まず行ったのは、芙蓉村なる場所。
ここは地元の名士、陳氏が拠点とした場所らしい。
特に宋代には多くの人物が科挙進士合格者を出している。
南宋代の「陳揆」という人物が特に有名だ(と同僚に教えてもらった)。

建物自体は明清時代のものだというが、
それでも軽く300年以上は残っている。
また、この村の特徴は「七星八斗」というものがあること。

七星とは、各T字路にちょっと大きめな演台があり、
そこに有力者達が立って、人々にいろいろな話をしたという場所。
これが村で七箇所ある。

八斗は、村中にある池をまとめて呼ぶ総称で、
当然ながら、八つの池がそれに指定されている。
現在最も大きい池には、のんきに水牛が泳いでいた。

芙蓉村を後にして、
今度は楠渓江という川へ向かう。
目的は、中国人が大好きな漂流(川下り)。

日本人が「川下り」と聞くと、
「ファイトー!いっぱーつ!」
な世界を想像するだろうが、
こちらは何とものどかな川下り。
あまりののどかさに途中で寝てしまいそうになるくらいだ。

さてその河。
地元でも有名な川らしく、
多くの地元民が来ていた。

彼らの目的は実に様々。
中学生くらいの男子はズボンを脱ぐや否や、
すぐさま川に飛び込み泳ぎ始めた。

と横を見ると、
おばちゃんがじゃばじゃばとやっている。
そう、川の水で洗濯をしているのだ。

さらに、向こうをみると、
小さい女の子の頭が真っ白になっている。
泡だらけで真っ白になっている。

ここはガンジス川か?!
そのうち、死体が流れてくるのではないかと冷や冷やしたが、
それは、かろうじて大丈夫だった。

とまあ、こんな感じで一日目終了。
夜はやっぱり夜中までマージャン・カードを
そりゃもう、やかましくやっていたんだけどね。