職場に男子トイレがある。
当たり前だ。
女子トイレがあれば男子トイレもあるはずだ。
うちの職場もその前例に違わず、
女子トイレがあるから男子トイレもある。
自然の摂理に則っるくらいの常識はわきまえているようだ。
その男子トイレには奇妙な言い伝えがある。
私も赴任した頃に小耳に挟んだだけだが、
その私の耳垢にまみれた情報を、
その後、自らが念入りに調査した結果、ある結論に達した。
ここに報告する次第である。
その前に、職場の男子トイレを紹介しておく。
みなさんは男子トイレというものをご存じだろうか?
うら若き乙女たちの中には、
「いや~、わかんな~い」などと、
一体誰に向けてアピールしてるのだというような今時流行らない「とぼけ」っぷりをかまし、
知らんぷりを決め込もうとする向きもあろうが、
そんな乙女たちも、大人になり、子供を産み、
子供がようやく手のかからない年齢になった頃に、
新宿から安い温泉バスツアーが出ているわよと、
隣のミチコちゃんのママにそそのかされ、
じゃあ、ケンタくんのママも誘っていっしょに行きましょうよ、なんてことになり、
朝早くから準備万端で、予定時刻よりも30分も早く新宿に着いて、
ミチコちゃんのママ遅いなあ、寒いからコーヒーでも飲んで待ってましょう、
いいわ、私が買ってくるから、
あ、悪いわね、とコーヒーを飲みながら待っていると、
出発時間のギリギリになって、ようやくミチコちゃんママがやってきて、
ごめんごめん、うちの亭主がさあ、なんて言い訳をいいだしたけど、
もう、時間よ、早く乗っちゃいましょうよ、と慌てて乗ったはいいけれど、
うっかり出発前にトイレに行くのを忘れてしまい、
んなもんで、すぐさまトイレに行きたくなってしまったのだが、
そのバスは安いツアーだけあって、旧型だったのが運の尽き、車内にトイレなぞなく、
ああ、コーヒーなんて飲まなければよかった、ミチコちゃんママのせいだわ、
などと、ぼやいてみても後の祭り、
途中休憩までひたすら遠くを見てみたり、
意味なく話しかけてみたり、
足を何度も組み替えてみたり、何とか気をそらし続けていると、
ようやく旧型バスはパーキングエリアに進入、
我先とトイレまで急ごうとするも、走ると粗相をしてしまう危険性があるので、
競歩選手もかくありなん、というスピードで前へ着実に進み、
女子トイレ前にたどり着いたところ、
その日は、絶好の行楽日和の土曜日だったため、女子トイレには長い行列、
ああ、もう我慢できない、背に腹は代えられない、
私はもうおばさんだから、恥なんて棄ててしまったわ、
と、男子トイレに飛び込んでいく、
そんな状況が必ず訪れるはず。
なので、男子トイレそのものの説明は省くとする。
さて、職場の男子トイレである。
職場の男子トイレは少々変わっており、
エレベーターが完備されている近代的建物であるにもかかわらず、引き戸である。
しかも、和風の。
和風である以上、そこで面倒だがいったん靴を脱いで中に置いてある下駄に履き替えなくてはならない。
脱いだ靴はきちんと揃え、下駄箱にしまうのがルール。
下駄は、大きいものから小さめのものまで揃っており、鼻緒も黒一色という渋い構成。
でも、なぜか右だけが一つ多い。
だれかが、左を脱ぎ忘れてそのまま出て行ってしまったのだろうか。
ともかく下駄を履いて中に入ると、そこは十畳ほどの広さ。
入ってまず目に入るのが、正面の大きな窓。
そして、その窓の先に広がるオーシャンビュー。
職場で一番の自慢の景色がこの男子トイレだという。
頃合いを見計らって、ここで愛を語らっている連中もいるというのだから恐れ入る。
また、窓の下には小さな踏み台があり、泳ぎたくなったら、そこから飛び込んでも構わないらしい。
ただし、命の保証はないとのこと。
そして、入り口からみて右側に洗面台があり、鏡にはルージュで伝言がされていたりする。
男子トイレなのに。
そのまま奥に進むと、右手に小水用のトイレがある。
一番手前は障害者用になっているが、なぜかいつもグレープ味のガムが挟まっている。
ミント系であることはない。
まわりには手すりがあるが、これは唐草文様でデコレートされている。
不思議な光景だ。
小水用の正面、つまり、入り口から見て左手、そこは個室である。
個室は都合3個。
奥から松・竹・梅のプレートがかかっている。
梅プレートの横には誰が書いたか知らないが、
「すっぱい」と油性マジックで落書きがされている。
そこで用を足すと、「すっぱいのか?」と想像をかき立てられる。
その点、竹は幼稚だ。
「竹丸参上!夜露死苦!」と書いてある。
いまどきそりゃねえだろ。
職場に元暴走族リーダーがいるのかもしれない。
問題は松である。
そしてこの松ルームこそが問題の場所である。
松の扉はいたって綺麗。
誰も落書きをしていないどころか、常に磨かれて光っている。
誰かが蹴り飛ばした下駄の跡すらついていない。
洗剤のコマーシャルか、と疑ってしまうほどの白さである。
そして、いつも扉は閉まっている。
鍵が閉まっているのだ。
いつ行っても、必ず閉まっている。
ドアをノックしても、返事はない。
あなたのおうちはどこですか、と尋ねても、
ニャンニャンニャニャーンすら帰ってこない。
誰もいないのではないか。
でも、音がするのである。
耳を澄ませば、扉の向こうから、
「カラカラカラカラ」とかすかに音が聞こえてくる。
まるで風車が風に吹かれているようなかすかな音である。
もしや、風車の弥七?
ねえねえ、弥七?
トイレに風車を指したまんま旅に出た?
だけど、風がないときにも音がしているので、恐らく違うだろう。
じゃあ、何?
「カラカラカラカラ」
「カラカラカラカラ」
誰もいない電気が消えているときにも鳴っているという。
ああ、もう、そうなると、それしかないよね。
あれだ、よくタモリさんがやっているやつ。
軽快なんだか不気味なんだかわかんない音楽が鳴っている奴。
職場ではそういうことで落ち着いている。
だから、誰もそこは突っ込まないことにしている。
見て見ぬふり、聞いて聞かないふり、
まさに臭いものに蓋をする精神で男子トイレは満たされている。
でも、私は聞いてしまった。
あるとき、偶然にも聞いてしまった。
「カラカラカラカラ」
「カラカラカラカラ」
という例の音が響いたあとに、
「カツーン」という金属製のものが何かに当たる音を。
その直後、「あ、なくなった」という声が。
確かに聞こえた。
聴力左2.0、右2.0の私の耳が確かに捕らえた。
そして、ビリビリとビニールを破く音が聞こえ、
なにやらごそごそとやる音が聞こえたのち、
再び「カラカラカラカラ」と音が鳴り出した。
そのとき私は得心がいった。
雷に打たれたように体中に衝撃が走った。
もしかしたら、本当に雷に打たれていたのかもしれない。
だって、髪の毛がチリチリになっていたから。
気付いたらトイレの床に寝転んでいたから。
以上が、私の報告である。
もう皆さんはおわかりだろう。
皆まで言うまい。
信じるか信じないかはみなさんにおまかせしよう。
だけど、これだけは言える。
そのとき、私がかみの啓示を受けたことは、まごうことなき事実なのだ、と。
なお、この話は全て本当の話である。
「一杯のかけそば」と同じくらいに。
当たり前だ。
女子トイレがあれば男子トイレもあるはずだ。
うちの職場もその前例に違わず、
女子トイレがあるから男子トイレもある。
自然の摂理に則っるくらいの常識はわきまえているようだ。
その男子トイレには奇妙な言い伝えがある。
私も赴任した頃に小耳に挟んだだけだが、
その私の耳垢にまみれた情報を、
その後、自らが念入りに調査した結果、ある結論に達した。
ここに報告する次第である。
その前に、職場の男子トイレを紹介しておく。
みなさんは男子トイレというものをご存じだろうか?
うら若き乙女たちの中には、
「いや~、わかんな~い」などと、
一体誰に向けてアピールしてるのだというような今時流行らない「とぼけ」っぷりをかまし、
知らんぷりを決め込もうとする向きもあろうが、
そんな乙女たちも、大人になり、子供を産み、
子供がようやく手のかからない年齢になった頃に、
新宿から安い温泉バスツアーが出ているわよと、
隣のミチコちゃんのママにそそのかされ、
じゃあ、ケンタくんのママも誘っていっしょに行きましょうよ、なんてことになり、
朝早くから準備万端で、予定時刻よりも30分も早く新宿に着いて、
ミチコちゃんのママ遅いなあ、寒いからコーヒーでも飲んで待ってましょう、
いいわ、私が買ってくるから、
あ、悪いわね、とコーヒーを飲みながら待っていると、
出発時間のギリギリになって、ようやくミチコちゃんママがやってきて、
ごめんごめん、うちの亭主がさあ、なんて言い訳をいいだしたけど、
もう、時間よ、早く乗っちゃいましょうよ、と慌てて乗ったはいいけれど、
うっかり出発前にトイレに行くのを忘れてしまい、
んなもんで、すぐさまトイレに行きたくなってしまったのだが、
そのバスは安いツアーだけあって、旧型だったのが運の尽き、車内にトイレなぞなく、
ああ、コーヒーなんて飲まなければよかった、ミチコちゃんママのせいだわ、
などと、ぼやいてみても後の祭り、
途中休憩までひたすら遠くを見てみたり、
意味なく話しかけてみたり、
足を何度も組み替えてみたり、何とか気をそらし続けていると、
ようやく旧型バスはパーキングエリアに進入、
我先とトイレまで急ごうとするも、走ると粗相をしてしまう危険性があるので、
競歩選手もかくありなん、というスピードで前へ着実に進み、
女子トイレ前にたどり着いたところ、
その日は、絶好の行楽日和の土曜日だったため、女子トイレには長い行列、
ああ、もう我慢できない、背に腹は代えられない、
私はもうおばさんだから、恥なんて棄ててしまったわ、
と、男子トイレに飛び込んでいく、
そんな状況が必ず訪れるはず。
なので、男子トイレそのものの説明は省くとする。
さて、職場の男子トイレである。
職場の男子トイレは少々変わっており、
エレベーターが完備されている近代的建物であるにもかかわらず、引き戸である。
しかも、和風の。
和風である以上、そこで面倒だがいったん靴を脱いで中に置いてある下駄に履き替えなくてはならない。
脱いだ靴はきちんと揃え、下駄箱にしまうのがルール。
下駄は、大きいものから小さめのものまで揃っており、鼻緒も黒一色という渋い構成。
でも、なぜか右だけが一つ多い。
だれかが、左を脱ぎ忘れてそのまま出て行ってしまったのだろうか。
ともかく下駄を履いて中に入ると、そこは十畳ほどの広さ。
入ってまず目に入るのが、正面の大きな窓。
そして、その窓の先に広がるオーシャンビュー。
職場で一番の自慢の景色がこの男子トイレだという。
頃合いを見計らって、ここで愛を語らっている連中もいるというのだから恐れ入る。
また、窓の下には小さな踏み台があり、泳ぎたくなったら、そこから飛び込んでも構わないらしい。
ただし、命の保証はないとのこと。
そして、入り口からみて右側に洗面台があり、鏡にはルージュで伝言がされていたりする。
男子トイレなのに。
そのまま奥に進むと、右手に小水用のトイレがある。
一番手前は障害者用になっているが、なぜかいつもグレープ味のガムが挟まっている。
ミント系であることはない。
まわりには手すりがあるが、これは唐草文様でデコレートされている。
不思議な光景だ。
小水用の正面、つまり、入り口から見て左手、そこは個室である。
個室は都合3個。
奥から松・竹・梅のプレートがかかっている。
梅プレートの横には誰が書いたか知らないが、
「すっぱい」と油性マジックで落書きがされている。
そこで用を足すと、「すっぱいのか?」と想像をかき立てられる。
その点、竹は幼稚だ。
「竹丸参上!夜露死苦!」と書いてある。
いまどきそりゃねえだろ。
職場に元暴走族リーダーがいるのかもしれない。
問題は松である。
そしてこの松ルームこそが問題の場所である。
松の扉はいたって綺麗。
誰も落書きをしていないどころか、常に磨かれて光っている。
誰かが蹴り飛ばした下駄の跡すらついていない。
洗剤のコマーシャルか、と疑ってしまうほどの白さである。
そして、いつも扉は閉まっている。
鍵が閉まっているのだ。
いつ行っても、必ず閉まっている。
ドアをノックしても、返事はない。
あなたのおうちはどこですか、と尋ねても、
ニャンニャンニャニャーンすら帰ってこない。
誰もいないのではないか。
でも、音がするのである。
耳を澄ませば、扉の向こうから、
「カラカラカラカラ」とかすかに音が聞こえてくる。
まるで風車が風に吹かれているようなかすかな音である。
もしや、風車の弥七?
ねえねえ、弥七?
トイレに風車を指したまんま旅に出た?
だけど、風がないときにも音がしているので、恐らく違うだろう。
じゃあ、何?
「カラカラカラカラ」
「カラカラカラカラ」
誰もいない電気が消えているときにも鳴っているという。
ああ、もう、そうなると、それしかないよね。
あれだ、よくタモリさんがやっているやつ。
軽快なんだか不気味なんだかわかんない音楽が鳴っている奴。
職場ではそういうことで落ち着いている。
だから、誰もそこは突っ込まないことにしている。
見て見ぬふり、聞いて聞かないふり、
まさに臭いものに蓋をする精神で男子トイレは満たされている。
でも、私は聞いてしまった。
あるとき、偶然にも聞いてしまった。
「カラカラカラカラ」
「カラカラカラカラ」
という例の音が響いたあとに、
「カツーン」という金属製のものが何かに当たる音を。
その直後、「あ、なくなった」という声が。
確かに聞こえた。
聴力左2.0、右2.0の私の耳が確かに捕らえた。
そして、ビリビリとビニールを破く音が聞こえ、
なにやらごそごそとやる音が聞こえたのち、
再び「カラカラカラカラ」と音が鳴り出した。
そのとき私は得心がいった。
雷に打たれたように体中に衝撃が走った。
もしかしたら、本当に雷に打たれていたのかもしれない。
だって、髪の毛がチリチリになっていたから。
気付いたらトイレの床に寝転んでいたから。
以上が、私の報告である。
もう皆さんはおわかりだろう。
皆まで言うまい。
信じるか信じないかはみなさんにおまかせしよう。
だけど、これだけは言える。
そのとき、私がかみの啓示を受けたことは、まごうことなき事実なのだ、と。
なお、この話は全て本当の話である。
「一杯のかけそば」と同じくらいに。