蛇口が取れた

4年半の杭州生活を終え、ついに帰国。現在、中国人化後遺症に悩まされ、好評リハビリ中。

本当に感謝です

2010-07-27 11:55:38 | 歴史・文学
多くの方々から御著書・御論文をいただきました。
感謝しております。
以下、ご紹介させていただきます。

小金井信宏氏からは、同『中医学ってなんだろう①人間のしくみ』(東洋学術出版社、2009)、同『医理真伝編註』(ブイツーソリューション、2010)、
増尾伸一郎氏からは、『道教美術の可能性』(氏の「日本の君王、道士法を崇めず―古代日本における道教と文物の受容」を所収。勉誠出版、2010)、
山下克明氏からは、同『陰陽道の発見』(NHKブックス、2010)、同「平安時代初期の政治課題と漢籍―三伝・三史・『劉子』の利用―」(『東洋研究』171、2009)、同「陰陽道の特質と関係典籍」(『東洋研究』175、2010)、
高木徳郎氏からは、同『中世紀州の景観と地域社会』(2010)、
石川巧氏からは、同『「いい文章」ってなんだ?―入試作文・小論文の歴史』(ちくま新書、2010)、
瀧音能之氏からは、同『古事記と日本書紀でたどる日本神話の謎』(青春新書、2010)、
森公章氏からは、森公章・神田千里他篇『日本における地域と社会集団―公共性の構造と変容―』(科研報告書、2010)、同「「任那」の用法と「任那日本府」(「在安羅諸倭臣等」)の実態に関する研究」(『東洋大学文学部紀要』63集史学科篇35号、2010)、同「遣隋・遣唐留学者とその役割」(『東アジア世界史研究センター年報』4、2010)、
吉原浩人氏からは、『甲斐善光寺』(山梨歴史美術研究会、2009)、同「紀斉名勧学会詩序考―白居易の仏教思想と十五日開筵の意義―」(『水門』22、2010)、同「生身仏への鑚仰―世界最初の仏像と日本最初の仏像―」(『心 日曜講演集』28、2009)、同「紀斉名勧学会詩序訳註」(『早稲田大学大学院文学研究科紀要』55、2009)、同「高階積善勧学会詩序考―白居易詩文と天台教学の受容―」(高松寿夫・雋雪艶編『日本古代文学と白居易―王朝文学の生成と東アジア文化交流―』、勉誠出版、2010)、
倉田実氏からは、秋澤亙・川村裕子編『王朝文化を学ぶ人のために』(氏の「王朝文化と建築―寝殿造の様式から―」所収。世界思想社、2010)、同「女院詮子の東三条邸本院焼亡と三条院御所―『権記』と『栄花物語』から―」(『大妻国文』41、2010)、同「寝殿造の接客空間―王朝文学と簀子・廂の用―」(『古代文学研究』第二次18、2009)、同「女が男に物を返す時―平安和歌にみる離婚・離縁―」(『大妻女子大学紀要』42、2010)、

河野貴美子氏からは、同「『弘決外典鈔』音釈小考」(『注釈史と考証』創刊号、2009)、同「本草学と医薬書」(小峯和明編『漢文文化圏の説話世界』、竹林舎、2010)、同「『周易』在古代日本的継承与展開」(『中国典籍与文化』72、2010)、同「島田忠臣、菅原道真の詩と白居易―渤海使との贈答詩を通して―」(高松寿夫・雋雪艶編『日本古代文学と白居易―王朝文学の生成と東アジア文化交流―』、勉誠出版、2010)、
大多和朋子氏からは、同「遊行女婦考―日本古代史における遊女の一起源の研究―」(『学習院大学人文科学論集』7、1998)、禹仁秀(翻訳:大多和朋子)「朝鮮王朝妓生の管理体系とその流出の様相」(『東洋文化研究』9、2007)、
田村航氏からは、同「西雲庵の素性―足利義教政権期における大炊御門家ー」(『日本歴史』735)、
堀内和宏氏からは、同「律令官制の形成とその特質」(『アジア研究と地域文化学』、2009)
董科氏からは、同「奈良時代前後における疫病流行の研究―『続日本紀』に見る疫病関連記事を中心に―」(『東アジア文化考証研究』3、2010)、
新川登亀男氏からは、同「古代朝鮮半島の舎利と舎利銘文―飛鳥寺再考の準備として―」(鈴木靖民編『古代東アジアの仏教と王権』、勉誠出版、2010)、同「いま日本古代史とは何か~「おどろき」への喚起~」(『人民の歴史学』183、2010)、同「「日本」呼称と遣唐使」(ファン・ハイ・リン編『日本研究論文集 社会・文化史』、世界出版社、2010)、同「文字の伝来」(荒野泰典他編『東アジア世界の成立』、吉川弘文館、2010)、
井上亘氏からは、同「「大化改新」管見」(『北大史学』14、2009)、
野村英登氏からは、同「民国初期の武術と内丹―呼吸法の近代化をめぐって―」(田中文雄、テリー・クリーマン編『道教と共生思想』、大河書房、2009)、
河野保博氏からは、同「唐代交通の宿泊施設―宗教施設の供給機能を中心として―」(『國學院大學大学院紀要―文学研究科―』41、2010)、
鄭淳一氏からは、同「承和年間における日本の対外交渉と新羅康州」(『アジア研究と地域文化学』、2010)、
荒井秀規氏からは、同「大嶋郷戸籍復原考―擦消・書き直しの考察と剥離紙片からの復原」(『古代学研究所紀要』11、2009)、
堀部猛氏からは、同「織部司臨時所と内蔵寮―平安初期における手工業生産官司の再編―」(『史境』59、2009)、上高津貝塚ふるさと歴史の広場『神の寺・山の寺・里の寺―古代仏教信仰の広がり―』(2010)、
坂上康俊氏からは、同「榎本淳一著『唐王朝と古代日本』」(『法制史研究』59、2010)、同「八~十一世紀日本の南方領域問題」(九州史学研究会編『境界からみた内と外』、岩田書院、2008)、同「天聖令の藍本となった唐令の年代比定」(大津透編『日唐律令比較研究の新段階』、山川出版社、2008)、同「日本に舶載された唐令の年次比定について」(『史淵』146、2009)、同「対馬・金田城の調査成果」(『海路』4、2007)、同「天聖令藍本唐開元二十五年令説再論」(『史淵』147、2010)、
佐々木聡氏からは、同「『白澤図』輯校―附解題―」(『東北大学中国語学文学論集別刷』14、2009)、同「『女青鬼律』に見える鬼神観及びその受容と展開」(『東方宗教』113、2009)、同「蛇ノ巻、中国古代編」(『幽』7、2007)、
高田宗平氏からは、同「『令義解』「上令義解表」の注釈所引『論語義疏』の性格について」(『日本漢文学研究』5、2010)、
小倉慈司氏からは、同「道昭―日本仏教を形づくった僧侶」(鎌田元一編『古代の人物①日出づる国の誕生』、清文堂出版、2009)、同「書評と紹介:有富純也著『日本古代国家と支配理念』」(『日本歴史』741、2010)、同「書評:遠藤慶太著『平安勅撰史書研究』」(『市大日本史』11、2008)、同「親王・王成年式表」(『書陵部紀要』61、2010)、同「古代在地社会における「神社」の存在形態と青木遺跡」(『国史学』194、2008)、
藤本誠氏からは、同「『東大寺諷誦文稿』の史料的特質をめぐる諸問題―書き入れを中心として―」(『水門』22、2010)、
亀谷弘明氏からは、同「上総・安房の古代氏族について」(『千葉史学』56、2010)、同「展示評:鉄道博物館」(『歴史学研究』864、2010)、
河内春人氏からは、同「倭の五王と中国外交」(荒野泰典他編『東アジア世界の成立』、吉川弘文館、2010)、同「書評:仁藤敦史著『卑弥呼と台与―倭国の女王たち』」(『歴史と地理」635、2010)、同「書評:石見清裕著『唐代の国際関係』」(『環』41、2010)、
有働智奘氏からは、同「古代日本における鏡の宗教性―多紐細文鏡と仏獣鏡を中心に―」(『國學院雑誌』110-4、2009)、同「欽明朝の宗教交流―仏教受容と建邦之神について―」(『國學院大學大学院紀要―文学研究科―』41、2010)、
ファム・レ・フイ氏からは、同「賦役令車牛人力条からみた逓送制度」(『日本歴史』号数不明)、同「On Some Local Chiefdoms during the Chinese Tang's Colonization of Vietnam」(『Historical Studies』9(401)、2009)、

をそれぞれ頂戴いたしました。
本来ならば、一つ一つ返答をし、こちらの拙稿をお送りするべきなのですが、
怠惰なため、失礼を致しております。
感謝すると共に、お詫び申し上げます。

今後とも宜しくお付き合い下さいますようお願い申し上げます。

ありがとうございまするん

2010-02-04 19:25:40 | 歴史・文学
多くの方々から貴重なご研究の成果を頂戴致しました。
この場を借りて紹介させて頂きます。


東陽市博物館からは、『東陽宝薈』(浙江人民美術出版社、2008年)、
鄭州大学からは、麻国鈞著『日本民俗芸能巡礼』(外語教学与研究出版社、2009年)、苑崇利編著『日本文化概観』(外語教学与研究出版社、2008年)、劉建強編著『新編日本史』(外語教学与研究出版社、2002年)、王建民主編『中日文化交流史』(外語教学与研究出版社、2007年)、
遠藤慶太氏からは、皇學館大學記紀研究会・富山県神社庁教化委員会教学部会共編『日本書紀〈神代巻〉を読む-富山に祀られる神々-』(氏の「『日本書紀』の写本と注釈-読書史をたどる-」所収、2009年)、皇學館大學史料編纂所報『史料』220-222(2009年)、同「『日本書紀』の分註-伝承の複数性から-」(『ヒストリア』214、2009年)、
法政大学国際日本学研究所からは、同編『国際日本学-ことばとことばを越えるもの-』(法政大学国際日本学研究センター、2007年)、同編『中国人の日本研究-相互理解のための思索と実践-』(法政大学国際日本学研究センター、2009年)、
関西大学アジア文化交流研究センターからは、同編『東アジア文化交流と経典詮釈』(2009年)、
山口大学時間学研究所からは、『時間学研究』3(2009年)、
黒田智氏からは、同『なぜ対馬は円く描かれたのか-国境の聖域(アジール)と日本史』(朝日新聞出版、2009年)、
郭万平氏からは、同・張捷主編『舟山普陀与東亜海域文化交流』(氏の「日本中世以来「補陀落渡海」述略-兼評根井浄著『改訂補陀落渡海史』」所収、浙江大学出版社、2009年)
郝祥満氏からは、同『朝貢体系的建構与解構-別眼相看中日関係史』(湖北人民出版社、2007年)、
東野治之氏からは、同『鑑真』(岩波書店、2009年)、
李勇華氏からは、鈴木泰恵・高木信・助川幸逸郎・黒木明興編『〈国語教育〉とテクスト論」(氏の「中国の国語教育における文学教育の現状」所収、ひつじ書房、2009年)、
王勇氏からは、王麗萍校点『新校参天台五臺山記』(上海古籍出版社、2009年)、


曾布川寛氏からは、同「中国出土のソグド石刻画像試論」(京都大学人文科学研究所『中国美術の図像学』、2006年)、同「雲岡石窟再考」(『東方学報』83、2008年)、
金文京氏からは、同「『杜家立成雑書要略』と唐代文学」(『中国文史論叢』5、2009年)、
久保智康氏からは、同「顕密仏教における『鏡』という装置」(『日本仏教綜合研究』7、2009年)、
酒寄雅志氏からは、同「遣唐使時代における渤海の位置」(『東海史学』41、2007年)、同「北関東の古代社会と渡来人・蝦夷」(『国史学』198、2009年)、
葛継勇氏からは、同「渡来系万葉歌人妙観の苗字と出自-『万葉集』と『続日本紀』に見える渡来人についての一考察-」(『万葉古代学研究所年報』7、2009年)、同「隋倭関係新考-以『異国牒状記』的記載為中心」(『唐都学刊』24-4、2008年)、同「揚州白塔寺与唐日仏教交流」(『揚州大学学報』13-4、2009年)、
吉原浩人氏からは、同「大江匡房『白河院金字一切経供養願文』訳註」(2008年国際シンポジウム報告書『仏教声楽に聴く漢字音-梵唄に古韻を探る-』、二松学舎大学、2009年)、同「慶滋保胤『晩秋過参州薬王寺有感』詩序訳註-白居易詩文摂取の方法(二)-」(『水門』21、2009年)、
深澤瞳氏からは、同「新任国司下向の門出と陰陽師の勘申-古記録と『蜻蛉日記』から-」(『日記文学研究』第三集、新典社、2009年)、
多田伊織氏からは、同「祢布ケ森遺跡出土『詩経木簡』をめぐって」(『木簡研究』31、2009年)。


今後とも宜しくお願い致します。


もらって乾杯!

2009-08-20 12:52:59 | 歴史・文学
また様々な分野の方々からご著書・ご論文を頂戴致しました。
改めて御礼申し上げます。
どうもありがとうございました。
今後ともよろしくお願い致します。

倉田実氏からは、同「藤本勝義著『源氏物語の物忌-紫式部と陰陽道信仰-」(社団法人紫式部顕彰会編『源氏物語と紫式部-研究の軌跡 研究史篇』、角川文芸出版、2008年)、『関西頌 THE KANSAI』(関西廣済堂、1994年)、大妻学院創立100周年・大妻女子大学国文学会創立40周年記念『梶井基次郎資料展図録』(2008年)、
森公章氏からは、同『遣唐使の特質と平安中・後期の日中関係に関する文献学的研究』(科研報告書、2009年)、
郭万平氏からは、王勇・郭万平等著『南宋臨安対外交流』(杭州出版社、2008年)、
吉原浩人氏からは、同編『古鈔本『江都督納言願文集』』(二松学舎大学21世紀COEプログラム、2009年)、
小金井信宏氏からは、同『漢方アカデミー・テーマブック① アトピーのお子さまをお持ちのお母さまに贈るメッセージ』(ドラッグマガジン、2009年)、
北條勝貴氏からは、倉田実・久保田孝夫編『王朝文学と交通』(氏の「伊勢・熊野への道」所収。竹林舎、2009年)、同「古代日本の神仏信仰」(『国立歴史民俗博物館研究報告』148、2008年)、同「死者表象をめぐる想像力の臨界-祭祀を求める者は誰か-」(『物語研究』9、2009年)、
岡田芳朗氏からは、同『暦に見る日本人の知恵』(NHK出版、2008年)、同編集・解説「南部めくら暦-盛岡絵暦-」、
鈴木一馨氏からは、小池淳一研究代表『呪術・呪法の系譜と実践に関する総合的調査研究』(氏の「『簠簋内伝』の陰陽道書としての位置付けに関する検討」、「皆川家旧蔵資料目録」を所収。科研報告書、2007年)、同「京都市大将軍八神社所蔵『皆川家旧蔵資料目録』について」(大東文化大学東洋研究所編『年代学(天文・暦・陰陽道)の研究』、汲古書院、1996年)、同「『符天暦日躔差立成』とその周辺」(『駒沢史学』51、1998年)、


細井浩志氏からは、同「中国天文思想導入以前の倭国の天体観に関する覚書-天体信仰と暦-」(『桃山学院大学総合研究所紀要』34-2、2008年)、同「陰陽寮の四人の「博士」」(『歴史読本』2009年1月号)、同「陰陽寮と天文暦学教育」(『「第2回天文学史研究会」集録』、2008年)、
遠藤慶太氏からは、同「持統太上天皇の三河行幸-三河と東国-」(『続日本紀研究』375、2008年)、同「古写経識語の神仏-天平宝字二年道行知識経の識語をめぐって-」(『九州史学』151、2008年)、『皇學館大學史料編纂所報 史料』217・218(218に氏の「高山寺蔵『宿曜占文抄』の伝記史料」所収。2008年)、竹本晃「古写経研究の可能性-道行知識経について-」(『九州史学』151、2008年)、
高田宗平氏からは、同「『政事要略』所引『論語義疏』の性格について」(『国立歴史民俗博物館研究報告』145、2008年)、
水野柳太郎氏からは、同「いわゆる光明立后の詔について」(『奈良史学』26、2009年)、
新川登亀男氏からは、同「墓誌の社会史~日本列島を中心にして~」(新川登亀男・高橋龍三郎編『東アジアの歴史・民族・考古』、雄山閣、2009年)、
盧向前氏からは、同「従中晩唐政治社会変化看唐宋変革-評黄正建主編『中晩唐社会与政治研究』」(『唐研究』13、2007年)、同・熊偉「『天聖令』所附『唐令』為建中令弁」(『国学研究』22、2008年)、
吉田晶氏からは、同「郷戸構成と家刀自-県造奈爾毛売から-」(『郵政考古紀要』45、2009年)、同「日本古代の個別経営に関する諸問題-大宝二年御野国戸籍を素材として-」(『市大史学』12、2009年)、

ぼく、もらいほん

2009-01-12 22:32:55 | 歴史・文学
毎回毎回、すいません。
本当に助かります。
中国に来てから、何だか交流も広がり、
いろいろな分野の方からいただけるようになり、嬉しい限りです。
私もこれにきちんと答えられるようになればいいのですが。

感謝の気持ちを込め、以下に紹介させて頂きます。

北條勝貴氏からは、中部大学国際人間学研究所編『アリーナ』5号(氏の「『日本書紀』と祟咎-「仏神の心に祟れり」に至る言説史」所収。2008年)、同「礼拝威力、自然造物-『三宝絵』所収「長谷寺縁起」の生成と東アジア的言説空間-」(早島有毅編『親鸞門流の世界-絵画と文献からの再検討-』、2008年)、同「中村生雄・三浦佑之・赤坂憲雄編『狩猟と供犠の文化誌』」(『民俗文化』20、2008年)、
吉原浩人氏からは、竹居明男編『北野天神縁起を読む』(氏の「寺社縁起としての北野天神縁起」所収。吉川弘文館、2008年)、
河野貴美子氏からは、『アジア遊学114 特集:東アジアの文学圏』(氏の「『新羅殊異伝』佚文「崔致遠(仙女紅袋)」について」所収。勉誠出版、2008年)、
黒田智氏からは、海老澤衷先生の還暦を祝う会編『懸樋抄』(2008年)、『アジア遊学115 特集:縁起の東西』(氏の「縁起を物語る力」所収。勉誠出版、2008年)、
松尾剛次氏からは、同『破戒と男色の仏教史』(平凡社新書、2008年)、


清水浩一郎氏からは、同「南宋告身の文書形式について」(『歴史』109、2007年)、同「南宋高宗朝の給事中と中書舎人-呂中『皇朝中興大事記』「再除給舎」をてがかりに-」(『歴史』106、2006年)、
小二田章氏からは、同「『名臣』から『名地方官』へ-范仲淹の知杭州治績に見る『名地方官像』の形成-」(『早稲田大学大学院研究科紀要』53-4、2008年)、
鄭潔西氏からは、同「秀吉の中国人説について」(『或門』14、2008年)、
池上良正氏からは、同「現代中国の仏教復興-上海市の寺院調査から-」(『駒沢大学 文化』26、2008年)、

をそれぞれご恵与頂きました。
どうもありがとうございました。

朋だちが遠くからきてくれちゃって、超うれしい

2008-10-26 23:44:58 | 歴史・文学
ついにオープン!

ボクが杭州に来たのは3年前。
その年の秋にはすでに改修が始まっていた。
そのため、正式に中にはいることはできなかった。
(1度、改装中にそこの人の取り計らいで見学させてもらいましたが)

何が、というと、杭州碑林が。

もともと、ここは孔子廟。
その中に杭州碑林と呼ばれる碑石を集めた展示場がある。
ここが改修工事のため、3年間閉鎖されたままだった。
だから、歴史系の知人が来ても紹介することができなかった場所。

そこがなが~い改修工事を終え、ようやく一般公開に。

いやあ、綺麗になっていたよ。
改修中は、なんだか雑然としていたけど、大成殿もとても立派で。
ああ、大成殿というのは、お寺でいうところの本堂みたいなもの。
孔子さんなり何なりが、祀ってあるところなんだけど。
(ちなみに、大成殿に入ったら是非天井をみるべし。素晴らしい装飾画が復原されているから)

さて、自分的にここの目玉はなんといっても
銭元瓘墓石刻星像図」という天文図。
五代時代呉越国の第二代国王銭元瓘の墓の天上に描かれたもの。
後晋の天福6年(941)に刻されたものだという。
これは蘇州にある天文図よりも早い時代のもので、世界的にも非常に貴重。
それが、きちんと、余すところ無く、公開されている。
バシバシバシバシと写真を撮りまくってしまったよ。

その他には、南宋太学の石経
簡単にいうと、石に刻まれた儒教経典(四書五経)なんだよね。
石経といえば西安碑林博物館にある唐開成石経が有名だけど、
実はここ杭州にも残存しているのです。

全部で85石で、
『周易』『尚書』『毛詩』『春秋左氏伝』『論語』『孟子』『中庸』が残っており、
まあ、西安のような規模はないけど(西安は壮観ですらある)、
それでも、貴重であることは間違いない。
これらも余すとこなく、ばっちりと展示されている。

とまあ、ボクのようなものにとっては垂涎の場所なんだけど、
そんな場所でも、杭州ルールに則って、入場料はタダ!!
そして、写真ももちろん撮り放題!!

さらに素晴らしいのは、
何と図録も売っている。
中国は意外と図録がないことが多いんだけど、
ここはきちっと石刻版・大成殿の装飾版と二種類ある。
もちろん、迷わず両方とも購入しましたよ~。
前者は200元(定価380元)、後者は100元(定価200元)。

いやあ、なんかまた行っちゃいそう。


*写真は、タイトルの文章が入っている部分。

御礼申し上げます

2008-08-26 13:44:07 | 歴史・文学
様々な方からご論考等を頂戴いたしました。
以下に紹介し、お礼に代えさせて頂きたいと思います。


高松寿夫氏から、同『上代和歌史の研究』、新典社、2007年
木本好信氏から、同『万葉時代の人びとと政争』(おうふう、2008年)、
北條勝貴氏から、上智大学文学部史学科編『歴史家の散歩道』(氏の「〈積善藤家〉の歴史叙述-『周易』をめぐる中臣鎌足/藤原仲麻呂-」を含む;上智大学出版、2008年)、同「歴史学をめぐるサブ・カルチャーの現状」(『歴史評論』701、2008年)、
竹林舎様から、仁平道明編『王朝文学と東アジアの宮廷文学』(竹林舎、2008年)、
遠藤慶太氏から、同著『平安勅撰史書研究』2刷り(皇學館大学出版部、2008年)、皇學館大學史料編纂所報『史料』200~214(211号に氏の「聖武太上天皇の御葬-法師天皇と黄金の観世音菩薩-」が所収。2005~2008年)、小倉慈司「遠藤慶太著『平安勅撰史書研究』」(『市大日本史』11、2008年)、「祢布ケ森遺跡第41次調査 出土木簡(抄)」(2008年)、


近藤一成氏から、同「鄞県知事王安石と明州士人社会」(『早稲田大学大学院文学研究科紀要』53-4、2008年)
葛継勇氏から、同「鑑真東渡前的弘法活動与法進的出家受戒」(『揚州大学学報』11-4、2007年)、同「20世紀以来的鑑真研究及今後的構想」(『仏学研究』16、2007年)、同「鑑真弟子法進的出身考論」(『信陽師範学院学報』27-6、2007年)、同「『漢人』、『韓人』与『唐人』-日本古典文献中的「唐人」用語探析-」(『外語研究』107、2008年)、同「『続日本紀・鑑真卒伝』考釈-兼与『唐大和上東征伝』比較」(『図書館雑誌』27-203、2008年)
佐藤真人氏から、同「神仏隔離の要因をめぐる考察」(『宗教研究』353、2007年)、同「『延暦寺護国縁起』の考察-成立事情および記家との関係を中心に-」(『季刊日本思想史』64、2003年)、
三橋正氏から、同「平安時代の古記録と『小右記』長元四年条」(『明星大学研究紀要-日本文化学部-言語文化学科』16、2008年)、同「日本的信仰構造の成立と陰陽道」(鈴木靖民編『古代日本の異文化交流』、勉誠出版、2008年)、同「蔵王権現と黄不動-日本の山岳宗教における神の出現-」(明星大学日本文化学部編『言語と芸術』、2007年)、
矢羽野隆男氏から、同「黄遵憲『日本国志』の宗教観-清末外交官の見た神国-」(『東方宗教』109、2007年)、
後藤昭雄氏から、同「坤元録屏風詩をめぐって」(『成城国文学』24、2008年)、同「早稲田大学図書館蔵『小野僧正祈雨之間賀雨贈答詩』をめぐって」(『成城文芸』201、2007年)、
河野貴美子氏から、同「『河海抄』の『源氏物語』注-和漢の先蹤計ふるに勝ふべからず」(小林保治監修『中世文学の回廊』、勉誠出版、2008年)、同「渤海詩と平安時代の宮廷文学」(仁平道明編『王朝文学と東アジアの宮廷文学』、竹林舎、2008年)、
中村璋八氏から、インタビュー「文学博士・中村璋八氏を訪ねて」(『たいまつ通信』37、2008年)、
中島楽章氏から、同「封倭と通貢-一五九四年の寧波開貢問題をめぐって-」(『東洋史研究』66-2、2007年)、
榎本渉氏から、同「『板渡の墨蹟』から見た日宋交流」(『東京大学日本史学研究室紀要』12、2008年)
榊佳子氏から、同「古代における天皇大葬管掌司について」(『国立歴史民俗博物館研究報告』141、2008年)、
新川登亀男氏から、同「遣唐使と文物の移入」(古橋信孝編『万葉集を読む』、吉川弘文館、2008年)、
角南聡一郎氏から、同「瓦鍾馗の研究-研究史と現代-」(『志学台考古』8、2008年)
をそれぞれご恵与頂きました。

ありがとうございました。

大運河日和

2008-04-06 19:05:54 | 歴史・文学
実は今中国は3連休。
4日が清明節といって中国のお彼岸。
で、金土日と3連休なわけ。

っていうか、もともと土日休みだから。
それに、そのせいで今年から5月のGWなくなったから。
しかも、それ、去年の11月に決定したから。

まあ、ともあれ連休中。
この連休中どこも行っていなかったので、
昨晩の雨が嘘のように晴れ渡っていたので、
久しぶりにホントに昼まで寝とぼけていたので、
自転車で運動不足解消がてら運河博物館へ。

運河博物館は名前の通り運河の博物館。
ご存じの通り、北京から杭州まで運河が繋がっている。
この運河掘削にはなが~いなが~い歴史がある。
その歴史を遺物や模型を中心に展示してあるのがこの博物館。

運河博物館はうちから自転車で約30分の運河公園の中にある。
運河公園には博物館の他に、図書館、大型電気店、茶館などがある。
今日は天気のいい日曜日だったので、凧揚げしている人たちもたくさんいた。
まさに中国庶民の普段の生活がよ~くわかる風景が展開している。
こんなところ絶対に観光客は来ないしね。

運河博物館はもちろんタダ。
杭州はほとんどの博物館がタダ。
これはホントにいいことだと思うよ。

タダとはいえ、侮れない。
ちゃんとした遺物なども展示している。
写真も撮り放題だし。

というわけで、アップした写真は、
2004年に発見された唐銭(開元通宝)。
いやあ、大量ですね。
他にも各時代の銭や皿などなど豊富に展示。

普通の杭州観光地には行ってしまった人は是非どうぞ。

文人気分満喫!

2008-03-13 19:49:54 | 歴史・文学
どうしても必要な資料があった。
今抱えている仕事のために。
わずか数文字だったけど、欠かすわけにはいかない。
同業者ならこの気持ちはよ~くわかるはず。

しかし、その資料、本屋では手に入らない。
なので、浙江図書館の友人に電話して調べてもらった。
しばらくして折り返し電話があり、「ある」とのこと。
しかもそれは一般の図書館ではなく、古籍部に。
親切な友人はすでに古籍部に連絡してくれていた。

浙江図書館古籍部のロケーションは最高。
なにせ、西湖のほとり。
浙江省博物館と楼外楼の間にある。
我が家からはやや遠いが、タクシーを飛ばして古籍部へ。

門のところで門番の女性に来訪の理由を述べる。
そこで鞄を預け、必要な道具だけをもって、教えられた白い建物へ向かう。
白い建物へ行く途中に赤煉瓦の建物がある。
これは、清代の皇帝の行宮だったものだという。
ドイツ皇太子が来た時に特別に建造したらしい。

白い建物に入る。
この白い建物も歴史的建造物。
辛亥革命後、浙江臨時省議会が赤い建物を図書館とすると決めた時に、
この白い建物が造築されたという。
その1階の一部屋が閲覧室になっている。

受付で名前と友人が教えてくれた図書館員の名前を告げる。
名前や住所、閲覧理由などを書類に記入する。
すでに連絡が入っていたため、その資料は準備してあった。

閲覧室はそれほど広くない。
4人掛けの机が2つ、
2人掛けの机が2つあるだけ。
すでにほぼ席が埋まっていて、私は2人掛けの席に座った。
正面にはいかにもという感じの老女が座っていた。

昨日は天気もよく、閲覧室の窓はすべて開かれていた。
門を出れば正面は杭州のシンボル西湖。
時折吹き込む風がとても心地よい。

閲覧室の椅子は硬く、決して座り心地がいいものではない。
長時間調査をしていたら、絶対に腰やお尻がいたくなるはず。
だけど、なんだか、それがまたいい感じ。

別に大したことがあるわけでもなく、
そこにいる人たちが特別すごかったわけでもないはず。
だけど、なんだか、気分がいい。

特別理由があるわけではないけど、
何ら根拠があるわけではないけど、
中国文人の仲間入りをした気分。

なんとなく、そんな気持ちになった。
とても、有意義で興奮した一日だった。

なお、この古籍部、文淵閣『四庫全書』を持っている。
写真は閲覧室の正面にあったもの。
おそらく、中にはホンモノの『四庫全書』が。
ついつい、写真を撮ってしまった・・・・・。

芥川も杭州に

2008-01-16 11:00:24 | 歴史・文学
新川登亀男氏からは、同著『日本古代史を生きた人々』(大修館書店、2007)、同『略年譜・著述目録』(2007)、
斎藤英喜氏からは、同著『陰陽道の神々』(思文閣出版、2007)
伊月知子氏からは、グループ・ジャマシイ編著『日本語文型辞典』(くろしお出版、1998)、
住吉大社様からは、『平成二十年住吉暦』、


山下克明氏からは、同「陰陽道の成立と儒教的理念の衰退」(季刊『古代文化』59-2、2007)、同「若杉家文書『反閇作法并作法』『反閇部類記』」(『東洋研究』164、2007)、
河野通明氏からは、同「民具の犂調査にもとづく大化改新新政府の長床犂導入政策の復原」(『ヒストリア』188、2004)、同「7世紀出土一木犂についての総合的考察」(『商経論叢』40-2、2004)、同「長谷川雪旦筆『四季耕作図屏風』の基礎的検討」(『国立歴史民俗博物館研究報告』117、2004)、同「『チャイニーズ・レポジトリー』誌所載清代農具図の再検討」(『歴史と民俗』13、1996)、神奈川大学21世紀COEプログラムシンポジウム報告4『図像・民具・景観 非文字資料から人類文化を読み解く』(氏の「『犂の形態比較から東アジアの民族移動に迫る』のねらい」、「日本の犂に見られる朝鮮系・中国系とその混血型」を含む。2007)、
森公章氏からは、同「律令体制の成立と『大化改新』」(『東アジアの古代文化』133、2007)、
細井浩志氏からは、同「書評と紹介 水口幹記著『日本古代漢籍受容の史的研究』」(『古文書研究』64、2007)、
向林八重氏からは、同「日本古代社会における塩の支給-『延喜式』を中心に-」(『続日本紀研究』364、2006)、同「日本古代における醤の製法について」(『早稲田大学大学院研究科紀要』52、2006)、
井上亘氏からは、同「日本古代官僚制的本質(上)」(『日本研究論集』12、2007)、
管寧氏からは、同「五徳終始説与日本古代王権更迭」(『古代文明』2007年3期)、同「日本古代『初子祭』考弁」(『古代文明』2008年2巻1期)、同「『続日本紀』神亀四年五月辛卯記事考弁」(不明)、
浜田久美子氏からは、「『本朝書籍目録』について-奥書の検討と系統整理-」(阿部猛編『中世の支配と民衆』、同成社、2007)、

をそれぞれご恵与いただきました。
どうもありがとうございました。


*写真は1921年に芥川龍之介が、杭州の有名料理店「楼外楼」で食事をしたときの写真。楼外楼は今でも西湖のほとりにあります。(ガイドブックに必ず載っていますが、地元の人は行きません。私もいまや行きません)
ネタ元は、こちら。
http://hzdaily.hangzhou.com.cn/dskb/html/2007-09/18/content_11630194.htm

ARIGATO 謝謝 CHINA

2007-09-27 17:53:05 | 歴史・文学
多くの方々から貴重な業績を頂戴いたしました。
いつもながら感謝の念に絶えません。
以下に紹介させていただきます。

細井浩志氏からは、同著『古代の天文変異と史書』(吉川弘文館、2007)
趙益氏からは、同著『古典術数文献術論稿』(中華書局、2005)
南京大学域外漢籍研究所からは、張伯偉編『域外漢籍研究集刊』3(中華書局、2007)、左江著『李植杜詩批解研究』(中華書局、2007)、金程宇著『域外漢籍叢考』(中華書局、2007)、張伯偉著『清代詩話東伝略論稿』(中華書局、2007)、劉玉珺著『越南漢喃古籍的文献学研究』(中華書局、2007)、蔡毅著『日本漢詩論稿』(中華書局、2007)、南京大学古典文献研究所主編『古典文献研究』(鳳凰出版社、2007)
関長龍氏からは、同著『中国学術史述論』(四川出版集団巴蜀書社、2004)

松浦史子氏からは、「江淹『五色の筆』新考-『山海経』・郭璞の系譜から-」(『中国詩文論叢』21、2002)、「『天地瑞祥志』にみる『山海経』の受容について」(『アジア地域文化エンハンシング研究センター報告集Ⅳ』2005年度:別冊-若手研究者業績篇-、2006)、)、「崑崙と水-郭璞『山海経図讃』「崑崙丘」にみる水の宇宙」(『松浦友久博士追悼記念 中国古典文学論集』、研文出版、2006)、「江淹『遂古篇』について-郭璞『山海経』注との関わりを中心に-」(『東洋文化研究所紀要』151、2007)
木本好信氏からは、「称徳女帝の『遺宣』-光仁天皇の立太子事情-」(『日本歴史』706、2007)、「称徳・道鏡政権の実態-貴族・官人層との関係-」(『史聚』39・40、2007)、「大伴家持と平城京の政界-政治権力の動向を中心として-」(『万葉古代学研究所年報』5、2007)
王勇氏からは、「『圓仁三蔵供奉入唐請益往返傳記』諸本雑考及び注釈」(『日本漢文学研究』2、2007)
藤野月子氏からは、「唐代の和蕃公主をめぐる諸問題について」(『九州大学東洋史論集』34、2006)
河上麻由子氏からは、「仏教与朝貢的関係-以南北朝時期爲中心」(『伝統中国研究集刊』1、上海人民出版社、2006)
葛継勇氏からは、「鑑真弟子法進的東渡活動与『進記』」(『唐都学刊』23-4、2007)
をそれぞれ頂きました。


*題名は日本女子サッカーチームが試合後に掲げた横断幕から(写真)。さすがに、これには拍手してましたね、みなさん。
でも、これに対して中国国内や日本国内でも賛否両論があると聞いた。中国国内では、「本当に負けたのは中国の観客だ」という意見に対し、「謝罪もしない国を賞賛してどうする」みたいな論調があるらしい。日本では、「あんな横断幕を誰が用意したのか、気持ち悪い」みたいなものもネットで見た。
だけど、あれだけの大ブーイングの中で90分闘って、しかも試合には負けたのに、あの横断幕を掲げた彼女たちの勇気と度量の広さや、それに対して、拍手で応じた中国人観客たちは、正直素晴らしいと思うよ。
批判している人たちは何を見て言っているのか知らないけど、少なくとも一部分だけを切り取ったニュースや伝聞だけで言っているようならば、もう一度考えて欲しいな。